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無理強いはよせ...FDN

 

 

ファン感謝デー - 2004年11月23日(火)

今日はちょっと買い物をした。

まずは久し振りにCDを買った。U2の新しいアルバムで、その名も「ゲンバク解体法」と言う、激しい名前のアルバムだ。もうこの日を心待ちの待っていた、と言うほどの熱烈なU2ファンではないものの、CD買う位は好きだ。その後は出社。

夕方、会社を出て、床屋に向かった。最近は髪を切るのが2ヶ月に一度になっている。顔そりは下顎が血まみれになるので、最近は顔そりまではやっていない。

散髪が案外早く終わったので、その後は本屋に行って、金城一紀の「Fly Daddy Fly」を購入。先日読んだ「GO」が面白かったので、他の作品も読んでみようと思ったのだ。一応立ち読みで出だしを読んだが、「二十年のローンがまだ七年も残っている。払い始めて三年目に何もかも嫌になり、失踪して沖縄で漁師になろうかと思ったが、出来なかった。」の下りで購入決定。

以上が、ちょっと買い物。


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飯田の楽天行き殆ど決定 - 2004年11月10日(水)

今日は帰りに本屋に寄った。何となく小説が読みたくなったからだ。最近は新書、しかもドキュメントモノしか読んでいない。

小説と言えばやはり純文学であるが、明治・大正・昭和前半の作家の作品は殆ど馴染めない。例えば大学時代に監視員バイトをしていたプールで一緒だった人に「三島由紀夫の『暁の寺』は良かったよ」と言われ、豊饒の海シリーズ(全四巻で『暁の寺』は第三巻)を読み始めたものの、分からないと言うか難しくて簡単に挫折してしまった。俺はバカなんだろうかと挫折しながらガッカリしたが、先日芥川賞作家の綿矢りさも「難しくて挫折した」と言っていたので、齢三十にして若干安心した。また、太宰治などにしても感情移入が出来ず、読み始めても眠くなってしまうだけで、読破した作品は一作品たりともない。川端康成は「伊豆の踊り子」と言う数十ページの短編ですら、会社帰りの地下鉄で読むのを難儀し、しかも面白いと思わなかった。三島由紀夫や川端康成が大好きだと言う先日結婚した友人の矢澤(旧姓)の神経は、未だに全く理解が出来ない。第一、歴史上「文豪」と呼ばれる人の作品で、一冊を物凄い勢いで読みきって、心から面白かったと思った作品はハッキリ言って全く無い。外国文学など以ての外で、ヘルマンヘッセの「車輪の下」を買って読んだが、これもいつの間にか挫折していた。かつての塾講師バイト時代の教え子河西が、国語の先生だった鈴木先生の作文講座の課題作文で、「ドイツに行きたい。理由はヘルマンヘッセの『車輪の下』を読んで感銘を受けたから」と書いていたと言う話を聞いて、10歳くらい年の離れた中学生の感覚を全く理解できなかった。やっぱり俺はバカなんじゃないだろうか、などと思った。

そんな年代モノ純文学が実際は苦手な私は、近代・現代小説においても読む本は限られている。そんな私だが、今日は敢えて純文学作品を読んでみようと思い立った。理由は特に無い。

本屋の文庫本コーナーに立ち、まず目に入ったのが村上春樹。高校時代の部活の友達で、ウナギ屋の息子の久米ちゃんは読書が好きで、私とは違う大学だが国文科に進んだ程の人だが、彼は村上春樹が大好きだった。私が受けた模試の現代文の問題で村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」が出題されたと言ったら、その問題を持ってきてくれと何度も言われた記憶がある。そんな久米ちゃんと異なり、私は生涯で村上春樹の小説を読んだのはその模試以外に一切無いのだが、これほど有名な現代小説家の本を読まないというのもどうかと思い、手に取ってパラパラと眺めてみた。

