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2002年05月31日(金) ちっぽけな悲しみ

東京から、旅の友がやってきました。
私の大好きな友の一人です。
大阪の友だちも誘って3人で吉本新喜劇を観に行って、そのあと、私が初めて「大阪」を感じた店に行きました。
吉本の人たちがそのまま出てきたような店です。
そこで、生の「ボケ」と「つっこみ」を観察。
大阪人のつっこみはこうして訓練されるんだなあ、と思いました。

少し酔っぱらったあと、尼崎の旅人が集まる店に移動。
なんだかんだと集まって、かなりの人数になりました。

ときおり、わけもなくこみあげてくる悲しみをこらえきれずに、何度か席を外したけれど、それでも今日はこの人たちといっしょにいられてよかったと思いました。
今のこの関係が、いつまで続くのかわからないけれど。
私の悲しみなんて、本当はちっぽけなものなのでしょう。

だから、大丈夫。


2002年05月30日(木) 不可能なこと

大掃除をしました。
段ボール箱が山積みだったので、一つ一つ整理していきました。
ついでに押入にあった段ボールも整理しました。
一つの大きな封筒が出てきました。
そのなかには、私の旅の思い出がたくさんつまっていました。
二十歳のころから今に至るまでのたくさんの手紙や旅日記。
泣きたくなるほどせつない思いをかみしめて、どんどん思い出を整理していきました。

「不可能」が「可能」になるよりも、「不可能」は「不可能」のままのほうがいいのかもしれない。

これからの自分に対して、そんな言葉を見つけた1日でした。
でも、そんな言葉に惑わされる私ではないことも見つけた1日でした。

おやすみ。


2002年05月29日(水) 捨てられないつながり

前の会社の後輩と飲みに行きました。
辞めた後も何かと連絡をくれる後輩です。
「今度、飲みに連れてってください」
とかわいく私に言ってきた数年前からはずいぶんと態度は変わりましたが、それでも気心知れていて、落ち着いて飲めます。

彼女を見ていると、彼女の歳のころの自分をよく思い出します。
けっして自分に似ている、というわけではないけれど、彼女が悩み考えていること、行動しようとしていることはよくわかります。わかっているつもりです。
だから放っておけなくて。
彼女は、捨てられない「人と人とのつながり」の一人です。

おやすみ。


2002年05月28日(火) 逃げではなくて

神戸まで仕事の打ち合わせに行ってきました。
久々なことで、しかも相手に渡す名刺までできていず、少しあたふたしました。
が、いつものペースに戻るのはそんなに難しいことではなくて。

その後、旅の友が映画に誘ってくれました。
それは、今の私にはとてもとても救いになりました。
ありがとう。ホントにありがとう。

私は、これから、……、を考えるのはもうオワリ。
オワリにしてから考えます。
なんにも考えない時期があるのも、きっといいことなんだと思います。
それは、けっして「逃げ」ではないのも、知っています。

おやすみ。


2002年05月27日(月) 旅の途中に

さて、明日から本格始動です。
といっても、まだ旅の途中ですが。


2002年05月24日(金) 大雨

宿を出る前に少しピアノを弾きました。
宿のパソコンの設定もしました。
思った以上に時間がかかりました。

駅まで送ってもらって、走って改札を抜けました。
さて、「私の旅」は一時休憩。
気分が重いのは、きっとこの大雨のせいでしょう。


2002年05月23日(木) ジンギスカンパーティー

今日は、旅の友と宿の人といっしょにフゴッペ温泉まで行きました。
ツルツル温泉で気持ちよかったです。

仕事の都合で、明日、小樽を離れることになりました。
だからというわけではありませんが、今日は近所に住む人たちを呼んでジンギスカンパーティーです。
楽しい楽しいパーティーになりました。

それでもときどき気分が重くなるのは、明日、ここを離れるから、ということでしょうか。

おやすみ。


2002年05月22日(水) 打ち上げ

ピアノを弾いたりギターを弾いたりして、1日を過ごしました。
午後から小一時間ほど散歩をして、帰ってきてまたピアノを弾いて。
この単純な流れが疲れていた心と体を休ませます。

夜は、宿の人たちと3人で近所の居酒屋に行きました。
いろんな打ち上げを兼ねています。
宿の隣りに住む人は店の人を交えて、総勢5人の飲み会になりました。
とても楽しい楽しい夜でした。

