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夢の図書館新館

お天気猫や

-- 2001年05月31日(木) --

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『はてしない物語』

☆それぞれが語る、果てのない物語の始まり。

「本を閉じたとき、この閉ざされた本の中で 新しい物語が生まれていることを確かに感じた。 終わることなくはてしなく物語が生まれていく。 生まれた物語の一つ一つが無数の枝葉を生じ、 その枝葉の物語のそれぞれが独立した物語を無数に生んでいく。 一つの終わりは無数のはじまりに通じ、 はじまった物語の中で、終わっていくものもある。 メビウスの輪のように終わりははじまり、はじまりは終わり。 物語が物語を生み、 この中で語られなかった物語の語り部が私たち自身なのだと、 自分自身に語るために生まれてくる物語が あふれそうになるのを感じながら、確信する。 想像力、それは人間の偉大な宝。 この宝が人生を長くもするし、短くもする。 エンデの人生は決して長かったとは言えないが、 誰よりも深いものであったろう。 そしてこの本の中で、無限に新しいものを生み出しつづけている、 エンデの想像力という魔法は永遠なのだ。」

夢の図書館本館 で、それぞれが「特別の一冊」を紹介している。 私の「特別の一冊」の中の、一冊が『はてしない物語』。 『はてしない物語』は、映画を見たっきり、 そのまま、本を読む気を失ったまま、 ずいぶん長いこと、ほったらかしにしてしまっていた。 さあ、読もう!と思い立ったのは、 インフルエンザの高熱で仕事を休んでいた時。 まさに、本当に(!)、熱に浮かされながら読んだのだった。

『けれどもこれは別の物語、いつかまた、別の時に話すことにしよう』

『はてしない物語』の中の一文。 物語の中で、語られることのなかった、 是非ともエンデに語って欲しい物語。 もう、二度と、エンデに語ってもらうことは出来ない。 エンデから、新しい物語を聞くことは、もう出来はしないが、 エンデから、私たちは、素晴らしい「物語の種」を受け取っている。 それぞれの心に芽生えた、 新たなはてしない物語を紡ぐことが出来るのだ。

今、岩波書店では、『はてしない物語』の創作を募集している。 物語全体の続編でも、本文中のエピソードを発展させたものでも、 どちらでも、構わないということである。 締め切りは、9月10日。 (http://www.iwanami.co.jp/)

『はてしない物語』を今度は、 物語を読んだ私たちが紡いでいく。 物語は、今度は私たち読者のものとなって、 作者の亡き後も、物語は、はてしなく広がっていくのだ。 たとえ、文章に紡ぐことはしていなくても、 心の中で、新たな物語が生まれていく。 物語が、生きているのだ。

エンデが残してくれたものは、とても深く、なによりも豊かだ。(シィアル)


『はてしない物語』 著者:ミヒャエル・エンデ / 出版社:岩波書店

お天気猫や

-- 2001年05月30日(水) --

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☆目にもおいしい。

仕事帰り、本屋さんに寄ると、 おなかがすいているせいなのか、 ついつい、料理書のコーナーに吸い寄せられてしまう。

料理本を見ても、 実際は、料理を楽しむ余裕はないけれど、 おしゃれで、おいしそうな写真に目を奪われる。

食生活には危惧がある。 量を食べ過ぎているとは思わないが 高カロリーで、バランスも悪い。 外食もままならない環境なので、 お昼はお弁当を持参してはいるのだが。

こんな風な食生活なので、 本屋さんで手に取る料理書も、  
・低カロリー食  
・野菜料理  
・お弁当関係の本
を見ていることが多い。 結局は、見ているだけでなく、 日々、1冊、また1冊と、 ついつい、手元に本だけが増えていく。

今日日の料理本は、 ほんとうに、ビジュアルもおしゃれで、 センスの良い、料理写真集のようだ。 料理だけでなく、どのページでも、 選ばれたすてきな食器で、 雑貨好きの私にとっては、それも楽しい。

