| 2004年05月31日(月) |
頑張るタマコ!21歳(上) |
今年の3月18日の日記に、アルバイトとバトルをやっているということを書いた。 このアルバイト、名前をタマコという。 顔は天才バカボン似である。 いや、顔だけではなく、頭のほうもバカボン似である。
昨日の開店前、履き物コーナーのパートさんと話していたら、たまたまそこに置いてあった下駄の話題になった。 ぼくが「最近の若い人は、鼻緒という言葉を知っとるんですかねえ」と聞くと、パートさんは「そのくらい知っとうでしょう」と言う。 「じゃあ、聞いてみましょう」ということになり、ぼくは下駄を持ってタマコのいる売場に行った。
タマコを見つけると、さっそく「おい、これ何ち言うか知っとうか?」と、下駄の鼻緒を指さして聞いてみた。 タマコは「知ってますよぉ、そのくらい。バカにしないで下さい」と、息の抜けるような声で言った。 「そうか、知っとるんか。言うてみ」 「それはですねぇ。タビです」 「は?」 「タビです。タビ」 「おまえんとこは、これを『タビ』ち言うんか?」 「はい」 それを聞いて唖然としたぼくは、タマ子の横にいたパートのラーさん(久々の登場だ。詳しくは日記内検索で)と顔を見合わせた。 そして、ラーさんは笑い出した。
ぼくは笑いをかみ殺して、履き物コーナーに戻り、さっそくパートさんに報告した。 「ダメダメ。全然知らんですよ」 「知らんって、何と答えたと?」 「タビですよ、タビ」 「足袋ぃ?」 パートさんは、一瞬息を止めて、そして吹き出した。 「誰が言うたん?」 「タマコです。タ・マ・コ」
再びタマコのいる売場に行き、タマコに「おい、わかったか?」と聞くと、横からラーさんが「しんちゃん、だめよ。この子『春よこい』も知らんとやけ」と言った。 「え?」 「童謡の『春よこい』にも、それが出てくるよと言ったら、この子、『はーるよこい、はーやくこい』までしか知らんとよ」 「じゃあ、『じょじょ』も知らんやろうの」 「知るわけないやん。『みいちゃんって何ですか?』とか聞いてたくらいやけ」 ぼくたちの会話を聞いていたタマコは「だから、みいちゃんって何なんですか?」と、またラーさんに聞いた。 ラー「『何』って、物じゃないんよ」 タマコ「じゃあ何なんですか?」 ラー「人の名前」 タマコ「ああ、人の名前かぁ」
ちょうど開店となったため、ぼくはいったん売場に戻った。 すると2,3分後、タマコが嬉しそうな顔をして、ぼくのところにやってきた。 「しんたさん、わかりましたよ。答は3文字で、一番上は『は』でしょ?」 「おう。自分で考えたんか?」 「当たり前じゃないですか」 と、その時、売場の電話が鳴った。 出てみると、ラーさんからだった。 ラーさんはぼくに「しんちゃん、一番下の文字を聞いてみてん」と言った。 そこで、タマコに「おい、一番下の文字を言うてみ」と言うと、タマコはさも自信ありげに「簡単ですよ。『み』でしょ」と言った。 「『み』?『み』ちゃ何か。全部言うてみ」 「は・さ・み」 「・・・。アホか、おまえは」
タマコは今21歳。幼稚園の先生を目指している。 いちおう今年短大を卒業したので、保母の資格は持っているらしいのだが、就職先がなく、しかたなく、学生時代からやっているうちのバイトを継続しているのだ。 しかし、幼稚園の先生になる人間が、こういう基本的なことを知らないと困る。 そう思ったぼくは、タマコを鍛えることを決意した。
5月29日付の産経新聞正論欄に、靖国神社には朝鮮籍が21,181柱、台湾籍が27,864柱及び英国人3柱が合祀されていると書いてあった。 ということは、だ。 支那人が首相参拝に文句をつけるのは、台湾人が祭られているのに、本家(と思っている)の支那民族が祭られてないという理由からなのだろう。 また、朝鮮人が文句をつけるのは、台湾人より合祀数が少ないという理由からなのだろう。 つまり、どちらの感情も妬みからきているわけだ。
そう考えれば、確かに、首相が靖国神社に参拝すると、この二つの民族の心は傷つくわなあ。 しかし、それを「アジアの人民の感情を傷つけた」などと、大嘘を言ってはならない。 要は自分たちだけが傷ついているだけなのだから。 他のアジアの人が迷惑するじゃないか。 あ、そうか。この二つの民族は、自分たちだけがアジア人民だと思っているのだ。 だからこそ尖閣諸島も竹島も自分たち、つまりアジア人民の領土というわけだ。 そうかそうか、それで納得した。
それにしても、妬みから日本に干渉してくるとは実に情けない。 というか、女々しい。 それに同調する日本人も情けない。 そして、女々しい。
| 2004年05月29日(土) |
マンモスH子(最終回) |
