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 プレシディオの男たち/マイク・コーガン

『プレシディオの男たち』/マイク・コーガン
カバーより
霧が濃く立ち込める明け方、サンフランシスコのプレシディオ軍事基地で女憲兵が惨殺された。しかも犯人は車で逃走中に警官をも射殺。かつて軍人としてプレシディオに配属され、被害者の憲兵と親しかったオースティンは、激しい怒りと悲しみに震える。が、捜査のためには、以前の上司である頑迷な憲兵隊長コールドウェルに協力を仰がざるを得なかった。互いに反目し合いながらも、犯人に決死の戦いを挑む二人を待つものは何か?

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サンフランシスコの軍事基地(プレシディオ)で発生した強盗殺人事件に、軍の古参MP(ショーン・コネリー)と彼の元部下であった市警刑事(マーク・ハーモン)が反目しあいながらも捜査を繰り広げていくサスペンス作品。

職人的手腕で知られるピーター・ハイアムズ監督ならではの手慣れた語り口のうまさが光る。ショーン・コネリーとその娘役メグ・ライアンの確執劇や、そのメグ・ライアンとマーク・ハーモンのラブストーリーも、主軸の犯罪劇に違和感なく同居しており、また、実はさりげなくもダイナミックなアクション・シーンも所々に効果的に盛り込まれている。ラストに至っては、いつしか男たちの友情劇へと昇華されていくあたり、実に感動的である。(的田也寸志)

※画像とレビューは、映画 『プレシディオの男たち』 のもの。本は映画のノヴェライゼーション。



プレシディオは、サンフランシスコにある軍事基地で、その前を通ったことがある。映画のタイトルだけは覚えていたので、ここがプレシディオかあ・・・と、覗き見してきたのだが、かなり興味を持った。

映画をまだ観ていないので、映画のほうはわからないが、本を読んだだけでも、サンフランシスコの情景がよくわかる。濃い霧が蠢いて、街を包んでいく様子や、急な坂を上り下りするケーブルカー、サンフランシスコの街をバックに、サンフランシスコ湾とゴールデンゲート・ブリッジ、ソーサリートを望む景色などなど。

内容うんぬんというよりも、サンフランシスコの景色と、ショーン・コネリーの軍服姿が見れればいいという感じの映画だ。本も映画のノヴェライゼーションだけあって、主人公がいかにもショーン・コネリー的で、他の人物の顔は全く思い浮かばない。娘役のメグ・ライアンは、ちょっとどうなの?という感じ。

ちなみに、ショーン・コネリー演じるコールドウェル中佐によれば、スコットランド人を「スコッチ野郎」と言ってはいけない。スコッチは飲み物。スコットランドで生まれた人のことは、「スコッツマン」と言わなきゃいけないそうだ。(^^;

コールドウェル中佐とオースティン刑事の確執、中佐の娘と刑事の恋、そして最後には男同士の友情までが描かれていて、内容もそれなりにたっぷり楽しめる作品だと思う。娘をとても愛しているのに、厳しくすることでしかそれを表現できない、不器用な父親としてのコールドウェル中佐の胸のうちも、なかなかぐっとくるものがある。


2004年03月31日(水)
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 スワン・ソング(上・下)/ロバート・R・マキャモン

※画像は原書 『Swan Song』

『スワン・ソング』(上)
内容(「BOOK」データベースより)
7月17日、第3次世界大戦勃発。米ソの核ミサイルによる炎の柱と放射能の嵐が全土を覆い尽くした。地下室に閉じ込められた少女スワンとプロレスラーのジョシュ、地下鉄の下水路で九死に一生を得たバッグ・レディのシスター、崩れた核シェルターから脱出したベトナム帰還兵のマクリン大佐とゲームおたくのローランド少年、生き延びた人びとを待っていたのは、火傷と放射線障害、「核の冬」の極寒、そして過去の遺物の争奪…。死よりなお凄惨な狂気の世界であった。核戦争後のホロコーストのアメリカ大陸を舞台に繰り広げられる、世界再生の鍵を握る少女スワンを巡っての聖と邪の闘い。世記末の黙示録神話を描く、ホラー界第3の男、マキャモンの「超」大作巨篇が遂にそのベールを脱ぐ。

