EDITMAILINDEX
ランキング参加中。

何か感じたよって思ったら、
励ましの1クリック(笑)押してみてくださいね。
(メールアドレスは公開されませんのでお気軽に。)
ランキングではありません。
一言メッセージも送れますよ♪


お人よし。

仕事で思うように成績が上がらず、自信喪失している旦那。
自分には能力がないのかもしれない、
人の気持ちを感じる事が出来ないのかもしれない。
いつもはのんびり屋なのだが、落ち込む時はとことん落ち込むタイプ。
小さい頃から、のんびりとした田舎でのんびりとした両親に育てられ、
生存競争とかそんなものとは無縁に生きてきた。
旦那の周りには、気を回さなくてはいけないような人間関係はなかったのだろう。

仕事の合間に電話してきた旦那に私は言った。
『自分にできない事を嘆くよりも、自分の良い所を伸ばしていった方がいいよ。』

旦那『俺の良い所って、どこなんだろう〜?』(自信喪失中)
私 『お人よしな所じゃないの?』
旦那『お人よしって、良いことなのかなぁ。』

人を傷つけるくらいなら、自分が傷ついた方がいい。
人を蹴落として進むくらいなら、人の後から行った方がいい。
あなたはそういう生き方を選ぶ人。
お人よしは、嫌な思いするし、いっぱい傷つく。
私はあなたが傷ついているのをいっぱい見てきた。
見ている私の方が辛くなったり、相手に腹が立ったりすることもある。

お人よしでいるっていうのは大変なこと。
それを貫こうとしているあなたは偉いと思う。
私はあなたのそんな所を好きになったんだと思う。
そして、そんなあなたを好きな人はいっぱいいる。

頑張ってとか、負けないでっていうセリフは嫌い。
自分にできる事を、自分らしく。
ぼちぼち行こうよ。
2003年10月29日(水)

自分に自信がなくなる時。

周りの人が、みんなすごく素敵に見えて、いい人に見えて。

自分のやっている事が、とっても陳腐に感じる時がある。

自分は優しくなんかない、誠実じゃない。

きっと、他の人が当たり前に出来ていることが自分には出来ていない。

私と一緒にいて楽しいと感じる人なんていないんだ。

そんな風に思ってしまう時期が、時々やってくる。

そうしているうちに、また嬉しい事や良い事があって、

幸せな気分になれる日がやって来る。

それを繰り返し繰り返しながら、こうやって暮らしていくんだろうなぁ。

忙しい時期がちょっと落ち着いて、ふと自分の周りが静かになった時、

とてつもない孤独感と静寂が訪れる。

自分はこれでいいんだ、このままでいいんだ。

そういう風に思えない時もある。

孤独を味わって、寂しさを感じて、その雰囲気に浸ってみるものいいのかもしれない。

そういう時間って必要なんだろうなと思う。

そういう時にこそ、自分が本当に欲しいもの、やりたい事のイメージが湧いてくるのかもしれない。

寂しさをごまかさず、そのままに受け止める、それが大事。
2003年10月24日(金)

考えすぎだとは思っても。

気持ち良く昼寝をしていたら、住宅購入の勧誘電話がかかってきた。

いつもなら番号を確認するのだが、寝起きだからとっさに出てしまった。

こちらが買う気がないと言っているのに、向こうは粘る。

でも、なんと言う名前のマンションを売っているのかは言わない。

それも営業トークのうちなのかなと思いつつ、切ることが出来ない。

以前、とても嫌な感じの電話があり、

断ったらキレられてすごく嫌な思いをしたので、

そういうのも怖くて、きっぱりとした態度が取れない。

元々、人に何かを断るのが苦手というのがあるからよけいに。

結局、15分も話をしてしまった。

こんなに買う気がない客に15分も費やしているなら、

他のお客さんに欠けた方がいいのでは?って思うけど、

こんな客でも粘って買わせた経験があるんだろうか。

『買う気はありません。』とはっきり言うことが、

自分の貴重な時間をムダにしない事にもなるんだろうし、

電話をして来た人の時間をムダにしない事にもなるんだろうな。

一見、せっかく話しているのにムゲに切るなんてって思うけど、

それは私が嫌な人に見られたくないとか、

逆切れされて嫌な思いをしたくないっていう防衛反応なんだ。

やっぱり正直が一番いいんだ、と思う。

怒るのではなく、普通に断って電話を切れるようになりたい。

相手が女性だと少しは出来るんだけど、男性は怖い。


それから、ずーっと取っていなかった新聞を取ることになった。

ウチは読まないからと止めていたんだけど、

旦那が仕事の関係で読むようになるって言うので。

勧誘の電話、公衆電話だったから母からかと思って出てしまった。

嫌な人ではなかったからまだいいけど、

旅行に行かないのに、旅行の割引券とかもらってる私。

こういう時、かしこい主婦だったら、

『もっとサービスして。』とか、

『旅行行かないから、他の物にして。』とか、

普通に言えるんだろうなぁ。

なんで私は、行きもしない旅行や遊園地の券をもらってるんだろう。

それで後で、なんか損したような気分になってる私って・・・。


そんな事で、くよくよと考えているんだと旦那に言ったら。

『主は新聞を取るって言う事なんだから、いいんだよ。

何も損していないし、悪い事無いんだからもう考えない事。』

って言われた。

はい、それは重々承知しているんだけど。

そういう事をちゃんと言えなくちゃいけない、損しちゃいけないっていう考えが、

親から刷り込まれてきてるんだ。

だから単純に『ああ言えば良かった、しまった〜!』って明るく思えない、

『私が悪い、私に何か欠けた所がある。』って思っちゃうんだ。
2003年10月19日(日)

