SS‐DIARY

2010年05月30日(日) (SS)迎合せず


時代の波というか何と言うか、一昔前はメールアドレスさえ持っていない者の方が多かったのに、今では棋士がホームページやブログを開設するのはごく当たり前のこととなった。

若手はもちろんだけれど、年配の棋士にもやっている者は多く、新し物好きの桑原先生などは最近ツイッターまで始めたらしい。

普段でもぶつぶつと呟いていることが多いこの囲碁界の重鎮は、わざわざ携帯をそれ用に打ちやすい物に変えて、ネットで毎日「つぶやいて」いるという。


「これが結構面白くて、つい見に行っちゃうんだよなぁ」

待ち合わせて会った駅前のカフェで、進藤は桑原先生のつぶやきをぼくに見せてくれた。

「今日は確か名古屋で対局だったよね? マメだね」
「『緒方くんと対局なう』とか書いてあるし」

色んな意味で尊敬するよと苦笑するように笑って閉じる。

「なあ…」
「ぼくはやらないよ」

彼が聞きかけた言葉を先回りして答える。

「呟きたいことなんか別に無いし、そんなことをしている時間があるなら別のことをしたいし」
「だよな。おまえらしい」
「キミはどうなんだ?」

つぶやかないのかと尋ねたら、一瞬目玉をぱちくりさせて、それから進藤はにっこりと笑った。

「だって面倒じゃん?」

携帯の機種をしょっちゅう変えて、パソコンだって持っているのに、意外にも進藤はブログも何もやっていないのだった。

「好きそうなのにね」
「んー、嫌いじゃないし、人のはよく見に行くけどさ」

自分ではやらないと人好きのする笑顔で言う。

「面倒臭いよ、一々やんの」

その時間があったら別なことをしたいと、さっきのぼくと同じことを言う。

「別のことって?」
「こうやっておまえと会うとかさ」

そして打ったり話したりとかと語る進藤はとても嬉しそうだった。

「つぶやいたりとか、そういうことしてる暇に直接おまえと話してる方がいい」

ずっとずっといいよと言って、ぼくの目の前のカップを見る。

先に待っていた彼のカップはもうとっくに空になっていて、でも遅れて来たぼくのカップにはまだラテが湯気をたてている。

「それ…まだ飲む?」
「そうだね、まだほとんど口をつけていないし、今日は少し肌寒いからゆっくり飲みたい所だけど…」

でもキミが出たいのならば別に飲まずに出てしまってもいいと答えた。

「じゃあ出ようぜ、時間が勿体無い」
「いいけど、何か時間を気にしなくちゃいけない予定なんかあったっけ?」
「無いよ。無いけどさ」

言ってからにやっと笑ってぼそりと言う。

「ホテルなう」
「なんだそれは?」
「そうしたいって言ってんの。ナマでたくさんおまえの耳に呟きたくなった」

愛の言葉ってやつをうんざりするほど聞かせてやるから、どこか手近なホテルに行こうと。

「嫌だったら別に、フツーのデートコースってヤツでも構わないけど?」

買い物して、メシ食って、それからおまえんちの碁会所に行っても構わないと。

「それも楽しそうだけどね」

折角の提案を断るのもバカだろうと言った言葉に進藤が笑った。

「おれ、おまえのそういう所好き」
「褒められている気はしないけれどね」

それでもうっかり気が変わって、彼が人の呟きに盗られてしまってはたまらない。

世界中の誰と繋がらなくても、ぼくは彼とは常に深く繋がっていたいから。

「どこにする?」
「どこでもいい」

存分に呟いてもらえるならと言った言葉にまた笑った。

「じゃあもういいな。そこらの路地でも」
「キミがいいならぼくはいいよ?」
「…ケダモノ」
「キミもね」

ツールでは無く、ナマの体で繋がりたい。

おれ達ホント、時代に逆行しているよなと言いながら進藤がぼくに手を差し伸べるので、ぼくは笑って手を取りながら「…だからいい…それがいいんだ」と返したのだった。



2010年05月26日(水) (SS)ファニー・フェイス


「塔矢さんみたいな人でもくしゃみなんかするんですね」

爽やかな外から埃っぽい室内に入った所でむず痒くなり、思わずくしゃみをしてしまったら同行していた女性に苦笑するように言われた。

「すみません、失礼しました」

確かにそれは咳よりは騒々しいし、不作法を窘められたと思ったのだ。

アレルギーは無いはずなのですがと続けた所で次の言葉が相手の口から飛び出した。

「気をつけた方がいいですよ。だって…」

とっても顔が不細工になりますからと言われて絶句してしまった。

そうですか、心に留めて置きますと何とか返事をしたのは数秒経ってからで、その後も何故かちくちくと容姿に関することで耳に痛いことを何度も彼女から言われ続けた。

そんなに非道い顔をしていたのかと、その後かなり落ち込んだぼくは、特にそういう顔ならば絶対見られたくないと思う恋人の前で鼻がむず痒くなった時、慌てて離れると俯いた。