5月26日の日記で、マンモスH子が、今一番問題を抱えている部門に異動になったと書いたが、その翌々日、つまり昨日、突然会社を辞めた。 前に受けていた会社の面接に受かったらしいのだ。 ぼくは、一昨日「マンモスは辞めるらしいよ」ということを、ある人から聞いていたのだが、辞めるのはもっと後のことだと思っていた。 いくらアルバイトだからと言っても、突然辞めるというのは、ルール違反だからである。 少なくとも何週間か前に言っておかないと、会社としても次の段取りがとれないのだ。 しかし、「自分さえよければ」という考えを持っているマンモスには、こういう常識は通用しないのだろう。
さて、その就職先だが、何と某大手タクシーの配車室だという。 ぼくはそれを聞いて吹き出してしまった。 なぜなら、何度教えても歯磨き粉の場所すら覚えることの出来ない人間に、頭を使うタクシーの配車なんか出来るわけないと思ったからである。 マンモスのことだから、門司港にいる車に、「至急折尾の○○さんの所(30�勸幣緡イ譴討い襦砲帽圓辰堂爾気ぁ廚�らいのことは、平気で言うだろう。 そして上司から「何で近くの車に連絡入れんか?」と言われたら、「市内だからいいと思って」などと言い返し、挙げ句の果てに「上司にいじめられた」と言って、退職するにちがいない。 想像するだけでも楽しい。
今後『まちBBS』あたりで、『北九州評判の悪いタクシー会社』などというスレッドが立ち、マンモスのいる会社がやり玉に挙がるかもしれない。 もし、「某大手タクシー会社は、呼んでもなかなか来ない」などという書き込みがあったら、それはマンモス絡みである。 期待して待つことにしよう。
ということで、マンモスH子に関する日記は、主人公マンモスが急遽降板したために、継続不可能となりました。 残念ですが、今日が最終回です。 さようなら〜。
出演;マンモスH子 H先生 店長タカシ 他数人 語り;しろげしんた
昨日の朝から、体調が優れなかった。 朝起きた時、何か変だった。 朝の空腹感はあるものの、それは健康的なものではなく、気分の悪さを伴ったものだった。 「おかしいな」とは思いながらも、朝食を摂り、会社に向かう。 会社に着く頃には、何とか気分の悪さもなくなっていた。 が、社屋に入ったとたん、またぶり返してきた。 昨日は暑かったため、普段より強めにエアコンを効かせていたのだ。 それがいけなかったようだ。 だんだん頭が痛くなってくるし、それに連れて腹も痛くなってくる。 午後からは、脂汗をもかく始末だった。 帰る頃には寒気もした。 そのせいで、車の運転も安定しなかった。 何度かセンターラインをオーバーした。 幸い事故にはならなかったが、危機一髪の場面が二度もあった。
帰ってきてからが地獄だった。 熱を測ると、38度に達している。 どうりで寒気もするはずだ。 食欲もなく、昨日はそのまま寝ることにした。
ところが、寝つかれない。 ようやく眠ったと思うと、腹が痛くなってくる。 腹が痛いので寝相を変えると頭に響く。 寝汗はかく。 その繰り返しで、一時間おきに目が覚めていた。 目が覚めると、また寝つかれない。
また、こういう時に限って夢見も悪い。 前の会社時代に左遷されたことがあるのだが、その時の夢を見ていた。 きっとその時の重苦しい精神状態が、体調不良の精神状態と似ていたのだろう。
今朝は寝不足のまま、普段どおりに目が覚めた。 あいかわらず、腹が痛い、頭が痛い、寒気がする。 おまけに、いろいろな寝相をとったためか、腰が痛い。 幸い休みだったので、今日は何もせずにゆっくり寝ていることにしようと思ったが、腰が痛いために横になる気も起きない。
とりあえずは、何か胃に入れなくてはと思い、台所を漁る。 が、何もない。 しかたないので、牛乳1リットルを一気に胃の中に流し込んだ。 おかげで空腹感はなくなった。 ところがである。 数分後に腹が「グルグル」と唸りだしたのだ。 ぼくは、慌ててトイレに駆け込んだ。
トイレから出てしばらくすると、またもや「グルグル」が襲ってきた。 再びトイレに駆け込む。 その後も「グルグル」は治まることがなく、ぼくは幾度となくトイレを往復した。 ところが、それを繰り返しているうちに、ぼくはあることに気がついた。 トイレに行くたびに、体が楽になっていくのだ。 普通の下痢の時は、そういうことはない。 トイレに行くたびに体力を消耗して行くものである。 「不思議なこともあるものだ」と感心していると、何と頭痛や腹痛が治まっているではないか。 これはどうしたことだろう。 いろいろ考えてみてもわからないので、いちおう「牛乳1リットルが、体の中の毒素をすべて外に排出したのだ」ということにしておいた。
頭痛・腹痛に続いて、腰痛も何とか治まった。 すべてが治まった後、急に眠気がさしてきた。 「これも牛乳の効能か?」などと思いながら、布団の中に潜り込む。 起きてみると、すでに午後6時を過ぎていた。 体調はいい。 やはり、牛乳が毒素を出してくれたのだろう。 と、牛乳をコップ一杯飲んだ。
現在午前2時30分。 全然眠たくない。 明日は仕事なので、早く寝ないとならないのだが…。 これも牛乳の効能なのだろうか?
