ほうじ茶飲話【JOYWOW】
2005年07月31日(日)
いつの日か
ずっとそうしようと考えていた。 6月になったら三味線を習う!と心に決め、知人らにもそんなことを話していた。本来ならば、とっくに始めているはずだったのだけれど、人生って思うようにいかないねぇ(笑)。
まだまだ仕事もやらなきゃいけないことも盛り沢山。 自分の趣味のために時間を使うのは、もう少し後になるのだろう。 いつか暇で仕方なくなったその時のために、 この思いはじっくり暖めておくことにする。
2005年07月30日(土)
今日こそはと
脚立を使ってクローゼットの奥からミシンを取りだした。 ヘンピな場所でスーツを買い、裾あげを頼んだとしても取りに行けないよなーと思い、そのままになっていた。7月も終りの声をきき、スーツを着る前に夏終わるよとあせって存在を思い出したのだ。
さて、久しぶりのミシン。 昔の茶飲話に書いたが、実は、みかけによらず裁縫好き。 普段「ミシンが出せたらすぐ直せるのになぁ」と思っていたものを 山積にし片っ端からダーーーーーーーーッとかけていった。 爽快、爽快。 気がついたらスーツの丈を直す前に一日が終わってしまった。笑。
やろうと思っていたことを増やしてしまった気がするが、 ちょっと幸せな一日だったので、まあいいかな♪
2005年07月29日(金)
花火の夜
近隣の町で大きな花火大会が開催された。 たまたまその町の主要駅まで出かけて混乱に巻き込まれながら 最後に出かけた夏の花火大会はいつだろうと考えた。
地元の花火大会は、天候やら仕事の都合で数年縁がない。 隅田川は毎年お誘いいただいているが、 人ごみに気後れしてしまうのでいつもお断りしている。 ああそうだ。2000年に一時帰国した時、わざわざ特等席を取って貰って琵琶湖大花火大会を観に出かけたが、始まって10分も経たないうちに寝入っていた。時差ぼけ攻撃による太刀打ち出来ない睡魔である。いまさらのもったいなさに気がひけるが、寝ちゃったものは仕方がない。
その前は、まだ帰国前。 仕事で撮影同行中に始まったブルックリンの花火。 道に座り込んで、金網越しに川向こうの花火を5-6人で見上げた。 花火それ自体の美しさや感動は覚えていない。 ただ、夜風がとても気持ちよかったことと、仕事仲間への連帯感のようなあたたかい感情が流れていたことだけを覚えている。
駅前で花火大会に向かう人の流れを見つめながら、 きっと今夜は恋が始まったり、終わったり、感動したり、 たくさんのことが起こる夜なんだろうな・・・なんて ヒトゴトのように考えていた。 (いや、たしかにヒトゴトだけどさ。笑)
2005年07月28日(木)
視座の違い
七月大歌舞伎NINAGAWA十二夜を観に行く。 既に観た友人から左團次さんのセリフが・・・・とか、 亀治郎演ずる麻阿が・・・なんて話は聞いていたが、 とにかく百聞は一見にしかず、蜷川さんがどんな演出をするのか楽しみに出かけた。
結果、うーむとうなってしまった。 新しい試み、伝統を守りながら次のステージへ、ということなのだろう。これは主観だが、蜷川さんの舞台が好きで来た方達にとってはおもしろい舞台になったのだろうが、「七月大歌舞伎」がたまたま蜷川さんの演出だったという方達にとっては、かなり違和感があったのだろうと思う。演ずる役者さんたちにしても、ひとすくいの違和感は最後まで拭いきれなかったのかもと、いらぬことを考えたりしてしまった。
いずれにせよ普段と違う舞台は、 「ここから何を掴んで何を生み出そうか」 そんな様々なことを思考するチャンスを与えてくれた。
それにしても八月大歌舞伎「法界坊」、今からものすごく楽しみ!
