ビー玉日記
きのう  もくじ  あした

2001年03月30日(金)  A baby is comin' to her

学生の時の先輩から結婚を知らせるカードが届いた。
相手は私も一度だけお会いしたことのある方だった。
優しそうなダンナさま。
幸せそうな写真♪

そだ、お祝いを贈ろう。
トモダチにTEL。

「ね、先輩が結婚したってきいた?」
「うん。ハガキ届いた」
「お祝い贈ろうかと思うんだけど」
「うんうん。そうしよう」

「お花見ね、結局8日になったよ。行ける?」
「うーん。その日に帰ってくるんだけど、午後Yさんのコンサート行くから……」
「あ、そっかぁ。でもきっと8日じゃ散っちゃってるんだよね。月曜と火曜で強い風が吹くっていうから」
「8日までもつといいねえ。みんなによろしくね」

「お花見の時に言おうと思ってたんだけどサ」
「うん」
「赤ちゃんができたんだ。実は」
「ホントに!? それはおめでとう!」
「ありがと」
「お花見の時、いっぱい着込んでいかないとね。10枚くらい着て、冷やさないようにね」
「うん。そーだねー」
「お大事に。あー、もうマジでぇ? おばちゃんとか呼ばれちゃうのかー。くぅぅ」
「おねーちゃん、っていうように仕込まないと」
「うん。おねーちゃんと呼ばせよう」

「いつわかったの?」
「んーと、1月? 今3ヶ月くらい」
「ふーん。そうかぁ。うっ。とかないの?」
「うん、全然。うちのお母さんもあんまりなかったんだって」
「それはよかったね。お腹はまだでしょ?」
「でもちょっと出てるよ」
「へー。私は脂肪が出てるけど(涙)」
「今度会うときは大きくなってるよ」
「うん。大きなお腹を拝見しに行くよ」

「そっかぁ。なんか、ふーん」
「なんか順調過ぎてねー」
「いいじゃん。何もない方が」

「ホントに、おめでとう。じゃあ、また帰ったら連絡するねー」


大学を卒業してまもなく、彼女は学生の時からの彼と結婚した。
仲間内では彼女と彼だけが既婚者。
彼らは最近家を買ったばかり。
そして今度はコドモが生まれる。
なんとも順調。

端から見ても、彼らの距離感と共同生活はほどよくまさに理想的。
もし(万が一?)結婚するなら、こういう夫婦になりたいと思う。

おめでとう。
そして、がんばってね。
まだ周りにいる私たちは結婚生活、ましてコドモのことは全然わからないから、何もできない。
先を行くのは不安だと思うけど。
いつか私が同じ道を行くことがあったら、いろんなことを教えてください。

2001年03月29日(木)  ばたばた

日曜から旅立つ。
キャリーバッグに荷物をつめなきゃ。
実家に荷物を送り、当日はそこから旅立つ。
明日の朝には手配しなくてはならない。
はて、何がいるんだったっけ?

仕事は山積み。
毎日残業残業。
働けど働けど。
次から次へ。

そんなこんなで今夜も眠れない。

2001年03月28日(水)  前を向いて

時々、思う。
このままでいいのかな。

同じ年の女の子が(時には年下の子が)私とは違う生き方を立派にやってのけているのを見た時、どきりとする。

なんて自分はちっぽけで、甘えた人間なんだろう。

どんなに強くあろうとしても、心の底で誰かに対する甘えとか、自分を甘やかそうとする気持ちを排除できずにいる。

だめだなあ。

あんなふうになれるだろうか。
あんなふうに。

それは、無理だよ。だって、全然違う人間だもん。

私には私の生き方があるんだから。
だけど、このままでいたらだめだよ。



最近、考えていること。

たとえば悪いことばかりが続いても、決して「不幸」だとは思わない。
「不運」ではあっても、決して私は「不幸」ではない。

ということ。

2001年03月25日(日)  地震

広島で地震。

新聞をとっていない私はそれを知るのが遅かった。
テレビでその知らせをちらっと見たときも、まあたいしたことはないだろうと思っていた。

死者、という言葉を聞いた時、やっとコトの重大さに気付く。

学生の頃、神戸で地震があった。
学生さんがたくさん亡くなったと聞いて、とても他人事とは思えなかった。
私もその頃、強い風が吹いてもトラックが通りがかっても揺れる木造アパートに一人で住んでいたし、その地域は近いうちに必ず大地震が起きると言われているところだったから。
地震後の火事や倒壊家屋、分断された高速道路の映像は今でも覚えている。