| 2004年05月27日(木) |
そっとしておいてやれよ |
ここ数日、地村さんや蓮池さんの記者会見の模様が、ニュースやワイドショーで映し出されているが、記者たちはいったい何を考えているのだろう。 記者会見などは、帰ってきたその日、もしくは翌日だけで充分なのだ。 毎日毎日記者会見をやって、いったい彼らから何を聞き出そうとしているのだろうか。 テレビで見ていると、記者たちは、どうもお二人の子供たちの『カルチャーショック』を知りたいように思われる。
靴を買った。 服を買った。 お菓子を買った。 どうでもいいことである。 『冬のソナタ』を何話まで見たなんて関係ないことだ。 それを見たお子さんの反応を知って、いったい彼らはどういう記事を書こうというのか。 あの質問を受けた時、一瞬蓮池さんの顔が曇ったのを、マスコミは気づかなかったのだろうか。 それに、そういうことを記事にして、それが何か拉致問題の解決に役に立つとでもいうのだろうか。
子供たちは今まで、不幸にも両親の国日本を敵国だと教えられてきたのだ。 その敵国で注目されていることに、何か疑問を抱くのではないだろうか? 「お父さんは、どうして毎日テレビに出ているんだろう?もしかしたら、マスコミは親をとおして、自分たちが持っている共和国の情報を聞き出そうとしているのではないか」などと考えても、何ら不思議ではない。 そのことで、総連に利用されたり、いやがらせを受けたりするかもしれないじゃないか。 そして、最終的に、「やっぱり、ぼくたち、私たちは共和国に住みたい。そこで偉大なる指導者同志にために働きたい」などと言い出したら、元も子もないじゃないか。 そうなった時、マスコミはどう責任を取るというのだろう。 もういいじゃないか。 もう充分じゃないか。 そっとしておいてやれよ。
| 2004年05月26日(水) |
マンモスH子、薬局勤まらず |
例のマンモスH子のことである。 とうとう彼女は「私は薬局では勤まりません」と、店長タカシに直訴したのだ。 困った店長タカシは、レジと薬局のパートさんを呼んだ。 まず、レジのパートさんに、「レジに戻したらだめかねえ」と訊いた。 レジの子は、「当番の時に、レジ長と本人のぞうきんだけしか洗わないような意地悪する人はいりません。部門の和が乱れます」と、きっぱり断った。 店長タカシは、同じことを薬局のパートさんに言った。 薬局のパートさんは、「商品を置いてある場所すら覚えることの出来ない人なんていりません」と、これもきっぱり断った。
「商品を置いている場所…」と言ったのは、その数日前にマンモスが起こした事件のことである。 お客さんから「歯磨き粉はどこにありますか?」と訊かれたマンモスは、その場所がわからなかったので、そこにいたパートさんに「あのう、歯磨き粉どこにありますか?」と訊いた。 パートさんは「ああ、歯磨き粉ね。ここにあるよ」と教えた。
それからちょっとして、他のお客さんから「歯磨き粉はどこにありますか?」と訊かれた。 するとマンモスは、またそのパートさんに「あのう、歯磨き粉どこにありますか?」と訊いた。 「ここ」
それから少しして、また他のお客さんから「歯磨き粉はどこにありますか?」と訊かれた。 普通の人なら一回で、よほど物覚えの悪い人でも二回聞いたら覚えるだろう。 ところが、マンモスはそうはいかなかったのだ。 三度、同じようにパートさんに場所を尋ねた。 これにはパートさんも唖然とした。 「ここよ、ここ。さっき教えたでしょ」
これでようやく歯磨き粉の場所を覚えたと思いきや、マンモスはまたやってくれた。 「あのう、歯磨き粉はどこにありますか?」 パートさんはあきれ果てて、何も言わずに歯磨き粉の場所を指さした。
ところがところが、これで終わったわけではない。 その後二度も、歯磨き粉の場所を訊いたというのだ。 それもH先生に。 パートさんからその話を聞いた矢先のことだったので、先生も「こりゃあかん」と思ったらしく、とうとう口を開いた。 「あんた、この売場は合ってないよ。商品のある場所を、何度教えても覚えきらんでは話にならんやろ。店長に言うて、売場を替えてもらいなさい」 その言葉に、マンモスは素直に頷いたという。 そして今回の直訴と相成ったわけだ。
さて、二人に拒否された店長タカシは、困りはててしまい、ついにある決心をした。 今一番問題を抱えている部門があるのだが、そこにマンモスを異動させることにしたのだ。 (数日後につづく)
※
「手当て」という言葉がある。 もちろん治療の意味である。 以前読んだ何かの本に、「昔は病気を治療するのに、本当に手を当てていた」と書いてあった。 ということは、昔は温熱療法をやっていたということである。 最近の癌治療の一つとして、温熱療法が行われていると聞いたことがあるが、昔の人は本能的に、温熱療法が有効なことを知っていたのだろう。
それを知って以来、ぼくは腹が痛くなったりすると、すぐに「手当て」をするようになった。 なるほど、不思議と痛みは和らぐものだ。 そのうち、痛かったことまで忘れてしまっているから、きっとそれで完治したのだろう。
ところで、ぼくはこの「手当て」を始めてから、あることに気がついた。 手で押さえた部分、つまり痛いところが、なぜか冷たくなっているのだ。 そういえば、腰に痛みを感じた時、そこを触ってみると冷たくなっていることがある。 「もしかして、痛みというものは『冷え』と何らかの関係あるのではないだろうか?」 そんな疑問が、ぼくの中で徐々に膨らんでいった。
そういう折も折だった。 今日、一冊の本と出会った。 『<どんな病気も「温めれば治る!」>石原結実著(ワニ文庫)』という本である。 この本を読むと、ぼくの「冷え」=「痛み」の疑問に答えてくれるようなことが書いてある。 元々、人間は「冷え」に弱い動物なのだそうだ。 その「冷え」は人体にいろいろな影響を及ぼすらしく、癌、心筋梗塞、糖尿病、アトピー、子宮筋腫、肥満など、あらゆる病気はこの「冷え」から起こるということだ。 なるほど、癌は「冷え」から来る病気だから、温熱療法が有効なのか、と納得する。 他にも、この本には、思わず「えっ?」と唸るようなことが書いてある。 例えば、世の中には平衡感覚が悪いのか、いつもフラフラしている人がいるが、何とそれも「冷え」が原因なのだという。 水分の摂りすぎが、その「冷え」を招いているのだそうだ。
数日前、ぼくは何十年かぶりに便秘になった。 丸二日出なかったのだ。 何が原因なのかわからなかった。 とにかく、水分が足りないのではないかと思い、冷えたお茶を何杯も飲んだ。 それが功を奏したのか、三日後に何とかお通じがあったのだが、その後もあまり順調だとは言えない。 しかし、それもこの本を読んでそれがはっきりした。 そう、原因は「冷え」である。 ここ数日、朝方の寒さのせいで、体が冷えていたのだ。 しかも、冷えたお茶を何杯も飲んだことが、逆効果になっていたのだ。
この本には、その「冷え」を防ぐ方法も書いてある。 「これは使える」と思ったぼくは、さっそくこの本をレジに持って行った。 ここに書いてあることを実行すれば、成人病恐るに足らずである。 よーし、長生きするぞ!
