株式会社JOYWOW
ほうじ茶飲話【JOYWOW】
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2004年12月31日(金)


日本も捨てたもんじゃないぞ!

寒い。飛礫(つぶて)のようなみぞれが降っている。
昼は馴染みの蕎麦屋で天せいろに舌鼓を打つ。
帰宅後、元旦のお雑煮やつまみの準備をしながら煮物をやっつける。「黒/青豆」、毎年違った味にする「煮しめ2005」、口直し用「薩摩芋のオレンジ煮」等々。・・・・と、そんなことはどうでもいい。

たまたま見たTBSのK-1プレミアム2004Dynamite、
魔裟斗山本“KID” 徳郁の試合がものすごく熱かった。
25才前後の若者の、あんなに真剣で燃える目は久しぶりに見た。
お互いが、絶対に負けないと信じて闘う姿にすっかり目を奪われ
瞬きを忘れるどころか、心地よく感動して泣いた。
2004年の最後の瞬間に、若い二人からとても大事なものをもらった気がする。本気はいいね。日本も捨てたもんじゃない、素直にそう思えた。

さて、災害続きの今年もあと一時間弱で終了です。
みなさま、暖かな夜をお過ごしでしょうか?
後半特に不定期な更新続きの茶飲話でしたが、それでも広い心で訪れてくださり、ありがとうございました。来る年も、己を叱咤激励しつつ更新いたします。みなさまの2005年がすばらしい一年になりますよう、心からお祈りいたします。

 

2004年12月30日(木)
年末に足並みをそろえる

年末ムードを盛り上げるために、朝から家事三昧。
普段どおりの洗濯、掃除、プラスアルファでサッシと仏具を磨き、家中の水耕栽培葉っぱの手入れ、最後に玄関を「迎春」ムードに飾ってみる。酒屋に電話をして、灯油と酒類を頼む。明日煮るために、黒豆と青大豆を洗って水に浸す。
お、ちょっといい感じ。わくわくしてきた。

と、盛り上がっているうちはいいのだけれど
はたとやり忘れた仕事に気がついてしまったりして
PCの前でエクセルやワードを開いている自分に気がつく。
そうして数時間が経過して、一日終わっちゃうんだなぁ。
明日こそは正しい大晦日を過ごすべく努力、努力。

 

2004年12月29日(水)
初雪

あっというまに日にちが経つ。しまった。。
今年中に茶飲話の過去日付更新しなきゃなるまい。
             ↑(いまさらUターン禁止だね、やめやめ!)
おや、雪まで降ってきた。家に篭っていたい。
が、本日はこれから仕事外出。
でも、車出すのちょっと怖いかも。
さてさてさて!仕事納めがんばろうよと、自分に言い聞かせ。
「行ってきます」

 

2004年12月24日(金)
Very Merry Christmas

2003年12月23日の茶飲話に書いたが、
私にとってクリスマスは平日だ。
が。さっきサンタがやってきた。
なにか音がするので仕事部屋に行ってみたら
椅子の上に足袋靴下を下敷きにした紙袋が乗っていた。

予告ナシ、気配もナシ、完全なサプライズに
気が動転するほど驚いた。
人生に初めて出現したサンタに感激してうるうる。笑。
さて、どこから入ってきたんだろうなぁ?

 

2004年12月23日(木)
受難の日々

2004年、朝のNHK連続ドラマに苦しんでいる。
「天花」もすごかったが、放映中の「わかば」はもっとすごい。
ヒロインはかわいくないし、話もつまらないし
なぜこんなふうになるんだと力が抜けていくばかり。
この涙もろい私が泣かないどころか、筋がわかりすぎるので
新聞を読みながら見ている。じゃあ見るなよ、なのだが
長年の日常なので、そうはいかない。

最近のNHKときたら、とことんいいとこない。NHKの受信料、いつも一年間分前払いしている自分が悲しくなっちゃう。
せめて朝ドラだけでもなんとかして欲しい。
若いヒロインでごまかすドラマも限界でしょ。

 

2004年12月21日(火)
「オトナだから、ダイジョブです」

本日、抜歯されてしまい。

はぁぁぁ。・・・・・・・・・・・・沈没、なり。

でも「オトナだから、ダイジョブです」

はぁぁぁ。

 

2004年12月20日(月)
情けない勘違い

出先で、電信柱に貼られていたマチ金のビラが目に付いた。

  借り入れが多い方
  ブラックの方
  お電話ください。


へぇ〜、と思った。
ベース勤務だと取りっぱぐれることがないからかな。
黒人だというだけでお金も借りづらいなんて、
こんなところにも差別とは。なんだか、せちがらいよねなんて
真剣に考えながらその場を立ち去った。

しばらくして自分の矛盾点に気がつく。
ブラックってブラックリストのことじゃん。
というかその前に、黒人にはあの日本語読めないよ(汗)。

 

