EDITMAILINDEX
ランキング参加中。

何か感じたよって思ったら、
励ましの1クリック(笑)押してみてくださいね。
(メールアドレスは公開されませんのでお気軽に。)
ランキングではありません。
一言メッセージも送れますよ♪


罪と罰。

先日、旦那とケンカした。

私は会社ですごく嫌なことがあって、その上行きの道路でも不快な出来事があって。

旦那は、自分も今仕事でいっぱいっぱいで余裕がないのに、

私の話を聞いてくれていた。

きっかけは、私の方が悪かったんだと思う。

せっかく話を聞いてくれている旦那の言葉が、

自分が与えて欲しかった言葉ではなかったから、

イライラして突っかかっていったんだ。


旦那は、声を荒げたり暴力を振るったりする人ではない。

私から色々言われても、滑らかに反論できるタイプでもない。

じっと黙ってしまう。そして私は旦那を責め続けてしまう。

我慢していた旦那は、怒りを感じてどうしようもなくなると物に当たる。

この日は、旦那にも余裕がなかったのと飲めないお酒を少し飲んでいたからとで、

怒りが噴出するまでの時間が早かった。

手元にあった本を、2,3冊壁に向かって投げた。


そのウチの1冊は、テレビの上にある亡き愛猫の写真と形見を落とした。

また別の1冊は、私が大切に育てているポトスの長い茎を断った。

(もちろん、旦那はそれを狙って投げたわけではない)

それに気付いた私は、とてもとても悲しくなって号泣した。

旦那は、そんなん知らんと言って隣の寝室でふて寝してしまった。

可哀想な亡くなり方をしてしまって、私がすごく後悔している愛猫の写真。

ココロに余裕がなくて、いつも植物を枯らしていた私が、

やっと青々と成長させる事が出来て、植木鉢から長く垂れ下がり、

いつもそれを眺めては癒されていたポトス。


ほんとに悲しかった、涙が次から次へとあふれてきた。

切れてしまったポトスを膝の上に置いて、手でなでながら、

気が付くと2時間くらい経っていた。

いつもなら、寝ている旦那を起こしてとことんケンカするのだが、

その日は、不思議と旦那への怒りはそれほどなかった。

とにかく悲しかった。


いつも思うのだが、あんなに穏やかな人を怒らせてしまうという事は、

きっと私の性格が強すぎるんだと思う。

だから写真が落ちたり、ポトスが切れてしまって悲しい思いをするのは、

そんな私に対する罰なんだと思った。

ワガママな私に対する罰。

いつも母親から言われているじゃない、『あんたの性格はきつい。』って。

膝の上のポトスを見ながら、そう感じていた。


そのまま私は居間で寝てしまって、明け方気付いた旦那が私を連れに来て、

布団まで連れて行ってくれた。

旦那もショックだったようで、優しく抱き寄せて寝てくれた。

そのまま、またいつの間にか寝てしまって目が覚めたら旦那は仕事へ行っていた。

お互い、その日は1日重い気持で過ごしたけど、

怒らせてしまったこと、物を投げてしまったこと、

それぞれが反省して、夜には普通に話が出来た。


ポトスは、切れた茎をそのまま土にさしてある。

ポトスは丈夫だから、またそこから根を生やし伸びて行ってくれるだろう。

もう折ったりしないからね。
2003年11月30日(日)

脳って。

小さい頃、お布団の中で。

右手をちょっと動かしたら、同じように今度は左手も動かさないと気が済まなかった。

お尻のほっぺの右側に、きゅっと力を入れたら、

左も同じようにしないと気が済まなかった。

なんだか気持ち悪くて。

無意識に手などをちょっと動かしてしまった場合でも、

必ず反対側も動かさないではいられない。

ちょっとでも身体が動くと気になってしまうから、きりがない。

靴を履くときは必ず左足から。

そうしないと悪い事が起きるような気がする。

プチ強迫観念。

中学の頃、手を洗わずにはいられない罪悪感があった。

冬の寒い時期、手が真っ赤になるまで洗いつづける。

爪の中まで石鹸を入れて洗う。

洗い終わった後、ちょっとでもその手が自分で汚いと思っている所に触れると、

また最初からやり直し。洗面所に入ったきり出てこない私。

強迫観念。

今でも、靴を履く時、服を着る時は必ず左から。

出かける時、ガスや電気が心配で何度も確かめる。

外へ出て鍵を閉めようとしているのに、気になってまた確かめに行く。

階段を下りて歩き始めても、車に乗って出ようとしていても、もう走り出してしまってからも、

やっぱり気になって戻ってくる事がある。

そいういう時は、ほとんどちゃんと閉まっている。


先日、強迫神経症の事をテレビでやっていた。

原因の一つに、『脳の機能異常、伝達異常』というのがあった。

PDと同じだ・・・。

もうすでに小さい頃から、私に強迫の傾向があったということは、

PDになる事もある程度予測できる事だったんだろうか。

小さい頃からの強迫観念は、生活に支障が出るほどのひどい物にはなっていないけど、

何かきっかけがあればひどくなるだろうし、

なんらかのきっかけがあったから、PDも発症したんだろうか。

元々持っていた素養なんだろうか・・・。

なんだかちょっと考えてしまった。
2003年11月24日(月)

