エンターテイメント日誌

2004年06月29日(火) スカーレット・ヨハンソン二題 <後編>

前回の日誌よりの続きである。

「ロスト・イン・トランスレーション」の評価はC+。まあ、観ていて退屈はしないが大して面白くもないといったところ。

フランシス・フォード・コッポラは脚本家時代にルネ・クレマン監督の大作「パリは燃えているか?」やアカデミー賞を受賞した「パットン大戦車軍団」を書いた。そして監督に昇進してからはご存じ「ゴッドファーザー」や「地獄の黙示録」など製作費が豊潤な話題作をものにした。つまり彼は娯楽映画の王道を一直線に歩んできた人なのである。しかしどうもその娘のソフィア・コッポラは、そういうエンターテイメント路線とは無縁で、あくまでも低予算のインディーズ系を突き進んでいるという印象が強い。親と子でこれだけカラーが違うというのもなかなか面白い。

「ロスト・イン・トランスレーション」では手持ちカメラでトーキョーを自在に活写している。東京タワーを車窓から眺める場面が多いので、なんだかエッフェル塔が大好きだったフランソワ・トリュフォーの映画、とくに「大人は判ってくれない」を想い出した。そう、ソフィアの体質は極めてフランスのヌーベルバーグの作家たちのそれに近いのだ。余談だがトリュフォーは引っ越し魔だったが、その住居からは常にエッフェル塔が望める場所だったそうである。「ロスト・イン・トランスレーション」の物語を手短に要約すれば、スカーレット・ヨハンソンの側から言えば<夫は判ってくれない>だし、ビル・マーレイの側から言えば<妻は判ってくれない>になるだろう。煎じ詰めればそれだけの内容なのだ。異文化都市で感じる孤独感・寂寥感というテーマなら「インドへの道」や「シェルタリング・スカイ」などの例を挙げるまでもなく、今まで繰り返し先達の映画が描いてきたものだし、在り来たりという気がして仕方ない。トーキョーの描き方もただ現在のありのままの東京が映っているだけで、たとえばリドリー・スコット監督が「ブラック・レイン」において大阪をあたかも「ブレードランナー」に登場する近未来都市のように異次元空間へと転化したような才能は残念ながらソフィアには欠如している。だから僕にはこの陳腐な物語が米アカデミー賞で脚本賞を受賞したり、欧米でやたら映画の評価が高いのが納得がいかない。過大評価としか想えない。カメラのピントがしばしばボケるのも気になった。ちゃんとプロの仕事をしやがれ!

この映画でのヨハンソンも確かに可愛いのだが、「真珠の耳飾りの少女」と比較すると魅力は半減。人妻役というのも似合っていない。彼女は2005年に公開予定のフィルム・ノワール「ブラック・ダリア」への出演が決まっている。原作は「L.A.コンフィデンシャル」などで名高い暗黒小説の帝王ジェームズ・エルロイ。監督は「アンタッチャブル」「ファム・ファタール」など映像の魔術師ブライアン・デ・パルマ。こんな魅力的な組み合わせならいやがうえにも期待が高まるのを押さえることができない。ヨハンソンがさらに成熟した大人の女優としての魅力を発散してゆく様を今から愉しみに待っていよう。



2004年06月28日(月) スカーレット・ヨハンソン二題 <翻訳に真珠>

1984年11月にニューヨークで生まれた(クリック→)スカーレット・ヨハンソンは現在19歳。1960年代生まれを代表するハリウッド女優がニコール・キッドマンであるとするならば、1970年代にちょっとした空白期間があって、1980年代を代表する若手女優のホープといえば文句なしにヨハンソンであるというのが筆者の(些か乱暴な)見解である。確かな演技力ともって生まれたその美貌を武器に、まず間違いなくこれから十年以内に彼女はアカデミー主演女優賞を受賞するであろう。ちなみに彼女は既に「ロスト・イン・トランスレーション」で英国アカデミー賞の最優秀主演女優賞受賞している。そんなヨハンソンが主演した映画を二本、これから取り上げる。まず「真珠の耳飾りの少女」である。