2004年12月18日(土)
しつけ

幼馴染の娘:Aの就職祝いを届けに出かけた。
今日はAの誕生日だということで、昨夜彼氏と出かけたまま帰っていない。世のおとーさん、おかーさんがやきもきする無断外泊である。笑。ここの家、親子関係は極めて良好、隠し事はほとんどない。が、母親である私の友人が忙しいせいもあり、ルールが徹底されず日常に流されてしまっているらしい。
二十歳だもの、楽しいし、いいやいいやで遊んじゃうわな。
我が身を振り返り苦笑と共に思い出す、自分中心で世界が周る若い頃にありがちな錯覚。そこで、就職祝いとして選んできたものを入れた箱に、サインペンで私からのメッセージを添えた。
私には一目置いているのできっとガツンと効くはずなのだ。

「レンアイしていれば外泊もある。でも、Aは親がかりで生活し、かつ、同居しているのだから、現在のリーダーはお母さんだよ。無断外泊はルール違反。自由と義務はワンセットなんだ。ルールを守れなきゃいい仕事人にもなれないよ。忘れずにね」

ってなことを書いた。朝4AMにバイトから帰って来たAから携帯にメールが届いていた。

「プレゼント、ありがとうございました☆
あと手紙(?)もありがとう(汗)
ゆかり姉ちゃんに言われたことをふまえて行動します^_^;」

20才の娘に「姉ちゃん」と呼ばせるコワいおばさんとは、
私のことである。

 

2004年12月16日(木)
懐かしい光景に出会う

昨日は東京駅至近の中華料理店でKEN研会議、
そのまま忘年会に突入というゴールデンスケジュールな
打ち合わせ?飲み会?に参加した。
場所は東京海上ビルB1、安くて美味しいと山本校長絶賛の
海上菜館。1ワンフロアに100席、かなり広いお店なのだが幸楽かとみまがうばかりの蛍光灯一本やり照明!(おいしいから許せる)
さて、私たちがいい気分になった頃には、テーブルがほとんど埋まっていた。でも、なんだか違和感を感じる。はて?と思ったら隣の席の友人Nがささやいた。「女の人がいない・・・」私たちのグループ以外99%がおやじで埋め尽くされていた。それもなんだかいい感じのオヤジばかりが、男同士でいい表情で飲み食いしているわけ。テーブルの上には、これまたお約束のように滅多に見ないボトルキープのウィスキーと水割りセット。そうなんだよね、この懐かしさ。この店には、昭和のにおいがぷ〜んと漂っているわけなんだ。
ムードとかそんなものはどこにもない。
でもね、昭和30年代生まれとしてはですね、
なんだか和んでしまうわけですよ。
店内にいる名も知らぬオヤジたちにさえ、
あついエールを送りたいぞ!
みたいな。

 

2004年12月14日(火)
人に始まり人に終わる

役職は与えるものではなく、なるもの、であるべきなのだ。
自分でもそれと気づかぬ間にその役職をこなす力量を身に付けているからこそ、スムーズに役職業務をこなしていく。世の中には力量が及ばぬまま役職を背負う管理職が数多く存在している。その役職に「ならされてしまった」不運とプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、光り輝く肩書きに頬擦りする。

きっと、ほんの小さなきっかけさえあれば人は変わっていくのだろうと思う。リーダーシップのなんたるか、信頼し、されること、憧れられる人になること。それらを満たせず自信のかけらもない自分に気がついて、本気で痛みを見つめてくれさえしたら。
そしたら、いくらだってやりようがあるんだよ。

自省もこめて、ほんとに人って自分に不器用で・・・
・・・だからいとしいんだよなぁ。

 

2004年12月13日(月)
2004年最後の歌舞伎

十二月大歌舞伎、夜の部を観に行く。
襲名前、勘九郎としての最後の舞台。花形役者勢ぞろいな顔ぶれにおばさまたちの熱気がすさまじい。歌舞伎座で小さくなりながらもみくちゃにされるコンサルタントというのは、かなりおもしろい構図である。おばさまたち、絶対「ゆずる」ことをしないもんね。

実は私、玉三郎の舞台は初体験だったのだが、さすが世界に名だたる女形、あの気品とオーラに圧倒されまくってしまった。猿之助一門の女形がただの一般人、いや、オトコに見えてしまうのだからものすごい。舞台で食われるとは、まさにこのことと感心しきり。

勘九郎の初舞台が桃太郎、だから最後の舞台も49歳になった桃太郎で〆ようと、勘九郎のために渡辺えり子が一晩で書き下ろした「今昔桃太郎」。これまた破天荒な大喜利で、お腹を抱えて笑ってしまった。歌舞伎を観に行くたび感想はいろいろ抱くのだけれど、今回の大歌舞伎にいたっては百聞は一見にしかず。お時間のある方々、無理にでも観に行くことをお勧めしたい。勘九郎が可笑しな衣装で大汗をかきながらひとり踊り続ける様を観ていると、努力不足で不平不満を抱く我が身が恥ずかしくなる。明日は一ミリでも成長している自分であるように、精進、精進。

