株式会社JOYWOW
椰子の実日記【JOYWOW】
椰子の実日記 INDEXPASTwill

2007年09月30日(日)


なります!

いまにきっとスーパーに次のような貼り紙が掲示される
ようになると予言しますになります。

    STOP万引き!
   万引きは犯罪となります


首相の談話もこうなるとなります。
「背水の陣内閣になります」

「金融筋」の談話になります。
「円安のほうはドル高になります」

そして国はどんどん滅んで行くになります。
なぜなら、国家とは、言葉だからであるとなります。

 

2007年09月29日(土)
ない!

ぼくの人生の半分はパートナーの失くし物を探すことに、
残り半分は彼女のネットショッピングの段ボールや
クッション材の後片付けに費やされている。

今日、パートナーが車で出かける直前、毎度おなじみの
「事件」は起こった。

「車の鍵がない」

こうなったら最後、絶頂期のジョン・レノン、
「ミラボオ橋」を書いた頃のアポリネール並みの
想像力を働かせないと、紛失した鍵は出てこない。
何しろ、ちょっとやそっとの場所にはない。

以前住んでいた家はその点、まだわかりやすかった。
階段を昇り切った先にあるクローゼットが彼女のお気に
入りで、たいていはそこにあったからだ。クローゼット
にはまず入れないであろう品物まで、何から何まで、
発見した。ミネラルウォーターのペットボトルから、
CD、本はいうに及ばず、靴下片方、お気に入り
の万年筆、スィミング・プール用ゴーグル、etc.etc.・・・

結局、タイムリミットで彼女はスペアキーで出かけた
ものの、気持ち悪いのは後に残されたぼくである。
原稿の締め切りを始め、「待ったなし」の仕事を
多数抱えていながら、家の隅々まで探すことになる。

さっき、玄関の下駄箱と、二階トイレを探索したが、
発見できず。さて。どこから出てくるのか、楽しみ。
そして読者の皆さん、帰宅後、PCでこの日記を発見した
彼女から削除命令が出るかもしれないので、実のところ
この文章は期間限定・貴重品である(笑)。

*付記 たったいま出先から携帯メールあり。
 「あったの、かぎ(笑)。本日の鞄、うちぽけっと。
  朝、入れて忘れたらしいっす」
  これだよ。

 

2007年09月28日(金)
音楽活動再開です

バンドBスクエアのメンバーは皆、現役のビジネスパースン
ばかり。このたび、N氏の結婚披露パーティに出演依頼を
いただき、よろこび勇んでリハーサルをみっちり重ねようと
やる気は高まるのだが、いかんせん、メンバーが揃わない。
みんな忙しい上に、一人は関西在住。
メンバー6人全員が集合するなんて、奇跡に近いのだ。

よって、「集まれるメンバーだけでも・やれる範囲だけでも」
というリハーサル形態をとるしかない。
今日はメンバーの中で三人、集まった。
場所はまつおっちのオフィス(本郷三丁目)だ。
朝10時30分という、ぼくにとっては海外出張にも等しい
遠路の朝集合時間(笑)。
N氏のパーティの演奏環境を検討してみると、何と、あこがれの
ストリートライブと似た環境であることを発見、良かったね
と皆で言い合う。

久しぶりにバンド活動をすると、やはり楽しい。

御茶ノ水に立ち寄り、楽器店をひやかす。
あの、学生がメインの客の楽器店の何ともいえない貧乏
なムードが、また、何ともいえないんだなあ。
エレキギターとオカリナに強く心動かされたが、秋以降
の仕事の山を考え、とほほと思いながら断念、手ぶらで
店を出るのがしゃくだったので、ギターの弦だけ買った。

帰途、東京駅構内書店にて村上春樹『ザ・スコット・
フィッツジェラルド・ブック』購入。村上春樹は翻訳
ライブラリーなんて叢書があるんだね。素晴らしい。

帰宅するとアマゾンから村上春樹訳『グレート・ギャツビー』
堀口大學訳詩集『月下の一群』が届いていた。舌なめずり
しながら、読む。原稿があるし、ギターの弦も替えなければ
からないのだが、すべて、後回しだ。

 

2007年09月27日(木)
日米文化論にもなっている

買い物に出かけようとしたら、突然の雨。
コンシェルジェに頼み、傘を借りる。
「傘が戻らない場合は50ドルいただきます」
というホテル側の用意した用紙にサイン、
出かけた。

買い物を済ませ、帰館、習慣で、部屋まで傘を
持ってきてしまった。まあ、明日朝でもいいだろう。

翌朝、出かける際に、廊下で部屋を掃除してくれる
おばちゃんがいたので、傘を返した。同じホテルの
スタッフだから、コンシェルジェもハウスキーパーも同じ
だろう。

日本に帰国後、今回のニューヨーク旅行で使った
クレジットカードの請求明細を見てびっくり。
傘の50ドルが引き落とされている。

さて、この場合、何がいけなかったか。

上記の行動は、日本人としてはよくある話だ。
しかし、この行動が許されるのはあくまで日本の
ホテルにおいて、である。ニューヨークの、いや、
アメリカのホテルでは、たとえプラザであろうと、
コンシェルジェに借りたものはコンシェルジェに
返さなければならない。

ハウスキーパーの職務規定に、「ゲストの代わりに
コンシェルジェに傘を返しに行く」は、ない、のである。

「そんなあ。同じホテルなんだし、ちょっと手間を
かければ済む話じゃん」済まない。ハウスキーパーが
制服のままフロントロビーを横切っている姿を
アメリカのホテルで見かけたことがあるだろうか。
禁じられているのである。彼らはやろうとしても
できないし、そもそもそんな仕事はやるつもりもない。

