株式会社JOYWOW
椰子の実日記【JOYWOW】
椰子の実日記 INDEXwill

2003年01月31日(金)


日本人のための編集

Bunkamuraで開催されているメトロポリタン美術館展。
NY本体のメトロポリタンはあまり好きではないのです
が、日本で観るとまた違う印象があるかもしれない、
と期待して足を運びました。

セレクションが「定食」的で、もの足りなかったです。
美術館に期待するものは、「なんじゃこれ!?」と
いう、これまでの自分の中にない何かを刺激してくれる
ような発見やアーティストとの出会いなのですが、
日本人の編集によるものだからでしょうか、「ふんふん
なるほど」と、「感心」はするのだけれど、定食メニュー
みたいなもので、「感動」はしなかった。

するとどうなるか。ピカソはあざとくなるし、モディリアニ
は不必要に「悲劇を演じる人」になってしまうのです。
シャガールは甘すぎるし。

どうしてもそこには日本人の、日本人による、日本人の
ための、「理解し易い編集」が入ってしまいます。

帰り、付設のブックストアでフジ子・へミングさんの
著作に出会い、これが唯一の収穫でした。

 

2003年01月30日(木)
『海峡を渡るバイオリン』

バイオリン職人、陳昌鉉さんの話。

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 朝鮮の山にはあまり木が生えていない。
ただでさえあまり生えていない山の木は、
一本でも切れば大人たちからこっぴどく
叱られることになる。切ってもよかった
のは、村の周りに生えているポプラや
アカシアで、これはどれだけ切っても
また育つため、その枝を切ってきては
様々なおもちゃを作った。これは鉄砲
だとか、戦車だとかと自分で勝手に言い
ながら、手製のおもちゃで遊んでいた。
 当時の朝鮮には現在のようなおもちゃ
らしいものはなかった。また子供に
おもちゃを与えるほどの余裕もなかった。
身の回りにおもちゃがなかったからこそ、
子供たちは自分で木を削り作り出して
いたのだ。
 今では、子供の創造力を育むために
おもちゃを買い与えるというが、はた
してこれがどれほどの効果をもたらす
のだろうか。むしろ、あえておもちゃの
ない状況を作り、自分で工夫させる。
そちらのほうが、よっぽど創造力が
養われるのではないかと思うのだが。
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*陳昌鉉=語り、鬼塚忠・岡山徹=聞き書き
『海峡を渡るバイオリン』(河出書房新社)
p.19-20から引用

文中「当時」としているのは1930年代
前半のことです。

何もないからこそ、創造力が育まれる。
大賛成です。ハリウッドの、CGを駆使した
「大作」に胸を打つコンテンツがなかなか
生まれないのも、これと底でつながっている
と思います。引き算で生きることとも。

 

2003年01月29日(水)
引き算しよう

経済成長を善としてきた20世紀型社会哲学は
「足し算」の発想でした。しかし、足し算に
はキリがありません。どれくらい足せばOKか。
預金通帳にいくつゼロが並ぶとハッピーか。
ハッピーは、ゼロの数ではありませんよね。

私たちは、生活の中で、引き算をしていく
べき時なのだと思っています。

アン・モロウ・リンドバーグは言っています。

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海辺での生活でまず覚えることは、必要のない
ものを捨てることである。
どれだけ多くのもので、ではなく、どれだけ
少ないものでやっていくか。
まず身の周りからはじめることだ。
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『海からの贈りもの』(落合恵子訳)

引き算して、引き算して、すっぽんぽんになる
と、生活がシンプルになり、逆に充足感があふれ
てきます。

足し算を捨てることで、ハッピーは近づいてくる。
そう、思います。

 

2003年01月28日(火)
思い

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 指揮という仕事は、オーケストラの真ん中
でカッコよく両手を振っている商売と思われ
ているが、あの動作は、水面に出ている氷山
の一角なのである。
 指揮とは目の動きだとか、顔の表情だとか
レッスンだと言ってきたが、これだって氷山
の水面上の一部分なのだ。水面下の圧倒的な
大部分は、スコアの分析である。つまり、音
楽の勉強だという、実に月並みなことになる
のだ。
 その上で、自分が再現したい理想の演奏を、
ひたすら「思う」のである。
 指揮とは、この「思い」だけだと言ってい
いだろう。実は、振り方なんて、どうでもい
いのだ。自分が表現したいことが、指揮台の
上で逆立ちすることでしか表わせないなら、
そうすればいい。
 結局、「指揮法」なんていうものは、存在
しないのだ。「表現」なのである。そして、
「表現」は、特別な「思い」があるからなの
だ。
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名指揮者、岩城宏之さんの言葉です(*)。

