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無理強いはよせ...FDN

 

 

預言者降臨してくれ 頼むから - 2003年03月30日(日)

先日、リビアに赴任している同期が休暇のため帰国したため、久し振りに同期の連中で一緒に飲んだ。結局帰れなくなって、その日はその同期の家に泊まった。同期のかみさんに会うのも久し振りだった。

翌朝、同期と同期のかみさんと私の3人でニュースを見ていたのだが、ニュースはブッシュの「48時間以内にフセインは亡命せよ」のリミットがあと2時間に迫っていたこともあり、当然の如くイラク情勢ばかりを流していた。同期は、

「海外にいると、戦争って身近に感じるよな」

と言っていたが、何しろ彼が赴任しているのはリビアなだけに、それは余計に感じることであっただろう。

戦争を生まれて始めて身近に感じたのは、2001年9月11日のあの事件の時だった。正にその瞬間パキスタンにいた私は、そうは言っても戦火の中に身をおいていたわけではなく、アフガニスタン国境から遠く離れた場所にいて、しかも翌日帰国命令を受けて日本へ帰った。今振り返ると帰国したがらなかった自分がいたものの、やはり残ったとしても不安はあった筈である。

もしあの時、アルカイダがパキスタンにいて、パキスタン政府がオサマ・ビン・ラディン引渡しを拒否し、米国との対決姿勢を鮮明にしていたら、果たしてどんなことになっていただろうか。

私の友人は、パキスタン人であると言う、ただそれだけの理由で殺されたかも知れない。殺され方は千差万別であろうが、リンチによって殺されるか、見つかった途端に眉間に銃弾が打ち込まれるか、それは分からない。私の友人の妻は、かなりの確率で暴行を受けるだろう。既に横には生温かい血を頭から噴出した私の友人の死体が転がっていて、その横でなす術もなく夫の血にまみれながらレイプされるのである。殆ど狂ってしまうそんな状況の中で、最後は夫のように、蟻のように殺されるのである。

とか書いてきたが、実はこのようなことを考えるようになったのは、帰国後間もなくであり、帰国前はそんなことは考えていなかった。何しろパキスタンは平静で、何故帰国命令が下ったか理解できないほどの状況だったからである。心配していたのは過激化した人々が外国人を襲う程度のことで、しかもこれとて街の雰囲気を考えたら、自ら警戒して街を出歩く真似をしなければ問題ないという感じであった。

あの頃、戦争間近で狂乱していたのは、私よりむしろ私の家族であり、私の会社であった。その理由は簡単で、帰国してニュースを見れば一目瞭然。アフガニスタンとその周辺国が地獄になると、かなり過熱気味に報道がなされていたからである。この加熱度合いは、アフガニスタンおよびその国境付近以外がかなりの水準で平静を保っていることを知っているはずの私にも影響を及ぼし、それが上記「友人は殺され、友人の妻はレイプの末殺される」と言うイメージにまで持たせるまでになったと思う。

そうは言っても、大抵の日本人にとって、イラク人が虫けらのように殺されるのは大した問題では無いだろう。何しろイラク人に友達がいない私にしても、いても立ってもいられないと言う訳ではない。ただ、イラクでは「無二の親友のアッバスが、この前のミサイル攻撃に巻き込まれて死んだ」とか、「好きだったニシャットが、国境を越えてきたクルド人に輪姦されて、最後は生きたまま谷に投げ捨てられた」と言うことが起きていると考えると、その親友や彼女の連れ合いだった自分は、果たしてどんな精神状態に陥るだろうか。恐らく、アメリカ人を見るや否や、自分の持つ全ての武器になるものを持って、彼らを殺しにかかるかも知れない。

世界と言う世界が狭くなった現在、遠くのことが関係あるんだか無いんだか、多分無いんだけど無関係とは思えないことが増えつつある。考えれば考えるほど胸糞悪くなってくるこの状況下、最後の疑問はやはりこれだ。

戦争って昔からあるけど、人間にとってどうしても必要不可欠なものなのか?誰か教えてくれ。出来ればもう止めて欲しいんですけど。特に中東はさ、OAPECとかOPECとかアラブ連合とか生ぬるいこと言わないで、カリフ立てて西はモロッコ東はパキスタンに至るまでイスラム大帝国を復活させて、米国とのパワーバランスを取るようにして欲しいんですけど。

ムハンマドの復活が望まれるところよ。


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更新停止のお知らせ - 2003年03月18日(火)

