SS‐DIARY

2010年11月27日(土) (SS)夢魔


「キミを殺す夢を見た」

夜中、叫び声を上げて飛び起きた塔矢は、おれが目を覚まして見詰めた時、胸を押さえたまま真っ青な顔で全身を細かく震わせていた。

「何? おれをなんだって?」
「キミを殺す夢を見た。感情が迸ってどうしても止められなくて」

気がついたら殺してしまっていたと。

「何…刺殺? 絞殺? それとも撲殺?」

尋ねても青ざめた顔で俯くばかりで答えない。

「いいよ、別に夢なんだし」
「でも! だからって!」

恐ろしかった。とても恐ろしかったと繰り返して震える。

「そんな夢、誰でも一度は見るもんだろ。本当にされたら困るけど別に夢だし」
「夢でも!」

ぼくはキミを殺したんだぞと、そして完全に俯いてそれからすすり泣いた。

「塔矢…」
「ぼくは…ぼくが恐ろしい」

泣く声の合間につぶやくような声が混ざる。

「ぼくはもしかしたら本当にキミを殺してしまうかもしれない」

怒りに囚われて、それを押さえきれなくなった時には本当にキミを殺すかもしれないと、その震えは痛々しい程で見ていておれは辛くなった。

「…夢の中のおまえはどうしておれを殺したん?」

尋ねても首を左右に振って答えない。

「おれが浮気でもした? それともおまえに言葉に出来ない程非道いことをした?」

微かに揺れたのは肯定だったのか否定だったのか。

「だったら…それは、殺されてもおれ、仕方無いんじゃねーの」
「嫌だ! もしキミがどんなに非道かったとしても、キミの命を絶つなんてぼくは絶対にしたくない」

そんなことをするくらいだったらぼくは自分の命を断つと、絞り出すような声音は紛れも無く塔矢の本心だと思った。

「おまえが死んだらその方が辛い」

ぽんと頭に手を置いて言う。

「裏切らないよ、絶対」
「…」
「もし裏切ったらその時は殺しても別に構わない」
「……」
「だけどおれもおまえには絶対そんなことで苦しんで欲しく無いから…」

だからおまえがそこまで思い詰めるようなことは絶対にしないと、心から思ってそう言った。

「ごめんな? 夢の中のおれが非道くって」

びくりと震えて、それから泣いた。

すすり泣いていたのが押さえきれなくなったかのように声を上げて塔矢は泣いた。

こんなにも激しく、こんなにも脆い。

こいつのこんな所を知っているのはおれだけだと思うと、切なく同時に愛しい。

大切にしなければと改めて思う。


※※※※※※※※※

似たような話ばかりですみません。でもなんとなく。



2010年11月26日(金) (SS)あかいろ


「あれ? アキラ、首の所赤くなっているけど虫さされ?」

エレベーターに乗っていたら、後ろに立っていた芦原さんに何の疑いも無くそう聞かれた。

「えっ?…ええ。目立ちますか?」

咄嗟に手で隠すように覆いながら尋ねると芦原さんは「大丈夫」と笑った。

「心配しなくてもちょっと覗いているくらいだから解らないよ」

でもそんな所についていると色っぽい痕みたいで困るよねえと言われて顔が赤く染まった。

「そう…ですね」
「あはは。そんな赤くならなくても」

アキラは奥手だなあと言われてさらに顔が赤くなった。

手のひらの下、隠した痕がひりひりと痛む。


あれは何歳の時だっただろう。

何も知りませんという顔をして、でもぼくはもう全てを知っていた。

汚れたとは思わなかったけれど、綺麗だとも思ってはいなかった。



「―キミのせいだ」

ふと思い出して軽く睨む。

「はぁ? 何が?」

隣を歩いていた進藤は頓狂な声をあげてぼくを見た。

「何でも、とにかく全部みんなキミが悪い」