バンドで歌うとき、「words」を「ワーズ」と
伸ばすのか、あるいは「ウォズ」と音符にぶ
つけるように発するのか、それは曲の解釈に
拠ります。さらに、バックで音を刻むギター
にボーカルをぶつけるのか、乗せるのか、
によっても違ってきます。

そう、これもまた、「思い」なんです。

それなしにリズムと音程だけを追ってしまう
と、伝わらないんですよね。え、何が?
「思い」です。おっと、話がにわとりとたまご
ですね。
ミック・ジャガーが歌の秘訣は「どれだけ気
持ちを表現できるか」だと一言で言っていま
した。カタチではないんですね。

*指揮のおけいこ、文春文庫

 

2003年01月27日(月)
選び取る

マイケル・J・フォックスの自伝『ラッキーマン』
(入江真佐子訳)は、ここ数年の中でベストに
入る「ほんもの」です。哲学書といっていい。
昨日のお父さんのエピソードも、この本から
戴きました。

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パーキンソン病のことはぼくにはどうすることも
できない。だが、アルコールはそうではなかった。
ここでは、少なくともぼくは選択することができた。
で、あの日、ぼくは選択をしたのだ。ぼくがその
選択をする手助けになったということで、ぼくは
初めてパーキンソン病に感謝した。この病気が与え
てくれた「贈り物」のひとつに、自分の残りの
人生がはっきり、くっきり見渡せるということが
ある。パーキンソン病が人生のさまざまな面をどん
どん支配していくという残酷な仮定のおかげで、自分が
まだ自由にできる分野があるありがたさがわかって
くるのだ。パーキンソン病はいやおうなく、患者の自由に
なることとならないことの区別を、そして患者がまだでき
ることは守らなければ、ということを教えてくれる。
つまり、アルコールはやめなければならない、という
ことなのだ。
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私たちは、病を得るなど「自分ではコントロールできない」
壁にぶち当たるまで自分の人生には限られた選択(option)
しかないことに気づきません。

いや。「限られた」というのではないですね。

選び取る、という、積極的な行動を取ろうとしない。

この本から多くのことを学びましたが、「選び取る」
ということも、その大きな学びの一つです。

 

2003年01月26日(日)
サンタさんにビールを

画面にクリスマスツリー。並べられた
プレゼント。プレゼント。プレゼント。

ホームビデオ。撮っている本人は当然、画面に
現れないけれど、本人を写す以上に、人となり
を表わすものです。

マイケル・J・フォックスがたまたま昔のビデオを
観てみたら、クリスマスの夜、ツリーを撮った
画面が出てきた。それを観ただけで、亡き父を
思い出し、それ以上観つづけることができなかっ
た。

若きマイケルのお父さんは、家族を持ち、そして、
愛する家族のためにプレゼントを買うことが
できるようになった自分を褒めてやりたい気持ち
だったのでしょう。貧しさや壁を乗り越えた達成感。

毎年、イブの夜は、ツリーのそばで過ごすことに
していたそうです。

「サンタさんのために、ビールを用意しておこう」
と言って。

そして、自分で自分に乾杯をしていたに違いありません。

 

2003年01月25日(土)
being Mick

もう何回繰り返し観たかわからないDVDがあります。
『being Mick』ミック・ジャガーのドキュメンタリー
です。彼のソロアルバムと映画『enigma』の制作風景、
そして家族とのプライベートな生活を映し出した
ものです。

なぜこんなに惹かれるかというと、ミックの創造者
としての「足腰の軽さ」がいいからです。

U2ボノにバックボーカルを頼んだ。ボノはライブで
訪れているケルンだ。なら、ケルンに自分が行けばいい。
これは相手の出張先に出向いていって一つ仕事を
済ませることにあたります。

レニー・クラヴィッツのマイアミの家までロンドンから
ひとっ飛び。たちまち曲を書き上げ、録音してしまいます。

ニューヨークにも「ちょっとそこまで」という感じで飛んで、
ワイクリフ・ジョンとコラボレーションし、
たちまち曲ができあがります。

「傑作をものにしなければ」と思えば思うほど、
「おれのようにメジャーになったら、ヘンなもの
は出せないよな」と構えるほど、
切っ先が鈍るのが普通です。

また、ミックのような大御所であれば、相手を自分の
テリトリーに呼びつけてもまあ、許されると思うの
ですが、そうはせず、自分で相手のいる場所まで
出かける。もちろん、自分の仕事ではあるとはいえ。

