ビー玉日記
きのう  もくじ  あした

2004年04月30日(金)  不治の病発覚

うちの会社はいつもカレンダーをきっちり守る会社なのだけど、今年はなんの恩情があってか、休日の合間の30日はお休み、という粋な計らいをしてくれた。
……されど。
今年の連休は長いので、今日片付けておかねば5月の最初の出勤日に手痛い目に遭うことは目に見えていた。
残りの休日をしっかり取るために、やむなく出勤してしまった。
(あまりにもぴかぴか晴れていたので、洗濯をしっかりやったら午後になっちゃったけど)


ところで。
この頃自分が「男性化」しているような気がする。

女の人と仕事するのって時々面倒くさい、と思う。

質問をしてきてもその質問自体がこっちに理解不能だとか、エラーとか問題が発生してパニックになってる感じのメールとか、落ち着いて考えればわかるはずのことがわかってないとか、人のメールの内容を勝手に勘違いしてあわてて騒いでいるのとか。
とにかく、対応が厄介なのだ。

これに比べて、男性とはなんと仕事のやりやすいことか。
彼らも最初わけのわからないことを言ってくることはあるが、一度返してあげるとちゃんと正しいところに行き着くし、説明がそれほど細かくなくてもわかってくれる。

最初、女性たちとあまりにも話がこじれるので、私の説明が悪いのかもしれない、と反省していたのだけど、相手が男性だと本当にスムーズなので、それだけが理由じゃないなと開き直った。

女性は、混乱しすぎ、というか、とにかく落ち着いて考えようよ、というようなことが多い。
親にパソコンを教える時の状況に非常によく似ている。
レベルは父も母もどっこいどっこいで、職場でこんな人がいたら困るなというくらい低い。
父親はわりと従順におとなしくやってくれるけど、母親は「なんで?」とか「このボタンの意味は?」(Altキーの意味なんか知るかい)とか余計なことでウルサイし、エラーが起こると火事でも起きたかのように騒ぐ。

「女は面倒、男は楽でいいや」なんてどこかの男の台詞みたいなことをいつも思う。

仕事だけでなく、日常生活でも、男性化著しい、と思うのは食事のこと。
同じ部署のおじさんとお昼を食べることが多いので、自然と食べるスピードは早くなり、食べる量も増えた。
元々私は人の倍くらいの時間をかけて食事をしていたのに、最近じゃおじさんより早くお弁当を平らげる。
(いつも待たせてしまうので、罪悪感から早く食べる術を身に付けたようだ)
外に食べに行く時は大抵魚の定食だし、基本は和食。
同様に、飲みに行くのもおじさんたちなので、赤提灯みたいなお店が多くなる。
普通に焼酎のお湯割りとか頼むし。(ビールが嫌いで日本酒党だけどアルコールに弱いので、焼酎がちょうどいい感じなのだ)
まれに若い女性の多い部署の送別会などに招待してもらうと、お店はイタリアンでワインにデザートとコーヒー付とかで、「そうだよ、本来私はこういうところにいなきゃいけないハズなんだ!」と突然自覚する。

そうね。認める。
男性化、というより、むしろ、「おっさん化」してるんだ。
そういえば昔、「おやじギャル」って言葉があったっけ。
ココまで来たら私も競馬でも行こうかな。
パチンコ行ってタバコふかしてようかな。
駅のホームでゴルフの練習でもしようかな。
……あっ。そういえば最近、くっだらない駄洒落とか思いつくことが増えた気がする。(人に言うほど落ちてないけど)

あーあ、嫁にもいってないのに、行き着く先は「おやじ」だったのか。
こういうのって、悪くなることはあっても完治はないんだよね。きっと。
「おっさん病」は男の子たちだけでなく、私にも魔の手を伸ばしてた。
「おばちゃん病」の方がましかな。いや、それも嫌だな。
どっちにしても恐るべし。

2004年04月29日(木)  Peaceful Holiday

とても久しぶりに会う友人たちと一日おしゃべり。
いい天気でよかった。
みんなが元気でよかった。

何年会わなくても、あの頃と同じように笑って、心を開くことができるというのはすごいことだな、と友人たちと会うといつも思う。

ずっと先の未来に、もしかしたらその時は子供がいたり、結婚していたり、独身のままであったり、いろいろと状況は変わっているかもしれないけど、同じように笑っておしゃべりができますように。

