へそおもい

2022年02月27日(日) わたしは自分に正直に生きる

集落のおねえさんが
わさびなを持ってやってきた。

最近まで
関東の娘さんの関わる施設の
大工仕事をお手伝いに
関東に出向いていたとのこと。
そこでの出会いの素晴らしかったこと
とてもいい体験をしたほやほやの
感動が伝わってきて
わたしまでうれしくなった。

ありがとう
出会えてよかったーって思ってたら
どんどんそうなっていくって!
感謝は感謝を呼ぶんだって!


そんな話を聞いて
わたしは
最近辛くなってたなあ、、、
とすこし胸が痛くなる。

今日は
夫がいないので
お風呂を焚きながら
ワインをのんでいる。

わたしが正直に自分の意見を
言ったことによって
傷ついた人がいるようだ。

わたしが意見を言えたのは
一緒に言おうと言ってくれた人がいたから。

そうして初めて意見を言ってみたら
今までわからなかったことがわかったり
それならと、
意見を変える人が出てきたり
そうしたら
わたしの知らないところで
流れが変わり。
流れを変えたくなかった人が
傷ついたようだ。

それで
わたしは
たぶん疎まれている。
目を合わせてもらえなくなったので
それがわかった。

わたしは
その人のことは
意見は違っても
大切なひとりの人と思っているが
あいては意見が違ったら
切り捨てると
思っているのだろうか。

とにかく
目を合わせず
わたしがいると近づかない感じになった。
中学生の女子によくある
この感じが大人になってもあるのだと
唖然とした。

腹も立ってくるが
はらをたてては
このエネルギーは変わらない。

わたしは淡々と
自分に正直に
機嫌良く過ごそうと思う。

その方も
自分に正直に生きたらいいと思う。
そうしたら
自分の意見を言うことに
腹が立たないだろう。

でも
正直に生きられない環境だったのなら
それは仕方がないのよね。
正直に生きる人がいたら
腹が立つのよね。

わたしは
地球に生まれてきた
貴重な機会に
自分に正直に生きたいと
思っているので
誰かに疎まれようとも
そうして生きていく。


ひとりの時間
結構楽しいよ。



2022年02月23日(水) 雨の道端で

下の歯茎が痛い。
大きな声で
叫んだから。

わかってほしい
わかって
同じものをみて
同じように感じて

ほら昔みたいに。

昔は
ほら
つながっていたでしょう。

面倒くさい
誤解を生む
ことばとやらを
好き好んで使おうとする
人間は
自ら自分の首を絞めている。

昔は
ほら
通じたでしょう。

あなたの気持ち
わたしの気持ち

境界のない
マーブルを
泳いでいたね。

ほら
思い出した?

あれ?

昔じゃなくて
今だっけ
昨日だっけ
明日だっけ
誰だっけ

誰でもいい
誰か助けて

言葉たちが
もう
わたしには
砂利にしかみえない。

重たくて
尖っている。

ほら
いまみたいに
ほら

通じるかな
通じたかな

言葉を捨てて

ほら

猫だけは
わかってる。



2022年02月22日(火) めでたいカニの日だというのに!

きょうの最後の仕事は
話す仕事だった。

言い訳のようだが
このところずっと繁忙期だった。
そんな中できる限りの準備はしたが
絶対的な準備不足。

今朝もピリピリして
夫とすこし険悪になり
車に運転しながらリハをして
ひとつ目の職場で仕事をこなし
次の職場までの間に
メモをとりながら
イメトレして
そうして臨んだ仕事だった。