ミックの足腰の軽さ。これが彼の創造力の源泉
だと思います。見習いたいと憧れ、それで私は何度も
DVDを観ています。

 

2003年01月24日(金)
William Kentridge

William Kentridge。1955年南アフリカ・ヨハネスブルグ生まれ。
現在もヨハネスブルグで活動しています。
昨年9月、たまたまMOCA(LAの現代美術館)で特別展示をやってい
て、出会いました。もう帰ろう、と思っていたとき、一緒に行って
いたK氏が、「観ました? とんでもないアーティストがいます
よ」と教えてくれて、半信半疑で、展示会場に行ったら・・・

ハマってしまいました。特に影絵アニメーション『Shadow Procession』
(1999)は、何度も繰り返して観てしまい、気づくと涙ぐんでいました。

郷愁を呼ぶ曲。どこかで聞いたことのある曲なんだけど、それが
何なのかわからない曲をバックに、影絵たちが、画面左から右に
ただ行進していく。それだけなのですが、圧倒的な力を持った
アートでした。

インターネットで検索してみましたが、きちんと説明してくれる
サイトは英語、仏語、独逸語、日本語含め、まだないですね。

言葉でうまく説明できないので、もどかしいのですが、
機会がありましたら、是非、体験してみてください。

暗いタッチ、「なんじゃこれ?」という構図。

でも、力が湧いてくるアートです。

 

2003年01月23日(木)
男たちのためのしめり気のある神話

今日は世の男性皆さんに心からお勧めできる本をご紹介
しましょう。『グリム童話の正しい読み方』(集英社
文庫)。著者はロバート・フライ、訳者は野中ともよさん。
昨年、野中さんとご一緒した折、「現代日本の男性に
こそ、この本は読まれるべきである!」という点で
意見が一致したのでした。
以下、本から引用します。

・彼らのほとんどが幸せではない
・バイタリティはないが、人生をあたためていくタイプ
 の男たち

どうですか? あなたのことではないですか?

・男らしさとは、自分だけの力では身につかない。ご飯を
 食べて大きくなれば、ひとりでに備わってくるものでもな
 い。年寄りの男たちがすすんで介入する必要があるので
 ある。

しかし、なかなか「年寄りの男たち」も忙しくて、相手に
なってもらえませんよね。

そういうときこそ、「しめり気のある」神話が必要になるの
です。

この本は、あなたに勇気をくれます。

自分の傷と向き合う力も、背中を押してくれる力も、
与えてくれるはずです。

 

2003年01月22日(水)
F1は難しい。しかし

阪本塾ブランドコースで、「W」というブランドの戦略が
成功しているかどうかをケーススタディとして考えま
した。
ターゲットとしている層はいわゆるF1=女性20〜34歳です。
結論は「成功していない」でした。
その時私が言ったことは、「W」ブランド・メンバーが
F1を甘く見すぎているのではないか、ということです。

昨日の日記でも書きましたように、現代の日本女性は、
10代の頃からティファニーを身につけて育っている。
ほんものを知っている。

「W」ブランド・メンバーはおそらくティファニーに
も足を踏み入れたことのない、おじさんたちでしょう。
アタマだけで、「女性ってこういうものだろう」と
考えてしまった結果なんですよ。首から上だけで企画
している。パソコン画面だけでものを考えている。

マーケティング・ターゲットとして、F1は最も難度
の高い層と思います。
対策としてはプロジェクト・チームのメンバー
に、F1層の人に入ってもらうことは、必須です。

でも、それだけでも十分とはいえない。

そもそも、F1とか年齢層でターゲットを設定する
ことそのものが正しいのか?

ケースのブランドがそういうアプローチをしていた
のでそれにそって考えましたが、私は、違うと考
えます。そうじゃない。

エイジ・フリー、ジェンダー・フリーになっている
現代日本では、間違ったアプローチです。

すると、ケースのブランドはそもそも最初の
一歩から間違っていたことになります。

デモグラフィック分析、サイコグラフィック分析
も、本当に役立つのか、検証するべき時期です。

 

2003年01月21日(火)
ティファニーでお散歩を

昨日仕事で名古屋セントラルタワーズに行きました。
http://www.towers.co.jp/
名古屋の人はみんな笑みを浮かべていて、
やさしい印象があります。

時間が少しあったので、高級ブランド店が並ぶフロアを
観察しました。『ティファニー』を覗くと、女子高生
が群れています。こういうことは、ニューヨークでは
あり得ない姿です。彼女たちが一体何を話している
のかと盗み聞きをすると(笑)、要するに、お年玉
があるので、その使い途として、ティファニーを
検討しているようでした。

