昨日の帰りのこと。 ぼくの前を、『井運送』と書いたトラックが走っていた。 「これ、いったい何と読むんだ?」 ぼくはずっとそれを考えていた。 単純に「“い”うんそう」でいいのだろうか。 それとも、北野井子のように、「しょう」と読むのだろうか。 もしくは「せい」と読むのだろうか。 おそらく創業者の姓からつけた社名だろうが、こういう読みがわかりづらい字は、ひらがなかカタカナで、もしくは他の名前、例えば『丼運送』にするとかしてもらいたいものだ。 この運送会社を電話帳で探す時、どの行で引いたらいいのかわからないではないか。 自分だけわかればいい、というものではない。 現代人は忙しいのだから、相手にわかれと言うのが無理な話である。 運送業とはいえ商売なのだから、読みやすく覚えやすいネーミングにしたほうが得だと思うのだが。
そういえば、この『井』という名前は、何年か前に仲間と佐賀県にドライブに行った時、頻繁に見かけた。 その時も、「あれは何と読むのか」と頭を悩ませていたものだ。 結局その時、その読み方を知っている人がいたので答が出たのだが、それが『しょう』だったのか『せい』だったのか、はたまた『い』だったのかは記憶が定かではない。 もし『い』だったら、日本の場合『さん』とか『くん』といった敬称をつけるわけだが、『いくん』『いさん』、実に言いにくい。
ところで、昔大分に行った時、昼食にうどん屋に入った。 メニューを見てみると、なんとそこに『井物』と書いてあるではないか。 もちろん『丼物』のことである。 その間違いが意図的なのか、それともミスプリントなのかは知らない。 『カツ丼』や『天丼』などは、ちゃんと『丼』になっていたのだが、その数ある『井物』の中の『親子丼』だけは『親子井』になっていた。 さて、実際こういう名前だったとして、店主はいったい何と読ませるのだろうか。 「すいませーん。『おやこい』下さい」なんだろうか。 それとも、「大将、『おやこしょう』一丁」なんだろうか。 ま、その頃のぼくは、『井』の音読みが『しょう』だとか『せい』だとか知らなかったので、ミスプリントだろうと思い、ふつうに「すいません、『おやこどんぶり』ください」と頼んだのだが、それでよかったのだろうか。
| 2004年09月29日(水) |
ガソリン高騰と渋滞の間には… |
台風21号の影響で大渋滞が予想されたため、今日はいつもより20分早い8時40分に家を出た。 最初は順調に走ったものの、途中からは予想通りの展開になった。 会社に着いたのが、いつもどおり9時25分だったから、45分かかったことになる。 だが、20分多く車に乗っていたことが苦痛だったわけではない。 普段は聞けないラジオ番組が聞けたり、タバコが2本吸えたりと、まずまず快適な時間を過ごしていた。
とはいえ、ひとつだけ気にかかることがあった。 それは燃費の問題である。 昨日ガソリンを入れたのだが、燃費が7キロを切っていたのだ。 今の車を買って以来、燃費は9〜10キロを維持していた。
昨年のことだった。 燃費が8キロを切って焦ったことがある。 ぼくは車のことに疎いので、そのへんのところを詳しい人に尋ねてみた。 その人は「オイル交換をしたか?」と聞いてきた。 そういえば1年近くオイル交換をやった記憶はない。 そこで、その人に頼んでオイル交換をしてもらった。 「これで万全」と、次の給油を楽しみにしていた。 ところが、次の給油の時に燃費を見てみると、若干は改善されたものの、あいかわらず8キロを切っている。 ぼくはすぐにその人に電話した。 「今日ガソリン入れたんやけど、あいかわらず燃費が悪いんよね」 「あんた、どこでガソリン入れようと?」 「×石油やけど」 「×石油?‥‥。ああ、あの安売りの」 「そうそう」 「だめだめ、そんなところで入れたら」 「え?」 「ちゃんとした所のガソリン入れんと、燃費だけじゃなく、エンジンも悪くなるよ」 「そうなん。じゃあ、どこで入れたらいいと?」 「おれは○町の○石油で入れようよ」 「ああ、○町の○石油か」 ○町なら、嫁さんの会社の近くである。 嫁さんを迎えに行ったついでに入れればいい。 ということで、それ以来そのスタンドで入れている。 もちろん、燃費は元に戻った。
ところが、今回はそれよりも1キロ近く下がっているのだ。 いろいろ原因を考えてみたが、思い当たる節がない。 オイル交換もやっているし、そのスタンド以外ではガソリンを入れていない。 考えられることと言えば、最近頻繁に起こる大渋滞である。 今日のような「ノロノロ→ストップ→ノロノロ→ストップ→」が、燃費悪化の大きな原因になっているのだ。 1リットル当りのガソリンの価格は、今年に入って10円上がり20円上がりした。 それに歩調を合わせるかのように、大渋滞が増えてきた。 昨年は、軽い渋滞はあったものの大渋滞は希で、月2,3度のことだった。 ところが、ガソリンが高騰しだした頃から、その大渋滞が増えていき、今では週に2,3度になっている。 もちろん、事故や台風などの影響もあるのだが、そんなに頻繁に起きるものではない。 「これは裏に何かある」
2本目のタバコを吸いながら、ぼくはそんなことを考えていた。
| 2004年09月28日(火) |
ホームページをやっていくのも、いろいろ大変だ |
先月から、ホームページの見直しをやっている。 現在、ぼくは3つのホームページを持っている。 ま、3つと言っても内容は同じなので、特に意味はない。 ただサーバー側が「使わせてやる」というから、「じゃあお願いします」と借りているだけなのだ。 当初はすべて同じホームページだったのだが、それでは面白くない。 そこで『しろげサイト』というのを始めた。 『頑張る40代!』のトップがゴチャゴチャしているので、シンプルなもの、というよりトップにタイトルしかないものを作ったのだ。 しかし、それも見慣れてくると面白くない。 ということで、今回の見直しと相成ったわけだ。
どんな見直しをしているかというと、ある所では日記サーバーをブログにしたり、ある所ではトップページを変更したり、またある所では両方を一度に変えたり、といったことをやっているのだ。 その中で一番大変なのが、日記サーバーをブログにする作業である。 何せ、3年半以上毎日つけている日記だから、その量たるや膨大ものがある。 しかも、ご苦労にも、その作業を二つのブログでやっているのだ。 つまり、7年分やっているということだ。 毎日の日記をひとつひとつブログに書き込んでいくのだが、日にちを間違えたり、カテゴリを間違えたりしないように神経細かくやっている。 間違えると、修正するために書き込み以上の時間がかかるためである。 そういうことに気を遣っているため、仕事の日は1ヶ月分を書き込むのがやっとである。 休みの日にまとめてやっても、3ヶ月分も書き込むと飽きてしまう。 そのため、どちらのブログもまだ未完成である。
トップページの変更も大変である。 トップをやり直すと、それに合わせて各コンテンツの色合いなどもやり直さなければならない。 エッセイなどは、それだけにとどまらない。 まとまりを持たせるために、文字の大きさなど一貫性を持たせなければならない。 そのために書き直しを余儀なくされることもある。 とはいえ、こちらのほうは何とかまとめ上げた。
ということで、しばらくしろげしんたのサイトは安定しませんが、大目に見て下さいませ。 ちなみに今一番安定しているサイトは、おなじみの、 http://beatles.to/shintaと、 新しく参入した、 http://shinta.livedoor.biz/home/でございます。
ところでこの二つのサーバー、上が楽天で、下がライブドアなんだよなあ…。
聞き手;10代と20代で一番変わったことは何ですか? しんた;人の目を気にしなくなったことですね。 10代の頃は、何か自分が特別な人のような気がしていたんですね。 ところが、20代に社会に出てみて、そうではないことがわかった。 何でわかったかというと、周りの人がみな「自分は特別だ」と思っていたからです(笑い)。 「なーんだ。みんな特別だと思っているのか。ということは、おれは特別じゃないやん」 そういうことがわかってから、急に人の目が気にならなくなった、というより気にする必要がなくなった、というわけです。
聞き手;20代と30代ではどうですか? しんた;そうですねえ。人目を気にしだしたことじゃないですか。 聞き手;えっ!?20代で人目が気にならなくなったって言ったじゃないですか。 しんた;ええ、言いましたよ。 聞き手;どういうことでしょうか? しんた;20代の頃に人目が気にならなくなったというのは、自分の能力に対してでした。 でも、人間それだけじゃないでしょ。 そう、肉体的なものもあるんです。 ぼくは20代後半から白髪が増えだしたんです。 最初はそれほど気にならなかったんですが、ある時横の方に白髪の固まりを見つけましてね、それから人目が気になりだしたんです。 聞き手;なるほど。 しんた;サイドの白髪というのは悲惨ですよ。 実におっさん臭く見えてしまう。 特に床屋に行った後がひどかった。 白髪というのは髪を切ると目立つんですね。 もう髪の毛のほとんどが白髪じゃないのか、と思ったくらいです。 しかも髪を切ると白髪ばかり立ってしまうんです。 聞き手;しかし、ハゲじゃないわけですから、そこまで気にしなくてもよかったのでは? しんた;そう思うでしょ?それが違うんですよ。 人はハゲも白髪も、同じく老化現象として捉えている。 何度も心ない人から「白髪じじい」なんて呼ばれましたよ。 自分より年上の人から、「おっさん」などと呼ばれたり…。 聞き手;何か白髪対策はされたのでしょうか? しんた;はい、やりました。 何とかならないものかと、いろいろ努力をしました。 きな粉ドリンクがいいと聞けば、きな粉ドリンクを飲む。 塩で頭を洗ったらいいと聞けば、塩で頭を洗う。 アロエがいいと聞けば、アロエを頭に塗りたくる。 が、結局どうにもなりませんでした。 そこで最後の手段『白髪染め』に走ったんです。 ところが、それがまた人目を気にする原因になりましてね。 どうも人の目が自分の頭を見ているような気がして、染めた直後であれば「染め残しがあったんじゃないか」とか、髪が伸びてくれば「根元の白さが目立ってきたんじゃないか」とか思ったりしてね。 まったく気の休まる暇がなかったですよ。
