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なんで乗れないんだろう。

なんで電車が怖いんだろう。

駅間が長いとなんで不安になるんだろう。

なんでドアが閉まると不安になるんだろう。

ドアはまた次の駅で開くのに。

なんで混んでると怖くなるんだろう。

一緒に乗っている人は、何もするわけじゃないのに。

密室だからって何が怖いんだろう。

何が起きるっていうんだろう。

不安感が出てきたからって、どうなるっていうんだろう。

絶対死んだりしないのに、倒れたりもしたことないのに。

あの、どうしようもない不安感は何なんだろう。

電車自体が、訳も分からず怖い時期は過ぎた。

慣れている区間なら、何も考えずに乗れる時が増えてる。

考えたって、答えは出ない。

どうにもならないのは分かってる。

だったらどうすればいいの?

とにかく電車にいっぱい乗って、練習すればいいの?

でも、そこでまた発作を起こしたら、そのイメージはつきまとう。

また近場でさえ乗れなくなったらどうしたらいいんだろう。

若い時は、がむしゃらに乗ってた。

何回発作を起こそうとも、何回失敗しようとも。

毎日のように電車に乗ってた。

でも、もうその体力も気力も、私にはない。

電車に乗らないで済む生活を、どんどん得てきているから。

それでもいいのかもしれない、それで生活できるなら。

でも、なにかいけないことをしているような気になるのは、

なんでなんだろう。
2003年08月20日(水)

逃げたくなる思い。

色んな人と知り合いになって。

話をして、会って、遊んで。

この人と会えてよかったなぁって思う。

とっても大切にしたいと思う。

でも、そこから急に逃げたくなる自分がいる。

手離したくないから怖くなる。

近づきすぎても怖くなる。

恋愛に限らない、男女も関係ない、友だちとしての話。

人間関係の中に、安心して浸かっていられない。

一つの関係に、のめりこんでいくのが怖い。

気軽に付き合えないから、最初から距離を置く。

だからほどほどの付き合いの友達しか出来ない。

たまには、自分のペースに相手を巻き込んじゃってもいいじゃない。

少しくらい、迷惑な顔をされてもいいじゃない。

離れていってしまうのを恐れるあまり、自由に振る舞えない。

そんな私と一緒にいても、つまらないよね。

嘘をついているつもりはない、私は私としてそこにいる。

ただ、硬いかもしれない。ぎこちないかもしれない。

当り障りのない事しか言わないかもしれない。


時間を下さい。私が私になれるには時間が必要だから。
2003年08月19日(火)