見て喜ぶだけでなく、 次は、料理だって、味だって、楽しみたい。 楽しみたいと、思い続けているのだが・・・。(シィアル)


[ 最近買ったお気に入りの料理本 ]
・『小さいおべんとうで たのしく外ごはん。』 著者:渡辺有子 / 出版社:永岡書店
・『野菜を食べるスープ』 出版社:オレンジページブックス
・『野菜が食べたい だから おべんとう』著者:村田裕子 / 出版社:NHK出版

お天気猫や

-- 2001年05月29日(火) --

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『さくら日和』

☆気分転換に最良の一冊。

別にさくらももこが好きでもないのに、 さくらももこの日常を詳細に知ってどうしようというのだ。 そう、思いつつも、 新しいのが出るたびに図書館で借りて、 (のんき者故、気付いた時には、すでに、新刊でないのだが) 結局、ほとんどのエッセイを読んでしまっている。

確か、以前のエッセイには、 健康マニアである、彼女がやってる民間療法のレポートなどもあって、 そこには、是非聞いておきたい(!)、レアな情報もあったが、 今回は、そういうマニアックな報告はなかった。 まあ、筆者の「離婚」というディープな報告がありはしたが。。。

なんのかんのと言っても、 さくらももこの語る日常は、ほのぼのとしていて、 読んでいるこちらも、ついつい、引き込まれ、 笑みこぼれてしまう。 読み終わると、何となく、明るい気分になっているから、 やっぱり、すごいのかも。 やはり、日常の切り取り方、語り口のうまさは、 たいしたものだと思う。(シィアル)


『さくら日和』 著者:さくらももこ / 出版社:集英社

お天気猫や

-- 2001年05月28日(月) --

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『りかさん』

☆私の一番小さなお友だち。

姉妹のいない私にとって、 リカちゃんというのは、 一番最初の、一番身近な女の子のお友だちのひとり。 正確には、リカちゃんのお友だちの 「いずみちゃん」が一番のお気に入りで、 長らく、自分の分身だった。 旅行用トランクにいっぱい、 リカちゃんファミリーと、たくさんのお洋服を持っていた。 リカちゃんハウスだって持っていた。 いつのまにか、リカちゃんファミリーの大所帯に、 なぜだか、お雛様たちまで、混ぜ込んで、 お人形たちの物語と共に成長していった。

梨木香歩の世界は、 私の幼年時代と重なるものが多い。 多分、同世代で、 もしかしたら、私と同じように、 おばあちゃんっ子だったのかもしれない。 穏やかで、あたたかな祖母の愛情。

「いいお人形は、吸い取り紙のように感情の濁りの部分だけを吸い取っていく。・・・(略)・・・人形遊びをしないで大きくなった女の子は、疳が強すぎて自分でも大変。積み重ねてきた、強すぎる思いが、その女の人を蝕んでいく。」(引用)

自分のお人形を持っていない姪っ子たちに、 慌てて、リカちゃんを買いに行った。 考えてみれば、リカちゃん以前にも、 私には、私の分身がいた。 いったい、いつ別れ別れになってしまったのか、 どうしてもわからないけれど、 「たあちゃん」という、抱き人形を持っていた。 ある雨の日の保育園へのお迎えの時、 母は、傘と一緒に、お人形の包みを持ってきてくれた。 思いがけないことで、 雨で薄暗い、保育園の玄関が、 そのお人形の喜びの分、明るく照らし出されて、思い出される。

おばあちゃんが、ようこちゃんにプレゼントしてくれたお人形は、 リカちゃんならぬ、古い抱き人形のりかさん。 りかさんは、ほんとうに良くできたお人形で、 人ばかりでなく、悲しい思いにとらわれたままの 「ひとがた」としてのお人形の心も、浄化していく。 お人形たちの持つ物語は、決して、楽しい想い出ばかりではない。 哀しいを通り越し、無惨とも言えるほどの、 つらい物語だってあるのだ。 古いお人形を恐ろしく思うのは、 お人形の過去が怖いから。 過去に囚われているかもしれない、 お人形の想いがせつなく、悲しすぎるから。

