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2003年を振り返って - 2003年12月31日(水)

2003年を振り返って

2003年が過ぎ去っていこうとしている。今年は色々あった。ちょっと振り返ってみようと思う。

1月 小林と言う後輩

今年は小林から始まった。正確には小林と原田から始まった。1月4日の飲み会である。今年のスタートは、仲の良い後輩とフグを食って日本酒飲んで(飲み過ぎた)スタートした訳である。

1月22日、その小林が亡くなった。1月4日と書いた後で、1月22日と書くと、改めて小林の死を信じることは出来ない。小林への追悼文集にも書いたが、1月4日に死の翳を感じることは全く無かった。

小林が亡くなってから、そろそろ一年。来月は一周忌の法要がある。

今、小林のことを思い返してみると、未だに小林の死を乗り越えていないことが分かる。他のみんなは、一体、どうなんだろうか。

2月 パキスタン

パキスタンとの付き合いは、今年でもう2年以上になる。お陰さまで、日本以外で最も友人が多くいるのはパキスタンと言う、妙なことになった。

人から植え付けられたパキスタンの先入観は酷いものだった。しかし、今となってはそんな先入観も霧散して、社内でもベスト10には入るであろうパキスタン贔屓になったと思う。ベスト10は大袈裟かな。

今でも、パキスタンの友人達は、私の無理を聞いてくれている。一生かかっても感謝しきれない。

3月 白石の結婚

サークル時代の同期である白石が、サークルの後輩である堀岡(既に旧姓)と結婚した。堀岡香澄改め白石香澄には、小林の四十九日にて会っている。因みに、白石とは結婚式打ち合わせ云々で何度も会った。

白石は学生時代に一緒だった友達で、私自身が特に仲が良かった一人である。彼が今のかみさんと付き合い始めたのは、我々がサークルを引退した大学3年の冬だ。当時我々の間でも「かわいい」と評判だった堀岡香澄と付き合い始めたと聞いたとき、ギャグしか言わない彼三流のギャグかと疑わなかった。

彼に別件で電話した時に聴取した訳だが、まるでギャグも無く、嬉しそうに1時間半に渡って経緯を語ってくれたときは、人の幸せって聞いてると結構退屈なんだな、などと思ったものである。スマン白石、所詮この程度の友達だ。

おめでとう。因みに君の結婚式2次会での私の司会は、自分でも結構上出来だったと思う(しかし芸はイマイチだった)。

4月 車

人生28年目にして、ようやく車を持つに至った。

と言っても、車を持ったのは3月だ。しかも、今を以ってまだ私の名義ではない。

4月は3年間のペーパードライバー空白期間を埋めるために、毎週末練習走行をかましていた。今となっては危なくてしょうがないこともしていたような気がする。何しろ、車線変更も満足に出来ないくらいに退化していたのだ。

今でもあんまり運転は上手くないが。

5月 聖飢魔II

中学生から高校時代にハマっていた、聖飢魔IIに久し振りにハマった。きっかけは聖飢魔II好きへの100の質問である。

6月 玉木のジューンブライド

サークル時代の同期である玉木が結婚した。この男も同期の中では特に仲が良かった一人で、色々関係も深い。が、かみさんは社内結婚と言うわけで、それほど知っているわけではない。

意外とクールに決めていた玉木だが、実は結構な色物と言うのも当然知っている。結婚式はアフロを被ったり馬の被り物をしたり、中々オイシイ新郎ぶりだった。

それにしても、ご両親は堅い人々だった。

7月 彼女

彼女と付き合い始めたのは、7月である。きっかけはパキスタン。って、相手はパキスタン人じゃないけど。パキスタンの子会社にいるとき、ウチの会社の協力会社の人が紹介してくれたのである。最初は合コンと言う技で攻めたのだが、先方の集まりが悪くて頓挫。その内、臨時収入が入ってチームの人々に食い散らかされそうになったタイミングで、