突然インターネットの出来ない世界に異動になったため、暫く更新停止します。全く申し訳無いのですが、暫くお待ち下さい。


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ネタ合わせ - 2003年03月16日(日)

今日は白石の家に行った。用事は今週土曜に控えた白石結婚式における、コントの最終ネタ合わせ。

まあ一言で言うと、部屋の中で二人で台本(白石が台本を作った)見ながら読み合わせするのは、中々恥ずかしいです。いや、見てる人がいないのにもかかわらずです。これでビデオ回ってたら、クソしているところ撮られるのと同レベルの恥ずかしさと言う感じでしょうか。


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後ろ向きの中にも光明あり(子会社黒字化) - 2003年03月15日(土)

本日は白石の結婚式2次会打ち合わせで、昼に大崎に行った。で、夕方4時くらいに打ち合わせを終え、横浜に向った。まあ横浜に向ったのは他でもなく、出社するからなんですけど、恥ずかしいからみんなには言わず、幹事頭の梅香だけにボソッと「横浜行くんだよ」とあたかも約束があるかの如く言って、挨拶も適当に、そそくさと湘南新宿ラインのホームに向った。

電車に揺られている時、やるせなさの様なものに襲われて、何か体全体グッタリした感じになってしまった。仕事はかなりの部分任されて、私なりに一生懸命やっていて、遣り甲斐も感じているのだが、何か友達と会った後に仕事に向うのって、やっぱり俺ってあんまり面白くない人間なのだろうか、とか思って。

会社に着くと、何人かが休日出勤していた。その中には後輩Hも含まれている。彼は会社の野球部に入っているが、「今日は雨だったんで練習休みです」とのことである。その他、最近受注したオマーンのプロジェクトの大将や、その下の先輩エンジニアも出社していた。

机について、パソコンの電源を入れて、昨夜やり残したままの仕事を開始する。昨夜やり残した仕事はパキスタン子会社の提出してきた図面のチェックで、昨夜は計算のチェックでベルリッツに向ってしまったのである。月曜から彼らが仕事を開始するには、月曜の昼までにこれを彼らに送り返さなければならない。

上モノと言う、地面から上の構造物設計を担当している私には、私の直下に15〜16名ほどのパキスタン人スタッフを抱えていることになる。彼らには計算や図面作成の指示を投げるほか、彼らの作った計算書や図面をチェックして、それを客や鉄骨工場、それから工事業者に提出する。3年目の今年、私は構造物設計と言うカテゴリーにおけるカテゴリーチーフを任されており、ハッキリ言って悪戦苦闘している。何しろ、指示を出すモノやその結果上がってきたものに対し、パキ人スタッフは月に2500時間程度の時間を費やしているのである。その成果物たるモノを面倒見るのは、かなり大変である。

と言い訳をズラズラ書いて、土曜出勤は仕方ないと言う風に持って行こうとしている時点で既に消極的な自分に、今日は妙に嫌気がさした。横で違う自分が話しかけるんですよ。「結局能力無いだけなんじゃないの?」と。

ああ。

毎日パキスタンの仲間達と悪戦苦闘している訳であるが、そんな後ろ向きな私を救うニュースが、実は昨日知らされた。

パキ子会社昨年度決算黒字化!

パキ子会社が設立されたのは、私が入社した2000年である。それ以来、この会社はずっと赤字が続いていた。だが、創立3年で50万ドルの黒字を出すことが出来たらしい。50万ドルって6000万円くらいなんで、こんなもんで喜んでいる私は低レベルなのかも知れないが(ああ、嬉しい中にも後ろ向きな自分がいる)、この調子で黒字を出して、どんどんボーナス上げていこうぜ。俺のボーナスは増えねえけど、仲間のボーナスが増えるのは嬉しいぜ。


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ホワイトデー - 2003年03月14日(金)

今日はホワイトデーであるが、会社で貰った義理チョコのお返しを忘れてしまった。貰った方々に「すいません、アメ買ってないんですよ。」と言うと、アメなどいいからビールを奢れと言われた。

しかし、本日はベルリッツと言うこともあり、焼肉屋に繰り出した部の人々を横目に、私は横浜西口のベルリッツに向ったわけである。

まあベルリッツも今日で終わりだけどな。まあ通した感想としては、動機付けにはなったかなと言う感じである。


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大統領大変です、いつの間にかフセインの髭がダリの髭のようになっています - 2003年03月13日(木)