そして、例によって飲みすぎの夜。

おやすみ。


2002年05月21日(火) 斜里→小樽・スタート地点で休憩

いろいろと考えた結果、小樽に戻ってきました。
旭川まで出て、その後、石北峠を越えました。途中、大雪や層雲峡を見て、何度か道の駅で休憩して、それでもまだ時間があるので、小樽までイッキに帰りました。
8時間近くかかりましたが、なぜか疲れはありません。
むしろ、小樽に向かっていることにとてもワクワクしていました。

すっかり知床・斜里の魅力にとりつかれていましたが、やはりこの街にはかないません。
知りつくしている街並みが見えたとき、「あ、ここだ」と思いました。
私のなかの何が変わろうとも、この街への思いだけは変わらないでしょう。
「おかえり」と「ただいま」の繰り返されることの意味を、今日はひしと感じました。
この場所がこの地にあってよかった。
そう思っているのは、おそらく私だけではないでしょう。

戻ってきたけれど、まだまだ旅の途中です。
ここは、私のスタート地点だけど、ゴールではありません。


2002年05月20日(月) 能取、網走、屈斜路湖・だれにもあげない

今日のアスパラ取りは中止。
昨夜、寒かったため、あまり伸びていませんでした。
予定を変更して、少しドライブをしました。

隣町の小清水原生花園を見てから能取湖に行きました。
小清水原生花園は、野焼きをしたばかりで辺り一面まっくろ! あまりキレイとはいえない景色でしたが、見頃はこれからとのこと。
花がキレイなころは、国道244号線が大渋滞するほどにぎわうとか。
今度、花がキレイなときの写真でも見せてもらおうと、その場は退散。
濤沸湖と藻琴湖の脇を通って、能取岬まで行きました。
岬には草原が広がっていて、たんぽぽがたくさん咲いていました。風が強かったのと防寒着をもってくるのを忘れたため、車から降りませんでした。
それでも少し休憩したあと、能取湖の横を走る美岬ラインを通って、今度は網走湖を目指しました。
だんだんと車から降りるのが億劫になってきたため、網走湖は横目にみるだけにとどまり、美幌にある「峠の湯」で休憩しようと思っていたら超満員。
仕方がないので、美幌峠を越えることに。
屈斜路湖を一望できる大パノラマの広がる峠、とガイドブックにあるとおり、「うわあ〜っ」と思わず叫んでしまうほどキレイでした。
思えば雪のない時期の屈斜路湖って初めてかもしれません。

摩周湖斜里線を通って、清里近辺まで帰ってきたらまだ15時。
早く回りすぎました。
少し宿に戻って休んでいたところに、「斜里の夕陽スポット」の情報が入り、17時ころにまた出かけました。
雲がいっぱいだったので、夕陽は無理かな、と思っていたら、ちょうど雲が途切れて、海に沈む夕陽を見ることができました。夕焼け雲がいつまでも赤く、どんなに遠くからでも見えました。
今日のこの夕陽が、どれだけキレイで、どれだけ私の心を打ったかなんて話はもうどうでもいいのです。
いつまでも覚えていたい夕陽であること、そしてこの夕陽は誰にもあげたくないことだけは、間違いありません。

明日は斜里を出る予定。
そろそろオワリにしないと…。


2002年05月19日(日) 斜里滞在・アスパラと知床博物館

アスパラ取りをしました。
畑ににょきにょきと生えているアスパラをナイフでざくざくと切っていきます。
泊まっている宿の宿主さんの農場で、取らせてもらいました。
初めての体験でとても楽しかったです。

午後から、知床博物館を見に行きました。
斜里や知床の歴史を知りたかったからです。
初めてこの地に移り住んだ人々やアイヌ人とのかかわり、生活と風土など、いろんな知識が得られました。

そのあと、この街をもっともっと知りたくて、いろんなところをうろうろしました。
日曜日なのに人気の少ないこの斜里という街に、なぜこんなに魅力を感じるのでしょうか。

夕飯は、宿主さんの農場仲間といっしょにハウスのなかでジンギスカンでした。
地元の話、近所の話、農家の話、斜里の話、網走の話、北海道の話、たくさん話題があって、とても楽しい楽しい夕飯でした。

その後、やはり温泉に入ってのらりくらりとして、今に至る、です。

明日もアスパラ取りです。
がんばらねば!