ここに日本人ゲストがアメリカのホテルに対して
不満を感じる要因がある。

ニューヨークの老舗、プラザで10年間勤務した日本人
マネジャー奥谷啓介氏の著書『世界最高のホテル プラザ
での10年間』(小学館)は、上記のような日米の
サービスクオリティへの期待度落差などのエピソード
も楽しめるが、その奥にある、文化の違い、職業観の
違い、キャリアパスの違い、などに興味が尽きない。
ある方にお勧めいただいて読み始め、その面白さに
時間を忘れた。

プラザといえば、一度泊まってみたいと憧れていながら、
結局、まだ果たせていない。並びにあるビルが、通っていた
ドクターチェンの歯科だったので、よく見上げたものだ。
ロビートイレを借りて、トイレの中にお手拭ペーパーを
渡してくれる係りのおじさんがいたのに、びびった。
本来なら、チップを渡すべきが、「うへへ」と笑って
逃げるように出たことが悔やまれる。

 

2007年09月26日(水)
プロジェクト発進!

レストラン、ラ・マーレ・ド・茶屋(→)

で海を見ながらクライアントとミーティングの結果、
あるプロジェクトが決定、本日より、本格発進する
こととなった。詳細は企業秘密ゆえ、まだここには
書けないが、やり甲斐一杯の、しあわせなプロジェクト。

プロジェクト品質を高めるため、ぼくがやったことは;

村上春樹翻訳作品『愛蔵版 グレート・ギャツビー』
堀口大學翻訳作品『月下の一群』

をオンライン書店で注文した。理由はまた後日。

堀口大學先生といえば、令嬢の堀口すみれ子さんが
拙宅近所にお住まいだ。大學先生はルパンの翻訳以来
大ファンであって、日本語の選択、美意識など、
大好きだ。

さて、可能なら村上春樹『遠い太鼓』のように、
ローマ、ミコノスあたりに行って仕事したいのだが、
現実はそうはいかない。海外行きたいよ〜。

 

2007年09月25日(火)
お嬢様がご無事に出産あそばされましてございます

新幹線電光掲示板ニュースはついつい目で追ってしまう。
「故小渕恵三元首相の・・・」とあるので何だ、どうした、
と思ったらその娘であり衆議院議員(だったんだ!!)の
小渕なんとかという人が出産したという。

あのね。

それって、わざわざ、貴重な電力と労力と掲示板スペース
を使って流すバリューのあるニュースですか?

配信した新聞社の見識を疑う。

政治部記者の中では重要な案件なのかもしれないが、
世間一般にとっては、猫のあくびほどの価値もない。
政治部記者の氣の悪さ、波動の低さはこのたびの
内閣ゴタゴタニュースを報じるテレビ画面に映る
その姿やオーラからあらためて感じていたこと
であるが、やはりね。

26日付朝刊にも囲み記事として掲載されていた。

たとえば、NYTimesやWSJがこういったニュースを
流すだろうか。政治の臭みは、報道機関の臭みでも
あるのだ。腐敗、ここにも。

 

2007年09月24日(月)
お墓参りについて

お彼岸ということで、お墓参りに出かけた。

お墓には霊は誰もいないのだが、物理的にお墓と
その周辺が汚れるので、定期的にお掃除に行く。
だから、一番の目的は掃除であり、「慰霊」では
ない。うちのお墓は逗子マリーナを見晴らす一等地
にある。
ご近所には松嶋奈々子さん夫妻、小田和正さん
たちがお住まいの高級住宅地を控える(披露山)
とても恵まれた環境ではあるが、いくら良くても
お墓のようなせまっ苦しくて蚊ばかりの場所にずっと
いるなんてことは退屈極まりない。母たちもその
あたりは理解しており、今日もお墓にはいなかった。

これまで何度かぼくたちにつきあって一緒に
自分の墓参り(笑)に来ていたが、あっちの
世界でも仕事が山ほどあり、多忙を極めるため、
いちいちつきあっていられない、ということ
なのだろう。

昨夜みた「サザエさん」では、磯野家のご先祖さま
が普段はお墓に住んでいて、お隣のお墓の人と
「ご近所づきあい」をし、彼岸にサザエさんたち一家
がお墓参りに来るのを楽しみに待っている姿が
描かれていたが、実のところ、間違いである。

いや。「死んだらお墓にいるもの」と思っている
場合は現実にお墓の中にいる人もいるみたいだが、
霊的向上をしていくと、墓の中でひまつぶしばかり
はしていられない。あの世でもやるべき仕事がある。
定期的に訪問し、掃除しているのは、ジバラー霊
たちがうちのお墓を住居としてのさばる可能性も
あるので、時々行っては牽制球を投げる意味もある。

だから、多忙や遠方で、しばらくお墓参りに
行けてないなあ、と気になっている方、心配要りません。
故人を思い出し、感謝の念を送れば、それで充分です。
充分、というのは「次善の策」という意味で良い、
というのではなく、本当に、「思う」だけで、故人には
通じている、だから必要十分、という意味です。

 

2007年09月23日(日)
国際グラフィック・アート・ショーの略でした

東京ビッグサイト(→)にて開催されている

IGAS2007(→)へ。

「IGAS」は「印刷(I)とガス(GAS)の展示会」だと
思っていた。それにしてはガス関係の出展がないなあ、
おかしいなあ、印刷方面ばかりだなあ、と思っていた
が間違いでした(笑)。

最早印刷はここまできたか、と、その先端テクノロジーに
驚くばかり。出展企業によって企業の個性が出ていて
面白い。旭化成もブースがあったが、知人はいなかった。
残念だったが、遠くからでも「あ。旭化成社員」と
ひと目でわかるのが、「企業個性」なのだろうね。