境界をしっかり持つ。

今までの自分を振り返っても、簡単に出来ることではないのは分かっている。

自分の境界をしっかり持って、相手の侵入を許さない。

または侵入してきても、自分が揺るがないでいられる。

私は自分以外の人間に対して、境界がうまく保てない。

だから人間関係において、いつも辛さを感じている。

これは、相手のせいではない。

私の問題なのだ。

人付き合いをして行く上で、自己主張は必要なもの。

何も悪い事ではない。

でも、私はずーっとそれが出来ていなかった。

特に20代の始めまでは、ほとんど全部人に合わせてきた。

どこに行きたいかも、何を食べたいかもすべて、

『みんなの行きたい所でいいよ。』って言っていた。

そして自分自身も、それで不満はなかった。

自分の好みさえも良く分かっていなかったから、

人に合わせることになんの苦もなかった。

かえってその方が、楽だったのだ。

でもバンドをやるようになって、曲を作り始めて、

自分で生み出すと言う作業をするようになってから、

すべて人に合わせるという訳には行かなくなった。

それでもかなり後期まで、私は自分の表現したい音楽よりも、

メンバーの求めているものに答えようとしていた。


私が自己主張をすると、周りに嫌われる。

みんなに合わせて、波風立てないでいる方が安全。

そんな風に思っていた。

とにかく、和を乱さないように。はみ出さないように。

そんな事ばかり考えていたのだった。

でも、実はココロの中には、自己顕示欲がしっかりとあって、

人が気付いてくれるのを、待っていたりもした。

でも、自分からは怖くて表現できなかった。


なぜ、自己主張をすると嫌われると思っていたんだろうと考えていた。

実は、私は子供の頃、決して大人しい子ではなかった。

いつも賑やかで、明るくて、自分の思うままに振る舞っていた。

平気でケンカするし、先生の言う事もきかないし。

相当好き勝手にやっていたのをうっすらと覚えてる。

私を嫌っていた友達も、けっこういたんだと思う。

私は、『ワガママだ、ワガママだ。』と言われてきた。

私の自己主張は、みんなワガママなんだ。悪いものなんだ。

私は自分の要求をしてはいけないんだ。

そうやって思い込んできた。すり込まれてきた。


だから、思春期に入って、自分が人からどう見られているかを気にするようになった時。

親からも、『このままじゃ、友達も出来ないよ。』と言われ、

自分でもそう思い始め、私は自分を変えた。

ものすごい強い自己否定が始まった。

今までの自分はダメだ、欠陥人間だ、社会不適合だ。

変えなくちゃ、変えなくちゃ嫌われる。

私は、小学校までの自分とは、180度違う人間になろうとした。

そして変わった。

久しぶりに会った友達が、私の変わりようにびっくりしたほどだった。

あまりにも無口な私に。

人から嫌われたくない、その思いだけが私を動かした。

それからずーっと、私は嫌われないように振舞ってきた。


人と人なんて、相性が合って、いくら丁寧に付き合ってたって、

うまく行かない事もあるし、特に気を使わなくてもうまく行くこともある。

それは別にどっちがいいわけでも、悪いわけでもない、自然な事なのだ。

でも、私はすべての人に好かれようとしていた。

そして、それがうまく行かないと、自分が悪いのではないかと罪悪感を感じる。

自分を責めて、自分はダメな奴だと、欠陥があるのだと思う。

だから人と一緒にいると、消耗する。

嫌われないように嫌われないように、気を付けて疲れる。


今でも、それは残ってしまっている。

相手の言葉とか表情とかを観察して、ココロを探る。

そして、少しでも私に対して嫌な感情を持っていると感じるとすごく気になる。

仕事で会う、顔見知りの営業マンや業者さんとの間でもそんなことを思う。

仕事の付き合いじゃないか、好かれてるとか嫌われてるとか、関係ないじゃない。

そう言い聞かせてはみるものの、やっぱり気にしている自分。


それでも、昔よりはだいぶましになってきたとは思う。

社会生活が長くなると、自分が自分のままでいても受け入れられる場が、

少しずつ出来てくる。

周りのみんなにだって悪い所はあるんだし。

でも、悪い所がありつつも受け入れられてなんとかやっている。

それに、人間は悪い所ばかりの人っていない。

かならず、その人なりのいいところを持っている。

いいところもあって、悪い所もあって、

みんなひっくるめてトータルでその人として受け入れられてる。

そう思えてきた。


いいとこだけ見せよう、悪い所はとことん隠そう、

そんな風に思わなくてもいいんだと分かった。

『去るものは追わず、来るものは拒まず。』

自分と合う人と付き合っていけばいい。

その他の人とは、ほどほどでいいんだと思えるようになってきた。


私がたとえNOと言っても嫌われない。

自己主張しても、ワガママだと言われない。

私は私の望みを言って、相手はそれを聞いて判断すればいいだけ。

良かったらOK、嫌だったらNO。

そして自分も相手に対して、それをしなければいけない。

そうすれば、我慢して相手に付き合ってしまって、

その後、断りにくいからと言ってその人と疎遠になることはない。

いつの間にか相手を悪者にしていることはない。

自分が決めて、自分で行動する。

これを、自分にも他人にも許せば、とても楽な人間関係が保てる。

双方に無理のないような関係が保てる。

まだまだ出来ていないけど、これが当面の目標。
2003年08月18日(月)