2004年04月28日(水)  酔っ払い110番

もう仕事を終えようと片付け始めた時、学生時代からの友人から電話が入った。
「もしもし、Tです」
「はいはい。森崎です。おつかれー」
「え? 仕事中? 大丈夫?」
「いいよ、もう終わるとこだから」
「あのさー、2日、ヒマ?」
「えー? 何かあるの?」
「Kとかとバーベキューやるんだけど」
「今のところ空いてるよ」
「じゃあ、もしデートとかなんか予定が入らなかったら来なよ。他に予定が入ったらそっちを優先しろよ。こっちはどうでもいいから」
要するに、男からの誘いがあったら断るな、と言いたいらしいんだけど、
それと同時に、まあないと思うけど、というニュアンスが暗に込められている。
「さっきからみんなに電話してるんだけど、連休前で捕まるのが森崎しかいないんだよ」
「ああー、そうねー」
連休前に連絡とれる女で悪かったな。
「じゃあ、そういうことで」
「じゃ、また」

ちなみに彼は卒業後すぐに同じ仲間の友人と結婚して、ことあるごとに未婚の私ともう一人の友人(女)に「お前らも早く結婚しろ」とことあるごとに親のように口うるさく言う。
素面の時も口が悪いが、酔うとますます遠慮がなくなる。
今日も既に何杯か入っているようだった。

15分ほどして電車を乗り換えるのに階段を上っているところで、携帯が鳴った。
またしてもT君だ。
日程変更かまたは時間が決定したのかと思って電話を取る。
「もしもし?」
「あのー、Tですけどー。あれ、留守電じゃない?」
「うん。森崎です。留守電じゃないよ」
「2日空いてる? バーベキューやるんだけど」
「は? 知ってるよ。さっきオッケーって言ったじゃん」
「え、嘘」
「さっきかけてきたでしょ?」
「やべえ。おれ、飲みすぎかも」
「そうだね」
「……じゃあ、2日、予定が他に入らなかったら、ということで」
「はい。お大事に」

最近、酔っ払いからの電話が多い。
こっちが暇である限り電話でからまれるのは構わないし、適当に相槌打っていれば相手は満足するらしい(半分話を聞かずにマニキュア塗ってたりする)。
繰り返し同じことを言われたりするとさすがに飽きるけど。
半分ろれつの回ってないような状態で、つれづれなるままにその日の出来事を語る人もいれば。
先のT氏などは、先日久々の集合を知らせる電話の際、「最近どうよ?」としつこく聞いてきた上、「チャンスは作るものだ」ととうとうと講義を行った。

周囲の男性が急に「おじさん」になった気がするのはこういう時だ。
彼らからすれば、私もおばさんへの道を歩んでいるように見えるのかもしれないケド。

2004年04月27日(火)  シンドラーのリスト 感想メモ

久々にいろいろ考えたので、そのあたりをメモ。

シンドラーの悪党ぶりをもっと見たかった、と書いたけど、私としてはシンドラーが「図らずも人を救ってしまった」というところをもうちょっと感じたかったのだ。
ただのエゴ。でもなんかそういう方が人間味が強調できていいなあ、と思って。

戦争という非常事態は、人間の生活にも心にも様々な影響をもたらす。
他人より自分、というエゴイズムと欲望の露出。
食料や物資の不足。生と死の感覚の麻痺。
非常時にこそ、その人間の本質がわかる。
その時自分はどんな人間になってしまうんだろう。
流されてしまうだけのような気がする。
その方が楽だから。苦しんで流れに逆らうよりも、流されてしまう方を選びそうな気がしてる。

シンドラーの工場に雇われた人たちは、確かに運がよかった。
「女の一生」のコルベ神父のように、「ライフイズビューティフル」の親子のように、収容所から抜け出すことのできなかった人たちは本当にたくさんいたから。

終戦後の「もっとたくさんの人を救えたのに」というシンドラーの台詞は、監督の演出だったんだろうか。
本当に彼がそういう言葉を言ったにしろ、「あの時自分がこうしていれば」という気持ちは、死んだ人に対して誰もが思うことだ。
私にもある。
もっとお見舞いに行っておけばよかった、もっと話を聞いておけばよかった、と祖父が死んだ後、何度か考えてきた。
今更どうしようもないこととわかっていても。

とにかくわかっているのは、今この瞬間を楽しんで、懸命に生きるだけ、ということ。
過去のことを悔いたり、未来のことを憂えるよりも、今自分がどうするか、だ。

たぶんオスカー・シンドラーは、1000人を越えるユダヤ人を救うために、生まれてきた。
人には生きる意味というのがどんなちっぽけなことであれ、誰にでも必ずあるのだと思う。
だとしたら。
私は何をするために存在しているんだろ?
その答えは、きっと生きている間にはわからないだろうけど。
だけど、何かの意味はある。