言い切るぼくに眉を寄せ、けれどすぐに笑顔になった。

「なんだかよくわかんないけど…うん」

全ておれが悪いんだなと、進藤は言ってぼくの首筋に顔を埋めた。

ちくりと痛むその痛みに、痺れるような甘さを感じながらも突き放す。

「こんな所でそんなことをするな」
「はいはい。解ってるって」

するりと撫でる首筋にもう赤い痕はたぶん無い。

痕をつけずに愛し合う小賢しさを身につけてしまったから。

彼も―そしてぼくも。

愛し合った赤い印は、互いの肌の見えない場所にみっしりと咲く。



2010年11月25日(木) (SS)Slow snow

「何か一つに心を占められて他に何も入らなくなる。それはとても歪で怖いことだと思わないか?」

ぽつりと塔矢が話し出したのは、うとうとと、まどろみかけていた時だったので少し驚いて目を開いた。

「変わって行くのが当たり前なのに、その理を曲げて他者を入れない」

それは良いことでは無いのかもしれないよねと言う声は小さくてまるで溜息のようだった。

「…そうだな、すごく怖いよな」

しばらく黙った後、おれがぽつりと返したら塔矢は非道く意外そうにおれを見た。

「キミでもそんなふうに思うんだ」
「なんで? おまえの中のおれってどうなってんの」

苦笑いして答える。

「そりゃ怖いよ。怖いに決まってんじゃん」

一つのものしか受け入れられない。それだけでもう心の中は一杯で、本当は知るべき様々なものを全て拒絶して閉め出してしまうのだから。

「確かに相当歪だよな」

正しい形じゃないと言ったら塔矢は俯くように視線を落とした。

「そうだね、正しい形じゃ無い」

静かな、とても静かな時間にもっと話すべきことはあるのかもしれないけれど、おれ達はこんな、どうにもやるせないような話をしている。

「後悔していないと言ったら嘘になるのかな?」

躊躇うように言葉を紡ぐのは不安だからなのかもしれない。

「どうだろう。わかんねぇ。頭のイイおまえに解らないのにおれに解るわけ無いじゃんか」
「それでもキミはいつも迷いが無いから」
「そんなこと無い。いつも迷ってばっかりだ」
「そうか…そうなんだ」
「がっかりした?」
「いや…」

安心したと言って塔矢はおれの胸に顔を埋めた。

「ぼくだけが不安で迷っているのかと思っていたから、だからそうで無いと解って正直嬉しい」

キミもぼくと同じなんだと。

「当たり前だろ。怖いよ。いつだってなんだって―」

おまえに関することはたまらなく怖いと言ったら小さく笑われた。

「…嘘つきだな」

そしてそのまますうと息を吸うといきなり眠った。

まるで墜落するかのような唐突な眠りだった。

「おい、おまえ…置いてきぼりかよ」

言いだしておいて寝逃げするなんて卑怯だぞと揺り起こしてやりたい気持ちになったけれど実際には何もしなかった。

「うん、そうだよな。おれも…安心した」

おまえも同じだって解ってすごく安心したよと、抱きかかえるその頭を不器用に撫でてやりながら目を閉じた。


安らかな。

たまらなく安らかで孤独な夜。


初めて肌を重ねた日、おれ達はこうして眠ったのだった。



2010年11月19日(金) (SS)囲碁馬鹿デート

何に腹が立ったのか解らないが、でもぱっと見た時、非道くムカっと腹が立った。

(ぼくとの約束を反故にしておいて)

急用が出来たからと言って断ったくせに、その彼は駅の近くのそれもかなり大きな窓が設えてあるカフェの、その道路に面した窓際で女の子と仲睦まじそうに携帯用の碁盤で打っていたからだ。

百歩譲って指導碁だとしてもいい。でもこんな時間にあんな場所でするものだろうか?

