東南アジアサッカー調査メモ...ogaoga2k

 

 

ミャンマー五輪代表の報道(試合前) - ミャンマー - 2003年04月30日(水)

山本監督会見

■山本監督会見(1)

 五輪1次予選のバングラデシュ―ミャンマー戦(19日)を偵察したU―22日本代表の山本昌邦監督(45)がバングラデシュから帰国した。5月1日から始まる2次予選の相手はミャンマーに決まり「守備は組織されていたし、ファイティングスピリットもある。簡単な試合にはならない」と気持ちを引き締めた。

[04/22]

http://www.sponichi.co.jp/soccer/kiji/2003/04/22/08.html


■山本監督会見(2)

山本:チームとしてのまとまりは出てきましたので、自信を持って予選に臨めることになると思います。先日ミャンマーの視察に行ったんですけれども、簡単な相手ではありません。ミャンマーはビルマ時代にアジアのチャンピオンになっている伝統も歴史もある国ですから、たとえ力の差があったとしても、確実に勝つためには相当苦労するのかなと思っています。1試合1試合成長することが大事ですから、そういう苦しい戦いを乗り越えて、チームが成長していって、最終予選に臨めればと思っています。

-- 視察に行かれたということですが、あらためてミャンマーをご覧になった印象を

山本:やはりチームとしてまとまっていますし、チームとしてどう戦うのか、ということがきちんとできている、組織されているチームです。一次予選(バングラディッシュ戦)2試合通して失点はゼロなので、そういう意味では守備に関してもかなり組織化されていますので、そこを崩す対策は立てていきたいと思っています。個々の技術的な面に関しても、ある程度フリーにしたらやれるだけの力を持っていますので、注意しなきゃいけない選手も何人かいますし、そのへんをきちっと分析して試合に臨もうと思います。

[04/24]

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/kaiken/200304/yama017.html




ミャンマー代表についての報道

 フル代表のFIFAランクは137位(日本は25位)。旧ビルマ時代の1966、70年アジア大会で金メダル。フル代表同士の対戦成績は日本の5勝3分け1敗。さきのアジア1次予選はバングラデシュと対戦し、ホームで3−0、アウエーで0−0で引き分け、2次予選進出。U−22代表18人は全員、国内クラブ所属。中心選手はDFソー・ミャ・ミン、FWヤンパイン。DF登録が8人と多く、16歳の選手が2人。チームは29日来日。

[04/24]

http://www.sanspo.com/soccer/top/st200304/st2003042506.html




選手インタビューからのミャンマー

■五輪代表・大久保、ミャンマー戦で速攻大量ゴール宣言

勝負は早い方がいい。大久保が、ゴールラッシュを予告した。アテネ五輪への第一歩となるミャンマー戦で、浪速の弾丸小僧が大量得点の原動力になる。

 「ミャンマーのイメージ? 全くないですね。どこにあるかも分からない。でも、最初に点を取りたい。日程も厳しいので、最初の試合でたくさん点を取れれば…。取れないとズルズルいきますから」

 アジアの列強として確固たる位置を築いた日本は、シード扱いで、第1次予選は免除された。ミャンマーとの試合も本来ならば、ホーム&アウエー方式だが、日本との実力差を考慮されて、2試合とも日本開催になった。だが、日程は中1日と厳しい。第1戦の重要さが増すことは必至。初戦爆発の必要性を、点取り屋は感性で知っていた。

[04/24]

http://www.sanspo.com/soccer/top/st200304/st2003042507.html


■松井大輔(京都)

ミャンマーは守ってくるチームという印象があります。それ(守りから点を取るというプレッシャー)をどう跳ね返すかが面白くなってくると思う。

[04/30]

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/kaiken/200304/com146.html

■前田遼一(磐田)
(ミャンマーは)フリーでやらせると危ない。DFは激しくガツガツ来るイメージだ。

[04/30]

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/kaiken/200304/com147.html




ウ・ニャン・ウィン監督の言葉

■ミャンマー、ウ・ニャン・ウィン監督

「明日は頑張る。日本のようなアジアで大きな力を持つチームと試合ができることを誇りに思う。

今回の選手は全て20歳以下だが、15、18、19歳以下のカテゴリーで優秀選手を選び、日本に連れてきた。ミャンマーの優れた選手はもう年をとりすぎてしまったので、今は若い選手を育てるのが目的だ。今回きている選手のほとんどが公務員だ。キャプテンのDFソー・ミャ・ミンは税関で働いている。