「この使われ方は不味い」

と思って飲み会に誘ったのが直接的なそもそもの切っ掛けだ。

今考えると、この出会いが無ければ、今年は全く以って救いようの無い1年だったと思う。

8月 カザフスタン

中央アジア最大の国・カザフスタンに足を踏み入れた。

社会主義の旧弊が残っていると感じた。

9月 29歳

29歳になった。三十路リーチだが、特にどうとも思わない。

10月 梅香ドライブ

白石・玉木と来ると、次は梅香である。この男は同じく大学時代のサークル同期。白石・玉木との共通点は、実家が神奈川であると言うこと。彼の実家は金沢文庫ゆえ、私とは北端・南端と言う間柄で、普通に生活している分には全く接点が無い。因みに、私の彼女も元々は金沢文庫。と言うと、意外と金沢区とは接点があるかも。

彼は私と同様に変わったところがあり、人里離れたところに無意味に言ったりする性癖がある。その性癖が一致して、彼と只見川上流域のダム地帯にドライブに行った。妙と言わざるを得ないが、物凄い紅葉シーズンであったため、取り敢えず観光客は多かった。まあ、野郎二人と言うのは我々くらいだった思うが。

お互い社会人になって、男二人旅と言う薄気味悪いことをやったわけであるが、私が梅香に感じたのは、「ああ、表面は変わったかもしれないけど、中身は変わらないな」、と言うものであった。恐らく梅香も同じ事を俺に感じた、のだろうか。まあ古くからの友達なら感じるものであろうか。

11月 忙しい

今に引き続く忙しさ。

12月 忙しい

11月に同じ。

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2004年は、素数の2003と変わって、非常に約数の多い年である(12個)。割り切れることの多い1年でありますように。


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年の瀬仕事納め - 2003年12月28日(日)

仕事納めは昨日済んだ。公式のな。今日からは年末年始休みとなっている。公式のな。仕事始めは1月5日である。公式にはな。

この一年で一番忙しいのが、ひょっとして今じゃないの?と言うくらい忙しい。とにかく1月2日から出張と言うものが入っているのが不味い。本来ならばこの出張は9月中旬には済んでいて然るべきものだった筈だが、業者の動きがあまりに不味く、3ヶ月半経ってようやく実現することになる。しかも、よりによって正月休みにである。

日本人が正月に仕事をすると言うのは、パキスタン人にとってEid Holidayに仕事をするレベルに寒い、とパキスタン人の友人達に言うと、揃って同情の声がかけられた。

とは言うものの、旅程上1月3日の早朝にカザフスタンの旧首都アルマティに着いたら、翌日の1月4日夜10時の便まで飛行機が無い。従って、1月3日と4日はアルマティにて休日となる。とは言っても、これがバンコクだとか香港ならば嬉しいが、クソ寒いアルマティではどうしようもない。先日同じような旅程で帰って来たSさんは、アルマティでスキーに行ったらしい。スキーか…一人でスキーってのも、何となく寂しいものがあるよな。

明日は彼女も動員してハード面における出張準備。栄光のソ連の旧首都・モスクワ経由と言うわけで、さすがに鍵付きのスーツケースでなければヤバし。どこで買うかな。


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メリークリスマスイブ - 2003年12月24日(水)

毎年この日には日記を書いているので、今日もちょっとくらい書くか。

私の勤務先周辺は大デートスポットで、今日の人出も凄まじかった。って、平日だろ君たちィ、と言う感じだが、何か学生ぶぜいが多かったのかな。面白かったのはコンビニでパンを買ってきた上司Tさんのこの報告。

「いや〜、外は凄い人出だぜ。コンビにもいつもは牛乳とか置いてある棚が、良く分からんが酒ばっかりでさ。そういえば、『え、夕食これなの?ねえ、夕食これなの!?」とか言いながらコンビニに入っていくカップル見たぞ。」

午後11時半、ヘロヘロになって会社から這い出てきた私だが、外の大道芸をやるところは大盛り上がり。おいおい、もうこんな時間なのに、こんなに人がいるのかよ、と言う感じだった。

私の同期の所感を記しておこう。

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本来は仏教徒、もしくは神道信奉者であろう日本人が、異教のEventであるXmasとやらに踊らされているのは当方としてはなんとも腑に落ちんが、貴殿の今晩の予定はもうFIXしたのか?

