日々の泡・あるいは魚の寝言

2001年08月25日(土) さよならMIDI

秋のHP引っ越しに伴って、新しくトップページを作っているのですが、開設一年と三ヶ月を数えて、ついに、トップからMIDIをはずすことにしました。

いやその…MIDIはあいかわらず好きなので、つけておきたくはあるのですが、トップをなるべくシンプルにしたかったので、音楽の窓(javaスクリプトで開くBGMウインドウ)をはずしてしまったのです。

思えば(と、ふとふりかえる)、開設のその日から、MIDIは使っていたのです。最初はホームページ・ビルダー(HP作成ソフト)のおまけについていた音楽素材を貼りつけて喜んでいたのですよね。アイコンをぺたっと画面にはって。
そのうち、フリーの音楽素材を公開しているサイトから、MIDIをもらってくるようになって…。
そこに書いてある貼りつけ方のタグをいろいろ研究するようになって…。
あちこちの音楽素材サイトをめぐったものでした。

MIDIのタグは面白いのです。
パネルをだすださない、音量の大小、再生を繰り返す繰り返さない、自動で再生するかしないか…そんなのがみんな、簡単な記述で変わるのです。
さらに、MIDIを再生するプラグインやアプリケーションによって、対応するタグが違ってくるので、「すべてのプラグインをならすための記述」にこだわってみたりとか…。
でまた、サイトによって、微妙に説明が違ったりもするし。
私は未だに、LOOP="TRUE"とLOOP="infinite"のどっちが正しい記述なのか、わかってません(^^;)。うちの環境だと、どっちも鳴るんだもの。

実のところ、風の丘の歴史は、MIDIの実験の歴史でもありまして、古くから(?)このサイトにいらしていたみなさんは、いろいろ私がいじっていたのをご記憶だろうと思います。
パネルが出たり消えたり、色やサイズが変わったりしたでしょう?
一時期は、メイン掲示板カフェかもめ亭にも、BGMがついていたんです。

ところで。ご存じの方も多いでしょうが、MIDI演奏は、パソコンにとって、けっこうな負担になるのです。
我が家のパソコンe−one500は、当時の新製品で、安いのにいろいろなことができてしまうパソコンだったので、BGM再生しながら、大きな画像をダウンロードしたりしても大丈夫だったのですが、HPの訪問者様には、古いパソコンを大切に使っているかたもいらっしゃいます。
そういう方々のパソコンは、たまに、MIDIでフリーズしてしまうのですね。
おまけに当時の風の丘は、トップページで、音楽再生しながら、javaスクリプトで、花まで降らせていたのです…。+巨大な画像つき。
いやあ。当時はよく、控えめな苦情をいただいたものです(^^;)
ゴメンナサイ、みなさま。私が無知でした。

さて、私はジオシティーズの領域でHPを公開している、いわゆるジオ市民なので、困ったときの駆け込み寺的掲示板、「助け合い広場」に、勉強のために日参していました。過去ログを読むのも何かと勉強になりました。
たまに、ちょこちょこMIDIのタグの関係で、回答する側にまわることもありました。BGMならしたいひとって、けっこう多いんです。
そこで(広場で)知ったことなのですが、高レベルのHPを作成している人(=常連回答者)には、MIDI嫌いの人が多いのですね。
いわく「訪問者の都合を考えず、勝手に音楽を鳴らすのはどうだろう?」
「作成した人間の意図とはまるで違う音で鳴ることもある音楽というのは、そもそも音楽として認めることはできない」etc
ということで…。
(そうそう、かもめ亭には、当時知り合いになった、広場の常連回答者さんで、MIDI嫌いの代表みたいな方がいらっしゃいます。…いろいろ意見をいただいたものです(^^;)。その節はどうもでした。>Meatianさん)。

そんなこんなで、「助け合い広場」では、「MIDIを使うなら、せめて、聞きたくない人がとめられるように、パネルをだすべきだ」という意見が主流だったのです。
「なるほど」と思ったので、私は一時期パネルを使っていました。
それまでは、AUTOSTART="TRUE"とAUTOPLAY="TRUE"で、ページを開くなりMIDI再生させていたのです。
しかし、再生を訪問者に選択させるようにしたら、古いパソコンの人でもフリーズする危険は少なくなるでしょう。
というわけで、パネルをだしたのですが。