「真珠の耳飾りの少女」の評価はA-。とにかくその映像美に酔いしれる映画である。まずアカデミー撮影賞にノミネートされたエドゥアルド・セラによる撮影が素晴らしい。まるでフェルメールの絵画の中に迷い込んだかのような光と陰が織りなす妙なるハーモニー。この完成度の高さは映像美の極致とされる「天国の日々」(撮影監督:ネストール・アルメンドロス)に匹敵するだろう。それに加えて、この映画における美術や衣装スタッフの卓越した仕事ぶりも相乗効果を上げている。画家フェルメールの一枚の絵を巡る物語。これはあくまでフィクションではあるが、歴史的事実がどうであろうといっこうに構わない、この映画で描かれたものこそがフェルメールがその絵に託した想い、心の真実に相違ないと信じられる、そういう素敵な、花も実もある絵空事であった。

さて、ヨハンソンという少女は確かに奇麗な娘なのだが、彼女の美しさは残念ながら現代的服装では真の魅力を発揮できないというきらいがあるように僕には想われる。それは「ロスト・イン・トランスレーション」とこの「真珠の耳飾りの少女」の彼女を比較すれば歴然としているだろう。彼女はむしろコスチューム・プレイでこそ映える女優なのだ。「真珠の耳飾りの少女」のヨハンソンは神々しいまでに光り輝いている。フェルメールの世界にとけ込み、最後に完璧に一体化する様はもう空恐ろしい位である。21世紀の映画は貴重な宝石を手に入れた。これは必見。

さて、お次は「ロスト・イン・トランスレーション」であるが、こちらは次回の日誌で語ろう。Coming soon...



2004年06月26日(土) 何処へ往く竹内結子。誰かを彼奴を止めてくれ!

まず敬意と愛を込めて竹内結子のオフィシャル・ホームページをご紹介しておこう。こちらである。

筆者が改めて述べるまでもなく、竹内結子は押しも押されぬ人気女優である。最近でもテレビではキムタクと組んだ「プライド」が高視聴率を記録。映画主演も順調にオファーが来ている。飛ぶ鳥を落とす勢いというのは彼女のことを言うのだろう。しかしどうも最近の竹内が出演した映画の傾向を見ていると首を捻らざるを得ない。もしかすると竹内さん、貴女自分のことを<癒し系女優>だと勘違いしてはいませんか??

実は彼女、男から人気はあるが同性から嫌われるタイプではないかと推定する。特に彼女が醸し出すあの独特な偽善的雰囲気が。毎年NHK文化研究所が発表する好きなタレントランキングを見て欲しい。女性タレントの上位20位に竹内結子の名前はない。実は売れている割には好感度は余り高くないことがお解りいただけるだろう。

今年の10/30に全国東宝系で公開される映画「いま、会いにゆきます」(監督土井裕泰)に竹内結子と中村獅童が共演するというマスコミ向け発表があった。<泣ける映画>だそうである。原作について竹内結子は女性誌に<読み終え、題名の意味が分かると、しゃくり上げてしまいました。周囲に人がいたのに。私の大切な1冊です。>と感想文を寄稿している。まるで「世界の中心で、愛をさけぶ」における柴咲コウが果たした役割とそっくりそのままのパターンである。彼女があざといまでにセカチュウと同じ路線を狙っていることは明白だろう。僕は「いま、会いにゆきます」のストーリーを読んで大爆笑した。こうだ・・・

2人は夫婦。妻は男の子を産んでから、しばらくして病死する。残された夫は誠実に子育てに励みながらも、妻をいつまでも忘れられない。“もっともっと優しくしてあげれば良かった”“あいつはオレなんかと一緒にならなかった方が良かったんじゃないだろうか”と思い悩む。そんなある日、死んだ妻が突然現れる。歓喜する長男、ぼうぜんとする夫。いったい何が――。