『スワン・ソング』(下)
内容(「BOOK」データベースより)
7年前までミズーリ州と言われた地に住む、スライ・ムーディの家を訪れた旅芸人の中に「ヨブの仮面」と呼ばれる腫瘍に顔を覆われた少女がいた。少女が触れたリンゴの木は、またたく間に生命を取り戻した。木に刻まれた彼女の名前は、S…W…A…N。"輪"に浮かぶ掲示に導かれるシスター達、ロシアの来襲を妄想し狂気の軍隊を進軍させるマクリン大佐とローランド、復興に向かう人びとの心を再び荒廃と狂気に引き戻さんと暗躍する「深紅の目の男」、あらゆる者たちの運命の糸が、次第にスワンのもとにより集められていく。世界の再生と破滅をかけた聖と邪の激突の行方は…。ホラーの枠を超えたマキャモンの現代の聖杯伝説はここに円を閉じる。



核戦争後の凄惨なホロコーストの中、物語は3つのグループ(\犬残った少女スワンとプロレスラーのジョシュ、地下鉄の下水路で九死に一生を得たバッグ・レディのシスター、Jれた核シェルターから脱出したベトナム帰還兵のマクリン大佐とゲームおたくのローランド少年)を中心に展開していく。

核による破壊もすさまじいが、最も恐ろしいのは、生き延びた人間たちの行動だ。上巻は、ほとんどスプラッター的な描写で埋め尽くされており、吐き気を催すような箇所もある。しかし事実は、それそのものがおぞましいのではなく、そこで必死に生き延びようとする人間の心理がおぞましい。もちろん、そんな核戦争を引き起こした人間、権力者はもっとおぞましい。たかが一介の大統領に、何億人もの人間を殺す権利があるというのか。自分たちは地球上で最も偉い生物であると勝手に決めている人類の思い上がりはとめどがなく、それがひたすら恐ろしいし、それこそ反吐が出る。

ただ、マキャモンはそれだけを書いているのではない。このような残虐なシーンを描きながらも、どこか一条の光がさしている。それが何なのか、下巻に期待したい。

下巻は、人々の顔と頭にできていた「ヨブの仮面」と呼ばれる腫瘍が割れ始め、その下から本当の自分の顔が現れる。言うまでもなく、善人は美しくなり、以前の傷も消えるが、悪人は例えようもなく醜い顔となって生まれ変わるのだ。そして、彼らがひとつに集まり始めたとき、少女スワンをめぐっての戦いになる。スワンのグループとシスターのグループがひとつになり、マクリン大佐たちと壮絶な戦いをする。すべては命を生み出す力を持つスワンを守るため。しかし、狂人の一群や、人類の全滅を望む得体の知れないデーモンたちが、マクリン大佐の軍に加勢する。つまり、類は友を呼ぶというわけだ。

ここで重要なのが、シスターの持っているガラスの冠と、スワンが持っている占い杖だ。解説には、それらが聖杯伝説と同じような働きをするとあったが、見知らぬ間柄であったスワンとシスターは、これによって出会うことができるのだ。ところが、ガラスの冠に触ったデーモンは、何としてもこれを破壊したいと考え、最後の最後まで執拗に追いかける。

邪悪な手におちたスワンとシスターが連れて行かれた先は、神が住む山と言われていたが、そこにいたのは誰あろう、この核戦争を引き起こした張本人。合衆国大統領であった。

いよいよ地球上の悪が勝ったと思い込んだ大統領は、全地球を破壊するために作られた「タロン」を始動させる。けれども、悪が勝ったわけではなかった。スワンは、そこでも人類を救うのだ。

この物語で、一番印象に残るのは、スワンを何としても守ると決意していたプロレスラーのジョシュだろう。どれだけ痛めつけられても、どれほど辛い思いをしても、必ずスワンを守るのだと。その姿には感動するし、またそういった人間は、私の好きなキャラでもある。そして、最後には身をもってスワンをかばったシスターもまた。長い年月ののち、最後にやっと太陽の光が現れ、シスターを照らす場面は、目頭が熱くなる。

