西方見聞録...マルコ

 

 

走る私 - 2009年08月26日(水)

 さて、夏も終わりである。
 この夏はいろいろと開放された夏になるはずだったんだが蓋を開けてみるとD論の校正とか秋学会の新ネタのための調査とか抄録原稿作りとかでやっぱりなんとなく気ぜわしいまま過ぎていってしまったな〜。

 でも結構長かったD論逼塞生活は終了したので、逼塞中に蓄えてしまったお肉はなんとかしたいと、ダイエッターになることにした。なることにしたけど具体的にどうしようかな〜と思案しながら東京でも関西でもおいしくオフして、数値はここ数年のうちのマックスを記録するに至った。おKちゃん妊娠中に打ち立てた大記録には及ばないけどさ。

 で、思案しながら太っていたわけですが東京オフでであった某NEOさん(全然某じゃなくてすみません)が以前お目にかかった2年前と比べて衝撃的に別人になってやせていらしたのに目を瞠った。私たちくらいの年代でダイエットしてやせるとなんと言うかしぼむというかしおれるって感じでやせてしまうことが多いのだが、NEOさんはこうエネルギーをぎゅっと凝縮した感じでぎらぎらとやせていた。シャープになったって感じかな?

 で、NEOさんは人ぞ知る村上春樹ファンなんだが村上氏の走るエッセイを読まれて以来ご自身もランナーになっておられた。私も村上氏の走るエッセイ(名著です)には結構感銘を受けてたんだが自分が走るまでには動かされていなかった。でもその村上氏に感銘を受けたNEOさんの変貌振りには感銘を受けたぞ!そして私も走ることにした!
 NEOさんを介在しているので村上氏の孫ランナーってかんじ。

 今日もこれから行ってきます。まだ今日で6日目。

 すごいゆる〜く、1〜1.5キロしか走ってないのにこんなところで宣言しちゃうのはちょっとお恥ずかしいのだが。そんであんなにゆるい走りなのにものすごい筋肉痛。この筋肉痛って治るのかな?

 とにかく大抵朝5時か5時半に家を出る。東の空がほのかに赤みが差し始め柳生から曽爾高原に続いていく山の稜線が美しく浮かび上がる。そして水田と住宅地のある界隈を抜けると蓮田があり、今の時期ピンクの蓮の花がとてもきれい。その蓮田を抜けると大きな溜池があり、その溜池を越えて未舗装の農道に入ると左右はイチジク果樹園で、空気がイチジクの匂いになる。そのイチジク果樹園が過ぎ去ると世界遺産の法輪寺の三重の塔眼前に広がる。

 いやいや、この町に住んでて今まで朝ランニングしなかったのは損失でしたってくらい朝の景色がきれい。

 今週はこのほか子ども会関係でラジオ体操の世話人もしてるので大変スポーツフルである。でも昨日調査先で知り合いのKさんに「どうしたの?疲れてる?なんか困りごと?」と心配されてしまった。

 エネルギーが凝縮してるあのNEOさんの域に達するにはもう少し時間が必要な模様。



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夏の休日ーTNP観劇録 - 2009年08月15日(土)

 過去日記。

 8月15日、この日は東京の婚家・実家のじじばばに預かってもらってた子どもたちを回収すべく奈良を出て、一路東への汽車に乗った。でも琵琶湖の東岸で途中下車した。

 実はこの日は1日オフということにして、午後のひと時、東近江市(もと蒲生市とその周辺町村?)のアカネ文化ホールで行われているTNP(The NEWS PAPER)の公演にひっそりといっちゃう日だったのだ!TNPは当HP掲示板の重鎮れいこなさんやいとなんちゃんがよくご覧になってて、話題にするので1度行ってみたいと思っていた政治風刺コント集団である。昭和天皇崩御の折、音曲を自粛させられて仕事がなくなったいくつかの演劇集団が集まって結成された。「さる高貴な1家」とか小泉そっくりさんとか麻生そっくりさんとかが顔かたちだけでなく心の中まで物まねさし華麗なコントを繰り広げる、らしい。何せワタクシ初挑戦ですから。

 子らは8月の10日から東京に行っており、夫あめでおは15日の早朝から九州方向に出張に行っていた。なのでこの日の私の行動は誰にも知られない完全シークレットなのだ。あーわくわく。

