株式会社JOYWOW
ほうじ茶飲話【JOYWOW】
ほうじ茶飲話 INDEXwill

2003年02月27日(木)


また、いつか

友人一家(夫婦+小学生の子供×2)が、念願の海外暮らしに踏み切ることになった。子供たちは現地の学校に通わせる予定。ここまで来るために、数え切れない夫婦喧嘩と、意見の食い違いがあった。が、最終、ご主人の会社は人に任せ、マンションの荷物も実家に押し込み、ぜーんぶほっぽって4月末にケアンズ(オーストラリア)に向かう。

『家族は大事だよ、ほんと。仕事は嫌いじゃないし、守るためにも働かなきゃと思う。でもさ、このまま仕事続けてたら、オレ、マジに死んじゃうよ。10年もたねぇよ』それが、ここ数年のご主人の主張だった。最初は本気にしていなかった奥さんも、真剣に考えざるをえないほど、ご主人は疲れていた。彼女があれほど嫌がった、住み慣れた街を離れる決意を固めるほど。

 * * *

ひとが何かを望んで動こうとするとき、実行出来ない理由から思いつく。出来ない・やらない言い訳が次々浮かぶ。その言い訳、自分以外の人のためのもの。他人に説明して納得してもらえると、安心するから。宝物箱にいれてしまっておこう。二度と来ない「また、いつか」の日まで。

 

2003年02月26日(水)

沈丁花の赤いつぼみが、ずいぶん膨らんできている。春の香りに包まれるのも、もうすぐ。

この時期になると、最後の林檎を買いためる事になる。王林は既に終わってしまったようだし、もうしばらくすれば、自然食品店の軒先には、加熱調理用の傷ありフジくらいしか出てこなくなる。林檎どころか、白菜やカブ、山芋もあと少しだけか。ということは、新たまねぎ、新にんじん、春きゃべつ、絹さやなんぞのぴかぴか野菜が出てくるってことになる。

春の野菜は、出始めの頃がいちばんおいしい。蒸したり、生のままで食べると、香りが違うことを発見して、第一幸せがやってくる。口に入れ、甘さにとろけて第二幸せ。のどごしもおいしさの余韻で、第三幸せ。

2月が終わる頃になると、がぜん元気が出てくる。春も野菜も、すぐそこ。

けど、虫がウェイティングしてるってことも事実なわけで・・・・・

 

2003年02月25日(火)
苦手意識

妹分から、グチ&泣きの報告が届いた。仕事で一緒に組んだ、かなりな上役 = Cに多くの客の前でキレられ、嫌味を言われ、あげく無視された、と。彼女の信頼していた先輩が、今夏に退職するのだが、その理由はこのCの横暴さだという。

よくある話だ。彼女のグチもわかるし、多分、Cもいけすかない頑固者なのだろう。客の前で切れたことも、大きなマイナスだ。だがCだって、仕事をぶち壊したくてキレたわけではないし、ましてや部下をいじめるために存在しているわけじゃない。物事には必ず複数の視点が存在する。彼女の側から見ればCは大悪党だが、会社や、C本人の視点から物事をみれば、違う事実や思考が浮き上がってくる。彼女にも、なにがしかの落ち度が合ったはずだ。

このままいけば、これから彼女がCと組むとき、彼女の「イヤダ、キライ、ニガテ」光線は、サービスする現場や顧客に対しても、必ず「気」として含まれる。それは、今回客の前で切れたCが振り撒いた気以上に、顧客に冷水を浴びせるものとなる。

幸いなことに、彼女は「顧客に最高のサービスを提供する」という今の仕事をとても愛しているし、誇りにも感じている。先輩のように、上役が理由で退職ということはないだろう。私は彼女に『想像力を働かせて、C / 会社 / 同僚 / 顧客、それぞれの視点で素直に今回のことを考えてごらん』とアドバイスした。

なにより仕事が大好き!と大声でいう彼女は、きっとこの難関をクリアするだろうと、楽観している。

昔の私に、こんなこと言ってくれる人がいたら、違う人生歩いていたかも(苦笑)

 

2003年02月24日(月)
日記

毎日書くから日記だということは、理解している。
努力を続けている今回の私は、かなりエライと自分で褒め称えている。今のところ一日抜けただけだし。なんたって、生涯ただの一度も「毎日書く日記」をつけたことがない。習慣にしてしまうと、だれるのが恐いからなんとか続けようとするのだけれど、逆にそのプレッシャーに負けてしまう時がある。

