| 2007年07月31日(火) |
何でも利用しましょう |
備忘として書いておくが、今月の24日床屋に行った。 その日に書くつもりだったが忘れていたのだ。
何で床屋に行ったこと書くのかというと、次に床屋に行く時に役に立つからだ。 ぼくは髪が伸びるのがけっこう早いので、以前はしょっちゅう床屋に行っていた。 しかし、実際は早く伸びているように見えるだけで、床屋で髪をすいていた部分などは、充分に生えきっていないことが多かった。 そのため、早く髪を切ってしまうと、全体にボリウムがなくなったり、地肌が透けて見えたりしていた。
そういうこともあって、最近は2ヶ月に一度しか行かないことにしている。 ところがある時期から、そろそろ髪が伸びたなと思った時、「そういえば、前に床屋に行ったのは、いつだろうか?」と、前回行った日のことを忘れていることが多くなった。 そのせいで切るタイミングを間違えたことが何度かあった。
そこでこの日記を利用することにしたのだ。 前回行った日を記録しておけば、忘れても困ることはない。 日記を見れば、次に床屋に行く日も判断できるわけだ。 つまり、ブログは備忘録としても活用できるということだ。
『ためいき』 さりげないためいきやめて 今日から真面目にやっていくんだ 昨日吐いたあの言葉に 嘘や偽りはないんだから
そしていつか見返してやるんだ あいつも、あいつも、みんなまとめて あの日のぼくは正しかったんだと それがぼくの人生だったと
もう振り返らない 風は追い風だ 尽きることはない もしもつまずくことがあったとしても 明日のための布石なんだ
疲れたふりなんかやめて 今日から素直に生きていくんだ ほら明日が笑っているよ その日の自分が手招きしている
久しぶりにプレイヤーズ王国に曲を上げた。 前に上げたのが昨年の4月だったから、1年3ヶ月ぶりの新曲(?)ということになる。 その間、会社を辞めたり、ウォーキングを始めたり、変なネコと知り合ったり、いろいろなことがあったが、過ぎてみると早いものである。
さて、この『ためいき』という歌だが、元々同名の曲があった。 しかし、その内容が現実味を帯びてないので、歌詞を書き換え、今の歌になった。 どういう風に現実味を帯びてないのかというと、元歌は、結婚して、二人の子どもを得て、孫まで出てくる。 現在、というか、これからも子どもが出来る予定はない。 したがって孫なんて出てこない。
そういうわけで、その歌詞を却下し、新しい歌詞を作ったのだが、その歌詞を作ったのが、昨年会社を辞めた頃だったので、こういう歌詞になったのだ。 ま、現実味を帯びさせたわけだが、一ヶ所だけ現実ではないところがある。 それは「あいつを見返してやる」部分だ。 実際そういう人はいない。
今日は半日オナカ君の手伝いをしたのだが、車での移動中、怖ろしいことが起きた。 国道を運転中、二つ前を走っている車が右折するために停車した。 一車線しかないところなので、よけることが出来ない。 そのため、すぐ前を走っていた車も停まった。
当然オナカ君も停まるものと思っていた。 ところが、オナカ君はいつまで経ってもスピードを緩めない。 ぼくは「おい」と言って、オナカ君のほうを見た。 すると、オナカ君は少し焦った声で 「ブレーキが利かん」と言うではないか。 前の車は数メートル先に迫っている。 オナカ君はとっさにハンドルを切った。 車は歩道に向かった。 その先には電柱があった。 「当たる!」とぼくは思った。 と、オナカ君はまたもやハンドルを切った。 車は車道に戻った。 だが、前の車はまだそのままの位置にいる。 「もうだめだ!」と思ったその瞬間、ようやく前の車が動いた。 そう、ぶつからずにすんだのだ。
そのあとオナカ君はしつこくブレーキを踏んでいた。 その甲斐あって車は停止した。 ぼくたちは何とか危機を脱したのだった。
別に飛ばしてはいなかったが、それでも制限速度は出ていたから、もし当たっていたら、物損だけではすまなかったに違いない。 確かにオナカ君のハンドルさばきはうまかった。 だが、それも前の車が動いてくれたから生きたのだ。 これは運以外の何ものでもない。 今月に入って、ぼくはずっと運の良さを感じているのだが、これもその運の良さが作用したものなのか? それともオナカ君の運が強かったのか? そういえば、ぼくもオナカ君も、星座はさそり座だ。 ということは、二人の運が作用したのだろうか?