 大阪から京都・米原方面へJRで移動し、近江八幡駅で降りる。そこから近江鉄道という琵琶湖東岸にネットワークを張り巡らせる鉄道に乗り八日市という町で貴生川行きの近江鉄道の別支線に乗り換え、海のような水田の中を進み、京セラの広大な研究所のある駅を過ぎ去り、「桜川」という駅で降り立った。

 近江鉄道は550円以上の区間はフリー切符というのを買うと、乗り降り自由で何処までもいける。電車はワンマンカーで多くの駅が無人駅なので乗客は運転手さんに切符を見せて乗り降りする。また多くの地元の人が自転車同伴で電車に乗ってきて自転車を車両の端っこに止めて席に着くのが少し新鮮だった。ドイツのほうの省エネの先進例として見たことあるぞ、自転車同伴電車(でもドイツの例は専用の自転車置き車両があるんだが)。

 途中の八日市で1時間近い待ち合わせがあったので降りてみる。西武が開発した町らしく、西武バスがライオンマークを張り付かせて走っていた。街のショッピングモールに行くとエスカレーターホールで知らないおじさんと若い娘さんのコンビが漫才していた。おじさんは娘さんの素朴だが下品な言動に驚愕してたじたじするというなんというか、タイムスリップしちゃったのわたし?という芸で高齢者の比率の多い観客を相手にすごく受けていた。知らない世界がひろがってるな〜。

 さて桜川駅で降り立ったのは女性二人組みが2組と男女のカップルが2組、そして私の9名。どうも皆TNPの公演に向かうようでパンフレットと同封されてた地図を取り出し、同方向に歩いていく。開演時間まで少し時間があったので途中の大型本屋に私は寄って名作漫画「ちはやふる」を購入した。一緒にアカネ文化ホールをめざしていたと思われる人々は私が本屋に寄ったのでちょっと驚いたように私を見ていた。

 かなり歩いてアカネ文化ホールに着き、開演前にトイレに行くとさっき一緒に駅で降りた女性がいて「電車で一緒でしたよね?」と語りかけられる。 「はい」と答えると「途中で本屋さんに行っちゃったから、地元の人だったのかと思いました」とのこと。

 さて客席は大体車で来る地元の人がマジョリティなのかな?7割がた埋まったところで開演。

 来る総選挙でおそらく政権党になりそうな民主党ネタがわりと多かった。民主党の人々も容赦なくネタにされて、笑われていた。小泉元首相、東国原知事、金正日は同じ人が演じていたがものすごい似ていた。丸顔のかわいい福本ヒデさんは麻生と鳩山と両方演じるため舞台上で早代わりしていた。
マイケルジャクソンネタとオバマネタがうまく工夫されていたかも。でも期待していたさる高貴な一家ネタは演じられなかった。

 楽しく笑った2時間が過ぎ、TNPのファンブックを購入し一座の重鎮渡辺又兵衛さんに「マルコさんへ」と入ったサインをしてもらい、ホールを出た。徒歩で駅を目指す人はすごく少ない。途中さっきトイレで話しかけられた女性と一緒になったので彼女と彼女の連れの女性と3人で駅を目指す。

 彼女は神戸の人で、TNPを追って、富山にも東京にも行くらしい。でも神戸のオリエンタル劇場での年末の公演がTNPの関西における本拠地というか常連公演場所で、そこは巨大ホールが常に満杯になり観客もTNPを知り尽くしているのでかなり精度の高いコントが見れるらしい。「一度オリエンタルホールにいらっしゃい」と熱心に誘われた。東近江はTNPとしても初めての土地だったのでかなり手加減した公演になってた、とは彼女の評。高齢者の多い客層を観て「さる高貴な一家」ネタは封印したのでしょう、との観測。なるほど。

 桜川駅から西を目指す彼女たちと神戸での再会を約して、私は米原から新幹線に乗るべく反対方向の近江鉄道に乗り、一路東京を目指した。

 追記、ちなみに後日、夫あめでおにはサイン本を発見されてこの日の私のシークレット観劇は白日の元にさらされてしまった。別に隠す事じゃないんだけどさ。なんか恥ずかしくってさ。



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最近の若いお母さん - 2009年08月11日(火)

 朝地震があった。新幹線が止まった。
 しかしこの日私は東京→奈良間を移動する日だった!!

