SS‐DIARY

2022年02月27日(日) (SS)異世界転生ヒカアキ



幽玄の間で打っていたはずが、気がついたら異世界に転生していた。

場所は雰囲気的には大昔の中国。贅を尽くした大広間の真ん中で帝の前で御前試合をしているっぽい感じ。

目の前には途中まで進められた碁盤によく似た盤。

そして更にその向こうにはおれの対局者が居た。

髪の色や長さ、着ている物が違うけれど、見た瞬間に解った。


(塔矢だ!)


そして同時に塔矢もまたおれが誰だか解ったらしい。


「し……」


進藤と言いかけて慌てて口をつぐむ。

たぶんこの世界でのおれの名前がわからないからだろう。

おれら二人、何故か別の世界に吹っ飛ばされたらしい。


どうしよう?

どうする?


目で会話するが埒があかない。

何しろ状況がわからないのだ。

なんでここに居るのか、直前まで居たはずの幽玄の間はどうなったのか。

元の世界は? おれ達は帰れるのか?

様々な疑問が湧き上がり、おれの脳内はキャパオーバーで爆発寸前だ。

ちらりと塔矢を見ると、塔矢も困惑しているのが表情で解る。





「長考が……ちと長すぎるのではないか」


突然御簾の向こうから桑原のじーちゃんに似た声がした。

たぶんあれがここで一番偉い人だろう。


「単純な手で退屈させるつもりはありませんので」


そつなく塔矢が繋いだ。こういうアドリブはほんと上手いな、あいつ。


「ならば良いがのう。精々楽しませて欲しいものじゃ」


そしてまた辺りが沈黙で満たされる。


(どうする?)

(どうする? おれ)


すうと一つ息を吸う。


状況を整理。

おれは塔矢と対局している。

目の前には碁盤(たぶん)

脇には黒石っぽい物が入った碁笥っぽい入れ物。

次はおれの番。

以上。


笑える程に情報が少ない。

でも、それで逆に肝が据わった。


(っていうか、だったらこれしかないもんなあ)


「……おまえがいて、おれがいて、碁盤と碁石ときたら」

「することは一つしかないよね」


言葉を引き取って塔矢がくすっと笑った。

ああもう本当にどうしようも無い。

自分達をバカだと思うけれど、とにかく二人揃っているならばもう打つより他することが無い。そう思う。


(後のことなんか知るもんか)

おれは碁笥っぽいものに指を入れ、黒石を掴むと塔矢に向かって笑い返したのだった。


end


※※※※※※※※※※※※※※

異世界に転生しようがどうしようが二人揃ったら碁ということで。




2022年02月16日(水) (SS)至福



疲れていた。

ただもう疲れていたので、帰宅するなり一直線に寝室に行ってベッドに倒れ込んだ。

玄関やリビングで横たわったら間違い無くそのまま寝ると解っていたので最後の理性と体力を振り絞ったのだ。

でも服を脱ぐまでは出来なかった。


「……進藤、せめてスーツの上くらい脱げ」

「無理っ、てか、お前はコートすら脱いで無いだろうが」

「無理だ。もう動けない」


それもそのはず、ヒカルとアキラは昨日までタイトル戦の最終局を戦っていたのだから。


「それでも脱げよ、棋聖様がみっともねえだろ」

「それを言うなら元棋聖様も情けないな」


神経どころか命をすり減らすような対局だったので、一夜明けても疲れは全く取れておらず、それどころか直後の検討を含め、嵐のような取材と写真撮影で更にトドメを刺された感じだ。


「三年守ってたのに、とうとうもぎ取って行きやがって」

「だったらぼくの名人位も返せ」


つい先日、ヒカルはアキラが五年守っていた名人の座を奪ったばかりだった。

タイトルを獲ったり獲られたりはここ数年二人の間でずっと続いていたことだけれど、今回の棋聖戦が特にキツかったのは、名人位を奪われたアキラの激しい怒りが込められていたからだ。

正直もうどちらが倒れてもおかしくないというくらいの激しさだった。


「なのに、ちゃんと笑顔で取材に応じたおれ、おっとなー」

「それが普通だ。いつだったかの誰かさんみたいに座布団を蹴って退室してしまうようなのがおかしいんだ」

「勝手に言ってろ、くそっ」


本当は開催地の職員が色々と観光を予定してくれていたのだが、丁寧に辞退して二人して帰って来た。

東京駅からはタクシーを使ったが、それまでは気を張っていて居眠りすらも出来なかった。何しろ二人の顔は一般紙やテレビのニュースにもかなり露出していたからだ。

どこで誰が見ているかわからない状態で気を抜けるはずも無い。そうしてやっとたどり着いた我が家で、揃って限界を迎えたというわけなのだった。


「……玄関の鍵閉めたっけ」

「ぼくが閉めた。チェーンもかけた。褒めてくれ」

「ああ、ああ、偉いよおまえ。頭をなでくりまわしたいくらいだ」

「してくれても構わないが」

「いや、無理、もう無理、体が全然動かねえ」


そしてしばし沈黙が続く。

ほぼ意識を失いかけた状態のアキラの手に何かが触れた。ヒカルの手だった。


「……何?」

「ごめん。今日、バレンタインだった」

「そういえば、そうだったね」


毎年かかさないそれを忘れるくらいに、二人とも最終局に集中していたのだ。


「寝て起きて、そうしたらケーキかなんか買ってくるから」

「……いや、いいよ」

「棋聖位を貰ったからか?」

「違う」


触れて来たヒカルの手をアキラが握る。


「こうしてキミと居られるだけで充分だから」


チョコなんかより、二人で居られることの方が幸せだと、言われてヒカルは嬉しそうに笑った。


「そうだな、うん。おれも」


お前と二人で居られるだけで充分だ、他に何もいらないと言いかけて「次は勝つから」と言い直した。


「欲が深いな」


でもキミらしいと言ってアキラもまた微笑んだ。

そして。


秒で二人は眠りに落ちた。

疲れてへとへとで、服も着たまま、荷物もそこいらに放ったままで、でもしっかりと手を繋いだまま眠る、それはとても深く、温かく幸せな眠りだった。


end


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