蹴文修記

2006年07月25日(火) 谷口、U21代表候補!

うち(川崎)からU21代表候補に谷口が選ばれました!

川崎には代表がいないといわれてますが、 その通り、
年代の枠を外しても、茂原(苦笑)、箕輪(笑)、以来の選出。

まだ候補なんだけどね。。。
代表のボランチ。このポジションは激戦なので。

谷口は、マリノスユースからトップに上がれず、
うちに来た選手です。すごい宝物を掘り当てた感じ。
まだまだ伸びしろが感じられる選手。

ナビスコでもニューヒーロー賞候補。
身体は強くなったし、点も取れます。。。
あ、憲剛に取らせてもらってる。

うちの子をよろしくお願いします。。。って感じがする。
自分が歳を取ったのかな?変な感じ。
もう、入りたての頃から見てる選手が増えたから、
親心みたいなのが芽生えてくるんだろうか。



2006年07月23日(日) 帰国して、はや10日

まだまだワールドカップボケは続いておりまして、
仕事にも後片付けにもいまいち気合いが入りません。

早くしないと消えちゃうかもしれないので、
期間中に連載(毎日するはずだった)ブログの記事を
ここにまとめて転載しておきました。
写真まで移す気力はなかったけれど。。。

ずっと継続して書けていたらなぁ。
もっとたくさんいい出来事あったのに。

悪いことはほんの少し。
いや、カメラ盗まれたり(苦笑)したのは大事だけど、
ケガも大きな病気もせずに1カ月過ごすことができた。
カメラ盗られた場面を思い返せば、よくバッグ自体を
ひったくられたり、切り付けられたりしなかったな、と。
そしたら旅を断念せざるを得なくなったろうし。

あ、長年愛用のタバコ入れも盗られた。。。っつうか、
これは自分が置き忘れてきたのが悪いんだけどね。


混みこみの電車も、駅員混乱のシュツットガルトも、
遅れに遅れるドイツ鉄道も、いまとなってはいい思い出。

いい旅だった。
決断してよかった。
無謀な行動をしたツケは、これから回ってくるんだろうが。
来月の家賃、どうやって払おうか、とかね(苦笑)

帰りに香港に寄って、成田に着いたのが14日。
そこで一泊して直接オールスター観戦に。
1日休んでフットサルして、2日仕事して2日休み。
土曜日には等々力で悔しい思いをし、今日はまたもや
フットサルして遊ぶ。

忙しいのやら、暇なのやら。
仕事は2日しかしてないぞ……、やばい。
W杯ブログで賞金稼ぎに失敗したから、
しっかり働かないとな。

なんか単発仕事入れなきゃ。
書き物ねぇかなぁ。



2006年07月13日(木) サッカーで話そう、その28

「一番楽しかった日は?」

あれ?もうW杯祭りは終わっちゃいました?
では、最後にご挨拶を兼ねてひとつ記事をアップします。

**

W杯期間中ステイさせてもらった家は、フランクフルト近郊にある
Holzheimという小さな町にありました。
最寄の駅まで、想定していたよりも時間がかかるので心配したのですが、
毎朝毎晩、ホストファミリーのレネとエディータが車で送り迎えしてくれたので、
すごく助かりました。

この町を去る前日、帰り支度を急ぐ僕にレネが聞いた。
「1カ月のW杯の中で、どの日が一番楽しかった?」
「ん〜、ドイツに着いた日かな、開幕戦の日」
「なぜ?」
「あなたたちの歓迎がうれしかったし、
 開幕戦を観るときに面白い体験ができたから」



僕がドイツに着いて家まで送ってもらい、部屋に入ったとたん、
眼に飛び込んできたもの。
ベッドの横に、「よくいらっしゃいました」
と大きく書かれていたんですよ!