ミャンマーはプロがなく、アマチュア選手しかいない。明日はチームワークを中心に戦いたい。日本にゴールを入れさせず、自分たちがゴールを目指したい。日本は実力のあるチームだと分かっている。ビデオも見た。日本の中で誰というよりも、チーム全体をマークしないといけない。

明日のフォーメーションは決まっていない。我々はDF4人でスタートしたり、5人で戦ったりする。臨機応変に対応したい」

[元川悦子:東京発 2003/04/30 23:42]

http://www.jskysports.com/column/cN20030430234217.html


■ミャンマーは堅守布陣、ウィン監督も期待

 ミャンマーは堅守布陣を敷くことが濃厚。ニャン・ウィン監督は「3バック、4バックでやるときもあるし、臨機応変にやれる」。左右MFが下がる5バックも練習した。

 練習中もスタッフがカメラ片手に旅行気分だったが、実は選手全員が国家公務員というエリート。主将のDFソー・ミャ・ミンやチーム随一の長身FWヤン・パインは財務省勤務、その他もお役人ばかり。「日本は強いが、ゴールを入れさせないようにしたい」と同監督。国を背負う若者の戦いに期待を寄せた。

[05/01]

http://www.sanspo.com/soccer/top/st200304/st2003050106.html"




ミャンマー五輪代表その他の報道

■ミャンマー代表、来日早々鎌倉の大仏で必勝祈願

 アテネ五輪アジア地区2次予選第1戦が5月1日、東京・国立競技場でキックオフ。U−22日本代表と対戦するミャンマー代表が29日、来日。ミャンマーのニャン・ウィン監督(45)=写真=は来日直後に鎌倉の大仏を訪れて必勝祈願した。一方、日本代表の30日の最終練習を、フル代表のジーコ監督(50)が視察。神様に力を与えられる。

 日本に挑戦するミャンマーが来日早々“仏頼み作戦”を敢行した。

 「日本の情報はない。強いことだけは知っている。国民のためになんとか勝ちたい。ホトケ様のご加護で」とニャン・ウィン監督は大マジメに語った。

 10時間以上の長旅で日本の地に降り立った直後、都内ホテルにチェックインするより先に、監督や18選手らを乗せたチームバスが直行した先は、神奈川・鎌倉市。仏教徒が大半の同国の選手たちが、「BAGOD」と呼ぶ神聖なる大仏に、必勝祈願したのだ。

 指揮官は、奇跡の再現を狙っていた。現役時代の1979年5月27日、ジャパン杯(キリン杯の前身)で日本選抜戦と対戦。守備的MFとして奮闘し、1−0勝利を達成した。ミャンマーで伝説化しているという奇跡の勝利の時も、日本で大仏参りしたという。

 長旅で「選手の疲れがひどい」と嘆く同監督だが、悲観的な言葉とは裏腹にどこか余裕が漂う。大仏の御利益を得て、1日と3日の連戦で番狂わせを演じるつもりだ。

[04/29]

http://www.sanspo.com/soccer/top/st200304/st2003043008.html


■ミャンマー 勝ったらディズニーランド

 若きミャンマー代表はディズニーランドのニンジン作戦で日本撃破を狙う。ミャンマー代表は30日、システムの確認などを行った。チョー・ティン・コーチは日本に勝った場合「ディズニーランドに連れていく」と約束。若手育成のため平均年齢は18歳と若いだけに、ニンジンの効果は抜群のはずだ。

 チームは全員がアマチュアで、大半が環境省、財務省などで働く公務員。ニャン・ウィン監督は「個人の能力よりチームワークを優先」と格上に組織で対抗するつもりだが「日本という強力なチームに勝つためにゴールを入れさせない」とまずは守備を重視。「うちは臨機応変。誰をマークじゃなく、全体をマークする」と国立で行った公式トレーニングではDFラインを7人並べる不気味なシステムも披露した。練習後には芝の上で記念撮影をするなど観光気分も強そうだが、小柄でスピードがあるだけに、油断はできない。

[05/01]

http://www.sponichi.co.jp/soccer/kiji/2003/05/01/02.html


...