打ち合わせを兼ねて場内にあるレストランに入ったのだが、
昼間からビールを飲んでいる人が多く、必ずしも来場者
ではなくて、出展企業社員らしき人も飲んでいる。
まあ、大目に見てあげよう(笑)。

企業のプレゼンテーションがものすごくお金がかかっている
のに驚いた。まさにショーである。新製品Launch予算
の中にはこういうのも含まれているのだが、どちらかと
いえば地味なイメージのあるこの業種ですらこれだから、
いわんやもう少しconsumer寄りの製品・サービスなら
ケタが一つや二つ、違うのだろう。

一方、アンケートに答えたときにもらうノベルティグッズ
の貧弱さはここ20年変わってないのではないか(笑)。
おそらくこの差は予算決裁権の組織内の地位の差なの
だろうが、某企業のパソコン用アームレスト、帰宅後
使ってみたが全然気持ちよくなくて、要するに低品質
なのである。これじゃかえってその企業ロゴのイメージ
低下を招くのではないかなあ。

夕方5時で閉館は早い。もっとじっくり観て回りたかった。

 

2007年09月22日(土)
ギャル曽根の秘密

ギャル曽根(→)

を医学的に徹底分析した番組を見た。ぼくはギャル曽根を
応援している。ファンである。あれだけ食べて、なのに
あの細身の理由を知りたい。

医学的分析としては

1. 血糖値に変化がない特異体質である
2. 胃の蠕動能力が平均値の2倍以上ある
3. 腸内ビフィズス菌が同年齢の女性の2.5倍以上ある
4. 胃の体積が滅茶苦茶膨らむことを可能にする強い胃壁を持つ
5. 便の回数が一日6〜7回
  など

血糖値が変化しないので、いくら食べても満腹感の信号が脳に
行かない。また、食べたものは殆どそのまま胃と腸を素通り
する。その際、カロリーは全く摂取しない。だから太らない。

医学的にはこのような分析なのだが、ここでとどまっては
ギャル曽根に申し訳ない。ぼくが霊的分析をしてみよう。

「ギャル曽根の顔を浮かべてください」と言われて、知っている
人でも、きっと、顔の容貌がまちまちのはずだ。一定していない
顔立ちなのである。

また、「いくら食べても身体的に変化がない」ということも
霊的にはとても重要である。

結論から言えば、ギャル曽根は憑依体質なのである。
憑依体質の人の顔立ちは一定しないことが特徴だ。
その時々に憑依した人の表情がオモテに出るから一定しない。
憑依している霊たちがどのタイプの人なのか特定はできないが、
現代日本では病院で管につながれたまま、「口からものを
食べたいのに食べられないまま死んでしまった」人が
たくさんいる。そういう人たちがジバラーとなってしまって
いる。「食べたい思い」を残してあの世に行った人たちが
ウヨウヨしていて、それがギャル曽根の身体を使って、
欲求を満たしているのだろう。

ギャル曽根の身体と健康をとても心配するわしなのである。
応援するぞーー。

 

2007年09月21日(金)
しあわせなエール交換の夜

プロ・アクティブ(→)

山口哲史さん、西村正春さんにはるばる葉山までお越し
いただいた。夕食をご一緒しながら、エールの交換。
お互いの話に出てくる登場人物がつながっていて、
え? あの人も? そうなんだ! という驚きが
一杯。たとえば中野裕弓さん、ハーストーリィ日野さん。
山口さんの大学アメフト部先輩の遠藤君がぼくと旭化成
同期だったり。このほかにも人・人・人・・・の不思議な
つながり一杯。

同じベクトルをもったビジネスパースンと語り合う。
しあわせなひとときだった。感謝、感謝である。

山口さんとミッチェル・メイが『オルタナ』3号に大きく
出ていることと、ぼくが連載コラムを持っていることを
お互いに知らなかったのも(笑)、これまた興味深い
ことであった。

お話変わって・・・昨日Surfin'で募集開始した
『人間力養成講座』ワークショップ、たちまちソールドアウト
しちゃったので、昨夜、急遽追加開催を決定しました。
10月27日です。既にこちらもお申し込みが来ていますので、
お早めに。このサイトからもエントリー可能です。

エントリーはこちら(→)

*定員に達しましたので、日本時間9月21日22時20分をもちまして募集を締め切りました。ありがとうございました。

 

2007年09月20日(木)
こころの栄養不足がキツネとタヌキの化かし合いに化ける

シャンプーのリフィルを入れていて、つい見たくないものを
見てしまった。それは;

これはシャンプーです。のみものではありません

という警告文である。アホちゃうで。だれも飲まへんって。
飲んだとしても、飲んだ方が悪い。
ところが、そうはいかないのが現代日本なのだろう。
どこかのアホが「シャンプー飲んだ。どうしてくれる。
パッケージに警告文がなかったせいだ」とクレーム電話
を一本かけただけでへたすると担当者のクビが飛び、
企業も訴訟費用だけで数千万かかる。ブランド価値損失
なども含めるとそれ以上の被害が及ぶ。「保険」として
警告文を一行、印刷しておこう、となるのは非常に良く
わかる。

しかし、ですね。

美意識とこころに栄養があれば、そもそもシャンプーを
飲んだのは飲んだ自分が悪いのであり、製造販売者には
何一つ責任はない、というくらいの自分を律する道徳
がなくて、どうするのだろう。

これはシャンプーに限らない。ぼくはタバコは吸わないが、
タバコのパッケージをデザインしている人たちは歯噛みを
する思いだろう。まるでスクール水着のように、おむつの
ように、警告文がパッケージの多くを占有している。
タバコのパッケージも「大人」のおしゃれの演出小道具
のはずなのだがなあ。

