空色の明日
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2015年03月31日(火) ガウディさま

桜の季節がものすごい勢いでやってきました。
私の街は少し寒いのでまだあまり咲いていませんが
職場のある街はもうソメイヨシノが満開です。
帰る道々、夜桜に心が浮足立ってしまうのは
桜の魔力ですね。


先週末はやっと神戸にやってきた
ガウディ×井上雄彦展に行ってきました。
図面とかあるだろうと思ったので
じっくりとじっくりと見たいから一人で行ったのですが
音声ガイドも借りてたっぷり3時間も楽しんでしまいました。
あぁ、バルセロナに行きたい。
やっぱり行くならこれも一人で行って一日1つか2つくらいの
建物をじっくり楽しみたい。
でもスペイン語は全然わからないし
なんせ海外旅行もツアー旅行で行っただけで
自分で行くなんてそうとう勇気がいるし
まずそんなに長い休みが取れないし。

あぁ、歩き回れる元気があるうちに行きたいが
それにしても・・・。
まずはスペイン語を勉強するのが
一番勇気がわくかな。
でもどうしても見たい。
もうあと11年後には
サグラダファミリアが出来上がる「予定」らしいし。

それまでになんとかこの自分の中の大きな壁を
乗り越えれるようになっていたい。
唯一行ってみたい海外なのだから。
この展覧会にいってますますそう思う。

勉強だな。勉強しかないな。
中学の時は写真でしか楽しめなかったガウディさま。
短大で建築図面を勉強したから図面で楽しめるようになった。
ただ、図面に記入された言語がスペイン語なので
意味がやっぱりわからない。
今度はスペイン語しかないな。


2015年03月15日(日) 帰る道々

祖母96歳である。

最近弱り気味である。
といって、何度もドキドキしては元気になり
96歳になるのであるが、年々歳を重ねるがゆえに
前回の弱り方よりはさらに状態が悪い弱り方になるので
最近週末は通っている。

今年になって新長田の特養に引っ越しした祖母。
震災で焼けて町全体がリニューアルしたところなのですが
新長田にそもそもあまり縁がなかったので
ほぼ初めてその大きな町をうろうろしています。
おいしいパン屋さんや豆腐屋さんをみつけて
それを楽しみに行きます。

そういう楽しみを見つけておかないと
弱っている人に会いに行くとなんとなく
自分のエネルギーをできる限り相手に移して
帰ろうとしてしまうのか
ものすごく生気を吸い取られたようになって
家路につくことになる、ということを
父の看護生活から実感してるので
母と私はそういうお楽しみをみつけておく習慣が
どうもついてしまったようです。

なんかまた今年はこんな生活か。
去年は母が入院してたし。
だんなさんは前に手術したところが痛いと言い始めてるし。
あぁ、自分が病気でもないのに
なぜ看護や介護ってこんなにも気持ちとエネルギーを
もって行かれるのだろう。
しんどいのは、当の本人だろうになぜ私が。
遠いのもあるけど帰りの電車でものすごく爆睡する。

実家と近い方がいいというのはこういうことか。



そんな道々の気分転換にまたハリーポッターを読み返してる。
なんでこんなに何度も読んでも新しい発見があるのか。
面白すぎる。
そして映画も見る。
この前のティム・バートンでも思ったことだけど
もはや吹き替えでは物足りなすぎる。
かといって英語で聞いても半分も意味がわかってないのだけど
それでも役者の抑揚やリズムは
吹き替えでは表現しきれてない部分が多すぎて
わからないなりに英語で観てしまう。
まぁ、ストーリーは全部頭に行ってるわけだし
これといって問題なく見れるのだけど。

