西方見聞録...マルコ

 

 

めんどくさい女 - 2007年07月30日(月)

「ねえ、あなた私のことめんどくさいと思ってるでしょう」
なんて会話が恋人同士で行きかったら、もうそれは別れのちょっと前である。

 本日結構気のせく朝食時、おKさん@5歳児に
「おかあちゃん、ご飯食べさせて」
とお願いされる。

 もう5歳児である。ご飯介助なくても普通にご飯を食べる年頃である。しかしおKさんは「食事やる気」が落ちてくると必ず介助をお願いする。やる気のあるときは一人でもりもり食べるんだが、疲れたり、おなかがすいてなかったり、嫌いなオカズがあったりすると突然だら〜んとやる気を喪い
「おかあちゃ〜ん、たべさしてよ〜。おかあちゃんはKちゃんの言うこと聞いてくれないひとだねえ」
と大音声で呼ばわる。

 いらいらしつつも時間のない朝である。顔を引きつらせながら彼女の口にコレでもかと栄養たっぷりだがあんまりおいしくないオカズを詰め込む。そんな時彼女はこういった。

「おかあちゃん、Kちゃんのことめんどくさいと思ってるでしょう、、、」
母は内心思った。あ〜あ〜めんどくさいと思ってるよ。もうお前のだれ食べの相手はたくさんなんだ!

しかし相手は倦怠期の彼女ではなくて一応あれでも愛娘。相手の心は深くは傷つけず、しかし自立に向けて歩んでいってもらうべく叱咤激励の言葉を捜す。

「う〜ん、めんどくさい。めんどくさくてもKちゃんのことは大好き。だからKちゃんが一人でご飯食べられるようになると、Kちゃんもきっと気分良いし、お母ちゃんも気分良いし、そうするとみんなニコニコになるな〜」

その言葉におKさんは考え深げに視線を落とし、その小さなおつむの中で何事か考えている模様。そして再び視線をマルコの顔に戻しこういった。

「ふ〜ん。ところで、めんどくさいってどういう意味?」

マルコは脊髄反射で叫んだ。
「お前みたいなガキのことじゃ〜!!」

 幸いマルコとおKさんは倦怠期の恋人同士じゃないので、破局を迎えずに今も仲良しオヤコのままである。めでたし。


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守るべき価値あるもの(ぽんたの大冒険5集の映画をみにいく) - 2007年07月22日(日)

 本日はなんと家族で映画ですよ。みなさま。知っているヒトは知っているが夫あめでおさんは生涯で映画館で映画を2本しか観たことがない。1本は子ども時代に伊賀上野の映画館で見た「はだしのゲン」で、もう一本は付き合い始めたばっかりの東京出身の映画好きの彼女(注:マルコ本人のこと)があんまりうるさいから1回だけお義理で付き合ってくれた「K2]という山登り映画。そして本日栄えある3本目の映画を家族4人で観てきたわけだ。それがまあなんというかハリー・ポッター不死鳥騎士団だったんである。家族4人で映画、、うーんもう一生ありそうにない記念碑的な一日でした。ちなみにうちはマルコが大学生料金で映画を見ることができるので一般料金、大学生料金、小学生料金、幼児料金の4種類の金額設定で入場券払うのでした。

 さて映画の中身。うーん。原作読んでればいろいろすとんとわかるけど、映画単体のメディアだとかなり重要な部分がはしょられてるような気がするんですよね。もう原作見ている人々を観客にするということが前提のような映画でした。まあ全世界何億人ものヒトが読む本だもんね。メディアミックス前提でいいのでしょう。

 で、内容に関しては前本読んだとき、ここで申し上げましたようにレイシズムと教育と保守政権の三つ巴の関係がメタファーされてるのね〜って感じでした。政権内部にもレイシストが普通の顔している感じとかリアル。

 で、映画の最後に言うハリーの台詞が大変印象的でした。
「ぼくらは守るべき価値のあるものを持っている」ソレがヴォルテモートにはないものでこのちがいこそが自分たちの強みだ。って感じで話が〆られるのですわ。

 「守るべき価値のあるもの」ってきっと、魔法使い、マグル出身魔法使いとの間で結んだ愛や友情、ひいては多様な人々との共生への意思ってことだと思う。
 逆にレイシストのそして、ネオナショナリストの守ろうとしているものってのはなんなのかな。その価値はどんなものなのかな、とか考えながら見た。

 で原作では共生の範囲として無理なくソレが志せるマグル出身魔法使いの人々に加えて屋敷しもべ、巨人、ケンタウルスとか魔法使いやマグルの常識を押し付けるだけでは理解しがたい人々との「共生」への道が可能なのかということも射程に入っていた。映画では特にソレが弱い感じが気になった。
たぶんね「マグルとの共生」と「それ以外のいろんな心を持つ生き物との共生」は「共通価値の多いEU内共生」と「イスラム教徒やシクカリブ系の人々も含めたワールドワイドな人々との共生」のメタファーなんじゃないかな〜と思ってるんですが。

 あ、第7集英語版出ましたね。そっち方向は結末ではどうなってるんだろう。ちょと読んでみようかな〜。


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マラソンにたとえるならスタジアムに戻ってきてトラック勝負の最後の直線 - 2007年07月20日(金)