2002年05月18日(土) 標茶→斜里・壮大な湿原と知床連山と

今日はたくさん走りました。
標茶から厚岸をぬけて霧多布まで行って、その後、海沿いの道244号線を北上。
知床峠をまわり、斜里の宿に泊まっています。
厚岸ではなんと桜祭りが開催されていました。葉のある桜がなんともまたキレイ。カキの産地でもあるので、屋台には焼きガキがありました。
でも、節約モードの私は素通り。霧多布まで急ぎました。
霧多布岬でようやく「ここって太平洋だ」と実感。なんとなく自分の知っている海に出会えたような気がしました。
少し休憩してから出発。そろそろ旅の終わりに向けて移動しなければなりません。
「よし、イッキに知床半島だ!」
と、ヤケに気合いを入れて出発。そんなにたいした距離でもないのですが。

浜中でムツゴロウ動物王国を横目に眺め、湿原の真ん中を突っ切りながら北上。
湿原に抱いていたイメージがこの2日間で一変しました。まさに「生命の宝庫」です。
海沿いの道を走り、野付半島を過ぎたあたりで、海の向こうに陸地を見つけました。
何かの半島の先かなと思いきや、なんと国後島でした。
その距離は約24キロ。こんなに近いのかと驚きました。霧でぼんやりしていましたが、それでも晴れた日にはもっと近くに見えるのでしょう。

北方領土について少し自分の知識を整理しながら、どんどん北上。
あまり知識がないことに気づいたころに、国後国道に入りました。いよいよ知床です。
途中から山道に入り、さすがに登りがつらくなりました。のんびりと走っていると、どんどん追い越していってくれます。
まだ雪をかぶった羅臼岳がどんどんと目の前にせまってきて、思わず車を停めました。
今回の旅で心に残る場所の一つになるだろうその岳は、「雄々しい」という言葉がぴったりのように思えます。
夏場は登山も可能とのこと。なんとなく魅力を感じます。
峠のてっぺんにある「羅臼国後展望塔」でも、羅臼岳に見入りましたが、人が多かったのでそそくさと帰ってきました。

峠を越えて斜里の街に入ると、今度は斜里岳が見えてきました。
広大な大地とだだっぴろい空とそのなかにぽつりとある独立峰。
初めて訪れた斜里は、そんな街でした。

ということで、斜里の宿に宿泊中。

■今日の昼飯
なし


2002年05月17日(金) 大樹町→標茶・湿原と温泉と、焦ることのない気持ち

まだ、少し熱っぽい感じでしたが、出発することにしました。
2連泊した大樹町の宿は、バイク乗りが集まる宿で、オフロードのバイクが何台もあり、裏庭にはコースまでできていました。
「乗ってみる?」
の一言に、思わず「はい♪」
100ccの小さなバイクですがレース用にできているので、馬力はかなりあるとのこと。
おそるおそるギアをローに入れ、アクセルを少しずつ開きながらクラッチをつなぐと、少しずつ前に進みます。
何年も忘れていた感覚が、呼び起こされました。
「気持ちいい〜!!」
と叫びながら戻ってきた私に、「いつでも乗せてあげるよ」と宿主さんたち。
そんな二人に見送られながら出発しました。
宿からすぐの湧洞沼に寄って遠く水平線を眺めました。水平線ってどこもなんでこんなに気持ちがいいんだろう、と思うくらい静かで気持ちのいい場所でした。

その後、釧路に向かい、霧多布まで行こうと思いましたが、やはり体調があまりよくなく、途中のコンビニ「セイコーマート」でしばし休憩。
ついでに久々にメールをダウンロードすると、小樽の知人から一通。
「急ぐ旅でもないのだから、気持ちをのんびりと持つこと」
そうか。きっと「気持ち」が焦っていたんだな。
そう思うと、なんとなくのんびりとしたくなり、霧多布は後回しにして早めに宿に向かいました。
今日の宿は、標茶にある宿です。

標茶の宿で、温泉を紹介してもらいました。
「オーロラファームビレッジ」という温泉です。すごいところにありました。
ホントに入っていてもいいのかな、と不安になるようなところでしたが、温泉はつるつる温泉で気持ちがよかったです。さすがに露天には入れませんでした。誰か人がいればよかったのですが。
自然の鹿がすぐ目の前を走り抜けていきました。熊が出てもおかしくなさそうなその温泉。380円です。