一昨日の夜、食事がすんでから急にアイスクリームが食べたくなり、となりのセブンイレブンに買いに行った。 当初はそれだけ買って帰るはずだった。 ところが、コミックの売場に『バガボンド』の新刊(26巻)が置いてあった。 これは買わなきゃと思ったのだが、考えてみると、アイスクリーム代しか持って行ってなかった。 そこで嫁ブーに電話をかけ、お金を持ってきてもらった。 店が近いと、こういう時便利である。
家に帰ったぼくは、まず食べたくてたまらなかったアイスクリームを食べた。 そのあとで『バガボンド』の封を開けた。 ちょうどその時だった。 テレビで『山おんな壁おんな』が始まった。 そこで『バガボンド』を読むのはやめて、テレビを見ることにした。 『バガボンド』のことを覚えているのはここまでだ。 テレビを見終わった後、日記に取りかかったのだが、その頃には『バガボンド』のことはすっかり忘れていた。
さて、「そういえば『バガボンド』を買っていたな」と思い出したのは、翌日の夜、つまり昨日の夜のことだった。 それまでは何かを忘れているのだが、それが何かが思い出せないでいたのだ。 思い出したのは、風呂に入っている時だ。 そこで風呂から上がって捜した。 ところが見あたらないではないか。 嫁ブーに聞くと、「知らん」と言う。
それから家捜しである。 居間、自分の部屋、脱衣場、あげくにトイレまで捜した。 でも見つからない。 そのうち、本当に買ったのか、ということに疑問を持った。 そこで嫁ブーに、 「昨日、おれコミック買ったよのう?」と聞いてみた。 「うん、買ったよ」と言う。 やはりどこかに置き忘れているのだ。
その時、陽水の『夢の中に』の歌詞を思い出した。 “探すのをやめたとき、みつかることもよくある話で…♪” 「そうやの。どこかにあるんやけ、そのうち出てくるやろう」 と思ったところで、ドラマ『山田太郎ものがたり』が始まった。 それを見ているうちに、またしても『バガボンド』の存在を忘れてしまった。
今日もこの日記を書くまで、『バガボンド』のことはすっかり忘れていた。 というか、昨日の夜から、一度も「何か忘れている」とは思わなかった。 そういうわけで、まだ『バガボンド』は見つかってない。
昨日シャディの前を通ると、「初盆」と書いたのぼりがいくつも立っていた。 今日イオンに行くと、たくさんの盆提灯が並べてあった。 梅雨が明けたばかりだし、お盆なんかまだ先だと思っていたが、もうお盆まで3週間もないのだ。
お盆で思い出したが、今年は親戚の初盆がある。 あまり気乗りがしないが、行かないわけにはいかないだろう。 何せ親戚付き合い好きの母の出番になるわけだから、必ず「連れて行け」というに決まっている。
別に親戚の家に行くのはいい。 叔父や従兄弟たちに会うのもかまわない。 気乗りがしない理由は、そこにあるのではない。 では何が問題なのかというと、それは駐車場である。 親戚の家は、車を停める場所がないのだ。 だから困るわけだ。
バスで行けないこともないのだが、あまりに本数が少ない。 しかも隣の市だから、バスの時間がわからない。 だからいつも行く時は、ぼくの車を使うわけだ。
1月の通夜や葬儀の時は斎場でやったので、斎場の駐車場が使えた。 また四十九日の時は、親戚が町内会の駐車場を準備してくれていた。 しかし、お盆はそういうわけにはいくまい。
ということで、母だけ親戚の家の前で降ろして、ぼくはどこか別の場所に駐めてから行くとするか。 だけど、あそこは大型商業施設はあるものの、親戚の家まで歩くとなると20分はかかってしまう。 歩いて20分ということは、2�劼�らいか。 2�劼犬礇織�シーは行ってくれんだろうなあ。
やはり歩いて行くことになるわけか。 歩くと言ったって、Tシャツ・短パンで歩くならともかく、夏物とはいえ礼服を着ていかなければならないから、ちょっと辛い。 かといって、他に方法はないから、その手で行くしかないか。
うちの風呂場には大きな鏡がある。 その鏡に自分を映しながら、ぼくはいつもヘラヘラ笑っている。 こうやると幸せがやってくるそうだ。 出来たら声を上げて笑った方がいいらしい。 だが、風呂場の音は外に漏れるのでそれは躊躇する。
さて、今日もいつものように鏡の前でヘラヘラ笑っていたのだが、何か顔がテカっているように見える。 その時は照明の具合だろうと思っていたが、そうではなかった。
風呂を上がってから実家に行ったのだが、その時に母から、 「何ね、あんたの顔」と言われた。 「なんか付いとる?」 「いや、焼けとるんよ」 「前から焼けとるやん」 「今日は格別に黒い」
そういえば、今日の日差しは、熱中症になるのではないかと思うほどすごかった。 今日も例のごとく昼間に歩いたのだが、その時はなるべく日陰を歩くなどして、頭をかばっていた。 おかげで熱中症になるようなことはなかった。 が、そのエネルギーは顔に作用したわけだ。
まあ、別にぼくは日に焼けてもかまわないのだが、世間ではそうではないらしい。 昔は日に焼けることが健康的だと言っていたのに、今ではシミ、ソバカスや皮膚ガンなどの原因だなどと、とかくマイナス要因のように言われている。 この調子でいくと、そういう声に過敏に反応し、外に出ただけで気分が悪くなるような神経質な人も、遠からず出てくるだろう。
花粉症がそうだった。 昔はそんなことで騒ぎもしなかったのに、一度その名前や症状が紹介されたとたん、「私も、私も…」というふうになり、あっという間に広がったのだ。 これも言葉による過敏症だと、ぼくは思っている。