ネットで見つけた今回のステイ先。
英語も不確かで、少なからず不安もあったけれど、これを見て安心。
きっとこの1カ月は楽しいに違いない、と確信した日でした。

その日の午後、開幕戦を友達と一緒に観ようと連れ出してくれた。
屋外でBBQをし、ビールを飲みながらドイツを応援するという。
そりゃ楽しそうだと車を走らせる。。。着いた、しかし何やら慌ててる。
どうした?当然ドイツ語なのでさっぱりわからない。

慌てて再度車に乗り込む。まだ訳わからない。
落ち着いたころに聞いた。すると。。。

「停電」

はぁ?開幕戦の日に停電?ドイツの試合が観られない?
思えば、着いた町にはひと気がなく、ひっそりとしていた。

「どうするの?」
「隣町の友達の家まで行く」

みんなで車を走らせること数分、橋を渡り隣の町へ。
どうやらここでは問題ないようだ。
でもいきなり訪ねてこられた友達はどう思っただろう?
十数人が一気に部屋にやってきてテレビを観て、ビールを飲み、
ドイツ代表に声援を送っている。

ハーフタイム。
みんな慌てて部屋を出る。停電が直ったらしい。
また車をぶっ飛ばし、もとの家へ。なぜかBBQの準備万端。



庭にこんな立派なBBQ用の窯があるんですよ!炭火です。
そりゃここで焼くソーセージの美味いこと!
またビールを飲み、楽しい夜は更けていきました。
(9時半くらいまで明るいんですけどね)

**

W杯祭り、参加させていただきありがとうございました。
予定していた現地情報の提供はできませんでした、すみません。
海外での情報更新は初めての体験だったので、かなり難しかったです。
これも経験ですね。「次」があるかどうかわかりませんが、
今度こそは、生きた情報をお届けできればと思います。

サッカー選手と同じですね。
海外での経験が多い選手は、遠征先での生活も楽でしょうし、
実力を発揮しやすいのでしょう。
今回の人気投票上位は、いずれも経験豊富な方とお見受けします。

僕も、今回の日本代表も、経験不足がネックでした。。。
海外で勝負するには、もっと経験が必要です。

最後に、僕のサイトを見てくださった方、ありがとうございました。
少しでも、W杯とサッカー、出会った人々の魅力が伝わっていればいいな、と思います。
またどこかでお会いしましょう!

ちなみに、帰国後自宅には帰らずに、カシマのオールスターに出向きます。
バカだなぁ。。。




2006年07月10日(月) サッカーで話そう、その27


「一夜明けたフランクフルトから」

昨夜の決勝戦は、ステイ先のテレビで観戦。
テレビといっても、壁に映像を大きく映す、
スポーツバー顔負けのぜいたくな環境でした。

決勝戦、ビエラもジダンもピッチから去り、
リベリーの活躍などでイタリアを苦しめながらも、
フランスが自滅した形でイタリアに優勝を譲ることになりました。
老獪さは最後の最後で、体力と忍耐を失ったようです。

共に2試合生観戦したイタリアとフランス、サッカーとしては
イタリアの方が圧倒的にいいチーム。
2002年のドイツのように、前評判以上の結果を残すだろうとの
期待を抱かせる戦い方で決勝まで進みました。
逆にフランスは、勝つこと、結果だけを求めて決勝まで進んで
来たような気がします。

ジダンのヘディングシュートが枠内に飛んだとき、まるで
8年前のフランス大会に戻ったような気がしたけれど、
ブッフォンがそれを許さず。ここで勝負あったのかな?
耐えに耐えたイタリア、自らアクションを起こせなかったフランス。
試合が面白くなかったのが不満ですが。。。
まあ決勝、よくあることですよね。

**

一夜明けたフランクフルトは、W杯の喧騒も遠ざかり、
普段の顔を取り戻しつつあります。

月曜の朝、出勤を急ぐひとたちとすっかり日焼けした
旅行者が行き交い、歌も国旗も姿を消しました。
駅前の広場では、ずっとイベントが行なわれていた
ステージの解体作業が始まっています。