今回、十勝や釧路を通って思ったのですが、ここは美瑛や富良野よりも私が求めていた北海道の景色や空気がある、と思いました。
道東、みんなが行きたがる理由がようやくわかったような気がします。
湿原は、偉大です。

そして今夜も早めにダウン。
風邪、おそるべし。


2002年05月16日(木) 大樹町・風邪に倒れる

一日、寝ていました。
朝、宿の人が心配して起こしにきてくれました。
風邪薬とバナナをもらって、夕方までぐっすり。
とてもとてもあたたかく気を遣わせない雰囲気の宿でした。
ありがとう。

一日ぶりに食べた食事は熱と薬のせいで味がせず、それでもほかのお客さんとの会話は楽しかったです。
ということで、今日は快晴の道東だったようですが、布団から一歩も出ずの一日でした。
明日には元気になっているといいな。

旅先での病気は、十年ぶり二回目。前のときより心細くないのは、歳をとったことと、道内に知り合いが増えたからでしょうか。

■今日の昼飯
なし


2002年05月15日(水) 十勝清水→大樹町・襟裳岬の風

知り合いの実家で10時近くまで寝ていました。
少し旅の疲れがたまっているのかも。
「好きなモノを食べて」と言われ、冷蔵庫のなかのアスパラとほっけとおみそ汁をもらいました。
まったくの他人なのに、里帰りした気分。
お昼少し前に出発。今日は襟裳岬を目指します。
隣りに住んでいるおじさんに道順を教えてもらって、さて出発、です。
途中、中札内美術村に寄りました。「村」というだけあって、広い敷地内に美術館が2つと写真館があります。木立のなかの歩道をてくてくと歩きながら移動します。
今は気持ちがいいけど、冬は寒いだろうな。
六花亭の包装紙を手がけた人の絵もたくさんありました。

のんびりと休憩したあと、襟裳岬まで行きました。
中札内から2時間ほどです。
広尾の漁港から336号線を南下。通称「黄金道路」というそうです。
高波のために道路が濡れている場所もいくつか。風の岬というだけあって、かなり強風でした。
展望台までてくてくと歩くと、そこは断崖絶壁。水平線が見渡せ、もう少し遅い時間だときれいな夕陽が見られたことでしょう。
あまりにも強風のため、そそくさと帰ってきました(笑)

今日は大樹町の宿に宿泊。近所の晩成温泉に行って、夜の語らいを楽しんで就寝。
体が熱っぽい。大丈夫かな。

■今日のお昼ごはん:襟裳岬で塩ラーメン600円


2002年05月14日(火) 美瑛→十勝清水・懐かしい家族と

旅の友と美瑛を散策。解説つきで楽しかったです。
「セブンスターの木」とか「マイルドセブンの丘」などいろいろと連れていってもらいました。
まだシーズンオフですが、美瑛の丘はとてもキレイで、比較的に人も少なく、のんびりと散策できました。
その後は、十勝岳温泉「カミホロ荘」に行ってのんびり。
十勝岳の中腹にあるので、かなり山を登りました。だんだんと遠くにある山の景色の一部になっていく自分を感じました。
「今、遠くから見たら、私の服とかが見えるのかな」
と小学生みたいなことを考えるのもまた楽し。
今日の旅は、そんな感じ。

いったん美瑛に戻って、そのあとは十勝清水まで向かいました。
学生時代に2回ほど泊めてもらった家です。
友だちの実家なのですが、友だちはいつもいません。なんだか不思議。
十年ぶりの再会で、お姉さんに子どもが一人増えていたりとかはしたけれど、本質的なものは何も変わらず。ただただ懐かしい再会でした。
十年前に抱いた印象がそのまま変わらず今日も残っていて、この家は私の好きな家族の一つだったんだ、ということをあらためて思い出しました。

おやすみ。


2002年05月13日(月) 美瑛・旅仲間との夜

今日は、美瑛の丘をドライブしてそのまま麓郷に行きました。
「北の国から」のロケ地です。
前にも一度、来たことはあるのですが、通り道だったので寄ってみました。
マイナーな観光地のようであまり人はいず、比較的ゆっくりできました。
絵はがきもたくさん書けました。

