| 2008年03月09日(日) |
120000番キリリク「初恋」 |
卒業式の日は晴れだったのに、一年後の卒業式は朝から地面を叩くような激しい土砂降りだった。
「こんな日に本当に行くのか?」 「こんな日だからいいんじゃん」
傘で顔が見えなくて好都合と悪戯っぽく笑うと、進藤は先導するようにぼくの前を歩き出したのだった。
数日前、ぼくの家で打った時ふと卒業式の話になった。
来る途中、自分の卒業した中学校で卒業式をやっていたと、懐かしそうに言う進藤は思い出したように顔を上げて「そういえばおまえは出なかったんだよな」とぼくに言った。
「うん、あの時は目前の手合いの方が大切に思えたから」
その気持ちは今でも変わってはいないし、卒業式に出席しなかったことをこれっぽっちも後悔してはいないが、でもこうして人の話を聞いているとやはりどうしても少しだけ寂しい気持ちにはなる。
「海王も今日なんだ?」 「何が?」 「卒業式」 「いや、明後日だったと思ったけど」
別に調べたわけでは無いのだけれど、たまたま出向いた指導碁で海王の生徒だという人に会い、その話を聞かされていた。
「今年は体育館の補修があったので少し他と日にちがずれて、明後日の土曜日にやるんだって」 「ふうん」
進藤は白石を持ちながら少しだけ首を傾げ、それから急に思いがけないことを言った。
「おまえってさ、海王の制服まだ持ってるん?」 「え? それはもちろん」
いくらなんでもそんなにすぐに捨てたりしないよと言ったら身を乗り出すようにして続けて言われた。
「それ、まだ着られる?」 「この一年でそんなに体型は変わっていないと思うけど…」 「それで、それって一着だけ?」 「いや、予備にもう一着作ったけど…」
傷まないようにそれを交互に着ていたんだと言ったら進藤はそれは好都合と笑った。
「一年前はおまえのがちょっとだけおれより背ぇ高かったもんな。だったらそれおれにも着られるよな」 「え?」
進藤はぱちりとスミに石を置くと悪戯っぽく笑ってぼくに言った。
「卒業式、混ざっちゃおうぜ」 「――――ええっ?」 「式の間は無理だろうけど、終わった後ってみんな校庭で適当に散らばって話してんじゃん」
あの時だったらおれらが混ざっていても誰もきっと気が付かないと言われて、それでも頭がついて行かなかった。
「そんなこと…出来ないよ」
私立校なので先生方はまだそのまま学校に居る。後輩もぼくを覚えている者が何人かはいるだろうし、とてもそんなことは出来ないと思った。
「卒業したはずなのに、なんで制服を着ているんだって見つかったら言われる」 「いいじゃんそんなの。ちょっとだけ混ざって、見つかりそうになったら速攻で逃げればいいし」
ちょっとしたゲームみたいなものだと言われても、まだぼくは頷くことは出来なかった。
「ああいう大事な式典でそういうふざけたことは…」 「おまえ怖いんだろう」
諫めようとした言葉を進藤のバカにしたような声が遮る。
「見つかったらとか、叱られたらとか、今だにそーゆーこと気にしてるんだ。優等生」 「そ、そんなこと無いっ!」
返しながらしまったと思った。
ぼくは普段、外面が良い。物分かりの良い静かな人間だと思われているが実は非道い負けず嫌いで、すぐムキになる傾向がある。それを進藤はよく分かっているので逆手に取って挑発しているのだ。
「まあ…おれだったらそもそも見つかるようなヘマもしないけどさ、おまえトロいし自信も無いんだよな、きっと」
いや、悪かったよ出来もしないことに誘ってと、でもとんだ臆病者でがっかりだとまで言われてしまって、ぼくは釣られていることが重々わかっていながらも頬が熱くなるのを止められなかった。
「臆病者って誰が! 今すぐ制服を出して来て渡すからキミも明後日ちゃんとそれを着て来るんだぞ」
ぼくはまだ卒業生だからいいけれど、キミは部外者だからキミの方が見つかった場合困ったことになるんだからなと、けれど進藤はただにやっと笑っただけだった。
してやったり。
ぼくを上手いことノセることが出来たと満足そうなその笑顔に非道く後悔したけれど、今更引き下がることは出来なかったのだった。
そして翌々日の朝、ぼく達の悪戯を咎めるかのように天気は非道い土砂降りだった。
待ち合わせた駅に手を振りながら現われた進藤は、ぼくを見つけると大きく手を振って、それからしげしげとぼくを上から下まで見たのだった。
「なんだ?」 「いや、久しぶりだなあと思って」
おれ、おまえの制服姿好きだったんだと言われて顔が赤らむ。
「キミは…あんまり似合っていないな」 「おれはこういうお上品な制服に似合うような上品な顔立ちじゃないんでね」 「そういう意味で言ったんじゃない」
ぼくの中の彼はいつでも黒い学ラン姿で、少し緩めに着崩した姿をぼくはとても好きだったからだ。
「まあいいや、行こうぜ」 「本当に行くのか? こんな天気なのに」 「こんな天気だからいいんじゃん。傘で顔が隠れるからさ、きっと誰も気が付かないよ」