数年前まで、関東大震災並の地震が再び東京を襲うかもしれないとしきりに言われていた。
今それを口にする人はほとんどいない。

たまに地震に遭遇すると、その時になって急にその大地震の話を思い出す。
このまま家が壊れたら?
火事になったら?
いろんな場面が脳裏をよぎる。

その時私は、何をすればいいんだろう。

本当は普段から考えておかなきゃいけないんだろうけど。

2001年03月24日(土)  わたしの日記

近頃愚痴ばっかだなぁ。(笑)
でも、こんなにちゃんと日記を続けていることは、奇跡だ!
いつも3日ボーズどころか1日ボーズだもんね。

昔の日記なんか、死んでも人に見せられない。
こんな私にもすごいメルヘンっぽいこと思ってた時期があるし。(驚愕の新事実!?)
ヘンな小説もどきもあるが、設定だけでも七転八倒のおかしさ。
あの頃のは人に見られるくらいなら舌噛むってくらいひどい。
引越しの時に捨ててきた(はずだ)けど。

学生の頃のは、日記というより、何か事件があった時に、その時の心の叫びを書き残してるだけ。(今のものに似ている)
たとえば、誰かに対する積もり積もった怒りの走り書き、とか。(笑)
身近な人が亡くなったときに考えたこと、とか。
失恋の痛みとか。
その時その時の感情がストレートに込められた文章で、いつ読み返してもリアルに自分の想いが感じられる。

私の日記の形式は、昔から、誰かにあてての手紙という風に書くことが多い。
人に見られることを意識しているのではなく、その方が書きやすいのだと思う。
今はもちろん多少意識しないと、放送禁止用語(?)続出、ピーッ、だけどサ。

2001年03月23日(金)  愚痴ついでに

昨日はなんだか愚痴っぽい……。てゆうか愚痴。
でもついでにもひとつ。

19:30、外出中の上司から電話。
「じゃあ私、このまま帰ってもイイかしら」
「お疲れ様です」
「あなたももう帰れるんでしょ?」
「……もうちょっとかかりそうです」
「あら、何がそんなに大変なの?」
「これとあれとこっちと……。今日やっておかないと月曜日は別にやることがあるので」
「そう。あなたもあんまり無理しないでね。お疲れ様」
……てゆうか、そういう指示出したのは、ア・ナ・タ♪

ついでに言うと実はこの会話の前には大嵐があった。
宅急便で送らなきゃいけない資料をそろえること。
もひとつ別の宅急便の荷物の荷造り。
在庫の確認。
発注。などなど。
頭はフル回転。やる順番を間違えると、アウトだ。
宅急便の集荷は19:00。

次はあれやって、これやって。
その間にも電話は鳴る。

「急かしてごめんなさい。在庫、調べた?」
「まだです。19:00に荷物を送らなきゃいけないんでそっちを先に(内心、怒)」

カラーコピー機は一枚一枚とらなきゃいけない。
しかも一枚に1、2分かかる。
それを待つ間に、別資料をモノクロコピー機で大量生産。

あ、××へFAXしなきゃいけなかった。

荷物用意完了。
在庫検索。
上司へTEL。
「あ、もしもし? 在庫の数ですが」
近くの席の人が、私に電話メモをもってきた。
"在庫の件はこちらで調べました"
は???
「ごめんなさいね。今伝言頼んだんだけど、あなた大変そうだったからこっちで調べてもらっちゃったのよ」
「あー、そうですかぁ。今調べたトコだったんです」

ふう。やっと一段落。
ふと気付くと、机の上が散らかり放題。
今の大嵐の後片付け。

体は一つしかないのです。
ついでに説明しとくと、手は2本、足は2本。脳みそは、一つ。
いいですか?
指揮命令者はあなたです。
あなたの指示した仕事しかやってないのですよ!

