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無理強いはよせ...FDN

 

 

どう考えても許容しがたいだろう - 2003年08月28日(木)

別に私はリークアンユーの信奉者じゃないのだが、今日の宅間守判決に関し、リーの次の発言を思い出した。

「私は、刑罰では犯罪は減らせない、と言う柔軟な考えを主張する人は信じない。」

ただ今回に関しては「極刑でも足りない」と言うのが正直な感想だと思う。

裁判長の、

「遺族を慰めようにも、いかなる言葉も無力だ」

と言う一言が、これを象徴しているだろう。

「恵まれて勉強が出来る将来のある人間でも、俺のような将来の展望も無いしょうもないおっさんに5〜6秒で殺される不条理さを知ってほしかった」

などと、自分の子供を殺した男に言われたどう思うだろうか?極刑でも足りないと思うだろう。


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いつの間にか突破 - 2003年08月25日(月)

いつの間にか、この日記サイトは4000人を突破し、ホームページも3000人の来訪者を突破している。立ち上げから約8ヶ月。まあ、相変わらず大したペースではないな。

本日のニュースは、

厚生労働省は25日、02年の労働者健康状況調査結果をまとめた。仕事で体が疲れると答えた人は過去最高の72.2%に達し、61.5%がストレスがあると答えるなど、心身双方の疲労を訴える人が多かった。

である。

仕事で体が疲れない人っているの?


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HOI-HOI - 2003年08月21日(木)

ちょっとだけ更新。

昨晩、遅い夕飯を取って居間で新聞を読んでいたら、急にふくらはぎがムズ痒くなった。見るとゴキブリが私の足を這い登っている。

大抵の人なら嫌な現象である「ゴキブリが自分の体を這い登っている」と言う現象だが、私にしてもこれは流石に引かざるを得なかった。足を振ってゴキブリを落とすと、ゴキブリは隙間に消えていった。

ゴキブリは夜行性だと思うのだが、夜遅くに一人で飯を食っていると、よく触角をふわふわさせながら私の目の前に出てくる。他の虫と違って醸し出す不快感は抜群だが、人前に出てきて泰然自若としているのがその不快感を倍増させる。すぐに消えろと言う感じだが、奴は私がむしゃむしゃ夕飯を食べている時に、悠々出てくる。実は一度私に向って突進してきたことがあったのだが、これは追い払った。昨日は新聞を読んでいたので、奴が私の足に触れるまでは全く気付かなかった。

こう何度もゴキブリを見るとさすがに嫌になってくるので、今日は激務後の激疲れ状況で、駅前のampmでゴキブリホイホイを買った。本当はホウ酸団子くらい買ってやりたかったが、どうも医薬品扱いなのか、コンビニではゴキブリホイホイが限界のようである。

ゴキブリホイホイなど、ひょっとしたら初めて買ったかも知れない。組み立てるのに8ステップくらいあるのだが、今はゴキブリの足拭きマットだの、何か酒のおつまみセットのような香りがする誘引剤など、色々工夫が施されている。インストラクション通りに組み立てて、ゴキブリホイホイを居間において、いつものように飯を食った。

しばらくしたら、物凄い勢いでゴキブリがゴキブリホイホイに入っていきやがった。おいおい、ギャグにも程があるだろ、と思わず突っ込んでしまった。ゴキブリに。


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現地設計会社とのミーティングとか - 2003年08月06日(水)

二日間に及ぶ結構疲れる業者とのミーティングの翌日の今日は、契約を結んでいる現地の設計会社とミーティングを行った。この会社にはウチが作成した図面や計算書がカザフ国内基準に合ってますよ、と言う承認を貰う機関として働いてもらっていると同時に、ある部分の設計も発注している。本日は我々が出した計算書や図面についたコメントを潰すため、一日を割いてやって来た。と言っても、この会社があるのは我々の事務所から車で10分程度の近所であり、しかも一日もかからず2時間半くらいで終わってしまったが。

彼らは英語を解さないので、今日は通訳をお願いすることになった。通訳は我々の会社で何人か雇っており、客やこのような協力会社と話す際に一緒に来てもらう。通訳は日露通訳、だと良いのだが、さすがにそんな奇特な通訳はいる筈が無く、全員英露通訳である。本日、私の通訳として活躍してくれるのは…名前忘れた。確か私より若干年下くらいの女性である。国籍はカザフだが、人種はロシア人。従って、カザフ語は殆ど話せない。とは言え、私にしてもカザフ語は一単語たりとも全く知らない訳だが。