聞き手;では、30代と40代で変わったことと言えば? しんた;人目を気にしなくなったことです。 聞き手;・・・、また戻ったんですか? しんた;ええ。 聞き手;今度はどうされたんですか? しんた;白髪が気にならなくなったんです。 聞き手;ほう。 しんた;結局、最終的には染めるのをやめたんです。 聞き手;それはどうして? しんた;皮膚をやられましてねえ。 かさぶたが出来て、ひどい時はそこから出血までする。 また、染めてから2週間もたつと白髪が目立ってくるわけですが、染めてない頃は前と横だけにしかなかった白髪が、頭全体に広がっている。 「これはいかん」と思いやめたわけです。 やめてしまうということは、白髪を受け入れるということですから、その覚悟が必要になる。 覚悟が出来てしまうと、もう白髪のことなんて気にならない。 白髪が気にならなくなったので、自ずと人の目も気にならなくなった、ということです。
聞き手;今日は眠たい中、どうもありがとうございました。
| 2004年09月26日(日) |
ヒロミちゃん(今日もネタにさせてもらったぞの巻) |
9月に入ってからずっと面白くない。 毎日毎日面白くない。 何が面白くないのかと問われても、「これだ」と答えることは出来ない。 毎日そのメニューが違っているからだ。
過去の失敗が妙に引っかかる日もある。 それも、「何であんなことをやったのだろう?」という後悔ではなく、今ここにその過去があるような錯覚に陥り、その失敗がどうしても埋まらない、というもどかしさを感じているのだ。
ちょっとしたミスにこだわる日もある。 例えば今日、昨日の日記に誤記があったのを見つけたのだが、会社にいるため、それを書き直すことが出来ない。 ここは諦めて、家に帰ってから書き直せばいいものを、一生懸命、ケータイで書き直せないものかと悪あがきをやっている。 しかし、結局書き直すことは出来ない。 おかげで、イライラは募るわ、パケット代は遣うわで、さんざんな目にあってしまった。
今日はもう一つのイライラもあった。 それは、見たこともない『逃亡者』の予告編を見て、「いったい犯人は誰なんだろう?」と悩んでいたのだ。 もちろん見たことがないのだから、出演者もわからない。 それでも、一生懸命考えている。 ふと我に帰った時、「何で、こんなことを必死に考えているのだろうか?」と思ったものだった。
その見たこともないドラマの犯人捜しをやっている、バカな自分を見つけた時だった。 面白いことがやってきた。 先日この日記に書いたヒロミからメールが届いたのだ。 そのメールには、 『暇やけしんたさんのホームページ読んだよ(絵文字) ヒロミちゃんのコーナー笑えるけ、トモダチにも紹介したいんだけど、“ヒロミちゃん1”は誰にも見せられんやん(絵文字)』(原文一部修正) と書いてあった。
“ヒロミちゃん1”と言われても、何を書いたのか忘れてしまっている。 普段なら躊躇せずにケータイを見るのだが、日記修正に挑んだため、今日でパケットの限度額を超えたはずだ。 そこで、ぼくの日記を毎日読んでくれているパートさんに、事情を言って聞いてみた。 するとそのパートさんは、「そりゃそうやろうね。あれは見せられんやろう」と言う。 「おれ、何か書いとったかねえ?」と聞くと、「うんこの話よ」と言う。 そうか、あれは見せられないだろう。 ウソならともかく、本当のことなんだから。
その後、ヒロミと何度かメールのやりとりをしていたのだが、最後に『“ヒロミ1”をミサ(娘)といとこに読ませたら、爆笑でした』というメールが着た。 何とか言いながらも、ヒロミは読ませたのだ。 早く『トモダチ』にも読ませてもらいたいものだ。
| 2004年09月25日(土) |
ホークス松中は3冠王なんだぞ! |
暫定だからそうなのかは知らないが、今日のスポーツニュースや新聞を見てみると、ダイエーホークスの松中選手の扱いがやけに小さい。 会社でとっているスポニチを見ても、一面はオリックスバファローズの監督に仰木彬氏確実という記事、二面に昨日本拠地での最終戦を行った近鉄バファローズの記事で、三面は日本ハムファイターズ3位決定でプレイオフ出場、まだまだ松中は出てこない。 四面を開くとようやく松中の記事が載っていた。 しかし、それだけは左隅にちょっと載っているだけで、紙面を埋めつくしているわけではない。 その面のメインは、楽天参入の記事である。
おいおい3冠王だぞ、3冠王! 球界の歴史の中でも、まだ6人しか達成していない3冠王だぞ。 長嶋もイチローも松井(秀)も達成したことがない大記録なんだぞ。 まだスト代替試合の可能性もあるので、選挙で言うところの『当確』なわけなんだが、それを言うなら日ハムの3位だって暫定なんだから同じだろうが。 日ハムの3位が、3冠王より上を行っているとでも言うのか。 どちらが上を行っているか、そんなことはど素人でもわかることだ。 それをマスコミ業界の人たちはわからないらしい。
中には、「カブレラがフルシーズン出場していないから、価値のない記録だ」と思っている人もいるかもしれない。 それは、「イチローが抜けた後のパリーグの首位打者は価値がない」と言っているのと同じことだ。 「王が引退した後の、セリーグのホームラン王は価値がない」と言っているのと同じことだ。 選手たちは、過去や『たられば』と闘っているわけではない。 今、ここにある現実と闘っているのだ。
百歩譲って、まだ暫定だからニュースバリューがないとしよう。 では、これが決定となった時、マスコミ各社は「3冠王だ、3冠王だ」と言って騒ぐのだろうか。 ぼくは、そうはならないと思っている。 よくて今日程度の扱いだろう。 もしその前日にイチローが258安打を打ったとしたら、もしその前日に落合中日が優勝したとしたら、いよいよ松中の3冠王なんて載せる場所が無くなってしまうだろう。 だいたいマスコミというのは、セリーグ=メジャー>>パリーグであり、在京球団=在阪球団>>>地方球団という図式である。 この図式通りにやるから、3冠王よりも元在京球団日ハムの3位を優先してしまうという、トンチンカンな紙面構成になってしまうのだ。
今年の頭、ぼくは産経新聞東京本社に電話して、購読をやめる旨を伝えた。 先方が「どうしてやめるのか?」と聞くので、「昨年の日本シリーズの時の、ダイエーの扱いに不満を抱いたからだ」と答えた。 産経新聞は、数ある新聞の中でも一番好きな新聞である。 そういう好きな新聞をやめてしまうほど、昨年の阪神一辺倒の記事(阪神が負けてもそうだった)には頭に来たのだ。 試しに、昨日から今日にかけて産経webで松中の記事を探してみたのだが、松中の「ま」の字も載っていなかった。 球界再編成だの改革だの叫んでいるが、その前にマスコミ業界のその凝り固まった頭を改革しないかぎり、いつまでたってもパリーグや地方球団は日の目を見ることはないだろう。
【今週の日曜日のこと】 某大手都市銀行のカードを拾った。 いつものように電話をかけ、落とし主の名前とカード番号を言った。 「はい、わかりました。では、明後日火曜日に、北九州支社のほうから連絡させます。失礼ですがお名前は?」 「しろげしんたといいますが、あいにく火曜日は休みなもんで…。ああ、サービスカウンターに預けておきますんで、そこに繋いでもらってください。わかるようにしておきますから」 「はい、わかりました。では火曜日、御社のサービスカウンター宛に連絡させますので、それまで大切に保管しておいてください」 ぼくは拾ったキャッシュカードをサービスカウンターに持って行き、その旨をメモに書いて、そにいた人たちに説明をしておいた。
水曜日になった。 会社に行ってすぐに、店長が「昨日、しんたさん宛に某大手銀行から電話があったよ」と言った。 「あ、じゃあサービスカウンターに繋いでもらったんですね」 「えっ?先方は、サービスカウンターに繋いでとも何とも言わんかったよ」 「え、そうなんですか?」 「うん。『じゃあ、明日また電話しますから』と言って切ったけねえ」 「あれだけサービスカウンターに繋いでくれと言っておいたのに…」 しかたなく電話を待つことにした。
当然朝一番に電話がかかるものと思っていた。 ところが、昼近くになっても電話はかかってこない。 その日は朝から忙しかったので、『もしかしたら、いない時にかかってきたかも』と思い、サービスカウンターに行って、「電話、こちらにかからんかった?」と聞いてみた。 だが、かかってはなかった。 昼からは倉庫に籠もらなくてはならない。 そうなると、電話がかかってもわからない。 ということで、こちらから電話をかけることにした。
「もしもし、こちら○○店と言いますが…」 「はい、お世話になります」 「キャッシュカードを拾った件で、そちらから電話をもらうようになっていたんですが」 「ああ、しろげさんですね」 「はい」 「昨日はお休みだったでしょ?」 「はい、火曜日は休みだと最初から言ってありましたが…」 「そうなんですか」 「それで、サービスカウンターに連絡してくれと言っておいたんですがねえ」 「そうでしたか。それは聞いてませんでした。ははは」 横柄な物言いをする、感じの悪い男だった。
「で、カードの件なんですが、お客さんに連絡してみたんですがいらっしゃらないんですよ」 「そうですか。で、このカードはどうしたらいいんですか?」 「ああ、カードですねえ…。じゃあ、送ってもらいましょうか」 「え、送るんですか?」 「ええ、そうして下さい」 「送ると言ったって、書留か何かで送らないとまずいでしょ?」 「いや、カードのほうはロックをかけてますし、書留だと、そちらに負担がかかるでしょ?」 「普通郵便で送れということですか?」 「ええ」
無茶苦茶な銀行である。 『大切に保管しろ』と言ったくせに、送るのは『普通郵便』である。 その普通郵便も『書留だとそちらに負担がかかるから』という理由だ。 普通郵便だって負担がかかるのだ。 たかだか80円だが、それだってこちらの経費なのだ。