 この前日マルコは娘二人を連れて上京した。そんでこの日の朝娘二人を伴った老親が信州方面に旅行に行くのを見送り、ちょこっと中学校時代の友だちとランチして、さっくり帰途に着く予定だったのだ。

 でも午後2時の時点で新幹線はゆるゆる動き出していた。とても指定席なんて取れる状況ではなかったので自由席切符を買って、いま発車する新幹線に乗った。3人がけの真ん中の席だが座れた。通路側に赤ちゃんを連れた若いお母さんがいて、なんか他の人は「真ん中の席にはお父さんが来るに違いない」と思ってスルーしちゃってた席なんだが「そこ空いてます?」と聞くと「空いてます、どうぞ」ということで激混み車中ながら、奇跡的に座れたのだった。

 しかし、新幹線ダイヤは乱れまくっており、通常2時間半で着くのに、4時間ほどかかった。

 それにしても通路側の若いお母さんの連れてた赤ちゃんはものごっつ良い子だった!最初2時間はグーグー寝て。次の1時間はうまうまミルクを飲んで(最近のミルクってチョコレートみたいにバー型の固形なんだよ!知らなかった!)最後の1時間ちょっと飽きちゃったみたいだけどお母さんが抱っこして立つとあぶあぶ大変にご機嫌だった。

 お母さんに聞いてみると生後2ヶ月なんだって!もう眼福というのにふさわしい4時間でした。途中名古屋から窓際に座ってた戦後すぐの時期に子育てしたというおばあさんも「こんなご機嫌のイイコは見たことない」と感嘆しており「お母さんが上手に子育てしてるのねえ」とお母さんを褒めまくっていました。いや機嫌の悪い子のお母さんが育児が下手かって言われると困るんですが、でもこの若いお母さん確かにえらかったです。名古屋で窓際の席が空いたとき、赤ちゃん連れの人の奥の席ということでなかなか席が埋まらなかったんです。すると、すっとその近辺で一番お年を召したおばあさんのところに行って、「子連れの席の近くで申し訳ないんですけど1席空いてますよ」と声をかけてました。なかなかできないよね。

 なんかもっと取り乱した感じで赤ちゃん養育期を過ごしてたよな>わたしとちょっと反省しました。


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広島原爆忌 - 2009年08月06日(木)


 8月6日ですね。

 この日、1号さん、夕方制服着て学校に出頭するように命じられました。朝日新聞さんの取材だそうな。春の終わりの広島修学旅行で1号さんの班が献呈してきた「千羽鶴色紙」に現地を取材中の記者さんが目を留めて取材申し込みがあったのでした。その千羽鶴色紙は「在日韓国朝鮮人原爆慰霊碑」にささげられたもので、色紙にびっちりてんこ盛りにでも美しく折り鶴を貼り、真ん中にハングルで「평화」(平和)と書いたものだったのですが人目を引いたようです。

 どの慰霊碑に色紙を献呈するかは学校側が割り振ったので1号さんの班が在日韓国朝鮮人慰霊碑に当たったのはたまたまだったのですが、ハングルまで調べてっていうのがポイントだったようです。

 でもちょっと地味なテーマだったらしく、記事にはならずに没原稿になっちゃった模様。ザンネン!

 そんなわけで8月前半から最近まで、1号さんの記事が出てないかな〜と新聞記事をチェックしてたんですが、8月の新聞紙面つくりって広島(たくさん)、長崎(ちょっと)、敗戦記念日と記事の数の浮き沈みが激しいですな。広島関連の記事は6日まではわりとあるのにその日を過ぎると汐が引くようになくなっちゃうのでした。

 まあ風物詩扱いであっても、生き証人がいるうちに話を聞く機会というのはあるにこしたことない、と思いました。

 今年のNHK特集の「海軍反省会」(戦後海軍の首脳部が昭和55年から11年間100回以上集まって反省会開いてたんだって!)の記録テープから、開戦、特攻、東京裁判の裏で日本海軍のトップ「海軍軍令部」がどう状況判断をしてその行動をとってきたのかせまる、という番組をやっていたのでみました。本当に、なぜ、そのとき立ち止まれなかったのか。今平和な世の中から言うのは易しいことですが、どうしてそっち行っちゃったの?と思いました。また将来どっかヘンなところに全体が流れて行きそうなとき、ちゃんと私たちは声を上げられるのか、イラク開戦のとき私たちは適切に声を上げられたか、など考える機会は風物詩じゃなくて常にあるといいのに、と思いました。