その設計会社に着いて、暫く待って、設計部隊の部屋に通されたのだが、エンジニアは全員おばちゃんだった。特にその中の一人は典型的なロシア人のおばちゃんと言う感じで、無茶苦茶デカい(横にね)。この素晴らしい女性たちを相手に、通訳を介して2時間半のミーティングを行った。行く前に「通訳通すとイライラするぜ」と言われたのだが、今日の感想としてはミーティングをしている上でストレスは全く感じなかった。理由は、

(1)通訳が優秀で、私が表現を変えて身振り手振り説明する必要無く私の言うことを理解していた
(2)おばちゃんの回答も分かりやすいものだった(これも通訳の技量か)
(3)通訳がロシア語でおばちゃんと話しているとき、私はメモを取るなど余裕あるミーティングが出来た

などが挙げられるが、要は通訳が良かったから、と言うことになるだろう。翻訳が素晴らしいと海外の本も読みやすいと一緒か。

昼後、若干時間が出来たので、今までの報告を机で纏めていたのだが、プロジェクトのOさんが私のところにやって来て「現場調査するの手伝ってくれませんか?」とお願いしてきた。私自身、今日を逃すと恐らく現場を見ることが出来ないと思っていたので、是非行きますと言うわけで、ヘルメットをかぶって安全靴を履いて、Oさんと一緒に現場に向った。

ところで、製油所や化学プラントなどは、外部からの調査などを固く禁じている場合が多い。配管径を見るだけで技術情報が漏れるらしく(私はそこまで分からない)、特に動いているプラントの心臓部があるサイトなどは、製油所の人間が一緒にいないとサイト内に入ることも許可されない。写真を撮るには別途申請が必要など、かなり面倒臭い。

しかし、今日昼飯を食べていた時にAさんが

「ここは全然うるさくねえから、申請なんていらねえよ。入構パス持ってりゃ大丈夫だよ。」

と言っていたので、ああそうなのか、と思っていた。Oさんにしても今まで何度も近くのサイトに入っていて何も言われたことが無かったので、全く気にもしていない様子だった。

まあここまで前振りしておけばオチが分かると言うものかも知れないが、結局これは全然間違いであった。

目的地に到着して既設プラント内の距離などを測っていた。ここに我々は追加で施設を作るのだが、既設プラントの図面などは無いので、実際に調査してどのくらいの長さのところに何が置いてあるのか、などを調べなければならないからだ。私は鉄骨構造物の担当者で、かつ本社から来た調査依頼も構造物関連のことだったので、ここの柱をこうやれば大丈夫でしょう、などと話していた。

そしたら、製油所の職員二人がやって来て、ロシア語で何かを話し続ける。だが、我々は当然ロシア語などは分かる筈も無く、彼らが何を言っているのか分からない。ただ、何となくこの辺にいるのはダメだぞ、と言っているのは分かる。とにかくオフィスへ帰れ、と言う風に言っているようだったので、調査途中で我々は帰る事になった。ただ、帰る寸前でもOさんは「ここだけは調査していいだろ」とか言っていたのだが、そんなこと言っている余裕が無かったのは、後で分かった。

とぼとぼOさんと歩いている時、後ろから無茶苦茶ボロいソ連製と思しき車がクラクションを鳴らし、我々を止めた。中から出てきた職員にまたロシア語で話しかけられたのだが、当然理解できない我々は、どうして良いのか分からないという風情で突っ立っているだけだった。するとその職員は、車に乗れと言って後のドアを開けた。Oさんは「おいおい、何処に連れて行かれるんだよ」と言ったのだが、私はこの時、暑いからオフィスまで送ってやろうと言っている、と言う全く勘違いもいいところの理解の仕方をしていた。これが間違いだったのは、これまた後で分かるのだが。

我々を乗せた護送車のような車は、私の理解をはね付けて我々のオフィスのビルを抜け、門を出て安全対策室のようなものがあるビルに到着した。ここで降ろされて、安全管理の責任者みたいな偉いさんがいる部屋に通され、結果的にここで説教食らうことになった。
要は許可も取らずプラントユニット内に入ったのがそもそもの法律違反で、この違反を犯したものは入門証の取り上げとプラント内への入構禁止と言う措置を食らうことになっている、とか言われた。おいおい、いきなり初出張でいきなりプラントから締め出しかよ、とようやく私は事のダメさ加減に気付き(遅い)、急に不安になってきた。