また同じパターンかよ!竹内結子。呆れ果てたね。竹内はつい先日公開された映画「天国の本屋〜恋火」でも幽霊を演じている。「黄泉がえり」で彼女が演じるヒロインも、実は交通事故で死亡していたのに本人が気が付かずに現世に生き続けているという「シックス・センス」もどきの幽霊だ。彼女が昨年主演したもう一本の映画「星に願いを。」は恋人が幽霊になって戻って来るというお話で、竹内は<心やさしい看護婦>という役柄だ。

よくもまあこうヌケヌケと同じような役ばかりを嬉々としてで演じられるものだと、その厚かましい神経を疑いたくもなる。本人はそうやって自分の女優としてのポジションが固定され狭められてしまうということに対して全く無自覚・無頓着なのだろう。

嘗て、似たような役のオファーしかこないのに嫌気がさしたハリウッドの大女優イングリット・バーグマンはイタリアン・ネオ・レアリスモの名作「無防備都市」に衝撃を受けて、その監督ロベルト・ロッセリーニに「貴方の映画に出演したい。」と熱烈な手紙を書き、敗戦後の荒廃した貧しい国、イタリアへと飛び出していった。「恋人たちの予感」「めぐり逢えたら」などラブコメの女王として君臨したメグ・ライアンも自分がそういう役しかできないと世間から見なされることに対してあくまで抵抗し、アル中役の「男が女を愛する時」や女性兵士役の「戦火の勇気」などに出演し、役柄の幅を広げようと必死だった(残念ながらその試みは成功したとは言えないが)。まともな人間ならば喩え失敗しようと、あくまで新たな地平を目指してチャレンジするのが自然な方向であると僕には想える。それこそが<役者魂>というものだろう。

竹内結子に提案したい。貴女が<癒し系幽霊>が大好きなのは良く分かった。でもそろそろ役の幅を広げてはみないか?そうだなぁ・・・あくまで幽霊に固執するのなら「化け猫映画」出演とかはどうだろう。あるいは「リング」の貞子とか「呪怨」の加椰子という手も悪くないんじゃないかな?



2004年06月20日(日) 新生ハリー・ポッターを解析する!<アズカバンの囚人>

映画「ハリーポッターと賢者の石」と「秘密の部屋」の監督をしたクリス・コロンバスは原作で描かれた世界を忠実に映像化する(ビジュアライズ)という点では立派に職務を果たしたと想う。彼は何も足さず、何も引かなかった。ウェル・メイドな娯楽作ではあるが、それ以上でも以下でもなかった。しかし、今回「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」に抜擢されたメキシコ出身のアルフォンソ・キュアロンという人は、確立したスタイルを持つ才能溢れるフィルムメーカーである。「アズカバンの囚人」には前二作にはなかった気品が加わり、より格調高くなった。原作の面白さにキュアロンの映像センスが単に足されたのではなく、かけ算の効果を及ぼしたのである。これは掛け値なしに傑作である。評価は勿論Aだ。

一年半前の2003年1月18日の日誌に既に解説しているのだが、キュアロンの映像を特徴づけるのは緑の色彩=キュアロン・グリーン(筆者命名)である。「アズカバンの囚人」では今まで描かれなかったホグワーツ魔法学校周囲の自然描写が豊かになり、緑や青の色彩が映画を支配するようになっている。特に渡り廊下の場面がなんとも美しい!また、今回は全編を通じて荒れ模様の天候で物語が展開し、それが映画のダークなトーンを決定付けている。ハリーたちがホグワーツに戻ってくるときは土砂降りで、クィディッチの試合も激しい暴風雨の中、決行される。冬の場面も前例のない大雪が降りしきる。その他の場面でも常に曇天空で日が差すことが一切ない。また、本作では<時間>が重要なキーワードになるのだが、巨大な振り子時計が映画の前半から強調され、そのテーマを象徴するといった具合に、緻密な映像設計が施されており唸らされる。監督が替われば映画もこれほどまでに様変わりするものかと改めて驚かされる。原作者のJ.K.ローリングはキュアロンの傑作「リトル・プリンセス」が大のお気に入りだそうで、今回の人選は正に的確であったと言えるだろう。ただ残念なのはキュアロンと長年組んできた朋友、撮影監督のエマニエル・ルベツキーがこのプロジェクトには参加しなかったことで、彼が撮影を担当していればさらに美しい映像に仕上がったのではなかろうかと、そのことだけが惜しまれる。

