エンターテイメント日誌

2002年08月30日(金) 恐怖映画再生。<リング><呪怨>

いま、和製恐怖映画2作品のリメイクが進行中で注目を集めている。

まずは「リング」。これはハリウッドでリメイクされている。製作はスピルバーグが設立した映画会社ドリームワークス。主演は「マルホランド・ドライブ」が印象的だった知的美人女優ナオミ・ワッツである。既にオフィシャルページ(←クリック!)では予告編が公開されている。サイトに入りメインページに登場する絵の右下、日蝕らしき絵柄をクリック。

これを観る限りでは、かなりオリジナル作品に近いものに仕上がっているようである。呪いのビデオテープを観た者は1週間で死ぬという設定や、井戸や島が登場したりするところなど・・・。しかし馬というのはオリジナルになかったなあ。これがどういう役割を果たすのか、要注目である。リメイク版では<貞子>の名前は<サマラ>に変更されている。

総制作費70億円。日本版が数億円だから桁外れのスケール・アップである。しかし、いくら出来が良かろうとオリジナルの数十倍怖いということにはならないだろう(笑)。予算でその作品の価値が決まらないというのが映画の面白いところである。全米公開は10月18日。非常に楽しみだ。

もうひとつが「呪怨」である。これは「女優霊」「リング」という傑作ホラーで日本中を震撼せしめた脚本家、高橋洋氏の後押しでデビューした清水崇 脚本・監督作品である。

これは東映オリジナルビデオとして世に出たが、内容が凄く、背筋が凍りつくようだと大評判になり、映画館でも上映され清水崇監督はその実力が高く評価されて「富江 re-birth」で劇映画デビューを飾った。ただし「富江」の出来栄えに関する世間の評価はあまり芳しくない。

そこで起死回生、清水監督は現在「呪怨」映画版に取り組んでいる。主演は奥菜恵。

ビデオ「呪怨」「呪怨2」は物語が連続しており、どちらも70分ちょっとの上映時間だが、「呪怨2」は冒頭に前作のハイライトが延々30分あるので、WOWOWで放送されたものをDVD-RAMに録画し、重複部分をカットして繋いでみると実質115分の作品になった(笑)。劇映画としては適切な長さだろう。

オフィシャルサイトのコメントで高橋洋氏も書いているが、最後の最後まで恐怖の対象を見せないことで成功した「リング」に対して清水作品は徹底的にそれを見せるというのが大きな特徴である。「呪怨」は確かに驚くべき傑作だし、特に<猫少年>がぼっけえ、きょうてぇ(岡山弁で「すごく、恐い」の意)。彼がどうしてそうなったかの説明が一切無いから余計に恐怖が増すのである。

ただし、あえて注文をつけるならば<伽梛子>の動き方が余りにも<貞子>に似ているのが少々気になるし、特に「呪怨2」の終盤で<伽梛子>が増殖するというアイディアは如何なものかと想った(まあ少々ネタバレではあるが、これを予め知っていたからといって「呪怨」の面白さが損なわれる訳ではないのでいいだろう)。

是非清水監督にはこのあたりを再考してもらって、さらに完成度の高いパワーアップした作品に仕上げていただきたい。必ず映画館に駆けつけるから。<猫少年>の活躍にも期待してますよ。

映画が公開される来春には必ずや「呪怨」のおかげで日本の映画ファンは恐怖のどん底に突き落とされ、髪の毛を逆立てたまま眠れない日々を送ることになるだろう。



2002年08月21日(水) SPIRITED AWAY(千と千尋の神隠し)全米公開迫る!