根っこは、アメリカのアホな訴訟文化の盲目的輸入である。

昨夜都内のさるレストランで食事したとき、そこは全席禁煙
だった。トイレに、そのレストランを経営するグループ傘下
の店はすべて9月1日から全席禁煙とさせていただきます、
お吸いになりたいかたはスタッフに相談を、とあった。

異常である。ハイカラなつもりなのだろうが、どこから見ても
おかしい。アメリカの真似をすればカッコいい、と
言っている昭和時代の田舎の青年の発想と全く同質である。

もうそろそろ、こういう、キツネとタヌキの化かし合い
のような、タテマエだけの、プラスチックな、薄っぺらい
文化のサル真似をやめていいころではないのか。

言葉の自主規制も、年々ひどくなってきているが、それと
反比例して、日本は世界に類を見ない殺人国家になっている。
2007年1月1日から毎日、どこかで殺人が行われている。
犯人は特別ではなくフツーの人だ。
用語規制をするより、国語教育、道徳教育の抜本的見直し
こそが最優先されるべきであり、かつ、スピリチュアリズム
を含む「あの世リテラシー」を小学生からきちんと教え
込むこと。これは宗教でも何でもない。スピリチュアリズム
は人類の知的資産なのであり、これなくして日本はますます
壊れていく。

うーん、ここでこう言っているだけではもどかしい。
隗より始めよ、まずはぼくのできることから実行しよう。

 

2007年09月19日(水)
走れ動物園

どうしてグリーン車には霊格の低い人ばかりが集まる
のだろう。

・携帯をマナーにしている人が少ない
・着メロがとんでもなくセンス悪い
・しばらくみんなに着メロを聞かせてからおもむろに
 出る無神経とセンスのなさ(自民党政治家のたとえ話
 センスのような後味の悪いセンス)
・両足を前の席につっつけて寝る → ちなみにこれが
 可能なのは、足が短いためである
・その足の裏で新幹線常備の雑誌(みんなの共有物だ)
 の表紙の端っこがドッグイヤーのように折れ曲がっても
 無神経。本を足で踏んだらバチが当たる、と子どもの
 頃から教え込まれてきたぼくには正視できない姿
・グリーン券を購入せずに乗車、パーサーが検札に来たら
 寝たふりをする
・携帯をマナーにしているが窓際に置いているので
 かかってくるたびブルブル、と振動、周囲の寝ている
 乗客全員を起こす
・パーサーがおてふきをもってきてもお礼一つ言わない
・ゴミを取りにきてくれても、だまって突き出す
・職場仲間で乗り合わせたら修学旅行生のように周囲に
 構わずはしゃぐ。おやじがはしゃいでいいのはゴルフ場、
 居酒屋、そしてエア・ギターコンテスト会場だけだ。
 それ以外の場所では見苦しい。

ということで、グリーン車は、俗物ウォッチ、ネタ拾い
の格好の場所です。別名、動物園ともいいます。

 

2007年09月18日(火)
全快!

腹痛はきれいさっぱりと消え、日帰り出張、仕事した。
早朝から深夜まで、元気一杯である。
JR横須賀線から品川駅に下り立ち、ホームを歩いて
いるとき、さすがにふわふわとした感触があり、
「病み上がり」の言葉が浮かんだが、OKだ。
「成り上がり」ならいいが、「病み上がり」
はちょっとね。

新幹線の中でも、あの恐怖の新幹線トイレで
脂汗を流す自分の姿がちらつかなくもなかったが
大丈夫だった。スタバのケーキと駅弁まで食べた。

食中毒(だったのかなあ? 要するに腹痛)を
自分で治してしまった。

実は昨日、この日記を書き終わった段階では、まだ
少々痛みが残っていた(あとでわかった)。
入浴中、あれ? まだ痛いよ、と思っていた。

ところが、

「人間は霊的な存在であり、霊が主で肉体が従。
普段自分ではそう言っているくせに、いざ自分自身のこと
となると、肉体の原因ばかりを考え、その対処にアタマを
使っているではないか」


という「声」が聞こえたのである。
そうか! たしかに。「腸を鍛える」などと言っている
うちはダメなんだ、と一瞬にして悟ってしまった。
そして・・・その悟りを開いた途端、痛みが消えたので
ある。やはり人間、「病は氣から」なのだ。
あらためて、自信をもった。

 

2007年09月17日(月)
腸を鍛えるトレーニングブック

ということで、昨日日曜は一日パソコンを開く元気も
なかった。明日は早朝から出かけるので、今日のうちに
返信すべきメールをチェックしておかなければ、と
パソコンを開ける。

ぼくの治療基本方針はシンプルで、「腸を怠けさせない」
である。いくら痛みを訴えようが、普通の食事をとって、
働かせる。そうしないと、怠けて、弱い子になってしまう。
正露丸でも飲んでおけば大丈夫だろう、と、家人に買出しを
頼み(とにかく我が家には薬というものがないのだ)、
朝から日常生活を送る。さて、この結果は。

以上を書いたのが午前中。
夕方、あまりはっきりしないまま、パソコン仕事をし、
ふと嵐『Happiness』を検索したら動画を発見、
観ていたら元気をもらった。この曲は名作『山田太郎
ものがたり』の主題歌で、とってもいい曲なんだ。
おそるべし、嵐。いいねえ。
おかげで治っちゃった! サンキュー!

 

2007年09月16日(日)
脂汗!