たあちゃんとの別れ、 回りからせがまれ、不本意に譲り渡したリカちゃんたち。 イージーであるが、「うさこう」と名付けて、 どんな時でも、連れ回った、手のひらにのるウサギのぬいぐるみ。

こうやって、思い出した時、 ふわりと日だまりのようなあたたかさをくれるから、 やっぱり、お人形たちは、今でも生きているのかもしれない。 そうやってずっと、私の感情の濁りを、 吸い取り続けてくれているのだろう。(シィアル)


『りかさん』 著者:梨木香歩 / 出版社:偕成社

お天気猫や

-- 2001年05月24日(木) --

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『自分「プレゼン」術』

☆「私」って、人間はね。。。

自分を表現するのは難しい。 自分の思いを伝えるのはさらに難しい。 自分の思いを思い通りに理解してもらうのは、 時として、至難である。

私は、自己表現が下手だと思っている。 そう思っているが、そうでないという人もいる。 そうでない、という人は、 私に好意的な人か、親しい人である。 確かに、私は時として、 自己表現に長けているタイプでもある。 場が自分に好意的であると知っていれば、 最大限に自分を表現できる内弁慶である。 とにかく、人見知りをするだけで、 そこの関門をクリアすれば、 だいたいにおいて、自分を伝えることができるようだ。

でも、相手が初対面な場合。 あるいは、上司。 あるいは、不特定多数を相手とする場合。 好意的に受け取ってもらうのは無理にしても、 せめて、効果的にこちらの意図を伝えたい場合、 人見知りな人間は、とても不利である。 なんとか、この壁を打破すべく、 いつものように、本と相談する。 ・・・この内向さが、そもそもの弱点なのだが。

本を読みつつ考えてみるに、 私は典型的なシャイな(前世紀の)日本人だし、 自分の弱さを人に見られたくないとか、 実物以上によりよいものに見せようとするから、 結局は、人前に立つ、 人前で何かを述べる、 何かを伝える、ということに臆してしまうのだろう。 完璧を望むが故に、些細な失敗さえ恐れ、 結局、何も踏み出すことが出来ない、という、 典型的なタイプでもあるのだ。

いかに、うまく、自分を相手に伝えるか。 それは、この本の結びにも、コンパクトに記されているが、 「それでいいんだ」という意識革命から始まるのだろう。 私は、それほどお話も上手じゃないし、 人前に立つのも苦手、 どちらかというと、たくさん弱点もあるけど、 でも、私は私よ。 それでも、私には言いたいことがあるし、 言いたくなくても言わなきゃいけないことがある。 こういう私の話にも、聞くべき点は色々あるのだ。 だから、私の話を是非聞いて欲しい。 精一杯、伝えようと努力するから。 と、いうことだろうか。 まあ、うまくやろうとするより、 誠実にやろうとすることが大切だというこである。

だって、社運を賭けた大企業のプレゼンじゃないのだから。 仮にそうだとしても、そんなことに自己表現の苦手な「私」を抜擢する方が そもそもの間違いなのだから。 だから。 できることを自分なりに、誠実にやること。 自分をプレゼンするというのは、欠点や弱点を含めて、 等身大の自分をきちんと語ることが出来ればいいのじゃないかな。 最近、そう思っている。 だって、欠点もあっての私。 まあ、そういう開き直りから始めようと、 そう思っている。(シィアル)