やはりこういうイベントはどんな女性にとっても大切なイベントであり、これをないがしろにすると後々のClientの対応にも影響を及ぼすであろうから、是非ともClientにご満足いただけるようなPJ遂行を祈る。

・・・と単なる愚痴であることは明白であろうがな。

これで3年連続で枯れたX'masを送っているな。


With best regards,
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クリスマスは昨日、天皇誕生日と一緒に祝ってしまった。本日は仕事に次ぐ仕事であったのだ!

では、どなた様もメリークリスマス。


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クリスマスイブ特集! - 2003年12月23日(火)

2000年12月24日の日記

12月24日(日) 汝等の為に救主生れ給れり

折りしも東方にて見たりし星彼らのの先に立ち、ついに幼子の居る処にて其上に止まれリ。

東方の三博士が、イエス降誕を知った瞬間であるが、私は幼稚園時代に園児劇において、東方の三博士の一人をやった。田園江田幼稚園と言うプロテスタント系の地元の幼稚園に通っていた私が、何故か覚えているワンシーンである。その他の幼稚園の思い出なんて、クラスのデカイ女の子にみぞおちに蹴りを喰らって息絶え絶えとか、そんなもんである。

昨日行っていないので、本日は会社に出向いた。体調が良くなくて帰ってきたが、MM21は凄い人出。人にもメールで送ったが、こんな状況だった。

桜木町に着いたらスゲー人出。前に進めん。殆どカップルです。ウチの会社を見ると、見事なまでに全フロアの電気がついている。と思ったら、隣のランドマークも、日石ビルも、浜銀本店も、そして三菱重工ビルまでも!で、おととい会社の人から聞かされた、「クリスマスイブを挟んだ3日間は、みなとみらいの高層ビルはすべて電気をつけることになっている」というのを思い出しました。初めて見ましたが、何せオフィスビルで全て蛍光灯なだけに、明るすぎ。風情は何かイマイチって感じ。でもやはり純粋に、「彼女とクリスマスに外でブラブラするってのは、やはりいいもんだなー」と羨ましく思いました。そりゃそうか。

皆さんはどんなクリスマスイブを過ごしたんでしょうか。妻子ある人はしっかり家族サービスしたんですかね。



2001年12月24日の日記

まあハッキリ言わせて貰えば、日本でのクリスマスは、子供たちとカップルたちのものである。彼/彼女がいない人に、クリスマス独自のプレッシャーとか無いじゃん。プレゼント何にしようとか、どこに行こうとか、何食おうとか、全然関係無いじゃん。可哀相とか寒いとか痛いとか言う意味で、彼/彼女がいない人にとっても意味のある日という意見もあるのかもしれないが、それでも私の意見は「やっぱ意味ねえよ」というものである。だってさ、意味を考える以前に、彼/彼女がいなかったら、その日に生きていること自体に意味は無いと思わないかい。別にベツレヘムに向かってお祈りする訳じゃ無えんだろ。キリスト者でなくて独り者の人に、クリスマスが一体どんな意味があるのか、考えれば考えるほど分からなくなるんだよ。あまりに意味が無くて。

とは言うものの、結局、電気部のAが召集した寿司食い放題に行った私。以下報告。

集合はJR関内駅北口改札前に午後6時。4時半くらいに、本屋に寄ろうと家を出たのだが、その時同期から電話が入る。「1000円以内のプレゼントを買って来い」という指令だった。

おい、男だけの集まりに、プレゼントは無いだろ。

と思ったのだが、一応儀式と言う事で、伊勢佐木町の有隣堂本店で、タイ語会話を買っていく。タイ語会話の理由?