気付いて。

『落ち込んでるね。』とか『元気ないね。』って言われた事がほとんどない。

どんなに落ち込んでても、いくら悩みがあっても、顔や態度に出ない。

人の中に出るといつもの自分。

親の前でも、旦那の前でさえ。

意識的に隠しているわけではない。

人前に出ると自動的にココロが切り替わる。

内側のスィッチを切って、無き者にしてしまう。

どんな絶望を抱えていたとしても。

家に帰るとその事ばかり考え、食事が喉を通らなくなっていても。

他の人を見ていると、普段より元気が無いなぁとかって分かるのに。

いつも態度が変わらなくて、安定してるねって言われる。


今、旦那は仕事がとても大変で早朝から深夜まで仕事、仕事。

あげなくてはいけないノルマもあって、追い詰められてる。

だから、なるべく負担をかけないようにしているつもり。

辛いねぇっていう話にも付き合ってるつもり。


でも、実は私も今忙しい。

会社の移転で、やることがいっぱいある。

出勤は、無理をしないで週2日に抑えているが、

家でやる仕事は増えているし、会社に行った時も忙しくて残業になる。

さらに私にとって一番きついのが、『約束』。

引越しに伴って、業者さんとか会社の人とかと仕事の打ち合わせがある。

そして、何日に会いましょうとか、これをやりましょうと約束する。

その日は絶対休めない・・・という縛りが、私のプレッシャーとなる。

そういう事が、1ヶ月近く続くのはとっても辛い。


先日、仕事でちょっと上手く行かないことがあった。

自分でも反省する部分はあるし、同僚に対して納得いかないこともあるし、

どうしようもない気持ちが、ぐるぐる回っている感じだった。

それを帰ってきた旦那に話してみたが、旦那はテレビや本に夢中になっていて、

私の言うことにただ返事をしているだけという感じ。

親身に話を聞いてはいないだろうなと思った。

旦那も疲れているんだし、仕方ないのかもしれないけど、

私も疲れていた。落ち込んでいた。


でも、私は自分自身でそれに気付いていなかった。

そして、それが表に出ないから旦那も気付いていなかった。

身体だけはそれに反応して、注意信号を送っていた。

普段はほとんどない、メマイが増えていた。

1,2回で済む不整脈が、いつもより長く続いた。


旦那は、日常私の事を見ていない。

些細な変化を見逃している。

普通に話をして、食事を作って、めったに愚痴をこぼしたりもしないから、

私がまったく平和で、大丈夫だと思っている。

私自身も、旦那と一緒にいる時はスィッチが切れているのでよく分からない。

だから、気が付いた時にはかなりダメージを受けていて、

ロクに動けなくなってしまっている事がある。

自分でも、そんな自分をバカだなと思うけど、

私の小さな変化に気付いて欲しい。

旦那にそれを要求するのは間違ってるかなぁ。


疲れてるんじゃないの?とか、無理してるんじゃないの?って言って欲しい。

いつの間にか無理をするのがクセになってしまっている私に教えて欲しい。

もっと私を見て欲しい。
2003年10月17日(金)

突然襲う感情。

先日、スロットを打っていた時。

直前まで何か考え事をしていたとか、悩んでたとかではなかったんだけど。

突然『生きるのしんどい。』って思った。

『これから先、大変なことばかりあるんだろうなぁ。』

『いずれ死んじゃうんだしなぁ。』

なんていう感情が、とりとめもなく溢れてきて、

なんだか疲れてしまった。

まだ来てもいないずーっと先を想像して、疲労してる。

そして、言いようのない虚しさ、絶望感を感じてる。

何かきっかけがあったというわけではないのに。

これが家に一人でいるときだったら、怖くなっていたかもしれないが、

場所が場所だっただけに、その感情は時間とともに紛れていった。

たまに、こんなことがある。


行動療法で、どこかへ行こうかな〜と想像しただけで、

疲れきっている自分が容易に想像できて、行く前から疲れてる。

それに似た感じか・・・。

まだ60年も70年も生きたわけではないのに、

そこまでの過程を想像して、もう疲れ果ててしまったのか。

私にとっての人生は、PDをおして電車に乗る感覚なのか。


人と楽しくしゃべっていても、好きなことに没頭していても、

ふとよぎる虚しい感じ。

いつもの寂しい病とはちょっと違う。

この感情には自分以外の人は関係していない。

誰に何をされたからとか、何かを言われたからとかじゃない。

幸せの真っ只中にいても、たぶん感じるんだと思う。

いや、幸せだからこそ、穏やかな日々だからこそ感じるのかな・・・。

実際、よく分からないんだ、ほんとのところ。
2003年10月04日(土)



ひとりぶつぶつ。 / quartz うぃんちゃんのぺーじ
My enpituに追加
日記才人投票ボタン