そしてすたすたと歩いて行ってしまう。
ぼくはその後ろを歩きながら後ろめたいような、でも心のどこかではわくわくするような気持ちを覚えていた。
「海王ってさー、次の角を右だっけ?」 「左だ。通りを突き当たった所で信号を渡ってそれからはまっすぐ行けばわかる」 「了解」
通り過ぎる街中の店のガラスに映るぼく達の姿は同じ白い制服姿でそれがとても不思議だった。
(もし同じ学校だったらきっとこんな感じだったんだろうな)
でもたぶん、同じ学校だったら進藤をこれほどまでに追うことはしなかったかもしれないと思った。
追えば逃げる。
諦めれば追って来る。
すぐには手の届かない所に居るというもどかしさが余計にぼくを駆り立てて、彼をひたすら追わせたのだとそう思う。
「あ、ちょーどいい感じ。校庭に出て来た所みたいだな」
こんな雨にも関わらず、校庭には卒業式を終えたらしい生徒や先生や父兄がたくさん居て、あちこちで談笑したり記念写真を取り合ったりしている。
「すげえたくさん桜植わってんのな」 「でもこの雨で散ってしまうよ、勿体ない」
話しながらぼく達はそっと校庭に入って行った。
傘をさしているせいと、制服姿なので誰にも違和感を持たれなかったようで、ぼく達はあっという間に卒業生の中に紛れ込んでしまった。
「ありがとうございました」 「卒業しても連絡取り合おうね」
あちこちで囁かれる言葉は涙が交じり、卒業の喜びと切なさが入り交じっている。
「どう? おまえの知ってる先生いる?」 「いるよ。言っただろう。私立校なんだから先生は一年くらいで変わったりしない」
あそこに居るのが校長先生で、その隣が教頭先生。高等部の先生も居るなと思いながらぼくは無意識に目で尹先生の姿を探していた。
「ほら、あそこ」
進藤に肘で突かれてそちらを見る。
「あれ、囲碁部の先生じゃん。回りに居るのはやっぱり囲碁部の連中かな」 「そう……だね。たぶんそうだと思う」
尹先生は一年前とほとんど変わって居なかった。そのことが何故かぼくをほっとさせた。
「なあなあ、あっちの美人の先生誰?」
感慨にふける暇も無く進藤に聞かれてそちらを見る。
「あれは美術の先生だったと思うけど」 「あっちは?」 「あっちに居るのは保健体育の――」
進藤に促され、尋ねられるたびに名前が頭に蘇る。 そしてそれと共に強烈な想いも沸き上がって来た。
ああ、ぼくはここに居たのだと。
三年間ぼくを育ててくれたのはこの場所なのだと、何の未練も思い入れも無かったはずなのにぼくは思いがけず胸が熱くなるのを覚えた。
(だからみんな…)
卒業式に出ろと言ったのかと遅まきながらそれに気が付く。
自分を支え、育ててくれた人達にちゃんと別れを告げることなくぼくはここを去る所だったのだと思ったら、今更ながら自分の勝手さに情けなくなった。
「あの…すみません写真撮って貰えますか?」
後ろから声をかけられて驚いて振り向くと傘をさした女生徒がぼくに向かってカメラを差し出している。
「その桜の木の下で撮って欲しいんですけど」
式の途中、泣いたのだろうか? 赤い目をした彼女らはそれでも幸せそうに笑いながら腕を組んでカメラのファインダーの中に収った。
「ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げて去って行こうとする彼女らを思いがけず進藤が引き止めた。
「ごめん、悪いけど今度はおれらも撮ってくんない?」
そこの同じ桜の木の下で二人並んで立っている所を撮ってくれないかと言われて相手は躊躇無く微笑んだ。
「いいですよー」
そしてぼくは進藤と二人、雨で落ちた桜の花びらを踏みながら一つの写真の中に収ったのだった。
「ありがとう」 「いいえ、こちらこそ」
屈託の無い笑顔で去りかけた彼女は仲間の元に戻りかけて、けれど途中でふと気が付いたように振り返った。
「あれ?……あの、もしかして」
塔矢先輩じゃないんですかと相手が言ったか言わないかのうちに進藤はぼくの腕を掴むと大急ぎでその場を離れた。
そしてまだあちこちで写真を撮っている人達をすり抜けると校門から出て、それでもまだ歩みを止めず、かなり遠くまで小走りで走ってからやっとその足を止めたのだった。
「わー、やべぇ、やっぱおまえのこと覚えてるヤツいるんだなあ」
きっとあの子、おまえに憧れたりしてたんだぜと言われてもぼくは息が切れて返事も出来ない。
「やっぱ海王は規模が違うよな、おれらん所あんなに人数いねーもん」 「なんで………」
切れる息をなんとかつないでようやくぼくは彼に言った。
「ん?」 「なんで写真なんか撮ったりしたんだ」
余計なことをするからバレたんじゃないかと、やっとの思いで声を絞り出して言うと進藤は悪びれることなくにこっと笑った。