他意は無い(爆笑)。

関内駅前に着くと、建築部のMに「うおーぃ」と声を掛けられる。何か、途端に気持ちが沈んでしまった。その後も、ポツポツと集まり始める同期たち。

忙しいらしくて、結構出社しているようだ。みなとみらい(会社)から来ている奴が多いのだ。いや待て、恐らく調整すれば、この日に出る必然性は無い筈だ。例え忙しくともだ。

寿司屋に向かう。食い放題の寿司屋で、最初は家族連れが多かったのだが、どんどんカップル率が高くなっていく。そんな中、妙に迷惑なくらい盛り上がっている男6人。プレゼント交換の仕方で揉めに揉めていたのである。

最初、「ジングルベル」の音楽に合わせてプレゼントを6人の間でグルグル回し、歌が終わった所で持っているプレゼントを貰う、というものを提案した奴がいた。しかも、「ジングルベール ジングルベール 鈴が鳴る 今日は楽しいクリスマス hey」の「hey」で、その時点で持っているプレゼントを頭上に掲げると言うのである。

寿司屋でだぞ。

本気の大反対勢力が勃興し、結局「古今東西山手線ゲーム」で、負けた奴がプレゼントを引き取るというものになった。それはそれで結構盛り上がったのだが、何しろ周囲の視線が物凄かった。私たちを見ているのは、殆どが女性である。男は見ない。というより、見ようとしない。しかし、女の子は見るのである。それが、もう何と言ったらいいのか、形容のしようが無いのだが、とにかく「凄い視線」と言う他無い。

吐く寸前くらいに寿司を食っていると、先日SとドライブをしたHから電話が入った(12月9日付日記参照)。今会社にいて、これからこちらに向かうと言うのだ。時間制の寿司屋だったし、これで出ることが決定。Hとはイセザキモールの入口で待ち合わせである。

伊勢佐木モールは変なオブジェが入口にあるのだが、それに寄り掛かっている渋く寂しい格好で待っていたHと合流。入ったのは事もあろうか、伊勢佐木モールに入ってすぐ左にある、「かもん」。この時点で7人になった我々だが、時間はもう10時前だったし、日も日なだけに、店も店なだけに、7人でも余裕で入店できた。

色々話していたのだが、その時、今デートをしているS(ドライブでサングラス)の男に電話をしようという提案が立ち上った。

Hがワンギリで切る。

その数十分後、Sから電話が入る。電話の内容は「今から送っていくんだよ」と言うもの。Hが言うに、「何か完全に余裕のある語り口調だった」とのことで、それはそれで盛り上がる。数人以外。

彼女を送ったSが、その後この関内の「かもん」にやって来た。いや、横浜ってのは結構狭い街で、こんな風に出来るんですよ。俺だったら絶対来ないけど。

Sは先週の初デートで成功を収め、このイブの夜に一緒にいることにも成功したのである。まだ付き合っている云々の段階ではないと言うSだが、常識的にイブに一緒にいれば、殆ど当確である。しかも、来週のカウントダウン(@石川町)の約束までしているらしい。コリャ決まった。大体、「かもん」に来た時のSの服装は、いつもと全然違うのである。今日のために5万を叩いて、服を揃えたそうだ。

しかし、ドライブ中にも一言も声を発しないSは、やはり奥手であり、まだ踏み切れないものを感じていたらしい。そんな中、HがSに詰め寄る。

「もう言っちゃえばいいんだよ、殆ど決まりなんだから(そうだそうだの外野の声)。大体お前は何でそうハッキリしないんだよ。いつもそうだよ。だから、来週で決めるんだよ。向こうだって行こうとか、この前楽しかったね、また行こうねとか言ってんだろ?いいからさ、こうやって…」

愛してるぅ〜 ってさぁ〜いきん 言わなくなったのは

有線で流れるゴスペラーズ「hitori」。滑って立ち上がれないH。

本当にあなたを  愛し始めたから
瞳の奥にある  小さな未来のひかり
切なくて愛しくて吸い込まれてく
.
たった一つのこと 約束したんだ
これから二度と 離さないと
たった一人のため 歩いてゆくんだ
あなたに二度と 悲しい歌
きこえないよぉにぃ〜

結局、私は電車で帰れなくて、タクシーで家まで帰りました(7000円)。

本日、不愉快な二日酔い。

wish you a merry Christmas.