「君たちは安全講習会に事前に受けて、ユニット内に許可無く立ち入ることが禁止されていると知っていたはずだ」

と威厳に満ちた責任者は言うのだが、実際は安全講習会では読み上げられる文章をボーっと聞いていただけで、内容の理解など殆どせずにいたのである。

「私達は君たちがここで仕事をするということで、カザフスタン共和国何とか条項の抜粋部分をカザフ後・英語・トルコ語(下請けはトルコ業者)で用意したのに云々」

と言われ、全く返す言葉がございません、と言う感じで説教を受け続けた。

「今回に関しては特別に許すが、次回同じ違反をやった場合は入門証を取り上げて、プラント内への立ち入りを禁止する措置をとるので、注意しなさい」

と言われ、ようやく放免となった。

事務所に帰ると、すでに製油所の偉いさんから我々の会社の現場事務所上司にお怒りの電話が入っていたようであった。だが、例えば昼に「大丈夫」を強調したAさんは、

「いやー、悪ィな。俺も昼に大丈夫とか言っちまったからよ。」

と言う感じで、別に我々に説教をかます風情ではない。

「まあ、一応始末書みたいのを書かなきゃいけねえとか言われたからさ、とりあえず目的と何やってたのかだけ書いて俺に渡してくれよ。そしたら俺の方で、『こいつらはけしからんから、今月の5%減給します』とか書いてすいませんでしたって言っとくからよ。」

と言われた(減給は当然ウソだが)。

すると我々のマネージャーのYさんが入ってきて、

「いやー、捕まっちゃった?さっきいきなり電話が入ってよ、『二人が見つかったらしいが、何してんだ』とか言われちまったよ。」

と、これまた言ってきた。

「だってよ、俺たちだってプラント内歩いていたのに、何で今日はダメなんですか、って感じだよな」

とYさんは続ける。するとAさんは、

「まあ、取り敢えず反省文みたいの書いてさ、俺の方から『けしからんから10%減給します』とか適当に書いて出しますわ」

と言う。

いや、さっき5%って言ってたじゃん。


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目的地到着 - 2003年08月02日(土)

朝4時45分に電話が鳴り、オペレーターのお姉さんにおはようございますと言われる。もう朝かよ、と言う感じで起き上がるものの、緯度が高いとは言え夏時間を採用しているカザフの朝は、5時前はまだ真っ暗である。

朝7時半のフライトと言うことで、私とKさんは朝5時半にフロントで待ち合わせと言うことにした。朝飯を部屋で取って、フロントに行くと眠そうなKさんが既に待っていた。すぐに寝てしまった私と異なり、Kさんは本を読んでいて寝たのが3時だったらしい。殆ど寝ていない。

昨日と同じアティラウ国際空港に向って、チェックイン。ここから我々を運んでくれる機材はYAK(ヤコブレフ)42と言う、ソ連製の飛行機である。考えてみるとエアバス・ボーイング以外で私が乗ったことあるのは、国産プロペラ機YSくらいで、このソ連製飛行機は西側にどっぷり浸かって生きて来た日本人の私には初めての世界である。何しろ、飛行機の尻からタラップが降りてきて、尻から乗り込むと言うのがまず珍しい。軍用輸送機のようだ。機内はやはりボロく、椅子が前に倒れているものなどもある。座るときは元に戻すのだろう。

ヤコブレフ42は、そんなに助走がいるのかよ、と言うくらい滑走路の上を走った後、アルマティ国際空港を飛び立った。ここからアティラウまでは所要時間3時間半くらい。国内線だが、アルマティとアティラウの時差は2時間ある。旧ソ連でロシアに次いで広大な面積を持っているのはカザフスタンである。ヤコブレフは飛び立ったちょっと後、気流が悪いにしても揺れ過ぎだろと言う、客が若干引くくらいにアップダウンを繰り返した後、安定飛行に入った。昨晩殆ど寝ていないKさんはとっくに眠りについており、私も眠くなってきて眠ってしまった。

という訳で、道中殆ど寝続けた我々は、無事にアティラウに到着。アティラウは国際空港だが、規模は当然アルマティより更に小さい。ターミナルは地方駅のようである。カザフスタン国内にはターンテーブルと言うベルトコンベアのような荷物吐き出し施設があるのはアルマティだけで、ここアティラウや他の都市の空港は、トラックが持ってきた荷物の山積みの中から自分で荷物を探し出して持っていくことになる。原始的だが、実際はこっちの方が早く荷物を取れる。