ああ。どう考えても、時間内には終わらない。
も、いい。かーえろっと。
今週中って言ってた仕事の指示、結局なかったしぃ。
真面目にこなそうとする方がバッカみたーい。(開き直りっ)

2001年03月22日(木)  ココロの叫び

今週中って、明日しかないやん!

来る来る、と思ってたらやっぱ来た。
再来週1週間留守にすることに上司が今更気付いて、
「行く前にこれはやっていってちょうだい」ということをどんどん上げてきた。

「これ、進んでる?」
い、一体いつ手をつける時間があると?
「来週送るから作っといてね」
こ、こっちの仕事は?
「それも今週中にやらないとね」
どひーっ。
「これは明日必ずね」
あのぅ、今週中=明日中なんすけど……。

最大の難関はスキャナー(=カラーコピー)一台&みんなと共用のパソでのCD−R作成。
暴君は「これが最優先なんだからそう言って使わせてもらいなさい」とおっしゃるけど、みんなそれなりに急ぎで使うんだし、ずっと独占するなんてとてもじゃないけど無理。(T_T)

こんなん終わるかーっっ!!
あたしゃ土日は出ないんだい。
毎日文句言わずに残業してんだから、これで終わらなきゃあきらめてくれぃ。
予定どおり飛行機に乗るぞ。ごきげんよう。

やっぱ勤務時間内に終わらない量の仕事を与える上司って、問題だと思うんだけどさー。
社員なら我慢もする(かもしれない)けど、派遣社員だぞ。
時間労働だぞ。
むきーっ。

ってゆうか、も一人雇えっての。

これって甘えなのかなあー。あうう。

こうなりゃヤケだ!
あしーたがあーるぅさー♪

2001年03月21日(水)  独裁者の部下

まじっすかー!?
ってことをいつもやってくれちゃう上司。

私はただ目を円くして、「ホントにいいんですか?」と確認して、言われたことを言われたとおりにやるしかない。

たとえば、請求書に先方のハンコがなかったとする。
当然経理としては「それは再発行してもらいなさい」と言って伝票を返してくる。
そのように言われました、と私が報告する。
上司、しばらく(一瞬)考える。
「いい。これでいっちゃって。私が直接○○さん(経理の部長)と話す」
……話すって。話したからって解決するのか、これは?

また別の件では。(注:Aさんは同じ部署の社員さん。上司の直属の部下)
上司「どうしてまだなの? ○日に出すって言ってたんでしょう?」
Aさん「こっちがOK出すのを待ってるんです。まだOK出してないじゃないですか。これ読んでいただけたんですか?」
上司「ここまではできるでしょう? とにかく私はこのイメージが見たいの。ここまでやってくれないといいかどうかわからないじゃない」
……Aさん激怒。
Aさんはこの仕事を頼んでいる印刷会社に事情を説明して謝る。


「あの、申し訳ないのですが、これ今日中にいただきたいんですけど。お忙しいところ本当にごめんなさい」
「いつも無理言ってスミマセン」
「どうしても明日必要なんです。優先してやっていただけますか?」

上司は命じるだけでいいかもしれないけど、ついていく私たちは周囲への気遣いが大変。
あちこちで上司の尻拭いをしてる気がする。
お菓子を手に入れれば、このあいだあの部署にお世話になったから、と差し上げる。
気を使っても使いすぎるということがないくらい、迷惑をかけまくってる。

そんな上司をもつおかげで、私とAさんは「お互い様精神」を持ち合わせ、相互協力態勢で働いている。
だってそれしか私たちが生き抜く道はないのだ。

疲れる話デシタ。

2001年03月20日(火)  地底の国のアリス

地底の世界に行く。

地底人たちは丁重にもてなしてくれる。
王女待遇。(ご都合主義)

私はしばらくそこの暮らしに満足していたが、やはり元の世界に戻りたかった。
しかし、それとなく私は監視されていた。

その国に迷い込み、囚われの身となっている者は他にもいた。
皆脱出をすることをあきらめていた。

遠い山の上から落ちてくる水の流れを眺めた。
美しい滝だった。

ある日私は仲間と共謀してそこを抜け出すことに決めた。
こっそり抜け出したつもりだったが、召使の二人の女性に後をつけられていた。

私たちは急いで和室に入り、押入に潜り込んだ。(なぜ和室? しかも押入)
押入の下の段が地上に通じるトンネルになっていたのだ。

私は下の段を選んだため逃げおおせたが、仲間の男性は上段に逃げ込み、布団の後ろに隠れて、なんとか難を逃れた。

……なんつー夢だ。
よくあることなのだが、早く布団に入ってもこういう夢を見るがためにかえって疲れる。
大体地底人って……。
ドラえもんじゃあるまいし。
誰かこの夢を解析してください。