再来週の日曜に、大学時代のサークル同期の結婚式があるのだが、週末はこれの打ち合わせとかが土日両日入ったりして、幹事は大変である。って、私も司会やったりするんで幹事の一人なんだけど、先週は土曜は小林の四十九日、日曜は会社の人とスキーに行ったんで、まあ幹事のくせに会合には出ていない。因みにスキーは男4人、女3人で行ったのだが、全組カップルで、余り1は私である。悪かったよ、どうせ邪魔者で。

今週末は両日とも幹事会合があるのだが、司会をやる私は進行の工程表を把握しておく必要がある。既に幹事頭が流れをエクセルで作っているのだが、そこで気付く点があった。

私と、さらに同じく司会をやる津沢(旧姓高橋)のセリフを、作成者である幹事頭が書いているのである。メールには(分かっているとは思いますがセリフを丸暗記する必要はありません)と書いてある。

いや、丸暗記どころか、普通ここまで事前に考えねえだろ。てゆうか、こんなの事前に考えてもらう必要のあるアドリブ利かん奴は、司会なんて出来ねえだろ。

とは言え、ここまで書いてもらうと流れと要点は良く分かる。工程表はここまでやりゃ間違いはねえな。


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春の映画特集 - 2003年03月11日(火)

昼飯食った後に文房具屋で修正液を買ったのだが、その時なんとなく「ぴあ」も購入した。

今週号のぴあの特集は「あなたにぴったりのGW映画大特集!!」と言う気の早いものであるのだが、その中で「これは」と言うものをここで紹介したいと思う。と言っても、GW中に公開の映画だけではない。

1. ばかのハコ船

山下敦弘監督・山本浩司主演の本作はGW中に公開予定。この二人のコンビは山下監督の前作「どんてん生活」以来である。どんてん生活に関しては感想文を参照されたし。

前作において、人生のけだるさを見事に表現しきった(?)山下監督であるが、今回も前回の主演山本浩司を起用して、メガホンを取ったようである。

ぴあの紹介文を見てみる。

「東京で夢破れ、故郷で怪しげな健康飲料を販売しようとするカップルの悲哀を見つめたフシギな感動作。」

山下作品におけるキーワードが二つ挙げられている。因みに「感動作」がキーワードになるかは分からない。となると、もうこれら「二つ」が何なのかは容易に想像できるだろう。ズバリ、「怪しげ」と「悲哀」である。そうか、前作どんてん生活も、怪しげな悲哀を表していたのだろうか。

紹介文は続く。

「ダメな人間のダメな部分から目をそらさず、真っ直ぐに見つめたのは新鋭、山下敦弘監督」

そう、ダメな部分から全く目をそらさない、いや、直視もいいところと言うほどクローズアップする。

GWはこれで決まった。って、これ以外無いのかよ。

テアトル新宿にて公開予定。

2. 旧ソ連産 奇想天外!! 空想科学映画集

特集映画のコーナーにあった旧ソ連のSF映画4作品を、今週土曜に池袋の新文芸坐にてオールナイト上映するらしい。オールナイトは調布のパルコ調布キネマで邦画4連発観て以来やったこと無いが、今週土曜か...うーん、土日は白石の結婚式打ち合わせとかあるんだよなぁ。

3. その他気になる映画

(1) 女はバス停で服を着替えた
戸田菜穂主演。必ずしも私のセンスと合った選択をする訳ではないが、何故か観に行ってしまう渋谷のミニシアター「ユーロスペース」にて公開。面白いかどうかは微妙だな。

(2) 全日本プロレス劇場
スクリーンで見るプロレスは一体どんな感じだろうか?スクリーン上で武藤と川田が激突する様は、観てみたいと言う感じが起きないでもない。下北沢で上映中。

(3) D.I.
4月中旬頃公開予定のフランス映画か?イスラエルのナザレ(イエスの故郷だな)に滞在することになった主人公だが、恋人はパレスチナ解放機構統治下の土地に住むため、イスラエルには入って来れない。という訳で、彼ら二人は検問所の駐車場でデートをすることになるとか書いてある。うーん、これも上映館はユーロスペースか。結局俺ってユーロスペースで上映している映画見る回数が一番多いんじゃないの?別にユーロスペースのセンスは私に合っているとは思わないんだけど。