どう見てもあれは碁バカな恋人同士が人目も気にせずいちゃついているようにしか見えないでは無いか。

「…馬鹿にして」

ぼくと会う時はいつも碁会所か互いの家だ。希にあんな風に出先で携帯用の碁盤で打つこともあるけれど、そんな時進藤はわざと人目に付かない席を選んで座る。

それなのに、あの女の子と打つ時にはこんなにも人の目につく席を選んだ。それもまた腹が立った。

(要はぼくと居る所は見られたく無いけれど、あの子と居るのを見られる分には平気なんだ)

なんだそうか、そういうつもりか。だったらもう別に無理して会ってくれなくてもいいんだと、そこまで思考が内側を向いた時、ふとガラスの向こうで進藤が顔を上げた。

そうして人混みの中のぼくを見つけ、後ろめたそうにするのかと思ったら、ぱっと嬉しそうに笑ったのだった。

そしておいでおいでとぼくを手招く。

(この上間近で見せつけるつもりか)

どこまで無神経な男なんだと怒りのままにカフェに入り、まっすぐに席に歩いて行く。

「…こんばんは」
「良かった。おまえもこの近くに用があったんだな。見つけた時マボロシかと思った」

不機嫌丸出しの顔で接しても彼はまるで頓着しない。逆にぼくに出会ったことを予想外の嬉しいハプニングだとでも考えているようなのだ。

「で、何?」
「何って、せっかく会ったんだからさ」

おまえも打っていかねえ? と言われてむうっと口を噤む。

「別にこの後用事なんか無いんだろ?なんかぼけーっとこっち見てたもんな」
「ぼくは別に―」

怒鳴りつけてやろうかと思った瞬間に後ろからぽんと肩を叩かれた。

「こんばんは。塔矢くん」

えっと思って振り返ると進藤の幼馴染みがそこに居た。

「もしよかったら塔矢くんも打っていきませんか?」

ヒカルと違って忙しいだろうから、もし都合が悪いならいいんだけどと言われて少し毒気が抜けた。

「えーと…」
「実は今ね、葉瀬中囲碁部の同窓会みたいなものをやってるの」

遠くの大学に行っていた金子さん(誰?)が急にこっちに帰って来ることになってそれでみんなに招集をかけて、駅の近くで集まっているのだと、言われて改めて見回してみると本当に回りは皆同じように携帯用の碁盤を広げている者ばかりだった。

「ここ、友達がバイトしていて、こっち側の一画は貸し切りみたいにして貰ったから」

だから夜九時くらいまでは大丈夫なのと、言われたことをゆっくりと噛み砕いて、それから状況を把握した。

「ああ…はい。ぼくで良ければ」

促された席にとんと座り、そして名前も顔もよく知らない人達と打った。

ぱちり、ぱちりとレベルはそんなに高くは無いがそれでも囲碁部だっただけはあってそれなりに打つ。

気がつけばかなり集中して打って、そしてあっという間に解散になった。


「それじゃヒカルありがとう。塔矢くんもどうもありがとうございました」

ぺこりと頭を下げて、東京駅までその金子という人を送って行く人達とその場で別れる人達とでばらけた。

ぼくはしばらくぼうっと突っ立って、それから傍らに居る進藤を見た。

「どうしてキミ、あんなに目立つ窓際に座っていたんだ」

藪から棒にと言われるかと思ったら、進藤は目を丸くしてそれから可笑しそうに笑った。

「へ? ああ。だって遅れてくるヤツもいるから看板代わりに座ってろってあかりが言うから」
「じゃあどうして、ぼくと打つ時にはいつも目立たないような席に座るんだ」
「そんなの―」

おまえとおれで窓際なんかに座って打ってみろよ、囲碁好きなじーさん達が寄って来ちゃうに決まっているからだろうと言われて鼻白んだ。

「そういう…理由」
「そうだよ。いつだったか前になんも考えずに座ったら、知らないじーさん達が寄って来ていきなり指導碁大会になっちゃったじゃん」

おれはおまえと会う時はゆっくり二人だけで会いたい。話をする時も打つ時も誰にも邪魔をされたく無いからと言われて不承不承納得した。

「そうか…悪かった。キミがそんなに色々気を回しているなんて考えたことも無かったから」
「あ? いきなり喧嘩売ってるのかおまえ」
「いや、そうじゃなくて…」

まだ最初に見た、切り取られたような窓の四角い景色が忘れられない。顔を突き合わせ嬉しそうに笑いながら打っていた二人は睦まじい恋人同士のようにしか見えなかったから。

「そうじゃなくて、何?」
「あ…うん。てっきりぼくはキミがぼくとの約束を反故にしてあの子とデートしていたのだと思ったから」

そこまでストレートに言うつもりは無かったのに、気が抜けたせいかするりと言葉が漏れてしまった。

「それであんな鬼みたいな顔してたのか!」
「鬼って…」
「ガラスの向こうからおれのこと刺し殺しそうな怖い目つきで睨んでた。てっきり自分も混ざりたいからなのかと思ったけど」

