DAY
私の日々の下らない日常。
最近はマンガばなし。


*web拍手*

2007年10月06日(土) World's End Super Nova

笛吹が学生だった頃、未成年の飲酒は今よりもずっと容易だった。学生服でも着ていない限り、身分証明を求められることなどあり得なかった。
清廉潔白、品行方正を絵に描いたような笛吹だが、大学生の自分は羽目を外すことをあまり厭わなかった、と思う。特に同学年のライバルと、年下の理解者を得てから、高校までは想像も出来なかったくらい無茶が出来た。
例えば終電間際に自宅から一時間もかかるような場所に出掛けていって、終点まで飲み屋にいた挙句、始発を待つのではなく、歩いてその日講義のある大学まで行ってみようと試みるくらいには。


翌日が非番だと思って溜まった資料の整理をしていたら、既に朝日が昇ろうかというような時間になっていた。夏の夜は短い。筑紫は出張中だ。最後にいつ紅茶を飲んだのかすら思い出せなかった。
気を抜くと、自分で自分も律せなくなるのか。篚口のことを言えないな。
せめて家に帰るまで、と緩めていたネクタイを締めなおし、笛吹は窓のない部屋を出た。東の空が薄っすらと色づいてきていて、窓が並んだ廊下は思ったよりも明るかった。


その日は、レポートがあるとか言って筑紫は都合が付かなかった。恐らく、それが余計に笛吹を浮かれさせていた。あの頃から筑紫は笛吹の保護者のようなところがあったのだ。
笹塚は酒が好きだし、滅法強かった。彼のペースに合わせていれば、自分など早々に潰れるのが分かっていたが、笛吹は大好きな甘い酒を立て続けに飲み、そして饒舌に自分の夢を語った。
笛吹は幼い頃から警官になること以外を考えたことはなかった。年が長じるにつれ、自分の適性を見極め、交番のおまわりさんよりは管理する側の方が向いているであろうことを理解したけれど、その夢はぶれたことがない。
笛吹は性善説者だ。そしてオプティミストであり、何よりも人が好きだった。
日本は平和な国だ。その意味で世界の異端児であり続けるべきだ。俺は、それの手伝いをしたい。
酒で回らない舌で熱っぽく語る笛吹の話を、笹塚は笑いながら聞いた。彼が楽しそうにしているので、笛吹はもっと酒を飲みたくなったし、もっと話したくなった。無茶をしたくなった。
大学まで歩くぞ、という酔っ払いの戯言を、笹塚は笑って千鳥足の笛吹に肩を貸すことで許した。


エレベーターホールを出ようとしたところで、別のエレベーターが地上階に到着した機械音がした。
振り返ると、この建物の中で誰よりも付き合だけは長い男が居た。
「おい、エレベーター内は禁煙だぞ」
「あー悪い。寝不足をニコチンで補ってんだ」
「馬鹿なことを言うな。きちんと寝ろ、野菜を食え」
「そういうお前こそ、何でこんな時間に帰るんだよ。夜弱いくせに」
「仕事だ、仕事。他にあるか!…お前は捜査本部か?」
「ああ、夕方に片付いてな。事後処理でこの時間だよ」
犯罪を犯すのはXだけではない。そう言えば、一人暮らしの老人が殺された事件で特別捜査本部が設けられていたことを笛吹は思い出した。田舎で暮らす祖父母のことを少し思い出し、静かに「そうか」と返した。
笹塚とふたりきりで居ると、笛吹はどうしても居心地の悪さを感じる。彼が国家公務員試験に現れず、一年も姿を消してしまってから、笛吹はどうしても彼に対する壁を感じずにはいられなかった。
それは笛吹のちっぽけなプライドだけが問題なのではない。家族の死は、間違いなく笹塚を変えた。
笛吹は怖いのだ。