我々二人に対しては既に迎えが来ており、まずは投宿先のホテルに向かい、チェックイン。チェックイン後は荷物を置いて若干ゆっくりした後、早速オフィスに向う。オフィスはホテルから10分くらいのところにある、客の敷地内だ。客と言うのはカザフ国営石油・ガス会社の経営するアティラウ製油所である。昨日入国の際、税関のおばちゃんにアティラウに行くといったところ「オイル、オイル」と言われたように、ここアティラウは勃興する石油大国カザフを象徴する、石油の街として有名なところである。

事務所に入ると、既に赴任を開始している懐かしい(といっても数ヶ月単位だが)人々と挨拶を交わす。まだスタッフの数はそれ程多くないので、だだっ広い一室に通されて、空いている机をあてがわれる。ここが私の今回の出張における職場になるわけである。一通り挨拶を済ませて、今回の出張の主目的である下請けとなるトルコ人業者にも挨拶をする。今日は土曜だからミーティングも短めにしようと言うことになった。

業者の担当者は2時にならないと来ないと言う(現場のどこかにいるらしい)。その時点ではまだ11時だったので、インターネットの設定をして、その後ミーティングの準備をする。昼食はホテルで出す(何と3食出る)ので、一旦みんなでホテルに戻って、また事務所に戻る。車で10分くらいのレストランに行くような感覚だろうか。

2時になってミーティングを開始するが、軽いミーティングと思っていたのに2時間くらいやってしまい、詳細は来週月曜にやろうと言うことになった。しかし彼らはやる気満々で「明日(日曜)でも大丈夫だし、24時間受け付けますよ」等と言ってくる。勘弁しろ。それに、このミーティングで私も改めて進行方法を練り直さねばならなくなった。やはり準備が若干足りなかったと言うか、現状が良く分かっていなかった。日曜は月曜以降のための準備のやり直しである。

ミーティングを終えて報告などを書く。今回はミーティングにボイスレコーダーを使用したので、それを聞きながら報告をまとめるが、何か私の喋りが入っていて、相手の言っていることが良く分からない。もっと相手側に置くべきだった。失敗した。

夕方、今日は土曜だからと言うのでみんな引き揚げることにして、ホテルに戻った。私はKさんと近くのバザールへ行き、市を冷やかした後でビールと水を買った。ビールは500mlのもの3本で、水は1.5函これで合計360テンゲだから、日本円で300円くらいか。安い。
ホテルに戻って中庭でビールかっ食らって、飯食って部屋に戻ったらそのまま眠ってしまった。みんなはホテルのバーに行ったらしいが、行きそびれた。しまった。


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初カザフスタン - 2003年08月01日(金)

どうも準備が足りないように思えた今回の出張も、取り敢えず出発の日を迎えた。成田へは横浜から成田急行に向う。ソウル経由でカザフに行くことになるのだが、ソウル便は午後1時前出発なので、いつもはかなり早い電車で行くのだが、今日は9時半横浜発と言う、毎日の出勤と殆ど変わらない時間に横浜に向う。

今回の出張は2週間の予定の割に荷物があまり多くなく、従って空港までの荷物配送サービスも頼まなかった。あざみ野駅まで父親が送ってやろうと言うので車に乗ったが、途中で横浜駅まで行ってやるということになった。これは若干失敗で、金曜の横浜方面は結構混んでおり、結局間に合ったもののギリギリだった。間違いは混んでいたことも挙げられるが、首都高はウチの方から行くと横浜駅の出口は無く、みなとみらい出口と東神奈川出口にしか出られない。取り敢えず東神奈川から出たものの、横浜駅周辺は道路計画が複雑で、行きたいところに中々アクセスできない。慣れていない奴は電車で来いと言わんばかりの感じである。荷物は多くなかったものの、結局横浜駅東口で降りてからは、結構全速力で横浜駅を走らねばならなかった(しかも成田急行は西口側に止まりやがる)。

ホームに辿り着いてさらに前へ急ぎ、私の乗る車両の止まるところまでこれまた若干急いでいくのだが、ここで思いがけない再会(?)があり、急いていた気も晴れる。

という訳で、電車は成田へ向う。車内で今回の道中を共にするKさんと合流し、成田へ向う。Kさんは私より2年先輩の別の部のエンジニアだが、今回でカザフ出張は「う〜ん、6回目くらいかなあ」と言う感じで、この人にはこれ以降世話になり、結果的に現場のある街までスムーズに到着することが出来た。