駅の売店では、「ドイツありがとう」の見出しが目立つ
新聞が売られていますが、ツールドフランスの報道も
半分くらいを占めています。

W杯が終わったんだな。。。

さて、そろそろ帰国支度です。
これから市内のデパートにでも行って、たぶん値下げ?
されているお土産ものを物色に……。
いま、バーゲンシーズンでもあるんですよ〜。

時間の許す限り(15日まででしたっけ?)、
ネットが繋げれば、過去の日記をUPしていきます。

**

ドイツで人気のテーブルサッカー。
僕らではまったく歯が立ちません。






2006年07月09日(日) サッカーで話そう、その26

「今さらながら。。。初観戦の日記」

W杯は終わってしまったけれど、せっかく書き溜めていたので、
6月11日、僕の初の観戦記をアップします。

**

ドイツW杯、初のスタジアム観戦は、なんとライプチヒ!
チケットを急遽譲ってもらえることになって、旧東ドイツ
圏にあたるライプチヒまでいきなりひとりの小旅行。

朝7時に起床、朝食を食べて8時過ぎに出発。
ステイ先最寄のLimburg(Lahn)駅から在来線に乗り、フランクフルト中央駅へ。
駅では前夜の勝利の余韻を引きずるようにイングランド人があちこちで
酔いつぶれて寝ていたり、これから試合に向かうメキシカンが
騒いでいたり、日本人の姿が一気に多くなったり。。。
ああ、世界中のひとがあつまってきたナァと実感。

ドレスデン行きのICE(ドイツの新幹線)1547に乗り、一気にライプチヒへ。
道中、車窓からの素晴らしい眺めに目を惹かれる。
フランクフルトという都会を少し離れると、車窓からは広大な
草原が見え、とうとうと流れる川が景色にアクセントを加える。

とにかく広い、緑が多い。

ところが、旧東ドイツ地域に入ったころから景色に若干の変化が。
緑の深さや広い草原は変わらないものの、ときたま見える家屋や
教会、古城などは、旧西ドイツ域となにか違う気がする。
なにが違うのか、はっきりとわからなかったけれど、確かになにかが違う。
壊れたままの建物が見えたり、駅舎が古めかしかったりするけれど……。
共産圏の香り?いや、そんなものは知らないはずだ。
壁が崩壊して十数年、まだ経済格差は残されたままと聞く。

3時間半ほどでライプチヒ中央駅に着く。
おそらくW杯のために整備されたであろう駅舎は、歴史と新しい
資本主義の波が、妙なミスマッチを見せていた。
古くて愛想のない駅舎と、妙にアメリカ的なショッピングモール。
旧東ドイツ地域の近代化の遅れを端的に表しているような気がする。

**

駅からトラムに揺られ数分のsportsforum駅で降り、人の流れに
飲まれてスタジアムに進む。途中日本人に声をかけられた。
じゃあそこまで一緒に行きましょう、と。いや、ゲートが違うから、
ほんの数十メートルだったけど、少しの間だけ情報交換。

これまた広大な広場を抜け、まるで城にでも入るかのような門を
目前に荷物チェックを受ける。
厳しいとは聞いていたけれど、まあ予想の範囲内。
すっかり忘れてバッグに入れていたペットボトルは没収、投げ捨てられた。
投げなくてもいいじゃない? 最後に一口飲ませてよ〜。

気温は30度を超える暑さ。湿度が低いからまだ耐えられるけど。。。



ライプチヒのスタジアム、城壁のように堤防のような土手がスタジアム
を囲んでおり、すり鉢上の敷地の中にスタジアムが建っている。
阿蘇のカルデラの中にスタジアムが隠れている感じ。
後段の席には、階段を上るのではなく、下っていく。
スタジアムに時計がない、試合時間がわからない、これは普通?

椅子やトイレは古く、階段は狭くて(新しく建てられたはずなのだが?)、
ストレスを感じることはあったけれど、規模、スタジアムの形状は
サッカーというスポーツを楽しむのには最高の部類に入るだろうね。
たぶん、どこからでも近く観え、視界を遮るものも少ない。

オランダ1×0セルビア

暑くてオランダの本領は発揮できなかったけれど、
かつての危うさは感じられず。いいところまで残るのか?
セルビアは頑張ったけれど、選手もサポーターも。
やはり決定力不足は否めず、ひとりストライカーがいれば展開も違ったろうに。

セルビア・モンテネグロのサポーターは、「セルビア!」と叫ぶのみ。
国はもう、セルビアになってしまったのだけれど。。。
W杯の予選が終わり、国名が変わってしまう国。
僕たちにはどんな感情だか想像つかないけれど。。。

セルビア・モンテネグロとしてW杯に参加するのは最初で最後。
記念?でもないけど、オフィシャルファンショップで売っていた
セルビア・モンテネグロのTシャツを買ってしまった。
観光観戦者、だナァ。