これが、なかなか無骨、なのですよねえ。
ページのデザインがかっこわるくなってしまうのです。

そんなこんなするうちに、あれはどこでヒントをえたんだったか忘れましたが、javaスクリプトで音楽再生用の小窓を開かせればいいんだと気づいたのです。
窓を開いたら、MIDIが再生。
開かなかったら、MIDIは鳴らない。
おまけに、見た目が美しい。

これだ、と思いました。
フリーのスクリプトを配布しているサイトで、javaスクリプトをゲット。
早速貼りつけてみたところが、これがお茶目なミスをして、あきさんに助けてもらったり、助け合い広場に駆け込んだりしましたが、なんとか設置しました。

できあがった小窓はなかなかかわいらしく、とっても満足だったのですが…。
ここへきて、ジオシティーズの規約違反なのではないかという疑念が、ふときざしたのです。
ジオでは、ポップアップウインドウをだす場合、必ずその窓にも、ジオガイド(ジオの広告窓ですね)を表示する決まりになっています。
私はちょこっとでもでていたらいいのではないかと思っていたのですが、助け合い広場をみていたら、「小窓はガイドが全体表示できるサイズでなくてはならない」という意見が主流を占めているではありませんか?
でも、ジオガイドを全部表示できるサイズの窓というと…。
フリーチケットシアターの広告窓のようなサイズになってしまいます…。

一方で、フレームにした場合、広告はメインのファイルの中に表示されていればよし、とされているんですよね。
なぜに、BGMウインドウだけが、サブででてくるウインドウ(こういういいかたでいいのかな?)にも広告を表示しなくてはならないのでしょうか?
小窓が出ているとき、常に横にはメインで開いているファイルがあるわけで、そっちには当然広告が表示されています。条件はフレームと同じなのに…。

私は納得いかなかったので、ジオに直接質問のメールを出しました。
うちのトップをみて下さい、と、お願いしました。
すぐに返事が返ってきました。
「規約違反ではないと思います」という主旨のものでした。
「広告だけをよそに表示するためのポップアップウインドウは望ましくありませんが、あなたのような使い方をする分にはかまわないと思います」
という、どこか私の質問とは微妙にずれているような、でもとりあえずはみてくれたんだし、規約違反じゃないということがわかったからいいか、みたいな内容のメールだったのでした。
(その後、この内容を助け合い広場で投稿したんですが、みんな信じてくれなくて悲しかった…。ほんとなんです。うちの小窓、規約違反じゃないんですよう!)。

そうやって…。

マシンの環境がよくない人や、MIDIが嫌いな人にも嫌われないように、いろいろと努力しながら、BGMを鳴らしてきました。
あのBGM、はじめての来訪者や、ネット初心者の方々や、子どもたちには評判がよかったんです。私も好きでした。
私にとって、MIDIというのは、「音楽」というより、素敵な素材、というか、飾りというか、ちょっとした楽しみみたいなものでした。
よそのサイトでも、MIDIがなるサイトは嫌いではありません。

でも、ついに、MIDIをトップから外すときがきてしまいました。
いろいろささやかな工夫をしながら、つきあってきたんですけどねえ。
さよなら、MIDI。

#とかいいつつ(笑)。内部のコンテンツでは、MIDIを聞けるコンテンツも残していたりします。それはやっぱりね♪ MIDI楽しいもの。

…ああ、軽いつもりで書き出したら、けっこう長い日記になってしまった(笑)。




2001年08月23日(木) なれあいはきらい

嫌いなものはいろいろあるけれど、そのひとつに、「なれあい」があります。
なんていうのかなー。いいたいこともいわずに、ぬるま湯気分でおつきあいするのは、みるのもやるのもダメなんです。