のんびりと農道を走り、国道を横切って中富良野の「風景画館」まで足を延ばしました。
廃校になった小学校をギャラリーにしてあり、それがまたなんともいいアジを出していました。
そこでもまた絵はがきを買いました。
富良野に住んでいる人しかわからないだろう雲の動きや木漏れ日などが描かれていました。

いい気分になって帰ってきたら、なんと小樽の旅仲間がそこにいました。
仕事が休みになったから遊びに来たとのこと。

そして、またまた今日も楽しい夜になりました。


2002年05月12日(日) 旅先で髪を切る

昨日は、サロベツの宿に泊まりました。
朝陽も夕陽も見える宿ですが、両方とも見ませんでした。
同室になった旅人と意気投合。
江差に住むという彼女の家に、旅の途中で寄ることになりました。
楽しみです。

ほぼ全員が同じときに出発。行き先はみんな違います。
私は一路、美瑛を目指しました。
髪が伸びてきていたので、旭川で髪を切りました。
私は旅先でよく髪を切ります。
小樽でも何度も切りました。富良野でも切りました。
また、来たいな、と思う街で切ります。
でも今回は、必要にかられて切ったような気がします。旭川にはそんなに愛着はありません。

旭川の街を歩くのは3回目ですが、雪のない時期に歩くのは初めて。こんなに歩きやすい街だったのか、とびっくり。

その後、富良野まで行き、懐かしい建物を見て、美瑛に戻りました。
宿に着いてびっくり!
サロベツの宿でいっしょだった江差の彼女がいました。

こういうことがあるから、一人旅って楽しい。
ということで、今日も楽しい夜でした。


2002年05月11日(土) なんとも振り返る

礼文島2日目です。
今日は宿の都合で宿泊できません。だから一度、島から出ることにしました。
午前中は、港のある南側を歩きました。
知床から桃岩に抜けるコースです。
小さな花がたくさん咲いていました。礼文でしか見られない花もあるとか。
植物を育てるのは好きですが、「限定」の花というのにはあまり興味がわきません。
それでも、色とりどりの花畑は「自然の美」そのものでした。
強風にあおられながらも崖っぷちに咲く小さな花に、つい話しかけてしまいました。
何を話しかけたかは、その花に聞いてください。

今日は何度も空を見上げ、利尻岳を振り返りながら歩きました。


2002年05月10日(金) 海と風と山と空

礼文島の北のほうを歩きました。
久種湖のほとりから山に入って、スカイ岬からゴロタ岬を抜けて宿に戻りました。
通常、4時間のコースらしいですが、足の調子をみながら7時間かけて歩きました。
計3時間は休憩したことになるのでしょうか。

壮大な自然を見てきました。
途中にすれ違う旅人は誰もいず、やたらと島の人たちに話しかけられました。
ゴロタ岬で最後の休憩をしていたら、目の前をカモメが風にのって飛んでいきました。
「風が見える場所」とどこかのガイドブックにのっていたのを思い出しました。
空の濃い青が近くに見えるけれどとても高く、海はとても静かでした。
ゴロンと大の字になって空を見ていると、さっきまで強かった風がやさしく鼻先をかすめていきます。
「独り占めしているんだ」
かなりぜいたくな気持ちになりました。

あんまりにものんびりしていたせいか、宿主さんから電話がかかってきました。
さすがに3時間オーバーは心配になった様子。

私の初めての礼文は、こんな感じでした。


2002年05月09日(木) いよいよ礼文

朝食は取らず、ゆっくりと寝ていました。
久々に運転したので、けっこう疲れていました。
たいした距離ではないはずですが、慣れない道とスピードにきっと緊張していたのでしょう。
ということで、今日はできるかぎり法定速度プラスαのスピードを保ちました。
昨日のスピードで行けばお昼には、稚内に着いている予定でしたが、途中、サロベツ原野で寄り道したり、利尻岳を眺めたりしていたら、けっこういい時間。
稚内港を15時発のフェリーに乗っていざ礼文島へ。

17時過ぎに香深に到着。
出迎えの車に乗って宿に着いてなんとなく安心。
親戚の家に遊びに来たときのように、親しげに出迎えてくれました。

どうもありがとう。
明日は、たくさん歩きます。


2002年05月08日(水) 旅立ちの日

いよいよ旅立ちです。
そして、今日は誕生日です。
大好きな人たちに見送られての出発。「帰る」のではなく「旅立ち」です。
いつまでもいつまでも手を振り続けてくれる二人をバックミラーで追いました。
「ここには、私は帰ってくるのかな」
そんな無駄な疑問を投げかけてはみるものの、答えは出ません。
この旅の間、考える時間は十分にあります。
まずは、旅を進めること。