「どれだけアホなことができるか」

を競ったことがある。中学生のときだ。
下校中、ともだち4〜5人と歩きながら、次々に
アホなことをやった。ハヤシ君が、道端に落ちていた
カップヌードルを手づかみで食べたのもその中の一つ。

どうしてそういうことを思い出したのかというと、土曜
午後から日曜全部、そして今日これを書いている月曜に
かけて、腹痛に悩まされているからだ。ハヤシ君は腹痛
など起こさなかった。当時の中学生は強かったのだ。

土曜は、大切な会合があったのだが、当日キャンセルして
しまった。出かけられないのである。
電話で相手にキャンセルの理由を話しながら「腹痛で・・・」
というのが、なんともはや、情けなかった。ちびまる子ちゃんの
ともだちの山根君みたいだ。

発熱も伴ったので、これはどう考えても食中毒である。
それでも薬嫌い、医者嫌いのぼくは念力と呼吸で治そうと
したのだが、治らん。おかしいなあ。人にはヒーリング
できたりするのに、自分は治せないとは。

結局、日曜は一日ベッドの中でうなっていた。

今朝もまだ、若干の痛みがあるのだが、明日は重要な仕事が
待っている。何としても今日のうちに治さねばならない。
食中毒の原因は外食の中のどれかだろう。先週は忙しく、家で
は食事しなかったから。原因はともかく、すべて起こったこと
は良いことであり、意味がある。

どんな良いこと?

メタボがへっこんだ のである。

 

2007年09月15日(土)
韓国語版『企画心』

『企画心』韓国版がようやく手元に届いた。
堂々たるハードカバーである。
装丁は、韓国版のほうがはるかに素晴らしい。
ブックデザインのセンスも光っている。
2007年4月10日に初版が出、たちまち5月10日に
増刷されている。売れているようだ。嬉しい。

3冊届いたので、一冊を神棚に、一冊を両親の
霊前に、そして最後の一冊をパートナーの机の上に
置いたら自分の分がなくなっちゃった。まあ、いいや。

翻訳者は金聖恩さんとおっしゃるかただ。お目にかかった
ことはないが、翻訳家としてその大変さを知っているので、
こころからお礼を申し上げたい。

ぼくは韓国語が読めない。読めないが、図やチャート
は忠実に再現してくれている。また、章立ても、
原著である日本語版よりもすっきりしていて、わかり
やすい。少しでも、韓国の人のお役立ちができれば、
幸せだ。

 

2007年09月14日(金)
今なすべきこと

今ぼくたちがなすべきことは、次の首相がどういうプロセス
を経て選出されるのか、きちんと見届けることだ。
その際、もちろん、手に入る日本のメディア情報は
必要だが、駅売店で見かける見出しはつい数日前まで
首相をやっていた人を呼び捨てにして「病院に逃走」
といった表現をして平気な波動の低い新聞社である
ことを充分考えに入れておかなければならない。
また、政治部の書く記事には、一般の読者には理解
しづらい「暗黙の了解」なんてものがあるので、
ますますわからなくなる。

注目すべきなのは、こうやって政治が空白になっていても
日本は特に破綻することなく、毎日が過ぎて行く
ことである。だったら政府なんて要らないのか、と
いうわけではなく、それだけ官僚をはじめ、しっかり
としたセーフティネットが整備されているのだと
思いたい。

そして、情報分析の際に是非参考にしたいのが、
海外のメディアだ。英語の読める人は、こういう
時こそ、英語力を生かすべきである。
前述のように、「暗黙の了解」など一切なく、
論理的につながねば文章として成立しない英語だから、
非常に背景が理解しやすい。

古館一郎、みのもんたクラスの解説で満足すること
だけは、避けよう。

お勧めは

USAToday(→)

Guardian(→)

NYTimes(→)

WSJ(→有料)

 

2007年09月13日(木)
カラフルな夜

アナウンスがあり、席を立った。

「やれやれ、また品川か」

没入していた森絵都『カラフル』を閉じ、車両連結デッキ
に向う。新幹線はゆっくり品川駅構内へとすべりこむ。
前の車両から移動してきた乗客を見て「あ。Zen」と
思った。うっすらバンドのことを考えていたのでそこに
いる男が大橋禅太郎なのがとても不思議なシンクロニシティだ
な、と思い声をかけようとしたらせんだみつおだった。
目が合った。

驚いてどういう表情をしようかと思ったがぼくは相手を
知っているがせんだみつおはぼくを知らない。Zenじゃない
んだ、せんだみつおなんだ、せんだみつおとみのもんたは
文字数が同じなのかなあ、違ったっけ、最後にせんだみつおを
見たのは『噂のチャンネル』? あれ? アッコ姐ちゃんの
番組って、そんなタイトルだったかなあ。それにしても
滅茶苦茶古くね?

芸能人なのだがだれも気づかない。いや。気づいていたの
かもしれないが、騒ぐほどの人ではないのかもしれない。
そうだよなあ、騒ぐほどの人ではないのだろうなあ、だって
最後にいつ彼をテレビで見たのか、覚えてない。
せんだみつおは品川乗換え口一番左ゲート、係員のいる
ところから出た。そこに立っている女性係員に何か
話しかけた。

リュックを背負ったせんだみつおの背中を目で
追いながら、だって(Zenとは)ぜんぜん似てねーじゃん、
と一人ツッコミをした。

 

2007年09月12日(水)
デジタルならではの仕掛け

例えば安倍首相の辞意を報じるNYTimes(→)

記事の任意の単語をクリックすると辞書が立ち上がり、
解説される。

この辞書は

Answers.com(→)

によってPoweredされているのだが、生きた英英辞典と
して重宝する。発音までわかるし、言葉によっては
ラテン語の語源まで遡ることができる。また、その
言葉が使われているニュースを検索することも可能だ。