 

2004年12月09日(木)
日常の重要性

仕事の都合上、渋谷のエクセル東急に宿泊する。
クライアントのオフィスまで徒歩10分。
家からであれば電車で約2時間、110分の差は大きい!
そんなわけで帰りの電車を気にせず、一日中余裕で仕事。
23時過ぎに部屋に戻り、就寝25時、起床8時。
10時から14時半まで2本打ち合わせをし、
所用を足して帰路につく。

そういう余裕な2日間を過ごし最寄の駅に戻ってきた時には、
バスに乗る力はなく、タクシーでと考えるが一万円札しかない。
一万円で何か買うのは気が乗らない。かといって銀行にお金を
おろしに行くのもなんだし、スーパーに行くのも気力がない。
タクシーに乗ってからお釣がないと言われるのはもっといやだ。
・・・どうしたらいいんだろう?
と、優に5分は駅の売店の前で立ち尽くしていた。
やっと思いついてJRの券売機でスイカにチャージし、千円札を
手に入れる。なぜ、こんなに思い悩んでいたのだろう。
自宅に着いても力が出ないし、頭も回らない。
最強無敵レベルのくったくた、心底疲れきっていた。
そうか。仕事現場である渋谷で切り替えなく32時間を過ごし、
寝ても起きても仕事モードに入りっぱなしだったせいだ。
なるほど。自宅で家事という日常をこなすことによって
リフレッシュしながら細胞を入れ替えていた自分に改めて気づく。
日常って、こんなに大事なことだったんだね。

 

2004年12月07日(火)
今日の始まり

朝、既に一仕事を終えた家人がベッドサイドに立っていた。
まだぼうっとしている私に向かって

「ガッツ石松の趣味は、ひなたぼっこにゴルフ、
それにバナナを食べること」と嬉しそうに告げる。
「それとね、ガッツ石松はね『相模女子大』のことを
女相撲の大学だと思っていたらしい」と。

ベッドの上、寝起きのアタマで、ガッツ伝説に涙を流しながら
一日が始まった。

 

2004年12月06日(月)
去年の回想

今朝。玄関先に、いつも配達をお願いする酒屋からの粗品が置かれていた。包みを開けてみると、去年戴いた物と寸分違わぬ器だった。一瞬、6-7年かけてワンセットになるんだろうかと考えてしまった自分の能天気さに苦笑する。

去年は、ポストの中に投げ込まれていた粗品を夕方発見した。
本当にいわゆる「粗品」だった。
配達の電話をかけた時、でもお礼を言わなくてはと思い至る。

「昨日はけっこうな粗品をありがとうございました♪」

・・・・・口から出てしまった!もう取り返しがつかない。瞬時に心拍数が上がったが、そのまま突き進むしかない。注文内容を告げて電話を切る。どんな世間知らずと思われちゃっただろうか。
失礼なことを口走ってしまった自分に恥じ入りつつ、
忘れる努力をしてみたものの、この時期になれば思い出す
穴があったら埋めてしまいたいあの日の自分。
やれやれ、日本語は正しく使わなくては。
気を抜くと惨事が起こる。反省。

 

2004年12月05日(日)
長い夜

風と雨の轟音、心の底から長くて怖い夜だった。
ベッドの中で「こわ〜〜・・・」とつぶやきながら
うまく眠れずに朝方までを過ごした。
目覚めて窓外に目をやる。昨日まで確かにあった、
まだ築浅いはすむかいのお宅の2階ベランダが
きれいになくなっていた。
近所の家の車は、なにか硬い物が当たったようで
朝になったらぼっこりへこんでいた。
確かに、なにもないほうがおかしいほどの夜だった。
とはいえ、かなり被害が出ていることに驚く。
こうやってたんたんと書いているけれど、
ほんとにほんとに怖かった。

ダメージのあったみなさん、がんばってね。

 

2004年12月02日(木)
報告

宣言どおり、過去三日分更新!11/25, 29, 30分。
ほっとしたので、もう寝ます。
明日は、新刊の更新をしますね。

 

2004年12月01日(水)
師走

   あ。

っという間に12月。
コンサルタントとして、2004年の仕事の山場を越えきり、
ちょっとゆるやかなペースに戻りつつある。あとは報告書と
来年度の計画書作成、予定の教育プログラムを実施。
最後まで気を抜かずに今年を終えたい。
といいつつも、この茶飲話・・・
更新!のプレッシャーを背負いながら月日は過ぎる。
何も書かないとすごく寝覚めが悪いので、更新宣言。
「明日、過去3日分を書き足します」
がんばれ、ワタシ!!おっしゃ!

 

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