そこで、ぼくは「佐川急便とかじゃだめなんですか?」と聞いてみた。 着払いで送ってやろうと思ったのだ。 ところが彼は、「いや、普通郵便でいいですよ」と言う。 いったいどういう感覚をしているのだろう。 キャッシュカードのような大切な物の場合、先の郵便局のように、銀行のほう取りに来るのが普通である。
おそらくこの銀行の人たちも、どっぷりと大企業のぬるま湯につかっているのだろう。 つまり、『お客さん以外はみな業者』という感覚である。 彼のそういった感覚に、ぼくはかなりムカついたが、それを落とした人はきっと困っているはずだから、一刻も早く手元に届けてやろうと思い、先方の言うとおり普通郵便で送ることにした。 もちろん「腐っても大手銀行だから、きっと80円の切手を戻してくれる」という期待を込めてである。 まあ、送ってこなければ、ここでその銀行の名前を公表するだけのことだ。 今日でカードを送ってから2日目。 公表までのカウントダウンは、既に始まっている。
【先週のこと】 運転免許証を拾った。 警察に届けるのが筋なのだろうが、先に落とし主に電話をかけてみた。 幸い落とし主は、電話番号を電話帳に載せていたのですぐにわかった。 ところが不在だった。 ということは、交番に行かなければならない。 交番は手続きに手間取るので、あまり行きたくない。 そこで、交番に連絡をとり、免許証を取りに来てもらうことにした。 「はい、警察です」 「○○店ですが、運転免許証拾ったんですけど…」 「ああ、そうですか。では、最寄りの交番に届けておいてください」 「いや、それが出来ないから、こうやって電話しているんです」 「と言いますと?」 「職場を離れられないんです」 「ああ、なるほど。…はい、わかりました。では最寄りの交番に連絡して、すぐに行ってもらいますので」 「よろしくお願いします」 そう言って、ぼくは受話器を置いた。
しばらくして、警察官がやってきた。 そして通り一遍の質問があり、通り一遍の受け答えをしたあと、住所と名前と年齢を書き、謝礼放棄の欄にサインした。 謝礼などほしくはない。 また、落とした人に会うのも嫌だ。 とにかくぼくの知らない所で、ことが進んでほしいのだ。
すべて書き上げると、「では、先方に連絡して、ちゃんと渡しておきますから」と言って警察官は引き上げていった。 これですべてが終わりだ。 その晩には、そういうことがあったことすら忘れていた。
その翌日のこと。 その日ぼくは休みだった。 昼頃だったか、テレビを見ながらうつらうつらしていた時だった。 『プルルルル、プルルルル…』と電話の音が鳴った。 電話に出てみると、女性の声だった。 「あ、しろげしんたさんですか?」 「はい、そうですけど」 「昨日免許証を落としました、○○と言います」 「ああ、警察から電話があったんですね」 「ええ、さっそくもらいに行きました」 「それはよかったです」 「こんな世の中ですからねえ。ほんと、いい人に拾ってもらってよかった。で、何かお礼をしたいんですけど…」 「いや、そんなことしなくていいですよ」 「あ、そうだ。私、免許証を落とした店の隣にあるお菓子屋に勤めてるんです。今度あの店に行くようなことがあったら、うちの店にもお寄り下さい。その際『しろげです』と言ってもらったら、コーヒーをサービスさせてもらいますから」 「はあ。ではそうさせてもらいます」
もちろん行くつもりはない。 仮に行くことがあったとしても、「この間、免許証を拾ったしろげしんたです」などとは言わない。 目の前で人からお礼を言われるのは何とも恥ずかしいし、そういう それにそのお菓子屋さん、元々コーヒーはサービスなんだし。
【今年の5月のこと】 福岡銀行のキャッシュカードを拾った。 すぐに最寄りの福銀に電話をかけた。 「わざわざ電話していただいてありがとうございます」 と、まずは丁寧なお礼の言葉。 「そちらのお店にキャッシュディスペンサーがあるでしょ。そこの横に穴があると思うんですが」 「穴ですか?」 「はい。カードが入るくらいの」 「ちょっと待ってください。見てきますんで」 ・・・・・ 「ああ、ありました」 「お手数ですが、そちらのほうに入れておいてもらえませんか。すぐに取りに伺いますので」 「わかりました。入れておきます」 ということで終わった。
【7月のこと】 郵便貯金のキャッシュカードを拾った。 すぐに最寄りの郵便局に電話をかけた。 先方の応対は丁寧だった。 「すぐに係の者を伺わせますので」 ということで、係の者がすぐにやってきた。 それも二人。 「私、課長をやっております○○で、こちらが担当の××と言います。このたびは本当にありがとうございます。さっそくお客様と連絡を取りたいと思います」 民政化を見越しての応対なのかどうかは知らないが、実に丁重で、かといって嫌みもなかった。 しかも、謝礼までいただいてしまった。 「これ、つまらないものですけど」と言って、課長さんはぼくに包みを手渡した。 「えっ?いや、こんなことしていただかなくてもいいですよ。これも仕事のうちなんですから」とぼくが返そうとすると、「いやいや、いろいろご親切にしていただいたんですから」と言って受け取ろうとしない。 仕方がないのでもらっておいた。 『本当にこんな物入らないのに…』 それは『簡保』勧誘用のサランラップだった。
『大人げない』という言葉がある。 いったいこれは何を基準にしているのだろう。 先日のチェッカーズの事件。 「フミヤ一派は高杢と鶴久を、クロベエを送る会の発起人に入れてやらなかった」 「フミヤは高杢と目を合わそうとしなかった」 「フミヤ一派は、高杢たちに、入院しているクロベエを見舞わせなかった」等々。 この事件を受けて、一斉にコメンテーターたちはフミヤ一派に対し『大人げない』という声を上げた。 しかし、こういうことは大人の世界でも、よくあることである。 コメンテーターたちは、そういうことを踏まえてこの発言をしたのだろうか? もしそうなら、彼らの言う「大人」というのは、聖人君子である。 よっぽどいい世界に住んでいる人たちなんだろう。
さて、あの場面、仮にフミヤ一派が高杢と鶴久を発起人に入れたとしよう。 そこにいる来賓たちは、彼らの引きつった笑顔と、張りつめた空気と、白々しさと、その場の不自然さを感じとることになるだろう。 会の終了後、フミヤ一派と高杢たちは、目を合わせることも言葉を交わすこともなく、その場を去っていく。 彼らの胸に残るものといえば、友情ではなく、忘れようとしたはずの確執である。 「こんな思いをするくらいなら、もう二度とあんな奴らと会うもんか」 と、帰る道々思うに違いない。 そして、永遠に修復されることがないだろう。
それにしても、高杢たちへのインタビューは、どうしてあんなセットの中でやるのだろうか。 あれはどう見ても、追悼番組のような雰囲気のセットであった。 まあ、背景にクロベエの死というのがあることはあるが、インタビューの内容は追悼とはかけ離れた、まったく異質のものだった。 内容が内容だけに、明るいセットを望むのは無理だろうが、もう少しどうにかならなかったのだろうか。 そういうセットの中でやるもんだから、高杢が、沖雅也に死なれた時の日景忠男や、サッチー事件の時、必死に野村監督に「克ちゃん、戻ってこい」と呼びかけていた元マネージャーの杉浦さんとダブって、ぼくには見えた。
しかし、高杢は、いったい何を訴えていたのだろうか。 「もう一度、グループでやろう」と言っていたわけでも、「関係を修復したい」と言っていたわけでもない。 さらに、「発起人のメンバーに入れなかったから、賠償金よこせ」と言っていたわけでもない。 「あいつがこう言った」、「こういう仕打ちをされた」ばかりで、どう聞いてもグチにしか聞こえなかった。 いちおう鶴久はチェッカーズバッチなるものを出してきて、「これを見て、あのころを思い起こせ」と言ってはいた。 が、思い起こしたところでどうなるものではない。 やはりこれもグチである。 フミヤ一派に対して『大人げない』と言うのなら、グチばかりこぼしている高杢たちも『大人げない』のではないだろうか。
まあ、こういうどこの世界でもあるようなどうでもいいことことを、ことさら大問題のように取り上げ、コメンテーターに『大人げない』と言わせているマスコミ自体が、一番『大人げない』と思えるのだが。 ああ、そうだった。 そういう番組を必死に見ていたぼくが一番『大人げない』のか。
ぼくは、自分が大人だという意識をあまり持っていない。 これは、別にぼくが大人になりきれてないということではない。 ある時期に大人であることを捨てた結果なのだ。 なぜ大人を捨てたかというと、単に疲れるからだ。 過去、大人になろうと背伸びしている後輩を何人も見てきたのだが、彼らは一様に滑稽で、かつ見苦しかった。 そういうのを見て、すでに大人であった自分がむなしく思えるようになったのだ。
大人を捨てた背景には、いちおう思想的なものもある。 上座仏典のひとつである『法句経』がそれである。 この経は、別名『真理の言葉』とも呼ばれている。 そこには自分を律する言葉が、数多く書かれていて、それだけを見るとまさに道徳本なのだ。 だが、その要旨はそこにあるのではない。 『無邪気であれ』ということである。 『無邪気』とは、つまり『子供のように邪気が無い』ということ。 そこをぼくは重く見た。 そこで「じゃあ、子供に帰ってやろうじゃないか」ということになって、大人であることを捨てることにしたのだ。
しかし大人を捨てるというのは難しい。 それまでの人生がすべて大人になるための勉強だったわけだから、そういうものを捨て去るとなれば、かなりの気力が必要となるし、かなりの時間が必要となる。 なぜ気力や時間が必要かと言えば、それまでの教育で、大人というもののをかなり刷り込まれているため、何事も大人の感覚で処理しようとしてしまう。 だから、大人に流されないための気力や、その気力を養うための時間が必要となってくるのだ。 そのため、気持ちの中ではすでに大人はないつもりなのだが、いまだ充分に大人を捨てきれていない部分はある。