2002年12月24日の日記

遂にやって来たネタまみれの日、クリスマスイブ。しかし、週明けで時間が作れなくて、結局寿司を食いに行くことは無かった...

夜、仕事をしていたら、先輩Sさんの彼女のTちゃんからメールが入る。指示は「今すぐ来るように」と言うもので、Sさんに電話して桜木町の庄屋に来いと言われる。

「メリークリスマース!」

と言って乾杯。

wish you a merry Christmas


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ワールドポーターズ! - 2003年12月21日(日)

出社したが、今日はワールドポーターズに車を止めておいた。休日に出社する時は、休日でも上限1500円と言うタイムズみなとみらい第二に止めるのだが、今日はCDを買おうと思い、「CD買えば2時間タダになるし」と言うことでワールドポーターズに止めたのだ。何しろ、今日の仕事はすぐに終わる。

確かに仕事はすぐに終わり、所望のCDは無かったものの買おうと思ってはいたCD2枚を購入し、そのまま車に乗り込んで、発進!

駐車場出るまで2時間かかった。周辺道路混み過ぎで、全然出られない。しかも、俺の車は屋上に止めてたし(ここしか空いてなかった)。

これは一体何が悪いのか、ってみなとみらいの都市計画が悪いに決まっている。あれじゃ計算合わないに決まっとる。

取り敢えず、休日のワールドポーターズはマズ過ぎる。もうあんな所行けない。車じゃ行けない。


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旅休刊 - 2003年12月12日(金)

先日買ったJTBの旅だが、今月号で休刊らしい。今月は終着駅特集で、旅79年の歴史を締めくくる企画となったようだ。

って、先日はこうすると売り上げが上がるとか言う話をしたが、そもそも売り上げ自体はイマイチだったのだろうか。尚、休刊とは言えJTBからの発行ではなく、今度は新潮社の発行で4月から復活するようだ。恐らくこれで中身もかなり刷新されるだろう。

まず、刷新されると思われるのは、何と言っても鉄ヲタ偏重主義だろう。別に主義じゃないと思うが、例えば最近のバックナンバーを見れば、それは一目瞭然のような気がせずにはいられない。

2003年2月号特集 江戸前の東京を行く
2003年3月号特集 屋久島 自然に還る旅
2003年4月号特集 鉄道桜紀行
2003年5月号特集 東海道本線
2003年6月号特集 昭和30年代東京 青春の横丁へ
2003年7月号特集 美しい日本のバス旅
2003年8月号特集 青春18きっぷ[応用編]
2003年9月号特集 白神山地 世界遺産の森へ
2003年10月号特集 お米の旨い里へ
2003年11月号特集 新幹線大旅行大研究
2003年12月号特集 旅情満喫 特急列車
2004年1月号特集 終着駅から始まる旅

これだけ見れば、12ヶ月で、何と6回の鉄ヲタ特集を繰り広げていることが分かる。因みに、私がこの中で買ったのは5月号・8月号・12月号である。全部鉄ヲタ号。

一抹の寂しさは残るが、まあ鉄ヲタを楽しませてくれたこの「旅」には感謝したい。ありがとうございました。

因みに、かなり前のとある号の読者投稿欄に、私の中国旅行記(800時程度)が載ったことがある。テレホンカードを貰ったと記憶しているが、恐らくとっとと使ってしまったのだろう。


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年の瀬 - 2003年12月08日(月)