「ああ……」
 と一人の囚人がつぶやいた。
「なんて、この世界は……美しいんだ」
 みんな黙っていた。ああ、なんてこの世界は美しいのだろう。昨日までこの世界は愛もなく悦びもなかった。ただ恐怖と悲惨と拷問と死しかない世界だった。それが今日、この世界はなんて美しいのだろう。
 彼等はその世界を変えてくれたものがわかっていた。愛のない世界に愛を作った者を……。
(「女の一生」遠藤周作 新潮社)

2004年04月26日(月)  シンドラーのリスト

こらえ性がないなあ、と思うんだけど。
見ちゃいました。
「シンドラーのリスト」。

**以下、多少のネタバレあり**

こういう作品は、特にスピルバーグみたいな監督がこういうのを作ると、賛否両論いろいろとあるわけで。
オスカー(アカデミー賞の)狙いだとか、当時散々言われていたのを思い出す。

さすがスピルバーグ、見せ方がうまい、と物語に引き込まれながらも何度もつくづく感心した。
ドキュメンタリーを見るようなカメラの静かな視点。
カメラマンが被写体に歩いて近付いていって対象の動きを追うような撮り方とか。
モノクロならではの光と影の利用の仕方。
素人の私が何を言ったってしょうがないけど、素人でもそう思うくらい工夫が凝らされている。
あとは、音楽の選び方、挿入方法。
要所要所で使われた歌や楽器の音色がそのシーンにぴったりで、音と一緒に印象に残る感じ。

登場人物とエピソードの多い映画は、たぶんどこをカットしてどこを生かすかが命なんだと思う。
いかに時間という枠の中に凝縮して押し込められるか。そこがポイント。
これは物語を書く時に私もかなり苦労するところ。
あれもこれもと欲張るとどうしても「広く浅く」になって、物足りなさを感じてしまう。
この映画はその点ではよくここまで盛り込んだなあ、というくらい満足度が高かった。

贅沢を言うと、シンドラーの悪党ぶりをもうちょっと見せてほしかった。
DVDのおまけに実際にシンドラーに救われた人々の証言があり、その中でも「シンドラーは決して善人ではなかった」といった発言がある。
映画の中で、たしかにシンドラーはビジネスに固執した発言をしてナチスの思想とかユダヤ人のことなんか自分にはどうでもいいんだという態度を見せているし、賄賂を贈ったりもしてるけど、あまり「ワル」ぶりが発揮されていない。
どちらかというとユダヤ人を救うために頑張ったことの方が色が濃すぎて、ただのいい人になってしまっている。
もうちょっと悪行(とまではいかないけど)と善行のギャップがあった方がおもしろいんだけどなあ、とそこだけ物足りない気がした。
絶対なんかもっと悪いことしてると思うんだよね。
「手段はどうあれ、結果的に彼は私たちを救ってくれた」という発言もあるし。
その「手段はどうあれ」がもっと見たかった。

この映画を否定する人もいる。その理由もよくわかる。
たしかにこの題材を使えば見る人に感動を与えるのはわかりきっているし、美談の演出とヒーローを作り上げてしまうやり方が好きじゃない人もいるだろう。
私自身天邪鬼なので、そういうことをまったく感じないわけじゃない。
だけど、これだけのものを作るには相当の熱意と情熱がなければできない。監督の心意気でそれはチャラ。
このこだわりようは並じゃない。長いこと温めてきて、ようやく作り上げたものだというのがわかりすぎるくらいわかる。

2004年04月25日(日)  色の印象

金曜日の日記に、新入社員の服が真っ黒だった話を書いたけど、
あれは別に「だから悪い」ってことはなく、ちょっと驚いた、ってことなのであしからず。
黒が好きなら好きでいいのです。
私だって好きだし、ベースには黒を多用します。
無難と言えば無難だし、便利な色です。


私の脳は色に対して過敏らしく、色の記憶とか、色の組合せへの好き嫌いとかが、恐らく人より強烈。

金曜のことは、全部黒、という状況が鮮烈に脳に焼き付いてしまって、過剰反応してしまった。
夢も色が印象に残ることが多く、普通は色のついた夢など見ないと知り、逆に「嘘、マジ?」と驚いたほど、総天然色の夢を昔から見てた。
映画も、色が印象的だったものなんかを好んだりする。
「ムーランルージュ」はまさにそうだし、「シンドラーのリスト」はスピルバーグ監督の計算にはまりすぎというくらい、赤いコートの女の子のシーンが忘れられず、DVDまで買ってしまった。
(結局鑑賞は連休までお預けとなった。)