で、今夜はそんな一日にとても近いわけで、寒いから寝てしまうことにしました。
みなさん、オヤスミナサイ。

 

2003年02月23日(日)
苦い思い出

イレギュラーではあるのだが、中国との仕事が入ることになりそうだ。そう決まって、最初に考えたのは「中国語やらなきゃ」だった。母国語以外のことばをひとつなんとか操れるようになると、他の外国語に対してもハードルが低くなる。しかしながら、英語と中国語、違いすぎ。ま、なんとかなるかと楽観的になっている。

語学といえば、今でこそ問題ない英語だが、ひとつエピソードを。

11年前。その頃の英語レベルは、旅先で使う決められたフレーズ+カタコトがせいぜいだった。知り合いの紹介で、日本にきて間もないニュージランド人の女性と友人になった。ある日、彼女と初めて待ち合わせをすることになった。場所は広尾明治屋近く、当時の三菱銀行の前で6時。言葉が不自由なものだから、間違えてはいけないと、FAXで地図と時間を送った。彼女が困惑しないようにと、極薄デイリーコンサイスを引き引き、懸命に書いたのだが。

今も鮮明に覚えている。私は「三菱銀行の前」という一節を、frontと迷いに迷って、"Before Bank of Mitsubishi"と書いて送信した。彼女とはもちろん会えたし、その後、彼女からこの件についていわれたことはない。が、私の脳みそが、ありありとこの一件を記憶してるのだ。

おそるべし、記憶。忘れさせてもらえないのだ。

※もし、真剣に英語を身に付けたいと思っているのなら、自信がつくまでは、分厚い辞書の使用をお勧めします。かつ、和英で調べた英単語は英和で逆引きすると、より深く理解できます。

 

2003年02月22日(土)
後日談

昔、ルームメート達と一緒に、ひとつ鍋をつついていた男の子のひとりが、立派なダンサーになっていることを知った。元気に踊っていることは知っていたけれど、いつの間にやら王子役をばんばんこなす、有名な団の契約ソリストにまでなっていた。

「へぇ〜、あのこが。競馬とパチンコしか出来なかった、セロリ食べられない、あのコが!」と、ついおばさんモードが入ってしまった(笑)

あの頃出会った仲間たち、みんなきらきらしていた。バカ騒ぎしたり、なぐさめあったりしながら、夢をあきらめなかった。そんな仲間の一人の後日談。

なんだか、とても嬉しい。彼がもし、夢をあきらめていたら、きっと自衛官になっていたはずだから(笑)。

 

2003年02月21日(金)
証明

今日送信したメールの一節。
『自分を振り返ったときに、募金を集める活動に対して、善意か悪意かの判断がつかず、かかわりを避けて通り過ぎてしまいます。』

集金手段がDMだったり、訪問、路上で呼びかける人もいる。最近じゃ電話やメールもある。これはアメリカも日本も変わらない。真偽の割合も、同じ程度なのではないかと感じる。

募金という行為を否定はしていない。NYでは、機会があれば、使用目的がはっきりしているものには小額ながら寄付もしていた。ただ日本の足早な街頭募金では、どこで団体の信憑性を判断したらいいのか、正直わからない。駅前や路上の場合、それと気がついてから、3秒以内に目をそらしている気がする。

ふと、社会鍋(って、まだあるのかな?ないかも)を思い出した。あの活動は、軍服と外見が善意を保証していたのかもしれない。そうすると、TVの「愛は地球を救う」は、募金活動のエリートになるわけか。なるほど。

 

2003年02月20日(木)
春よこい、はーやくこい。

確かに、少しずつ春に向かっているのは、わかる。わかっている。でも、寒い。寒いんだから、しかたない。

私は、仕事部屋にエアコンをつけていない。他の部屋にはすべてついているのに、だ。単につけそびれたわけで、こうなったら意地でもつけないと決めた。夏は扇風機、冬はデロンギのオイルヒーターでしのぐ。寒さ暑さがひどくなると、ノートPCのスイッチを入れて、他の部屋に逃げている。

四季が体感できる部屋。いいんだか、悪いんだか。どっちでもいいけど、この部屋にいる間だけは、扇風機もヒーターもいらない春と秋が一番好きになる。

 