(4) 中野武蔵野ホール
私の心をガッチリ掴む映画を上映する映画館世界一である、中野武蔵野ホール。かつて「ボスニア」と言う大作を私に放って以来、この映画館で上映される映画を見てハズレと思ったことは無い。とは言っても、やっている全てがそういうわけでもない。この映画館は定期的に「任侠モノ」や「ロマンポルノモノ」を特集したりするので、こう言うのは観に行こうとは思わないな。で、今は任侠モノオンパレードですわ。うーん、ちょっと足が向かないな。

という訳で、たまには久しく観ていない映画でもどうですかね。


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今日思ったこと - 2003年03月08日(土)

今日は小林の四十九日だった。いつものように詳細などは書かず、今日思ったことを書いてみようと思う。

四十九日は死者が家から完全に出る節目であるらしい。今日を境に、小林は我々のもとから遠いところに行くことになる。だが、私にはそうは思えなかった。

遺骨を埋葬して、読経が続く中参列者全員が焼香を上げる中、私は新しい墓石を眺めながら、何となく小林が永遠の命を得たような気がしていた。永遠と言うのは大袈裟かも知れないが、彼は今日参列した人の全ての中に、生き続けると思えてならなかった。つまり、俺にとって小林が本当に死ぬのは、俺が死んで俺の意識もこの世から消える時じゃないのかな、と思ったのである。それまで、小林は私の心の中に生き続けるだろうし、今日来てた一番の親友の原田の心にも生き続けるし、ご家族や親戚、それから他の友人達の中でも生き続けるだろう。私達一人一人の中の小林が本当に亡くなるのは、私達一人一人が死んだ時である。

何だかキリスト教のような考え方ではあるが、今後も小林と生き続けたいならば、我々は出来るだけ長く生きる必要がある。

別に気休めでこんなこと言っているつもりは無い。俺は本当に今日そう思ったんだ。


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キツい最近 - 2003年03月07日(金)

リクルーターで学校訪問することから始まった今週だが、もうスッゲエ疲れた。今日のベルリッツはだるくてだるくてしょうがなかったし。実はパキ子会社に出向になる上司から車を預かる(と言うより、将来的には購入って感じ)ため、完全ペーパードライバーの私も運転の練習をしなきゃと考えているのだが、帰宅後ダルくて練習断念。もうアクセルを踏むのもダルい。

実はカザフスタン赴任のスタートが遅れることになったので、花婿修行の一環として英会話教室くらい続けてもいいかとも思うのだが、実質的に無理ですわ。金曜の夜なんてプロジェクト忙しくなってきたら、疲れ果てて習い事やる気力なんて残ってないのよね。もう俺を飲みに行かせてくれよ、みたいな。って始めたのはお前の勝手だろと(とは言え次回でレッスン最終回)。

明日は小林の四十九日。今日高島屋から受け取ったフォーマルスーツにいきなり袖を通す。島君、俺のフォーマルスーツ姿の写真なら送るが如何か。


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二日酔いにはくど過ぎる - 2003年03月06日(木)

一昨日は就職活動で会社の説明会に来た学生を囲んで飲み、昨日は隣のチームと飲んだが、お陰で今朝は結構二日酔いで、昼もあまり食欲が無いような状況になりそうだった。

実は昨日、後輩Yが「明日は(とんかつ)和幸にしませんか?」と提案していたため、今日はとんかつにしようと考えていた。Yとはいつも社員食堂で飯を食っていたのだが、社員食堂の不味さとバラエティの無さに限界を感じていた私達は、気分を変えて外に食いに行こうと考えていたのである。

だが、二日酔いによって胃は嫌な感じで、午前中は「おい、昨日とんかつって言ったけどさ、やめにしない?」と後輩に打診したほどである。

しかし、昼になると何故か食欲が昂進してきて、やっぱり和幸に行くことに決定した。しかも頼んだのは「ひれ・ロースご飯」と言う、恐らく最も重いもので、それを隣でモリモリ食っていると、「全然気分悪いように見えませんよ。」と後輩に言われる。

かなり腹いっぱいになり(キャベツのおかわりもした)、外へ出たのだが、やはり二日酔いは去っていないようで、胃がもたれてきた。

午後3時くらいまで気分が悪い。腹を押さえてボッとしていたりする。

夜、後輩Yが「じゃあ行きましょうか」と私を誘う。この時間に間食をすることがあるのだが、今日もYに誘われてコンビニに行くことにした。うーん、疲れているから甘いものでも久し振りに食うかと思って、プリンの上に生クリームが載って、さらにその上にマロンクリームが山モンブランに載っている、「モンブランプリン」と言うのを買ってみる。飲み物は「特濃牛乳」。