さて、大人を捨てようと決めてからしばらくすると、いろいろなバカな大人がいることがわかってきた。 「対面ばかり気にして、自分の足下が見えていないバカ」 「温厚さを売り物にしているのものの、その短気さが顔に出ているバカ」 「人を傷つけまいとして、傷つけているバカ」 「相手に合わせて笑ってはいるが、変に笑顔が引きつっているバカ」 「それほど年をとっているわけでもないのに、妙に年寄り臭いことを言うバカ」 かと思えば、「若者に媚びて、若者の仲間でいようとしているバカ」までいる。 バカ、バカ、バカ、世の中バカのオンパレードだ。 実に不自然なのだ。 しかもこのバカたちは、自分がバカだという自覚がないから始末に負えない。 そのへんを指摘すると、名誉毀損だ、何だと言って、すぐに法に訴えようとするバカ。 こんな大人にはなりたくないものだ。 いや、こんな大人ばかりだから、ぼくは大人を捨てたのだ。
ショートメールの送り主はヒロミだった。 どうして音信不通だった嫁さんの携帯番号がわかったのかというと、7月の参院選の時、嫁さんに「公○党をお願いします」と電話をかけてきた嫁さんの同級生がヒロミに教えたからだった。
嫁さんとヒロミは、かなり長い時間電話で話していた。 途中嫁さんがぼくに「代わろう」と言ってきたが、遠慮しておいた。 照れとかではなく、ぼくに代わると話が長くなるからだ。 嫁さんが電話を切った後、今度はぼくの携帯にショートメールが入った。 ヒロミだった。 メールアドレスを教えろと言ってきたのだ。 別に断る理由もなかったので、「ここだ」と書いてメールを送った。
それからだった。 毎日少ない時で2,3回、多い時は10回以上、メールが送ってくるようになったのだ。 それも写真入りで。 その写真というのは、ヒロミの身内の写真に落書きしたものだったり、ヒロミが今パートで働いている会社にいる人だったり、家に飾ってあるグッズだったりする。 あいかわらず、ヒロミは自分の世界で生きている。 例えば、ヒロミの会社に勤めている人なんて、ぼくはまったく知らないのだ。 それも特徴のある人ならともかく、普通のおばさんがボーリングしている写真とか、糖尿持ちが飲み会で歌っている写真なのだ。 また、家に飾ってあるグッズと言っても、送ってくるのは自分の気に入らない物の写真ばかりなのだ。 一度、変な壁掛けの写真を送ってきたのだが、写真の横には『済州島のお土産もらったけど、いらないから しんたさんに見せます!』と書いてあった。
とはいえ、ぼくも送られっぱなしではない。 ちゃんと、それ相応の写真を送っている。 汚れたコルゲンのカエル人形だとか、2年前の飴が入ったままの『なっちゃん』の容器だとか、食べかけの弁当だとかである。 一度、バッタの写真を送ったことがある。 その時、ヒロミは何を思ったか、『カマキリ君』というタイトルのメールを送ってきた。 メールを見ると、ぼくが送った写真に「カマキリ♪♪♪」などと落書きしている。 「ああ、こいつバッタをカマキリと勘違いしたんだ」と思ったぼくは、ひと言「バッタだ」と書いて送ってやった。 なぜかそれがヒロミに大ウケしたらしく、そのメールを笑いながら娘に見せたらしい。 もちろん娘は何のことかわからない。 「これのどこがおかしいと?」と聞いたらしい。 するとヒロミは、「これはねえ。ママとしんたさんにしかわからんギャグなんよ」と言ったという。
話は元に戻る。 台風18号の日、嫁さんはヒロミに電話をかけた。 その電話の中で、ここまで書いたような話が出てきたわけだ。 その日も嫁さんとヒロミは、結構長い時間話していた。 そこでぼくは、嫁さんが変な格好で電話しているところや、熱弁している嫁さんの表情を撮り、ヒロミに送っておいた。 あとから写真付きの返事が着たのは言うまでもない。
さて今日のこと。 ヒロミからまたメールが届いた。 そこには犬の写真が貼ってあり、『最近実家で飼った犬』と書いてあった。 そこでぼくは、風呂から上がったばかりの嫁さんを撮り、『最近うちで飼ったブタ』と書いて送った。 先ほど、その返事がきた。 そこには、「まだ真夏の格好やん」と書いてあった。
さて、ヒロミが辞めてからこちら、会ったのは1,2度しかない。 一度目はヒロミが子供を産んでからすぐの頃だった。 子供を見せに会社にやってきたのだ。 どうも自分の子が気に入らないらしく、「かわいくない、かわいくない」を連発していた。 「ね、しんたさん。私に似てないやろ?」 「そうかのう。目元は似とるんやないんか」 「そんなことないっちゃ。この子旦那似なんよ。全然かわいくないっちゃね」 「まあ、そのうち似てくるやろ」 「似てくるわけないやん。じゃあ、帰るけ」 そう言ってさっさと帰って行った。 滞在時間は3分ほどだった。
もう一度は、今から10年ほど前、今の会社に移ってからのことだった。 ある日のこと、前の会社の後輩がやってきた。 何でも今度結婚するらしく、ぼくに「披露宴に出席してくれ」と頼みにきたのだ。 そこで、「おまえ、前はヒロミと同じ売場やったろ。ヒロミは呼んだんか?」と尋ねてみた。 後輩は「もちろんです。ちゃんと呼んでます」と言った。 そして当日、ぼくたち夫婦と久々の対面となったわけだ。 もちろん同じテーブルだったので、いろいろな思い出話に花が咲いた。 その中で、一番多く名前が出たのが、オータグロだった。
その後、ヒロミとは音信不通になってしまった。 最初はぼくたち夫婦間でも、ヒロミのことが話題になっていたが、それもそのうちなくなってしまった。
先月のこと、嫁さんの携帯にショートメールが入った。 文面には『お元気ですか(絵文字)』と書いてあった。 嫁さんは「誰やろうか。この電話番号に心当たりがない」と言う。 ぼくが「電話してみたら」と言うと、「いやよ。知らん人やったら困るやん」と言う。 そこでこちらから、『誰ですか?』と書いたショートメールを送ることにした。 それからしばらくして、嫁さんの携帯が鳴った。 嫁さんが、着信番号を見てみると、先ほどのショートメールと同じ番号だった。 嫁さんは「気味が悪い」と言って出ようとしない。 「出れ。変なやつやったら代わってやるけ」 ぼくがそう言うと、嫁さんは恐る恐る電話に出た。 「もしもし」 「・・・」 「はい、そうですけど…」 「・・・」 「いえ、違います」 「・・・」 「えっ、ヒロミ!?」
ヒロミがぼくの部下になったのは、昭和61年9月のことだった。 店の改装でヒロミの売場がぼくの部門の隣になり、ぼくがいっしょにその部門を見ることになったのである。 翌年の2月にヒロミは寿退社するので、ぼくの部下だった期間は約半年だったことになる。
その頃、クレジット会社からオータグロという新入社員が派遣されていた。 気障な感じの男だった。 いつも暇をもてあまして、仕事もせずに店内をブラついていた。 そのブラつく姿が変だった。 何かリズムをとっているのか、体を左右に振り、指パッチンをしながら歩いているのだ。 ぼくがそれを見て「あの歩き方が悔しいのう」とヒロミに言うと、ヒロミは「そうやろ。あいつ変やろ」と言った。 「あいつをブラつかせんようにせないけん」 「そうやねえ」 「どうしようかのう」 「何かギャフンと言わせたいねえ」 いろいろと考えたあげく、電話作戦を採ることにした。
作戦とはいうものの、大したことをやったわけではない。 オータグロが持ち場を離れた時に、オータグロのカウンターに電話をかけるだけである。 そして受話器を取った時に切るのだ。 ばれると困るので、あらかじめこちらの電話はカウンターの中に入れておいた。 そして、ぼくもヒロミもオータグロからよく見える位置に立ち、他のことをやっているふりをする。 どちらかの指が、電話機のボタンを押していた。 何度もやるとばれるので、当初は日に3度までにとどめることにしていた。 だが、その慌てぶりがおかしかったので、その後だんだんエスカレートしていき、何度もやることになる。 そのうちオータグロは警戒して、持ち場を離れないようになった。
「しんたさん、最近オータグロ、持ち場を離れんようになったねえ」 「そうっちゃ。面白くないのう」 「また何かしたいねえ」 「おう」 ぼくたちは次の作戦を練った。 そしてとった作戦は、友だち作戦だった。 とりあえずオータグロと仲良くなり、こちらに遊びに来させるようにするのだ。 「オータグロくーん」 「はーい」 これを何度かやっているうちに、こちらに対して警戒心を持たなくなる。 そこで電話作戦を再開する。というものだった。 もちろん何度もやっているとばれるので、今回はほどほどにしておくことにした。
案の定、オータグロはこの作戦に引っかかった。 しかし、そのうちオータグロも気がついたのか、すぐに電話には出ないようになった。 そこでぼくが、「この間オータグロ君がおらん時に電話が鳴りよったんよ。出らんと悪いけ、とってみたらお客さんからやった。『何で、すぐに出らんのか』とえらい剣幕で怒られたんよ」と言った。 するとヒロミも、間をおかずに「そうそう。わたしも電話とったことあるんやけど、同じこと言われたよ」と言った。 それが効いたのか、オータグロはまた慌てて電話まで走ることになった。
ヒロミがぼくの配下になる前にいた部門でのこと。 仕事中、暇になると、ヒロミは決まってぼくの嫁さんに内線電話をかけていた。 ある日の午前中、いつもようにヒロミから嫁さんに電話がかかった。 『今日は何だろう?』と受話器を取ると、何の前置きもなく「悲しいことがあったんよ。帰るね」と言うだけ言って電話を切ったらしい。 心配した嫁さんがヒロミの売場に電話をしてみると、「悲しいこと…」の電話をかけた後、さっさと早退したという。 何があったのかとその売場の人に聞いてみると、どうもそこの主任が転勤するらしい。 家庭内で何があったわけではないので、帰った原因はそのことだと思われる。 しかし、上司の転勤は確かに彼女にとっては悲しいことかもしれないが、別に早退するほどのことはないだろう。 もしかしたらヒロミは、昔から悲しいことがあれば、早退する人間だったのかもしれない。