色の組合せの好き嫌いには、かなりうるさいかも。
例えば朝急いで家を飛び出して、黒のパンツなのに間違えて紺の靴を履いてしまった日(玄関が暗いので時々あるハプニング)には、朝から落ち込む。
まして服の色の組合せを失敗して気に入らないと、もうその日は帰りたくなるくらい恥ずかしい。
ああ、なんでこんなの着ちゃったんだろう、と自己嫌悪で仕事に集中できない。
こんな日は好きな人に会わないことを一日中祈る。
うっかり会ってしまった場合は、用事も早々に済ませて逃げる。

人の服の着こなしも、まずは色の組合せをチェックする。
いい配色があると、「ふーん、こういうのもありだな。今度やってみよう」となる。
逆に自分が好きではない配色だと「これとこれを合わせるとこうなるのか。気をつけよう」だ。

実は密かにメイクも服に合わせる努力をしている。
オレンジのカーディガンの日は、オレンジ系のチークと口紅じゃなきゃ嫌だ。
マニキュアも、ピンク系を塗っていたら、朝から落とす。
誰も気付かないだろうけどね。


だからと言って、私の服の選び方について他人がどう感じているかはわからない。
もしかしたら、こいつセンス悪いな、と思われている可能性も高い。
友人・Mと一緒に買い物に行くと「あ、これ、るうちゃんっぽい」と指差すものが民族系の服(アジアとか中南米の服)だったりするので「着ないよ!」と怒るのだが、それは色のイメージなのか、センスのせいなのか。
オレンジとか明るいグリーンとかを利かせ色に使うことがあるからその印象なんだろうとは思うけど。
私の買い物の戦利品の中には、色に惚れ込んで買ったものの着る機会のない服、なんてのもたんすの底に存在している。

2004年04月24日(土)  今夜は眠れない

帰りに、レンタルでDVDを借りて優雅な週末を満喫しようと思ってたけど、そうすると明日一日ごろごろして終わりそうだし、早目に寝て朝ちゃんと起きようと思い直してまっすぐ帰ってきた。

マンションの郵便ポストにamazonの袋が突っ込まれていた。
何か頼んでたっけ??
まるで覚えてなくて開けてみたら、「シンドラーのリスト」のDVDだった。

そうだ。予約しておいたんだった。

……今夜は眠れない。

2004年04月23日(金)  オリジナリティ

人事から呼び出されて会議室に行くと、そこにはずらっと黒い制服を着た集団がずらっと並んでいたので、あれ、部屋を間違えたかな、と一瞬戸惑った。
入り口近くに待ち構えていた人事の人がにっこり笑って資料を手渡してくれたので、間違いではなかったとわかり、安心する。

一番後ろに用意された椅子に座って、制服の集団をもう一度観察する。
そしてやっと、彼らが着ているのが制服ではなく(大体、制服なんかない)、普通に黒のスーツを着た新入社員らしいことに気付いた。

人事からの説明はすぐに飽きてしまって(スミマセン)、私は彼らをつくづく観察した。

たしかに、若い。
男の子は、まだスーツが借り物みたいに馴染んでない。顔立ちにもどことなく幼さを感じてしまう。
女の子は、それなりに大人っぽいけど、それでもなんとなく化粧に慣れてない感じ。
彼らも今日は散々教育をされた後と見え、複雑で恐ろしくつまらない話(すごく大事な話なんだけど)など興味がないらしく、一部の男の子たちは顔を見合わせて何事か囁きあったりつつきあったりしていた。
もちろん真剣に資料を見ている女の子もいたけど。
人事の人は彼らの様子を伺いながら、なるべく注意をそらさないようにポイントポイントを押さえて話している。
その光景は、大学の授業風景が目の前で再現されてるみたいに見えた。

会社ではたくさんつまらない会議があるけど、一応誰でももっともらしく話を聞いているふりくらいはする。
こういう男の子たちの様子を見るのは随分久しぶりでおもしろかった。
それと同時に、自分はもうあの中の人間ではない、ということを漠然と感じた。
いくら若く見えると言われたって、私が彼らと同じつもりの振舞いをしたら、絶対に浮いて見えるだろう。

彼らのことを突き放した視点で見ている時点で、すでに私たちの間には線引きがされている。
大学卒業してから6年も7年も経ったらそんなもんだよね。
高校野球の球児たちが年下の男の子にしか見えないことに気付いた時に感じたことと同じ感覚。
でもそれは淋しいことじゃないし、若さへの嫉妬やひがみの気持ちなどは感じない。
どちらかというと、懐かしい気持ちだ。
自分もこういう風に人から見られていたことがあったんだな、と思う。