今回様変わりしたのは監督だけではない。ダンブルドア校長を前二作で演じたリチャード・ハリスが死去し、マイケル・ガンボンが後を引き継いだ。見た目に変化はないのだが今度のダンブルドアは生気に満ちており、なんだか若返りの秘薬を飲んだのではないかといった印象(笑)。最初は違和感があったのだが、慣れてくると今回の新生校長の役作りも悪くない。無理に先代の模倣をしようとしていないところに好印象を受けた。

ハリー・ポッター・シリーズで今まで一番見栄えがしなかったのが特撮である。人物と背景の合成に違和感があったし、「秘密の部屋」の妖精ドビーとか巨大蜘蛛アラゴグとかCGによるクリーチャーの動きが拙く、例えば「ロード・オブ・ザ・リング」のゴラムとか大蜘蛛シェロブと比較しても明らかに見劣りがした。しかし今回の特撮チームはなかなかよく頑張っていると想う。夜の騎士バスの場面は面白いし、新しいCGキャラクター、バックビークの造形も素晴らしい。

しかしスタッフの中で特筆すべき仕事をしたのは何と言っても音楽のジョン・ウィリアムズだろう。今回は力の入れ方が違う。前二作から流用している主題(モチーフ)はヘドウィッグ(ふくろう)のテーマのみ。後は全て新しいモチーフで構成されている。ロッシーニ風の<マージおばさんのワルツ>、ジャズ風で「スター・ウォーズ」の<酒場のバンド>を彷彿とさせる<夜の騎士バス>、そして英国情緒たっぷりの<過去への窓>などバラエティに富んでいる。その中で筆者の一番のお気に入りは<バックビークの飛行>と、愉しい主題歌<ダブル・トラブル>。是非ジョンには本作で6度目のオスカー受賞を期待したい。<ダブル・トラブル>の歌曲賞ノミネートも可能性が高いが、結局はロイド=ウェバー作曲のミュージカル映画「オペラ座の怪人」の新曲"No One Will (Would) Listen"がほぼ間違いなく受賞するだろう。

今回卓越した能力をフルに発揮したアルフォンソ・キュアロンはまる二年間このプロジェクトに携わり、煩い原作者にもお付き合いしないといけないし、映画を完成させた現在、疲労困憊している模様である。さて、彼がこのシリーズの第五作以降に再登板する可能性はあるのか?それとももう二度と御免だとばかりに断固辞退するのか、これから目が離せない。是非もう一度彼が描くポッター・ワールドを観てみたいのだが・・・



2004年06月16日(水) <トロイ>とか、ハリウッド映画落穂拾い

「シルミド」のレビューも書かなくちゃいけないのだが、遅きに失するといけないのでここで溜まっていたものを一部放出する。

「トロイ」評価C:

可もなく不可もなしといったところか。スペクタクル史劇としての風格はある。しかし、「ロード・オブ・ザ・リング」などで壮大なモブ・シーン(群集場面)を見慣れた目では、最早ちょっとやそっとのCGによる特撮で目を奪われることはなくなってしまった。これはある意味不幸なことである。物語りも詰まらなくはないが、アキレスの恋は蛇足だという感が強い。トロイとスパルタの戦争に関係ないし。

むしろこの映画で最も興味深いのは音楽面である。一年以上この映画に携わってきた作曲家のガブリエル・ヤーレ(「イングリッシュ・ペイシェント」でアカデミー賞受賞)はポストプロダクション終盤になって、試写での不評を理由に突如解雇された。急遽代役に登板したのが「タイタニック」「ビューティフル・マインド」のジェームズ・ホーナーである。なんとホーナーはスコア全曲をたった13日間で作曲、12日で録音という記録を打ち立てた。恐るべき職人技である。これが案外悪くなくて聴き応え充分、迫力満点の音楽だったので感心した。