2006年07月07日(金) サッカーで話そう、その25


「もうすぐ旅も終わります」

僕のW杯観戦はあと1試合。
明日のシュツットガルトでの3位決定戦を残すのみです。
予想外に楽しそうなカードになりました。
今朝のテレビでは、オリバーカーンが先発するかも、
との情報が流れていたようです(ドイツ語なので不確かですが)。

いま、ミュンヘンにいます。都会です。。。
乾燥していて空気が悪く、かなりホコリっぽいので困っています。
一昨日は準決勝、フランス対ポルトガルを観てきました。
僕が調達した、いちばん高価なチケットだったのですが。。。

残念ながら、試合内容はイマイチ。
フランスの老獪さだけが目立った一戦でした。
ポルトガルは完全に飲まれていた感じです。
アリアンツアレーナも静かで、大一番を期待していたのに肩透かしを食らってしまった〜



さて決勝戦ですが、イタリアとフランスの組み合わせ。
国内の不正騒動に揺れるイタリアが、ここで頑張ってカルチョファン
にいいところを見せてあげたいとの一心で、
モチベーション的には上回ると思われます。
ここまで観た限りでは、チーム状態は参加国中で最も良いです。

しかし経験に勝るフランス、そう簡単には譲らないでしょう。
イタリアよりも1日、試合間隔が短いことが不安材料ですが、
準決勝のポルトガル戦も省エネで勝ち上がっているため、
そんなに差はないと思われます。
この試合を最後に代表引退を表明している選手も多く、
かなり気合いも入ることでしょう。

この一戦、たぶん僕はステイ先のホストファミリー宅でテレビ観戦。
W杯最後の夜は、ゆっくりとビールでも飲みながら楽しみます。

**

まだまだ伝えたいことがあるのですが、ネット環境と時間がーーーっ。
でもW杯祭りが終わるまで、できるだけ多く更新したいと思っています。
最後までおつきあいのほど、お願いしますね。



2006年07月04日(火) サッカーで話そう、その24


「中田英寿の引退」

W杯で燃え尽きたわけでもなく、限界を感じたわけでもない。
本当の理由は計り知れないけれど、最後まで彼らしい選択だったと思う。

テレビを見たわけでもなく、ネットで引退報道を見たわけでもない。
でもここドイツで、携帯電話を通じて読んだわずかなニュースから思ったこと。

「ヒデもただのサッカー好きだったんだな……」

**

結果的に現役最後の試合となったドルトムントでのブラジル戦。
僕はバックスタンドのほぼ中央、素晴らしい席で観戦することができた。
W杯、それも日本戦をこれだけ間近に観られたのは幸せだった。
いつになく選手の息遣いを感じ、流れる汗の多さに驚いた。

そのなかで、いちばん汗の量が多かったのが中田英。
運動量が最も多く、誰よりも最後まで戦おうとしていた選手。
そこまで自分を追い込み、体力を限界まで使い切ることができた選手。

その結果、精も根も果て、試合終盤にはミスも目立った。
でも試合終盤、中田英の表情を見てふと感じた。

「あ、ヒデ、この試合をすごく楽しんでる」

ほんの一瞬だけど、パスを出す時の表情がすごく楽しそうだった。
パスは相手にカットされたけれど、心底、中田英がサッカーを愛して
いるってことが僕に伝わった。すぐに厳しい表情に戻ったけれど。



ブラジル戦の試合終了の笛が吹かれ、中田英はピッチに倒れこみ、
しばらく起き上がれなかったという。
恥ずかしながら、僕はこのシーンを覚えていない。

僕の視界には入っていたはずだけど、日本代表のドイツW杯が終わって
しまったという失望感、世界トップとの実力差を思い知らされたという
虚無感、それと共に、先の2戦とは違いブラジル戦はよく戦ったという
充足感が頭の中で交錯し、すべてを目撃していたはずなのに、すべてが
目に入っていなかったのかもしれない……。

きっとテレビで観ていたひとの方が、
中田英の表情はよく覚えていることだろう。
でも、同じ時間を同じ場所で共有できたのは、
きっと僕の記憶に一生残るだろう。

**

サッカーのプロ選手として、海外進出の礎を築いたのは奥寺康彦。
華々しく日本を旅立ち、世の注目を集めたのは三浦知良。
そして欧州の舞台で成功を収め、世界トップレベルの一員となった中田英寿。

ここに続く選手は出てくるのだろうか?



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