さて、そろそろ今年も今年一年を振り返る時期にさしかかりつつある。12月も初旬が終わろうとしているのだよ。

年賀状の図案は皆さん決まりましたかね。私は毎年ちょっと考えて、PhotoShopを使って(駆使はしない)、ふざけた年賀状を作る。と言っても、齢を重ねるごとにネタが無くなってくるのか、昨年はパキスタンのオートリキシャーの運ちゃんを写した写真をアレンジした、あまり面白くない(若干珍しい)写真を配して年賀状を作った。

業務上海外に行くことが比較的多いのだが、業種上一年間に色んな国に行くと言う感じでも無いので、今のところ1年間で深く接する国は多くて二つだったりしている。今年の場合はパキスタン(って、この国とは付き合い始めて3年目だが)とカザフスタンである。新しい国はカザフスタンで、夏に初めてカザフの土を踏んだ。12月20日(一応決定)からまた行くが、今年はパキスタンで始まってカザフスタンで終わると言う、スタン尽くしの一年となった。尚、季節柄カザフスタンの土と言うわけには行かず、凍結した地表面を踏むことになる。俺は寒いのはダメだと言うのに…。

という訳で、本年はカザフスタンの写真をモチーフに…と思うのだが、生憎カザフの写真は現場の無骨な写真しかない。という訳で、これは却下である。じゃあまたパキスタンの写真にするのかと言うと、今年行ったパキスタンの写真はムダのアップしかない。正月から南アジアの海坊主の写真を送りつけられると言うのは、受け取る側は堪ったもんじゃないだろう。

まあもうちょっと考えるか。


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雑誌 - 2003年12月07日(日)

本日は雑誌を三冊も買ってしまった。と言っても、私が買う雑誌は旅行雑誌ばかりで、特に鉄道特集をしていないと基本的に買わない。ただ、最近は温泉特集も買うようになった。本日は温泉特集のものと鉄道旅行特集のものを購入。

三冊の中で、面白かったのがJTBの「旅」である。大体「一個人」だとか「男の隠れ家」だとかの鉄道特集は上っ面しか特集しておらず、鉄ヲタを満足させる内容から程遠かったりするものだが、長年鉄道旅行特集を続けているJTBの「旅」は、ハッキリ言って一般の購読層を無視するかのようなマニアな記事もあったりする。かつて鉄道紀行作家の宮脇俊三が自身のエッセイの中で「日本交通公社の『旅』は、鉄道特集を組むと売り上げが伸びるらしいが、こう考えると一般の人々にも鉄道と言うのは興味のあるものなのかもしれない」と言うようなことを書いていたが、私としては普段旅行好きで「旅」を買っている人に加え、鉄道旅行になると鉄ヲタも普段買わない「旅」を買うから売り上げが伸びるだけで、宮脇氏の分析とは何となく逆の現象が起きているような気がする。それを示すのが一般旅行雑誌にあり得ないマニアな記事であり、結果的に一般旅行愛好家+鉄ヲタと言う購読者層の、極めて限定的だが案外数の多い客層へ広がりを見せているような気がする。まあ売り上げが伸びるならそれに越したことは無いだろう。

今回の「旅」は、往年の特急車両を特集している。かつての国鉄色(赤と肌色)の塗装を着て未だに走っている区間の紹介など、一般旅行者にはどうでもいいが、マニヤには比較的「堪らない」企画を取り上げている。きっと今月号の売り上げも上がるはずだ。

車を持つようになってからと言うもの、電車にはあまり乗らなくなったが、やはり電車(汽車)の方が私はいいと思っている。今日「旅」を読んでいて、郊外に住む社会人が通勤客向けの特急に乗って帰るとき、リクライニングシートに就いてから缶ビールを開けると言う文章を読んで、正直言って羨ましいと思った。将来は湯河原あたりに家を買って、横浜から東海道線のグリーン車に乗って帰るなんてのもいいかな、と思ったりした。って、いくら何でも湯河原は遠い。