これにはいろんな解釈ができます。

・拝金主義に毒されている
・もっと「大人」としてのテイストを身につけて
 Ladyの風格をつけた上でティファニーの敷居を
 またぎなさい

などなど。

私も昨日は拝金主義の切り口で考えていたのですが、
今日は新しい見方を見つけました。

・若いうちから本物を見るのは、いいことである

というものです。

安物ではない、風格のある店の空気や接客態度、
そして商品。これらに若い感性のあるうちから
触れている、触れることができる、という
ことはチャンスなわけで、できるならどんどん
やれ、という考え方です。

彼女たちが30代になった時、「ティファニー?
飽きちゃったから」と、さりげなく価格は安い
かもしれないけれど、自分のセンスに合った
アクセサリーをかっこよく身につけることができて
いたら・・・それを可能にするのが、現代日本
なのでしょう。希望をもちました。

 

2003年01月20日(月)
すべてにテーマが必要

バンドもやっています。
同じ曲でも、「この曲でわしらは何を表現したいか」で、
演奏が変わってきます。ギターであれば、コードを
じゃらーん、とただストロークすればいいのか、
あるいは、弦をバラつかせて一弦ごとに音を出すのか。
ボーカルも、音符への音の乗せ方が違ってきます。
オペラ風にするのか、ロックンロール風にするのか。
いい事例としては、クイーンの『ボヘミアン・
ラプソディ』。あの曲はとっても不思議な曲で、
一曲の中に、いくつかの要素が混在しています。

言いたいことは、プロジェクトでも、「進める
プロセス」も大切ですが、メンバーの間で、
「このプロジェクトのテーマは何か」を最初に
共有していること。

そうすると、メンバー各自の「音の出し方」
「間の取り方」も違ってきます。

優れたプロジェクトチームは、「音」と「間」、
この二つにテーマがあります。

 

2003年01月19日(日)
古武術

古武術の研究を始めようと思っています。

仕事はすべてアメーバ単位のプロジェクトになる。
その際、従来の、上位下達の命令系統による動き
は無意味になります。古武術は、一言でいうと、
部分がそれぞれ独立して全体として調和の取れた
動きをすることを目指します。
また、step by stepで初歩から一歩ずつ上達し
ていく技能習得のメソッドも取りません。
いきなり、「最高の型」を始めます。
これは三味線などもそうで、楽譜や弦のレッスン
などせず、いきなり曲の練習から入ります。

考えてみれば、自然界はすべて部分が調和した
全体になっています。小魚の群が方向転換する
時、先頭集団から順にするのではなく、一気に
転換します。「せーの」という掛け声もなしに。

「象の初心者」というのもいません。
象は生まれてからすぐ象です。

巨人の桑田投手が復活なした背景には古武術の習得
があったと聞きます。

研究結果は、またご報告しますね。

 

2003年01月18日(土)
「上海から来た女」

1948年。米国。オーソンウェルズ。
最初に観たのは78年、大阪の三越劇場。三越百貨店の
最上階に小さな映画館があって、レトロな、いい雰囲気
でした。
昔の女優はなぜあんなに完璧に美しいのでしょうね。
リタ・ヘイワースは白黒の粒が輝いています。

この映画の見所は、やはりラストシーンです。あの幻想を
際立たせるため、それまでのたんねんなディテール描写が
生きてきます。舞台設定が非日常的であるがゆえ、細かい
ディテールに凝っています。
ラストシーン直前の裁判所の描写。くしゃみやせき、といった
「人間的」なしぐさを、くどいまでに描いています。観ている
と「なんでこんな動きがあるのだろう。何かの伏線かなあ」と
不思議なのですが。また、京劇の劇場内での煙草の煙。
あれもまた、人間の体臭を描いています。

CGなど、まったくない、それこそ「人間サイズ」の描写。
だからこそ、ラストシーンでわくわくする。

何が実で、何が虚かわからない。このテーマは、後に
ウェルズはもう一度取り上げます(『Fake』)。

私は、大学の卒論『共同幻想論』で、この映画のラスト
シーンを、引用しました。

 