2001年03月19日(月)  言葉の力について

壊すのは、簡単。
守るのは、難しい。
〜バーミヤンの遺跡の破壊の映像を見て〜


日本には昔から言霊信仰というのがあって、言葉には魂が宿るから滅多なことは口にしてはいけないという考え方がある。
それほど気にしていないつもりでも、心の奥底にはその考え方がちゃんと根付いていて、冗談でも悪い言葉を使うとちくりと罪悪感が胸をつく。

人の心に訴える歌や詩や小説というのは、その人の魂の一部がその言葉に込められている。
霊的な言い方をすれば、その人の魂がその言葉を読んだり聴いたりした人に乗り移って直接心を揺さぶるのだと思う。
だから基本的には、言葉を生み出す人の体験や実感がとても重要で、それがベースに無いと人の心を動かすことは難しい。
例えば荒唐無稽な話であってもそこに何か感動を覚えたなら、きっとどこかに必ず何らかの作者の思い入れがあり、それにその人が共感したからだ。

言葉の泉があふれだす。
言いたいことがたくさんある。
覚えておきたいことが、忘れたくないことがある。
この気持ちを忘れないうちに。
この感覚をなくさないうちに。
果たして人がこの言葉に共感するかはまた別の話として。

2001年03月17日(土)  ご近所さん

この部屋に決めた時、契約書の保証人の欄が結構細かく書くようになっていて(私は割と普通だと思ったのだが)、保証人である父が「こんなことまで必要なのか?」とちょっとご立腹だった。
会社とか所属部署とか肩書きとか、年収とか、個人情報の流出に過敏になっていたのだろう。
「アジア系の人たちが多いとこだから、不動産会社も慎重なんだよ、きっと」と私は説明をしておいた。
(実際、その不動産屋で契約のことなんかを聞いている時、中国人の母子がやってきて、保証人がどういう人なのかでなんとなくもめているのを見た。)

後日、不動産屋さんから保証人の確認の電話があった時、不機嫌になった父が「ここまで訊くからにはこのマンションの住人はちゃんとしたヒトなんですかね?」と訊いたら、みんな独身で会社員です(つまり学生がいて騒いだりということはないということ)、と言われたらしい。外国人もいないという話だった。
私はあんまりそんなことは気にしていなかったが。

引っ越してきた時の私はまだ前の会社で働いていて、ちょうど辞める前だったから引継ぎやなんやかやもあり、平日は午前様、土日も返上ということがあった。
深夜早朝しか家にいない、いても疲れ果てて寝ている、という状態のために近所に挨拶回りをしようと思いながら結局しないままに今まできてしまった。(いい訳)

そういうわけで、隣近所にどういう人が住んでいるのかわからないままなんだけれど、ごくたまにすれ違ったりすることがあり、最近少しずつ解明されつつある。
まず左隣は、若い(たぶん年下)男の子。もしかしたら学生かも?
角の部屋は会社員らしい同年代の男の人。
右隣はナゾで、小さい子供と夫婦が住んでいるみたいなんだけど、この前、朝その部屋を出て行く学生風の男の子と会った。
その奥の部屋は、30〜40くらいの男のヒト一人。だと思っていたら、赤ちゃんを抱いたフィリピン人(たぶん)の女性が住んでいるらしい。(人なつこくてかわいい、感じのいいヒトだった。「ひとり? 淋しいネ」と言われた。複雑。)

どうでもいいことだけど、管理者である不動産屋さんはこの状況を知っているのか知らないのか? それが最大のナゾである。

それにしても、このマンションの間取りはどうなっているんだろう。
全て同じ作りだったら、二人以上で住むのは相当狭いと思うんだけど。

2001年03月14日(水)  口蹄疫

口蹄疫。コーテイエキ。
なぜだ。この時期に。

イギリスで口蹄疫なるものが流行っている。
牛とかブタとか、蹄のある動物がかかる病気だそうだ。
健康な家畜にうつらないように、病気の家畜は始末(つまり殺すこと)されているらしい。