2003年02月19日(水)
世知辛い

NYの友人からメールが届いた。

マンハッタンは、水はけの悪い場所が随所にある。大雪が溶けて、今度は、洪水の心配をしているらしい。それでも、毎日多くの兵士が中近東に送り込まれていて、3月がそのピークになるという。9.11の時に、依頼がなければ邦人を探してくれなかった在NY領事館も、今月11日にCIA長官が出したテロ警戒宣言では、在米邦人に通達を出したらしい。

今日のTVのニュースで、在米日系アメリカ人の方たちが「なぜ、戦争をしようとしているのかわからない。でも、今の状況は、60年前のあの時とそっくり」と、つぶやいていた。

世知辛い(せちがらい)という言葉が、ぽんと頭に浮かんでしまう。

 

2003年02月18日(火)
私に出来ること

今日は、起き抜けから忙しい一日だった。

メールを取り込むやいなや、チェーンメールの件が発覚。拳を握り締めるかたわら、これとは無関係な、ある人がくれたとても優しいメールに反応して、PC前でぼろぼろに泣いてしまった。というより、泣きじゃくりか。モノの本によると、泣くことは精神を浄化する=癒しに繋がるそうだから、あながち悪いことではない。

そうこうするうちに癒されたようで、テーブル上の拳も消滅。めらめらとやる気がわいてしまった。単純明快すぎるが、まさに七転び八起き(笑)。明日を信じていける世界にするために、自分に何が出来るのか。棚上げせずに、きちんと考えて、そして行動する。そう決めた。

知ろうとしなかっただけで、もしかしたら、自分が考えているよりずっと世界は近いのかもしれない。最近、そんなことに気がついた。

 

2003年02月17日(月)
鰻屋

しめっぽい話をするつもりはないのだが、命日ということもあり、今日は一日亡母のことを考えていた。遺影の前には、辛気臭いことが何よりキライだった母のために、いつもより豪勢な、ぱぁっと明るい色目のアレンジで花籠を供えた。彼岸で母も満足してくれていると、勝手に納得している。

昔、母とよく、鰻を食べに行った。そのいきつけの鰻屋は、かなり長いこと商売をしている割に、店の規模も味も変わらぬまま、常に私たちの求める味を出してくれた。つけあわせの漬物は、その鰻屋の糠床で漬けられている旬の野菜。鮮度といい、塩加減といい、裏切られたことがない。

いろいろ考えた挙句、今夜の夕食は鰻重にした。場所は、初めて行く近場の店。いきつけの店は、ちょっと距離もあるのだが、なにより経営者が顔見知り。だから、やめた。というか、いけなかった。ただ、今日の店、思いのほかおいしかった。もう一度行ってもいいレベル。

来年は、いつもの鰻重を食べに行く気になれるかな。なれたら、いいな。

 

2003年02月16日(日)
想像する力

湾岸戦争のリアル映像は、当時勤めていた会社のTVでみた。大変なことが起こったらしい・・・という思いは持っていたけれど、あくまで他所の国で起こっていることで、想像力のない当時の私には、それ以上の感情は湧かなかった。TVの電源を切れば、日常に戻れる出来事だったのだ。

9.11@WTCを一住人として受け止めた瞬間から、意識がはっきりと変わっていった。この世に、他命の犠牲もいとわず、利権で戦争を仕掛ける人たちがいるということを、強く認識させられた。

明日で、母の急逝から一年が経つ。今日、私の心の中にあった想いはひとつだけだった。「去年の今日、母は生きていた」という事実。生も死も天の采配であり、運命なのだが' if 'が時折顔を出す。もしかしたら、死なずに済んだのではないか。第三者の意思が働いていたのではないだろうか...etc。母は事故で死んだ。はっきりしているのに、いまだ心に封印したはずの if が離れない。そんな時に母の遺影を見ると、たまらなくなる。心が、いまだひりひりとした生傷を抱えていることを直視しなければならなくなる。

ただの事故でさえ、こうだ。では、なにがしかのはっきりとした悪意で、家族が殺されたとしたら、どんな思いを抱き続けることになるのか。想像してみて欲しい。自分が、自分の家族が被害者のひとりであったとしたら、あなたはどう考えるのか。どう行動するのか。

一人の力では何も出来ない。私もそう思っていた時期がある。でも、歴史は人の力で変わっていく。TVの電源を切っても、思考は分断できない。他国や他人事ではない。すべてが私たちの明日に繋がる出来事なのだ。