「いいじゃん写真くらい」 「それにぼくはキミがカメラを持って来てるなんて知らなかった」 「おれは最初からそのつもりだったよ。おまえと卒業式に混ざってそこで絶対に撮ってこようって」
まあこんな悪天だったのは残念だけど、でも雨に散る桜も綺麗だったよなと全く反省した色は無い。
「だから……なんで写真なんて!」 「卒業写真」
おまえ持って無いだろうと微笑まれたその瞬間、やっとぼくは今回の悪戯をどうして進藤がやろうとしたのかがわかった。
(ぼくのためだったのか…)
意地を張って出なかった卒業式をぼくに味わわせるために進藤はわざわざこんな手の込んだことをしたのだと、それがようやくわかったのだった。
「いいじゃん? 写真くらい」
一枚くらいそういう写真があったっていいだろうと笑う進藤は、ぼくと同じ年でぼくよりずっと子どもだと思っていたはずなのに、何故か笑顔はまるで大人のようだった。
嬉しいこと、悲しいことをちゃんと経験したことのある大人のような笑みで、それがとても意外だった。
「ちゃんと飾れよな、おまえ」
おれとの海王ツーショット写真と、ふざけたように言いながら、でも彼の言葉は限りなく優しい。
「キミ、制服…似合って無いじゃないか」 「あー? いいじゃん。おれ、白は元々似合わないんだからさ」
なんだったら学ランで出直して来るからもう一度行って撮り直してもいいぜと言うのに苦笑した。
「いいよ、そんなことをしたら本当にこの悪戯が知れてしまう」
子どもっぽい。
でも大人だ。
進藤はぼくよりもずっと大人なのだとこの時ぼくは痛感した。
ぼくに思い出を作り、恩のある人達にきちんと別れをつけさせた。彼はぼくよりもずっとずっと人の心をわかっているのだと。
(人…いや)
ぼくの心を解っているのだと思った時に好きだと思った。
前からずっと惹かれていたし、ずっと盲目的に追い続けて来たけれどその気持ちとはまた違う。
彼を…一人の人として、囲碁とも何とも違う所でぼくは好きになったのだった。
静かに、けれど熱い。
それは初めて経験する気持ちだった。
「あーあ、裾汚れちゃった。ちゃんとクリーニングして返すからな」 「いいよ、それくらいぼくの着ているのと一緒に出すから」 「そういうわけには行かないっておれが無理矢理誘ったんだし」
思い切り走ったその痕がズボンにも制服の背中にも跳ね上がっている。
泥と雨水と、散った桜の花びらと。
「写真…」 「え?」 「写真、次に会う時に貰えるかな…」 「デジカメだし、すぐに見たいなら帰ってからメールで送るけど?」 「いや、キミの手から貰いたいから」
出来るならプリントして持って来てくれないかと言ったら進藤は一瞬きょとんとした顔になってそれから顔中で笑った。
「いいぜ。なんだったら何枚か多めにプリントして持ってくるし」 「ありがとう。でもいいよ。一枚だけでいい」
大切な思い出は彼とぼくだけのものでいい。
彼がぼくのためにしてくれたこと。
その彼を好きだと気が付いたこと。それを他の誰にも分け合いたくなんか無かったから。
(一枚でいいんだ)
「本当にありがとう。今日は楽しかった」 「だろう?」
毎年、毎年、桜の咲く頃になるたびにきっとぼくは思い出すんだろう。 二人して同じ制服を着て、戯れに卒業式に紛れ込んだ今日。
(忘れたくてもきっと忘れることなんか出来ない)
進藤の思いがけない一面と、生まれて初めて知ったこの甘い痛みを。
傘をさして歩きながらぼくは生まれたばかりの感情をゆっくりと一人考えていた。何年も何十年たっても忘れることはきっと無い。今日知ったこの気持ちは――恋。
(……たぶんこれが初恋なんだ)
ぼくは進藤の背中を見つめ、慣れない切なさにため息をつきながら、地に落ちた桜の花びらを静かに踏んで歩いたのだった。
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120000のキリ番を踏んでくださったきゅうさんからのリクエストで、 「初恋」です。正確には「初恋のイメージで桜」でした。
海王中の制服がお好きだとのことで、今回は二人に着せてみました。 たぶんヒカルには海王の制服はあまり似合わないような気がするのですが、それでも二人で撮った「卒業写真」をアキラはずっと大切に飾ったと思います。 そして実はヒカルも大切にプリントして持っていて時々取り出してはにへらと笑っていたことと思います。
この時点でアキラはヒカルに対して恋愛感情を抱いたわけですが、ヒカルはもうとっくの昔にアキラのことを好きです。好きな相手だからこそこういう面倒くさいことをしたわけです。
と、あんまり長々書くのもなんなので(^^;
きゅうさん素敵なリクエストをありがとうございました。私も海王の制服は大好きですし、桜も初恋も大好きなテーマなので楽しく書かせていただきましたーv
これからもよろしくお願いいたします。
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