| 2004年05月24日(月) |
あんたの言っている「差別」とは何だ? |
ATOK17は、『きむじょんいる』と入れると『金正日』に一発で変換してくれるが、『きんしょうじつ』や『きんしょうにち』と入れても『金正日』とは変換してくれない。 いったいどこの国のソフトなんだろう。 しかし、『ちょそん』と入れても『朝鮮』にはならない。
例えば『イエス・キリスト』は万国共通の呼びかたではない。 英語読みだと『ジーザス・クライスト』となる。 毛沢東は『もうたくとう』なんだし、『胡錦濤』は『こきんとう』なんだから、『きんしょうじつ』で充分である。 なぜなら、『金』と書いて『きむ』、『正』と書いて『じょん』、『日』と書いて『いる』と読めなんて、学校で教えてもらってないからだ。
さて、そのキン・ショージツ。 先日の日朝首脳会議でわけのわからないことを言っていた。 「在日朝鮮人が差別される事がないように…」 「差別」、現代の日本人が一番忌み嫌う言葉である。 それを彼は知っている。 そして、それを利用している。 そう、「差別」というお題目を唱えれば、日本の地ではどんな無理難題でも通るのだ。
例えば、『関係者以外立入り禁止』という張り紙が貼ってある場所に、ある部外者が張り紙を無視して入ろうとする。 それを関係者が阻止する。 その部外者は「なぜ入れないのか」と言いがかりをつけ、そして騒ぎ出す。 その騒ぎを聞いたその部外者の取り巻きが、「入れない」という行為だけを取り上げて、世間に「差別された」という噂を広める。 「差別」という言葉に弱い関係者は、渋々謝罪する。 そして金を巻き上げる。 戦後の日本では、こういうことが幾度となく繰り返されてきた。 そして、そういう人たちの言いなりになってきた。 今回のキン・ショージツの「差別…」発言は、そこを狙ったものだろう。
いったい日本人は在日朝鮮人を差別しているのだろうか? ぼくはそうは思わない。 日本が戦争に敗れた時、「おれたちは戦勝国だ」と言ってはばからず、日本人を迫害したり土地を略奪したりした在日朝鮮人。悪行の限りを尽くした朝鮮高級学校の一部の生徒。今回の拉致事件に関わった在日朝鮮人がいる。 日本人はそういう一部の在日朝鮮人の行為に対して、怒りや嫌悪感を持っている。 だけど「罪を憎んで人を憎まず」のお国柄だから、それが差別には繋がらない。 それは犯罪者に対する感情と似ている。 おそらく、一部の在日朝鮮人は、日本人のそんな自分たちに対する怒りや嫌悪感を、「差別」だと捉えているのだろう。 彼らの言う「差別」とは、己の悪行を非難中傷されることなのだから。
そういうことを抜きにすれば、日本人は在日朝鮮人に対して何らわだかまりを持っていない。 例えば焼き肉屋。 「おいしい」と言われれば、その店の経営者が日本人とか在日朝鮮人とかには、まったくこだわらない。 たとえそこが在日朝鮮人が経営している店であっても、足繁く通うだろうし、「さすが本場の味は違う」と褒め称えるだろう。
「チマチョゴリをハサミで切られた」だ? それはきっと変質者の仕業でしょう。 その変質者に対して、日本人は怒りや嫌悪感を抱いている。 しかし、そういう変質者に対しても、日本人は差別をしないだろう。
| 2004年05月23日(日) |
見知らぬ人から届いた封筒 |
先日、SプロジェクトのMKという人から封筒が届いていた。 ぼくはSプロジェクトという会社も知らなければ、MKという人も知らない。
開いてみると、中には一通の手紙と、一枚のパンフレットと、一部のカタログ、それと一枚のハガキが入っていた。 これを見ると、Sプロジェクトというのはにんにく屋らしい。 MK氏は、そこの社長だということだ。 これはにんにく屋のDMだったのだ。
一通の手紙には、MK氏の苦労話が書いてあった。 何でもMK氏は、以前癌を患っていたという。 しかし、「ここにご紹介する『にんにく』で、命を救われた」らしい。 一枚のパンフレットには、MK氏の闘病記が書いてあった。 そこにも、「ここにご紹介する『にんにく』で、命を救われた」と書いてある。 そして、一部のカタログには、MK氏のにやけた顔写真が載っており、「ここにご紹介する『にんにく』は、すばらしい」と書いてある。 一枚のハガキは、ちゃっかり申込書になっている。
ぼくは「何だ、これは?」と思い、もう一度封筒を見てみると、何とぼくの名前の下に顧客番号が書いているではないか。 「こんなところに登録したかなあ」と記憶をたどってみたが、その覚えはない。 これが物忘れだと、何らかのイメージが残っているのだが、それもないのだから、確実に登録はしてないのだ。 ということは、算数を駆使しても、ない記憶は蘇らない。
いったいどこで調べたのだろう。 だいたいこの手のDMは、電話帳から抜粋することが多いと聞くが、今回は電話帳ではないようだ。 なぜなら、その宛先には、マンション名が入っているからだ。 ぼくは電話帳には、マンション名を載せていない。
では、どこかからか情報を買ったのか。 Yahoo!からか? いや、Yahoo!ではない。 なぜなら、YahooBBの会員でもなく、ショッピングもオークションもしたことがないからだ。 その上、Yahoo!Japanの登録名は本名ではない。 住所も登録していない。 ということは、ジャパネットたかたか? いや、それもあり得ない。 なぜなら、そこで買物をしたことがないからだ。 いったいどこから漏れたのだろう。
40代に入った頃、物忘れがひどくなったのに気がついた。 ある日、冷蔵庫にジュースを取りに行こうと思い、部屋を出た。 台所に入った時、時計の音が鳴った。 その瞬間、ぼくは台所に立ちすくんでしまった。 「さて、何をしに来たんだろう?」である。 いくら考えても思い出せないので、しかたなく部屋に戻った。 イスに腰掛け、タバコに火を点けた。 その時、ようやくジュースを取りに行ったことを思い出した。