人間にはうつらないというけど、本当か?
実際にうつらないにしても気持ち悪い。
それはともかく。

その病のために立ち入り禁止区域が増えている、らしい。
ストーンヘンジも入れないかもしれない。

成田空港ではイギリスから帰国した人の靴なんかは消毒されるようだ。
まるで秘境ツアー。

もしも肉を食べない方がいいとしたら、何を食べろというんだ。
よりによってイギリスで。
料理がまずいというイギリスで。
「毎日フィッシュ・アンド・チップス」だけは勘弁してください。

2001年03月13日(火)  光陰矢のごとし

先日めでたくも(?)一つトシをとったわけですが、それに関して思うことを。

月日は飛ぶように過ぎて行く。
一年一年を積み重ねて、早2×年……。
私はそれだけのものを蓄積してきたのかな。
2×年分の何かを。
時間と生活に追われるだけで、結果として何一つできていない気がする。

人間として成長してるんだろうか。
……たぶんしてない。
だからトシ相応に見られないんだろうな。

思いを実現する力を、確実につけないと。
今のままでは何も変わらない。
中途半端なままで終わらせたくない。
今の状態で許されるのはせいぜいあと3年。
止まっている時間はない。

神頼みはなし。
足を踏み出して、思いきり地を踏みしめて、前を向いて行こう。
それしかない。

2001年03月10日(土)  おめでたき人々

ウチの母は天然ボケ。(最近本気でボケてきてるのでやや心配だが)

何年か前、私はふと自分の誕生日が間近に迫っていることに気付き、母に言った。
「ねえ、来週の○曜日、何の日か知ってる?」
「さあ? 何日?」
「11日」
「わかった。建国記念日だ」
「は? ……それって2月じゃん。先月休んだでしょ」
「あーそっか。じゃあ何の日?」

その更に前にはこんなことがあった。(これは私も共犯)
弟が電話で友達と話している。
「えー? これから? ××んち行くの?」
ふーん、でかけるんだ。と思って何気なく聞き流していた母と私。
「うーん。やっぱやめとく。今日誕生日だからさあ。なんとなく」
……ぎくぅ。
そ、そうだったか。
私たちは思わず顔を見合わせた。
ケーキもごちそうももちろんプレゼントも、あるわけない。だって忘れてたんだもの。(欲深い弟は、誕生日に留守にすると何ももらえないことを危惧していた。)
その後、運よく父がカエルコールをかけてきたので(本当に運がいい。これは滅多にないことだから)、こそこそと買い物指示を出したのだった。
しかもこの日は結婚記念日でもあった。忘れるなよぉ。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
今日のお昼に電話が鳴った。
「もしもし」
「おめでとー」
「はい?」
「もしもし? るう子でしょ?」
「ああ、うん。ナンなの。何かあった? 今お稽古遅れそうで急いでんだけど」
「だってあんた、今日は何の日だと思うの?」
「……あのさあ、11日なんだけど。明日だよ」
「あ、あれー?」
「またぁ。急いでるから後でね」


やれやれ。
これで人にモノを教えるなんてできるのかね。
ムスメは心配ですよ。

2001年03月09日(金)  現金輸送車強盗未遂

今朝、渋谷で、現金輸送車を見かけた。

結構目立つ場所で大通りに向かってドアを開けていたので驚いた。
しかもガードマンは定年退職後に転職したような、冴えないおじさんで、銀行員もへらへらしてて、みんなよそ見して談笑していたので、緊張感のかけらもなかった。

ガードマンのおじさんは警棒を手にしていたけど、それを構えて周りに気を配るでもなく、ふにゃんと握って背筋も伸ばさず立っているだけ。
こりゃ私がすれ違いざまに奪ってぽんと頭を一つたたいたら気絶しちゃうかもナ、と心ひそかに思った。

