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フラフラ。

人に振り回されたくない・・・と、思う。

自分がどうしたいかという事よりも、

相手にどう思われるか、思われているかを気にしている。

昔よりは、だいぶましになった。

『あきらめる』ことが出来るようになった。

今の一言で、気分を害してしまったのではないか。

嫌われてしまったのではないか。

それでも、仕方がないさ。

こちらがどれだけ頑張ったとしても、相手は相手の感情で動く。

当たり前のこと。

人の心なんて、自分の思ったとおりに動かせるはずもない。

この人に嫌われたからって、私の人生終わりじゃない。

ほかに友達がいないわけじゃない。

そこまで極端に腹を決めないと、何も出来なくなる。

動けなくなる自分。


『こちらが思ってるほど、向こうは私の事を思ってくれていない。』

私がよく感じる気持ち。

私の中では相手の存在が大きくなっていて、

ことあるごとに、その人のことが浮かんでくるというのに。

その人の意識の中にある私の領域は小さい。

だから期待しない、思い入れない。

距離をとっていれば、悲しむことはない。

でも、相手から優しくされると嬉しくて。

また、相手のために何かしようとしている。

何か私に出来ることを。


会いたいから会う、話したいから話す。

会いたくないから会わない、話したくないから話さない。

人は、そんな風にシンプルに生きるべきだと思う。

会いたいって言われたから会う。

話したそうだから、話す。

私の陥るパターン、そして自分の首を絞める。

いつか耐えられなくなって、自分から疎遠になっていく。

それは、私が無理をしているから。

自業自得なんだ。
2004年02月29日(日)

分析するという事。

物事を分析して、その特徴や傾向をつかむことが、

ココロの世界において、どれだけの役に立つというんだろう。


今とても苦しくて、悩んでいることがあって、

どうしようもなく辛い、やりきれなくて悲しい思いをしている時。

『あなたの今の状況は〜だから、そう思ってしまっている。

それは〜という事であって、〜ではないから悩む必要はない。』


そう言われて、その人のココロの何が解決するというのだろう。

叫びたがっているココロが、おとなしくなってくれるというのだろうか。

どんなに正当な理由があったって、正当な理由がなくたって、

今、ココロは傷ついて涙を流しているんだ。

そんな時にその分析力がなんの役に立つというのだろう。


頭の中で考えただけのその結論は、確かに正論と呼ばれるに値する。

そう考えることが出来れば、どんなにか楽になるだろう。

だから人はそれに頼ろうとする。

それを聞くと一時的には楽になる。

『そうなんだ、そう考えればいいんだ。』

数学の答えが合っていた時のように、すっきりするだろう。

しかし、その麻薬は長くは続かない。


ココロは何一つ納得していない。

今でも涙を流し続けている。

数学の答えでは、ココロは納得してはくれない。

その場しのぎの解決方法では、楽になりっこない。


ココロは悲しんでいる、苦しいと言っている。

だったらそのココロに寄り添って、一緒に苦しんであげればいい。

いつか泣き疲れて眠る頃に、薄いベールがはがれるだろう。

分かったようなセリフで、自分を納得させなくていい。

他にどんな正当な理由が存在していようとも、

苦しいと感じた自分のココロが、本当の理由。


分析家から見れば悩まなくていいような問題に、悩んでしまうことがある。

それでいいんだ。

それをごまかさないで、受け入れていけばいいんだ。


2004年02月02日(月)

確かに存在していた証拠。

留守番電話にいくつか録音が残っていた。

もうそろそろ消しておかないと、いっぱいになっちゃうかもと思って、

順番に再生してみた。

ふと、流れてきた聞き覚えのある声。

去年の秋に亡くなった、おじいちゃんの声だった。

一緒にご飯を食べに行ったりする、50歳も歳の離れた『友だち』だった。

私はおじいちゃんの名前の頭文字をとって『○○ちゃん』と呼んでいた。

気持ちは若い人だったおじいちゃんも、そう呼ばれる事を喜んでいた。

おじいちゃんは歳とともに足が痛くなってしまっていたが、

その他は私よりも元気で、よく食べる人だった。

おじいちゃんには子供がおらず、自分の兄弟の子供を養子にもらった。

その息子夫婦と孫と同居していたが、家庭は冷え切っていた。

おじいちゃんは、ご飯を食べるのも寝るのもいつも一人。

ご飯も一応嫁が作ってくれていたが、とても質素なものだった。

それなのにその家の生活費はほとんどおじいちゃんが出していた。

偏屈で変わったところもあるおじいちゃんだけど、

お人よしで、すぐ人にお金を貸してしまうだまされやすい人でもあった。

そして、だまされた事が分かっても『仕方ない』と言って怒らない。

いつも背広で、いつまでも恋をしているようなそんな人だった。


おじいちゃんは誰にも気付かれずに、朝亡くなっていたらしい。

前日に具合が悪いと言っていたのに、家族は何をしていたのか。

最後に会ったのは、亡くなる少し前に入院していた時。

お見舞いに行って話をし、握手をして別れた。

急いでいた私は、あまり相手をしてあげられなかったと思う。

その後退院して、元気にしていると聞いていたのに・・・。

養子になった息子も嫁も、孫たちもとてもとても冷たかった。

一緒の家にいるのに、顔も見ない、口も聞かない家族だった。


嫁がおじいちゃんの知り合いが来ることを嫌がるので、お葬式には行かなかった。

ふだん、おじいちゃん知り合いが家に遊びに行くと、

『とっとと帰れ!』と部屋の外で怒鳴るような嫁だった。


おじいちゃんが亡くなったと聞いた時、とても驚いたけど涙は出なかった。

実感も無かったし、お葬式にも行かなかったし。

でも、留守番電話に残されているおじいちゃんの声を聞いた時、

もうおじいちゃんはいないんだという事を改めて思って涙が出た。

そして、おじいちゃんは確かに生きていたという思いもこみ上げてきた。

亡くなった人は、消えてしまうんじゃないんだ。

今もきっとそこにいるんだ。私たちが忘れたら悲しむんだ。

時折、おじいちゃんに話しかけてあげなくちゃいけないな。

おじいちゃんの形見は、買ったけど使わないからって私にくれた、

通販で買った、身体を鍛えるための健康器具。

おじいちゃんらしいや。(^^)
2004年02月01日(日)



ひとりぶつぶつ。 / quartz うぃんちゃんのぺーじ
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