ニューヨークに行って驚いたのは毎日のNYTimesの分厚さ。
広告も込みとはいえ、毎日、こんなには読めないよ、
と思っていたのだが、デジタル版が充実することで、
非常に使い勝手が良いニュースメディアになった。
聞けば、インターネット専門の部門がある由で、
「ネットは課外活動」的位置づけの日本メディアとは
全く違う取り組みがなされている。

大いに参考になる。

他、原書を読む際にも、この辞典は役に立つ。紙の辞典も
もちろん持っているが、辞典の最大の機能は検索だから、
やはりネットとの相性は抜群なのだ。アップデートされた
言葉の意味に出会えるのも魅力。

 

2007年09月11日(火)
てっきりガススタンドの話かと思ったぜ

「給油できなければ辞職」

おお。何という潔いガソリンスタンド経営者だ。
そうか、昨今はガソリン価格高騰のため、
セルフにお客さんが流れているからな。自分で給油
できなければやってられるか、というオヤジさんの
矜持だ。いいねえ!

と思ったら、日本の首相の話だった。
国民が参議院選でNOと言っても、その後誰が
何を言っても、どう環境が悪化しようと辞意を
示さなかった人が、ジョージに会った途端、
こうだ。これで日本の首相を誰が決めているのか
真のキングメーカーがはっきりわかる。
「選択と集中」で、首相は決まってきた。
小泉さんの時は郵便貯金をウォールストリートへ流せ、
ということで郵政民営化だった。
現首相の場合は憲法改正(=戦争準備)だろう。
それが無理な雲行きだから、せめてガソリンスタンド
だけは残せ、ということなのだ。

 

2007年09月10日(月)
宅のぼうやはボーナス最低500万円戴きませんと・・・

月曜日は早朝から出かけるためPCに向えない。
そこで早書きしておく。
ある会社が、来年の新卒学生の親を会社見学に招待していた。
(テレビで見た)
オフィスを見学させ、社長室にも入れ、親からの
質問に答える。
なぜこういうことをするのかというと、新卒内定者からの
お断りの理由の一番が、「親にやめなさいと
言われました」だからという。一番の理由が
それなら、その理由への対処をしよう、というわけだ。
ぼくなら、親に言われたから内定を蹴るような学生など、
こっちから願い下げ、とするのだが、この会社は馬鹿正直
に「ならば親を説得、接待しちゃおう」となったのだ。

アホちゃうか。

そもそも、親を理由にするのは角が立たないから、という
大人の分別すら、この会社にはない。
しかも親を豪華中華料理フルコースに招いて、ご接待。
その席で親から出る質問は、やれボーナスはどうなんだ、
福利厚生はどうなっている。

入社してすぐは会社にお金を支払ってでも働かせて
いただく、というくらいの謙虚さと大人の知恵を
持った親は皆無であった。まあ、子どもの会社見学に
押しかけるほどの親だから、アタマが悪いのはわかって
いるのだが。

この会社、名前を出せばみんな知ってる著名な会社である。

それにしても、日本はどこまでも幼稚だなあ、と
あらためて思った一件である。

 

2007年09月09日(日)
袖摺り合うも

プロアクティブ(←)

山口哲史さんから電話。突然のことで、びっくりする。

ピュアシナジー、マヌカハニーや竹布(←)

を愛用していて、いろいろ問い合わせなどもしていた。
ピュアシナジーはよしもとばななさんも愛用とのこと。

山口さんは以前から私の本の読者とのことで、そこで
お電話をいただいた、というわけである。

電話で互いにエールを交換、一度お会いしましょう、と
いうことになり、葉山でお目にかかることになった。

人の縁は不思議。何か新しいことが生まれるかもしれない。
ワクワク! 経営哲学が重なり合う経営者との意見交換ほど、
魂が喜ぶことはないからである。

 

2007年09月08日(土)
応援と夜店とスタバ

近所に、贔屓にしている魚料理店がある。
夫婦で一所懸命やっている。魚が旨い。
昨日(金曜)夕方、ふと思った。
木曜日の夜は台風に襲われて客なんて一人も来なかった
だろう。今朝もまだ台風がいたので(神奈川上陸が午前2時30分)、
漁はできなかったから、魚の仕入れはなかったろう。
お客さん、来てないのではないか。
そうなると、店をやっていくのも大変だろうな。

そういうときこそ、応援しなきゃ、と、電話してみた。
「今日、(営業)やってる?」
「やってますよー」
「でも、フツーじゃないよね?」
「仕入れができないから、なまものは限られちゃいます
 けど・・・」

限界がある・普通じゃない・だからこそ、予約を入れ、
夕食をいただくことにした。
生ビールが旨かった。魚も、旨かった!
その後、森戸神社のお祭りに出かけ、何年ぶりかで
縁日の屋台をひやかした。葉山にこれほどの子どもが
いたのか、というくらい、子どもがいて、嬉しかった。
やはり子どもはパワーを持っているから、ワクワクする。

葉山にようやくできた唯一のスタバでコーヒー
を買い、帰宅。聞けば朝7時から夜10時までやっている
という。葉山で一番遅くまでやっている店かもしれない(笑)。

 

2007年09月07日(金)
幼稚化した日本人

皆さん、ご一緒に。

1. 右腕(左でも可)のひじを脇につけます。
2. 手の平を前面に向けます。
3. 手の平を細かく左右に動かします。

はい。これはバイバイの姿勢です。

問題は、このバイバイをするのが、子どものいる
立派な大人の母親ということだ。
日本人は幼稚化しているが、子育てをしている
母親がこのような、女学生的しぐさを街中で平気で
やって、それがおかしいとも思われない国は世界
広しといえど、日本だけである。

駅やバス停で子どもを放りっぱなしで携帯メールに
没頭している姿は哀しい。中身はもっと貧しくて
見ると泣きたくなるほどだろう。

「わたしわ」「こんばんわ」「どぅ?」

わたし「は」がWAとなって常用化してしまっている
幼稚さ。給食費や保育園保育料の未払い不払いは
幼稚化が理由だ。語彙も貧弱で、口を開けば
「いやされる〜」「カワイイ」「ていうか」
「へんくね?」(和訳:ヘンじゃないですか?)