この『スワン・ソング』も感動的だったし、苦手だと思っていたホラーも、実は嫌いじゃないかも・・・というか、これはホラーなんだろうか?たしかに得体の知れないデーモンのような生き物とか、凄惨なホロコーストの場面とか、ホラーであるとする描写は十分すぎるほどなのだが、ホラーというのは、だいたい悪が勝つものじゃないのか?と思う。マキャモンの作品は、邪悪なものが完全に滅びるとは言い切れないまでも、最後には正義や聖なるものが勝利して、ハッピーエンドになるのだから、後味がスッキリしている。だから私はマキャモンをホラー作家とは思わない。

「キング、クーンツに続く第三のホラー作家」といわれるマキャモンだけれど、キングの世界ともクーンツの世界とも違って、作品に何か人間的な温かみを感じて、マキャモンていい人なんだなあとしみじみ思ってしまう。キングなどは、邪悪なものを書かせると素晴らしいのだろうが、正義とか聖なるものの描写が下手だ。というより、合ってない。無理に善を描こうとすると、どこかぎこちなくて変なのだ。だから、キングは邪悪なものを描くことがテーマなのだろう。しかしマキャモンは、邪悪なものを描きながらも、テーマは善なるもの、聖なるものについてなのだ。だからいつもどこかに、光が射しているのだろうと思う。

2004年03月27日(土)
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 ビーチハウス/ジェイムズ・パタースン&ピーター・デ・ジョング

出版社/著者からの内容紹介
人気作家が放つ爽快なサスペンス巨編。
ロングアイランドの田舎町に帰郷した見習い弁護士ジャックは愕然とした。弟が何者かに惨殺されたというのだ。しかも、犯行に関わったのは強大な権力の持ち主らしく、警察は事件を揉み消そうとする。怒りに燃えるジャックは、旧友たちとともに奇抜な復讐計画を企てた!


パタースンは、<アレックス・クロス刑事>シリーズが好きなのだが、これはまた全然違った雰囲気で、それなりに面白かった。

もともとパタースンはテンポもいいし、どんどん先に進ませるページ・ターナーだが、本書はピーター・デ・ジョングとの共著で、パタースン個人のそうした力量に、おそらくピーター・デ・ジョングのものと思われるユーモアが加味されている。二人の個性が程よくミックスされていて、それが非常に良い。

内容は、弟を殺された弁護士が犯人に復讐するまでの話なのだが、言いようもなく不愉快な権力者たちの金にあかせた不正工作に対する、痛烈なパンチが、読んでいるほうにも小気味よいものとなっている。

途中までは、真実を捻じ曲げられ、いくつもの脅しや殺人などを経験させられ、強大な権力に負けそうになる主人公だが、自分の持つ弁護士としての力を最大限に利用し、最後には正義が勝つ。

正義と不正の戦いという、非常にわかりやすい話ではあるが、テーマがシンプルであるだけに、他にあれこれ考えずにストレートに読める。

2004年03月19日(金)
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 恋する熱帯魚/ウェンディ・マーカム

内容(「MARC」データベースより)
夜はキライ、ひとりはキライ、彼だけがすべてなの。でも、マンハッタンの暑い暑い夏が、ひとりぼっちで過ごす夏が、始まろうとしている-。恋に一生懸命なあなたに贈る、ちょっぴりビターな Summer story。


以前に紀伊国屋で立ち読みチェックして、表紙の金魚(熱帯魚というべきなんだろうが、どう見ても金魚)がかわいいなと思っていた、ウェンディ・マーカムの『恋する熱帯魚』をブックオフで買った。

いわば、ここ数年よくある『ブリジット・ジョーンズの日記』(以下BJ)系統の本。現在読書中の本が進まないので、とりあえず全然違う雰囲気のものを、と読み始めてみたところ、「これって、私のこと?」って感じで、笑っちゃう。内容はともかくとして、やだなあ、見てたの?という箇所がいくつもあって、この作者に観察されてたのかな?という気になるほど。

・・・高タンパク質ダイエットに低脂肪ダイエット、そしてキャベツスープ・ダイエットと次々に試したあげく、最も古典的な方法をとることにした。食べる量を控え、摂取カロリーを減らし、運動量を増やす。1日千キロカロリー程度に抑えるようにする。

考えることは皆同じなんだろうけど、このダイエットに対する思考が一緒だよね。1日千キロカロリーとか。他にもお金をかけずにエクササイズするというわけで、ウォーキングをするとか。ちなみに、昨日は2万歩以上歩いた!