 またこんなページが某閉鎖空間で紹介されてたのではっときます。英語で写真つきで広島の被害が紹介されてそしてそのあと500を超える世界からのコメント(つうてもアメリカ人が多いのかな?)が載ってて、世界の広島へのコメント、興味深いです。

 日本の残虐行為を止めるために必要悪の原爆、という意見もあるけど、必要悪というなら、また必要な状況が来たらその人は核兵器使用やむなしと思ってるんでしょうか?戦争行為はどれも非道なものではあるけれど、やはり市民を標的とした大量虐殺は人道への罪だと思います。もう2度とそれを使わない、それがない世界、を実現するために広島、長崎、そして世界の大量虐殺の犠牲になった市民への祈りを忘れないでいたいと思いました。

 


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2009鳥羽 第3日目 - 2009年08月04日(火)

 はい、それで3日目旅の終了の日です。この日は朝またもや港に散歩に行き朝7時に開く海鮮魚店でお土産を買いました。今日が「良い漁場」の口開けの日と、昨日、海女さんが言ってたように朝から港は大変な熱気でした。

 それで9時ころ、女将さんや孫女将さんにお土産をたくさんもらって港まで車で送ってもらって船に乗って、島を後にしました。

 鳥羽市につき電車の時間まで4時間ほどあるのでどこかを観光しようと言うことになり、お気に入りの鳥羽水族館に行きました。まわりゃんせパスじゃないと高いよね〜>鳥羽水族館



 しかし、やっぱりここの展示は面白い。これは多足蛸の標本。天覧標本とか書いてありました。ほ〜、それってありがたいのね。なむなむ。




 前回に無くて今回に有ったのはこのセイウチショーですな。
 その昔ノロさんの一家がこのセイウチ君とのふれあいをブログにアップしてましたがオフシーズンの方がふれあいは濃密になれるでしょう。触らせてもらいましたがなんかそれこそ「濃い」手触りといったらいいか。こんだけ大人数を相手に「おさわりサービス」とはセイウチ君お疲れ様です。

 遊び場としてこの鳥羽水族館ともうひとつMIKIMOTOの真珠島が候補でした。MIKIMOTOのほうも少し検討したのですが真珠アクセサリーつくりのワークショップや海女の素もぐりショーなんてのが見れるようでした。

 で、海女の素もぐりショーってすごいな、と思ってはっとひらめいたのですが大阪ハムレットという名著マンガがあるのですが、あ、映画化もされてますね。マンガではいろんな家族の物語なんですが映画ではひとつの家族の話ってことに凝縮されてますね。でこの大阪ハムレットのマンガで性同一障害を自覚し始めた小学生の少年がひと夏、海女をしているおばあさんの住む島に「少女」として遊びに行くエピソードがあるんですな。そんで近くの観光施設で海女の素もぐり実演ショーをしているおねえさんに少年であることを見破られて交流すると言う場面があったのです。

 そうか〜あの少年が少女としてひと夏過ごしたのは鳥羽のどっかの島だったんだな。



 そんで駅前の駅ビル一番街でごはん食べて帰ってきました。名店街のパールビルは倒産していて大ショック。不況やね。

 写真はまちなみ水族館。近所の小学生による海の生き物のオブジェが駅の通路に展示して有ります。今年は流木オブジェもありました。


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2009鳥羽 第2日目 - 2009年08月03日(月)

 で、鳥羽では何をしたかというと1日目の午後から2日目いっぱいずっぷり海に漬かってひたすら海水浴をしました。

 2日目は早朝、島を散歩しました。



 まず港までテクテクいくと、朝の定期便に乗って本土の鳥羽市まで通学通勤する人で港はラッシュ。いってらっしゃ〜い。わたしら、休暇中ですまんね。



 で、折り重なるように建つ民家を抜けて(漁村は漁期の口開けとともに争うように漁師さんが海に出るので山に向かって新戸が建っていくんだよね。昔漁村の民族調査したな〜)小高い山の山頂に。そこには九鬼水軍の将九鬼嘉隆の首塚が!