敵味方なく、戦争で死んだひとりひとりに、歴史や家族がある。それを利権によって奪う権利は、誰にもない。

茶飲話では、政治や戦争話などで感情論にならぬよう、と言い聞かせていた。けれど、ここは世界へ向けた私の発信手段のひとつでもある。だからこそ、感じていることを、そのまま表現した。

ここを訪れたすべてのみなさんへ。
未来を変えられるのは、ひとりの想像する力からなのだということを、どうか忘れずにいてください。

 

2003年02月15日(土)

夕方のニュースで、久しぶりに川口外相を見た。

外相に任命されたての頃は、かなりすっきりとした顔つきで、潔い姿勢にも好感を持っていた。なのに、顔が変わってしまった。苦悩と想いと現実の狭間にいるせいだろうけれど、むくんでしまっていた。なんだか、少し悲しくなった。

NYにいた日々、私の顔は刻々と変わっていった。写真を見比べると驚くほどに。それは、けして加齢や環境の変化のせいではない。心の変化だ。そして、きっと今も、私の顔は変化し続けている。願わくば、おだやかに、福運が現れる顔になれますように。 

 

2003年02月14日(金)
バレンタインデー

今日はバレンタインデー。なんと、みっつもチョコレートをもらった。誰かがもらったものではなく、私専用(笑)。

この日を愛の告白のために(恥ずかしい表現だなー)活用したことは、小娘のときだった。あまりにも大昔すぎてよく覚えていないのだけれど、2/14関連でひとつだけよく覚えていることがある。

いくつだったかな?ティ−ンエイジャーの頃、「次に生まれてくる時は、男がいいか、女がいいか?」という話をみんなでしていた。絶対にオトコがいい!と、言い放ったのは私だけだった。理由は、放課後に呼び出されてバレンタインのチョコレートを渡される、という経験をぜひしてみたかったから。クリスマスでも卒業式でもダメで、どうしても2/14の経験がしたかった。なんでだろう?固執する理由もないはずなのに。

えー、若いときの思い出話でした。

 

2003年02月12日(水)
美を学ぶ

昨秋、とても楽しみにしていた特別展を見損なった。松屋銀座で二週間弱開催された「白洲正子の世界」。残念ながら存命中にお目にかかったことはないが、著書を読むごとにぐいぐいと惹かれていった。どうしても行きたかったのだが、なんとしても都合がつかなかった。

ところが、昨日出かけた百貨店の書店で、その特別展のために編集された冊子に出会った。新潮社から出ている「美の種まく人」。文章の数編は既読であるけれど、とにかく収録されている写真が美しい。ぱらぱらとめくっているだけで、惹きこまれてしまう。

若い頃には、傍にあっても見向きもしなかった工芸品やら古美術。むずかしい物だからと、遠い存在として区切っていた。あの頃に、白洲正子さんの著書を読んでも、きっと感銘は受けなかった。白洲さんの選ぶものは、いさぎよい美しさを感じさせるものが多い。鑑賞する側にも度量を要求する。

偶然惹き合った間(ま)。扉を開ければ、そこに新しい哲学が用意されている、ということなのか。年を経て、経験を重ねた。水戸黄門に感涙することもある(笑)。だからこそ、すんなりと、完成された美の世界へ傾倒できる・・・のかもしれない。

 

2003年02月11日(火)
いつか矛盾はなくなる?

学生の頃の社会史で、世界大戦の起こった経緯や年代はきちんと教わった。湾岸戦争もTVで見ていたし、いまだ内乱や戦争が続いていることも理解していた。そのつもりだった。

にもかかわらず、戦争は、とても遠い過去のことだと認識していたことに気がついた。終戦の日から、二十年も経たずに私はこの世に生まれている。幸か不幸か、私の記憶に、終戦の暗さも影もない。だから、過去のことだと思っていた。「終戦記念日」という日があるのだから、戦争は終わったのだと、心のどこかで、素直に、信じて、いた。

この幸せな思い込みが解けてしまった今、矛盾ばかりが心を駆け巡る。ほとんどの国で、人が人を殺したら罪になるのに。大義名分の下(もと)の大量殺戮を、なぜ奨励する人たちがいるのか、不思議で不思議でたまらない。

 

2003年02月10日(月)
ほんとは仏滅

観葉植物の栽培ならば、かなり自信がある。手まめに世話して、すぐに家族の一員としてしまう。

では、表で育てる鉢植えの花というと、これがどうにも不得手。実は初めてなのだ。小さな白い花を冬季も咲かせている元気なバコパはいいのだけれど、昨年の初夏に買った三株のピンクマーガレットが問題。