とうとうDVDコンプリートBOXを購入してしまった。


2015年03月07日(土) 前売りチケットまつりファイナル

「ティム・バートンの世界」@大阪観に行きました。

あー、自分が監督の何が好きなのかがはっきりわかった。
絵とか画像だけとかそういうことじゃないわぁ。

むしろ音、セリフ回し。
セリフのリズム。
あのおふざけなTVドラマのようなセリフ。
あれが一番ここちよい。
そして音楽とか。


だからビジュアルもかわいくて色がきれいで好きだけど
それだけじゃだめなんだということが
展覧会という形で観てわかったわぁ。

だからジョニデが出る作品が好きなのだわ。
あの人、そういうリズム感が演技全体にあふれてるから。

だからアニメ作品とか全然好きじゃない。
キャラはかわいいとは思うけど。
ナイトメアとかなぁ。なんかなぁ。
やっぱり音人間なんだな、私。

そしてヘレナ・ボナム・カーターさまは
監督の理想を満たすスーパー女優さんだな。
彼の書くデザイン画の女性の中に
たくさんヘレナさまに似た人がいる。
私もヘレナさま大好き。
あんなにミステリアスでチャーミングで
センシティブな演技する人いないよなぁ。


っと、ざらっと見てやっぱり違うわと帰ってきました。
だって、好きな作品はバットマンとマーズアタックだものね。
しかたないね。


これで前売りチケットまつりは終了しました。
しばらく静かに暮らします。
もう一か月もすればまた今度は春のお花見です。


2015年03月01日(日) 家族

二月は逃げるといいますが
あぁ、結婚してからますます二月が駿足で過ぎます。

仕事は繁忙期。
そして二月は自分と旦那さんと大親友の誕生日。
たった28日におまけにバレンタインとか
(もうあんまり関係ないけど)
なんとなんくウキウキしてる間に3月になってしまった。

そんな中でもおばあちゃんが別の特養に引っ越して
そしたらやっぱり堪えたのかかなり急激に食欲がなくなったり。
通い詰める母とできる範囲内で通う私で
少ない時間の中、新しく行動範囲となった新長田の街を
しばしお昼ご飯で探検する楽しみで気持ちを支えたり。

キヨシロウの映画を見に行く前に日にシーナの訃報だったり。

今年は特になんか動く、いろいろと。
せわしなく1か月が過ぎた。


時間は流れる。
流れの中で自分を確認しながら生きられるのは
家族というニュートラルな点が存在していて
その点との対比を見ながらいられるからだと思う。
その家族も変化しているけれど
共にそこに戻る場所として存在させようと努力するから
家族という構成に族(属)しようとするから
見失わないように意識しながら生きるから
かけがえのないものになるのであって
決して自然に存在するものではないな。
一つ一つ紡いできた結果、そして現在進行形。

96年生きたおばあちゃんとその子とその孫。
その一族のそれぞれの生き方・考えはあるけれど
いまそのトライアングルの一番てっぺんにいる人のところに
集いそれぞれの思いをそれぞれに注ぐ様をみていて
生きざまって尊いなと思う。
この人のそばで同じ時間を過ごせたって経験は
素敵だったなと思えるような人がいるって一番幸せなことだな。


有名とか無名とかそんな世間的なことは
ちっとも価値のものさしじゃないな。


ん・・・あまりにいろいろ思ってることを
全然アウトプットしないでおいたら
凝縮しすぎて出てこなくなっちゃうな。
もっと小出しにしないとな。


施設の食事が全然喉を通らないくせに
娘がりんごをすりおろしてジュースを作ると
「あぁ、おいしい」とごくごく飲んじゃえる姿とか
彼女が大好きな焼き芋を新聞紙にくるんでもってったら
目を輝かせて「焼き芋!?」と大喜びして
パクパクと食べちゃったりするのを見たら
「喜ばせよう」とする気持ちが目に見えるものしか
もう受け付ける気にならないんだなと思う。
いくら施設の方が心を込めて作ってくれたものでも
お顔が見えない人の作ったものは美味しく食べられないのだなと。

本当は調理しているところを見に行けたらいいのに。
もう座っていることもしんどくなってしまった彼女には
ちょっと無理かな。残念だ。

でもこうして老いるという姿を見せてもらったことが
私の中で必ず力になると思う。
生きることで「教え」てくれる人。
人は一人じゃつまらない。
だから集う。
家族。


安藤みかげ