『自分「プレゼン」術』 著者:藤原和博 / 出版社:ちくま新書

お天気猫や

-- 2001年05月22日(火) --

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☆ヤン・ファーブル

美術手帖6月号に、ヤン・ファーブルの特集が。

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で 開催している『ヤン・ファーブル展』(3月3日-5月27日)。 日本で開催された最大の回顧展とか。 現代美術の立体造形作品が、 一点ずつ部屋のように区切られたコマのなかに 配置されていて、会場全体を見渡すことはできない 仕掛けになっている。 その会期中、4月14日に行われたヤン・ファーブルと中沢新一の トーク・ショウの再録と、作品の写真を掲載している。

ヤン・ファーブルは、『昆虫記』で有名な アンリ・ファーブルの曾孫。 1958年生まれだから──今年43歳。 作品のイメージどおりの風貌である。 というか、私の想像していたとおり。 情報が少なくて、ほとんど何の予備知識もないままに 3月の小雨降る午後遅く、会場を訪れた。 あまり薄暗いし閑散としていたので、 ほんとうにやっているのか? などと思いながら。

そこで見たものは、生涯忘れられないものだった。

いろいろ私の感じたことを書くよりも、 作品のタイトルだけを記そう。

『名もなきコンピュータの墓』(素材:十字架、木にボールペン)
『昇りゆく天使たちの壁』(玉虫・金網)
『戦場─聖なるスカラベの戦い─』

…そして美術館のカフェでは、『フランダースの戦士─絶望の戦士─』に ちなんだ、うさぎのシフォンケーキが。

5月、友を連れ2度目の礼拝。(マーズ)


月刊『美術手帖』 / 出版社:美術出版社

お天気猫や

-- 2001年05月21日(月) --

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☆本を売る その(2)

押入れに残っている家族の本を整理して、 8割方は古書店に売ってしまうことにした。 ハードカヴァーはほとんどなくて、文庫である。

選別するときの基準は、主として 残しておいて読むかどうか。 本を置いていった家族は、おそらく再び読もうとは 思わないだろう。 だから、私が読むかどうか。

歴史小説の長いのがけっこうあって、 それは何かの資料になるかもしれないので残した。 それ以外の本は、同じ作家の本がどれだけ そろっていても、バタバタ捨てた。 残しておいて価値が出るような本があれば 残すのだが、そこまでのものはない。 教養として読んでいたらしい古典的な文学作品も ちらほらある。でも、図書館に常備されているし。

日本の多作な作家のコレクション。 それぞれ非凡な作家だと思うのに、 こうしてたくさん集まるとなぜ平凡に見えるのだろう。 読んだり聞いたり見たりして 知っているタイトルばかりである。 いろいろ、考えさせられるものがあった。 人気や実績と、「あえて残したい価値」は別ものなのだろうか。 「読み捨てられる非凡さ」というものもあるのだろうか。

それでもこれだけの数をほとんど学生時代に読んだのだから、 それ自体はたいしたことだと思う。 思うが、売り飛ばしても心が痛まないのである。(マーズ)

お天気猫や

-- 2001年05月18日(金) --

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『大統領とメディア』

☆手軽に読めて、アメリカ通?

2000年秋から冬にかけて、 アメリカ大統領選は迷走していた。 興味深いと言えば、興味深く、 興ざめと言えば、これほど、興ざめなこともなかっただろう。 それは、アメリカに限らず、 日本の政治家にしてもそうだが、 彼ら、政治家の目的やヴィジョンは、 いったい何なのだろう? 国民受けしそうな、 シュガーコーティングされた 甘い見通しの夢物語を語ることなのだろうか。 そして、いつまでたっても、現実は変わらない。

メディアがアメリカ大統領選挙に与える影響は、 今や、計り知れない。 大統領候補(あるいは大統領)にとっては、 自分の政策を伝えるためにメディアがあるのではなく、 メディア受けする政策を見つけることの方が大事なのである。 国民と向き合うのではなく、 メディアと向き合う。 あるいは、ちらりとメディア越しに、 国民を見つめる。 自分の姿を映す鏡として。 いかに、望む姿で自らが映し出されているかを確かめるために。