季節によって変わる日照角度/時間/温度/湿度のバランスが難しい。三度の切り戻し後、ありえるはずのない紅葉のそぶりや、下葉を枯れさせてみたりとか、昨年9月末から延々と私に心配の種を植え付けてくれている。さまざまな問題が重なると、もう、花を育てることは二度とすまいとマジに落ち込む。なんたって生き物だし、才能のない自分にため息ばかりとなる。

が、今日、見つけてしまった。
なんと、ピンクマーガレットの一枝に、つぼみが三つ膨らんでいるじゃないか!!!今年は咲かないかもとあきらめていたのに、すごい嬉しいったら!

玄関先で、小躍りしてしまいそうになるのをぐっと堪えた。
おかげで私、今日はすっかりと大安吉日。

 

2003年02月09日(日)
とあるケース

想像してみてください。

とても近い友人=Aがいて、Aには外国人の恋人=Bがいる。
Bは国に戻り、以来遠距離恋愛を続けているが、ふたりは将来を約束している。

Bの国は文明国家だが、情勢が不安定、テロも爆弾も日常茶飯事のうち。あなたの友人Aには夢があり、苦労しながらもある程度の実績を残してきている。才能もある。一度Bの国に招待されて、その国内では富裕層に入るというご両親にも会った。悪い国ではない。が、いつ戦場になってもおかしくない。Bもその両親も、結婚して彼らの国で暮らして欲しいという。Aがもし、その国に行ってしまえば、夢は絶たれることに等しい。Bの国の貨幣価値を考えれば、日本に帰ってくることが出来るのは、年一度。加えて、Aは35歳、ひとりっこで、両親は高齢の粋に達している。Bは28歳。

Aは、夢をあきらめきれない。そして、Bのことも深く愛している。

さて、この話はどんな結末を迎えるのだろう?
あなたなら、どうしますか?

 

2003年02月08日(土)
もんじゃ・嬉・菜の花・キンカン

今夜は、塾卒業生の有志と月島もんじゃ。以前から気になっていた「小町」というお店に行ったのだけれど、総体的におすすめのお店。おいしくて〇でした。まとめ&下見までしてくださったIさん、ありがとうございました。まるでsurpriseのように、お誕生日お祝いまでしていただいて、嬉しかったです。こんなところでなんですが、みなさん、ほんとにありがとうございました。

ところで、ひさしぶりのまとまった雨。これからしばらく暖かくなるそうだけれど、まだまだ寒い。でも!本日なんと、川っぷちに咲く菜の花を発見。今日、初めて食べたキンカンも春っぽい味がしたし(?)。一雨ごとに、春が近づいてくることを実感。

 

2003年02月07日(金)
生きるということ

友人の息子が、一校目の高校受験に落ちた。その高校は彼にとって第一志望なのだが、幸いにも推薦に落ちただけなので、これからの一般入試で雪辱を晴らす機会がある。

問題は、まだまだナイーブな彼にとって、これが生まれて初めての挫折だということだ。親を含めて、傍観している第三者にとってもついつい気をもんでしまう一日となったわけだが。

思うに、生きるという事は、挫折や傷の痛みを積み重ねていくことなのではなかろうか。そこから何かを学び、肥やしにし、次へのステップへと繋げていく。本当の意味で痛みを知る人だけが、他人におおらかに優しくなっていけるのだから。

当の本人にしてみたら、周りの声なぞ聞こえない大事件だろうが、今回の挫折はまちがいなく後々の宝になる。彼の人生は、まだ、これから。チーズケーキを手土産に、心の中で『よしよし、がんばれ』とエールを贈ろう。

 

2003年02月06日(木)
再吟味してみたら

昨日、阪本塾八期のキャリアコースが終わったのだが、受講生の一人からお礼メールが届いた。その追伸に「昨日は素敵な誕生日でしたか??」という一文があり、2/5をもう一度再考した。

あの日はとても忙しく、雑事を済ませながら車でオフィスに向かい、晩御飯もサブウェイのサンドイッチで済ませ、コーヒーも立飲みでオシマイ。そして、講義。自宅に戻れたのは深夜。

うん・・・。どう考えても、とても素敵な誕生日だったとしかいえない。
受講生とともに、キャリアや人生について考え、語り合い、過ごした時間。自分が誰かの役に立てているという実感。仕事なのだが、まさに充足していた。大げさなようだが、本当に喜びで満たされていた。