いよいよ全米公開が9/20と迫ってきた宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」ことSPIRITED AWAY公式サイト(←クリック!)がオープンした。英語版の予告編もこちらで観ることが出来る。

思い起こせば「もののけ姫」ことPRINCESS MONONOKEがアメリカで公開された時、周囲の期待とは裏腹に上映館は100数館にとどまった。これは同時期に全米公開されたポケモンが1,000館を軽く越えたことを考えると惨敗に終わったと言わざるを得ないだろう。だからディズニーが引き続きヒットを狙ってオール・スター・キャストの声優陣で製作した「天空の城ラピュタ」英語版 = CASTLE IN THE SKYの劇場公開が白紙撤回され、かといってビデオ発売もままならず中ぶらりんの状態が今も続いている事態に至ったのは、些か仕方ない側面もあるのである。

しかし今度のディズニーは本気である。PRINCESS MONONOKEがディズニー傘下の子会社ミラマックス配給だったのに対してSPIRITED AWAYは堂々とWALT DISNEY STUDIOS PRESENTSと銘打っている。これは「モンスターズ・インク」などピクサー社作品同等の扱いだ。しかも英語版の製作総指揮を担当したのが「トイ・ストーリー」シリーズの監督ジョン・ラセターなのだから頼もしい。ラセター監督は宮崎アニメに心酔している大の日本びいきで(それはラセターが製作総指揮にあたった「モンスターズ・インク」でも顕著だろう)、来日時には宮崎監督と親しく交友するという間柄だから「今度こそは絶対に親分に恥はかかせられねぇ。」と男気を奮い立たせ、背水の陣で臨んでいることは想像に難くない。今回はディスニー+ピクサーという万全のバック・アップ体制であるからMONONOKEの二の舞いにはきっとならないと信じる。

宮崎さんの最高傑作ラピュタに比べると「千と千尋の神隠し」は純日本的要素が色濃いから、その東洋的エキゾチズムがヨーロッパ同様にアメリカでもすんなりと受け入れられるのかどうか不確かではある。しかしSPIRITED AWAYにはどうしても大ヒットしてもらわないと困るんだよね。その成功か否かが「天空の城ラピュタ」もアメリカで劇場公開されるかどうかの命運を握っているのだから。あっちの連中にジャパニメーション(というか宮崎アニメ)の真の凄み、その完成度の桁外れの高さを思い知らせてやりたい!

ところで貴方は「千と千尋の神隠し」DVDを購入しましたか?画面に赤みがかかっているとのクレームがジブリや発売元のブエナビスタに殺到。返品騒動にまで発展している。各スポーツ紙や産経、毎日新聞など一般紙もこの事態を一斉に報道した。ある週刊誌からは宮崎さんは共産主義思想の持ち主だから、アカく染めたのではと揶揄される始末。

これに対してジブリ側の公式見解ではあの「赤い画面」は元々製作者の意図した色合いとのことだが、そんな筈があるわけがないだろう。僕は店頭で上映していたサンプルのDVDで確認したが誰がどう見たって色彩調整の失敗である。劇場版と全然違うのだ。しかし日本で最も出荷枚数が多いDVDである。全商品回収という事態に至れば大変な損害を被ることは日の目を見るより明らかだ。だから口が裂けても<欠陥商品>という事実を公表出来ないのである(その実、裏ではブエナビスタに直接苦情を申し立てさえすれば返金に応じてもらえるそうである)・・・という訳で僕は購入を見送った。

ジブリがこの落とし前をどうつけるのかは分からない。黙って新たな出荷分からカラーの再調整をして出すのか、あるいは「特別版」とか銘打って再発売するのか。まあ、もしそういう動きがなければアメリカ版のDVDが出るのを待てばいいかな?とも想っている。さすがにアメリカ版まで悪評高い「赤い画面」のままでは出さないだろう。当然日本語音声も選択出来るはずだし。

あ、アメリカのDVDソフトはリージョン・コード1で、リージョン・コード2の日本製プレーヤーでは再生出来ないので同じことを考えておられる方は気をつけて。ちなみにわが家にはリージョン1専用DVDプレーヤーも準備が整っておりまする。