10 minutes:米国をツマミに - 2003年04月25日(金)

2003 ESPN Sport Almanacちゅー本をずいぶん前に
買ったので見ておったわけですが、色々データが
載っていたのでご紹介。


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■2002 MLS(メジャーリーグサッカー)観客動員数
 (内は前年度の順位.)


平均観客動員数 : 15,822

▽順位
1.(5) Coloado Rapids : 20,690
2.(4) LA Galaxy : 19,047
3.(2) Metro Stars : 18,155
4.(3) Columbus Crew : 17,429
5.(7) New England Revolution : 16,927
6.(1) D.C. United : 16,519
7.(8) Dallas Burns : 13,122
8.(6) Chicago Fire : 12,922
9.(10) Kansas City Wizards : 12,255
10.(12) San Jose Earthquakes : 11,150

□その他

・MLS ALL STAR 2002
 (米国代表 v MLS選抜) : 31,096
・MLS CUP '01決勝 : 21,626
・MLS CUP '00決勝 : 39,159
・MLS CUP '99決勝 : 44.910
・MLS CUP '98決勝 : 51,350
・MLS CUP '97決勝 : 57,431

うーむ。結構頑張っている気がするぞ。
んでも、やっぱNFL見ると・・

■NFL 2001


平均観客動員数 : 65,502

▽上位3チーム
1. NY Giants : 78,498
2. NY Jets : 78,476
3. Washington : 78,046

▽下位3チーム
29. Indianapolice : 56,343
30. Atlanta : 54,251
31. Arizona : 38,414

って感じで、スイマセンでした!な数字です。
平均だもんな、これで。

あと、MLBはデータが見つけられなかったのですが、
バスケ、ホッケーを見ると・・。

■NBA 2001-02


平均観客動員数 : 16,966

▽上位3チーム
1. San Antonio : 22,107
2. Philadelphia : 20,560
3. Washington : 20,477

▽下位3チーム
27. Atlanta : 12,344
28. Houston : 11,737
29. Charlotte : 11,286



■NHL 2001-02


平均観客動員数 : 17,288

▽上位3チーム
1. Detroit : 20,057
2. Montreal : 20,027
3. Philadelphia : 19,569

▽下位3チーム
28.Atalanta : 13,668
29.Phoenix : 13,165
30.Anaheim : 12,002


ってな感じで、そんなにサッカーがダメダメって
わけじゃねーじゃんって気がします。

まぁ、競技場のキャパとか試合数とか色々絡んでて、
単純に「平均」の数字だけ比べるのもどうかって気が
しますが、酒のタネにでもどうぞ。



...

10 minutes:もしも日本が面倒な国だったら。 - 2003年04月20日(日)

私は日本のフットボールを観戦する為に横浜を訪れた。

しかし、私の計画、試合はなかった、横浜Fマリノスの土曜日。

だから私はJリーグ区分2としての川崎の試合を
観るためにホテルを出発した。


私はTOKYU‐線の武蔵小杉駅でまごついた。
バスで行くべきか、いや、スタジアムの場所?


私は一人の青年に聞いた、彼、うろついていた、
名前をOgaという。

私達はスタジアムまで一緒に行った。

(中略)

チケットを買う時、私は彼にチケットの料金を聞いた。

「一名につき10,000円(およそUS$80)です。
 私が買ってくるでしょう。お金を私に渡しなさい。」

信じられない!日本の区分2チームです!

川崎は実際のマドリッド?兵器製造所?
マンチェスター市連合!?


彼は私に言った、

「今日のマッチは、とても人気があります、
 あなた、外国人は買えない、通常、そして
 あなたは私、すぐ払うべきとともに、」

私は5,000円に割り引きした。彼は受け?驍ナれた。

くそ日本です!


