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年忘れ大フグ大会 - 2004年12月30日(木)

昨日は仕事納めで、会社の業務は半ドンで、昼から「納会」と言う事務所での飲み会となった。色々な所で「それなりに多めに」飲んで、午後3時頃には会社を出て、新橋に向かった。「それなりに多めに」が、後に災いすることになったのだろうか。

新橋では後輩と飲み会、と言うよりフグ会をする予定だったが、待ち合わせは午後7時で、時間があったので、新橋の地下街で足ツボマッサージをやった。施術前に「こんな人はマッサージやらないで下さい」と言うボードを見せられ「お酒を飲んでいる方」と言う項目があったのだが、「大丈夫です」と言ってマッサージを受けた。これも後の災いに影響したのだろうか。

7時。新橋烏森口に行くと、既に原田と津川が来ていた。久し振り、と言うわけじゃなく、彼らには先月会っている。今日来る連中はみんな先月会った(真の結婚式で)。そのうち島、町田がやって来て、フグ屋に移動。もう一人の参加者の野中は会社の納会が夕方過ぎまであるので、途中合流である。

フグ屋到着。このフグ屋は2年ほど前に原田と小林と来たことがある、思い出のフグ屋だが、その時は日本酒を飲みまくっていて、あまり記憶が無い。まあ、昨日の方が記憶無いけど。

最初はビールで乾杯。サークル時代の後輩とこうして飲むのは久し振り、と言うより後輩ばかりと飲むのは初めてかもしれない。その内野中から電話があって、今会社を出ましたと連絡が入った。彼女の会社は日本橋なので、新橋まではそう時間はかからない。既にテーブルには日本酒第一セットの5合分が載っている。

野中が合流して、遂にフルメンバーが集結。改めて乾杯をしたが、このときは野中以外全員日本酒で乾杯となっていた。その後メンバーを増やすべく、玉木や梅香に電話をして、梅香夫妻が来ることになった。この辺の記憶はかなり怪しいのだが、一応覚えている。

あまり覚えていないが、恐らく今までで最速と言うペースで日本酒を飲み続け、日本酒第二セット5合、日本酒第三セット3合までを原田が注文したのは覚えている。その後、一旦トイレに行く途中、階段で転んで指を擦り剥いて爪を割って、座敷まで戻った、らしい。

で、気付いたら真夜中で、梅香の家で寝ていた。いや、何でだろう。しかもワイシャツにネクタイ姿だったのに、Tシャツ、このTシャツも私のTシャツじゃない。でも、ここまで確認するのが精一杯で、すぐに昏倒するように布団に眠り込む。

朝10時。梅香夫妻が台所で朝飯を用意している音で起きる。

「おう、どう?」

と梅香に聞かれるも、とにかく体調は最悪である。しかし、私は梅香に質問しなければならなかった。

「昨日、俺どうなったの?」

どうやら座敷に戻って程なく、私はそれまで飲んだ日本酒とそれまで食べたフグの全てを豪快にVomitしたらしく(全く記憶無し)、その後は後輩たちに介抱されながら店を出て、新橋まで出てきた梅夫妻にも介抱されながら二軒目に入り(全く記憶無し)、二軒目でも吐いたりしながら(全く記憶無し)、店を出た後梅夫妻に抱えられて京浜東北線で大井町まで行き、支えられて歩きながら梅香邸に到着したらしい(全く記憶無し)。

吐くほど酒を飲めない私だが、昨日は年末と言う開放感とそれまでの飲みが全てプラスされて、酷いことになったようだった。今日は起きて一旦梅香号で西荻窪まで行って津川に会い、津川邸まで行って携帯電話とうこんを受け取り(津川が家まで持って帰ってくれたらしい)、その後再度梅香号で家まで送り届けてもらった。車中でも気持ち悪さが抜けず、口数少ない私を送り届けてくれた梅香には「借り20」位の気持ちで一杯であった。

家の前まで送ってもらった後、梅香は南区にある玉木の家に行く用事があったので、そのまま横浜をさらに南下して行った。

私と言えば気持ち悪さが抜けず、帰宅して程なく寝て、さっき(午後9時)に起きた。ゲロまみれのYシャツ、Tシャツ、ズボンを見た私の両親は昨日の顛末をすぐに言い当てた。そりゃそうか。


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