それにしても。
何だって彼らはみんな同じ色の服を着てるんだろう。
スーツの形こそ違うものの、彼らが着ているのは、黒の上下に白のシャツ。
この会社は服装に関してはうるさくないし、世間的にもそんなイメージはないはずだけど。
まだ実態がつかめてないってことなんだろう。
私なんか、パーカーにジーンズにスニーカーだよ。
カジュアルフライデーだし。
きっと彼らには「どこのアルバイトだろう?」と思われたに違いない。
逆に私ったら恥ずかしいやつ……。

人と同じ格好をするのは、確かに楽だし、無難。
失敗をしても大勢の中の一人でいれば目立たなくて済むし、朝、服の色の選択がないだけで準備が格段に早くなると思う。
そういう意味で学生の時の制服って楽だった。
だけど、私は、一つの色の中に個人が埋没する感覚を感じてしまう。
新入社員の人が会社の人に自分の顔と名前を早く覚えてもらおうと思うなら、工夫してみるといいと思う。
私は人とまったく同じということがおもしろくないので、スーツの色はグレー(でも織りが変わっていて茶色の糸が入っている←微妙なこだわり)とか水色とかあまり人とかぶらなそうなものを着る。
もしこの色のスーツを着たとしたら、シャツの色をブルーにするとか、ストライプの柄を選ぶとか、何か違う工夫をする。
それは別に目立とうとか個性を出そうとか誉められようとか、何かを狙うわけじゃなくて、純粋に人と同じ自分でいたくないからだ。

今日はパーカーの色が黒だったので、私としては非常に居心地が悪かった。
よりによってなんで黒を着てきたんだろ、とその部屋にいる間中、気になった。
せめて、パーカーの中に着ていたカットソーがブルーグリーンだったのだけが救いだ。


偶然なのかもしれないけど、それにしてもちょっと異様な光景だった。
私が就職活動した時でもこんな見事な一致は見たことがない。
一人なら普通に見えても、集団だと圧倒されてしまう、っていうパターン。

そういえば、以前人の結婚式に行った時も、女の子がみんな黒のワンピースを着ていたのに気後れしたことがある。
例えば一人だけ黒のワンピースとかだったらかっこいいと思うんだろうけど、見事にほとんど全員が黒なのって、「すごい偶然」と思うよりも、異常な感じ。
私の感覚がおかしいのかなあ。
私も黒のワンピースを選ぶべき?
……いやだな、やっぱり。

黒い服を着て行くのが決まりごとのアーティストのLIVEとか、アイルランドの何か緑のものを身に付ける日、とかそういう何か意味のあることならわかるけど、特別な意味もなくみんなが同じという、そういう状況だけは理解できない。

自分は自分だし。私は私の好きな服を着る。
誰かの真似をしても、そこには少しアレンジを入れる。
こういうのって変わってるの?
普通そうじゃないのかと思ってたんだけど。

きっとこういう光景って、日本でしかありえないと思う。
アメリカやヨーロッパではこういうのが見られるとは思えない。


(後日加筆訂正、補足)
読み返すと結構キツイ文章なので少し(いや、かなり)反省している。
もし今年新入社員という方がこれを読んでいたら、困惑させてしまうといけないので補足。

会社に行くのに何着たらいいかなんて、わかんないよね。
慣れないうちは様子見てマジメな格好しとこ、って私も新入社員の頃とか派遣開始の時とかはそうだった。
スーツで工夫ったって、失敗したら恥ずかしいし、何もしないでおくのが一番でしょう。
今のうちにオフィスの様子を覗き見て、みんながどういう服を着ているのかリサーチしておくといいのかも。
一日も早く新しい環境に慣れてくれたら、それが一番だけど。

2004年04月22日(木)  事件発生

お昼休みに、お弁当を買いに上のフロアに上がろうとしたら、非常階段で、財布を落とした。
さて、どうなったでしょう?