タイトルからも明らかであるが、 この本はメディアとの関係を通して、 大統領選を、あるいはホワイトハウスの政治を考察している。 選挙戦の裏側が克明に記されている。 メディアを制することが、大統領選の勝利につながる。 勝つためには、手段を選ばない。 相手を誹謗中傷する広告(ネガティブ・アド)もばんばん打つし、 選挙に勝つということは、もちろんきれい事ではない。 この本に記されていることは、 選挙戦の裏側でもあるが、 選挙戦の基本であり、 アメリカにおいてはさほど特異なことでもない。

昨日のニュース番組で、 小泉新首相を前面に押し出した、 自民党のCMが取り上げられていた。 政策ではなく、イメージで参院選を乗り越えようとしている。 アメリカのようなネガティブ・アドがつくられることはないにしても、 メディアを利用して、政治の本質、 政治家の本分をごまかそうとしているのは同じなのかもしれない。

太平洋をはさんで、 あちらや、こちらで、 国民を省みることなく、パワーゲームが繰り広げられている。 アメリカの大統領選というものを通じて、 現代アメリカの政治の姿ばかりでなく、 これからの日本の政治の行く末が見えてくる気がする。(シィアル)


『大統領とメディア』 著者:石澤靖治 / 出版社:文春新書

お天気猫や

-- 2001年05月17日(木) --

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『やさしいカリグラフィー』

☆最初は誰でも初心者。

冬の間、しばらくカリグラフィーの講座に通った。 3ヶ月の講座では、アルファベットの小文字を イタリックで書くのがやっとで、 華やかな大文字の習得にまでは至らなかった。 元来、字を書くこと、お稽古ごとが好きな性分で、 カリグラフィー教室の前後では、 予習・復習怠りなく、常日頃の私にしてはよく頑張った。 おかげで、短期間の割には、よく上達したように思う。 しかし、残念ながら、そこで、Time Over。 まさに、これから、という時に引っ越しで、 今、私の住んでいる町では、 カリグラフィー教室なんて、そんなしゃれた教室はない。

何にしても、センスというものは大切だが、 カリグラフィーの場合、まずは、技術の習得で、 機械的に、ペンを動かせることが大事だ。 「学ぶ」の語源は「まねぶ」、まねることだが、 とにかく、基本に忠実に 「線を引けるようになる」ことから始まる。 一足飛びには、あの美しい文字は書けない。 だが、くじけず、毎日練習していると、 だんだんと形が整ってくるから、 練習のかいもある。

カリグラフィーを始めたいと思っても、 近くに教室がないこともあるだろう。 通信教育もあるようだが、 とりあえず独学からやってみるなら、 この本はお手本もついているし、 ちょっとしたカードのあしらいも参考になる。 私もしばらくは、独学になるのだが、 (もうじき通信講座を受講するつもり) いつか、こんなカードを書けるようになりたいと、 ゴージャスなカードが書ける日を夢見ている。 ただし、文字が書けるようになるのと、 カードが描けるようになるのとは、 大きな隔たりがある。 ここからがセンスなのだ。 バランスよく文字を散らし、 ちょっとした花の絵などをあしらう。 美しい色で、メッセージを書き分け、 思いを込める。

ふー。 まだ、大文字を習得していない私には先が長い。 イタリック以外にも、書体はあるし。 だからこそ、練習のしがいがあるというもの。 とりあえずは、クリスマスカードが書けるようにね。(シィアル)