・・・『怒りの葡萄』の古本を買う。文学専攻のころ、なぜか読む機会に恵まれなかったけど、読んでおくべきだと後悔していた。ダイエットや貯金やエクササイズと同じで、自分を磨くのに役立つと考えて本を買う。

私が初めて買った古典の洋書(しかも古本!)が、スタインベックの『The Grapes of Wrath』だったのだ。結局挫折して、文学部だった友人(私は文学部ではない)にそれを話したところ、「“怒りの葡萄”なんか買うからよ!」とにべもなく言われた。それ以来、スタインベックは敬遠していたのだけれど、モントレーでスタインベックの銅像に会ってから、ちょっと身近になった気がして、またトライしてみるかな?と思っていた。でも、先日紀伊国屋のバーゲンで、『East of Eden』を見つけたものの、やっぱり手が出なかった。

・・・今年の夏は古典文学を読むと決めたことを思い出す。そこら中に散らばっているペーパーバックを一箇所にまとめて積み上げる。さらに、メアリ・ヒギンズ・クラークやジェームズ・パターソンの本をフトンベッドの下に押し込み、ジョイス・キャロル・オーツの最新作を枕元に置く。純文学に入らないかもしれないけど、今わたしの部屋にある本の中では、いちばんまともな小説であることは確か。

私もクラークは読んでるし、パターソンに至っては、コレクターであると言っても過言ではないくらい。でも、オーツは純文学に入らないのか。。。そう言われてみれば、たしかにゴシック小説家とも言われているし、オーツはなんか違うという感覚があった。

というわけで、なんだか妙に親近感を持ってしまった。「BJ」系統の本といっても、全く「BJ」のようではない主人公なのだけど、この手の本て、主人公を取り巻く登場人物が、だいたい同じ。一番の問題であるボーイフレンドに、ウツクシイ美女のライバル。いつでも慰めてくれる何人かの女友だちとゲイの友だち。使えない上司に、世話好きな親戚。

こういう話はワンパターンではあるんだけれど、主人公が前向きだったら、それなりに結構面白く読める。この主人公も、冴えない太目の女の子なのだが、何でも前向きに考えて、がんばっているところに好感が持てる。

この主人公が私と違うところは、食事もかなりストイックだし、エクササイズもきちんとしている(ウォーキングに加え、エアロビもしているらしい)。前向きな思考に行動が伴っている。なんたって、『怒りの葡萄』を挫折せずにちゃんと読んでるし。(^^;

恋人のウィルと破局を迎える、ちょっと太めで冴えないイタリア系アメリカンの主人公トレイシーなのだが(お母さんも太っているので、将来は自分もああなるかもと心配)、がんばってダイエットもしたし、彼のことを気遣って、自分の気持ちを抑えたりしているのに、俳優志望のウィルは自分のことばかり。ウィルなんて、こっちから捨てちゃえ!と思う。だって、ウィルは

・・・中年になったウィルは、ハリソン・フォードとマイケル・ダグラスを足して二で割ったみたいになってるはず。

って、全然魅力的じゃないじゃないの。<私の好みを言ってどうする!
それに、新しく知り合ったバークリーのほうが、見た目は普通だけど、絶対性格いいし、そっちにすればいいのに!なんて、やきもきしたりする。でも、見た目というのも結構捨てられないファクターではあるんだよね。だって、どんなに性格がよくても、「ハリソン・フォードとマイケル・ダグラスを足して二で割った」ような人だったら、私は惹かれないもの。(^^;

最後にウィルと喧嘩別れした翌日、一人で街を歩きまわる。私にはやることがあるのよ!と。思わず、がんばれー!と応援したくなる。でも、必死で強気を保とうとしているトレイシーが健気でいじらしくて、ついホロリ。

「わたし、大丈夫?」

と、時々泣きそうになって、自分で自分に尋ねながら街を歩き、これまでの自分にさよならしようとする。だからね、男のために痩せたって、みじめなだけなのよ。つまり、太ったとか痩せたとかいう外見だけで相手を判断するような男は、ろくでもないってこと。痩せるのは、自分のために痩せるんでなきゃ!なーんて、読みながら息巻いてみたり。

・・・新しいわたしを観察する。悪くない。約9キロ減ったら、こんなに違うなんて不思議。でも、2キロちょっとの小麦の袋を腰とお尻と腿とおなかにぶら下げてたのに、そのわりには変わっていないことがショック。

でしょ?私も最高マイナス8キロまで落ちたけど、そのわりには変わってないんだよね。でも、人から見ると、変わって見えるらしいから安心して!