以下、私の気持ちがそのまま言い表されている文章なのだが、マイケル・J・フォックスの「ラッキーマン(ソフトバンク パブリッシング株式会社)」から、引用する。
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自分自身、すばらしいと認めている目的のために使われる存在であること、スクラップの山に放り出される前に完全に使い果たされる存在であること、世界は自分を幸せにしてくれなかったと、病気や苦痛の文句ばかり言っている自己中心の輩ではなく、世の役に立てる存在であること、これこそが人生の喜びである。
             ジョージ・バーナード・ショー
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昨日たまたま、私と時間を共有することになった受講生の皆さん。
気がつかせてくれて、ありがとう。感謝です。

 

2003年02月05日(水)
花を贈る

目覚め爽やかに起床。遅い朝食の準備をしていたら、玄関のブザー。我が家担当のクロネコ・マンが、女友達からの花束を届けてくれたのだった。男性からの花束はさておき(笑)、女友達から受け取る花束はとてもスペシャルな気がする。

個人的に、相手の性別構わず花を贈ることは大好きで、花を選ぶときはとても楽しい。相手のイメージを考えて、お花屋さんであれこれ相談する作業。贈る相手の喜ぶ顔のことだけを考えて過ごす、幸せな時間。

彼女が費やしてくれた、私のための時間。花を贈ってくれる友人がいること、そして、花を贈る相手がいること。
私は、とても贅沢な人生を過ごしている。

 

2003年02月04日(火)
Eve

休日の前日とか、クリスマスイブ、特別な日の前夜。なにかうれしくてわくわくする。当日になってしまえば、どうってことなく過ぎていくことがほとんどで、特記することもないのだけれど。わかっているのに、胸が高鳴っちゃうんだなーっ!

実は、今夜は私のBirthday Eve。誕生日なんて何十回となく迎えているくせに、いまだに喜んでいる。明日はなにか特別なことでも?と聞かれるのだけれど、いえいえ、残念ながらかなり遅くまで仕事の一日。

でも、大好きな仕事をしながら迎えられる誕生日って・・・
もしかしたら、こういうのって、かなり素敵なのかもしれない。

うん、やっぱりわくわくしている。
上機嫌な夜。

 

2003年02月03日(月)
深緑の水菜について

先日、NY時代からの友人宅にお邪魔した。その帰り際に、彼女のお父上が栽培している、無農薬野菜をごっそりいただいた。どれもこれもおいしいのだけれど、ぶりんぶりんの水菜は、まさに圧巻。そのへんのスーパーで見かけるひ弱なヤツとは、雲泥の差。黄緑じゃなくて、ペルジャングリーン、猛々しいドデカ株なのだ。

こんなにデカイ株、食べきれないのじゃ・・・なんて心配は必要なかった。あまりのおいしさに、あっという間に食べてしまった。無農薬だし、産地直送だし、とうぜん軟体虫くんたちも一緒に直送されてきていた。過去のほうじ茶飲話に詳しいが、私は虫がキライだ。

余談だが、昨秋の話。購入した大き目の茄子を、菜切り包丁ですぱんと切ったら、ナカで暮らしていた10cmはあろうかという巨大な青虫も、まっぷたつになった。絶叫がこだまし、茄子ともども虫くんが葬り去られたことは、いうまでもない。

今回は一匹どころか、完食までに五匹に対面したが、負けなかった。二匹はあえなく水死、残りは庭に開放。いちいち絶叫はしたが、戦った。戦わなければならぬほど、おいしい水菜だったのだ。普段から氏素性の知れた有機食材を食しているものの、顔も性格も家族構成も家の間取りも知った生産者の作る野菜は格別だ。虫くんを制し、なんだかまたちょっと、大人になったような気がする。

 

2003年02月02日(日)
改めまして

昨年、ほうじ茶飲話の更新状況があまりにもおそまつで、深く反省した新年です。これからはもっと気軽に更新できるようにする(言い訳できなくする)ために、阪本に引き続き、ここでも日記エディタ採用を決定いたしました。・・・こうやって自分のことを追い詰めないといかんとは、少々情けないのですが(汗)

まずは、「新・ほうじ茶飲話2003」のご紹介、どちらさまにも、よろしくごひいきの程を。毎日とはいかないまでも、構えずに更新していきますので、よろしくお願いいたします。

鈴木 由歌利



 

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