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メイトリックス・レボリューションズ - 2003年12月06日(土)

今日は彼女とマトリックスの第三作目であるマトリックス・レボリューションズを見に行った。思い起こせば彼女との初デートではマトリックス・リローデッドを見に行った訳であるが、リローデッドを観て以来、意外にも「はやく三作目が公開されないかな」などと思った映画シリーズである。学生時代は単館上映の例えばマイナーな鉄ヲタドイツ映画である「ハンネス・列車の旅」だとか、妙な映画しか見ていなかった私が、ハリウッド超大作を目前にしてこんな科白を吐くとは…やはりハリウッド物は変わり者が見ても面白いものであるのだろう。

映画館は当然のことながら、マイカル本牧である。恐らく神奈川県内にある映画館で、交通の便が最悪なのだがこのマイカル本牧である。元々は米軍住宅だったところを再開発して郊外型一大ショッピングセンターを作った訳であるが、公共交通機関は桜木町駅とか根岸駅からバスで20分くらいと言う不便な場所であるため、超ヒット作品でも意外と空いている。ちょっと下火になった映画などはガラガラである。本日はラストサムライやファインディング・ニモと言った、幅広い年齢層を対象にした話題作の公開日であったが、チケット売り場は空いていた。本当に大丈夫なのだろうか。

交通至不便な場所にあるため、横浜都心から割合近い割に、駐車場は1700台分くらいのCapacityがある。ところがこの駐車場が曲者で、確かに駐車場棟はたくさんあるのだが、詰め込み過ぎと言う感じで、一台一台のスペースは多分横浜一狭い。

根岸駅で彼女を拾って、マイカル本牧へ。券は余裕で購入出来た。映画館の前で彼女と生ビール飲みながら時間をつぶし、ほろ酔い気分でいると開場。いよいよ3部作完結編がスタートとなった。

映画の感想を言うと、私の感覚からするとかなり面白かった。感想文は久し振りに映画感想文に書きます。


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近頃の職場の変化 - 2003年12月05日(金)

猫の手も借りたい繁忙期に上司にお願いして、人を入れることになり、新しく人を雇い入れた。図面の描き手であるが、要はCADが出来るという条件ならば贅沢は言え無い状況であったのだが、この入ってきた人と言うのが、若干変わっていると言うか、何となく不思議な人である。

最初に履歴書を見たわけであるが、都内の女子大を卒業した後、恐らく派遣社員であるのか、いくつかの職場で働いている。最初の職場から離れた時点でCADオペレーター養成学校のようなものに通い、それでその後はCAD関係の仕事をずっとしてきたようである。1年間くらい働いていない期間を経て、職安の支援講座みたいなもののWEBデザインコースに通っていたが、長年のCAD仕事で培った能力を使える仕事がちょうどやって来て、それで現在は私の対面に座っている。確かにCADのオペレーションには精通しているものの、彼女がやってきたのはどちらかと言うとプレゼン用の三次元の絵みたいなもので、設計図と言うのを描くのは初めてらしく、色々追加説明が要る。しかし、忙しくて贅沢言っていられない私は、この点で現在は特に文句は無い。

この女性は齢はすでに40を超えているが、どうやら独身のようである。先日歓迎会をやったのだが、何となく誰も結婚について突っ込めず、チーム内で一番直球を投げる私でも「結婚されているんですか」と聞けなかった。だが、話の内容から言って、どうやら結婚していないのは明らかであるようだ。出身は東京じゃないが、別に学校を卒業後故郷に戻ることなく、都内のマンションに一人で住み続けているらしい。酒が結構飲めて、酒が入ると口数も多くなり、「〜〜〜な感じィー」と言う、10年位前にとんねるずの木梨が「ねるとん」などで流行らせた流行語を口に出す。大人しい印象だったので、先輩Sさんも「びっくりしたな」と後で語っていた。