意外と簡単にお金を奪って逃げられるかもしれない。
花粉症対策のマスクもしてるし。
……なんちゃって。

外国の人が見たら、なんて無用心な、って思うだろう。
というか、襲いたくなる気持ち、わかるよ。
無用心というか無自覚というか。
平和だな。ニッポン。

2001年03月08日(木)  ふと気付いたこと

最近の私の作品のテーマ、および思考の傾向に気付いた。

「決別と自立」。

なんでこうなったのかはまあ、現実にそういうことに直面してるからに過ぎないんだけど、たぶんこれって私だけじゃないと思う。
誰もがどこかでそういうことを味わってきている、もしくはこの先体験するはずのものなのだ。

強く生きていくこと。

それは大変なこと。だけど、絶対に必要なことだ。

2001年03月05日(月)  chaos

部屋が散らかる……。
ついでに職場の机の周りにも雑誌で砦が築かれつつある。

ああ。片付かない。
仕事も。頭の中も。

ダメだ。この調子じゃ今年も見送りか……。
夏のヤツに賭けるかな。
やっぱ平日は書けないなあ。

2001年03月03日(土)  決意

28日に免許の住所変更をした時、久しぶりにまじまじと免許の写真を見て、自分の顔の輪郭が今と違うことを認識した。
確実にまるくなっている……。
頬の肉付きが違うのだ。

そして極めつけ。
金曜に母と待ち合わせて食事をし、そのまま実家へ帰った。
風呂上りに体重を計ったら、先月の健康診断と同じ結果に。
健康診断の時は服を着てたし、「あの体重計はおかしい」と思っていたけど(うぬぼれ)、やはりあれは正しい数値だった。

これはいかん。
今まで太っても体重にはあまり反映されなかったけど、ここまで増えるとなると、危険ゾーン。

最近食欲に関係無く(あまりお腹空いてない時とかも)食べてるからなー。
しかもパンとかごはん。
お昼も誘われるとついほいほいついていき、パスタやカレーなんかを食べる日々。
自分に甘いからなー。
たまにはいっか、って「たまには」が「いつも」になってるし。

これから薄着になるし。
夏には泳ぎに行くし。(しかもセパレーツ水着)
太っているのは大変都合が悪い。

そういうわけで、本日より野菜と果物と魚の生活にすることを決意した。
和食中心でいく。
そしてめざせマイナス5kg!

2001年03月01日(木)  planning

(28日 旅行会社にて。)

4月のイギリス旅行の手配をする。

いわゆる「ツアー」は苦手。
前に友人とツアーでヨーロッパ旅行した時、昼夜ゴハンつき(しかも毎回ほぼフルコース)で胃が変になり、よりによってパリでフランス料理を目の前にしながら何も食べられなかったというつらい目にあった。
食事に備えてつまみ食いもできないし、団体行動もできない人間なので、多少高くても個人旅行が好き。

今回からマイレージを貯めようと思い、前もってANAマイレージクラブに入っていた。
ところが一見スムーズに思えた飛行機の予約が、「8日の便が空いてない!」という事態に。
フランス経由はあるって、そんなの帰りに面倒くさい。
じゃあBA(英国航空)は? と問い合わせると、こっちもその日はダメ。
というわけでバージンアトランティックになった。
でもまあおもしろい飛行機らしいし、楽しみ。

ロンドンでゆっくり時間をとろうと思うとその他の場所は切り詰めざるをえない。
ロンドンからヨークに行ってその日のうちにエディンバラへ行き、そこから夜行でロンドンに戻るというプランを話したら、担当のおねえさんはペンを持つ手を止めた。
「ロンドンからヨークって東京から大阪に行くようなものですよ」
「つまり東京から大阪に行って、そこから九州行くようなもんですか?」
「そうですね。そうなりますね」
……却下。

結局エディンバラはあきらめて、ずっとロンドンのホテルに滞在し、日帰りでいろんなところへ動くプランに変更した。

ホテルは自分で予約するつもりだったけど、航空券を買えば手数料がかからないというので、お願いしてしまった。(めんどくさがりー)
だけど前にツアーで使った巨大ホテルは断った。
従業員の態度が悪かったイメージがある。
ちょっと高めだけど駅前で評判がいいらしいホテルに決まった。

1時間半くらいかかったかなあ。
手配しただけで疲れましたー。トシですか。


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