2002年08月18日(日) 邦画界のヒーロー見参!<ピンポン>

もしこれを読む貴方の近くで映画「ピンポン」を上映しているのなら、悪いことは言わない。いまやっていることを全てうっちゃって直ぐ映画館に駆けつけろ。これは掛け値なしで青春映画の傑作であり、今年の邦画界のとてつもない収穫である。

ペコこと主人公の星野と、スマイルこと月本との友情関係を見ていると、なんだか映画「GO」で窪塚くんが演じた高校生と映画半ばで刺殺される友人との関係を彷彿とさせるなあと想っていたら、脚色したのがどちらも宮藤官九郎だった。全く性質の異なる原作から、きっちりと自分の持ち味を主張して、それでいてどちらも超一流のエンターテイメントに仕上げるのだからこれは桁外れの才能である。原作漫画の力も大きいのだろうが、印象に残る綺羅星の台詞の数々にも惚れたゼ。

「GO」に比べると、窪塚くんは今回少々オーバー・アクトかなあという気もしないではないが、とにかくこの映画は脇のキャラクターが傑出している。クールなスマイルも恰好良いし、敵対するドラゴンこと風間、アクマこと佐久間などひとりひとりが魅力的にしっかり描き込まれているからこそ主役が立つのである。見どころはクライマックスのシンクロ場面だけで、人物描写が薄っぺらなあの「ウォーター・ボーイズ」との格の違いがここにある。それぞれの役者がまた良い。特に夏木マリ演じるオババがハードボイルドで粋だねぇ。宮崎駿作品「天空の城ラピュタ」のドーラ、あるいは「千と千尋の神隠し」の湯婆婆を彷彿とさせる雰囲気があった。「ルパン三世カリオストロの城」の台詞じゃないけれど<なんて気持ちの良い連中だろう!>

曽利文彦監督は映画「タイタニック」でCGを担当した経歴を持つ人らしいが、今回の映画では卓球のボールをCGで処理しながらそれが非常に自然に映画の中に溶け込んでいるのは見事であった。SFXは観客にそれと気付かせないことこそに価値がある。テンポも良くて爽快な風が吹き抜ける青春映画に仕上がっている。最後には不覚にもホロリとさせられちまった。鬼の目にも涙。

それにしてもこの映画のエピローグがイギリス映画「リトル・ダンサー」に呼応していると感じたのは僕だけだろうか?


蛇足:
実はご本人に直接お知らせしようと考えたのだが、メール・ボタンも見当たらず連絡の手段がないのでこちらにメモとして書かせておいて頂くことにした。「CARLITO'S WAY」という日記サイトに「小さな恋のメロディ(1971)」の監督がアラン・パーカーだという記載があったのだが、これはどうも勘違いされているようである。この映画でパーカーが担当したのは脚本だけであり、彼が劇場映画の監督としてデビューするのは1976年の「ダウンタウン物語」。「小さな恋のメロディ」の監督はワリス・フセイン。ちなみに僕もこの「小さな恋のメロディ」は名作だと想っている。



2002年08月14日(水) トム・クランシーはトンデモ作家!? <トータル・フィアーズ>

トム・クランシーの小説、ジャック・ライアン・シリーズはキャストや監督がその都度代わりながら、何作品も映画化されてきた。「レッド・オクトーバーを追え!」「パトリオット・ゲーム」「今、そこにある危機」そして今回の「トータル・フィアーズ」である。こうしてみるとなるほどクランシーは人気作家ではあるのだが、実はこのシリーズは<トンデモ本>の要素を多分に孕んでいるように僕には見受けられるのだ。