目指せ、礼文島! です。
ということで、今日は羽幌で泊まりました。
お客さんは私一人だけ。
宿主さんたちとの楽しい会話になんとなくぜいたくな夜になりました。


2002年05月07日(火) 最後の日

小樽の街を歩こうと思ったけれど、パスタを食べただけでやめました。
本屋に行って、私でも弾けそうなピアノの楽譜を買いました。
それでも、譜面は簡単なのに、やはり指がついていきません。焦ることなくのんびりと練習していました。
今、頼まれている仕事を断ってしまいました。
なぜだか自分でもわかりません。
すごく失礼な断り方をしてしまったのもわかっています。
それでも、今の私には休養が必要なんだと思います。

少し心を落ち着けたくて楽譜を買ったけれど、あまり練習する間もなく1日が終わりました。

明日から旅立ちです。
旅立たなくてはいけないのです。

おやすみ。


2002年05月06日(月) 乗り越えるもの、乗り越えちゃいけないもの

今日も1日、ギターを弾いていました。
私の覚えているコードで弾ける曲は2曲だけ。
毎日、繰り返しながら弾いています。
いつまで経っても上達しないGからCへの指の動きがもどかしく、それでもその箇所をすらりと弾けるようになれば、何かを乗り越えられるような思いにかられて、繰り返し繰り返し弾いています。

そんな私に構うことなく、周囲はどんどん変化していって。

ひとつ、決心をした今日一日でした。


2002年05月05日(日) 釣り

積丹まで釣りに行きました。
今の時期は、ほっけがよく釣れるとのこと。旅仲間と6人で行きました。
かなり風が強く、とてもとても寒かったけど楽しい楽しい1日でした。
帰りは温泉に入って、心身ともにあたたまって、夜は、釣ったほっけを煮付けにして食べました。
釣りも温泉も楽しく、煮付けもおいしかったけど、今日は、みんなといられたことがとてもとても楽しかったです。

ゴールデンウイークももうすぐ終わり。
いろんなことに終止符を打って、これから私の旅が始まります。


2002年05月04日(土) 他力本願

今日は、ずっと部屋のなかにこもって、編集作業をしていました。
久々に「働いた」せいか、親しらずがずきずきときました。疲れやストレスがたまると、いつも痛み出す親しらず。やはり抜いておくべきだったのかな。

今、目の前で展開されている事象がすべてではないことくらいはわかっているけれど、それでもそれに影響されている意志や感情があります。
いつも自問自答は、同じところに行き着くけれど、本当はもっとほかの「きっかけ」があれば、どんどん前に進んでいけるのに。

だれか、私の背中を押してください。
というのは、他力本願というのでしょうか。


2002年05月03日(金) 天気のいい日に泣きたくなるのは。

今日は、旅の友と街を「おしゃれ探検」しました。
お刺身定食を食べて、買い物をして、珍しくソフトクリームを食べて、とても楽しい1日でした。
大学を休学して旅をしているその彼女は、とても生き生きとしていました。
かくいう私も、今はもしかしたら「生き生き」として見えるのかもしれません。

毎日、やってくるいろんな「ときめき」や「かなしみ」「よろこび」を、私はいつまで覚えていられるのでしょう。

天気のいい日に泣きたくなるのは、きっと、心が豊かになっているからだと思います。
そんなときこそ、いろんなことを受け止められる。
そんな気がします。


2002年05月01日(水) いろんな思いを

海の近くの崖まで行きました。
山登りには自信がないのですが、車でかなり高いところまで行けるので安心。
てくてくと海沿いの道を20分ほど登ると、とてもとても見晴らしのいい場所にたどり着きます。
ときおり突風にあおられて、少し不安になるけれど、そこはとっておきの場所になりそうです。

歩きながら、やっぱりいろんなことを考えました。
考えることはいつも同じ。
同じなかでも、今日は少し違うことも考えました。
考えた、というより、思い出した、のほうが正確なのでしょう。

いろんな思いがこめられて。

おやすみ。


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