競技場はとてもアジア的でだった。



支援の旗が、とても日本的で美しい。


そして小さな神殿もまたあった。



彼は私に話し掛けた。

「全日本人はとても信仰深い。これは川崎の神です。

 サポーター達はチームの為に神に祈ります。

 そのときO-SAI-SENを神に貢ぎます。
 このお金は、クラブ収入源の85%を占めます。

 一人およそ3,000円の義務があります。

 私に渡すべき、あなたの、金。
 私は神の主人に渡すつもりです。」


私は彼を無視することに決めた。
しかし私にずっとついてくる彼。


私は空腹でした、したがって、Iは飲食スペースへ
行きました。

私は殆どの日本人が麺を食べていることに対して
興味を引く。



彼は、再び言った。私に、

「あれはRAHMENという、非常に高価な食事です。
 観戦に来る人々は、裕福層です。1つの杯は2,000円です。

 何故ならそれは、調理される、一流の料理人によって、

 もしあなたが望むならば、私にあなたの金を渡しなさい。 

 そうすればあなたは、1の杯を食べることができる
 でしょう。」
 
全くばかげている戯言!うそつき野郎。


私は席に座った。しかし、彼の渡したチケットは指定のシート
ではない、不愉快だった、騙されたかもしれませんでした。
本当に彼はいらいらさせる。




Iはスコアボードを観た、家側、川崎フロントエイル、
遠方に側、は水戸トッリー・トックという名前、チーム。


川崎のマスコットは、水色の動物でした。

私は彼が私の承諾無しに座っているの見た、隣に、
「あれは水色のトカゲです。」、と、彼。




「なぜ川崎のマスコットはトカゲですか。」、尋ねました。

彼は下のように返答?驍ナた。


「川崎にはかつてオオトカゲが住んでいました、
 最近はアザラシが来ました、

 川崎は危ない。凶暴な野生動物がうろつく。

 ホテルへ戻る場合、タクシーを使うべきです。
 
 あなたは私の友人に頼むことができるでしょう」

(以下略)

http://www.zenbu-uso-desu.com/kawasaki/football
の文章のExcite機械翻訳をコピペしました。












・・って信じる人いたらすごいけど。


...

10 minutes: さすらいサポ・バックスタンド派 - 2003年04月15日(火)

現状のサッカー雑誌で不満な点。

それは、殆んどのサッカー雑誌は、チームを愛している
ゴール裏の人々とか、日本サッカーの問題・現状を鋭く突く、
サカヲタとか、ギャルサポ対象という点だ。


つーかむしろ当たり前で、何も責められるようなことを、
雑誌側はしてない。でも、読んでいて何となく脳みそに
情報としては入ってくるのだが、どうもそれっきりなのだ。


そして、"自称バックスタンド派"な俺というのは、
スタジアムでも非常に肩身が狭い。


選手をよく知っているわけでもないし、
チームを愛していると言うほど、アウェイ行ってねーし、
この膠着した状況に対して・・とかワカランし。



そんな彼らに俺が唯一、胸を張って言えるのは、

「ワンテンポ遅れた、カスれた音の指笛」

「試合中に食べる、ポップコーンの量」

「どのビール売りのオネーチャンがカワイイか、
 確認する早さ」

ぐらいである。うーむ、情けない。



この状況をナントカせねばならん・・と考えつつも、

「だからって、俺がマフラーを掲げてラブミーテンダー
 歌うってのも、4−4−2とか言うのも、なんか
 オカシイしなぁ・・」

と感じていたわけです。



そんな時、「クウネル」というアンアン別冊の雑誌を買った
のです。


この雑誌は、なんちゅーか・・昔のオリーブを読んでた
オネーチャン達が大人になって、読むモンねーぞ!という
ニーズに応えたような雑誌であります。


内容は、欧州の500年伝わるパンケーキ競争とか、
古いマンションで暮らすとか、散らし寿司(だったっけ)
とか、24時間あいている島の図書館とか。

まぁ、ハードコア・ノホホン・ライフ雑誌でしょう。


そんな中、俺的に「こ、この記事は・・」と思ったのが
ありまして、感動したのであります。


それは、手作りのランチ紹介という小特集がありまして、
ベーグルだのルッコラだの・・・と若干コじゃれた
モンが多かったのです。

が、一人の鹿島サポの女性のランチが紹介されており
ました。


内容は、うろ覚えですが


「立って応援しないので、ランチを持っていく。
 基本はやっぱりカツサンド。」

「やっぱり食べ物も赤色系で。
 FC東京サポなら青なので、作るの難しかったかも」

「イチゴは大好きな本山選手の出身地の福岡産で」


などと、ランチからサッカーを語っておったのであります。


うう・・なんて共感できるんだッ!