が、どうも私のテイストに合わない。やはり純文学嗜好じゃないのだろうか。

30分ほど逡巡した。結局私が手に取ったのは、「これは間違いなく面白そうだ」と思った、金城一紀の「GO」だった。

「ハワイか…」
 オヤジが僕の前で『ハワイ』という言葉を口にしたのは、僕が十四歳のお正月のことで、その時、テレビの画面では、美人女優三人がハワイに行き、ただひたすら「きれい!おいしい!きもちいい!」を連呼するお正月特番が映し出されていた。ちなみに、それまで、我が家ではハワイは『堕落した資本主義の象徴』と呼ばれていた。
 当時、オヤジは五十四歳で、朝鮮籍を持つ、いわゆる《在日朝鮮人》で、マルクスを信奉する共産主義者だった---。

こんな書き出しで始まるくせに、なんと恋愛小説だと言う。

と言うわけで、第123回直木賞を受賞したこの本を買った。税込み470円。直木賞…、純文学じゃなくて大衆文学だな。


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ラミレスは本当に楽天に行ってしまうのか - 2004年11月06日(土)

今は全然読まないが、学生時代の一時期、辺見庸の著作が好きで読んでいたことがある。辺見庸は「自動起床装置」と言う、派手に見えるジャーナリズムの世界の地味な一場面を切り取った小説で芥川賞を取った作家である。ただ、私がハマっていた時期はむしろ「もの食う人びと」の著者として有名で、もの食う人びとの対となる「反逆する風景」と言う著作も読んだ。今はブッシュを目の敵にした癖のあるおっさんと言う風情だが、この癖というのは当時の著作にもある程度滲み出ていた。

そんなある日、大学の第二文学部(通称二文)創設50周年記念イベントと言うのが企画され、辺見庸が大隈講堂で講演をすると言うイベントが組まれた。辺見庸は二文出身で、OBと言うことで呼ばれたようである。学内誌を見てこれを知った私は、当日大隈講堂に出掛けて行った。

癖のあるおっさんを想像していった私だったし、大隈講堂を7・8割埋めた学生たちもそれを考えて足を運んだと思うのだが、実際には辺見庸は何となく恐縮しているように見えて、結構謙虚なイメージが強かった。語り口調は結構淡々としているが、話している最中に何度も額の汗を拭っているところから、意外と熱く語っているのだろうか、などとも思った。肝心の内容はどうだったかと言うと、これが当時の私は吸い込まれるほど面白い内容で、聴衆であるほかの学生たちも身を乗り出して講演を聴いていたのを覚えている。

話す内容は多岐に及んだが、そんな中で今日、数年前に見た辺見庸の講演の中のある1つのネタを思い出した。こんな話だった。

辺見庸の講演があるちょっと前、彼の学生時代の仲間と会う会があったらしい。その時旧友たちと再会して思ったのは、単に年食った仲間たちと言う訳ではなく、みんながみんな、学生時代と変わらない形で年を食っていたと言うことであった。熱い奴は熱いまま年を食い、セコイ奴はセコイまま年を食っていて、それを辺見庸は「全員が全員、相似形に老いている」と表現していた。つまり、年を食ったから人間が変わったということは皆無で、中身は昔のままだが、容貌だけが老いている、と言うのである。

今日は、大学時代のサークル後輩の結婚式だった。結婚したのは後輩同士で、彼らは大学一年から付き合っていて、遂にゴールインしたと言う二人である。新郎新婦がサークル時代の付き合いだった関係上、出席した連中もサークル関係者ばかりで、久し振りに一堂に会した会となった。

中学時代や高校時代の友達と縁が殆ど切れた私にとって、大学時代の友人は最も古い関係となっている。既に出会ってから10年が過ぎた。20代前後だった当時からすると、ほぼ全員が30代前後となった訳である。とは言え、まだ30代では容貌もそれ程変わらず、辺見庸の言う相似形に「老いる」と言う感じではないが、それでも年月を経て誰も変わっていないと言うのを感じた一日であった。

今はまだ全員が結婚しているわけではないので、これからも暫くは結婚式を理由に集まることが続くと思われる。しかしこの連中と会ってから20年、30年を経る内に、当然このような機会は少なくなる筈だ。この後10年後、20年後、この人々に会う際に、みんながみんな相似形に老いて行っているのだろうか、と想像しながら会に参加していた。


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