出来たらぼくは、そういう人になりたくないのだが、ここ数年は若干花粉症気味だ。 しかし、日焼けだけには反応せずに、それが健康だと思っていきたい。 そうしないと、夏が楽しめない。
いつもぼくがここで「嫁ブー」と言っているせいなのか、ついに嫁ブーは隠れ肥満の域に達したらしい。 なるほど横から見ると、嫁ブーの体は台形である。
台形、久しく使ってない言葉だ。 ひし形はかろうじて使ったことはあるが、台形だとか平行四辺形だとかは、数学を習わなくなってから使った覚えがない。 そのために忘れている用語が多い。
前に誰かとの会話で、「分度器」が出てこなかったことがある。 喉元までは出かかっているのだが、なぜか頭の中に「コンパス」という言葉が出てきて邪魔をするのだ。 最後には恥を忍んで、「あの、角度測るのに使う、半円の定規みたいの何という名前やったかねえ?」と相手に聞いた。 「分度器ですか?」 相手は、そんなことも知らんのか、といった顔をしていた。
しかし台形は懐かしい言葉だ。 そういえば、台形の面積の求め方はどうだったろうか? 確か「(上底+下底)×高さ÷2」だったと思う。 理屈は合っているし、これでいいとは思うのだが、今ひとつ自信がない。 そこで嫁ブーに聞いてみた。 が、話にならない。 「底辺×高さ÷2、やろ」 それは三角形の面積だ。
結局ネットで調べたのだが、先の公式で合っていた。 こういう調べものがある時、ネットというのは本当に役に立つ。 もしネットがなかったら、わざわざ台形の公式を調べるだけのために、本屋まで走らなければならないところだった。
朝方はさほど暑くなかったが、昼から暑くなった。 今日は銀行回りをする予定にしていた。 今回の銀行回りは2行だけだ。 地銀や信用金庫なら、別に街に出なくてもすむのだが、1行が都市銀なので、どうしても街に出なければならない。
というわけで、昼間は暑いので、少し涼しくなってから行こうと思い、夕方家を出た。 ところが、駅まで歩いている途中に、お金を持ってくるのを忘れたことに気づいた。 そこでお金を取りに戻ったのだが、家に帰ると汗がドッと吹き出た。
夕方とはいえ、まだまだ暑かったのだ。 こうなると、シャワーを浴びないとつらい。 しかし、そんなことをやっていると、時間がなくなる。 「どうしようか?」と迷ったが、やはり汗が気になる。 で、シャワーを浴びたわけだが、考えてみると、着替える服がない。 部屋干し臭をなくそうと、今日着ていく一着を除き、すべて嫁ブーが洗ってしまっていたのだ。
「そうだった。じゃあ今日はやめた」となり、嫁ブーと二人で、「暑い、暑い」と言いながら、居間でゴロ寝してテレビを見ていたのだった。 銀行へは、後日行くことにした。 もちろん、こうならないように、朝方に行くことにする。
よく記憶違いをすることがある。 例えば、中学の時に体験したことを、高校の時に体験したと思い、そのことを高校時代の友だちに話すと、「そういうことあったかのう?」ということになる。 その時は、「こいつ記憶力悪いのう」などと思っているのだが、その後よくよく考えてみると、それは中学の時の体験だったと気づき、自分の記憶力の悪さを嘆くことになる。
また、こういう事もよくある。 自分の知っていることは、当然相手も知っていることだと思い、そのつもりで話していると、どうも相手の反応が悪い。 おかしいなと思っていると、相手はそのことを知らなかった、ということだ。
これらは、標準語だと思ってしゃべっていたら、実は方言だった、というのと同じことだ。 だから、こういう類の記憶違いや勘違いを、ぼくは「ローカル記憶」と呼んでいる。
そのローカル記憶だが、以前こういうことがあった。 何年かぶりに中学時代の友人に会った時のことだが、昔話に花が咲いたころ、突然彼が「S子も立ち直ってね。この間会った時に『私は昔の私じゃない』と言ってくれたんよ」と言いだした。 S子…、誰? 昔の私…、何? 全然わからん。
そこでぼくは、S子とは誰のことで、昔の私とはどういうことかというのを聞いてみた。 それでわかったのだが、S子とは中学の同級生だった。 突然S子などと言われてピンと来なかったのは、いっしょのクラスになったことがなかったからだ。
で、そのS子の昔はどういう「私」だったのかというと、高校時代にかなりグレていたらしい。 先ほど書いたように、ぼくは中学時代のS子も満足に知らないのだ。 高校は違う高校で、しかも違う区にあった。 だから、まったく噂なんて入ってこない。 それなのに友人は、自分が知っていることだから、当然ぼくも知っていると思って話したのだ。 だから、ぼくは戸惑ってしまったわけだ。
今後は同窓会なども増えていくことだろうし、ローカル記憶でひんしゅくを買わないように、記憶の整理をしておかなければならないな。
ずっと部屋干しだったから、Tシャツがちょっと臭い。 汗をかいたら、さらにニオイがきつく感じる。 7月に入ってから、夕方から晴れたという記憶はあるが、一日中晴れた日があっただろうか? ああ、そういえば先週一度あった。 でも煙霧とやらで日は一日中霞んでいたのだった。
今日も昼頃まで小雨が降っていた。 「今日もこんな天気か。うんざりするのう」と思っていたら、夕方からきれいに晴れ上がった。 先週の日曜日と同じ展開だ。 ただ、一つだけ先週と違うことがある。 それは、先週の時点では、梅雨明けがいつになるか読めない状態だったのが、今週ようやく見えてきたのだ。 明日か明後日だということだ。 ということで、今日の青空は、本物の夏空なのだろう。