2005年07月25日(月)
ギャクセツ的シンジツ
今日会った若い知人女性が、悩みや思いをとつとつと話しながら 時折消え入りそうな声で、「だいじょうぶです・・・」という。 ほとんど相槌のようなもので、言葉の持っている本来の意味はなしていない。ただ、口が動いているだけ。こちらはその言葉を聞くたびに、ああ、ほんとダイジョウブじゃないわけねと認識する。
言われた言葉をそのまま受け取るか。 もしくは裏を探るか、先を読む。 でも、これまでの経験上「大丈夫」「平気」と言い切る人の心理状態が、その言葉どおりであったことはほとんどない。言い換えるなら「大丈夫/平気であると信じたい」ということなのだろう。
心の中で「私は大丈夫」そう思う時には気をつけて。 きっととても疲れているはずだから。
2005年07月24日(日)
正しい休日
友人と二人、昼から海辺でまったりと過ごす。 雨こそ降らないが、天気はそういいわけじゃない。 ここのところ、仕事やプレッシャー、出先で経験した地震、そんなものがないまぜになって疲れていた。今日こそはと思い、身体が望むままだらだら過ごした。 何も考えず、思うまま言葉をつむいで、アルコールを摂取。 なにをしたわけじゃない。 気を遣わなくてすむ相手とぼんやりと時間を過ごした。 表情のスイッチもいれず、たんたんと語ったり、黙っていたり。 それだけ。
夜はそれぞれのパートナーを交えて食事。 普通のお休みなのだが、 稀有なほど正しい休日を過ごした気がする。
こういうお休み、大事にしよう。
2005年07月20日(水)
次世代へ
歌舞伎初心者である若夫婦の引率で国立劇場へ行く。 7月歌舞伎鑑賞教室、演目は「義経千本桜」。この前見たばかりの演目だと期待せずに出かけたら、これがなかなかおもしろかった。 鑑賞教室なのでトークショーもあるわけだが、やはり役者は役者、 にじみ出る気迫、エンタテイメントな舞台から目をそらさせない。 若夫婦も感動した様子で、まずは肩の荷がおりた気分。 自分が好きだからといって、それを他人様に押し付けたくはない。 が、少々の興味があって連れだって観劇し、終演後に「よかった!」と感じてもらえると心の底から安堵感と嬉しさがこみ上げる。
大それた話ではなく、こんなことの積み重ねが 文化を継承していくんだろうと思っている。
2005年07月19日(火)
丁寧なんだけど・・・
週に1,2度、クリーニング屋さんにきてもらっている。 担当の青年は30才前後、我が家に来るようになって一年少し経つ。彼の面白さは、そろそろ来る頃という時間をはずし、まさか今来ないよねというタイミングの悪い時にドアベルを鳴らすこと。計っているわけではないのに、すごい確率でそうなるのだ。今日はどうかなと、いつも彼の来訪が楽しみになってしまっている。
そして今日。めずらしくいい時間に来てくれた。戴き物の冷たいゼリーがあったので、おやつにでもと彼に差し出した。 「ありがとうございます!ボク、甘いもの大好きなんですよ〜! 大事に召し上がりますから。いつもありがとうございますぅ」 と満面の笑顔でドアを出て行った。
彼は丁寧に言ったつもりなのだ。気持ちはわかる。 わかる、わかる、わかるんだけど! 複雑な心境の私は、ちょっとだけ困った顔になってしまった。
(自省もこめて)日本語は正しく使いましょう。
2005年07月18日(月)
週末のあれこれ
7月15日〜16日 KEN研合宿で新潟県妙高市へ。 まずは妙高市役所の方々からいろいろお話を伺う。 翌日、ミスト栽培の大葉ハウスを初体験。人と機械によって 完全にコントロールされているそのハウスは、大葉の香りと 植物から発散される気=生命エネルギーに満ち溢れていた。
校長はじめ、あいかわらずKEN研メンバーの掛け合い漫才のような会話が楽しく、あっという間に時間が過ぎ、気がついたら長野駅に到着していた。それにつけても、休日出勤をしてまで我々の観光や送迎を買ってでてくださった市役所の皆さんには心の底から感謝する。
というわけで、今月は妙高市に敬意を表し、妙高市をアピールするための一ヶ月となる。直接の感想などに興味があったら、ぜひKEN研ボードを訪れてほしい。
7月17日 来客3名。午後一から、ものすごくマジメな話のために我が家に寄り集まった。数時間はとてもまじめに話は進行した。のわりには、涙を流さんばかりに大笑いしたことしか覚えていない。 なんとも不思議だねぇ〜。笑。
7月18日 祝、梅雨明け!!私のシーズン到来! (いったいいつから夏が一番好きになったのかな?)