そーかー、そうだったのかと一人納得されて腹が立った。

「違う。キミが今何を考えているのか知らないけれど、それは絶対違うから」
「うん。まあ違くてもなんでもいいけどさ、考えてみ?」

どこの世界にデートで碁なんか打つ馬鹿がいるかよと、言われてゆっくりと首を傾げた。

「…一般的では無いんだろうか」
「ねーよ!」
「でも…ぼく達は打つよね?」
「そりゃ碁バカだもん」

碁バカの恋人同士なんだから、おれらはデートで打ってもいいのと、言い切られて思わず苦笑した。

「…そうか、碁バカの恋人同士か」
「なんだよ、違うのかよ」
「いや、そうだよ」

でもキミにそんなふうに口に出して言って貰ったことが無かったから安心したと言ったら進藤はじっとぼくの顔を見た。

「言ったこと無かったっけ?」
「無いね」
「本当に無かったっけ?」
「本当に無いね」
「―じゃあ打つか」
「え?」
「せっかく邪魔モンみんないなくなったんだし、もう一度この窓際に陣取って、通る奴らみんなに見せつけながら打とうか」
「また知らないおじいさん達が混ざって来るかもよ?」
「寄りつけねーくらいいちゃいちゃ打てばいいんじゃん」

それとも嫌?いつもどうりひっそりと打ちたいかと言われて、ぼくはゆっくり首を横に振った。

「窓際で」

窓際がいい。

普段なら絶対にそんなことを言ったりはしないのだけれど、少しばかりの焼き餅がまだぼくの胸の中にはあったから。

「うん、じゃあ行こう?」

進藤に手を差し伸べられてにっこりと笑う。これからがぼく達の『デート』の時間なのだった。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

デートって死語じゃないですか?どうなんですか?
でも同じ死語でもアキラなら「逢引き」の方がいいですかね。



2010年11月11日(木) (SS)とある碁術の黙示録

「―で、どうする?」

命を賭けた勝負で塔矢に負けた。

負けるつもりは無かったけれど、ほんの僅か気合いの差で勝ちをもぎ取ることが出来なかった。

元々強いヤツだけど、こういう時は本当に神がかりだなと思う。

「約束したことを今更ぐたぐた言うつもりは無いぜ? 煮るなり焼くなり好きにすれば?」

十二時間ぶっ通しの休憩無しの碁。そんなばかげたものをやり通してしまったのは、やはり相手が塔矢だからで、塔矢と打つ碁はそれだけ楽しいものなのだ。

「確かに、それを持ち出したのはぼくだけれど」
「あ、後々犯罪者になって打てなくなるのは困るって言うんなら、ちゃんと自分で始末つけるけど」

最初にこの話をもちかけて来たのは塔矢だった。

『冗談や取り消しの聞くことでは無く、本当に真剣にキミと命を賭けて勝負したい』

他の誰かが言ったことなら一笑に付して相手にしない。でもこいつが言うからには、よくよく考えて心を決めて口に出したに違い無いのだ。

元より、それくらい覚悟を決めて打ってみたい。そんな気持ちはおれにもあったので迷うこと無く「いいよ」と言った。

「でも、勝負がついた後でやっぱり無しって言うのは駄目だからな」

たかが碁で命を賭けてと人は笑うかもしれないが、それくらい塔矢と打つのは覚悟が居る。

最初に会った時からいつもこいつは真正直で命がけでぶつかって来た。それを更に混ざり気無く、真に命を賭けたいと言うならば、おれもそれに心から真摯に向き合うべきなのだ。