この無理しない姿勢っ!

ユルい。なんてユルいサッカー情報なんだッ!!



と、目からウロコが5枚くらい落ちたのでありました。


というわけで、俺、やっぱり無理しなくてもいいじゃんと
思いつつ、また週末に等々力で、

「アメリカンドッグ1つ、カラシ少な目。」

と、胸を張って言う事に決めたのであった。


...

ジェームスボンド・リーグ - カンボジア - 2003年04月12日(土)

カンボジアサッカー情報をあきらめておったら、国内リーグ情報を
発見。早速全訳。

------
■新たなサッカーリーグ設立へ向けて。

2002年10月13日


カンボジアサッカー連盟杯がプノンペンのオールドスタジアムで
水曜日から始まり、The military policeが1−0でNaga Casino
を下した。

この試合は開幕式で14の参加チームを紹介した後に行われた。


サッカー連盟会長のKhek Ravy氏によれば、 この大会に参加する
14チームのうち、10チームは選抜され、2003年1月から
始まるナショナル・プロリーグに参加することとなる、と述べた。

2004年にはリーグは12チームで構成し、願わくば下部リーグ
も構成したいとのことである。


今大会に参加する14チーム中、3チームが軍隊、1チームが
Kandal地区代表であり、残り10チームはSamart, Mild Seven,
Shinawatraといった私企業からスポンサーを得たチームである。


「最終的な目標としては、チームがシーズンを通して存続できるような
 チームの体制を作り上げることだ。

 理想としては、チームは海外にあるような、自力で運営できるチーム
 となることだ。」


会長がこの様に述べるのは、チームのほとんどは私企業のサポートを
受けてはいるが、政府からの援助金はまったく無い、という点からの
発言なのだ、とMPA(港湾管理業務会社?)の警備部マネージャーの
Christian Berger氏は述べる。


MPAはあるチームのスポンサーとなっているが、会社や軍にとって、
スポンサーの資金は、それほど大きな出資でなく、リーグの存在は、
スポンサーの露出効果を生み、そしてスポーツの地位を向上させる
だろう、ともBerger氏は語った。


http://www.kohsantepheapdaily.com.kh/sport/football13_10.htm
----


実は、今年2003年に行われる、東南アジアクラブ選手権の
カンボジア代表がSamart Unitedというチームでして、携帯電話
の会社がスポンサーのようです。

カンボジアの俺様FW、ホック・ソチェトラもココでプレイ&
働いておりました(今はベトナムリーグに居る・・ハズ)

きっとこの、カンボジアサッカー連盟杯で優勝したから、カンボジア
代表クラブチームとなったのでありましょう。



うーむ、Mild Sevenというのは煙草会社か?
Naga Casino というのは、どうも船上カジノの会社らしい。
Shinawatraは、タイのチナワットという携帯会社っぽいのです。

ちなみにSamartは、例のカンボジアの反タイ暴動でベコベコ
にされた会社だったはずであります。


あの時のカンボジアの暴動は、微妙にココに出てくるチームの
スポンサーである携帯電話の会社の名前がでてきたりして、
なかなか興味深いモンがありました。

事件の検索←どっちの携帯会社の名前も出てきます


というわけで、なぜだか煙草にギャンブルに携帯電話、と
ジェームス・ボンドのアイテム・リーグになりそうな
カンボジアリーグ2003でありました。



...

10minutes: サッカー日本代表 対 ラグビー日本代表 - 2003年04月06日(日)

やっぱ日本代表といえば、桜と八咫烏。



ジャポンな感じですな。
こりゃどっちもエンブレムになるわな。


↓この絵馬、たまらんですな。



”ねがいごと”ってのがなんてステキにジャパネスク。



そしてマレーシアリーグの強豪、トレンガヌといえば・・



タートルだったりする。
本当は海亀だけどさ。


...