「トータル・フィアーズ」の原作「恐怖の総和」に続く小説「日米開戦」では、日本が核ミサイルを極秘に開発し、アメリカに攻撃を開始。自衛隊がアメリカ海軍太平洋艦隊の空母や潜水艦を撃沈、サイパン島・グアム島を占拠するという凄まじいプロットなのである。CIA情報分析官だったライアンはこのとき大統領補佐官に昇進している。続く「合衆国崩壊」で彼は副大統領に任命され、その就任式でライアンが議会議事堂に入場しようとしたその瞬間に日航機が議事堂に突っ込み、大統領や上下院の議員大半が死亡。ライアンはついに大統領にまで上り詰める!!という常人の想像力をはるかに超越した、もう眩暈でクラクラするような話なのである(この小説は昨年アメリカでの同時多発テロを予言したと話題になったのだが・・・)。そして「大戦勃発」では再選されたライアン大統領の新たな敵はシベリアを狙う中国とか。どうです?結構トンデモな展開でしょう?結局クランシーというひとは、反日・反共産思想で頭が凝り固まったガチガチのタカ派作家なのだろう。それにしても今後、ハリウッドは「日米開戦」や「大戦勃発」を映画化する覚悟があるのだろうか?興行面で日本は米国に次ぐ巨大な映画市場であるし、世界一の人口を抱え開放政策が促進しハリウッド映画もどんどん公開されている中国の感情も無視できまい。このシリーズの映画化を続けられるのか大いに見物である。

さて今回の映画「トータル・フィアーズ」である。感想を一言で言うならば「よく出来たホラ話」という印象。1960年代は米ソの冷戦を背景として核戦争の恐怖を描く優れた映画がいくつも生み出された。その代表がキューブリックの「博士の異常な愛情」であり、シドニー・ルメット監督の「未知への飛行(FAIL SAFE)」である。このふたつの桁外れの傑作はあの時代だからこそ身の竦むような戦慄、真に迫るリアリティがあったのであり、それをこの21世紀の現代でなぞってみたところで、なんの切迫感も伝わってはこないのである。確かにエンターテイメント作品として完成度は低くないが、薄っぺらでうそ臭い絵空事にしか写らないのだ。

それから気になって仕方なかったのはこの映画の作者達の放射能に対する認識の甘さである。テロリストが原爆をアメリカ本土で爆発させるという設定にした勇気はよくやったと褒め称えたいが、あまりにもその後の処理が甘っちょろい。だって原爆の爆風で吹き飛ばされたジャック・ライアンや大統領たちは当然同時に放射能を一杯浴びているはずでしょ?「広島よりも規模が小さい」とか「風向きはあっち方向だからこっちは放射能汚染の心配がない。」など、とってつけたような苦しいエクスキューズが台詞にあるにはあるけれど、被爆国の日本人をそんなことで騙せると思っているのなら大間違いだ。ヘリコプターで到着した兵士達が放射能防護服も着ずに救助活動を行っているのにも目が点になったし、ライアンは平服で死の灰が降る爆心地をすたこら走っているし・・・。おまえ、絶対短期間で白血病を発症して死ぬぞ。そしたらシリーズ終わっちゃうよ(笑)。こういうことが一切気にならない日本人がいるのなら、敢えて<非国民>と呼ばせてもらおう。まあ、たしかに登場人物が全員、完全防備に身を包んでいたら、それでは映画として<絵にならない>というお家の事情はよく理解出来る。しかしそれなら原爆などという無理な設定にせず、単なる<強力爆弾>で良かったんじゃないの?

この映画の監督フィル・アルデン・ロビンソンが脚本を自ら書き、メガフォンを取った「フィールド・オブ・ドリームズ」は僕の偏愛する映画である。この人はエミー賞を獲った話題のテレビシリーズ「バンド・オブ・ブラザース」の第一話も担当しており、その出来も大変優れていた。この「トータル・フィアーズ」が彼にとって、スタジオから押し付けられ不本意ながらも撮らざるを得なかった作品であることを心から願う(今回の脚本に彼の名前はクレジットされてない)。

私信のような蛇足:「へつの映画日記」でオープニングとラストのヴォーカル曲はプッチーニのオペラ「トゥーランドット」の音楽か?との質問が書かれていたのでお答えします。確かにラストは「トゥーランドット」のアリア「誰も寝てはならぬ」です。これは恐怖政治を司る中国の姫君、トゥーランドットが出したおふれを元にした歌詞なので、あの状況に似合った的確な選曲ですね。しかし、オープニング曲は「トゥーランドット」ではありません。恐らく音楽を担当したジェリー・ゴールドスミスのオリジナルではないでしょうか?