話す仕事はとても苦手だ。

頭の中が映像なので
それを言葉にすることが
まず一苦労だ。

出てきた言葉も
口のあたりで
釣れたてのお魚のように
ぴちぴち跳ねて
収拾がつかない。
困ったもんだ。

きょうの教訓
話す内容は最小限にすべし。
そして話す仕事は
1ヶ月前にまず台本をかけ。

きょうは
20220222
カニマルカニカニマルカニカニで
カニの日だというのに。

仕事をもっと
できるようになりたい。
もっと人の役に立ちたい。



2022年02月16日(水) まるまって眠ろう

悲しい怪物は
話を聴いてもらえて
満足したのか
まるまって眠っている。
静かな寝息をたてて。
不思議なことに
寝息は心地がいい。

わたしの身体は
戦いのあと
ガチガチになっている。
慣れぬ鎧を着たせいか
頭痛もひどい。

まだ安心しきっていないので
鎧は脱げない。

膝の上では
ちゃまるが
まるまって眠っている。

つかれちゃった。
今日は早く眠ろう。

まるまって眠ろう。



2022年02月15日(火) かなしい怪物

この日記の場所が
生きていることがうれしい。
何年ぶりかしら。
ここはブログやSNSのように
コメントがつかないので
純粋に自分のために言葉を紡げる。

近況を。

奄美大島での暮らしは
とても心地がいい。

芯は石のように頑固だけど
表面はやわらかい
ユニークな夫と
若い天真爛漫で甘えっ子の美猫と
小さな集落の
山の麓の一軒家に住んでいる。

ご近所さんにも恵まれ、
この地で採れた野菜やお魚を
いただくことも多く
わたしはよくお菓子を作ってお返ししている。
母伝授のにんじんケーキが人気だ。

ご近所のおじいちゃん監督のもと
自分たちでつくった五右衛門風呂は
とても気持ちいいが
薪集めという仕事に追われる。
薪集めのために山に入るのは好きなので
そんな生活もなかなか楽しくはあるのだが。

仕事は心理職。
スクールカウンセラーとして
10数校を担当しており、
忙しい時期と余裕のある時期の差が激しい。
収入はギリギリ。
今はいいが
これからを考えるとあかんやろ
と思う。

仕事の内容もさまざまで
学校のニーズに合わせて
カウンセリングでも
グループワークでも
職員研修でも
なんでもかんでもやるので
自分は融通が効く方の
心理士なのではないかと思っている。

音楽はほとんどやっていない。
正直淋しい。
曲の種はあっても
それを育てて
曲にする気力が湧いてこない。
でもがんばって少しずつ曲をつくる。

やはり、
作った曲を好いてくれて
アレンジしてくれる仲間
当たり前のようにライブができる場所
聴いてくれるお客さんがいる
そんなつながりのあるシステムの中だから
あんなに曲をつくって活動できたのではないかなあ。

そんなつながりを
また1からここでつくり直すための
物理的な時間と
エネルギーが足りない。

あの頃は
家族もバンドメンバーで
音楽が暮らしの中心だったから
できたんだね。
いつも頭の中が音楽と創ることで
いっぱいなしあわせな時代だった。

週に一回は地域の仲間と一緒に
草ラボという活動をしている。
島の植物を暮らしに生かすというコンセプトで
毎週木曜に廃校になった学校の音楽室に集い
草を編んだり食べたり蒸留したり
いろいろやっている。
カラフルな仲間たち。

あとは、
カニが好きで
これからカニを中心にして
仕事をしていこうと
考えている。

どうだ
楽しそうだろう。

それなのに
それなのにだ。

そんな暮らしの背景に
いつもBGMのように流れている
このくらく重たい空気はなんなのだろう。

奄美に来て2年目くらいから
感じはじめたこの感触。

人生の短さへの不安
大切な人や自分の命が
いつ何時消えるかもしれない
死への恐れ。

いや
そうなのか?
言葉にすると
あまりピンと来ない。
このうっすらと流れ続ける
淋しさ。

生まれてきて
ずっと淋しいぼくたちは
淋しいのを紛らわすのが
普通ということに
なったのだろうか。

無視したら
それなりに楽しく進む暮らしだが
わたしは無視できないのかしら。

この不安か恐れか淋しさか
そのすべてが混ざった塊か。

それを解き明かしたい。

そもそもそれは
わたしのものなのか。
影響を受けているのか。
そこすらもわからない。

ただただ
背景に流れる
その暗い空気に
胸が締め付けられ
手が震え
涙がでる。

かなしい怪物が
のりうつってきているよう。

どうか成仏してください。
それまで
あなたのことを
しっかりとみていこうと思う。

あなたのことを
書いて描いて
うたって
踊ろうと思う。

苦手かもしれないけど
わたしにもわかるように
あなたの苦しみを
教えてほしい。

愛しています。


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はたさとみ [MAIL]

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