答え。
階段の吹き抜けから財布が地下1階まで転落した。

「うっそ。ありえないー」
思わずしゃがみこんで財布の行方を目で追いました。
あっという間でした。
途中で、間に貼ってある落下物防止ネットに当たって飛び跳ね、その拍子に小銭ポケットの蓋が開いて、ちゃりんちゃりんと小銭を撒き散らしながら、上手い具合に再び吹き抜けに戻った財布は地下を目指して飛び込んでいったのです。

「あーあ」
偶然上から降りてきた人が気の毒そうに私を見下ろした。
げっ。見られてた。

このオフィスに来たばかりの頃、この階段の吹き抜けが異常に大きいので、怖いなあ、と警戒して財布をしっかり持ち、なるべく壁際に沿って上り下りした。
ちょっと油断したらこれだ。

5階から散らばった小銭を拾い集めながら階段を下りていった。
本当に見事に、偏ることなく散らばっていた。
これがお宝とか砂金を探してる、っていうんなら楽しいんだろうケド、なにせ自分のやった不始末の後片付けで、しかも自分のお金だもんなぁ。
5階、といっても、オフィスビルだから天井が住宅より高く作ってあるので、階段の長さが通常の2倍ある。(つまりマンションだと10階に相当する)
財布はぽつんと地下の吹き抜けの終わりで私を待っている。
それが見えるのが、なんとなく悲しい。

今日はそれほど小銭がたまってなくてよかった。
小銭で財布がパンパンに膨れ上がってる日だったら、もっと悲惨だったに違いない。

カード類が散らばらなかったのは不幸中の幸い。
無事、地下の吹き抜け終了地点に到達。
しかし、財布を取り戻すには、少し段差のあるところによじ登らなければならなかった。
一瞬、管理室の人を呼んだ方がいいかな、と迷ったけど、ちょっと片足を乗せれば手が届きそうだったのでやってみた。
成功。
でもここでまた失敗して自分がおっこってもしゃれにならないよな、とちらっと考えた。
きっと誰も見つけてくれないだろう。

念のため最後の段まで階段を下りてみると、500円玉を発見。
ご丁寧にこんなところにまで。
回収終了!


ところで、小銭入れに入れていた、小さな金の亀が、この時は見つからなかった。
たぶんおみくじか何かについていたものだ。
きっと、あれが財布を私の手元に返してくれたんだろう、とあきらめていた。
仕事が終わって、帰りに一応階段を降りてみたら、途中のフロアで隅の方で私を待ってくれていた亀を発見!
いやー、おかえりー。
と感慨深く小銭入れに戻した。

一件落着。

2004年04月20日(火)  Responsibility

うちの部署は他のセクションに技術的な指導をしたりアドバイスしたりということをする役割をもっている。
毎日電話やメールや口頭で、何かの問題が持ち込まれる。
経験も知識も豊富な上司などは病院の先生のようなもので、席にいるとトイレやタバコもままならないほどひっきりなしに相談事やら社長の呼び出しがやってくる。
先日思わず「急患が多くて忙しいですね」と冗談を言うと、困ったように苦笑していた。
そういう中で私は、指導できるほど経験も知識もないので、相談事をうけたら部内で回答者の調整をしたり、上司にアドバイスをもらいながら回答をしたりしている。

今日も一つ問題が持ち込まれたんだけど、なんていうか。
最近そういう話が多すぎ。
要は、「ちゃんと自分のやるべき仕事してよ」または、
「会社の一員としての自覚があるの?」と一言言ってやりたくなるようなこと。

本来私は何かの組織に属したり縛られたりすることが好きじゃない。
4月から派遣じゃなくて契約で会社に雇ってもらったけど、それは正直言って待遇(はっきり言うと「お金」)を考慮した結果で、「社員として会社のために云々」という誓約にサインしながら内心「面倒くさいな」と舌打ちしてた不届き千万な不良社員だ。
「会社のために」なんて、そういうのが考えられないから派遣やってたようなものなのにね。

でもね。私は自分のやることに対しての責任はもつよ。
例えば、電話の対応がちょっと悪かっただけでも、相手は「あの会社は態度が悪い」という印象をもつ。
だからできるだけ誠意をもって失礼のないように応対する。
だってその瞬間は会社の代表になってるわけだから。
たぶん、今日持ち込まれた問題の当事者になる人は、こういうことを言ったら、「論点が違う。電話なんか関係ないだろ」と言うと思う。
だけど、同じなんだよね。
問題の商品を見た人は、「○○の商品はこのレベル」と思うし、それを周りの誰かに言うだろう。噂は瞬く間に広がっていく。恐らく海外にも。
そんな噂を耳にした人が、運悪く他にも同じような問題のあるものを見て「ああ、やっぱりね」と思ったら、そこで会社のレベルは判定されてしまう。
信頼は壊すのは簡単で、修復するのは難しいものだ。