2005年07月14日(木)
もらった
昨夜からおかしかったのは気がついていたが、眠さが勝っていたので放置していた。爆睡して目覚めたら、右目の二重が二倍、さらに目も大きくなっていた。笑。
そ、ものもらい、である。
うぅぅぅ・・・・うっとうしい、うっとうしい。 うっとうしすぎてコンタクトも入れられない。 たぶん、今、ピーク。 あ、だんだ痒くなってきた。 う〜ん・・・・時間ないけど、眼科に行こう。
2005年07月13日(水)
今日はこんな日
早朝5時過ぎに起き、研修会場に向かう。 朝ご飯は、最寄の駅近くのドトールでと思ってでかけたら まだ営業していなかった。見回しても電気がついているのは松屋だけ。そうだ、忘れていた。私は田舎に暮らしていたんだっけ。
そんなわけで会場まで行っちゃえと五反田に向かう。 講師がお腹を鳴らすわけにはいかないし、駅近くのエクセルシオールカフェに入る。8時過ぎ、出勤前のみなさんがくつろいでいる。斜め前に座っているオヤジがスポーツ新聞を読みながら、煙草を吸い、かつ、ゆで卵をかじっていた。仕事ができなさそうな根回しくんタイプ。発散させているムードがあまりにも油っぽく、気が萎えたのでぶるんと頭を振って席を移る。こんなこともあるよね。
さて、時間になったので会場へ。
研修開始。さっき萎えた気分は一気に取っ払われた。真剣に見つめてくるたくさんの目、明るい気。若い人たちに何かを教え、伝えていけることはとてもありがたく幸せなことだと思う。こういう仕事であればこそ、自分を棚に上げて何かを伝えることは出来ない。日々、自分を省みながら生活していかなくては。そんな思いを再度胸に刻みつつ、精一杯働いた一日となる。気持ちのいいビールは田舎に戻ってから・・・と、なんとか帰宅。鞭を打ってカラダを動かし、ビールにありつく。ぷはぁ〜っ、お疲れ様でしたっ!!
2005年07月11日(月)
ひたすら・・・
朝から仕事をしている。 キーボードを叩き、マウスを握り締め、ひたすら資料を作る。 完成したら生ビール。 それだけを心に、ひたすらがんばる。 生ビールが見えてきたので、ここにも書く余裕がでてきた。 生ビール、生ビール、もうすぐ生ビール! 今日は仕事も陽気もあっつい!
2005年07月10日(日)
ちりめんのふくさ
覚えのない小包が届いた。 なんだろうと開けてみたら、桐箱に収められたふくさだった。 妹分が初めてオーダーふくさを作って感動し、私用にもオーダーしてくれたのだ。抜染で名を入れたそのふくさは正絹100%長浜縮緬(ちりめん)で、うっとりとするほど柔らかい。今の私の生活の中で縮緬が出てくるのは、着物の出し入れをしたり、おつかいものの風呂敷を使うときくらい。数えられるほどのたまに、だけだ。
昔の時代の人たちは、今から比べればずっと不便な生活だった。けれど、今よりずっと贅沢な暮らしをしていたわけだね。もちろんそれは、お金にからむ贅沢という意味ではなく、心が豊かになるものに囲まれているという、そんな意味でだけれど。
「少しでも長く、愛着を持って使えるものを選びなさい」 昔、伯母たちにすっぱくなるほど言われた言葉。 幼い私はこんなこと言われても、てんで意味がわからなかった。 物事の真意を知るには、長い時間が必要なわけね。
2005年07月09日(土)
あたたかいきもち
久しぶりの発熱。 かなりハードな一週間だったので身体が悲鳴をあげたもよう。 仕事がてんこもりではあるものの、まずは身体とベッドに入る。 平熱35.6度前後の私にとって、37度を越えるとかなりきつい。 心配した友人が、忙しいはずなのに、わざわざ雨の中を花束とケーキ、ユンケルを携えてお見舞いにきてくれた。
ご主人や娘さんに心配なら行ったほうがいいよと背中を押されて来てくれたのだが、いてもたってもいられずとにかく出てきちゃった、という彼女のその気持ちが本当に暖かく、ありがたかった。