「もしかしてボケ…?」 ぼくは愕然とした。 その後も何度か同じ事があり、しばらくの間、ぼくはそのことに悩みを持った。 しかし、一人で悩みを抱えているだけでは、何も解決にならない。 そこで、親しい人何人かに、思い切って聞いてみることにした。 その人たちは、異口同音に「ああ、おれも40歳過ぎてから、物忘れがひどくなったよ」と言っていた。 それを聞いた時、「自分だけじゃなかった」と思い安心した。 しかし、若干の不安は残った。
完全に悩みから解放されたのは、それから1ヶ月ほど過ぎた頃だった。 ある日、本屋でボケの本を立ち読みしていると、「ボケは『嫌なことを忘れなさい』という神の思し召し」というようなことを書いてある本があった。 そこには「中年以降の物忘れなどは、自然なことである」とも書いてあった。 それを読んで、ぼくはようやく安心し、それ以降は物忘れしても気にならなくなった。
しかし、このままボケ症状が進行するのもシャクである。 中年の物忘れが、自然なことでどうしようもないというのなら、何か別な方法でそれを補うことは出来ないかと考えた。 そこで目を付けたのが、算数だった。 数学は方程式を覚えなければ解けない。 そこに必要なものは、記憶力である。 一方算数は、方程式を使わずに解かなければならない。 そこに必要なものは、洞察力である。 つまり、一つの問題を解くには、記憶力を使う方法と、洞察力を使う方法があるということだ。 これを応用すればいい。 物忘れとは記憶力の低下だから、記憶力の代わりに洞察力に頼ればいいのだ。
そこで、とにかく算数能力(つまり洞察力)を養おうと、小学生の算数の問題集に挑戦した。 問題は簡単だった。 しかし、それは方程式を使えばの話である。 その方程式が使えないのだから、かなり難しい。 悪戦苦闘の日々が続いた。 最初のうちは、算数的な考え方が出来なかったから、まず方程式で答を求めて、それから後に解き方を考えることにした。 それを続けていくうちに、だんだん頭が柔らかくなっていくのを感じるようになった。 つまり、最初から算数的な考え方で問題が解けるようになったのだ。
一度、そういうことが出来るようになると、面白みが増してくる。 結局ぼくは、それにはまっていた時代に、3冊の問題集を解いた。 期間にして3ヶ月くらいだったろうか。 その後、興味がパソコンに移ったために、4冊目は手つかずのままである。
しかし、洞察力の養成は今も続いている。 きっと、算数的な考え方が身に付いてしまったためだろう。 あいかわらず「何で、ここに来たのだろう?」というようなことをやってはいるが、そこで考えるのを諦めないようになった。 「どうしてこんな行動をとるに到ったか」を前後の行動などと考え合わせて、答を追求するようになったのだ。 おかげで、時間はかかるものの、何とか答を導き出せるようになった。
先月、近郊の遠賀町で、青酸カリの入った金庫が盗まれるという事件があった。 犯人は、ぼくと同じ八幡西区に住む人間で、捕まった時「金目当てに金庫を盗んだが、青酸カリが入っていて驚いた」と供述。 犯人は知人に相談し、その青酸カリを盗んだバイクの座席下に隠しておいたという。
ところが、そのバイクが盗まれた。 よくよく運のないバイクである。 バイクを盗んだのは、金庫犯と同じ区−もちろんぼくとも同じ区−に住む少年二人だった。 座席の鍵を開けてみると、そこには青酸カリが入っていた。 そこで「怖くなって、重りとして小石を(青酸カリの)容器内に詰め、ふたを閉めて洞海湾に投げ捨てた」らしい。
今日、ワイドショーやニュース番組では、このニュースを繰り返し放送していた。 ニュースでは、洞海湾やその周辺のゴミ置き場に容器がないかと、係員が探している映像が流れていた。 現場はぼくの家から4,5キロ離れた場所だった。
洞海湾。 古くは日本書紀にその名前が出てくる。 神功皇后は九州入りの際、ここに入港したのだ。 中近世は、交通の要所となった。 馬関と黒崎の間に定期船が出ていたので、長崎に行く人は門司に行かず、洞海湾に入ってきた。 そのため、黒崎は長崎街道の筑前の起点となっている。 かの坂本龍馬は、太宰府の三条実美に謁見する際、小倉からではなく、黒崎から陸路をとっている。 近代は北九州工業地帯の中心地となる。 八幡製鉄や三菱化成といった重化学工業の、主要工場がここに集結した。 また、火野葦平の『花と龍』の舞台になったことでも知られている。 現在は、市内有数のデートスポットになっている。 喜ばしいことではないが、暴走族の溜まり場にもなっている。
ぼくはこの海(湾)の目と鼻の先に住んでいるため、物心ついた頃からずっとこの洞海湾を見て育ってきた。 つまり、ぼくのふるさとである。 企業の廃液の垂れ流しのため、久しく『死の海』と呼ばれていた洞海湾だったが、最近ようやく魚や水鳥が戻ってきた。 その矢先にこの事件である。
専門家は「膨大な海水量でその濃度が薄くなるため、被害はほとんどないだろう」とのたまっていた。 何が「被害はない」だ。 この海で、車エビ漁をやって生活している人がいる。 この人は被害者じゃないのか? この事件のせいで、イメージダウンは必至である。 当然、車エビは売れなくなるだろう。 釣り糸を垂れている人だっているのだ。 この人は被害者じゃないのか? もしかしたら、その魚を食って生活しているのかもしれないじゃないか。 まあ専門家を責めてもしかたがないことではあるが。
とにかく、悪いのは少年バカ二人である。 いったい何を考えているんだ。 洞海湾は、校歌にも出てきただろうが。 お前たちのふるさとでもあるだろうが。 そんな神聖な場所に、毒物を捨てるとは何ごとだ。 ふるさとの海を汚す奴は、このしろげしんたさんが許さん!