本音を言うと、会社が世間からどう思われようと、私はかまわない。
だけど、自分が原因でそういう結果になるのはイヤ。
私は自分のやるべきことを責任をもってやるだけだし、もし失敗して何か問題が起きてしまったら、自分の責任で後始末をしたいと思うし、他人に責任を押し付けたり、外面よく言い訳したりしようと思わない。
私は女の一人身だし、両親も健在だし、年齢的にも(一応まだ)何かあってもなんとかなる、という点で、家族を背負ったお父さんたちとは立場が違うんだけど、そういうもんじゃないのかなあ。

結構みんなプライドは高いのに、そういう責任に関してのプライドは欠如してるような気がする。


ところで。
イラクで誘拐された人たちに対して、世間ではいろんな議論があるようだ。
私はこの件に関して真相も知らないし興味もないんだけど、ただ思うのは、これで日本人に対するイメージってどうなったんだろう? ということ。
ちゃんといろんな可能性(誘拐も含めて)と対策を考えた上で行動してたんだろうか。

もし、「あの国の人たちはいい人たちだから」とか「日本人には危害を与えるはずがない」とか根拠のない理由で危機感もなく出かけて行って、しかも中でも一番危ない地域に気軽に入って誘拐された、なんてことだとしたら、外国の人から
「何も考えてねーな、日本人」と思われても仕方ない。

ボランティアとか報道の仕事のすばらしさは理解できるし、信念があるなら頑張ってほしいけど、自分の身の安全を確保する努力をするのは最低条件でしょう。
治安が悪いところで警官に事件解決のための手間をかけさせたら、人手が足りなくなって更に治安が悪くなるとか、そういうこともありえるでしょ。
ちゃんと危機管理をした結果、誘拐事件になってしまったのだとしたら、それは大変な目にあったねと同情するけど、なんとなくそういう努力を怠ってたんじゃないかという気がするんだよねえ。
たぶんそういうのが見えてしまうから、日本の世論として「迷惑」云々という流れになっているんだと思う。
マスコミがちょっと煽りすぎなんだろうけどね。

私だったら、行くからにはもう帰れないと覚悟を決めて行く。
それぐらいじゃなきゃ、行けない。
そういう気概はあったのかな……。
日本出発前にそういう覚悟で話をしたら、それでも家族は行くことを止めないだろうか。


日本政府は迷惑かもしれないけど、それを公言してはならないと思う。
日本人が事件や事故に巻き込まれた時、何があろうと最終的に助けてくれる最後の命綱ということを国民に信じさせてほしいから。
今回だって、イスラムの宗教団体に巨額のお金を払ったんだろうし、飛行機のチャーターにも大変な費用がかかることもわかる。
マスコミがそういうことを計算して騒ぐのは勝手。
だけど政府は「何があろうと日本国民は守ります」というような姿勢を見せてくれないと、「何かあった時、金かかるって助けてくれないんじゃないか」と国民に不信感を与えてしまう。
日本の政治家もちょっと昔の(明治とか昭和の)政治家を見習って、「かっこいい」と思わせることをするようになってほしい。
ご年配が多い割に、いい意味で頑固というか、自分の信念を貫くというか、一本筋の通った人っていうのが見当たらない。
(小泉氏は少しだけこういう頑固さはあると思うけど)
世論がこういう風向きだから、迷惑と言っても許されるだろう、みたいな感じでしゃべってる気がする。
たまには「これは金の問題ではない。政府は日本国民を守るのが義務」とインタビュアーを一蹴してくれるくらいの人がいたら、めっちゃカッコイイと思うんだけどね。
(話が飛びすぎ。)


**後日加筆訂正しました。こういう文章は難しい。**

2004年04月19日(月)  孤独のボーダーライン

作家の鷺沢萠さんが亡くなったことを、今日人から聞いて知った。
11日だというので、もう一週間も前のことになる。
(イラクの人質事件に食傷気味でしばらくニュースを見ていなかった。)

鷺沢さんの作品はそれほどたくさん読んでいないので知ったかぶりはとてもできないけど、文章に漂う空気が好きだった。
たぶん私が鷺沢さんの小説に惹かれたのは、主人公を通じて描き出される作者自身の考え方だったりモノの見方だったりに自分に共通するものを感じたからだと思う。

人から見てどう見ても成功している人が黙って自ら命を絶った時、ニュースでは「思い当たる原因はない」と首を傾げる周囲の人のコメントを流す。
今回もそうだったらしい。

感覚的なものだけど、私には理解できる気がする。
みんな「彼女に悩みはなかった」と思ってるけど、本当にそうだろうか。
早い時期から小説家として成功した人の心の内が他人からそんなにシンプルに理解できるとは思えない。
誰にでも大なり小なり悩みはある。
中には人には理解できないものだって。