「ひまわり、夕立、セミの声…」というか、「真夏日、熱帯夜、不快指数…」、いよいよ始まりますね。

昔はこんな不細工なネコをよく見かけたものだ。 だが、最近このへんはノラが少なくなったせいもあって、あまりこういうネコを見なくなった。
さて、このネコの写真だが、昼間折尾の鷹見神社で撮ったものだ。 神社の階段を上っていくと、ちょうど踊り場の所で、大の字になって寝ていたのだ。 そこで、ちょっとちょっかいかけてやろうかと思った。 しかし、参拝前である。 畜生を触った手で、神様を拝むなんてもってのほかだ、と思い直しやめておいた。
境内には本殿ほか、いくつかの神社があったので、一つ一つ拝んでいった。 そのため、すべてが終わるのに30分ほどかかった。 もちろんその間はネコのことを忘れていたのだが、参拝を終えてから、 「そういえばさっきネコがいたなあ」、と思い出した。
しかし、いくら何でも30分も経っている。 さすがに、もうネコはいないだろうと思っていた。 ところが、参拝を終え、階段を下りてみると、まだいるではないか。 お目覚めしたばかりなのか、前足で顔をしきりになでていた。 ネコは非常にのんびりしていたが、ぼくの足音が聞こえると、急にハッとした表情に変わり、ダッと逃げ出した。 ところが、ぼくが「チ、チ、チ」と舌打ちして呼び止めると、なぜかネコは立ち止まった。 ぼくはゆっくり近づいていった。 でも、逃げない。
ぼくは胸ポケットから、おもむろに携帯を取りだして、カメラモードにした。 その間もネコはジッとしている。 そこで、ちょっと触ってやれと手を伸ばした。 すると逃げようとした。 しかたないので触らずに、カメラを向けた。 「えっ?」 このネコ、カメラを向けるとポーズを付けたのだ。 まあ、ポーズと言っても座るだけだが。 それでもぼくが撮っている間は、大人しく座っていた。
「これで慣れただろう」、撮り終えた後、ぼくはそう思ってもう一度手を伸ばしてネコを触ろうとした。 だけど、やはりダメだった。 ネコは階段を駆け上がって行った。
| 2007年07月20日(金) |
黒崎祇園前夜祭に思うこと |
今日は地元黒崎祇園の前夜祭だ。 本番は明日からだが、商店街を練り歩く本番よりも、メイン通りを通行止めにして、コンテスト形式で演舞する前夜祭の方が、盛り上がっているような気がする。
夜、ぼくは嫁ブーと祭りの会場に出かけた。 小雨は降っていたものの、かなりの人出だ。 近郊に大型店が次々と進出し、さらにそごうが潰れ長崎屋が潰れトポスが潰れ、最近は閑散としている繁華街だが、今日は違った。 まるで昔に戻ったような賑わいだった。
幼い頃に住んでいた場所であり、学生の頃の数々の思い出の詰まったこの街に対するぼくの思い入れはかなり強い。 それゆえに、現状を見るのがつらい。 「十数年前は、毎日この人出やったんよのう」という言葉が、ぼくの口をついて出た。 嫁ブーはうなずいていた。 彼女もこの街には思い入れがあるのだろう。
昨日今日と外がすごく霞んでいた。 日は差しているものの、ボヤーッとした感じだったし、空は晴れているものの、青空ではなかった。 特に昨日は酷く、ぼくの部屋から小学校が見えるのだが、1キロも離れていないのに霞んでほとんど見えなかった。
いったいあの霞は何なのだろうか? 別にニュースでは光化学スモッグなどと言ってなかったし…。 と思っていたら、今朝の天気予報で解説していた。
それは煙霧と言うらしい。 霞の原因になっていたのは水蒸気ではなく、空気中の塵なのだそうだ。 西よりの風が吹いているため、大陸から黄砂などが流れてきたのだという。 その「など」の中には、工場の煤煙とかも混じってはいないのだろうか。 天気予報では、そこまで言ってなかったが、黄砂がくるということは、当然煤煙なども混じっているということだ。
5月にかなり光化学スモッグのことが問題になっていたが、その後どう見ても光化学スモッグだと思っても、警報の発令をしなくなった。 光化学スモッグ発生の条件は揃っていたにもかかわらず、そのことに注意しろとも言わない。 これは不思議だ。 公害に無頓着なあの国が、公害の規制なんかに応じるわけはないのだし、我が国もそれに対して手をこまねいていたのだ。 それなのに突然何も言わなくなったということは、誰かが裏で何かやっているとしか考えられない。
昨日も今日も光化学スモッグか、それに近いものだったとぼくは思っている。 なぜなら、二日続けてぼくの頭が痛かったからだ。 普通の痛みと違って、空気の汚れた時になる痛み方なのである。
今日は嫁ブーが早出ということで、朝8時頃会社に送って行った。 その途中、ある団地の前に各地区の幼稚園のマイクロバスが集結していた。 中には区外の幼稚園のバスもある。 何事だろうと見てみると、どうやら園児を迎えに来ている様子なのだ。
嫁ブーによると、今は家から近い幼稚園ではなく、親の気に入った幼稚園に行かせるのが普通らしい。 だから、朝はいつも幼稚園バスが行列しているというのだ。
ぼくたちの頃は、保育園はともかく、幼稚園というのは集団で歩いて行くのが普通だった。 きっとこれも小子化の影響なのだろう。 幼稚園は存続するために、地区を越えたところにも募集をかけ、園児を確保しているのだ。
そういえば、もう何年も前になるが、隣の区のスーパーに買い物に行った時に、そこの掲示板にうちの近くの幼稚園が園児募集の紙が貼ってあるのを見たことがある。 その時は、何でこんな遠くの人を募集しているんだろう、と思ったものだが、きっとこうなることを見越しての張り紙だっただろう。