悔しくて寝られない - ミャンマー - 2003年04月04日(金)

今回はビルマ時代のミャンマーのサッカーをば。

---
■サッカーのドリームチーム

ミャンマー・スポーツ界の花形は、なんといってもサッカーだ。

ミャンマーでは、サッカーの試合があると、老若男女・
貧富の差問わず、常にグラウンドに人が集まる。

それが例え草サッカーであったとしても。


Monywa管区の年季の入ったサッカーファンは、試合で
負けると悔しさで寝入ることができなかった、と
語っている。


1920年代から1930年代にかけて、サッカーは人々に最も
関心のある出来事だった。

当時のサッカーには監督がおらず、ベテラン選手が監督
として兼任した。

だが、B.A.Aグラウンド(現在のアウン・サン・スタジアム)
で戦うチームは、高いレベルのチームだった。

当時の強豪チームには、Customs、Police、Railways、Port、
Friends Union、the Royal Scotsなどがあった。

そんな中、レベルが高くて強かった"Varsity Team"
(ラングーン大学)を忘れるわけにはいかない。

チームはラングーンのサッカーファンに特に愛された
チームだった。

Varsityが勝利した時には、学生達が熱心に
「♪バーシティー、バーシティー、ラーラーラー♪」と
勝利の歌を歌った。

サッカーファンは学生達が勝利に酔いしれる様を楽しみ、
そして選手も学生達をも応援したものだった。


ヤンゴンのアウン・サン・スタジアムでは、ミャンマー代表
が重要な国際試合で決勝点をあげると、スタジアム中が喝采
の声でとどろき渡り、そして国中が歓喜の声をあげたもの
だった・・。

この光景は、60年代から70年代にかけてのものであり、
その頃はミャンマーサッカーの黄金期であった。

当時はアジアの中でも強豪とされており、ヤンゴン、バンコク、
ジャカルタ、マニラ、ソウルでの大きな大会では入賞していた
時代だったのだ。


当時の選手の何人かは、天に昇るような喜びを覚えている。

選手達が行くところ、どこでもファンは彼らに賞賛した微笑を
浮かべ、外国の都市を訪問した時は、心からの暖かい挨拶を
受けた。

その暖かさは、選手達に外国であることを忘れ去せるほどだった。

各大会から帰国すると、選手達には盛大な歓迎が待っている
ものだった。


少し例を挙げれば、ミャンマー代表は、アジア・チャンピオン
シップ・カップでは’66、’70年の2度に渡って優勝した。

ムルデカ・チャンピオンシップ・カップ、東南アジア・チャンピオン
シップ・カップ(SEAP Games)、パクチョンヒ・カップ、ジャカルタ・
カップという大会でも良い成績を収めていた。

ミャンマーのユースは2度アジア・チャンピオンカップで
優勝し、4度の共同優勝、1度の準優勝を収めたのである。

(以下略)

:http://myanmartimes.ofmyanmar.com/myanmartimes2-25/Sport/the_best.htm.
-----

この文のあとは、バーシティーの選手紹介で、ある選手は
シュートでネットを突き破った(当時はナイロンじゃなかったから)
とか、またある選手は人気俳優になったりとか、結構面白いので
ありますが、まぁ、今回は省略。


ビルマの頃は、サッカー強かったんだよなぁ。
これ読むと、人気もあったみたいだし。

もうミャンマーのおっさんのサッカー見る目とか、
肥えまくっているかもしれん。


歴史が違ってたら、今ごろはマレーシアとミャンマーが
W杯出てるかもしれん・・

つーか、歴史が違ったらなんていったらフィリピンだって
ブルネイだってそうだからな。


どうでもいいけど、東宝の「宇宙大戦争」(’59)という映画の
ラストシーン近くに世界中の指導者が演説する、みたいなシーン
があり、その中のひとつにビルマらしき国があったりするのです。



まぁ、世界中、ということで出てくる国が、インドと中国・アメリカ
そしてビルマという感じでありました(他にもあったかも)。

当時の日本の"世界"は、アジアと米国で手一杯だったんだよなぁ。
きっと。東洋一とかいう言葉もあったしな。



そんなこんなで、古豪・ビルマの血を引いたサッカーが、
もしかしたら日本で2回も観られるかもしれんのですよ!

(ミャンマー五輪代表とバングラディッシュ五輪代表の勝者が
 日本に来るのです。H&Aじゃなくて、国立と味スタで2回
 やるっす)

しかもミャンマー、A代表の選手の多くがU22です。
五輪代表=A代表’であります。

ちゅーわけで、ミャンマー五輪代表は頑張って日本に来てくれ!
俺はすでにチケット買ったぞ!


...



 

 

 

 

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