その頃はよくカラオケスナックに行っていたものだ。 何かにかこつけては、すぐに飲みに行く。 そのメンバーの中に、いつもヒロミはいた。 彼女は歌がうまかった。 が、一曲通して歌うことは希だった。 1番を歌い終わると、「はい、○○さん。2番歌って」などと言い、マイクを渡す。 マイクを渡されたほうが歌っている最中、ヒロミはその歌を聴くこともせずに、次の歌を探していた。 その歌が終わった時には、もう次の曲が入っている。 もちろんヒロミが入れたのだ。 そしてまた1番だけ歌って、次の曲を探していた。
ヒロミが、小林明子の『恋におちて〜Fall In Love〜』を歌った時のことだった。 うちの嫁さんに「いっしょに歌おうか」と言って誘った。 嫁さんが「いいよ」と言うと、ヒロミは「じゃあ私が1番歌うけ、あんた2番ね」と言った。 2番は英語である。 つまり自分は日本語の部分を歌い、嫁さんには英語の部分を歌わせてたわけである。 うちの嫁さんは、ぼくと同じく英語がだめなので、戸惑っているうちに曲は終わってしまった。 もちろん、すぐに次の曲が始まったのは言うまでもない。
さて、そういうヒロミといっしょに仕事をしていて面白かったのは、ヒロミはその美貌のせいか、小学生や中学生の男子を手なづけることがうまく、すぐに子分にしていたことだ。 子分にして何をしていたかというと、使い走りをさせていたのである。 ある時、小学生の子分がやってきた。 ヒロミはその子に「ねえねえ、角のスーパーに行って、158円のアーモンドグリコ買ってきてくれん?」と頼んでいた。 子分が嫌そうな顔をしたので、ヒロミは「ちゃんと、お釣りやるけ」と言った。 子分は「それならいいよ」と言う。 ヒロミは財布を開いて、子分に小銭を手渡した。 160円だった。 子分はそれを見て、「えっ!?」と言った。 ヒロミは何食わぬ顔で、「お願いね。お釣りはいらんけ」と言った。 子分は渋々買いに行った。 ヒロミには、そういうちゃっかりした面もあった。
先週の火曜日、つまり台風18号が吹き荒れていた日のこと。 その日の日記に、家から一歩も出ずに退屈な時間を送っていた、ということを書いた。 物干し竿が乱舞していた午前中はともかく、午後からは本当に暇だった。 そこで、嫁さんに「なんか面白いことないか?」と聞いてみた。 休みの日は、一度は外に出ないと気がすまない嫁さんだから、きっと「思いつかん」と答えるだろうと思っていた。 ところが嫁さん、とっておきの企画をぼくに披露した。 それは、 「ヒロミに電話してみようや」 だった。
ヒロミとは嫁さんの高校時代の同級生である。 それと同時に、ぼくの元部下である。 顔立ちがよく且つ長身で、かなり目立つ女性だった。 当然上司からの受けもよく、たいがいのわがままを許してもらっていた。 決して、職場の華的な内輪美人ではない。 おそらくその美貌は全国的にも通用するだろう。 その証拠に、テレビにも出たことがある。 街を歩いている時に、突然レポーターから声をかけられたのだ。 その時の企画は『街角美人』だった。 それだけでも、職場によくいる『内輪美人』でないことがおわかりいただけるだろう。
ぼくが生まれてから今まで出会った女性の中でも、1,2位にランクされる美女である。 しかし、ぼくはヒロミを素直に美女とは認めているわけではない。 彼女を「美女」と呼ぶには、ひとつの前提が必要となるからだ。 つまりその前提条件を満たした時、初めてヒロミは美女となるのだ。 その条件とは何か? それは「しゃべらなければ」ということである。 実はヒロミは、かなりの変わり者なのだ。 口を開くとおかしなことばかり言っている。 ぼくが生まれてから今までであった女性の中でも、1,2位にランクされる変わり者である。
ぼくの部門にいた頃の話である。 仕事中のことだった。 「しんたさん、トイレ行ってくるけ」と言うので、「ああ」と返事をすると「うんこやけねえ、長いよ」と言う。 それからいっときして帰ってきたのだが、帰って来るなり「ねえねえ、しんたさん。今ね、うんこが出かかっとたんよ。そしたらね、掃除のおばちゃんがトイレに入ってきたっちゃ」と言った。 「それがどうかしたんか?」 「そしたらね。途中まで出とったうんこが引っ込んだんよ。ああ、気持ち悪い」 気持ち悪いのはこちらである。 飯前なのに、うんこが出たり入ったりするのを想像してしまったじゃないか。 それ以前に、職場でする会話ではない。
今日は休みだった。 9月に入ってから、休みといえば、嫁さんを会社まで送っていく、車庫証明の手続きのために警察に行く、雨の中床屋に行くなど、朝はいろいろな野暮用のため、ゆっくり寝ることが出来なかった。 今日が今月最初のゆっくり寝る休みとなるはずだった。
7時頃、一度目トイレに起きた。 いつもなら、ここでパソコンの前に座り、前日の日記の更新を始めるのだが、今日はゆっくり寝ると決めていたので、それは後回しにして、また目を閉じた。
「10時まで寝るか」 レム睡眠のさなか、そんなことを考えていた。 ところが午前9時頃だったか、突然音楽が聞こえ始めたのだ。 ガンガン聞こえてくる。 「何だろう?」と起きあがり、外を見て音の鳴る方向を確かめた。 ぼくの住むマンションの向かいに、ぼくが通った保育園があるのだが、どうもそこから音が出ているようだ。 しばらくその音を聞いていたのだが、その音楽からすると運動会のようだ。 保育園の場合、平日に運動会をすることはないので、おそらく小運動会でもやっているのだろう。
午前中、ずっと音はやまなかった。 童謡メドレーがかかり、鼓笛隊のへたくそなリズムが響き、お遊戯の歌がなる。 そういうお決まりの音楽がなったかと思うと、なぜか『マツケンサンバ�供戮覆鵑�が鳴り出した。 この歌で、いったい何をやっているのだろうか? まさか園児全員があの金ぴかの衣装を着て、流し目でポーズを決めているとは思えないが。 もしそれをやっているとしたら、見に行きたい気もする。
おかげで、午前中はゆっくり寝ることが出来なかった。 午後、昼食タイムに入ったのか、その音が鳴りやんだ。 そこで、ちょっと昼寝でもしようと思った。 ところがその時、実家から電話が入った。 昼飯を多めに作ったとかで、「食べに来い」と言うのだ。 そういえば、朝から何も食べていない。 ということで、嫁さんと二人で実家に行った。
食事をすませた後、急に眠たくなった。 家に帰っても、小運動会が続いているはずだから、ゆっくり寝ることは出来ない。 「じゃあ、ここで昼寝しよう」ということになり、しばらく横になることにした。 ところがである。 その時、また運動会の音楽が鳴りだした。 一瞬、「家に戻ったんだったか?」と思ったが、ここは実家である。 寝ぼけた頭で、考えてみた。 「あ、そうだった!実家の隣は幼稚園だった」 ここでも運動会の練習をやっていたのだ。
結局、昼寝をすることも出来なかった。 いったいいつになったら、ゆっくり寝ることが出来るのだろう。 早く運動会が終わってくれんかなあ。
ところが、そのホースはみな、短かった。 何度も言うようだが、ひさしは高い位置にあるのだ。 そこに短いホースをつけ水を流すということは、雨が降るのと同じことである。 案の定、その水は雨のように降ってきた。 しかも勢いがついているから、地面で跳ね返り、店の中に入ってきた。 おかげで玄関の床はびしょ濡れである。 外にいる部長たちは、そんなこと知ったことではない。 ぼくたちが、浸水した玄関を掃除しながら、「水の向きを変えてくださーい」と言っても、「そんなの無理だー」と言い返してくる。 「店の中に入って来てるんですよー」 「じゃあ、もっと長いホース用意したらー?」 頭に来る。 彼らは、ひさしから水を抜けばそれで終わり、ということなのだろう。
仕方なく、ぼくは売場に走り、売り物の長いホースを用意してきた。 そして、水が出ているホースにつなごうとした。 ところが、径が合わないのか、うまく入らない。 何度やっても同じである。 そこで、水の出ている方のホースの先を強くつまみ、無理矢理売り物のホースの中に突っ込もうとした。 その時、つまんだ先から水が勢いよく出てきて、ぼくの下半身を濡らした。 おかげでズボンと靴の中がびっしょりになってしまった。 しかし、ここでやめるわけにはいかない。 この作業を何度か繰り返した末、ようやくホースをつなぐことが出来た。
垂れ流し状態のホースはそれだけではなかった。 まだやっかいなのがあった。 そのホースは短すぎて、脚立に上らないと手が届かない。 なにせ高い位置にあるものだから、脚立は通常の『A』のままでは届かない。 まっすぐ伸ばし『/』の状態で、壁に立てかけて使わなければらないのだ。 これがフワフワして、気味が悪い。 しかも、ホースをつなぐ時には脚立から手を離さなければならない。 その恐怖心とぼくの持って生まれた不器用さが、次の水難を呼んだ。 延長用のホースを持っていないほうの手で、水の出ているホースを先端をつかもうとしたのだが、暴れているためにうまくつかめない。 そこでホースの中程をつかんだ。 ところがそこをつかんだ瞬間、先端がぼくの方を向いたのだ。 水がぼくの目をめがけて飛んできた。 慌てて下を向いたのだが、そのせいで頭からさんざん水を浴びてしまった。 その後何度も水を浴びながら、四苦八苦してようやくホースをつないだ。 脚立から降りた時には、もう全身びしょぬれになっていた。
さっそく休憩室に行き、タオルで頭を拭いた。 タオルには、無数のゴミがついていた。 汚い水だったのだ。 衣服のほうは、前日のようにエアコンで乾かすことにした。 乾くまでにかなり時間がかかったため、かなり長い時間、鳥肌が立っていた。 問題は靴の中だった。 いちおうドライヤーで乾かしたのだが、充分に乾ききってなかったのだろう。 家に帰って靴を脱いだ時、何とも言えぬにおいがぼくの鼻を突いたのだった。 靴の中は、今も若干の臭いが残っているような気がする。