ぼくは店長の前以外では、店長のことを「店長」と呼んでいない。 何と呼んでいるかというと、「タカシ」である。 「タカシ」は店長の名前である。 なぜ店長と呼ばないのかというと、「店長」と呼べるほど尊敬出来ない人だからである。 「タカシ」で充分なのである。
2,3日前の話。 あるパートさんに「お姑さん危篤」の連絡が入った。 ちょうどその時、店長タカシから仕事を言いつけられていたパートさんは、その旨を彼に伝え、帰ろうとした。 ところが、店長タカシは「帰るのは、この仕事を終わらせてからにして」と言ったという。 しかし、事情が事情なので、パートさんはその仕事を他の人に頼んで帰ったという。 結局その日にお姑さんは亡くなり、翌日が通夜となった。 パートさんは、その時弔問に来た人に、そのことをこぼしたという。 こういう非人情な人だから、ぼくは尊敬出来なのだ。
さて、そんな店長タカシの一番のお気に入りが、実はあのH子なのである。
最近、H子とはどんな人かと聞かれることがある。 あのオナカ君は、わざわざ見にも来た。 H子、そうだなあ、ぼくは直接いっしょに仕事をしているわけではないのでよく知らないのだが…。 強いて特長を上げるとしたら、 上背は一般女子よりも高く、 頭のでかさは一般女子の2倍、 それを乗せる顔は一般女子の3倍、 肉付きは一般女子の4倍、 足の臭さは一般女子の5倍、 性格の悪さは一般女子の10倍、 服のサイズ21号、 まあ、こんなタイプの女の子である。 なぜかネズミ色が好きで、毎日ネズミ色のTシャツを着ている。 特に薄いネズミ色を着ている時は、一般女子の4倍ある贅肉がくっきりと浮かび上がる。 そういうH子の姿を後ろから見ると、まるで象、いやマンモスである。
さて、そのマンモスH子。 薬局勤務も5日目に入り、「だいぶ売場に慣れてきた」と人に語っていたらしい。 が、あいかわらずH先生は、マンモスの存在が面白くないらしく、いつも「いかにして追い出そうか」と頭を巡らしている。
昨日全員に給与明細が配られた。 薬局のパートさんが、その明細を見て「あーあ、あいかわらず少ないねえ」と嘆いていた。 それを聞いたマンモスH子が、そのパートさんに「そんなに少ないんですか?」と訊いた。 「4時間勤務やけ、いくら頑張っても○万円がいいとこよ」 「ええっ?そんなに少ないんですか。私あと1万円多くないとやっていけない」 そういうやりとりを小耳に挟んだH先生。 「ああ、それは困ったねえ。何なら、他の売場に移ったらどう?彼女の言うとおり、ここでいくら頑張っても、○万円がいいとこやけねえ。他の部門なら、1万ぐらい軽くオーバーするよ」 「そうですねえ」 「いや、遠慮せんでいいんよ。店長に言うて替わらせてもらったらいい」 「はい!」
その後、マンモスH子が店長タカシのもとに談判に行ったかどうかは定かではない。 が、先生の執拗な口撃で心が動いことは確かだろう。 あっ、 しかしマンモスは普通の人間ではないから、案外「先生って、人のことを親身になって考えてくれるいい人なんだなあ。別に怖い人でも悪い人でもないやん。もう少しここで頑張ってみよう」と思ったかもしれない。 どうするH先生。
【淡いカルピス】 今日プレイヤーズ王国で、新しく『淡いカルピス』を公開した。 21歳の頃に作った歌で、その頃作っていた四畳半的な青春歌謡の歌詞とは、まったく異なった歌詞になっている。 昨年の5月23日の日記にもこの歌詞のことを書いているが、これは子守歌なのだ。 実は、この歌詞は、その頃読んでいたヴェルレーヌの詩『叡智』を下地にしている。 だからこそ、四畳半的な歌詞にはならなかったのである。
【社長は生きていた】 5月14日の日記で、「K商店の社長が死んだ」という噂が広まったということを書いたが、今日その社長がやって来た。 もし、日記を読んでいたらバツが悪い。 そこで、こちらから声をかけて様子を見てみた。 「あ、社長、こんにちは。ちゃんと生きとるやないですか」 「え?生きてますよ。何かあったんですか?」 どうやら日記は読んでなかったようだ。 「いや、会長が亡くなったでしょう」 「ああ」 「それを社長と勘違いしていたみたいで、何人かの人から『社長が死んだ』と聞きましたよ」 「そうなんですか」 「きっと、社長と会長の名前を間違えたんでしょうね」 「ああ、一字付け足した名前やけねえ」 「まあ、一度死んだ人は長生きすると言うけ、社長は長生きするでしょうね」 と、いちおうヨイショしておいた。
【報道規制】 その後、「売れんですねえ」と、いつものように仕事の話をしている時だった。 突然社長が、「この間、新聞記者と食事することがあってねえ。その時出た話なんやけど…」と言った。 「先日、○○の問題発言があったやろ」 「ああ、ありましたねえ。でもあれ、どういう意味か、よくわからんのですけど」 「そうやろ。わたしもわからんかった。でも、記者からそのことを聞いて納得した」 「そうなんですか」 「実はねえ、××さんは●●したらしいんよ」 「ええっ!?本当ですか?」 「うん。マスコミはみんな知っとるよ」 「新聞や週刊誌見ても、そんなことどこにも書いてないじゃないですか」 「報道規制」 「ああ、なるほど。しかし、それならあの○○の発言も納得いきますねえ」 「そうやろ」 「おれでも、同じ立場ならああ言いますよ」 「うん」
ということで、ぼくの疑問は解けた。 つまり、××が●●したので、それに腹を立てた○○が、問題発言をしたというわけだ。 「○○」「××」「●●」に名前や言葉を入れたら、この日記を読んでいる方も何のことか納得してもらえると思う。 が、何せ報道規制が敷かれているのである。 ぼくには、これ以上言うことが出来ない。
15日の日記でオナカ君が来たことを書いたが、その日オナカ君は昼過ぎにやってきた。 特に用はなかったようだ。 いつものように世間話をした後、彼の仕事の話になった。 しんた「しかし、おまえ、いつも暇そうやのう。ちゃんと営業しよるんか?」 オナカ「今営業はほとんどやってないのう」 し「とういうことは、現場に入り浸りか?」 オ「まあ、そんなところやのう」 し「そういえばおまえ、前にまた車の営業に戻るようなこと言いよったのう」 オ「おう、それを考えよるところやのう」