2002年08月10日(土) <害虫>、あるいは塩田明彦の軌跡

塩田明彦監督は子供の世界を映像化するのが大変巧い人である。日本版「わんぱく戦争」とでも呼ぶべきデビュー作、「どこまでもいこう」は小学生の男の子たちの友情を繊細な感性で、しかし決してウエットに陥ることなく時にはハードに醒めた視線で描き切った。そこにはなんだか懐かしくて、ききりと引き締まった抒情があった。しかし塩田作品には決してノスタルジイと呼べるような甘い感傷はない。第2作「月光の囁き」では高校生の男女を主人公に、なんと谷崎潤一郎の小説「春琴抄」を彷彿とさせるような倒錯的恋愛世界を取り上げた。これは徹頭徹尾<変態純愛映画>であり、高校生を素材にこれだけエロティシズムの極みを描いたのだから驚かされた。題材の性質上キネマ旬報ベストテンに選出された「どこまでもいこう」程の世間的評価は得られなかったが、僕は「月光の囁き」こそ塩田作品の真骨頂であり、もっと評価されてしかるべきだと考える。

さてそこで新作「害虫」である。つい先日公開されたばかりだが既にビデオ化されレンタル店の新作コーナーに並んでいる。こんどは中学生だ。ヒロインは目下飛ぶ鳥を落とす勢いの宮崎あおい。この子は決して美少女ではないのだけれど、時折見せる表情の変化がハッ!とするほど観る者の心を捉える瞬間があり、大器の予感がひしひしとする今後が楽しみな女優である。

映画のタイトルも大胆不敵だが、内容も想像以上にハード・ボイルドだった。塩田監督はあくまで不幸への道を突っ走るヒロインを冷徹に突き放して描く。同情なんて決してしない。生きる事は厳しく、現実は非情である。人間は所詮、ひとりひとり孤独な存在であり、たとえ中学生であろうが親に頼ったりせず独りで闘って生き抜くしかないんだ、とあたかも語っているかのようだ。ヒロインの生き様は、見ようによっては救いのない<転落人生>とも受け取れる。しかし僕はこの作品に衝撃を受けはしたが、決してその終わり方は絶望ではないだろうと受け止めた。この映画の作者たち(脚本家と監督)の描き方に容赦はないのだが、しかしヒロインの今後の生き方に希望を託しているのではなかろうかという視線も感じられたからだ。ハードな温かさ、そしてまだ幼い<戦友>への共感。

台詞は極力削ぎ落とされ、説明的な描写も不親切なくらい極めて少ない。あくまでスタイリッシュに怒涛の如く突き進む。時折唐突に鳴り響く車の音、飛行機の音、突風などが絶妙な効果をあげている。けだし傑作である。上映時間92分。その短さが潔い。

この作品が観客に突きつける刃は冷たく研ぎ澄まされている。さて、皆さんはこの恐るべき挑戦状をどのように受け止めるであろうか?「アメリ」みたいに癒されたいと想う人には不向きであり、不快な想いをする事は間違いないので、最初からご覧になられないことをお勧めする。そういう貴方には無縁の映画です。



2002年08月03日(土) お待たせ!「天国にいちばん近い島」紀行<本編>

漸く帰国したので旅の報告をしよう。これは前項<予告編>の続きである。
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実はその島々にはかつて一度も撮影隊が入ったことがなかったので映画のスタッフは段取りを整えるため、部族の酋長や住民への挨拶と根回し、贈り物、儀式への参加などに駆けずり回リ、準備に1年を要したという。その苦労が報われ、「天国にいちばん近い島」はニューカレドニアで撮影された世界で初めての映画となった。