2003年01月17日(金)
人間サイズ

スーパー歌舞伎『新・三国志』の脚本を書いた演劇家の
横内謙介氏が21世紀のキィワードは「人間サイズ」だと
おっしゃっています。

デジタル革命は人間が体験したことのない全く新しい
世界をもたらします。映画のCG、パソコン、携帯電話
などの「してくれること」は、人間の手足の延長だった
従来の道具(ペン、印刷機など)を超えています。
当然そこにビジネスチャンスや人間の可能性を広げる
ポテンシャルもあるのですが、ダークな部分も当然
あって、それが「人間サイズを超えてしまった」。
人間サイズを超えたということは、即ち身体性を
失ったことです。
横内さんは演劇の可能性を、「人間サイズ」にみてい
ます。
同感です。舞台の上と観客とが同じ空気を共有し、
「気の飛ばし合い」をすることで一つの律動感を
得る。
「人間サイズ」、この言葉は、ビジネスの世界
でも充分吟味しなければならないと思います。

 

2003年01月16日(木)
呼吸法でプラスを呼び込む

呼吸法を始めて一年、プラス効果があります。

1.経絡の巡りがよくなり、風邪一つひかない。近くに風邪
ひきさんがいても、感染(うつ)らない。

2.声の通りがよくなった。話すことが職業上重要なスキル
である私には福音です。

呼吸のやりかたを、伝授しましょう。

1.口から想像できる限り細い糸を吐き出すイメージで、
ゆっくり息を吐いていく。丹田から搾り出す。
なれないうちは、長くは吐き続けることができない
でしょうが、続けるうちに長く吐くことができる
ようになります。ちなみに、現在の私は30秒くらい。

2.鼻から吸って、一旦丹田にため、それから吐く。
吐き方は1と同じです。ゆっくり、ゆっくり。

1と2、どちらも構いません。いつでも、どこでも
やりつづけてください。きっとあなたにプラス
になります。

 

2003年01月15日(水)
気の飛ばし合い

阪本塾の八期が昨日から始まりました。
14日はブランドコースのDAY1だったのですが、
やはり塾やセミナーは「気の飛ばし合い」((c)猿之助)
ですね。ブランドコース参加者の皆さんから飛んでくる
「気」ががんがん身体にぶつかって、ハイになります。
昨夜は帰宅してからも、なかなかテンションが下がらず、
眠くなりませんでした。

プロジェクトもそうじゃないでしょうか。
メンバー相互で気が飛び交っていたら、品質は格段に
高まると思います。

具体的には、前のめりの姿勢、目に力をつける、
言葉を明確に発音する、などです。


 

2003年01月14日(火)
猿之助に惹かれる理由

ぼくがやろうとしていることはみそ・米・しょうゆのマーケティング
理論の構築。つまり、西洋生まれのマーケティングを和風の味付けに
すること。

それが日本の経営現場に役立ち、みんなが勇気をもって仕事に取り
組めると思うから。Palmtreeのビジョンは「勇気をあげる」。

猿之助が歌舞伎でやろうとしていることを辿ると、「観客の感動を
創造する」。
そのための方法論の骨格として歌舞伎を使うが、歌舞伎の古典的な
メソッドにとらわれることなく、たとえば映画の技法なども貪欲に
取り入れている。

猿之助に惹かれる理由は、創造者・想像者としての姿勢の柔軟さ、
業界常識からフリーであるかろやかな姿勢です。

 

2003年01月13日(月)
ガス燈

1944年(日本敗戦の前年)米国。白黒だからこその美しさを、
この映画ほど感じたことはない。バーグマンの繊細な表情の
変化も、白黒によって、よりひきたち、妖しいムードが醸成
されている。美学がある。

上流階級の社交界の描写にしても、出演者全員が身体で知って
いるので厚みがある。

テクノロジーではなく、コンテンツの厚みと身体に裏付けられ
た知性が人のこころを揺さぶるのだなあ、と実感した一時でし
た。



 

2003年01月12日(日)
「椰子の実日記」タイトルの

由来は、1897年、柳田国男が、海辺で椰子の実の流れ着くのを見て
古代日本文化の古層には黒潮で運ばれてきた南方文化がある、と
いう仮説を着想したことに拠ります。
柳田からその着想を聞いた藤村は感激し、有名な歌を作った。

認知能力のケースとして、興味深い。古来、海辺で椰子の実を見つ
けたのは柳田一人ではない。にも拘わらず、「椰子の実」「黒潮」
「南方文化」「日本文化」を結びつけたのは彼一人。ひとえに、
柳田の認知能力がすぐれていたからです。

この話と、弊社社名にちなんで、「椰子の実日記」とタイトルしま
した。

身辺雑記にとどまらず、皆さんの認知能力にびんびん響く視点の矢
を放ちたいと思っています。よろしく!                  
                             
                         阪本啓一

 

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