この女性は特に仕事熱心という訳ではなく、積極性もあまり無い。図面を作成する仕事自体は初めてなのだが、やはり若くないためか、新しいことに積極的に取り組んで、早く慣れよう、と言う姿勢が感じられない。仕事が尽きると「他に仕事はありませんか」とも聞いてこなく、ただ席にぼんやり座っているだけである。まあ仕事を与えない方が悪いのかも知れないが、何も与えられなくても何しろ新しい職場で、しかも自分が今まで使ったことも無いツールがたくさんある。だから勉強の一つでも、と言いたいのであるが、やはりバイト感覚で生業と言う意識は当然無いだろうから、再び積極性の無い、生気の無い目で座っている。仕事自体も図面の直しとかで、あまりエキサイティングな仕事じゃないと言う事情も、まあ多々あるだろう。

普通のCADじゃなく、図面を変更する際は3次元CADと言うものを操作しなければならない。これは私しか出来ないから私がやるのだが、大したシステムでもなくCADをいじっている人なら問題なく入れるソフトゆえ、早く覚えて欲しい。しかし、私に教える暇が中々見つからないのと、彼女の積極性の無さで、まるで進歩が無い。私が忙しくて3次元CADをいじれなく、彼女がぼんやりしている時間がしばらく続き、ようやく私がその仕事をして彼女に「いやすいません。早くこれを覚えて貰った方がいちいち僕の仕事を待たずに、鬱陶しい思いをしないで済みますよね。」と言うと、笑いながら「いや、別にいいですよ。」と言う。何か、別にぼんやりしてても良いみたいな風情である。

仕事も終わってないのに残業せずに帰ってしまうとかは無いし、仕事をサボっていると言う訳でもない。仕事が速いというわけでは無いものの、言われた仕事は大過なく済ます。しかし、やはり積極性が無いためか、どうも「出来ればずっとここで仕事して欲しい」と言う風にはならない。何しろ成長があまり無いから、いつも仕事の指示を比較的丁寧にやらなければならないからだ。これは仕事を出す側も疲れてしまう。

部には何人かの女性も働いているが、その女性たちとも雰囲気は一線を画している印象がある。部で働いている女性陣はこの会社で働いているキャリアとして長い人ばかりだから、まあ仕事に対する姿勢もそりゃ違うとは思うのだが…社会人として20年くらい過ごしてきた私の対面にいる女性にしても、労働に対する姿勢は何がしかのモノが無いのだろうか。

と色々書いてきたが、私がこの人を見ていて思ったのは、これで人生行き詰らないのだろうか、ということである。今はまだしも、このパフォーマンスでは今後雇い入れる会社は滅多に現れないと思う。ここだけの話、彼女に依頼するより、外国人でも若い人間の方が私はやりやすいと事実思っている。今はグループ内が全体的に忙しいので、パキスタンから一人よこせなどとお願いできないのだが、できることならそうしたい。苦肉の策で来てくれた人だったが…。

この疑問を最近感じてしまっている。若くも無いのに、この世の中この姿勢でも大丈夫と言うのが、どうも理解に苦しむ。この世の中、実はもっと楽勝なのだろうか。


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世界的に暖冬 - 2003年12月03日(水)

暖冬である。12月とはとても思えないほど、寒さに気合が入っていない。寒くないのは大いに結構なのだが、地球人としてはこの温暖化現象はよろしいとは思えない。

昨年の今頃、最低気温が-20度に達したと言う私のやっているプロジェクトの現場は、今年はまだ-6度とかにしかなっていない。寒いと言えば寒いが、昨年と14度も違うと言うのは異常としか思えない。私が来週出張に向かおうと思っているところも、カザフスタンでは厳寒地域に入ると思われるものの、最近は−10度前後であるらしい。先日は-30度と言う予報であったが、最近は妙に暖かいようだ。

スキーができないと言うことに危機感は無いが、世界中からスキー場が無くなるという現状自体は危ないと言わざるを得ない。

やはり人間が減る以外に根本的な解決策は無いのか?


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