オナカ君は、以前トヨタ車のセールスをやっていた。 そのおかげで、ぼくの車は歴代トヨタ車ばかりである。 車のセールスに戻ると言うことは、またぼくはオナカ君から新車攻勢をかけられることになる。
し「ところでおまえ、おれの歌聴きよるか?」 オ「ああ、プレイヤーズ王国か?最近聴いてないのう」 し「聴いてくれな困るんやけどのう」 オ「何でか?」 し「あそこに上げとる曲を、お前の営業の力で売り込んでもらうんたい」 オ「売り込む?どこにか?」 し「Sが博多で広告代理店しよるやろうが」 オ「Sに売るんか?」 し「違う。あいつに頼んで、CMでおれの歌を使ってもらうんたい」 オ「どこCMか?」 し「わからん。それはS次第やろ」 オ「それならMに頼んだほうがよくないか。あいつの会社、テレビでCM流しよるやろ。あいつ部長やけ、話が早いんやないか」 し「それもそうやのう。でも、Sはおれの歌認めとるけ、話が早い」 オ「そうか。しかし、売り込むなら、CD作るほうが先やないんか?」 し「そりゃそうやけど、金がかかるらしいけのう」 オ「しかし、それがないと始まらんやないか」 し「じゃあパソコンで作ることにするわい。あとはおまえが売り込みに行った時に、『もっといい音がほしければ、そちら持ちで作って下さい』と言え」 オ「おれが言うんか?」 し「おう、おまえが社長やろ」 オ「社長?」 し「そう。おまえは芸能プロダクションの社長」 オ「また、そんな勝手なこと言うて」 し「いや、おれは前々から、おまえを社長にしてようと思っていた」 オ「じゃあ、おまえは何するんか?」 し「おれは職人でいい」 オ「何の職人か?」 し「歌職人ということにしとこう」
オ「しかし、CMだけで儲かるんかのう?」 し「儲かるかどうかは、社長の努力にかかっとる」 オ「他に何をするんか?」 し「有線でかけてもらうとか、色々あるやろう」 オ「それもおれがするんか?」 し「当たり前やないか。社長なんやけ。うまくいけば、老後は安泰ぞ」 オ「そうか。じゃあ、すぐにデモテープ作ってこい。あまりおまえの歌を知らんけのう。こういうのは知っておかんと説得力がないやろ」 し「そうやのう。じゃあ、すぐに作って参ります、社長」 オ「おう、吐くまで聴いてやろうやないか」
目下のところぼくの夢は、オナカ君を社長にすることである。

(オナカ君)(オナカ社長)
産経新聞トップに『ニート』という若者が増えている、という記事が載っていた。(5月17日付朝刊) 『ニート』、初めて聞く言葉である。 これは無業者のことらしい。 無業者と聞くと、すぐに『フリーター』を連想してしまうが、『フリーター』と『ニート』の決定的な違いは、働く意欲があるかどうかにあるという。 もちろん『フリーター』は、アルバイトに精を出しているわけだから、その形態にいろいろと社会的な問題はあるにせよ、勤労意欲だけは持ち合わせている。 ところが『ニート』のほうは、その勤労意欲がない。 つまり、怠け者だということだ。
その『ニート』にもタイプがあるらしく、大別すると『ヤンキー型』『ひきこもり型』『立ちすくみ型』『つまずき型』の四種類に分かれるのだそうな。 『ひきこもり型』=社会との関係を築けず、こもってしまうタイプ。 『立ちすくみ型』=就職を前に考え込んでしまい行き詰まってしまうタイプ。 『つまずき型』=いったんは就職したものの早々に辞めてしまい、自信を喪失したタイプ。 この3種類は「さもありなん」とうなずけるところがある。 が、『ヤンキー型』というのは何なのだろう。 ネーミングからして、いかにも間抜けそうではないか。 解説では、[反社会的で、享楽的。「今が楽しければいい」というタイプ]となっている。 まさしくそのとおりであるが。 そうか、あいつら仕事してなかったのか。 まあ、あれでは企業も採用しないだろう。 ところで、街でよくヤンキーたちを見かけるが、ああいうのを見るとつい日本的なものを感じてしまう。 ところが、どうもそうではないらしいのだ。 「先進国特有のタイプで各国に共通して存在」しているのだそうな。 ということは、欧米にも、夜中コンビニにたむろして、「うぜーんだよ」などと言っている輩がいるということか。
さて、こういう記事を見ると、ぼくはつい自分の若い頃を思い出してしまう。 ぼくは若い頃に長い浪人生活を経験しているが、その間アルバイトもしていない時期があったから、ぼくが今の若者だったら、おそらくぼくもこの『ニート』という括りになっていただろう。 その際、ぼくはどの分類になるのだろうか。 もちろん『ヤンキー型』ではない。 なぜなら、その頃一度だって「楽しい」と思ったことがなかったから、「今が楽しければいい」という分類には当てはまらないのだ。 また『つまずき型』でもない。 その浪人期間には、一度も就職をしてないからだ。 『立ちすくみ型』でもなさそうだ。 確かに行き詰まってはいたものの、考え込んではいなかった。 自分の運命を信じ、いつも「今にいい風が吹いてくる」と思っていたのだから。 では、『ひきこもり型』になるのか。 ぼくが引きこもっていたのは約2ヶ月だったから、確かにその間は『ひきこもり型』だったかもしれない。 しかし、社会との関係を築けなかったわけではない。 高校時代ほどではないけれど、それなりにコミュニケーションはとっていた。 だから、外部の情報だけはいろいろと入ってきていたのだ。 いわば、江戸期の日本のようなものだった。
ところで、仕事をしない人が必ず口にするのが、「仕事がない」である。 ぼくも口にしたことがある。 しかし、これは言い訳にすぎない。 なぜなら、選り好みさえしなければ、仕事はいくらでもあるからだ。 いわゆる『ひきこもり型』時代、ぼくは母から、いつもそこを突かれていた。 「あんた、いつまでブラブラしとくつもりね?」 「だって仕事がないんやもん」 「何が仕事がないね。新聞見てみなさい。いくらでも仕事はあるやないね。仕事がないんやない。仕事をする気がないんやろう。今月中に仕事探してこな、家を追い出すけね」 ぼくの『ひきこもり型』時代が、2ヶ月間と比較的短かくてすんだのは、母のこの突っ込みがあったからだと思う。