その一歩手前の、あまり中にふみこまない、相手を「友だち」とか呼ばない、挨拶や軽い会話を交わすような関係は好きなんです。つまり、なんていうのかな、「さわやかなおつきあい」とかそういうのはいいんだけど…。
でなかったら、本格的に、友情とか尊敬とか愛情とか、そういうのでばしっと結びついたおつきあいがいいです。

そのどっちでもない、「なれあい」はだめ。「仲間」とか「友だち」とかお互いのことを呼び合うわりには、お互いのことを知らないであろうと思われる関係は、どうも苦手なんです。
これは私が、集団が苦手なのと、「私と貴方は友だちよね」って、念を押すタイプの人が苦手なのと、そのふたつからきているような気がします。
みんなできゃいきゃい騒いでいるのをみると、背筋が寒くなるというか…。
なんかゴンズイ(魚類の一種)が、きゅいきゅいうごめいているところにみえてしまって。人間はそれじゃいかんだろうと思ってしまうのです。

私は自分がつきあう相手を選びたい。
友人知人は厳選したい。
だれでもは仲間と呼ばない。

でも、その代わり、そういう自分が誰かから嫌われても、しょうがないかなと思ってはいます。いつでも嫌われる準備はできているぜ、というか…。
まあ、そういう人生もアリですよね。



2001年08月20日(月) HP引っ越し準備中

秋のミルクカフェへの移転を前にして、水面下で作業が進んでいます。
…ていうか、私は細かい仕事しかしてなくて(ちくちくファイルをいじるとかですね)、大仕事の「オリジナル掲示板作成」とかそういうのは、かもめ亭管理組合(謎の組織ですが、実在しているのでした)のみなさまがなさっているのでした。とくにCGI関係をほとんど一手に引き受けて下さっているM氏と、芸術的な掲示板デザインのS嬢には、どう感謝したらいいかわからない感じです。
ありがとう、Mさん。でも、お願いだから、もうちょっと寝て下さい(^^;)。
Sさんも、無理しないでね〜☆

さて私は、秋刊行のポプラの短編集の仕上げをしているところです。
仕上げといっても、これを一度出版社に渡して、それがゲラになって二回もどってくるので、実のところ、まだまだ「仕上げ」ともいえないんですけどね。
でも、がんばってます。いい本にするのだ。
明日、台風が接近してくる頃(笑)、郵便局にだしに行く予定。

ところで、今回の短編集の仕事をしている間に、何かヒントにでもなるかしらと、「千と千尋の神隠し」を見に行ったんですが…。
富安陽子の「かくれ山の冒険」+「空へ続く神話」だなあと思ってしまって、いまひとつ素直にのめり込めませんでした。
宮崎監督は、パンフレットの中で、柏葉幸子の「霧の向こうの不思議な街」にヒントをもらった、と、インタビューに答えていましたが、一番影響を受けた本があるとしたら、富安陽子のこの二冊なんじゃないかな、と思うのですが…。
ほんとは本の名前を答えていたのが、字数の関係で削られたのかしらん?
あれは、書名をあげていた方が、おしゃれじゃないかと思いましたけどねえ。
(どうでもいいけど、お店の看板、「目」とか「肉」とか書いてあるの、村田喜代子の「鍋の中」を連想したけど、ああいうのはむしろ楽しかったです)。

それはそれとして、一番困ったのは、説明不足だったことでしょうか。
たとえば、ハクが魔法使いになりたかった理由は、最後までわからないし。
(大人には、多少想像がつきますが、一応「子ども向け」の映画のはずなので、もっとかんでふくめるように説明してほしいところ)。
宮崎アニメは、子どもの頃から好きだった(「長靴をはいた猫」とか「ホルスの大冒険」とか)んですが、昔の映画の方が物語としては完成度が高かったような気がします…。「ラピュタ」も「トトロ」も「カリオストロの城」も面白かったのになあ。あの頃の宮崎さんは、どこにいってしまったのでしょう?