「もちろん、覚悟の上だ」

ああこいつ、もっと昔に生まれていたなら侍なんかいいかもなと、そんな阿呆なことを考えながら向き合うおれは嬉しかった。

だってたぶん塔矢にこんなことを言わせられるのは自分だけだと解っていたから。


「お願いします」
「お願い…します」

そして比喩で無く、時間を忘れて打った結果、おれは最後の細かい寄せで半目差で塔矢に負けてしまった。

最後までほとんど結果の解らない碁だった。

塔矢が有利な時もあったし、おれが有利な時もあった。

でも地は常に半々で、だからこそ一手一手に気合いが入った。

(それでも負けたんだから仕方無い)

怖く無いと言えば嘘になるが、こんな勝負が出来たのだから悔いは無い。ましてやこいつのために死ぬなら何の躊躇いがあるだろうか?

けれどいざ結果がついて向き合ったら塔矢はいきなり考え込んでしまったのだった。


「何考えてんだよ、そんなん、勝手におれがやるから始末に困るならおまえんちの庭にでも埋めておけばいいだろう」

塔矢の両親はほとんど家に居着かない。庭はかなり広く手入れは充分にされているが植え替えなどは一度も行われたことは無いと言う。

「そんな…簡単なことじゃないよ」

塔矢は顔を上げるとおれを睨み、それから深く溜息をついてこう言った。

「命を賭けると言ったのは本当に本気で取り替えのきくことじゃない。でもだからって、キミともう打てなくなるのはぼくは嫌だ」

ましてやこんな一局を経験してしまって、どうしてキミを失えるだろうかと。

「でも…約束したじゃん」
「うん。だから困ってる」

本当にこいつ馬鹿がつくほど真面目だなあと自分の命の問題なのに、おれは思わず笑ってしまった。

「笑いごとじゃない!」

怒鳴られて肩をすくめる。

「別に軽んじてるわけじゃないよ。ただ、おれは別にどうでもいいから。おまえんちの庭に埋められて、ずっとおまえのこと見ていられるならそれでもう充分だし」
「でも、だからそれではぼくが嫌なんだ」

長考以上に考えて、やがて塔矢は決めたらしい。息を吸うとおれを見た。

「キミには一生結婚しないでもらいたい」
「はぁ?」
「命を賭けるということは、勝ったぼくにはキミの命を貰う権利があるということだよね。だからキミの一生を貰いたい」

いつでも好きな時に好きなだけ打つためにずっとぼくの側に居て、他の誰かのために一秒も時間を割かないで欲しいと言われた時には驚いた。

「そんなんでいいの?」
「そんなって、ぼくにとっては重要だ」

キミが丸ごとぼくの物になるのだとしたらそれはどんなに素晴らしいことだろうかと真顔で言われて赤くなった。

「それで…じゃあそれはいいけど、おまえは?」
「え?」
「一生側に居てもいいけどさ、おまえは結婚したりすんの?」
「するわけ無いだろう」

一瞬の間も置かず塔矢は言った。

「打つことと、キミ以外の誰かにぼくの時間を割きたくなんか無い」

ぼくの一生はキミと費やすためだけにあると言い切られて胸に喜びが溢れた。

「うん…じゃあそれでいいよ」
「随分あっさりと承諾するんだな」
「だっておれも同じこと言うと思うから」

もしもこの勝負に勝っていたならきっとおれも言っただろう。

勝ったのだからおまえの全てをおれにくれと。

(まあ…ほんの少し意味合いは違っていたかもしんないけど)

それでも結果こうやって、無事におれは塔矢の物に、塔矢は一生おれだけの物になったのだから構わない。

「シアワセだな」

思わず呟いた言葉に塔矢は呆れたようにおれを見た。

「一生をぼくに奪われたのに暢気なものだな」

やっぱりキミは解らないと。

でもそう言いながらも塔矢もとても嬉しそうだったので、おれは声をあげて笑いながら「別に解らなくていいよ」と返したのだった。


※※※※※※※※※※※※※

昨日の話を書いてから、どうしても逆バージョンも書きたくなって書いてしまいました。ヒカルが負けた場合の話です。

まあ、どっちが勝っても負けても結局結果は同じなんですけどね。




2010年11月10日(水) (SS)とある碁界の超磁碁棋士

命がけの勝負をしよう。

そう言ったら進藤は即座に「いいよ」と言った。

「その代わり、勝負ついてから取り消すのは無し」と、条件をつけた。
「望む所だ」

いつだって進藤との一局は特別な一局で、その度に命を賭けていると思うのだけれど、一度本当の本気で命をかけてみたくなった。

それで言い出してみたもののそれを進藤が受けるとは思わなかった。

ピンと糸を引き絞ったような緊張の中、背筋を伸ばして進藤を見る。進藤もまた姿勢を正して真っ直ぐにぼくを見た。

(綺麗な目だな)