朝方、例のごとく近くの神社に行ったのだが、その時ふと、観音様に呼ばれているような気がした。 そういえば今日は17日、長谷寺のご本尊、国宝十一面観音ご開帳の日だ。 明日もご開帳はあるのだが、今日は嫁ブーも休みだから、行くなら今日のほうが都合がいい。 ということで、昼から長谷寺のある鞍手町に出かけた。
そこは幹線道路から入ればわりと楽に着くのだが、近道をしようとするとわかりづらい。 前に一度その道から入り、何度も道を間違えたことがある。 そのせいで、最近は近道をせず、幹線道路から入っている。
さて、さすがご開帳の日である。 普段行くとはあまり車は駐まってないのだが、今日は数台駐まっていた。 おそらく観音様の縁日である明日18日は、もっと多くの参拝客が来るのだろう。
しかし、せっかくの国宝のご開帳なのだから、もっと大々的に宣伝をやってみたらどうだろうか。 ぼくの周りには、そこに国宝があることを知っている人があまりいない。 それどころか、このお寺の存在自体知らない人が多い。
何せ、宣伝媒体がホームページくらいしかないのだから、それもしかたないとは思うが、もっとどうにかならないものか。 これが関東や関西なら、観音様の縁日ということで、多くの人が参拝にきて賑わうと思う。 ま、山中で交通の便が悪いところだから、主要な参拝客層である爺婆も寄りつけないのだろうが、それなら町がシャトルバスを出すなどしてもらいたいものだ。
昨年までいた会社は、毎年夏になると、社員にウナギを買わせていた。 何年か前までは柳川産だったが、その後急に中国産に変更になった。 理由は安いからということだった。
さて、あの会社は今年もウナギを売るのだろうか? もし売るとしたら、それは中国産なのだろうか? 社員を小バカにした上層部が多かったから、案外「社員は何も知らんから大丈夫」と今年も中国産を売りつけているのかもしれない。
もしかしたら売れないと困るので、わざと値段をつり上げて、「これは中国産だけど、高級品だから大丈夫」などと言っているかもしれないなぁ。 半分強制みたいなものだったし、社員もわかっていても何も言えず、泣く泣く買っているのだろう。

上の写真は、夕方6時過ぎの空である。 5時過ぎから本屋に行ったのだが、その帰りに撮ったものだ。 出がけはしっかりと曇っていたが、台風の影響が残っているのか、一気に雲が吹き飛んだ。 本当に久しぶりに見る青空だ。 この時は、いよいよ梅雨明けかと思ったが、帰ってから天気予報を見ると、まだまだ雨の日が続きそうだ。 梅雨はしばらく明けそうにないし、これからは選挙戦もうるさくなってくるし、今年の夏は鬱陶しいわい。
とりあえず今日はウォーキングをやめて、神社だけにしようと思い、まださほど雨の降ってなかった午前中に、神社だけ行ってきた。 神社まで歩いても往復20分少々なので、このくらいの雨なら大して濡れないだろうと思ったのが甘かった。 確かに雨は大したことはなかったのだが、風が下から吹き上げてくるせいで、傘の効果がない。 元々傘をさすのが下手というのも相まって、帰ってきた時にはビッショリになっていた。
神社から帰ったら、母を買い物に連れて行こうと思っていたのだが、着替えたり乾かしたりしたせいで、出発がかなり遅れてしまった。 幸い、その時間はまだ暴風とまではいかない風だったので、木の枝が飛んでくることもなく、普通通りに運転できた。
だが、夜はさすがに恐かった。 9時頃、嫁ブーを迎えに行ったのだが、そこら中に木の枝や大きなゴミなどが落ちていて、車の運転を邪魔するのだ。 後ろの車などは、何でこちらがゆっくり走っているのかも確認せずに、クラクションを鳴らして煽っていた。 しかし、ぼくが木の枝をよけたりして走っているのに気づき、悪いと思ったのか、その後は煽ることもなく、車間をかなり開けて走っていた。 ま、何とか無事に家に帰ってきたが、やはり台風の日の運転は嫌である。
(1) またまたマグマの話です。 リアルタイムでこのドラマを見ていた頃、うちはまだ白黒テレビだった。 それでだと思うのだが、この間改めてマグマ大使を見て、ビックリしたことがある。 それはカラーテレビで見る東京の空が、えらく汚れているということだ。 2ヶ月前に光化学スモッグが問題になったが、あの時の空の色といっしょなのだ。 昭和41年というと、公害問題が声高に叫ばれるようになった時期だ。 その時期こちらも酷かったが、マグマ大使を見ると、東京も酷かったことがよくわかる。
そういう空の上から、ゴアは「あの宝石のように美しい地球を、私のものにしたい」などと言っていたのだ。 実に空々しい。
(2) 台風の空というのか、梅雨空とはちょっと違う色をしていた。 雲が幾重にも重なっているのだが、やけに明るいところがあったり、暗いところがあったりして、それが雲の形を不気味に映していた。 稲光が夜の空を映すと不気味に感じるものだが、今日の空はそういう感じがした。 ここ一週間ずっと雨模様で、そろそろ梅雨も終わりかと思っていたら、週末は台風だ。 気が滅入ってしまう。 台風には早く過ぎ去ってほしいし、ついでに梅雨も連れて行ってもらいたい。
マグマ大使には、フォーリーブスの江木敏夫が出ている。 困った時にマグマ一家を呼ぶという重要な役で、露出度からするとほとんど主役のようなものだ。 この頃からジャニーズは、今のようにメンバーに主役を張らせていたわけだ。
さて、その江木だが、ぼくはこれまでマグマ大使のドラマが終了した後に、フォーリーブスに参加したと思っていた。 ところが調べてみると、マグマ大使が始まったのは昭和41年7月で、フォーリーブスの結成は同年10月になっている。 ということは、ほとんど同時進行だったということになる。