昨日は早出だった。 土曜日ということもあり、あまり時間を気にせずに家を出たのだが、それが間違いだった。 平日並みに道路は渋滞しており、会社に着いたのは定時ギリギリになってしまった。 会社の敷地内に入ると、正面玄関のところに人が集まっている。 そこには店長以下お歴々がいるではないか。 「こりゃやばいな」と慌てて車を駐車場に入れ、社内に駆け込んだ。 セーフだった。
着替えをすませ店に出てみると、なぜかみんなソワソワしている。 一人のパートさんを捕まえて、「どうしたと?」と聞いてみた。 するとパートさんは、「今、正面玄関のところが大変なことになってるんよ」と言う。 『ああ、それでみんな正面玄関に集まっていたわけか』 さっそく正面玄関に行ってみた。 そこには店長以下お歴々の他、本社の部長や課長もいた。 「どうしたんですか?」と、そこにいた顔見知りの課長に聞いてみると、「玄関のひさしに水がたまって、その重みで、ほら」と課長はひさしの隅を指さした。 そこを見てみると、何とひさしが外れかかっているではないか。 「どうも台風のせいで排水溝が詰まったみたい」と課長は言った。
しかし「ひさしの上に水がたまる」ということがあるんだろうか? そこでぼくは、階段を駆け上っていき、ひさしの上を覗いてみた。 なるほど、ひさしの上は深さ20センチほどのプールになっていて、そこに水が満タンにたまっている。 ひさしの幅は3メートルほど、奥行きが1メートルほどあるから、そこに水が満タンにたまると、600リットルである。 つまり600Kgの重さがひさしの上に乗っているのである。 これでは持ちきらんだろう。
業者を呼んだらしいが、あいにく土曜日なので休みである。 そこを曲げて頼み込み、何とか来てもらうようになったらしい。 が、いつ来るのかがわからない。 そのままにしておくと大変危険である。 とりあえず業者が来るまで水を少しでも減らしておこう、ということになり、部長が陣頭指揮をとり、排水作業をやることになった。 ひさしゆえにけっこう高い位置についている。 一番オーソドックスな方法は、バケツで水を汲み出す方法だが、バケツを持って脚立を上り下りしなければならないから、危険である。 しかも効率が悪いときている。
そこで、ひさしの上にホースを取り付け、そのホースから水を吸い出すという理科の実験みたいなことをやることにした。 まず、ホースを準備しなければならない。 が、1本2本で吸い上げたくらいでは出る量も限られる。 そこで、3本用意しろということになった。 が、会社に常備してあるホースは、1本しかない。 部長が切れて、「他にはないんか?」と神経質な声を張り上げた。 仕方なく、トイレのホースと洗濯機のホースを使うことにした。
今日も床屋がらみの話である。
毎年この時期、仕事でない時はバミューダをはいている。 別に「夏を惜しんで」というような感傷的なものではなく、例年はまだまだ残暑が厳しいということである。 昨日も慣例どおり、バミューダをはいて床屋に行こうと思っていた。 しかし、朝方雨が降っていたせいか、かなり寒かった。 8時を過ぎても雨が残っていた。 「今日はバミューダだと寒いかなあ」 そう思って、慣例を破りジーンズで行くことにした。
外に出ると、予想どおり涼しい。 ここまではジーンズで正解だったわけだ。 が、結果的には裏目に出ることになる。
実はぼくが家を出る時、雨はやんでいた。 空も明るくなっていたので、「このぶんだと傘を持って行く必要もないだろう」と思い、手ぶらで家を出た。 ところが、1,2分後に雨がパラつきだし、3,4後には本降りになってしまった。 9時に間に合わないと困るので、傘を取りに引き返すことはせずに先を急ぐことにしたのだが、なぜか歩きにくい。 ジーンズのせいである。 ジーンズが雨水を吸って、重たくなっているのだ。 雨は床屋に近づくにつれ強くなっていく。 足は床屋に近づくにつれ重くなっていく。 ようやく床屋に着いた時には、シャワーを浴びた後のようにびっしょりになっていた。
ぼくの行く床屋は年寄り客が多いので、早い時期からストーブを出しているのだが、さすがにこの時期にはまだ出していない。 それどころか、暑くもないのに冷房を入れているくらいだ。 ぼくの姿を見かねた床屋の姉ちゃんが、タオルを貸してくれたので、頭からしたたり落ちる水には対処できた。 が、問題はジーンズである。 地が厚いためになかなか乾かない。 そのうちぼくの番がやってきた。 濡れたままイズに座った。
イスはエアコンの真ん前だった。 一瞬凍ってしまうんじゃないかと思ったほど冷たかった。 姉ちゃんが「クーラー、とめようか?」と言ってくれたが、断った。 何せエアコンである。 冷たいながらも、ちゃんと除湿をしてくれる。 寒いながらも、だんだんジーンズが乾いてくるのがわかった。 そのうち、ジーンズのことが気にならなくなり、ぼくは安眠した。 散髪が終わる頃、あれだけ濡れていたジーンズは、ほとんど乾いていた。
床屋を出る時には雨も上がっていた。 ところがである。 3,4分歩いたところで、また雨が降り出した。 まあ、今度は帰りだったので、「家に帰ってシャワーを浴びればいいや」くらいの感覚だった。 が、それにしても寒かった。 家に着いた時には、鳥肌が立っていた。
今日は火曜日に行けなかった床屋に行った。 前回行ったのが7月の初旬だから、ひと夏髪を切っていなかったことになる。 先月末ぐらいから、ちょっと動くとすぐに頭が蒸れてしまい、痒くてしかたなかった。 その頃から髪を切りたいと思っていたのだが、いろいろ所用が入り、今日まで行けなかったわけだ。。
今日もいつものように朝8時50分に家を出た。 仕事でもないのに、どうしてそんなに早く家を出るのかというと、ぼくが通っている床屋は姉ちゃん一人でやっているため、誰よりも早く行かないと、先客が一人でもいれば約1時間半は待たされることになる。それが嫌だからだ。 そこで今日も開店の9時に間に合うように家を出たわけだ。
うちの近くには、その床屋に行く途中に2軒、他の道筋に2軒、計4軒のの床屋がある。 わざわざ姉ちゃん一人でやっているところに行かなくてもよさそうなものだが、いつも浮気せずに7,8分歩いてしまう。 理由としては、中学の頃から通っているから、というのもある。 が、そういうことよりも、慣れたところなので髪型の説明をしなくていいからだ。 床屋に行って一番嫌なのが、「どういう髪型にされますか?」と聞かれることである。 ぼくの場合、額のすぐ上につむじがあるので、普通の髪型ではだめなのだ。 まず、それを言ってから、髪型の説明をしなければならない。 それが面倒なのである。 前に何度か他の床屋に行ったことがあるが、いちおう説明したものの、どんな髪型になるのか心配で眠ることが出来なかった。 ぼくにとっての床屋は安眠の場所なのであるから、眠られないとなると、もうそこは床屋とは呼べない。 ということで、慣れたところが一番、ということになる。
さて、9時に床屋に着いた。 ところがである。 今日は何と先客がいたのだ。 「ああ、1時間半待ちか」 しかたないと思い、マンガを読むことにした。 ところが10分ほどして、「お待たせしました」という声がした。 「えっ?」と見上げると、先客は立ち上がり、帰る準備をしていた。 マンガを読んでいて気がつかなかったが、ぼくが床屋に行ってからすぐに髪を洗う音がしていた。 ということは、ぼくが行った時には、すでにその客の散髪は終わっていたことになる。 つまり、そのお客は8時にはすでに来ていたのだ。 そこまで早く行かないと一番客にはなれないということか。 そういえば、前回も一番客を逃している。 だんだん一番客争いが、熾烈になってきたようである。 次回はもっと早く家を出なければ。
そうこうしているうちに昼になった。 買い出しに行けないため、昼飯は「あるものですまそう」ということになった。 そこで「あるもの」を探してみた。 が、そこにあったのは、悲しいかなインスタントラーメンだけだった。 「ピザ頼もうか?」 「いくら何でも今日は来んやろう」 「ちっ、営業努力が足りんのう」 まあ食べないよりはいいということで、結局ラーメンを作ることになった。
ラーメンを食べながらテレビを見ている時だった。 窓のところに黒い影が見えた。 「え?」と顔を上げ、窓の方を見た。 だが、何もいない。 気のせいかと思い、またテレビに顔を向ける。 するとまた気配がする。 嫁さんに、 「おい、何かおるぞ」 「どこ?」 「窓のところ」 「えっ?何にもおらんやん」 「いや、確かに何かおる。黒い影が見えた」 と二人で窓のところをしばらく見ていた。 「あっ!」 と二人で大きな声を上げた。 犯人は網戸だった。 風が吹くたびに、レールの上を往ったり来たりしているのだ。 しかも風のせいで少し曲がってしまったようだ。 レールを往復する時に、微かに「ガガッ」という音がしている。 うちの網戸は軽量タイプではなく、比較的重いタイプである。 それがキャッチボールするみたいに、軽々と往ったり来たりしているのだ。 その時初めて、今回の台風は尋常ではないと思った。
テレビでは各地の被害状況を映し出している。 それを見ながら、「こりゃひどい」と嫁さんと話している時だった。 会社から電話が入った。 ぼくの友人が会社の駐車場に軽トラックを置いているのだが、それが壁に激突しているというのだ。 しかも、トラックを駐めている場所の横にある縁石を乗り越えているらしい。 風に押されて横転しているというのなら話はわかる。 が、縁石を乗り越えさせるためには、トラックを持ち上げない限り無理である。 ということは、トラックは宙に浮いたということになる。 さっそくぼくは友人に連絡を取った。
その日会社では、外の売場の上にある雨よけのポートが飛ばされたり、会社の周りに植えてある木が風でなぎ倒されたり、駐車場に駐めてあった社員の車に一升瓶がぶち当たり窓ガラスが大破したり、とさんざんな状況だったという。 これまでの台風は、ぼくが出社している時にやってきている。 休みの日にくるのは今回が初めてだ。 そのため最初は「休みでよかった」と思っていた。 だが、会社での話を聞くたびに、そういう状況が見られなかったことが残念に思えてくる。 また、そういう話を聞くにつれ、物干し竿乱舞くらいの情報しか持ち合わせていない自分が情けなく感じる。 せっかくだから、大しけの海にでも行けばよかった。