酔っ払ってついつい電話してしまう気持ちとか、優しさのかけらもないナルシストの自己中男に振り回される気持ちとか、ものすごくショックを受けてるのに気丈にふるまおうとする気持ちとか、心臓が本当に痛くなるほど辛い気持ちとか、そういうことに、心の中で頷いていたりしているうちに、トレイシーは私の分身みたいな気がしてきた。ウィルと別れてよかったのよ。おめでとう!トレイシー!

さて、このトレイシー、昨日も書いたが、本に関することでも好みが似ている。

・・・ここ二週間ほど読んでいて意外におもしろかったヘンリー・フィールディングの『トム・ジョーンズの華麗な冒険』を読み終わる。そのほかに持ってきた唯一の本、『白鯨』を読み出す。ニューヨークでこの本を買ったとき、これを読破できたら頭を休めるためにダニエル・スティールの新刊を読んでもいい、と自分と約束した。

私も『トム・ジョーンズの華麗な冒険』『白鯨』を持っている。ダニエル・スティールは昨日買った。ただ私の場合、200人以上もの人物が登場する『トム・ジョーンズの華麗な冒険』も、メルヴィルの『白鯨』も読まずに、先にダニエル・スティールにいくだろうな。(^^;

・・・角で衝動的に『ガリバー旅行記』を取り出す。わきにあったあふれそうなごみ箱に放り込む。信号が変わって通りを渡るとき、結末を知ることは永遠にないだろうな、と少し物思いに沈む。

あーあ、『ガリバー旅行記』はちゃんと読まなきゃダメでしょう!

2004年03月14日(日)
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 The Walking/Bentley Little

John Hawks died and kept walking.

冒頭のこの1行で、即購入。死んだのに歩き続けていたとは一体どういうこと?と激しく興味をそそられたため。

家族が見ている前で、おじいさんは死んでも歩き続けていた。真夜中になって、湖に向かったおじいさんは、そのまま水の中に歩いていって見えなくなった。数年後、大学生になった孫は、スキューバ・ダイビングをしていた。夏休みに帰省した孫は、死んだおじいさんが沈んでいった(歩いて!)湖にもぐってみることにする。よしたほうがいいと言う父と叔父も、結局はおじいさんがどうなったのかという好奇心を抑えることができず、3人で湖へと向かう。湖にもぐった孫は、恐怖に怯えながら上がってきた。

「おじいさんはそこにいたよ。まだ歩き続けてる」

って、こわーい!!!でも、なんで?どうして?という好奇心が先に立って、読んでしまう。。。と思って読んでいたのだが、その後全然違う話になってしまい、それっきりこのおじいさんが出てこない。このおじいさんは、一体どうしたのか?まだ歩き続けているのだろうか?湖の中を!

結局、何の話なのかよくわからない。あれ?短編なのか?と思うくらい、ストーリーが全然繋がってないし、かと思うと、章が変わっても、同じ主人公とおぼしき人物(私立探偵─職業が職業だけに、ミステリだったかと時々勘違いしてしまう)が出てくるので、そういうわけでもないのかとも思う。でも、冒頭の「死んでも歩き続けている」おじいさんは出てこない。

なんとなく嫌〜な感じなのは、主人公の父親にしろ、依頼人の父親にしろ、他の登場人物にしろ、「おじいさん」あるいは「父親」が、恐怖または死に直面していることだ。おばあさんはいない。なぜ、おじいさんばかりなのだろう?それが、自分の父親の死を思い出してしまって嫌な気分になるのだ。

こんな本は途中でやめてしまえばいいんだろうが、やっぱりあの「死んでも歩き続けている」おじいさんのことが気になる。どこかにまた出てくるのでは?死んでも歩き続けている理由が書かれているのでは?と、ついつい期待してしまうのだ。