前述したようにニューカレドニアは南半球にある為に、現在季節は冬である。気温は20℃前後。だから僕が本島のヌメアに到着した時は少々肌寒いくらいであった。滞在した約1週間の大半が曇りだったので海の水は冷たかった。ホテルのプールでも殆ど泳いでいる人を見かけなかった。それでも僕は果敢に寒中水泳に臨んだのだが(笑)。天気は生憎だったが、それでも「天国にいちばん近い島」ことウベア島の海は限りなく蒼く透き通っており、この世のものでないほど美しかった!特に映画のクライマックスでロケ地に選ばれたムレ橋周辺からの眺めは言葉を失うくらいの絶景。生まれて初めて「マリン・ブルー」という言葉の真の意味を知った想いがした。その砂浜はまさにパウダー・スノーで、ちょこまか動く蟹たちは保護色の真っ白。また浜辺に打ち上げられた様々な色や形をした貝殻が目を楽しませてくれた。

ニューカレドニアの人口の約30%を占めるフランス人がバカンスを過ごす場所として人気なのは「海の宝石箱」と呼ばれるイル・デ・パン島であり、それに対して日本人に圧倒的人気を誇るのは勿論小説や映画の舞台となったウベア島である。しかし2000年にホテル「パラディ・ドゥ・ウベア」が完成するまではウベア島にリゾート・ホテルは存在しなかった。僕はそのホテルに3泊滞在したのだが、大体宿泊客の比率は日本人:フランス人=6:1位であった。島にはバスもタクシーもない。ホテルのレンタ・サイクルを借りて一生懸命ペダルを踏んで島巡りをしているとメラネシア人の島の人たちが手を振って気軽に声をかけてくれる。「ボンジュール!」あるいは日本語で「こんにちは!」「さようなら!」と。そういう人々の暖かさが嬉しかった。夜寝る時に聞こえるのは波の音と鳥の声だけ。ウベア島の名物料理は椰子蟹といって椰子を食べるので本当に椰子の香りがする珍味であった。

ニューカレドニアの公用語は勿論フランス語で、英語圏の観光客はほとんど皆無に近く、アジア系は日本人ばかり。しかし日本語と英語しか喋られなくても何不自由もなかった。本島(グランドテール島)の中心地ヌメアのフランス人も片言の日本語で話しかけてくれるしとても親切。パリのフランス人とはえらい違いだ。有名なレストランにはたいてい日本語メニューが用意されている(寧ろ英語メニューの方が少ないくらいである!)。治安も良いしニューカレドニアで僕の出会った人々は本当に気さくで気持ち良い人たちばかりだった。また、ヌメアの朝市で飲んだ搾りたてのオレンジジュースやカフェ・オ・レはとても美味しかった。絶品だったのは夜景の奇麗な山の上のレストランで食べたチーズ・フォンデュ!チーズを熱で溶かしながら食べるラクロットも気に入った。ヌメアでは森林公園も訪れニューカレドニアの国鳥、カグーにも逢ってきた。

イル・デ・パン島には日帰りツアーで往った。こちらはさすがにリゾートの島らしく変化に富む面白さがあった。隆起サンゴによって波の荒い外海からさえぎられ、岩の間から入り込む海水によってつくりあげられた自然プールのピッシンヌ・ナチュレル。この楽園やカヌメラ・ビーチで楽しんだシュノーケリングでは数えきれない色鮮やかな熱帯魚が手でつかめそうなくらい近くに優雅に泳いでいて、想わず感嘆の溜め息が出た。特産のロブスターやエスカルゴには舌鼓を打った。水平線にゆっくりと沈む夕日も印象的だった。確かにフランス人にこの島が人気なのは頷ける。しかし、海や浜辺の美しさでは流石に「海の宝石箱」も「天国にいちばん近い島」には敵わないなと想った。

こうしてちょっと水は冷たかったけれど、あたかも夢の中にいたような僕の「天国にいちばん近い島」への旅は幕を閉じたのである。


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]