昨日は休みだった。 午前中床屋に行き、午後から買い物に行く予定だった。 しかし、その予定も台風のせいで台無しになった。 午前7時からラジオをつけ台風情報を聴いていたのだが、公共の交通機関はすべてストップしているという。 ということは、遠方からバスで通っている床屋の姉ちゃんは今日は来てないということになる。 それ以前に、「この雨風だ。店は開けないだろう」と推測していたから、午前8時早々と床屋行きを断念した。
さて、そうなると、何をやって時間を潰そうかということになる。 しばらくパソコンの前に座って、ニュースサイトなどを見ていた。 しかし、30分が限度だった。 眠たくなってきたのだ。 そこで寝ようと思い、横になった。
11時頃だったろうか。 「ガンガン」という音がした。 何だろうと起きてみると、嫁さんがギャーギャー騒いでいる。 「どうしたんか?」と訊くと、嫁さんは「あれ見て」と言って。バルコニーを指さした。 見てみると、バルコニーに置いてある物干し竿やゴミ箱が乱舞してるではないか。 うちのバルコニーは落下防止のため手すり部分がかなり高くなっている。 そのため、そういう物が外に飛んでいく危険はない。 だが、昨日の風は、そういう物を外に飛ばす力を中に向けた。 「ガンガン」という音は、物干し竿やゴミ箱の中のビン缶類が窓を叩いていたのだ。
「このままだと窓ガラスが割れてしまう」と思ったぼくは、慌ててバルコニーに出ようとした。 ところがである。 肝心のサンダルが見あたらないのだ。 「おい、サンダルは?」 「そこにあるやろ」 「ないぞ」 「え?…あっ、あそこあそこ」 何とサンダルは、風に飛ばされてバルコニーの排水溝に突き刺さっていた。 仕方なく裸足でバルコニーに降り、サンダルを履いた後、物干し竿やゴミの整理をした。 その作業は5分足らずで終わった。 だが、家に上がったぼくは、シャワーを浴びたあとのようにびしょぬれになっていた。 おまけに髪は逆立ち、顔には数枚の木の葉が貼りついていた。
その後も次々と、先生のほらが判明する。 ぼくが小学1年生の頃に入門を断ったのも、5年生の時に断ったのも、ぼくの体が出来てないという理由からではなかった。 実は、その頃先生は道場経営をやっていなかったのだ。 自分のやっていた事業の税金対策のために、以前やっていた道場経営を、いまだやっているかのようなふりをしていただけだった。 いわば幽霊道場だったわけである。 そりゃあ、道場をやってないから弟子は取らんわなあ。 それでもぼくがしつこく行くもんで、ついに断り切れなくなったのだ。 渋々道場を再開したのが実情だった。
その後、先生宅横にある道場に練習場所を移すことになるのだが、その時引っ越しの手伝いには、水曜日のメンバーしか来ていなかった。 おかしいと思ったぼくは、Kさんに訊いてみた。 「今日は金曜日の人は来んと?」 「金曜日のメンバー?何ね、それは」 「先生が前に、金曜日に他の人が練習しよると聞いたんやけど…」 「してない、してない。練習は水曜日だけ」 ということで、金曜日に他の練習生が来ているというのも嘘だった。
新しい道場に移ってから、なぜか練習生が増えていった。 幽霊道場になる以前の活気を取り戻したのだ。 ところが先生、何を思ったか、ある時期から柔道を教えなくなった。 代わりに始めたのが、居合道だった。 ある日突然、「今日から居合をする」と言った。 それから柔道はろくに教えずに、居合を教えるようになった。 柔道の練習時間は2時間から30分に減った。 残りの1時間半を居合に当てたのだ。 そうこうするうちに、柔道の練習生は減っていき、居合の弟子ばかりになってしまった。 その後、高校に進学したぼくは、柔道部に籍を置くことになり、道場へはほとんど行かなくなった。 高校卒業後は、その柔道もやめてしまった その頃、道場はまだ存続していた。 が、柔道場としてではなく、居合道場としてである。 それから10年ほどして、先生は亡くなった。 遺った弟子たちが、細々と道場をやっていたが、それも長くは続かなかった。 昔ぼくが山嵐を求めて通った道場は、今駐車場に変わっている。
ある本に『山嵐という技は、体落しに似た技だった』と書かれていた。 柔道をやった人ならわかると思うが、体落しは足をかける支点が低ければ低いほど受け身の取りにくい技である。 おそらく、西郷は自分の体型にあった体落しを工夫したのだろう。 体落しのタイミングで投げに入る。 普通ならこれだけで投げられる。 ところが西郷は、それに加えて足を払う。 これで投げられる勢いは、普通の体落しの倍になる。 これでは、相手は受け身が取れないだろう。
高校の頃だったが、試合前日、後輩を相手に練習していた。 その時、右大外刈りで相手を崩した。 が、なかなか相手は倒れようとしない。 そこで右足を相手にかけたまま、二、三歩前に出た。 そして、相手の残っている足を、こちらの左足で払った。 すると、二人の体は宙に浮き、そのまま畳の上に落ちていった。 下になった後輩は、受け身を取れずに頭を強打した。 後輩は一時動けなかった。 ひとつの技が完成した瞬間だった。 が、それ以来ぼくはその技をやったことがない。 もし相手の打ちどころが悪ければ、確実に死ぬからだ。
おそらく西郷の山嵐も、そういう危険性の伴った技だったのだろう。 だけど、西郷はぼくのように技を封印しなかった。 だから歴史に名を残したのだろう。 しかし、その技の練習台になった人は、たまらなかっただろうなあ。 「○○君、すまんが、もう一本つきあってくれ」 「ええっ、またですかぁ。西郷さん、もうやめてください」 という会話があったかもしれない。
さて、山嵐が西郷のオリジナルとわかったことで、先生が大ぼら吹きあることが判明した。 明治中期、まだ生まれてもなかった先生に、早々と柔道をやめた西郷の技など見られるはずもない。 写真で見たのかもしれないが、それで技がわかるはずもない。 また、先生が講道館にいた頃、もしかしたら西郷の技を見た人がいたかもしれない。が、西郷しかできない技を、どうやってその人が実演できたのだろう。 後日、ぼくたちにキックボクシングの沢村忠は自分の弟子で、時々泊まりに来ると大ぼらを吹いた先生である。 「山嵐が出来る」と言うくらいは、ほらのうちにも入らなかったのだろう。
ぼくが中学1年の頃、テレビで竹脇無我主演の『姿三四郎』が始まった。 そこでも山嵐をやっているのだが、本で見た山嵐とは違っていた。 いったいどちらが本物の山嵐なんだろう? この疑問が心の中に大きく居座った。 しかし、それを知るすべがない。 何せ明治中期にやっていた技であるから、動画など残っているはずもない。 西郷の山嵐を見た人がいるのは確かである。 だが、ぼくが柔道を始めた1970年頃に、そういう人たちが何人残っていただろうか。
小説の『姿三四郎』の解説に書いてあったが、姿三四郎のモデルである西郷四郎は、『西郷の前に西郷なく、西郷の後に西郷なし』と謳われたほどの天才であったという。 明治時代、日本人の身長は一般に低かったと言われているが、西郷はその中でもひときわ低かったらしい。 それが山嵐に適していたというのだ。 また、彼の足は鎌のような形をしており、それが相手の足を払うのに適していたという。
「山嵐に適していた…」と書いて思い出した。 ぼくが高校1年生の頃、他校に合同練習をしに行ったことがある。 その高校の2年生に『テッちゃん』と呼ばれている人がいた。 この人は体格はよかったものの、そこにいた誰よりも背の低い人で、さほど強そうには見えなかった。 そのためぼくは、「この人補欠かな?」と思ったくらいである。 ところがいざ練習をやってみると、強い強い。 このテッちゃんは背負い投げ一本の人だったが、背負い投げが来るとわかっていても防ぐことが出来なかった。 普通背負い投げをかける場合、体をかがめなければならないから、どうしても一瞬タメができるのだが、テッちゃんにはそれがなかった。 それもそのはず、テッちゃんは体をかがめる必要がなかったのだ。 つまり普通に回れ右をすれば、この技に入れたということだ。 多少柔道をかじっている者なら、誰でもこのタメで「背負いが来るな」とわかる。 だが、テッちゃんの場合、それを悟らせなかった。 前触れなく背負いが飛んでくるのだ。 そのため、ぼくには防ぎようがなく、何度も畳にたたきつけられた。
やはり技には人それぞれに向き不向きがあるということだ。 ということなので、ぼくが苦労した『ひざ車』は、ぼくには向いてなかったと言えるだろう。
話を元に戻す。 姿三四郎の解説を読んで、ひとつ引っかかることがあった。 それは『西郷の前に西郷なく、西郷の後に西郷なし』という言葉である。 そう書かれると、「なるほど天才」と思うが、柔道の天才と言われた人は何も西郷だけではない。 その当時でさえ、講道館四天王(西郷も含む)と呼ばれた人がいるのだ。 西郷だけがずば抜けて強かったのなら、四天王という呼び方はしないはずである。
そこでぼくは考えた。 これを広く柔道という意味でとらえずに、山嵐に限定したらどうだろう。 すると見えてくるものがある。 それは、山嵐という技は西郷以外にやった人がいない、ということである。 実際、資料などを読んでも、西郷以外に山嵐をやった人間はいないのだ。 つまり、山嵐という技は、西郷四郎が編み出したオリジナルだったということになる。
とはいえ、それからのペースは速かった。 『ひざ車』の他に、『背負い投げ』『払い腰』『大外刈り』といった大技も一通り教えてもらった。 が、あくまでも型だけである。 先生は、当初一つの技の型を教えて、それを体得するまで他の技に移らない方針でいたようなのだが、ぼくがいつも他の方を向いているので、それを断念し、型全部を流したのだ。 もちろん、反復練習をしなかったので、「背負い投げはこういうもの」というのはわかったが、いざ実践になると使えない。 ぼくはその先高校3年まで柔道を続けたのだが、結局最後までそういう技を使えなかった。