 
 九鬼嘉隆の説明なんかがあります。




 そんで海辺に戻り、朝ごはんを食べてイザ海水浴場へ。サンシャインビーチと言う大変整備された海水浴場です。浜茶屋の横には地元の方のための海女小屋も。



 泳いでると海女さんが海からずぼっと出てきます。
 海女さん本人を撮影しては申し分けないので、海女さんの収穫物の入った樽など撮影。この樽をビート板代わりになさっているようでした。海女さん(推定80歳越え)が樽を載せる猫車を取りに行っている間に激写。戻ってきた海女さん(ウェットスーツを海女小屋で脱いでジャージ姿になってました)が樽を階段の上の猫車に運ぶのをお手伝いさせてもらいながら聞いたところによると、「明日からもっと良い漁場が口開けになるけど今日はまだこの辺でしか漁ができない。なのであわびは無しで、テングサを取ってきた。あとアワビの天敵のヒトデもとった。ヒトデは漁協に持っていくと買い取ってくれる」とのことでした〜。




 で、これが海水浴場。この日の午後、梅雨が今明けました!って感じで突然暑くなり、私は膝をあめでおさんは顔をやけどかってくらいに日焼けしました。

 で、この海水浴場はブイの辺りにボートみたいな「飛び込み台」が二つ設置されてます。そんで「飛び込み台」の真ん中がドーナツみたいに開いてて海水が見えててそこから魚が見えたりします。ただこの飛び込み台、海からよじ登るのが結構大変。

 この日の午前の結構早い時間、事件が起こりました。2〜3歳くらいの幼い兄妹を飛び込み台に乗せて、自分もその上に上がろうとしてた若いお父さんが突然「たすけてください!」と絶叫したので、その辺にいた人みんながが〜と泳いで駆けつけるとどうも2人の兄妹が飛び込み台の真ん中に開いているドーナツの穴に落ちちゃったらしいのです。で、お父さんは飛び込み台に登ろうとするけど登れない。子どもの泣き声だけが飛び込み台から聞こえるわけです。で、マルコは昨日から何回も飛び込み台に登って真ん中のドーナツの穴の存在はしっていたので、潜水して飛び込み台の下からドーナツの穴にアプローチして幼い子ども二人を救出しました。

 えへん。
 
 小さい子にあんなに必死でしがみつかれたのは非常に久しぶりでした。他人の子って抱かせてはくれるけど抱きついてはくれないんだな〜抱きついてくれるのって自分の子どもだけだったんだな〜とヘンなところで感心。


 その日は1日「海難救助母さん」というアイデンティティをもって暮らしました。


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2009鳥羽 第1日目 - 2009年08月02日(日)



 はい、夏ですね。そんなわけでお出かけです。
 珍しいせんとくんの後姿に見送られて私どもがこの夏向かったのは、、



 あ、題名に書いちゃってましたね。またもや鳥羽でございます。
 この鳥羽は鳥羽伏見の戦いの鳥羽ではございませぬ(ってまえにダイヤさんに教えてもらったんだな)そんで今年も安くて美味しい宿を求めて海を渡ります。

 



 そんで今年の宿泊先はとうし荘と言うところです。このHPの動画の女将さんの旅館案内にしびれてここにしました。子ども達は私の実母エルザさんに女将さんの話し方が似てるって言うんですけど、ちょっと学校の先生みたいなはきはきしたしゃべり方が似てるのかな?我が家では「目白のおばあちゃんのお宿」と言う別名がつけられました。




 女将さん(83歳)も予想に違わず、大変にチャーミングでしたが実働を担っているうら若い孫嫁さんも大変素敵な方でした。
 で、やっぱりすばらしかったのはお料理です。



 席に着くと「空いた皿」がたくさんあります。そんでお刺身系を食べてるとわんこそばのようにどんどん出来上がったお料理が運ばれてきます。



 こんなのとか。




 こんなのとか。

 できたてを運んでくれるので焼き魚もフライ(1日目はコチ、と言う魚で2日目はタイでした)感動的に美味しかったです。こんだけ食べて安い方から2番目のお料理。
 我が家は平日1汁1菜なので、ゆうに5日分の夕食が一気に食卓に並ぶという豪勢さなのですが肉が一皿も無いのであまりおなかが不快に重くなったりせず子ども達もかなりぺろりと食べられました。あ、子ども料金は半額ほどで設定されてて少し一皿あたりの盛が少ないですが、しかしがっちり豪勢でした。

 宿には私たちともう1家族。そして80歳近いおばあさんの軍団約10名が投宿していました。おばあちゃん軍団は同窓会なのかな?なんかすごい楽しそうに若くして恋しい人を追ってヨーロッパに渡ってかの地で客死した友人の噂話をしているのを耳に挟みました。はあ〜老後っていいな〜。むこうもヤングファミリーっていいな〜と思ってこっちを見てるのかもしれないけど。


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