「何? どうした? 大丈夫?」

それが非道く苦しそうに見えたらしく、進藤は逆に近寄って来て心配そうにぼくの顔をのぞき込んだ。

「大丈夫、別に…」
「だってなんかしんどそうじゃん。あ、もしかして気分悪い?」

だったら帰るかと言われて焦ってしまった。何故ならぼく達は所謂デートというものをしている真っ最中だったからだ。

「違う、本当に大丈夫だから」

言っている間にもまた鼻がむず痒くなる。思わず再び離れかけたのを、でも今度はしっかりと腕を掴まれてしまった。

顔を背けはしたものの間に合わず、くしゅんと、進藤の前でくしゃみをしてしまって軽くへこむ。

「やっぱ具合悪いんじゃん。風邪? 熱はあんの?」
「いや、違う。風邪じゃないし、熱なんか無いから」
「でも…」
「それより、キミは嫌じゃなかったのか?」
「へ?」
「今、くしゃみをした時に、その…」

ぼくは非道く不細工な顔をしていたはずだからと言ったら、進藤は一瞬きょとんと目を見開いた後で人がびっくりする程大きな声で笑い出した。

「何を言うかと思ったら不細工? 有り得ねぇ」
「なんで笑う! ぼくは真面目に言っているんだ」

自分の顔は自分では見えない。ましてやくしゃみなどという突発事態の時の顔は鏡の前でしたとしても自分ではやはりわからないだろう。

「だから見ないで欲しかったのに…」
「だーかーらー、有り得ないって言ってんじゃん」

さっきみたいにあんなカワイイくしゃみしておいて、何が不細工だって言うんだよと、言われてまだ釈然としない。

「でも…」
「なんだよ、誰かに言われたのか?」
「実はこの前…取材を受けた記者の人に…」

くしゃみをする時の顔が非道く不細工だから注意しろと言われたと言ったら進藤はまた大きく目を見開いた。

「ばっ――」
「バカと言ったら絶交する」

ぼくはぼくなりに人に不快感を与えないように心を砕いているというのに、それを茶化すようなまねをしたら許さないと言ったら進藤は笑った。

「うん、別に茶化したりはしないけどさ、マジでおまえ別に不細工な顔なんかしてないよ」

むしろカワイイ。

そこらのおっちゃんのくしゃみと違って、可愛くて抱きつきたくなるくらいだと言われて頬が染まった。

「それはキミだから―」
「客観的に見てカワイイって。奈瀬なんかなあ、おれのことオトコと思って
無いから平気で大口開けてくしゃみするんだぜ?」

それを見ていて、どうしておまえのあの可愛くてたまらない小さなくしゃみを不細工だなどと思うだろうかと。

「でも、あの人は―」
「それってさ、妬まれたんだって」
「え?」
「んー、妬みって言うか、イジメって言うか」

とにかくおまえがあんまり綺麗でカワイイから、嫉妬してそんな意地の悪いことを言ったのだろうと進藤は言った。

「そんなことするはずが無いだろう。彼女はとても綺麗な人だったし」

会話した限りでは非道く理性的な人でもあった。そんな人がそんなつまらないことでぼくに嘘を言うとは思えなかった。

「美人でもなんでもさ、それでもおまえに妬いたんだと思うよ」

だからついちくりと針でつつかずにはいられなかったのだろうと。

「キミは…ぼく贔屓が過ぎるから信用出来ない」
「信用出来ないなら出来なくてもいいよ」

でもそれでも、おまえのくしゃみは子猫の千倍、セキセイインコの五百万倍カワイイと言われて吹きだしてしまった。

「そうか、だったらありがたくそう受け取っておく」

それでもしばらくの間、ぼくはくしゃみだけで無く、咳にも神経質になったのだけれど、ずっと後になってから進藤が言ったことが正しかったことを知った。

あの記者は実は進藤に好意を抱いていたのだと。

数年後、既婚者になった本人にそう謝られて、やっと安心したぼくは、少なくとも恋人の前ではくしゃみをすることが出来るようになったのだった。


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ヒカルは単純にアキラの美人ぶりに嫉妬したんだろうと思っていますが、本当はヒカルのことを好きだったので始終側にいる『下手な女より美人な親友』が憎らしかったというわけです。
そしてもちろんアキラのくしゃみはハムスターよりも、アンゴラうさぎよりも五千万倍はカワイイんですよ(笑)


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