場違いに思うのは、ぼくが進藤のその眼差しをとても好きだからなのかもしれない。

「お願いします」
「お願い…します」

頭を下げる時はいつも清々しい。これから打てるその喜びと、生きるか死ぬかの戦いに体中が澄み渡る。

碁笥の中に指を入れるといつもよりも更に石は冷たく感じ、けれどぱちりと置く内に、それは次第に熱くなった。

ぱちり、ぱちり。

途中、何回かの長考を挟んで打ち続ける。

打っている時は時間が止まる。音は全て遠ざかって、彼と彼の前にある置かれた石の並びしか意識に入って来るものが無い。

何時間、何日も、もしかしたらこのまま打てるのかもしれない。

集中は体力を削ぐはずだけれど少しも疲れた気はしない。

時々ふと息をするのも忘れる程で、それ程全てを注ぎ込める碁と、そんな対局が出来る相手と、両方に出会えた自分はなんて幸せなのだろうかとしみじみと思った。


ぱちり。

二十分考えた後、ぼくが左下に置いた石に進藤はすかさずツケて二子を殺した。

左辺が甘いなと思っている内に崩されて、それでもしばらく粘ったが、挽回出来ないと踏んで投了した。

「ありません」

気がつくと、全身びっしょりと汗をかいていた。

目を上げると進藤もまた真夏のように汗をかいていて、お互いにどれだけ集中してやっていたのか解る気がした。

「おれら何時に始めたんだっけ?」

しばらくして呆然としたように進藤が言う。

「さあ…たぶん朝の九時くらいだったと思うけれど」
「今も九時になってんだけど」

十二時間ぶっ通しで休みもせずに打っていたのだと気がついて思わず笑った。

「何笑ってんだよ、昼食い損ねたじゃん」
「夕飯もだろう」

それどころか水もろくに飲んでいないのではないだろうかと思い出して、ようやく傍らに置いたままの湯飲みから濁った苦い茶を飲んだ。

「―さて」

膝を正して進藤に向かう。

「ぼくが負けたね」
「うん」
「約束を違えるつもりは無いよ。どうする?」

キミが手を下すか、それともぼくが自ら断つか。どちらでもいいとぼくは思っていた。

「あ、でもキミが犯罪者になっては困るな」

人が見たら奇異に思うかもしれない。たかが碁に命をかけるのかと、でも昔は真実命を賭けて皆打ったのだ。

そのくらい尊敬に値する相手との一局には価値がある。

「犯罪者…に、なるかなあ」

ゆらと進藤が体を起こしてぼくの方に近付いて来た。

「でもまあ、おれの勝ちは勝ちだからな」
「うん―」

一片の悔いもない。そう思って目を閉じたぼくの頬に進藤の手が触れる。

そして次の瞬間には温かな唇がぼくの唇に重ねられていた。

「―っ」

思わず突き飛ばしてまじまじと見る。

「何をやっているんだ、キミは!」
「ん? だってこういうことだろう?」

命がけの勝負の代償は相手の命を手に入れること。

「これで、おまえは今日から全部おれのもん」

にっこりと笑われて毒気が抜けた。

「…仕方無いな」

ぼくは彼に負けたのだから。

でも負けても負けなくても、最初からキミにきっと全てをあげていたよと、それだけは言わず、胸の奥にそっと仕舞ったのだった。


※※※※※※※※※※※※※※※※※

BGMはぜひLEVEL5 -judgelight‐で!