『やさしいカリグラフィー −手軽に楽しくカード&ラベル−』 著者:小田原真喜子 / 出版社:雄鶏社

お天気猫や

-- 2001年05月16日(水) --

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SARAH MOON

☆多弁なモノクローム。

サラ・ムーンの『幻化』という写真集を 最近ずっと、パソコンの側に置いている。

写真の精神性は、わからない。 きれいな写真だと思う。 それはきれいなだけで、 表面的な美しさにすぎないのかもしれない。

表面的な美しさ。 美しいということは、どういうことなのだろうか。 美の表層? こしらえもののように、美しい女性。 デコラティブな写真。 美しいというのは、 ただ、美しいというだけで、 それで、いいのではないか。 ほんとうに、美しさとは何なのだろう。 真に美しいもの。

ページをぱらぱらとめくりながら、 とりとめもなく、 私は考え、言葉を探している。 ただ美しいだけの写真は、 サラ・ムーンのようなモード写真は、 後世に残るようなものではないのかもしれない。

だからこそ、 「今」、美しい、 彼女のはかない世界に惹かれるのかもしれない。 うたかたの美しさ。 ただきれいなだけ。 そう言いながら、 私は写真に惹かれる理由を、 美しさの意味を探している。

「とらえきれなかったものを見せる必要はない。」 序にあった、サラ・ムーンの言葉の一部。 迷いのない、 サラ・ムーンの世界の、 凛とした美しさに、私は惹きつけられている。

迷いを繰り返した果てに、 サラ・ムーンは決然と言えるようになったのだ。 「時がたったからだろうか、 私自身であることがたやすくなった。」(シィアル)


『VRAIS SEMBLANTS−幻化−』 著者:サラ・ムーン / 出版社:PARCO出版

お天気猫や

-- 2001年05月14日(月) --

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『おいしい時間のつくりかた』

料理はセンス。 愛情も要るけれど、やっぱりセンスだと思う。 おいしさへの、目で味わい舌で味わい、「その時」を 味わうための、センス。

自分の台所がないので、めったなことでは料理の本を買わない。 レシピや写真がいいだけでも買わないけれど、 この本を見てしまったら、手もとにおいておきたくなった。

コピーがよかったから。 料理をつくる人が、センスのよいコピーを 書く人だったから。 そこにヴィジョンがあったから。 そして、写真も装丁もすべてがひとつの世界に 仕上がっているから。

たぶん、この本にあるレシピを実際につくることは ないのかもしれない。 決してむずかしいレシピじゃない。 わたしのライフスタイルの問題。 でも、いいのだ。 わたしの「こころの舌」は、もうすっかり満足している。

おいしいものを「あぁおいしい」と感じる 時間をこの本に、もらったから。(マーズ)


『おいしい時間のつくりかた』 著者:長尾智子 / コーディネート:高橋みどり / 写真:廣石尚子 / 出版社:メディアファクトリー

お天気猫や

-- 2001年05月10日(木) --

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『ものがたりの余白─エンデが最後に話したこと─』

私たちはときに、言葉には価値などないという。 言葉で伝えられないものが大切なのだと。

この本に残されたエンデの言葉は、 言葉への信頼に満ちている。 あるいは言葉を語る存在への信頼に。 その存在を存在させうる宇宙への信頼に。

あまりにも自然体で、あまりにも率直なヴィジョンが 次々とあらわれて、ページは飛ぶように 過ぎてゆき、やがてテープは白い余白になり、 エンデは死の床にいる。

誰の人生もそうであるように。

エンデは励ます。 私たち人間が、生まれた瞬間から言葉を話そうと 必死になるのは、もともと言葉を内に持っているから。 それなのに、言葉に価値がないなどと 誰に言えるだろう?

