西方見聞録...マルコ

 

 

シルバーウィーク後半、エロイカの誘惑 - 2009年09月23日(水)

 前半かっ飛ばして過ごしたので、後半は基本、家でまったりを目指しました。んで近所の本屋でねっころがり読書用の本を買ったり前に図書館で借りておいたラノベ(なのかな?)「図書館戦争シリーズ」とかを家族メンバーとともにごろごろしながら読んですごしました。

 近所の本屋で買ったねっころがり読用の本は「 『エロイカより愛を込めて』の創り方」というの。いや、題名からして軽い。

 中高生時代大好きだったマンガなんだがその創作裏話がつづられている。
基本、私が読んでたころのこのマンガは冷戦時代のスパイアクションだった。冷戦構造が崩れてから「世界の東西2分割」にすべてを収斂するような話が書けなくなってんだろうな、どうしているのかなと思ったら、なんだか複雑な話になってまだ続いていた。冷戦後はほとんどおっかけてなかったんだが裏話が特に面白かった「ビザンチン迷路」の収録された28巻から30巻までを思い立ってAMAZONで購入してみた。(あとZシリーズの最終話が30巻に収録されてたので♪)

 読んで見て、うーん。初恋は初恋のままにしておくのがよろしかったかも。

 作者の萌えツボであり、中高生の私の萌えが上手くシンクロできた「エーベルバッハ少佐のおっさんくさい筋肉質な肉体感覚」とかは最近の作品だと、作者もそんなに萌えてないだろうし、私もあんまり萌えなくって、お互い年を取りましたな、ってのが感想だ。

 でも昔のように熱狂的でなくても還暦に達しようとする作者の作風の円熟には好感が持てた。仕事ってのは狂った熱狂が去ってもその時代に培った技術で飛行し続けることはできるという見本のような渋いなりに良い仕事だと思った。

 ちなみに私が面白いと思った「『エロイカより愛を込めて』の創り方」の中で書かれていた「ピザンチン迷路」創作に当たっての裏話とは下記のようなもの。
 「サンタ島でピザンチン遺跡を発掘調査中の愛知教育大学の調査チームにいた女子学生が雑誌連載中の「エロイカより愛を込めて」を読んで自分たちの調査中の島が作中に出ているのを教授に通報。教授は面白がってサンタ島の科研費報告書を出版社経由で作者に送る。それ以来、教授は作者の求めに応じてEメールで詳しい現地情報や写真資料を提供し、それに答えるように作者はマンガのストーリーをサンタ島のビザンチン文化にフォーカスさせていく。」と、いうもの。

 学生時代、私も先史学の西田先生に縄文時代が舞台の「イティハーサ」ってマンガを貸してくれって頼まれて貸してあげたことがあったな。とかマイナー研究分野のヒトは自分の分野が漫画化されたりすると喜ぶという性質を思い出して可笑しかった。

 もうエロイカを全巻揃えることはない。でも思い出した旧友との再会って感じで渋く面白かった。


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シルバーウィーク前半、友遠方より来る - 2009年09月21日(月)

 さて、シルバーウィークですね。世の中は大変に行楽日和です。いつも静かな奈良も、どうした?落ち着け!というくらい大変な人出です。このシルバーウィークは我が家もちょっと熱狂気味に前半を過ごしました。どうした?落ち着け!って感じです。

 まず19日土曜日は法隆寺を
 20日日曜日は奈良を
 21日月曜日(敬老の日?)は飛鳥を攻めました。

 なんだ、、いつもどおりじゃないですか。

 しかししかし、いつもと違ったのはそれぞれの我が家のおなじみ観光地を子ども10名、大人11名の合計21名で攻めたということです!!

 1号さんの保育園@稲田堤時代の友人の家6家族(うちも含んでます)がうち揃って奈良観光に精を出したわけでございます。いやいやいや、遠いところをまったくご苦労様でございました。ようこそようこそ。

 しかし赤子のころ出合ったあの子もこの子も来年は中学生。まったく皆様ようお育ちになったよ。あのころ30代になりたてのなんだかテンぱってた私たちはなんだかいつの間にかアラフォーでアラフィフなわけです。いまも別ベクトルにテンぱってるけどさ。アラシクッス(還暦とも言う)くらいになったら子ども置いて今度親だけで遊びましょうぞ、皆様。





 あ〜大きくなったね〜みんな。




 これは若草山ふもとで見つけた柿そばのお店。おいしかったす。お昼ごはんはドコもいっぱいで、しかもシルバーウィーク中は予約を受け付けてくれるお店が少ない中、ぶっつけで入ったお店が意外に美味しくて現地ガイドは助かりました〜







 で、まあ、奈良だとどうしても寺、遺跡めぐりになっちゃうんで要所要所でザリガニ観察や鯉のえさやりなど子どもに受けそうなポイントを用意しないと子どもが着いてこなくなっちゃうので、この辺の大人趣味と子ども趣味の配分は計画当初から結構気にしてました(あめでおさんが)。




 で、我が家も正しくツアーの一員としてみんなと一緒に西大寺のかんぽに泊まって、夜は痛飲、早朝は平城宮祉公園でジョギング、日中は攻めの姿勢の観光となんか竜宮城にいるような楽しき日々でした。