 今年度前期もそろそろ終了です。今週までに2校の講義が終わって最後の学校の講義が来週月曜に終わるのでそうすると今学期はもう試験して採点するだけ。

 今期のテーマはどれだけ準備時間を短縮して本業の論文書きに時間を割けるかってことだったんですが、かえって疲れました。なんか準備不十分な講義が多かったかも(しかし準備の量と授業の出来にあんまり正の相関関係が見出せないのがこの稼業の山っぽさかも)。

 でもやっぱワタクシの現在の本分は講師じゃなくてD生(博士論文抱えた院生)なのでバイトに血道をあげて学生の本分見失ってる感じだった昨年を少し反省したのざます。ところで論文のほうもいい子に机に座ってるより鼻くそほじりながらねっころがって呆然と天井見上げてるときとかに天啓が降りてきたりするのでますます不真面目な生活へと身を堕すのでありました。でも「ソレについて考えている時間・集中度」というのは「天啓が降りてくる確率」と正の相関関係があるように思います。どうざましょ?

 まあそういうわけでじたばたしながら時は夏休みへと移り変わろうとしています。


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初恋の人 - 2007年07月10日(火)

 大学に入学して、1年生の1学期の自主ゼミで「文化変容理論」というのを担当してハースコビッツの文化再解釈理論とかをなんだか発表した。2つ以上の文化が接触すると、双方の文化が新しい要素を組み込んで再編成されるという理論なんだけど、文化ってのはぜんぜん不変じゃなくて、出会うとホストもゲストもがんがん変わっていくって感じが高校生が終わったばっかの私にはすごく新鮮だったのを覚えている。とにかくはじめてであった文化人類学理論がそれだったのだ。ぜんぜんわかってなかったけど、リントンとかレッドフィールドとかやたら横に長い名前をうわごとのように繰り返す発表をしたのを覚えている。

 この前現在のシゴト関係で江渕一公の「バイカルチュラリズムの研究」とか読んでたら突然懐かしい、リントン、レッドフィールド、ハースコヴィッツの3人組が出てきて、どうしてこの3人が1930年代のアメリカで文化変容の定義つけをしたのかとか解説してあった(植民地化された時点の無文字文化を0ポイントとしてそこからの変容を追うための理論の枠組みを作っていたらしい)。

 そんで今日的には移民受け入れによって移民の子どもがバイカルチュラルに育つことも、ホスト社会が移民を受け入れて、受容的に変わることもあるいはその反対に反動現象を起こすことも、文化変容時の葛藤の一環なのね〜としみじみした。

 今大学1年に戻ったらもうちょっとましな発表も出来るな〜。つうか私はずいぶん曲折して今の研究についているつもりだったんだけど、意外や初恋の人を追い続けていたのか、と嘆息。

 そういうわけで文化とか伝統というのは決して不変じゃない。なんか復古的なことをいいたがる人は「復古」という新しい解釈をする必要があってストラテジックにソレを採用してるのよね、とか思った。

 


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ラップを聴きにいく - 2007年07月01日(日)

 ある晴れた日曜日、きょうはおKさんの保育園のお友達のエムちゃんとその父上(ノロさんともいう)が遊びに来てくれたんですが、マルコは神戸まで在日ベトナム青年ラッパーMCなむ君のお話しに聞きに行く日でございます。ほんとはおKさんも連れて行こうと思ってたんですが(おKさんはラッパー青年が昔開催したラップ教室で「おKのうた」というラップを母マルコによって作詞されみんなの前で歌われた経験があるのだ)エムちゃんとの逢瀬を優先したいと本人がいうのでおいてきます。

 MCなむ君相変わらずいい男です。

 彼は日本生まれなんだけど船でベトナムから脱出した母上の話を基につくった「おれの歌」というラップがもう最高になかせるのだ。
 お、このサイトで歌詞紹介されてるな。

 私は彼の母上からも祖国脱出の物語を聞いたことがあるのだけど、そしてそれにもやっぱり泣けちゃったんだけど、なむ君の歌になるとたとえばその辺の通りすがりのおにいちゃんもきっと心がわしづかみにされるんじゃないかな。なんつうのかな、ベトナムに興味ない人にも振り向かせる力がある歌なのだ。

 なむ君は日本的な表現も熟知してその上でベトナム人としての経験も歌える。2文化保持者なんだな〜と思う。なむ君も中学生のときは必死に日本人になりきって、どうしたらベトナムっぽさを捨てられるか毎日研究したそう。それが学校を離れてラップ表現に出会って「みんなとおなじ」を探求する日々から「いかにみんなとちがうか」を探求する日々にシフトしたって言ってた。

 子どもを境界人(ハーフ)ではなく2文化保持者(つまりダブル)に育てるために私たちは何をしたらいいのかな〜とつらつら考えた初夏の午後。

 ところで6時間後に家に帰ったらまだエムちゃんとお父上がおKさんや1号サンと遊んでくれてた。ありがたや。しかし二人を見送った後「おKちゃんやっぱりおかあちゃんとお出かけしてお菓子買ってもらいたかったな」と相変わらずの強欲振りをみせつけるおKさんでした。2倍欲保持者め。
 




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