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「ドーン・オブ・ザ・デッド」評価B-:

ロメロの「ゾンビ」リメイクである。「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」とそれに続く「ゾンビ」という映画は トム・サビーニの精巧な特殊メイクとか<生きる屍>の生態としての決まりごとを決定付けたという意味では価値があるが、それ以上のものは何もない。映画としてテンポが弛緩していて凡庸だし、面白みとか興奮に欠ける。その点、今回の若手監督が手がけたリメイクは畳み込むようなスピード感溢れる編集が見事だし、見応えがある。兎に角凄まじい高速で走るゾンビ!これに尽きる。ただ、観客を悪夢の中に無理やり引きずり込むような冒頭10分間は圧巻なのだが、主要人物たちがショッピングモールに終結したあたりから、物語が停滞する感は否めない。はっきり言ってこんなB級映画に主人公たちの人間的葛藤なんてどうでもいいことだし、早く先に進んでくれと苛々する。また、ラスト、辛くも島に逃げ延びた主人公たちに待ち構えているものまで描いてしまう必要はなかったんじゃなかろうか?霧に包まれた島に向かうヨットのロングショット。その言い知れぬ不安感で終わったほうがより一層映画としての余韻が残った筈である。つまりこの作品は冒頭10分のみ観ればそれで必要充分ということである。



2004年06月13日(日) ラクロの<危険な関係>とヨン様

18世紀、フランス革命前夜のパリの頽廃的な貴族社会を書簡体で描写したラクロの心理小説「危険な関係」は今までに幾度となく映画化されてきた。

まずジャンヌ・モローとジェラール・フィリップ主演でロジェ・ヴァディムが監督した1959年のフランス映画があるが、これは残念ながら未見である。舞台は現代のパリに置き換えられているそうである。グレン・クロースとジョン・マルコヴィッチがメルトゥイユ公爵夫人とヴァルモン子爵を演じた、スティーヴン・フリアーズ監督の1988年版「危険な関係」は大変面白く観た。ユマ・サーマンの初々しいヌードが印象的。こちらは原作に忠実な時代設定となっている。「カッコーの巣の上で」「アマデウス」の監督ミロシュ・フォアマンも同時期の1989年に映画化しており、「恋の掟」とのタイトルで公開され、ビデオ発売タイトルは「アネット・ベニングの 恋の掟」、WOWOWで放送時は「恋の掟/ヴァルモン」となった(つまり題名変更を余儀なくされるくらい当たらなかったということだ)。これは一応観はじめたのだが、退屈なので途中放棄してしまった。次に1999年、現代のニューヨークに舞台を置き換えて、ティーンエイジャーを主人公に映画化したのが「クルーエル・インテンションズ」である。サラ・ミッシェル・ゲラー(祝、ハリウッド版「呪怨」主演!)の悪女ぶりが堂に入っていてなかなか気に入った。今をときめくリーズ・ウィザースプーン(「キューティー・ブロンド」)が純潔な少女役で出ているのだが、この映画では精彩を欠いた。ただし、リーズはこの映画での共演がきっかけで主演のライアン・フィリップと結婚することとなる。そして今回のヨン様ことペ・ヨンジュン主演の韓国版「スキャンダル」の登場となるのである。ちなみに2005年1月にはダンサーのアダム・クーパー演出・振り付け・主演によるバレエ「危険な関係」が日本で世界初演される。いかに「危険な関係」という小説が現代の芸術家たちを魅了し、創作意欲をかき立てるかが良く判るであろう。

映画「スキャンダル」の評価はB。韓国の貴族社会に設定を置き換えてはいるが、原作の精神を巧みに生かしておりなかなか見応えがある。凍結した湖とか終盤でのチョ婦人(=原作ではメルトゥイユ公爵夫人)の逃避行など印象に残る場面が多い。ペ・ヨンジュン演じる主人公(=ヴァルモン)も今までの映画化の中で最もセクシーで、はまり役だと想う。