2010年11月05日(金) (SS)親友

二人が怪しいんじゃないかっていう噂はかなり前からあって、でも誰も本当には進藤と塔矢がそういう関係だとは思っていなかったと思う。

そもそもガキの頃は仲が悪かったし、途中から急に話すようになって待ち合わせて打つようになったりもしたけれど、進藤がもっぱら一緒につるむのはおれ達だったし、塔矢は塔矢で孤高だった。

それでも少し前より表情出て来たかなとか、おれらの集まりにも顔を出すようになったなとは思っていた。

進藤という人懐こい友人が出来たお陰でそうなったんだとしたら、それは塔矢にとって良いことで、取っつきにくくて愛想がないとは言え、塔矢は塔矢で抜きん出て強い。その塔矢と付き合うことは進藤にとっても悪いことの筈が無い。

良いことじゃんかと思っていた。

でもある日、すっぱ抜かれるように、友人以上の行為をしているのを見つかって、実はやっぱりそうだったんだと知らされた時には驚いた。

『そうだよね、いつもべったりくっついていたものね』

こういう話題に女子は食いつきが非道くいい。

『塔矢なんか顔がアレだし、ずっと前からその気があるんじゃないかと思ってたよ』

男も男で口さがない。

もちろん上の方の人達にも二人の関係は大いに問題になったらしく、二人はそれぞれ呼び出されてこってりと話をされたらしい。

『―それで?』

だからそれがなんなんですかと、それが二人の全く同じ答えだったらしい。

『確かにおれら、付き合ってるけど、浮ついた気持ちで付き合っているわけじゃないし、何より一緒に居ることで碁を高め合うことが出来る』

『進藤と居ることで打つことに支障が出るならわかりますが、そうで無いのに問題だと言われる意味が分かりません』

実際この時二人の成績は抜群で、若手の中で一位二位を争っていた。

二人ともリーグ戦にも関わっていたし、確かにそれで何が悪いのだと言われれば反論出来る者はいなかった。

『でもね、こういうことは囲碁界全体のイメージダウンにも繋がることだし』

倫理的に許されることでは無いだろうと、それでも食い下がった役員には、二人は声を荒げることなく言ったと言う。

『だったらそんな倫理観に従うつもりはありません』
『もし本当に囲碁界のイメージダウンになるようなことになったら棋士を辞めます』

そこまでの言い切りに、今度こそ本当に誰も何も言えなかったようで、取りあえず二人の関係はあまりおおっぴらにしないことということで保留という形で治まった。

『度胸あんなあ』
『ホモが一緒だなんて恥ずかしい』

棋院内ではあからさまに陰口を叩く者もいたし、露骨に避けるヤツも居たけれど、進藤も塔矢も何処吹く風と言った調子であまりに何も変わらないので、終いに誰も何も言わなくなってしまった。



「そういえばさあ…あん時、おまえだけ何も言わなかったよな」

なんで? と数年後にふと思い出したように進藤に聞かれた。

「なんでって…別に」
「あん時、おれ、冴木さんにさえしばらく避けられてたんだけど、和谷は全然いつもと変わらなかったじゃんか」
「うーん、変わらなかったって言うか、変れなかったって言うか」

だってあそこまできっぱりと言い切られたら、はいそうですかとしか言えないじゃんと言ったら進藤は笑った。

「そうか」

それでもあの時はそれがとても嬉しかったと、深く何かを考えてしたわけでも無い行為が思いがけず進藤の支えになっていたと知ってこそばゆくなった。

「で、今は?」
「何が?」
「今はもう少し落ち着いて考えられるだろ。ダチがホモってどうなんだ」
「ホモも何も―」

おれは笑った。

「おまえと塔矢が一緒に居ないのなんか、想像もつかない」

だから何にも思わないよと、そう言ったおれに進藤はまた再び「そうか」と言って笑った。

それは本当に心から嬉しそうな笑みだった。

そしておれはそんな進藤がホモでも何でも関係無く、やっぱり好きだなと思うのだった。


※※※※※※※※※※※※※※※※

完全版のほった先生の和谷くん語りが今でもずっと心に残っています。
あれ読んだ時マジ泣いた。

本当に、一生の友達なんだと思う。友達ってそういうものだよね。


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