自分が幸せだということを知っていても、いつでも駆けつけてくれる友人に恵まれていても、自分の心のどこかにある欠けた部分を感じるだけで空虚な気分になることがある。
それがタイミング悪く体調不良や生理前や忙しすぎて疲れきった時や悪いことが重なって落ち込んだ時だったりして、いろんなことを考え過ぎて、ふっと魔が差したような感じで(たまたま着ていたバスローブの紐とかタオルとかが目に入って)、「首に巻いてちょっと体重かけたら楽になったりする?」とちょっと試してみたつもりで運悪く本当に死に至ってしまったとか、そんなことだったんじゃないんだろうか。
誰にでもありうる落とし穴みたいな出来事なのでは。

恋をしている時でも仲間と騒いでいる時でもどこか第三者としての視点から離れられない自分を感じてしまう。
たぶんこれ以上何かを望んだら贅沢だと思っても、いつも何かが足りない気がしてしまう。
鷺沢さんがそうだったかどうかはわからないけど、少なくとも私にはそういうところがあって、時々考える。
人間って誰と一緒にいても孤独で、淋しい瞬間がある。
でもそういうマイナスな感情に耐えることも、楽しい時に十分楽しんだり、人に対してやさしい気持ちになるためには必要だってこともわかってる。
弱さに耐えられる強さを少しずつでも身に付ける努力だけはしようと思う。


鷺沢萠さんが全ての悩みから解き放たれて天国の生活に馴染めますように。

2004年04月16日(金)  常連困ったさん

会社で、とあるシステムの管理者をやっているので、毎日ユーザーからいろんなメールがくる。
ユーザーは日本だけでなく海外の拠点にもいる……いや、むしろ海外のユーザー数の方が多い。
日々英語の鍛錬を重ねるようなもので、この仕事をやっているうちに大分英文処理能力が上がったと思う。
(当然スピーキングとは別の話)

ほとんどはユーザー登録の依頼とか普通のメールだけど、中には厄介なメールもある。
システムの基本的な使用方法を理解していないだけの的外れな質問、とか。
エラーが出て(大抵PCの処理速度か機種の問題と思われるエラー)パニックになって「アクセスできないけどどうしたらいいの?」というSOS、とか。

英語のメールはまとめてやらないと頭のスイッチが切り替わらないし、他の仕事もあるのでしばらく放置したりするのだが、1時間後には「URGENT!」という催促がやってくる。
返事をしたらしたで、矢継ぎ早にレスポンスが返ってきて、ほとんどチャット状態になったり。(これがまた意味不明なやりとりなんだ。)
時には、わざわざ海を越えて私に聞かずとも、同じ国か同じエリアの人に聞けばわかるでしょ、と該当者に助けを求める(丸投げする)こともある。

こういうことをする常連が何人かいる。
私個人的ブラックリスト。
全員女性である。

いつも「これだから女は面倒だよ」とぼやきながら回答をする。
だってすぐ感情的になるんだもん。あー、やだやだ。
私としては「まあ、落ち着いて」と言いたい。言ってやりたい。
自分の性格が男っぽいだけなのかなあ。

今日もそんなメールにきりきり舞いだった。
完全な勘違いからとんでもない方向に質問を持っていかれた。
「もう一度最初のメールを読み直してください」と言ってやった。

この仕事だけやってるわけじゃないっつうの。

2004年04月15日(木)  わかがえり

今日また一人、去っていった。
海外赴任だから、正確には同じオフィスじゃなくなるだけだけど。
なんとなく、センチメンタル。
よく飲みに行っていた仲間のセンパイと二人で食事に行く。
実は同じオフィスにいるとは言え、フロアが一つ違うだけでここ1ヶ月まったく顔も合わせずにいた。
髪を切ってからは初めて会う。
「若返ったね」と言われた。

最近わかってきたんだけど、私の顔は童顔ではないけど、とてもシンプルというか淡白なので、髪型によっては若く見えるらしい。
化粧をしてもがらっと変わることもなく、「え? 化粧してんの?」と言われることもしばしば。
(これはこれで複雑。多少は時間かかってるというのに。逆にスッピンはすぐにばれる)
アイシャドウを不自然な色で塗るのも好きじゃないし、それももっともな話だけど。
もうちょっと前だと髪を切ると社会人に見られないと思ってたけど、さすがに私も年を重ねたので、今やそこまで若くは見られない。
少しは実年齢に近くなってきたということかな。
それとも老けてきたのかな。
どっちにしろ、いくつになってもきれいにする努力だけはさぼらずにいたいなと、お手本のセンパイと飲みながら思った。


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