おかげさまで今日は全快。 人は人の想いに支えられて生きていることをまた実感。
2005年07月07日(木)
着る物
久しぶりにスーツを着用して、クライアントである会社を訪問する。 業種や会社、代表者の考え方にもよるのだけれど、今まではあまりスーツを必要としないシーンが多かった。
久しぶりに着るスーツは、背中と膝をまっすぐに伸ばしてくれた。 着物と慣れ合いにならず、着た瞬間の波長を合わせることにより生まれる効果。心のあり方、持ち方、言葉遣い、端々に神経が届くような気さえする。こんなこともあるんだなと、改めて感じた一日。
2005年07月05日(火)
いい時間
よく知っている相手だが二人きりで飲んだことはない、という相手と飲んだ。あらゆる話題が出てきたが、結局何を話したかよく覚えていない。
ただ、お互いとても楽しく有意義な時間が過ごせたという思いが残っているので、それで全部オッケーとなっている。
いい時間が過ごせると、それだけではっぴーだねぇ〜♪
2005年07月03日(日)
惚れぼれする仕事
お願いしたのはいったい何週間前だったのだろう? 多分、6月初旬。晴天の日が続く折、催促電話をかけてみたら 「天候が不順なんで、なかなか伺えなくってねぇ」と言われ。仕方ないと待つこと一ヶ月。本日やっと、植木師のおやじさんが来てくれた。手際よい草刈に、庭木の剪定。ほれぼれする働きっぷり。
自慢じゃないが、草にも虫にもとことん弱い。 勇気を振り絞ってたまに雑草を(恐くて抜けないので)ハサミで刈ることはあるものの、本来は屋外での雑草抜き、ガーデニング、一切だめ。育てることが出来るのは室内観葉植物のみ。
おやじさんの作業途中で外出してしまったのだが、 帰ってきてびっくりたまげた。おやじさんの仕事した後には雑草一本残っていない。我が家のジャングルチックな庭に突如文明が訪れたとでもいおうか。たしか引っ越してきた時には、同じように美しかった記憶があるが、こんなにきれいだったとは、すっかり忘れていた。
泣くほど嬉しいことに、今月から定期的に来てくれることになった。 私の大の苦手をちゃちゃっとやっつける。なんてすばらしい! おやじさん、LOVE!!
2005年07月01日(金)
心意気
7月1日。海開き。Palmtree休暇明け。 ビール+お日様で湿度を散らし、遊んで、夜はオイルマッサージやら地元のおばちゃんの怪力マッサージでぐっすり眠る。おかげで今日からしっかり仕事モードに入っている。
今夜は隣人のライヴが近所の店であり、 あまりの美しい音と迫力に、涙を流してしまった。 人の心根の美しさは奏でる音にも現れる、そんなことを知った夜。
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18年ほど前の春。桜も散り終わったとある晴れた午後。 母がとても理不尽なことをしでかした。 どうにも困った私は、母の一番上の姉である伯母に相談しに 出かけることにした。話が終わったところへ母が登場、母はそのままの勢いで叔母にキリキリと悪態をついた。
『ねぇちゃん、この子が何を言ったかわからないけど、親子の話に首を突っ込むのはよしてよ』
伯母は顔色も変えずに無言で母の左頬を打ち、
『おふざけもいい加減におしよっ!親が子にこんな思いをさせるとはどういう了見なんだいっ?!あぁ、怒ると血が汚れちまうよ、まったく!お帰えりよっ』
言うだけ言うと何事もなかったように母を戸口に残し、私を促して部屋に入った。
伯母が誰かに手を上げている姿を見たのは、後にも先にもそれきりだ。渦中の身でありながら娘心にかっこいい!と、心の内で拍手喝采。『人間は辛抱が肝心。怒るんじゃないよ。とたんに内臓が黒くなって汚れちまうからね』と重ねて教えてくれた。
伯母はもういないが、その教えは心にくっきり残っている。
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