ただ、もし歴代の「危険な関係」の翻案の中で筆者の一番のお気に入りを問われたら、躊躇なく宝塚歌劇雪組で上演された「仮面のロマネスク」(台本・演出:柴田 侑宏)を選ぶだろうな(この公演を収録した市販ビデオあり)。兎に角、脚色が素晴らしい。特にフランス貴族社会が瓦解する音を聴きながらメルトゥイユ公爵夫人とヴァルモンが踊る幕切れの鮮やかさときたら!まるでヴィスコンティ(「ベニスに死す」「ルードウィヒ/神々の黄昏」)の映画を観ているようだった。百年に一人の逸材といわれる大物娘役、花總まり演じるメルトゥイユ公爵夫人は誇り高く気品があって絶品だった。余談だが現在宝塚大劇場で上演中の「ファントム」(原作は「オペラ座の怪人」)で彼女が演じるヒロイン、クリスティーヌも実に可憐であった。さて、映画版でクリスティーヌを演じるエミー・ロッサムはどうだろう?



2004年06月09日(水) ヤンキーちゃんとロリータちゃん、キューティーハニーを撃退するの巻

早々と今年の最低映画の地位を確定してしまった「キューティーハニー」であるが、この映画の不運は大傑作「下妻物語」と同じ日に公開され、何かと比較され、その当然の結果としてゴミ屑扱いされたことにあろう。サトエリと深田恭子の演技力の格の違いも余りにも歴然としていて哀れだった。

公開初日の5月29日と30日の全国週末興行成績ランキングでは「下妻物語」が4位、「キューティーハニー」が7位で、ハニーは下妻の半分強の興行収入しかあげられなかった(ちなみに1位はセカチュウ。強い!)。そして2週目の6月5日と6日の興行成績は下妻が5位と健闘し、ハニーはあえなくランキング圏外に消えてしまった。

「下妻物語」の原作者、嶽本野ばら公式サイト5/31の日記(←クリック)には映画版について以下のように書かれている。

打倒、「世界の中心で、愛をさけぶ」。「トロイ」には負けるだろうが「キューティーハニー」には、絶対、勝つ。

作品のクオリティの格が違うもの。。映画「下妻」がヒットしなければもう、日本映画には絶望しよう。一回観たより二回、三回観るほうが「下妻」の質の高さが理解出来る。


結局、原作者の願い通りに事態は進んだ訳だ。そして<作品のクオリティの格が違う>という感想には僕も全く同感である。

「下妻物語」の評価は文句なしにAを進呈しよう。真に清々しいバディ・ムービー(相棒映画)の登場である。決して他人の思惑に左右されず、我が道を行くヤンキーちゃんとロリータちゃんのハードボイルドな生き様が天晴れ。コメディとしてもすこぶる面白く、出色な出来である。演出にも勢いがあって疾風怒濤の展開に唸った。中島哲也監督はぴあフィルムフェスティバル(PFF)に入選してデビューした人で、いかにも自主映画出身者らしい瑞々しい映像感覚には好感度大だった。

フカキョンの演技力にも目を瞠った。特に映画の終盤、スケバン相手に啖呵を切る場面の迫力は圧巻だった。そして新人の土屋アンナ!もう彼女が兎に角、素晴らしい。今年の新人賞総なめは間違いなし。これはまさしく事件である。



2004年06月04日(金) パニック映画の歴史とデイ・アフター・トゥモロー

日本ではパニック映画と呼ばれるジャンルは英語ではDisaster Movieという。これはマカロニ・ウエスタンが英語ではSpaghetti Westernと呼ばれるのに似ている。パニック映画は1970年代前半にハリウッドで隆盛を極めた。