ドラマ『菊次郎とさき』を見ればわかるように、
昭和30年代の大人は大人だった。だからたけしの
ような世界的なアーティストが育ったのだろう。
塾や予備校にいくら行かせても、親がこの有様
では。

昨日の朝、ウェットスーツに身を包み、勇んで
海へ出かけるサーファーがいた。一昨日の夜から、
波浪警報が出されているにもかかわらず、否、
「出されているからこそ、いい波が来る」という
ことで、海に出るのだろう。これも幼稚な思考
である。サーフィンするだけの馬力があるなら、
近隣の台風準備にその体力を使うなど、できる
ことは山ほどあるはずだ。
また、海で遭難するのは身から出たサビで勝手だが、
救助隊とか警察とかの仕事を増やすことになる。
残った身内の人も大変である。要するに、迷惑
なのだ。そのへんの想像力がない。幼稚。

自殺者についても同様で、線路に飛び込んだら
通勤・通学の人たちが迷惑するし、電鉄会社の
人も仕事が増えるのである。マンションで飛び下り
たら、そのマンションの住人はローンをかかえて
引っ越すわけにもいかないのに嫌な気分をこの先
ずっと持ち続けなければならない。
幼稚な想像力の欠如のおかげでみんなにとって迷惑
なのだ。年間3万人自殺しているということは、その
1人につき4人周辺関係者がいたとしても、12万人が
影に蔽われることになる。

「populism」という言葉があって、イデオロギーが
力を喪った今、政治家やパワーを持った大企業が
口当たりのいい言葉で大衆を扇動する意味に使われる。
幼稚化した日本人はpopulismにとって、赤子の手を
ひねるよりた易い選挙民であり、顧客なのだろう。
それが郵政民営化選挙(2005年9月)の与党圧勝であり、
小泉人気を支えた。
相次ぐ大臣の失脚の裏にあるのは、「本当に大事な何か」
を隠すためのpopulismなのではないのか。

 

2007年09月06日(木)
焼酎を世界に

ルネサンス・プロジェクト(←)

中村鉄哉社長からどーーーーん、と荷物が届いた。
ルネサンス・プロジェクトは日本の焼酎文化を世界に
広めたい、というビジョンだ。

先日、某団体主催のぼくのワークショップ式セミナー
にはるばる福岡から参加された中村社長。そのセミナーは、
会社が会員になっていて、「お前、行って来い」スタイル
の上司命令でいやいやながら参加する受講者もいる、
ぬるい空気も漂うものなのだが、そして現実に、
「すみません、用があるので、これで失礼します」
と、夕方になると「お先に失礼」という主催者やぼくを
ナメた受講生が二人発生するようなセミナーなのだが、
中村社長は違った。

手元のノートはぎっしりメモで真っ黒。
全身からやる気、吸収しまくるぞ! 学ぶぞ!
というプラスの氣がビンビンに出ていた。
やはり自腹で参加する人は違う。

教材に使ったあるビデオをもう一度見て勉強したい、
との熱い希望があり、ビデオをお貸ししたところ、
その返却にあたって、焼酎、ワインなども一緒に
どっさり送ってくださったのだ。

三井物産のプロジェクトからスピン・アウトした
ベンチャーとのことだが、応援させていただこう!
ありがとう!

 

2007年09月05日(水)
また相撲が何かしたのか

朝刊一面に出ている写真を見て、また相撲協会の
だれかが記者会見でも開いたのかと思ったら
政治家だった。彼はぼくの住んでいる地区が選挙区
であり、今回の選挙では当然しっかり政策を検討
させていただき、そのあまりの貧しさに早々と
ぼくの中では「落選」した人である。ブログを
持っているが、今回の騒動については一切コメント
なし。要するに広報活動としてのブログなのだと
わかる。

相撲の上層部といい、宗教家といい、政治家といい、
大企業の悪いことしてそうな経営者といい、
どうしてこう、顔が似てくるのだろう。

お金を動機に行動し、思考する癖がつくと、あんな
顔になるのだろうね。利己主義が顔になったら、
ああなる。

気をつけよう。

 

2007年09月04日(火)
われこそは・・・って、迷惑ですから

ここのところ、「訪問者」が続いている。

目に見えない、evilな人である。
どうやら戦国時代の武将のようで、たとえば家人に
悪夢を見せるときは、現代人の衣装・風俗にヨワい
ため、非常にpoorなデザインの人形しか出現
させられない。

ついでなので・・・「あの世」では、意念によって
すべてが造化される。イメージングである。
たとえば一緒に「研修」しているメンバー5人で
「せーの」という感じで、ゾウならゾウを
イメージし、ある一点にフォーカスして、そこに
ゾウを出現させるレッスンをするらしい。
ところが、慣れていなかったり、集中が途切れる
と、全体バランスが悪かったり、ところどころが
石膏でできたかのようなゾウが出来てしまう
ようだ。

昨夜も就寝前に家人が寒気を感じたという。
この寒気はオーラの外側にevilが取り付いた
場合に感じるもので(あくまで外側である。
内側にくると、それが憑依現象だ)、
風邪で熱があるときのような寒気とは
違う。あくまで自分の外部をササーーーッ、と
通り過ぎて行く寒気だ。