さすがにクドい。途中で気持ち悪くなってくる。これで牛乳がぬるかったら最悪だった。

という、どうでもいい日記。


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学校訪問 - 2003年03月03日(月)

本日はリクルーターとして、3ヶ月ぶりくらいに早稲田に行ってきた。と言っても、私の学部は早稲田じゃなくて大久保にあるんだが。早稲田大学大久保キャンパスと言う名前だし(一般的には「理工」だが)。

リクルーターは2年連続だが、いきなり就職担当の先生との交信でつまずいた。最初は学科の会議室で説明会を行おうと考えていたのだが、私から先生への伝達が全く行っていなかったも同然で、先生は「聞いていない。そんなことを勝手にやってもらっては困る。」と爆怒。手伝ってくれていた学生は怒鳴り飛ばされたらしい。何故学生に...?私はお詫びの電話を入れたのだが(平謝り)、その時は冷たいながらも結構穏やかだったような気がするのだが。とにかく、学生に迷惑をかけてしまった。

という訳で、本日一番の難関は就職担当の先生と話すと言うことで、これが確かに最も難儀だった。のだが、取り敢えず本件はこれ以上書かない。会って頂いただけでもありがたいと言うのが本心である。

新大久保に着いた。まあ、昨年暮れにOB会で来たので、ハッキリ言って全然懐かしく感じない。昼飯を駅前のロッテリアで食べたのだが、ロッテリアの従業員が殆ど日本人じゃないのは驚いた。昔からコリアナイズされている街ではあったものの、現在はさらにコリア化が進んだようだ。道行く人も韓国語が多い。

大学について、私の所属した研究室にまず顔を出す。恩師は研究室にいて、まあ3ヶ月ぶりであんまり久しくないものの、先生と話す。先生は相変わらず優しかった。研究には厳しかったけど。

その後、就職担当の先生と15分くらい話して、一旦研究室を辞し、それから学生ラウンジに出向いた。ちょっと説明の準備をしようと思って。

学生ラウンジはそれこそ数年ぶりである。昔はこの学生ラウンジ、かなり新しかったのだが、今は薄汚れている。椅子のカバーも破れて、中のスポンジが見えるほどだ。春休みだが理工らしく、勉強している学生もいる。課題でもやってんのかな。

椅子に座って話すことをまとめて、ラウンジを見上げると、何か小さくなったような感じがする。昔見た景色を再度見ると、小さくなったように思うことあるよな、などと考える。

2時に理工向いのレストランに学生を集めていたので、レストランに向う。既に何人かの学生は来ており、研究室の後輩に手配しておいて貰った席につく。今日来た学生は9人だった。

まあ、構成としては何やっている会社かを説明して(何しろマイナーな会社だし)、その後はじゃあエンジニアは何するのと言う話をして、適宜質疑応答と言う形を取った。まあ私が引き伸ばしたと言うのもあるが、そのレストランには2時間くらいいたんだろうか。

その後はもう少し突っ込んだ話をしたい学生向けに場所を移し、かるく酒を入れながら話をした。理工学部といえど色々な学生がおり(今日は私と違う学科の学生にも声をかけた)、その中にはいろんな考え方を持った学生もいたので、話題が一つに集中することは最初は無かった。ただその内私が喋り倒すと言う事態になり、それでしかもまとめの段階に入って、結局そこにまた2時間くらいいたんだろうか、まあそれで解散と言うことになった。

就職活動か。そりゃ今から考えればそれ程大変なもんじゃなかったのかもしれないが、学生にとっては中々大変なもんなんだろうな。

と言うのを感じた。若干だけど。


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礼服その他 - 2003年03月02日(日)

今日は礼服を買った。実は今まで持っていなかったのである。だが、今度の土曜の小林四十九日に合わせて、思い切って買うことにした。

場所は紳士服のアオキではなく、横浜の高島屋。ベルリッツのレッスン後に寄っただけであるが、高島屋で適当に買おうとしたのは間違いだったか...普段着ているスーツ3着買える値段。

勢い余って靴も買った。と言ってもフォーマルな靴じゃなくて、普段靴。7年履いた今の普段靴とも、もうお別れである。


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