分かりにくい話の方がレベルが高いなんていうのは、錯覚だと思う。
みている人が、頭の中で背景を補完しなくてはいけないような「子ども向け」映画には、問題があるんじゃないでしょうか?
海の上を走る電車とか、空を舞う竜とか、四季が混在する花の庭とか、美しいイメージがたくさんあふれていたからこそ、もっと親切な作りだったらなあ、と、惜しまれてなりませんでした。



2001年08月14日(火) 夏緑さんにあった

12日の日曜日に、大阪在住の夏緑先生が来崎されたので、お会いしました。
朝、9時少し前に、長崎駅でお迎えして、その後、駅ビルの中の喫茶店でお茶したあと、グラバー園へいきました。
本当は、涼しい平和記念館へ行きたいところだったんですが、午後二時頃には、佐賀へ移動するということだったので、駅から近いグラバー園へ。

メールや掲示板でのやりとりは、もう一年以上はしていて、電話でおはなししたこともあるのですが、実際にお会いしたのは初めてでした。
第一印象は、「大学時代のクラブの後輩に似ている」(笑)。
遠くから一目見たとき、「なんで彼女がここに?」という言葉が先に脳裏に浮かんで混乱したくらい、似ていたのでした(笑)。
インド美人というか、ジプシー系というか、そんな感じの小柄な美女です(^^)
でも、話し方は思い切り、大阪弁。
ついでに会話は、ひとりでボケとつっこみと、落ちを付けるという、才気あふれるお嬢様でした。
NHKの、「生活笑百科」をみているようだったわ。

グラバー園は、植物関係も売りだったような気がしていたので、植物好きの夏さんを連れていったのですが…夏の暑さのせいと、手入れがちょっと…なせいで、バラあたりはぼろぼろでした(^^;)。
秋にはあれが復活するんでしょうか?
よく、花の時期にテレビに映るから、もっときれいなバラ園があるかと思っていたのに、あれだと、ちょっと寂しいかも。規模も小規模だしなー。
全体的に、植物関係は、雑然と植わっていて、美しくなかったです。
あれでは、こと園芸にかんしては、リピーターになろうという気になれません。
シダ類が大好きな夏さんは、あちこちのきにはえている苔やシダをみて、大喜びでしたけどね(^^)
噴水も、水の中に苔や藻がいっぱいだったのですが、水生昆虫がいっぱいいて、それなりに楽しめました。
石畳には、ハンミョウも飛んでいましたしね。
あ、夏さんは、虫が大好きな人です(笑)。
私も蛾と蜂以外は、少しは好きなので、楽しかったです。

グラバー園というのは、なんだか石畳のしきつめられた坂道の狭い空間に、洋館が展示されていて、そこに自由に入れるというものなのですが、中でハンセンの歴史の展示とかもいくらかされていて、帆船と洋館がすきな夏さんには、なかなかうけていたようです。グラバー園から見下ろせる港や船のようすもお気に召したみたいで、よかったよかった。
自由亭(園の中にある喫茶店。当然洋館)で、かき氷(夏さん)と、アイスコーヒー(私)をいただき、身体をひやして、園をでました。

ここで時間を計算し損なったんですよねえ。
五十分くらいあるから、歩いて駅まで行けるかな、とか考えてしまった私が馬鹿でした。
…海沿いの道を歩いて、きれいな風景を見せたかったんですもの。

海沿いの道は、長崎駅をめざすとき、どこまでも果て遠く、空には日の光が、焦げ付くようにさしていて、私たちの背中を焼くのでした。

結局、駅に着いたのは、発車3分前でした。

ごめんなさい、夏さん。

熱中症になりませんでしたか?
あのあと、お友達に電話をかけられましたか?
荷物、重かったでしょうね…。

…こんな私に懲りてなかったら、また長崎にきて下さいね(^^;)。
そうして、長崎ミステリーを書いて下さいね。
ではまた。



2001年08月13日(月) 猫と子ども

今日は、今日が二歳の誕生日の姪が家に来ました。
姪は、台風のように元気いっぱいで、家の中を走り回り、何事かインコのようにさえずりながら、あたりを飛び回っていたのですが、あいまあいまに猫のりやと接していました。例のアメショー8ヶ月のフレンドリーなりや子です。
(危険なレニは、今日も私の部屋に隔離です…。かわいそうだけど、姪に大けがでもさせたら、困るのはレニほんにんでもあるので…)。