いちおう型を流し、柔道の技がどういうものかを覚えた頃、ぼくは疑問に思ったことがあった。 それは、そういう技の中に『山嵐』が入ってなかったことだった。 そこでぼくは、先生に「何で型の中に山嵐が入ってないんですか?」と尋ねてみた。 すると先生は「昔の技だからだ」と言った。 これまた不思議である。 技に今とか昔とかがあるんだろうか。 「昔の技ということは、先生の時代の技ですか?」 「もっと昔の技だ」 「じゃあ、先生は知らないんですか?」 「知っとる」 「じゃあ、出来ますか?」 「出来る」 「それならぼくにかけて下さい」 「それは出来ん」 「どうしてですか?」 「危険だからだ」 なるほど、姿三四郎に山嵐をかけられた人は、受け身が取れないまま地面にたたきつけられ、立ち上げれないほどのダメージを受けている。 姿の恋人『乙女』の養父である村井師範は、それが元で寿命が縮まったくらいだ。
先生は「映画やテレビでやっている山嵐は本当の山嵐ではない」と言った。 「じゃあ、本当の山嵐はどうするんですか?」と訊くと、先生は不機嫌そうな顔をして黙り込んだ。 その後も何度か山嵐のことを訊いてみたことがあるだが、そのつど先生は不機嫌そうな顔をした。
ぼくはいったん興味を持つと、とことん追求する質だ。 「先生が教えてくれないのなら、自分で調べるわい」と、道場帰りに本屋に立ち寄った。 柔道の本を見てみようと思ったわけである。 本屋には柔道の本が何冊か置いてあった。 それら一つ一つを調べたのだが、山嵐のことはどの本にも書いてなかった。 「ちっ、ないのう」 と諦めかけた時だった。 「まさかこれには書いてないだろう」、と思いながら手に取った小学生向けの柔道の本に『山嵐』の文字を見つけた。 そこを読んでみると、 『山嵐=姿三四郎のモデルと言われる西郷四郎がもっとも得意とした技。危険な技なので現在は禁じ手となっている』 と書いてあった。 そこには山嵐を描いた図が載っていたが、テレビで見るものとはまったく違っていた。
道場に入門してから、2ヶ月近くたった。 あいかわらずぼくは、Kさん相手に『ひざ車』をやっていた。 そんな時、一人の男の人がやってきた。 歳はKさんと同じくらいだ。 ぼくは「この人は金曜日の人か?」と思ったが、違っていた。 新しく入門した人で、Kさんの友人らしい。 おそらくKさんも、ぼくの『ひざ車』に飽きたのだろう。 それで友人を呼んだのだ。
水曜チームは3人になった。 が、他の二人は経験者。 年が離れていて、しかも初心者であるぼくは継子扱いだった。 面白くない。 二人は試合形式で柔道をやっているのに、ぼくは柱を相手に『ひざ車』である。 いったい、いつになったら他の技を教えてくれるのだろう。 思いあまって、ぼくは先生に訴えた。 「先生、他の技も教えてください」 「『ひざ車』一つ満足に出来んのに、何が他の技だ」 そう言われると返す言葉がない。 仕方なく、柱相手に『ひざ車』の練習をやった。
その年の年末だった。 あいかわらず柱相手に『ひざ車』をやっているぼくを見て、先生が言った。 「おまえはいつまで『ひざ車』をやっとるんか?」 「え?だって、先生が他の技を教えてくれないじゃないですか」 「Kたちの練習を見て、自分で技を盗んでいかな」 「どうやって盗むんですか?」 「どういう動きの時に、どういう技をかけるとかをちゃんと見とかな」 「柱で練習している時にですか?」 「・・・。ちょっと待て」、そう言って先生はKさんを呼んだ。
「K、しんたに背負い投げを教えてやれ」 「背負いですか?大丈夫ですか?」 「しんたは小さいから、足技よりもそういう技の方がいい」 ということで、ぼくはKさんから背負い投げを教えてもらうことになった。
「しんた、いいか。こちらがこうして、相手がこう動いた時に相手に飛び込むんぞ」 Kさんは背負い投げのタイミングを教えてくれた。 が、そのタイミングが実に難しい。 しかも、この技は足腰が強靱でなければ出来ない。 その肝心の足腰が、ぼくは弱かった。 すぐに相手に潰されるのだ。 練習では相手が飛んでくれるけど、もしこれで試合になったら、到底出来ないだろう。 そう思ったぼくは、先生に言った。 「先生、ぼくには背負い投げは出来ません。他の技を教えてください」 「バカか、おまえは。背負い投げが出来んのに、他の技が出来るわけないやないか」
と言っているところにKさんが口を挟んだ。 「先生、しんたには背負い投げは合ってないですよ。足腰弱いし」 「そうか。それならどんな技ならいいか?」 「うーん…」 結局答えは出てこなかった。 「しかたない。最初に戻って、型を一通り教えることにするか」 ということで、ぼくはまた『ひざ車』から始めることになった。
道場は毎週水曜日に行っていた。 先生に「他の人は何曜日に来てるんですか?」と尋ねると、「金曜日だ」と言う。 「今度そちらに行ってもいいですか?」 「おまえはまだ初心者だから、水曜日だけでいい。金曜日は強い人ばかりだから、ついて行けんぞ」 「じゃあ、覗くだけでもいいです」 「その日は夜8時からだ」
2週目も同じく受け身ばかりだった。 コロコロと回ってばかりだから、練習が終わった後は フラフラしていた。 その状態でバスに乗って帰るものだから、気分が悪くなったものだった。
3週目、道場に行くと見慣れない人がいた。 20歳くらいの男性だった。 「おい、しんた」、先生が呼んだ。 「はい」 「これからこの人がおまえの指導をしてくれる」 その人はKさんといった。 有段者だった。 ぼくはてっきり、この人は金曜日の人だろうと思っていた。 後でわかったことだが、実はこの人は、ぼくより1日遅く入ってきた人だった。 つまりぼくのほうが先輩だったわけである。
先生は「今日から技を教えてやる」と言い、先生はKさんを着替えてこさせた。 さあ、いよいよ技の練習である。 実を言うとぼくは、「柔道、柔道」と騒いでいた割には、柔道のことを知らなかった。 技だって、巴投げと一本背負いと山嵐くらいしか聞いたことがなかった。
技と言えば、プロレスの技はよく知っていた。 後日、ぼくはある試合で『裏投げ』をしている人を見て、「あ、あの人、バックドロップしよる。かっこいい」と騒いでいた。 横に先生がいたのだが、苦虫を潰した顔をして「裏投げと言いなさい」とぼくをたしなめた。
さて、この道場では、技は学校のクラブ活動のように実践で教えるようなことはしなかった。 講道館の型で教えていくのだ。 最初に習った技、それは『ひざ車』だった。 『ひざ車』、何とかっこ悪い名前だろう。 どんな技かというと、名前どおり、人のひざにちょこっと足を当ててこかす、という地味な技だった。 これを3週間ほど習わされた。
その頃のこと、友人から「しんた、柔道習いよるらしいのう。どんな技が出来るんか」と言われたことがある。 『ひざ車』なんか言ったら、いい物笑いである。 そこでぼくは、「一本背負いやろ。巴投げやろ。それと山嵐」と見栄を張った。 友人はそれを聞いて「おお、すごいのう。じゃあ、おれに一本背負いかけてみて」と言った。 『ひざ車』しか知らないのである。 しかも満足に出来ないときている。 『困ったことになったわい』 と、素早く言い訳を考えた。 そして、「おれが一本背負いかけたら、おまえなんか軽く3メートルくらい吹っ飛ぶぞ。それでいいならかけてやる」と真顔で言った。 友人はそれを聞いて黙った。 ちなみに『ひざ車』はこけるだけである。
そして6年生の春がきた。 4月、ぼくは母といっしょに道場に行った。 「ごめんください」 「はい」 いつものように先生が出てきた。 これでぼくたちは、この道場に3度来たことになるから、当然ぼくたちのことを覚えているものと思っていたのだが、先生はまったく覚えてなかったようで、「何ですか?」と言った。 「柔道を習いたいんですけど」 「小学生かね」 「はい」 「何年生かね」 「6年生です」 「まだ早いなあ。柔道は危険だから、中学生になってから来なさい」と、先生は前と同じようなことを言った。 母もこれにはカチンときたようだった。 「去年も来たんですけど、その時先生は『6年になったら来なさい』と言いましたよ。それで今日来たんじゃないですか」 「えっ、去年も来た?」 「はい、来ました。去年だけじゃなく、5年前も来ましたよ」 「ああ、そうでしたか」 「先生はいつも『体が出来てから来い』と言いますね」 「いやお母さん、実を言うと、いま道場は休んでいるんですよ」 「えっ!?」 「いや、今度工事をするんで…」 「ああ、そうなんですか」 「秋には完成する予定ですから…」 「じゃあ、秋から来てもいいんですか?」 「そうして下さい」 「わかりました。じゃあ、秋に来ます」
9月になった。 もう一度確認のために、もう一度道場に行った。 もう先生は逃げるわけにはいかない。 渋々「11月から始めるから」と言った。 ぼくが柔道を志してから、6年目にしてついに入門を許されたのである。 しかし、テレビのニュースなどで、時々小学生柔道大会を取り上げているが、この人たちは体が出来ていたのだろうか? 中にはどう見ても1年生の子もいるようだが。 それがその当時の疑問だった。
そして11月になった。 道場から連絡があり、5日から来てくれということだった。 その日、学校を終えたぼくは、真新しい柔道着を持ってバスに乗り込み、道場に向かった。 「これで念願の山嵐を覚えられる」 バスの中でぼくは、そのことばかり思っていた。
道場はバス停のすぐそばにあった。 路地を抜けると、そこに道場があった。 「こんにちはー」 「おお、来たか」 道場にはあいかわらず先生と事務員さんしかいない。 そこでぼくは聞いてみた。 「先生、他の人はいないんですか?」 「今日は休みだ」 「えっ!?」 「いや、おまえはまだ入門者だから、みんなが休みの時に来てもらって、基本を覚えてもらう。他の人との練習は基本を身につけてからだ」 そう言って、ぼくに受け身の練習をさせた。 その日は1時間ほどで終わったが、ずっと受け身だけだった。 山嵐まではまだ時間がかかりそうだった。
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