 また上京したら稲田堤魚民で飲もうぞ、友よ。


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辛淑玉 野中広務「差別と日本人」と今の気持ち - 2009年09月11日(金)

 6月だったかな、かなり前に夫@あめでおが京都駅の本屋でこのを手にとって、ぱらぱら眺めるだけのつもりだったのに、読み始めたら止まらなくなってしまって、新幹線逃しそうだからあわてて買った、といいながら家に持って帰ってきました。野中広務氏に関しては名著「差別と権力」でその正史的な部分が描かれているんですが、こっちはもっと本人の実感に寄り添うような形で描かれていてその実感に人々が共感できるように工夫された著作と思いました。

 また辛淑玉氏の著書を読んだのはこれが初めてだったんですが、本人ご家族、皆、日本名で暮らしている中、辛氏が本名をカミングアウトして戦う人生に乗り出していったことが書かれていました。非常に、その戦いに関しても共感的理解が得やすいかたちで述べられた本だとおもいました。

 他のところでも書いたような気がするけど、この本の中でもっとも私がはっとしたのは、辛氏のパートナーの日本人男性が辛氏を愛しながら、しかし「何でそんなに戦ってばかりいるのだ」と「一緒に暮らすこと」に「疲れ」を表明して去って行く件(くだり)でした。

 辛氏のパートナー、きっとそれなりに骨も覚悟もある人だったのではないかとおもうのですが、彼が疲れてその場を去る場面と、しかし24時間その場を去ることができない辛氏が立ち尽くす姿に多くのことを考えました。

 1つは支援者と当事者の間の間にあるもののこと。

 支援者は活動の場にいるときだけ戦えばいいけど、そして家に帰れば1市民として休息できるけど、当事者は24時間当事者であることから逃げられないんだな、と。


 私はここ数年、外国人児童のアイデンティティ支援ということを考えて時々土曜日にNPOに行ってボランティアのようなことをさせてもらったりしていたのですが、でも家に帰れば、1マジョリティ家庭の妻のポジションに戻ってこどものピアノの稽古に付き合ったりするわけです。

 そしてさらにはそのボランティア体験を基にして博士論文も書きました。博士号が決まって、みんなにおめでとうといわれて、ありがとうと返すうちにやはり胸に去来するのは研究完成に協力してくれたベトナム人やブラジル人の中学生や高校生や小学生のことなのです。

 研究しているうちは、研究に協力してくれた人たちのためにも何が何でもこの論考を世に出そう、ともがいていました。
 でも研究が完成してみて、それを糧にさらに大きな声を出せるようになりたいと思うたびに、聡明でそれなりに努力をしながら、高校進学、大学進学で躓き、苦労しなければならない彼らのことが胸に去来します。私なりの苦労はもちろんありますが、この社会のマジョリティであるがゆえに彼らと比べて私の歩く道はどれだけ平坦なものかと、彼らのことを描いて研究成果を得る立場になって思い知るのです。 

 声を上げて、戦う当事者は社会矛盾の存在を周囲に知らしめるのですから、社会全体にとって、社会改革の機会を提供してくれる「リソース」です。その社会全体へのリソース提供者である「当事者」を孤立させない、彼らの戦いがマイノリティのためだけでなく社会を構成するすべての人にとって利益となるものだ、ということを支援者の立場からいかにわかりやすく周囲へと伝えていくことができるのか。

 当事者と支援者の間の埋めがたい溝を感じながらも「声を上げる当事者」の戦いを支援する市民でありたい、と強く思わせる1冊でした。

 
 

 


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香山リカ 「しがみつかない生き方」と今の気持ち - 2009年09月02日(水)

 香山リカの「しがみつかない生き方」を読んだ。

 最終章で「幸せになるためには『勝間和代』を目指さない。」という指摘が秀逸だった。

 成功は自分の努力の成果と人は思いがちだが上手く行くのも行かないのも運によるところが大きい。成功のためのノウハウをたどれば誰でも成功するのではなく、また、失敗したのは本人のやり方がまずかったのではなく、何だって時の運で、誰でも成功するかもしれないし、運によって失敗するかもしれない。自分が失敗する確率だってすごく大きいんだから目のくらむような成功を目指さず、失敗者の存在を否認せず、ほどほどの幸せを目指して、もし運よく成功したら失敗者が滑り落ちないような社会の仕組みづくりを考えるべきだ。というのがその章の趣旨、と理解した。

 そのとおりだと思った。

 私が運がいいと思うのは今の家族のメンバーに出会えたことだ。

 もしかしたら明日この感想は覆るかもしれない。でも今そう思えることにまずは感謝だ。

 昨日、正式に博士論文の審査に通った。何度も駄目だと思った。調査させてもらった人たちに顔向けができない、子どもとの時間を犠牲にしたのに成果が得られなかったらどうしようと夜中に目が覚めて涙が出たのも1度や2度ではない。

 でも本当に運が味方してくれた。ゆめゆめ自分の努力の成果とは思うまい。自分の実力が紙の様な物であることもすごくよくわかった6年半だった。博士号が取れたからと言って何が変わるわけではなく明日からも楽しく夫の扶養内で働く高学歴難民のままだが、とにかくこの6年半の時間に区切りがついた。

 調査先の人々と子ども達にまずは感謝だ。

 こんな私に出会ってくれてありがとう。


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