そのうち。
りやは姪の指をなめました。
姪は、りやをそっとなでてやりました。しっぽにもさわりました。

はじめて、指と鼻で挨拶したとき、姪は、ものすごーく、感動していたらしいです。私はめいのうしろにいたので、その顔が見られなくて、悔しかった(^^;)
「ET」と子どもが指で触れ合ったシーンのような感動の表情だったらしいです(^^)。
やっぱり、人間と子どもは、時として、言葉を必要としない、神秘的なつながりをもてるものなのかもしれませんね。
人間と犬猫の心の間に通い合うつながりの、その原始的な形にふれたような気がしました。
りやに笑いかけるときの姪の笑顔は、とびきりのもので、人間に対する笑顔と同じか、もっとうれしそうだったかもしれません。
子ども(というか人間)は、動物が好きなんですね。
それがどこからゆがんできてしまうのか…。

うちにあったしゃべって光るピカチュウのおもちゃを気に入ったので、姪にあげたところ、姪はいつまでも飽きずに、ピカチュウをしゃべらせていました。
人間の身体にくっつけると、「ピカチュウ」と鳴くおもちゃです。
そのうち姪は、おもちゃを、「はい」と、りやにさしだしました。
「これで遊ぶと楽しいよ」といいたかったらしい。
残念ながら、猫のりやには理解不能で匂いかいでそっぽむきましたが(^^;)

ねこじゃらしや、ねずみのおもちゃで。ふたりは遊びました。
姪が遅いお昼寝をはじめたときは、少し離れたテーブルの上で、りやも寝てました。そのうち、寄り添って寝る日もありそうな予感。

猫じゃらしが気に入った姪は、家に帰るとき、「持って帰る」と、行動で示しました。おいおい(笑)。

また、遊びにおいで。
りやも待ってるよ。



2001年08月09日(木) 挿し絵決定と知らない間の幸運

十一月刊行の短編集の挿し絵画家の人が決定しました。
ものすごく素敵で、幻想的で、人間業ではないくらい絵が上手な方です。
(とかくと、「うそ?」とかいわれそうですが、本の出版を待っていて下さいね。私も、そして、担当編集者のNさんも…ついでにいうと、P社の社長さんも! この人しかない、と、心で叫んだ画家さんですから!)。

ここのところ、「画家を捜してネットサーフィンをしている」という内容の日記を何回か書きました。
でも実は、そのさすらいをはじめる前に、候補に選ばれた人がいたのです。
一番最初に、候補に挙がったのは、その方だったのです。
やはりその方も、ネットで発見された人でした(Nさんが見つけたのでした)。
とてもすばらしい絵だし、色も美しいし、なによりも今度の本にぴったりの、甘さと切なさと、清らかさをもった絵が、何枚もサイトに飾ってありました。

もうその方にしようと決めて、連絡先をさがしていた途中で、ななんと、「本職が忙しいので、いまはオリジナルのイラストはかいていないらしい」という事実がわかったのでした。その後、Nさんが電話をかけ、メールを打っても、ご本人に連絡も付かなかったので、これはもうだめだろうと、わたしもNさんもあきらめて、挿し絵候補を新たにさがしはじめていたのでした。

が。
先日、ご本人様から、「悩んだけれど、お仕事をさせていただきたい」よしのうれしい連絡がNさんのほうにあり、即座に決定しました。
Nさんと画家さんは打ち合わせもすみ、いろいろ絵の制作にはいっていただくことになりました。
さあ、本の出版の日が楽しみです〜! わーい。

ここが運の分かれ目だなあと思ったのが、その画家さんの後に候補になっていた、新人絵本画家の方です。その方に決定するかどうか決めるべく、私とNさんは、P社の絵の決定権を持つ(といってもいいのだろうと思います)とあるお方のご意見を待っていたんです。でもその方はご出張中でして…。
そのご帰還を待っている間に、今回決定した画家さんからの連絡が入ったのでした。
きっと、世の中にはこんな風に、本人の知らないうちに、幸運が近づいていたり、また気づかないうちに通り過ぎたりするんだろうなと思いました。