夏休み、金曜日、ソウル便と言う悪条件が重なりまくった今回のホリデー気分満載のお気楽フライトだが、満員と言うことも無く、また数年ぶり(5年ぶり位)となる成田空港第一ターミナルも結構空いていた。昨年の盆シーズンくらいにアルメニアに行ったときは出国審査で45分くらいかかったが、今回はそんなことは無く、夏休みでも5分くらいで出られた。

改装された第一ターミナルは綺麗で、搭乗口の近くの喫茶店で中生二杯(Kさんの奢り)空けて、いざ搭乗。大韓航空だったからかは分からないが、殆ど韓国人。てゆうか、学生時代に比べたら韓国人の海外旅行人口は世界的にも爆発的に増えたから、これは当然か。今でもそうだろうが、アメリカ発のユナイテッド航空ですら、乗客が殆ど日本人と言う状況だったから、大韓なら当然だろう。

昨晩は遅かったため、機内食を食べてビール一杯飲んだら睡魔が襲ってきて、ソウルに着くまで眠る。エコノミーだが、機材はボーイング777ゆえ、結構快適。

2時間半でソウル着。正確にはソウルの外港である仁川市に出来た新空港で、改装された成田空港第一ターミナル同様、ここも初めてである(ソウル自体は4回目か)。ここでエアーカザフスタンに乗り換える訳だが、まあクアラルンプール同様、アジアの首都に出来る新空港はハブ空港化を狙っており、計算外と思えるほどバカデカい。ターミナルビルは楕円形になっており、そこからウイングが沢山出ている構成になっているようだが、その楕円形の一周がかなり長いらしく、逆を行くと結構歩くことになる。ここでもKさんは慣れており、人の波と逆を行き、全く人がいない(でか過ぎるから)コンコースを歩いて、エアーカザフの乗り換えカウンターに辿り着いた。ここからはビジネスクラスになるので、チケットを受け取ってラウンジに行き、一杯飲む。

エアーカザフスタンの機材はエアバス310で、ビジネスクラスのシートも中々良い(若干古いが)。ここからカザフスタンの旧首都であるアルマティへ向うわけだが、ここは時間がかかって所要は約6時間。成田からバンコクに行くような時間差である。

せっかくのビジネスだったが、ここでも機内食を食べたら睡魔が襲ってきて、椅子を倒してレッグレストも伸ばして寝てしまう。途中、ちょっと目を覚まして窓外を見たりするが、また眠ってしまう。

アルマティには現地時間9時に到着。日本との時差は-2時間。この日はここで一泊し、明朝の飛行機でいよいよ現場のあるアティラウへ入ることになる。

アルマティ国際空港は、日本で言うところの地方の若干大きめの駅(空港ではない)と言う感じで、途上国ではありがちな小空港だ。止まっている飛行機も殆ど地元の航空会社の飛行機で、見覚えのある飛行機は辛うじてアエロフロートくらいである。世界にはまだまだ俺の知らない土地があるもんだと、私の来訪国通算20カ国目となるカザフスタンに降り立った時、若干の感慨を感じた。

入国審査は結構時間がかかるものの、特に言葉を発することも無く通過。荷物を取って、通関のようなものをするが、そこでは所持金を書いた書類を提出しなければならない。実は所持金の中にカザフテンゲ(テンゲと言うのが通過だ)も持っていたのだが、これは前に出張で行ったHさんの余りで、日本で両替してもらってきたのである。ただ、カザフテンゲは持ち出し禁止の通貨で、従ってここで正直に申告すると没収される。だから、紙には米ドルと日本円だけを書いて提出した。相手はおばちゃんだったが、英語を殆ど解さない。こりゃ困ったと思っていると、何とKさんが片言のロシア語で乗り切るじゃないか。素晴らしい。Kさんがいなければ立ち往生もいい所だっただろう。やはりKさんと一緒でよかった。

アルマティは人口120万人(位か)のカザフスタン第一の都市で、ちょっと前まで首都だった。現在はカザフスタンの若干北部にあるアスタナと言うところに遷都がなされて、政府機関などはアスタナに移っている。ただし、旧首都は経済の中心であり続けることはどこも同じで、アルマティは今でも国内で最も賑やかな都市である。とは言え、もう夜だしホテルは郊外にあるしで、アルマティの雰囲気は全く窺い知れない。

既に11時前ゆえ、私とKさんはそれぞれの部屋に入って休むことにした。部屋に入ってシャワーを浴びて、ミニバーのカザフビールを飲んで、就寝。飛行機の中で寝てばかりいたものの、やはり疲れがあったためか、すぐに眠りに落ちた。


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