でも、ホラー小説なんて、結局原因など究明されないうちに終わってしまうのが多いしと思うと(原因がわからないから、不気味だったりするわけだから)、読み進むだけ無駄か?とも思う。なんとなく、黒魔術的な匂いもしているのだけれど・・・。

しかし、しばらく読み進めてみて、この本の仕組み(?)がわかった。「THEN」という章で、奇怪な出来事を述べ、次に「NOW」という章で、主人公の私立探偵の話を述べる。これが交互に書かれているのだが、「THEN」の章で述べられていることは、どれも全く関連がない。つまり、「NOW」という関連性のあるストーリーの中に、突然、全然別の不気味な話が挟まれているという趣向。

結局、非常に興味をそそられていた「死んでも歩き続けている」おじいさんの話は、「THEN」の部分にあたるので、それはそれで結論もなく終わりということ。というか、「死んでも歩き続けている」というのが結論。

というわけで、この先読んでいても、なぜ?という疑問の答えは出てこないことがわかったので、読んでいてもただ不気味な感覚に襲われるだけなので、読むのをやめにした。

というわけで、この本は読了していないのだが、冒頭の話が興味深いので記録しておく。

2004年03月11日(木)
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 ガールズ・ポーカー・ナイト/ジル・A・デイヴィス

内容(「BOOK」データベースより)
私の名前はルビー・カポーティ。職業はコラムニスト。そろそろ潮時の恋人あり。性格は負けず嫌い。捨て身で売りこんだNYの新聞社に採用が決まり、新生活がスタートしたものの、上司や同僚、ポーカー仲間の女友達との関係は早くも波乱含み!?現代女性の悩みや生き方、本音をコミカル&シニカルに描き、絶賛されたデビュー作。

※画像は原書『Girls' Poker Night: A Novel』


『ブリジット・ジョーンズの日記』系の本だが、日記ではなく、コラムという形で主人公の日常を描いている。というか、世間の人が読む新聞に、こんなコラム載せていいの?(実在の人物を本名で登場させてしまうし)という感じもしなくはない。どこまでが新聞に載せているコラムで、どこからが私的なつぶやきなのだろう?という境目がわからないので面食らう。

この手の小説は、主人公が明るいとか前向きであるとかならば、それなりに楽しめるものだが、この主人公はちょっと引く。自分は美人でスタイルも良く、仕事もできると思い込んでいるところが鼻持ちならない。そのくせ、のちに彼氏となる上司とのつきあいにおいて、まるで前向きじゃない。何も悪い事がないのに、自分は捨てられるに違いない、傷つけられるに違いないと思い込み、勝手に身を引いたりしている。相手の男は、自分は何も悪い事をしているわけでもないのに、何が何やらわからないといった具合。それって、かわいくないでしょう。好きなら好きで、もっと素直になりなさいよ!って感じ。

実は、彼女がこうしてしまうのは、父親に対するコンプレックスがあるせいで、セラピーなどに通って、最後にそのことに気づく。幼少時のトラウマと考えれば仕方がないかとも思うが、そのトラウマのせいで、物事を真面目に受け取ることを避けているようなところがある。これが非常に不愉快に思えるのだけれど、仕方がなかったんだなあと思うしかない。

だいたい最初の設定からして、この話は不自然だった。ありえない!と思うようなことから話は始まっている。それにしても、アメリカ人て、セラピーが本当に好きなんだな。こういう主人公は、必ずと言っていいほどセラピーに通っている。そういう習慣のない日本人には(あったらいいなと思うこともあるが)、ちょっと理解の及ばない部分かもしれない。

「BJ」系の話というのは、読者が主人公にどれだけ共感できるかという点が重要だと思う。だから、いろいろなヒロインがいていいのだが、個人的に言えば、この主人公は好みではない。結末はハッピーエンドのようだが、この主人公の性格が変わるとも思えないので、最終的にハッピーエンドかどうか、怪しいところだ。でも、こういう女の子はたしかにいる。だから、共感する人もたくさんいるだろう。とにかく、みんな幸せになってください!って感じ。



2004年03月04日(木)
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