今回の本の挿し絵は、やはり、最初のインスピレーションでみんなが選んだ画家さんが、これ以上ないほどぴったりな人ので、新人絵本作家さんは、声もかけないままのことでおわってしまいます。
でも、私もそしてNさんも、その方の絵にぐっときたのは事実なので、いつかいっしょにお仕事をしたい人として、覚えておきたいと思っています。
絵本買うんだ〜♪

さて。その本の元になる原稿は、いま、手元にあって、これから最後の手直しをするところです。はじめての短編集ですし、心を込めてがんばります。
今回、あとがきもつけようということなので、ちょっと私なりの児童文学論の総括もしてみようかなと、思っているところであります。

…ああ、でも昨日から、低気圧の関係で、頭が重い…。

<追記>
その画家さんは…いろいろと打ち合わせの末、お仕事をおりることになってしまったのでした…。そしてまた、画家探しの旅が始まりました(涙)。
村山早紀の傑作短編集の挿絵を描く人は、はたして誰になるのでしょうか?



2001年08月07日(火) セリュー君と原爆病院と救命病棟24時

昨日は、夕方に、友だちのすず猫さんからいきなり電話があって、その時間帯(注・すず猫さん横浜在住。私は長崎在住です。とっても長距離電話になります)ということがなんだか非常事態なんだな、という予感がしたので、背筋が寒くなりつつ、受け答えしたのでした。
案の定、愛猫セリューくんが、よその猫に襲われたらしいのでした。
詳しくは、彼女のHPの猫日記に書いてありますが、くだんの猫は、網戸を開けて室内に侵入し、セリュー君と格闘したらしい。
まだ乳歯の生後四ヶ月のセリュー君、果敢に戦ったんでしょうけど、怖かったでしょうねえ。ていうか、きっと子猫なので、侵入してきたよその猫に、「こんにちは、あなただあれ?」とかいって、にこにこ近づいていって、ふーっとかいわれてたたかれたんじゃないかと思うと、不憫でかわいそうなのでした。
そのときは、まだ、セリュー君に怪我がないということで、すず猫さんは比較的元気だったのです。
でもその後、セリュー君に小さな傷を彼女は発見しました。
彼女の前の愛猫は、ケンカ傷から病気に感染して、死んだという過去がありまして…。
すず猫さんは、もう泣いちゃうほど、心配し悲しんだわけです。

一方、我が家は我が家で、母親が「自分はガンかもしれない」とかいいだしまして、夕食にうなぎとか食しつつも、陰鬱な空気がたれ込めていたのでした。
だってねえ。母にはいわなかったけれど、母がガンかもという部分がもしガンだとしたら、予後不良な部位のガンになるので、けっこう怖いわけですよ。
とりあえず、母が原爆病院へ行くという今日の朝、私も病院についていくことにしたのでした。

朝九時二十分に申し込みをして、実際に診察してもらえたのは、一時半くらいでしたか。
四時間、待ちました。母親は最後の方は、疲れ果てて、待合室のベンチで寝ていました。大病院だからしかたがないのでしょうが、あれでは病人によっては疲れて死んでしまうのでは(^^;)?
私はといえば、最初のうちは、朝ご飯を食べずに家を出たので、売店でジャムパンを買って食べたりして暇をつぶしていたのですが、まさかそこまでまたされるとは思っていなかったので、なんとはなしに、時間をつぶしてしまったのが惜しかったです。あんなに待つとわかっていたら、本の一冊でも持参したものを。
(売店にも本はありましたが、入院患者さんの喜びをとっちゃうみたいで、買えなかったのです)。
途中で、仕事関係の連絡がはいってないか気になったので、トイレで何回かメールチェックをしました。
すると朗報一件。
十月出版予定だった(十一月出版予定に変わった)短編集の絵描きさんが、決定したというのです。その話の詳しいことは今度書きますが、巡りめぐって、一番最初に候補にした画家さん(この方のことは、たしか日記には書いていません)が、描いてくださることになったのでした。めでたしめでたし。