聖書に書かれた宇宙のはじまり、 それは言葉による波動だという人もいる。 そこからすべての「遊び」は、はじまったのだと。

「この宇宙全体は、ただ言語から成っている」

そう語った魔法使いは、いまどこを飛んでいるのだろう。(マーズ)


『ものがたりの余白─エンデが最後に話したこと─』 著者:ミヒャエル・エンデ / 聞き手・編訳:田村都志夫 / 出版社:岩波書店

お天気猫や

-- 2001年05月08日(火) --

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『十二国記』

☆物語には翼がある。

月並みな言葉だが、物語の翼は無限だ。 ページをめくれば、そこは異世界の中国。 芳・戴・舜・漣・柳・雁・慶・巧・奏・才・範・恭 ―12の国が名を連ね、それぞれが「麒麟」の選んだ王を戴く。

遙か彼方でもあり、 隣り合わせともいえる、この異世界の物語は、  
・『月の影 影の海』  
・『風の海 迷宮の岸』  
・『東の海神 西の滄海』  
・『風の万里 黎明の空』  
・『図南の翼』  
・『黄昏の岸 暁の空』
と、それぞれの国に舞台を変えながら、 王国の興亡、王の不在と新王誕生をめぐる、 様々な冒険が頁を開く者を待っている。 壮大な12国の歴史とともに、 そこで成長していく、少女や少年たちの姿が 豊かに、そして目にも鮮やかに描かれている。

妖魔・妖獣が跋扈する異界での冒険の物語でもあり、 神や仙人の住まう神話の世界の話でもあるが、 何よりも、少女や少年たちが、 己や己の運命と戦い、前に進もうとする成長の物語だ。

物語の翼は、異邦の果てまで飛んで行き、 新しい冒険の世界に私を誘う。(シィアル)


『十二国記』シリーズ 著者:小野不由美 / 出版社: 講談社文庫&講談社X文庫

お天気猫や

-- 2001年05月07日(月) --

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『知の編集術』

☆意識することで、目は開かれる。

IT(情報通信技術)の時代だという。 確かに、私の住んでいる田舎町のショッピングセンターでも、 IT講習が開かれている。 パソコンにせよ、携帯にせよ、機器というのは 「技術」を身につければそれで良しというものでもない。 「情報」といかに向き合うのか、その姿勢も含めて、 初めて使いこなせるというものではないか。

で、その「姿勢」である。 情報過多の今日、降り注ぐすべての情報を受け止めることはできない。 その情報の一部であっても、活用となると、やはり難しい。 だからこそ、「情報活用能力」とか、「情報編集能力」という言葉が 随所で軽やかなステップで踊っているのであろう。 「情報活用能力(メディアリテラシー)」については、 またの機会に譲るとして、「情報編集能力」であるが、 その一歩は何のことはない、私たちの日常である。

友達との電話。 とりとめなく話しているようで、 それなりに、1日の出来事を切り取って、 「編集」して話している。 今日の晩ご飯。 何を作ろう。 冷蔵庫の中や、各人の好み、朝・昼のメニューなど、 いろんな「情報」をつきあわせて考えている。 それが「編集」。 日記を書く人。 当然24時間すべてを、もらさず、書き付けているわけではない。 映画のあらすじを語る。 TVドラマの話。 本の紹介。 これらすべて、人は「編集」して、その情報を伝えている。

「編集」とは、つまりは、そういうことなのだと、 松岡正剛は述べている。 ただし、情報編集「能力」ともなると、 無意識のうちにやっている日々の言動ではなく、 「何」を必要としているのか、 「何」を言いたいのか、その過程も含めて、 もっと的確に、より効率的に、意識して思考しなければならない。 最終的には、情報を切り取る、編集するというのは、 「センス」の問題でもあると、私は思うが、 もちろん、個々人の努力や訓練で磨いていくことのできる能力だ。 いや、まず、それを意識するか、無意識のままなのかで、 もうここで、大きく差異が生まれるのではないか。 要は、情報−物事全般について、 常に意識して考える習慣こそが大切なのだろう。

そんなことを考えながら、読み終わった。 私は、「何を切り取るのか?」 確かに、そういうことが常に念頭にある。 年度初めに、最良の1冊であった。(シィアル)


『知の編集術−発想・思考を生み出す技法』著者:松岡正剛 / 出版社: 講談社現代新書

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