魂の輝き。

旦那は転職をしたことを、前の職場の仲間に言えていない。

転職先が、その職場の元上司(転職した)の会社なので、

『引き抜き』を隠したい上司が、口止めをした。

旦那は仕方なく、みんなに今は求職中だと言っている。

今でも、前の会社の人たちは旦那を飲みに誘ってくれるが、

それをとても嬉しく思って参加しつつも、旦那の心は曇る。

先日、同じく元の会社を辞めた同僚の事を旦那はふと思い出した。

辛い事があったと言っていたけど、元気にしているかな。

他の人からメルアドを聞いて、携帯にメールしてみた。

するとその夜遅く、その人から電話がかかってきた。

旦那はたいてい、携帯をサイレントモードにしているので、

家でテレビを見ていたりすると、たまに気づかない事がある。

私も、バイブに気付いても『パチンコ店からの情報メールだろう』

くらいしか思わず、そのまま放っておいたりしている。

でも、その日バイブに気付いた私は、なぜか旦那に言った。

『携帯のバイブが鳴ってるよ。』

旦那が電話を取ってみると、今日メールを送った相手だった。

元の会社を辞めた人何人かで集まって、自宅で飲んでいるという。

(旦那の会社は社員の出入りが多い。)

久しぶりに連絡が取れて、また今度飲もうという話になったらしいが、

なんと、昼間旦那が送ったメールは、その人に届いていなかったというのだ。

それとは関係なく、向こうから連絡をくれたのだった。

そういうもんなんだなぁ〜と思った。

人と人って、いつもどこかでつながっていて、

会いたいとか連絡を取りたいとかっていう相手を思う気持ちが、

伝わって、共鳴しあっているもんなんだなと。

それは当事者だけのつながりではなく、

いつもなら気付かない電話に気付いた私も、その世界の中にいるんだ。


旦那は新しい会社で、なかなか仕事が軌道に乗らずに大変そう。

それって、新しい会社にきた事をみんなに言えていないからじゃないの?

って言ってみた。

悪い事をしているわけではないのに、隠す事は自分の本意じゃないのに、

それをしなくてはいけない旦那のココロは、ダメージを受けている。

そういうココロの葛藤が、旦那の魂の輝きを失わせているんじゃないか。

旦那は自分を表現して、生身で人と付き合っていくタイプ。

その人間性を理解してくれた人は、ほんとうに旦那を信頼してくれる。

そうやって得てきた人間関係が、仕事場にもお客さんとの間にもある。

先日、旦那が元の会社を辞めたことを知らないお客さんが電話をくれた。

仕事を頼みたいと言うのだ。

お客さんに会社を辞めたことを説明すると、元の会社じゃなくていい、

あなたに仕事を頼みたい、と言ってくれた。

転職先も同じ業種なので、その仕事を受ける事にした。

これってとても嬉しい事だと思う。

私も今まで色んな業者と接する機会があったが、

こんな風に思った経験はなかったなぁ、と。

旦那のココロの葛藤が、魂の輝きを失わせて、

旦那の本来のよさを曇らせているとしたら・・・。

いくら努力しても、気持ち良く仕事ができないのは、仕方がないのかなと思う。


旦那は、自分から友達に連絡を取るということがあまりない。

その旦那が前述の友だちにメールを送ったという事、これは珍しい。

旦那は、この話にすごく納得行くものがあったらしく、

『そうか〜、そういう事なのかもしれない。』と、

感慨深げに考え込んでしまった。

自分が今日友だちにメールしたのは、

きっと話を聞いてもらいたかったからなんだ。

その同僚も会社を辞めているので、客観的に話を聞いてもらえる。

転職した事を言えないっていう辛い気持を、話したかったんだ。

そして、それだけ旦那がその人のことを信用しているっていうこと。

『俺も、辛かったんだなぁ。引っかかってたんだなぁ。』

それまでは、旦那は自分がこの事(転職したと言えてない事)

をこんなに気にしているとは、思っていなかった。

私は、嘘をつき続けるために、また嘘をつかなければいけない旦那を見ていた。

私から見た旦那は、充分苦しそうだった。

旦那は辛すぎて、辛いと感じる回路を遮断していた。


自分が何に苦しんでいるか、何が辛いのか分かると、

それはものすごい納得感と共にココロに響く。

そして楽になる。

その苦しみから自分を解放してあげようと思う。

苦しかったねといたわってあげる事が出来る。


そんな話をしてから何週間後、

上司が、もうそろそろ元の会社にこの事を話すと言ったらしい。

なぜ今まで黙ってたのかと、非難を浴びる事があるかもしれない。

でも、旦那のことを理解してくれる人はきっと分かってくれる。

苦しんでいた事を。

これでやっと、旦那は本来の輝きを発する事が出来るんだと思う。
2003年08月09日(土)



ひとりぶつぶつ。 / quartz うぃんちゃんのぺーじ
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