あなたは知らない。

『今日は1日、ちょっと鬱状態になってたかもしれない。』

そう言った私を、あなたはちょっとあきれたように笑ったけど、

私が日々、どれだけの不安や焦燥や恐怖や絶望感と戦っているか、

あなたは知らないでしょう?

普通に振る舞っている私のココロの中にさえ、

いつも不安感が宿っていることを、

あなたは分からないでしょう?


毎日を当たり前のように過ごせている、そんなあなたには。


どんなに調子のいい日でも、ココロの片隅には疑い深い私がいて、

『この安定は長くは続かない。』って思ってる。

かならず裏切られる日が来る、

やっぱりだめなんだって落ち込む日が来る。

笑って過ごしている時も、ふと感じる違和感。

『私、狂ってしまうかもしれない。』

そんな恐怖。


私のココロの中の不安を、伝えようとしたなら、

私は1日中あなたに話し掛けていなければならない。

それほど私と不安は、いつも共にある。

そんな自分がどれほど辛いか。

そんな病気になってしまったことがどれほど悔しいか。

あなたには分からないでしょう?
2003年11月02日(日)

他の車が怖い。

最近、運転中の私はちょっとした被害妄想になってしまっている。

昼間はまだいいのだが、夜の運転は気が重い。

この状態を抜け出したい。


何ヶ月か前に、旦那が運転する車でちょっとした誤解から、

他の車に嫌がらせをされた事があった。

高速道路で、後ろにぴったりくっ付かれてパッシングされて。

こちらが車線変更しても、しつこく繰り返された。

すごく怖かったし、その執念深さに恐怖を感じた。

それ以来、夜の道路でのちょっとした事で不安になる。


最近、どんどんドライバーのマナーが悪くなっているような気がする。

工事現場で片方の車線がなくなってしまうために、

どうしても隣の車線に移らなくてはいけないのに入れてくれない車とか、

車間距離がすごく開いているからその間に入ったのに、

急にスピードを上げて接近してくる車とか、

通勤で遠距離を運転するので、そういう場面にはたくさん出くわす。

自分がやられる事もあれば、他の車がやられているのを見る事もある。

そういう事が、ここ数年どんどん増えてきているような気がする。

そういう事があると、こちらが危ない事をしてしまったのかなとか、

失礼な事をしてしまったのかなとか、すごく考えるのだけど、

どう考えても、こちらが悪くないような状況でも、

カッとなった車に嫌がらせされたりするのだ。

前述の高速道路での出来事や、日々のそういう嫌な体験が積み重なって、

最近他の車のドライバーが怖くてたまらない。

2車線の道路で、隣の車線の車よりも前に出てしまっただけでとか、

車線変更をして、普通に他の車の前に入っただけで、

相手の車が怒っているんじゃないかと思って怖くなる。

そういう事を気を付けるのはいいことかもしれないけど、

最近はちょっと神経症的に気になってきてしまっているのだ。


以前はかなり攻撃的な運転をしていた私が、

今はなるべく車線変更をしない、他の車を追い越さない。

そんな事を気にしすぎるほど気にしてしまっている。

ちょっとでも他の車が違う動きをしたりすると、

何か嫌がらせされるんじゃないかとか、しばらくとっても気になる。

元々強迫観念が強いので、この感覚がひどくなっていくのが怖いのだ。

運転するのはとても好き。PDは起きなくなってきている。

でも、外を歩いていて周りの人の事が怖いのと同じように、

車に乗っていても周りが怖くなってしまうなんて、どうしたらいいんだろう。


気にしないようにしようと思っても、こうなってしまうともうだめ。

時が経って、この感覚が薄れていくのを待つしかないのだろうか。

それまでに、また怖い事があったりしたら、上塗りされちゃうんだろうか。
2003年11月01日(土)



ひとりぶつぶつ。 / quartz うぃんちゃんのぺーじ
My enpituに追加
日記才人投票ボタン