それを調べている時に、これまで気にもしてなかった江木の歳を初めて知った。 昭和27年生まれで、ぼくより5つ上だ。 マグマを見た限りでは、ぼくとあまり年が離れてないような気がしていたが、実はあの時、もう14歳になっていたわけだ。 歳がわからなかった原因は、ぼくに見る目がなかったのではなく、あの幼い顔と半ズボンにあったと思う。 マグマを見た限りでは、とても14歳には見えない。
ところで、マグマを見ていると、江木は七三分けしている。 髪の薄い人が、サイドの髪を無理矢理上に持ってくるような分け方で、えらくおっさん臭く見えるのだ。 童顔に薄毛分け。 昔からぼくは、マグマ大使の中の江木に対して違和感を持っていたが、こういうところに理由があったのかもしれない。
今月からスカパー!で、『マグマ大使』をやっている。 もちろんオリジナル版、ぼくが小学3〜4年生の頃に放映していたものだ。 マグマ大使は、あの頃のぼくの憧れで、オープニング曲を聴くと、今でも勇気がわいてくる。 同時期にウルトラマンをやっていたのだが、なぜかぼくはウルトラマンには興味を抱かなかった。 おそらくは、人間離れしたあの目が嫌いだったからだと思う。
さて、マグマ大使だが、今日ようやく、先日録画していた第一話を見た。 最初は胸躍らせて見ていたが、そのうちだんだん情けなくなってきた。 マグマがえらくちゃちなのだ。 ガムにいたってはさらに酷く、まるでグリコのおまけである。 また、それらロケットが空を飛ぶ時は妙な揺れ方をしているし、これまでは模型だと思っていた箇所が、実はマンガだったりしたのだ。 小学生の頃、ぼくはこんなちゃちなロケットが、マンガの上を飛ぶようなにドラマに目を輝かせていたわけだ。 CGに慣れた現在の目で見ると、あれはお笑い以外の何ものでもない。
ところで、このドラマの悪役はゴアであるが、初めてゴアの顔を見た時のインパクトはすごかった。 怖ろしくて夢にまで出てきたのだ。 あの顔は、ぼくが持っている悪役のイメージの中でナンバー1だろう。
余談だが、オーム真理教の麻原彰晃を初めて見た時、ぼくはすぐにゴアを思い浮かべた。 おそらく「こいつは悪役だ」と直感的に思ったのだろう。 ところが、今見直してみると、麻原の顔はゴアではなく、アース(マグマの生みの親)のほうに似ているのだ。 どこかで記憶が混線していたのかもしれない。
| 2007年07月10日(火) |
ぼくはラッキーですよ |
十数年前、まだ前の前の会社で働いていた頃だ。 その頃は毎週火曜日が休みで、その前日月曜日はいつも飲みに行っていた。 行きつけのスナックで、歌をうたったり、人の相談に乗ったり、激論を戦わせたりと、けっこう充実した時間を送っていた。
ある時、その店で初めて会った人と意気投合し、一晩中語り明かしたことがあった。 彼は、今で言うIT企業の社長だった。 その日店は満員だった。 ぼくが店に行くと、空いていたのは彼の席の隣だけだった。 ぼくがそこに座ると、彼はぼくの方を向いて、 「あのー、しんちゃんですか?」と言った。 「はい、そうですけど」 「お噂はいろいろ聞いています」 「はあ…」 ということで、ぼくたちはしゃべり始めた。
その頃ぼくは大手の専門店にいたので、仕事絡みの話かと思っていたら、そうではなかった。 その人は自分のやっている仕事の内容を話したはが、それ以外はあまり仕事の話をしなかった。 そのほとんどは、自分の生い立ちや考え方に費やしていた。
話を始めてしばらくして彼は、「しんちゃんってラッキーでしょ?」と聞いてきた。 ぼくはそういう質問を受けたのは初めてだったので、どう受け答えしていいかわからなかったが、とりあえず、「ああ、おれはラッキーですよ」と答えておいた。 すると彼は、「やっぱりね」と言った。 「何で?」と聞くと、「最初見た時から、運の強そうな人だと思った」と言う。
その会話のあった後で、そのことをいろいろと考えていたが、どう考えても、ぼくはラッキーとしか思えなかった。 具体的にどうラッキーかはわからなかったが、とにかくそこまで不可なく生きてこれたし、そこまでの人生に後悔するとことがなかったからそう思ったわけだ。 ということで、彼には嘘をつかずにすんだのだった。
おそらく今でも、同じ質問を受けたら、その時と同じように「おれはラッキーですよ」と答えるだろう。 ここまで不可なく生きてこれたし、ここまでの人生に後悔してないからだ。
久しぶりに、友人のオナカ君と会った。 彼は相変わらず太っていて、腹回りなんかは相当なものだった。 ただ、以前はそれで笑っていたのだが、今は笑えなくなってしまった。 自分の腹も、オナカ君に負けず劣らず状態になってきたのだ。
何せ生まれて初めて、腹が重たいと感じるようになったわけだから、これは深刻な事態である。 座ると腹の肉が内蔵を圧迫するので苦しい。 だから、少しでも楽な姿勢でいようと、寝ころぶ。 その姿勢が腹の肉を助長する。 この繰り返しで、腹回りが膨らんだわけだ。
最近は、どうも「しょうがない、太るのは禁煙しているからだ」と、禁煙に逃げているところがある。 禁煙も今日で3ヶ月過ぎたことだし、これから先吸うことはほとんど考えられないわけだから、「禁煙しているから」で努力を怠ると、どんどん太ることになる。 というわけで、これから「禁煙しているから」は禁句にする。
※しょうがない…久間前防衛相によると、九州人の口癖らしいです。ということは、使わんとならんでしょう。