パニック映画の走りは飛行機を舞台とした「大空港」(1970)だろう。そして真っ逆さまに転覆した豪華客船からの脱出劇を描く傑作「ポセイドン・アドベンチャー」(1972)に続く。「タイタニック」(1997)の原点とも言える作品である。「デイ・アフター・トゥモロー」の監督ローランド・エメリッヒはパニック映画の中で「ポセイドン・アドベンチャー」が一番好きなのだそうだ。そして1974年の「大地震」があり、同年に公開された「タワーリング・インフェルノ」でクライマックスを迎える。20世紀フォックス(原作はT・N・スコーシア&F・M・ロビンソンの'The Glass Inferno')とワーナー・ブラザース(原作はR・M・スターンの'The Tower')が別個に企画していたビル火災を題材とする映画を、競合するよりは合作にしてしまえ!とばかりに二大映画会社が組んだ掛け値なしの超大作である。その後火災映画としては「バック・ドラフト」(1991)が登場するのだが、本物の炎の迫力は到底「タワーリング・インフェルノ」に及ばなかった。「タワーリング・インフェルノ」以降衰退したパニック映画はデジタル技術の進歩と共に復活し、竜巻ものの「ツイスター」(1996)や隕石衝突による地球滅亡の危機を描く「アルマゲドン」「ディープ・インパクト」(共に1998)等が登場した。

余談だが現在も「ハリー・ポッター」シリーズやスピルバーグ映画で大活躍の映画音楽の巨匠、ジョン・ウイリアムズは「ポセイドン・アドベンチャー」「大地震」「タワーリング・インフェルノ」と三本のパニック映画の音楽を担当している。「ジョーズ」や「スター・ウォーズ」の前に彼はパニック映画で一世風靡したのである。

往年のパニック映画にはれっきとしたルールがあった。まず「グランド・ホテル形式」であること。「グランド・ホテル」は1932年に公開されたハリウッド映画でその年のアカデミー作品賞を受賞した。ベルリンのホテルを舞台としてそこに集まった人々のそれぞれの人生模様を俯瞰する群像劇であり、この手法を踏襲する映画は「グランド・ホテル形式」と呼ばれるようになった。だから「グランド・ホテル形式」には一定の主人公はいないし、オール・スター出演の映画を創りやすいのでパニック映画にぴったりだったのだ。

もう一つのルールはパニック映画の要所要所でそれぞれの登場人物たちは人生の岐路に立たされる。右に進むか左へ進むか。あるいは進むかその場に留まるのか。そして正しい選択をしたものは助かり、誤った選択をしたものは命を落とす。その選択の課程に措いてそのひとの人間性・人生観が垣間見られる仕掛けになっているのである。

「デイ・アフター・トゥモロー」の筆者の評価はB-。上述したパニック映画の伝統に則っているところがマンネリとはいえ懐かしく、心地良く観ることが出来た。そして地割れあり、竜巻あり、洪水や吹雪の遭難もの、乱気流に巻き込まれた飛行機や、おまけに難破船まで登場して正にパニック映画の集大成。そのサービス精神旺盛なてんこ盛り状態には嬉しい悲鳴を上げずにはいられない。ただしオオカミは余計だったけれど(笑)。ニューヨークを襲う大洪水の場面など大迫力の特撮技術にも大いに拍手を送りたい。CGの進化は凄まじい。まあ、突っ込みどころ満載のストーリーではあるが、所詮エメリッヒという「星条旗万歳!」と叫んでアメリカ合衆国に媚びを売り続けるドイツ野郎は、ほら吹き男爵というか「ビッグ・フィッシュ」のおやじみたいなはったりをかまして大風呂敷を広げる奴だから余り腹が立たない。少なくとも彼が監督した「インディペンデンス・デイ」やハリウッド版「ゴジラ」よりはこちらの方がよっぽど面白かった。ただし、グランド・ホテル形式を踏襲しているとはいえ、スター不在の安っぽい配役はマイナス点である。