古い町並みは高い建物が少なく、高低差が激しいので、何の前触れもなく急に視界が開ける。
今まさに姿を現そうとする太陽に魅入られて、笛吹は笹塚から離れて一、二歩前に出た。未だに酔ったままの足取りに、笹塚は慌てたように笛吹、と呼んだ。
瞬きをする度に広がっていく赤に向き合ったまま、笛吹は叫んだ。


ふたり並んで、無言のまま警視庁の外に出ると、さすがにこの時間ではランニングをしている人の姿もなかった。その代わりに、まるで天上の花が一気に咲いたかのような朝日が笛吹と笹塚を迎えた。
夕焼けはまるで殺された人間の血をぶち撒けたようだと思う。しかし朝焼けは何故か、同じ血は血でも、母親が赤子を産み落としたときのようだ。ああ、自分も大概感傷的が過ぎる。そう思いながら、笛吹は朝焼けから目が離せない。自分の横で、笹塚がまるで何も見ていないかのようなあっけなさで新しい煙草に火を付けたのが分かった。


「笹塚!世界は美しいな!」
「笛吹、声がデカいよ」
近所の人を起こすのではないかと慌てる笹塚をよそに、笛吹はもう一度叫んだ。
「俺はこの世界が好きだ!この世界は美しい!」
いつもの笛吹らしからぬ子供染みた言動に、笹塚は結局笑っただけだった。煙草に火をつけながらゆっくりと笛吹の隣に並び、まるで妹の我侭を諌めるときのような声色で「そうだな」と言った。


笛吹は隣を見た。笹塚はつまらなそうな顔をして、黙って紫煙を吐き出している。
笛吹はきっと、自分が笹塚に言いたいことがたくさんあるのを分かっていた。
あり過ぎて、笹塚に対するとき、自分は何も胸の裡にあることを口にしていないのではないかとすら思う。
笹塚が傷ついていることを知っていた。彼が絶望していることを知っている。
それは、こんなにも―――自分の口を重くしてしまう。

笹塚。間違えるな。
お前が置いていかれたんじゃない。
あの人たちが、お前の家族が、この美しい世界から連れ去られてしまったんだ。
復讐の為に生きるな。お前は生きている。
笹塚、お前は生きているんだ。生きていくことをやめるな。
ああ、こんな正論は何の役にも立たない。
正しいことをしたくて、この場所にいるはずだったのに。

「どうしたんだよ?」
じっと自分を見ていた笛吹に気が付いて、笹塚がだるそうに言う。
笛吹はいや、と緩く首を振った。
「もう年だな。さすがに徹夜は堪える…さっさと帰るさ。お前は電車か?」
「ああ」
「じゃあな」
笹塚に背を向けて、笛吹は歩き出した。そんな笛吹を見送るでもなく、笹塚が落とすようにつぶやいた。
「なんか、お前とこんな朝日を見たことあったよな。昔にも」

笹塚。
お前が生きる場所はここだ。
お前の家族を失ってなお、残酷なほどに美しいこの世界で、お前はこれから何十年も生きていくんだ。
同じ夢を見たはずなのに、もうお前の目が俺と同じものを見ることは一生ないんじゃないかと、俺は不安になる。
なあ。この朝焼けを見て、お前は何を思うんだ。
「ああ。大昔の話だな」

笹塚が何かを答えるのも、何も言わないのも怖くて、笛吹はそこから逃げるように早足で去った。
今だけは、朝を告げる太陽が、十年も前に死んでしまった少女の血を流しているように見えた。

笹塚。
この世界は美しいと思わないか。

それだけは、今度会った時に聞こうと決めた。

-------------------
松井優征『魔人探偵脳噛ネウロ』/週刊少年ジャンプ
急激に笛吹さんのキャラが立っていくので、正直付いていけません。
今週のジャンプ、あまりにも愛らしい行いをするので、思わず買ってしまった…。
最近可愛らしいものを見ると、「笛吹さんが喜ぶ!」と思っています。あの人人生楽しそうだ。


 < カコ  モクジ  ミライ >


黒沢マキ [MAIL] [HOMEPAGE]