今までメインで使っていたブログが、いじくりすぎて変になってしまった。 パッと見何もないのだが、いろいろ細かいところに不具合が起きているのだ。 そこで、またテンプレートをやり直そうと、一時的に停止した。 しかし、考えてみると、今さらテンプレートをやり直しても、あと数ヶ月でブログをやめてしまうわけだから、そんなことやっても無駄である。
そういうわけで、今日から最終回まで、このブログ一本で行こうと思っている。 ま、他で詩のほうをやっているので、実質はブログ二本だが、日記はここだけである。 これまでいろいろなブログを試してきたけど、結局は一番最初に使ったブログに落ち着いたわけだ。
ブログを使うまでは、日記サーバーを使っていた。 けっこう高性能で、自分でカスタマイズ出来、アクセス解析まで付いていた。 そのせいで、世の中が「ブログ、ブログ」と騒ぎだした頃も、あまり興味がわかなかった。
ようやくブログに乗り換えたのは3年前だった。 当時このteacupで、掲示板を使っていたのだが、何かの拍子に、ブログのページに飛んでしまったのだ。 それでいろいろ見ているうちに、「やってみろうか」という気分になってきた。 しかし、やるのはいいが、問題は内容である。 その頃は日記を書くのに四苦八苦していた頃だったので、違う内容の文章なんて到底書けそうもなかった。
そこで、それまで日記サーバーで書いていた日記を、こちらに移そうと考えた。 移すと言っても、その頃ですでに4年分の日記を書いていたわけだから、簡単にはいかなかった。 会社から帰って、その日の日記を書きながら、コツコツと古い日記を移していった。 結局、それに費やした時間は1ヶ月。 終わった時には、思わず「バンザイ」と叫んだものだった。
その頃に比べると、今はインポートとかエクスポートとかいう機能がついているので楽である。 その後、次々とブログを替えていけたのも、その機能があったからだ。 ブログを替えたあと、何度もここを閉じようと思った。 だが、それが出来なかったのは、1ヶ月のコツコツ作業があったからだ。 インポート/エクスポートでやっていたら、愛着を持てなかったろうから、さっさとやめられたと思う。
そういうわけで、これからはここ一本です。 最終回は11月7日なので、いよいよ4ヶ月を切ったわけですが、今後もよろしくお願いします。
七夕の夜は、星が見えたためしがない。 小学校低学年の頃、この日の理科の宿題は、いつも星の観測だった。 だけど、見えない星は描けないし、観測日記も書けない。 それでいつも宿題が出せなかった。
だいたい7月7日というのは梅雨真っ盛りの時期なので、星が見える確率はかなり低い。 当時は、何でこんな梅雨時期に七夕を持ってきたのだろうかと、不思議に思っていた。
七夕が旧暦7月7日の行事だったというのを知ったのは、というか旧暦の存在を知ったのはずっと後のことだ。 旧暦7月7日というと、新暦の8月中旬以降にあたるから、秋に近い。 その時期なら台風さえ来なければ、晴れていることが多いので合点がいく。
つまり本来は星を見る行事なのに、新暦重視のせいで笹と短冊だけを楽しむ行事に成り下がっているわけだ。 こんなのやる意味がない。 七夕のような自然を対象にした行事は、旧暦でやってもらいたいものだ。
小学生の頃、一度だけ大雨のために休校になったことがある。 夜中から降り続いた雨が、朝になっても降り止まず、在校生の何人かの家が被害に遭ったらしいのだ。 休校が決まったのは、朝の8時過ぎで、すでにぼくたちは学校に向かっている途中だった。 傘をさした小学生が、ゾロゾロとこちらに向かって歩いてくる。 「どうしたんか?」と聞くと、「今日学校休みになったぞ」と言うではないか。
学校と思っていたのに休校になったので、嬉しいことこの上もなかったが、大雨が降っているので外には出られない。 当時は電話が普及してなかった時代で、友だちと連絡をとることもできない。 テレビではくだらんメロドラマをやっているので、見る気も起きない。 すでにその週の少年サンデーは読んでいたし、一人で遊ぼうにもゲームもないしで、実に退屈だった。
「あーあ、こんなに退屈な休みなら、学校があったほうがよかった」と思っている時だった。 あれだけ降っていた雨がピタリと止み、晴れ間まで出てきたのだ。 時間は10時半ぐらいだったと思うが、それから広場に子どもが 次々と出てきた。 とはいえ広場は雨でぬかるんでいる。 では何のために出てきたのかというと、プラモデルで遊ぶためある。 何のプラモデルかというと、軍艦や潜水艦だ。 広場の周りには排水溝があったのだが、そこまで水が汚れてなく、浅かったので、軍艦や潜水艦を浮かべるのに都合がよかったのだ。
ぼくのお気に入りのプラモデルは、当時マンガで大ヒットしていた『サブマリン707』だった。 遊ぶ場所が場所なだけに、コンクリや石にぶち当たって、すぐに壊れる。 そのため、もっと頑丈なのをとは思っていただが、なぜかいつも同じのを買い直していた。 最初は細かいところまで丁寧に作っていたが、そのうち面倒になり、細かいところは作らないようになった。 さらに本体を固定させるために、接着剤ではなく輪ゴムを使うようになった。
ところで、排水溝で遊んだ後、家に持って帰った潜水艦をどうするのかというと、風呂場に保管しておいて、風呂に入った時にまた遊ぶのだ。 保管すると言っても、洗面器の中にポンと入れておくだけだ。 プラモを洗った記憶などないから、きっと風呂水は汚れていただろう。