今回ヒロインを演じたエミー・ロッサム、なかなか可愛い女優さんで安心した。彼女は既に撮影が終わっているミュージカル映画「オペラ座の怪人」(北米ではクリスマス公開)でヒロイン:クリスティーヌを演じる。彼女なら期待できそうである。凄い歌唱力だとの評判なので今から大いに楽しみである。

最後に売国奴のドイツ野郎(=エメリッヒ)にちょっとだけ突っ込みを入れておく。足の傷が化膿して敗血症にまでなったらペニシリン一本注射したくらいじゃあんなに簡単に治らないだろ?傷口の洗浄消毒・切開排膿(うみを切って出す)が不可欠だし、場合によって壊疽の拡大を防ぐために下肢切断しなければならないことだって考慮する必要がある。映画にメディカル・アドバイザーくらいつけたらどうなんだ?予算がなかった訳ではアルマーニ、もとい、あるまいに。



2004年06月02日(水) 君はDAICON FILMを知っているか?

あれは僕が大学に入学したばかりの1984年頃だったと想う。高校時代の友人が「これ、アマチュアの連中が創った、ちょっと面白いアニメがあるんだけれど、観てみない?」と言って譲ってもらった(市販されているものではない、怪しげな)ビデオに収録されていたのがそれぞれ5分くらいの短いフィルム、「DAICON III」と「DAICON IV」であった。1981年と1983年に大阪で行われた日本SF大会のオープニングを飾ったアニメーションであるという。可愛らしい女の子が主人公でその子がゴジラやバルタン星人、ダースベイダー、宇宙戦艦ヤマト、スタートレックのエンタープライズ号や、未来少年コナンに出てくる空の要塞ギガントなどをバッサバッサとなぎ倒していくという内容。SF映画とアニメーションへの愛情がいっぱい詰まった、玄人はだしの見事な作品であった。

その後そのビデオは我が家の押し入れの奥深くにひっそりと仕舞われていたのだが、つい先日懐かしくなって引っ張り出して観た。そして「これだけアマチュアのレベルを遙かに超えたクオリティの高い仕事をした連中だ。きっと現在ではプロの道を歩んでいるに違いない。」と思い付いて、インターネットでDAICON FILMをキーワードにして検索をしてみたところ、想像を遙かに超えた事態にびっくり仰天して腰を抜かした。ひとまずここ(←クリック)を見て欲しい。

な、なんとこのアニメを演出したのが後に「王立宇宙軍〜オネアミスの翼」で原案/脚本/監督を担当した山賀博之。原画や作画監督に庵野秀明や「新世紀エヴァンゲリオン」のキャラクター・デザインを担当した貞本義行などの錚々たる名前が連なっているではないか。そしてDAICON FILMは何とエヴァを製作したガイナックスそのものの前身だという。

DAICON IVのムービーサンプルはここで観ることが出来るが、これには音が付いていない。僕の手元にあるビデオには勿論付いている。何故こんなことになっているかというと、これはもともとアマチュアの作品なので音楽も既成の「ルパン三世」の音楽などを使用している。だから著作権問題に引っ掛かるのだろう。そういう訳でこのアニメ、今では市販ビデオ化もDVD化も出来ない<幻の作品>となってしまったわけだ。

庵野がこの度監督した「キューティーハニー」の(本編より桁違いに出来が良い)オープニング・アニメを担当したのがガイナックス。映画でミサイルが飛ぶ弾道の描写は実はDAICON FILMのそれとそっくりに仕上げられている。また平成「ガメラ」シリーズの特技監督で現在撮影中の映画「ローレライ」の監督・樋口真嗣がハニーの企画協力として名を連ねているが、樋口は後期DAICON FILMから参加した仲間で、逆に「ローレライ」にも庵野が協力しているようである。そんな縁(えにし)があったのである。

庵野に告ぐ。遊びの時間は終わった。もう実写をやりたいなんて子供っぽい夢(=映画ごっこ)は諦めて原点に還りなさい。DAICON時代の貴方には溢れんばかりの才能と輝きがあった。アニメーションにこそ貴方の居場所がある。そのことを是非忘れないで欲しい。


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