結局は、母の「ガンかもしれないもの」は、ただの炎症でした。

帰りに、浦上駅前のパン屋さんで、お昼ごはんのパンを山ほど買って帰りました。疲れていたし、おなかがすいていたので。
遅いお昼を食べて、一息ついたところで、すず猫さんちに電話して、セリュー君のようすを聞きました。信頼できる獣医さんのところへつれていったそうで、別人のように元気になっていたので、ほっとしましたです〜。
(もう落ち込まないでね。すず猫さん☆)。

夕ご飯は、ビフテキにしました。

夜は九時から、「救命病棟24時」をみて、泣かされました。
やっぱ、こういうささやかな善意が交錯するようなドラマが、私はとても好きなようです。
人間って、いつも完全である必要はないんですよ。ふとした瞬間に優しければいいの。人間がそんなものである限り、私は人間が好きだなあ、とても。
そんなことを考えながら、べそをかいていました。



2001年08月05日(日) のれんとかファンタスティックフォーチュンとか

夏が苦手な村山ですが、今年の夏はもう突き抜けてしまって(笑)、外を歩いているときの方が元気かもしれないです。
家に帰ってきてから、ぐたーっとしますけどねえ。

私の寝室のベッドのそばに、東向きの窓があります。
夜寝るときは、クーラーをとめて、その窓を開けて寝るのですが、朝になると、その窓から、日差しがさんさんと降り注ぐので、天日であぶられているような状態で目覚めることになります。カーテンが風にまくれるので、ひがはいるのです。
目覚まし時計がいらない感じでした。
暑さの限界まで来ると、人間の身体は自然と目覚めるようにできてました(笑)。

でも、いくらなんでも、体によくないなあという気がしてきたので、先日、ダイエーで突っ張り棒と、のれん×3を買ってきました。
カーテンのおくに固定して、日よけを造るわけです。
水色の涼しげな葦の模様の日よけは、みていても涼しく、そうして、翌朝私は歓喜したものです。見事に朝日はベッドに射さなかったので!

でも、ここでひとつ困ったことが。
目が覚めなくなっちゃったんですよう。
朝いつまでも暗いから。
寝過ぎると頭痛の元なので、いまちょっと悩んでいるところです(^^;)
まあ、いたってのんきな悩みなんですけどね☆

ところで、久しぶりにPCゲームをプレイしています。
元富士通製だったけど、いまはサイバーフロントから出ている、「ファンタスティックフォーチュン」。←ネットでは超メジャーなゲームらしいですね。

「アンジェリーク」と「プリメ」を足したような、育成恋愛ゲームです。
ヒロインは、王女様、女子高生、エルフみたいな性別がない人、の三人から選ぶことができます。
とりあえず、女子高生でプレイしてみて、昨日の夜、「王女様とのラブラブエンディング」!をみたのですが、会話は少な目だけど、けっこう楽しかった。
プレイ時間が短いのも、息抜きにぴったり。
絵柄もすきずきありそうですが、私はああいう目の大きいかわいい絵ってキライじゃないので、OKです。
…よくをいうと、プレステの「みつめてナイト」くらい、イベントなんかが作りこんであればな、と思うんですが、でも不思議な未完成の魅力もあるんですよねえ。「アンジェ」の第一作ににている何かがあるというか…。

で、そのゲームの中で、「あたらない占いが趣味の吟遊詩人」のお兄ちゃん(当然美形)というのが、公園にいるんですが、「安売りは自分をおとしめることですからね」というようなせりふを言うシーンがあるんです。
ちょっとこのごろ、このせりふにぴったりな出来事があったので、うむう、と、思いました。まあ、細かい事情は書きませんが、一つ仕事を断ったのです。小説の仕事じゃないですけど。
「安売りは自分をおとしめること」ほんとにそうです。
作家は自分で自分の姿をつくって、守っていかなければならない。
そのためには、こちらを大事にしてくれない仕事はひきうけるわけにはいかないのです。切り捨てることも、時として必要なんですね。

画面の中の吟遊詩人のお兄さんに、「そうだよねー」とうなずいた夏の真夜中のことでした…。


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