今年のクマゼミは、どこも今日が初日のようだ。 昨日はどこに行っても鳴いてなかったが、今日は申し合わせたようにどこでも鳴いていた。 ということで、例年よりは少し早い鳴き初めだ。 昨年は平年通り、7月の中旬だったと記憶している。
ぼくの中で記録的だったのは一昨年だった。 6月の終わり頃から鳴いていたのだ。 ちょうどフォークリフトの練習をやっている時だったが、ワシワシをBGM代わりにフォークリフトを操っていたものだった。 あれからもう2年も経つのか。
ところで、クマゼミと夏の因果関係はどうなっているのだろう。 特に早く鳴き出した一昨年はというと、エアコンが飛ぶように売れたような記憶がないから、格別に暑い夏ではなかったようだ。 ということは、あまり因果関係はないということか。 ま、今年少し早く鳴き出したから、ちょっと気温に注目しておこう。
国鉄時代に一度だけ、大都市近郊区間というのを利用したことがある。 詳しくはこちらを見てもらったらわかるが、簡単に言えば、例えば次の駅に行く場合、途中下車さえしなければ、区間内のどのルートを通ってもいいという暇つぶしのサービスである。
ぼくはそれを使って、鹿児島線黒崎駅から隣の折尾駅(当時)まで、博多駅経由で行ったことがある。 筑豊線と篠栗線経由で博多まで行き、そこから鹿児島線で折尾に行ったのだ。 ストレートに行けば6分で着く駅が、この方法だと2時間以上かかる。 最初は筑豊の風景を見て楽しんでいたのだが、それもだんだん飽きてきて、博多からの戻りは寝ていた。 それにうんざりして、その後は利用したことがない。 ということで、ぼくは「鉄」にはなれない人間だということが証明されたわけだ。
その後国鉄がJRに変わったり、筑豊を中心とした路線が第3セクターに移譲になったり廃線になったりしたので、それに伴ってこのサービスは廃止になったと思っていた。 ところが、今日何気なくホームページを見ていると、何とまだこのサービスをやっているではないか。 以前は首都圏、京阪神、福岡の三ヶ所だったのが、今は新潟が加わって四ヶ所になっている。 ということは、このサービスを利用する人が多いということか。
国鉄時代、ぼくはまだ独身だったが、今は嫁ブーというパートナーがいることだし、今度誘って、これを利用してみようと思う。 列車の中で東筑軒のかしわ飯(駅弁)を食べてみたいし。 実はかしわ飯は、家でしか食べたことがないのだ。 一度電車などの中で食べてみたいと思っていたから、ちょうどいい機会である。 もちろん食べるのは筑豊線でだ。 乗客の多い鹿児島線でそんなことをやったら、白い目で見られてしまうだろう。
ぼくと同じように、毎日神社にお参りに来る人がいる。 きっと願掛けしているのだと思う。 邪魔しては悪いので、その人が来る前にお参りをすませるようにしているが、たまに時間がいっしょになることがある。 その時は、ぼくが早く着いていれば相手が、相手が早く着いていればぼくが、一方のお参りを終わるまで終わるまで待っている。 別に会話を交わして決めたわけではなく、暗黙の了解である。
ま、こういうのは参拝客があまり多くないから出来ることだ。 メジャーな神社ではこういう悠長なことは出来ない。 例えば宗像神社に行けば、いつも複数人の人が同時に参拝している。 もっとメジャーな太宰府天満宮だと、その何倍もの人が同時にパンパンとやっている。
ところで願掛けをやる時、参拝者が複数人いてもいいのだろうか。 神様なのだから、人の多い少ないは関係ないに決まっているとは思うが、何か複数人が同時にパンパンやると、御利益が減るような気がする。 これも人間の持つさもしい性なのだろうなぁ。 宗教戦争も教理だの何だのと小難しいことを言っているけど、案外、発端は人間の持つさもしさにあったのかもしれない。 人間はそこまで小難しい動物ではないんだから。
昨日の夜からすごい雨が降っていたが、そのせいで近くの川の水位がかなり上がっていた。 見慣れている川でも、普段より水かさが増していると不気味に感じる。 それもこれも決壊の記憶からくるのである。
最近はこのへんも治水が良くなったので、水害はなくなっているが、以前はしょっちゅう決壊していた。 水が引いたあとは、保健所が来てしきりに消毒薬を撒いていたものだ。 きれいな川ならともかくも、当時日本一汚い海と言われていた洞海湾に注ぎ込む川だから、当然汚かったはずだ。 そういう汚い川から溢れた水の中を、ぼくたちは裸足で駆け回っていたわけだ。 よく病気にならなかったものである。
さっきから「ドンドン」という太鼓を叩くような音が鳴っているようなのだが、これは何なのだろう? 上の方から聞こえてくるので、カミナリだとは思う。 だが、「ゴロゴロ」という聞き慣れた音ではないので、判断に迷っているのだ。 いくら7月に入ったからといって、こんな夜中に祇園太鼓の練習をしているとは考えられないし…。 天気予報でもカミナリのことを言っていたし…。
あっ、光った。 すでにパチンコ屋のネオンは消えているから、やはりカミナリでいいんだ。 しかし、何で素直にカミナリと認められないのだろう。 きっと、暴走族の騒音や、パチンコ屋の派手なネオンで、感覚が麻痺してしまっているからだと思う。 そういえば前にドライブに行った時、突然カミナリが鳴り出したことがあった。 その時もぼくは近くに暴走族がいると勘違いしていた。 しばらくしてから空が光り出したので、カミナリだったとわかったのだが、わかるまで警戒していたものだ。
ということで、カミナリが鳴ったからパソコンの電源を落とします。 では、また。
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