家人の耳に、どこからか「諏訪大明神」と聞こえた
ので、「諏訪大明神!」とイメージすると、
evilは去っていったらしい。evil、コワかったのだろう。
このあたりからもジバクってしまった戦国武将
だとわかる。大河ドラマ『風林火山』を観ていて、
あれほどバッタバッタと死んでいたら、そして
あの世リテラシーもなく死んでいたら、今もまだ
ジバクっていてもちっとも不思議ではない、と
思う。

さて、皆さんも、同様のことがあったときのための
対処法を。

・部屋にお線香を焚きます。
・植物を置きます。
・波動を高めると寄って来れませんから、こころの
波動を高めます。プラスのことだけを考えるように
します。マイナスや取り越し苦労は、なし。
・寝る前にはパソコンに向わないようにします

以上でバッチリです。

 

2007年09月03日(月)
うんち探検隊、結成!

警告! 食事中の方は読まないでください

うんち探検隊が結成された。隊長はぼく、隊員はぼく一人
という、劇団ひとりならぬ、「うんちひとり」である。

というのも、聞いてください、近所の動物たちのうんち
被害が黙視できないくらい大きくなってきたんです。

まず、家の前の空きスペースをトイレにしている
だれかがいる。毎朝元気に指二本分くらいの太さ、
15センチくらいの長さを3、4本、落としていく。
ビデオカメラを設置し、犯人をつきとめようかと
思ったのだが、その前に、対処しなければ、ハエ
がたかるし、衛生上好ましくない。近所の愛犬家諸氏は
マナーがしっかりしているので、まさか散歩の途中に
置いて行くことはないだろうし、野良犬君はいないので、
おそらくこれはねこたちのうちの一匹のしわざだろう。

余談だが、ビデオに自分が写っていたらコワいなあ。
夜中、無意識に玄関から出て行って、ズボンを下ろし、
パンツをずりさげ、事をなしているのである。
しかしその可能性は、家人にばっさり、否定された。

「あなたなら、あの量では済まない」そうか。

さて、何の話をしていたかというと、うんち探検隊
が結成された、という話であった。しかしここまでで
既にかなり書いてしまった。実は結成直後から目に
も鮮やかな活躍が見られるのであるが、続きはまた、
今度。

 

2007年09月02日(日)
目指せ! ねこ的生活

漱石先生ではないが、ねこを観察していると、学ぶべき点
が多々ある。

第一に、彼らはハダカである。ケータイはもとより、
靴下も履いてない。スニーカーもない。時計もない。
複雑なパスワード処理をしてオンラインバンキング
で自分の口座にたどり着き、預金残高を心配することも
不要だ。家賃が要らぬ。

第二に、にもかかわらず、実害など何一つ、蒙って
おらん。ハダカで庭で昼寝をしていても、蚊に刺される
心配がない。網戸用虫よけスプレーも買う必要がない。

第三に、夏が去り行く、と、嘆く気持ちにならない。
もうクリスマスか、一年早いですねえ、という挨拶なども
交わさない。

ここで話は突然、飛ぶ。あの世では、現世のものを
何一つ、もっていけない。社長をやってました、
そろばん2級です、英検1級を筆記試験まで合格しています、
パリとロンドンとシドニーに家があります、新聞テレビに
でかでかと載る有名人です、預金残高が100億あります、
先祖代々名士です、エトセトラ、エトセトラ・・・

まーーーーーーったく、関係ない。
もって行けるのは、修行した魂だけ。
肉体という殻を脱ぎ捨てたあとに残るスピリット
のみが重要であり、そしてその霊格は各人からにじみ
出るオーラの色にそのまま表れる。あの世でも服を
着るが、服の色は各人が到達した成長度合いに見合った
オーラカラー以上の色を着ることができない。
だから一発で、本性がバレてしまう。学歴詐称みたいな
ことは、できないのである。

いかに捨てるか

というねこ的生活が、とても大切なんだなあ、と三毛君の
顔を見ながら、考えた。三毛君は、ぼくが動物園の檻の中
にいて、自分は外の見学通路に寝ている、くらいに考えて
いるといった顔をしている。にゃあ。

 

2007年09月01日(土)
幽界体験?

ウーーーカンカンカンカンカンカンカン

激しい消防車の音が耳元で聞こえる。近い。
今夜は寝苦しいなあ、疲れが取れていないのかな、と
思い、起きると、ベッド脇の窓が真っ赤である。
寝室は二階、窓からのぞくと庭の奥のご近所さん
の家家が燃えている。危ない。

いるはずの家族がいない。こういうとき、人間は無言に
なる。階段をトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトと
下りる。

玄関から飛び出し、身体の動きが鈍い、ええいじれったいと
お隣の敷地に行くと、そこに家人がいて、半焼した家の前
用意された盆に線香を焚いて立てている。このあたりで夢だな
と気づき始めているのだが、そういえば寝入り直後、ストン、
と落ちた感触があって、幽体離脱をしたのかもしれない。

するといまぼくが立っているこの場所は幽界なの
だろうか。家人の顔をよく見ようとのぞきこむとそれは
「家人であると印象づけるためのイメージ」でしかなく、
仔細に検討しようとすると消えてしまった。

人間の限られた容量しか持たない脳に、より大きなサイズの
幽界経験をはめこもうとするから三次元的言語に直すと
おかしな経験にしか描写できないのだが、いずれにしても
幽界にいるのなら、ここはひとつ、ならではの体験をして
やろう、と腕まくりしたらトイレに行きたくなって目が
覚めた。

朝、家人にゆうべ消防車がうるさかったよね、と聞いたが
知らない、とのこと。真実はどうなのだろう。

 

Kei Sakamoto |株式会社JOYWOW