『ニート』と呼ばれる人たちは、親にパラサイト(寄生)して生活するケースが多いと言うから、それを防ぐためには、親が甘やかさないことが肝要だということになる。 記事では、『ニート』現象を社会のせいだというようなことを書いてあるが、「決してそうではない」とぼくは思う。 親の教育によるところ大なのである。
さて、H子(※)である。 3日前の日記で「泣いて家に帰った」ことを書いたが、その日彼女はレジの掃除当番だったらしい。 レジの掃除当番とは、朝誰よりも早く来て、レジ周りの清掃や、各レジに備え付けてあるぞうきんを洗ったりしなければならない。 その日H子はちゃんと早く出勤して、レジ周りの清掃はやったらしいのだが、何とぞうきんのほうはレジ長と自分のだけしか洗っていなかったらしく、他の人のぞうきんは真っ黒なままだったという。 その後で、H子は大泣きして帰ることになるのだが、ぞうきんの件を指摘されるのが怖くて泣いた、ということも一因になっているのかもしれない。
そして今日、いよいよH子が薬局勤務になった。 朝ぼくが出勤すると、すでにH子は出勤しており、パートMさんから細かい説明を受けていた。 実は説明を受けるのは、今日に始まったことではない。 内示を受けた日から、2冊で税込105円の手帳を買い込んで、薬局のパートさん連中にいろいろと説明を受けていたのだ。 手帳に書き込んだかどうかは定かではない。 その際パートさんたちは、「H先生(※)はあんな人やけ、何言われてもハイハイと言って聞いといたほうがいいよ」とか、「わからないことは自分で判断せずに、何でも先生に尋ねてね」などとアドバイスしたらしい。 すると、H子は何を勘違いしたのか、「『ハイハイ』と言って聞くというのは、ゴマをすれと言うことですか?」とか、「わたし、先生に進言や意見をしていきます」などと答え、相変わらずの大バカぶりを発揮していたという。 確かにH子はH先生より顔は大きいが、ど素人の彼女が薬剤師という国家資格をもっている先生に、「進言・意見」とは何事か。 それを聞いた人はみな「10年早い」と言っていたが、ぼくは「いや、10年で間に合うわけない。人生を一度終えてから言え」と思っていた。
そしていよいよH先生との対面である。 他の売場の人間は、よほどこの組み合わせに興味があったのか、みな遠巻きに薬局を見ていた。 もちろんぼくも気になって、薬局の前を往ったり来たりしていた。 それに気がついた先生は、何とも言えぬ顔をして、ぼくに手を振っていた。
そのH先生がH子に指示したこと、それは「今日は、(売場の雰囲気になれるために)そこに立っとくだけでいい」だけだった。 ところが、それを言葉どおりに受け取ったH子は、ずっと売場のど真ん中に立っていたらしい。 そのため、「体が大きいけ通路塞ぐんよね。お客さんが入りにくそうにしていた」(H先生談)という。
午後になり、4時間勤務のH子は帰って行った。 すぐさまぼくは薬局に行き、状況を聞いた。 が、今日は期待されたほどの大きな事件はなかったようだった。 しかし、H先生とH子の組み合わせである。 きっと何かをやってくれるだろう。 当分目が離せない。
(※)…上の検索窓で検索して下さい。関連している日記が出てきます。
気がついた方もおられると思うが、日記に検索窓を付けた。 これはGoogleやYahoo!などにある、ウェブ検索ではなく、この日記内の検索である(申し訳ありません。パソコンのみです)。
試しに「中華饅」と入れてみてほしい。 『2001年10月25日(木)最近読んでいる本』というのが出てきたと思う。 日付をクリックすると、あーら不思議、「パール判事の日本無罪論(小学館文庫)」を読んでいることが書いてある。 で、どこに「中華饅」という言葉が出ているかというと、スペースの後に「中華饅共和国」というのがある。 検索は一千回以上書いている日記の中から、見事に「中華饅」を探し出したのだ。
ぼくは日記によく「以前書いたと思うが」と書いているが、それをいつ書いたのかは忘れてしまっている。 いちいち探すのは面倒だし、それをするのは時間の無駄でもある。 そのため、これを書く時は「いつだったか忘れたが、以前そう書いた覚えがある」というニュアンスで使っていたのだ。 しかし、この日記をずっと読んでくれている人ならともかく、初めてこの日記を読んだ方や、読み始めて日の浅い方には、何のことかわからないだろう。 そこで以前から、「検索出来るようにしたい」と思っていた。 とはいえ、日記サーバーにその機能がなかったので、それをするためには、日記をすべてダウンロードして、その一つ一つを新たにHTMLファイルとして作り、さらにその括りのページを作り、そこに検索窓を付ける、という気が遠くなるような作業を強いられることになる。 自慢ではないが、ぼくはこんな面倒なことはしない。 だから諦めていた。
ところが、先日、日記サーバー『エンピツ』の説明を読んでいると、それが出来るようなことが書いてあった。 それを読んだぼくは、思わず「やったー。さすがエンピツ、えらい!」と叫んだものだ。 が、ただでは出来ない。 そう、そのためには有料会員になる必要があったのだ。 ホームページにはあまりお金を遣うようなことをしたくなかったのだが、そうすることで長年の夢が叶うのだ。 しかも、有料と言っても、さほど高い額を取られるわけではない。 そこでぼくは、有料会員の手続きをした。 そして昨日やっと、念願の検索窓を付けたのだ。
昨日は、これでいろいろ遊んでいた。 例えば、この日記によく登場する、友人の「オナカ君」だが、彼の名前がいつから出ているのかというと、この日記をつけ始めた年の10月31日である。 ごく最近から登場したと思っていたのだが、けっこう前から彼には登場して頂いていたのだ。
ちなみに、そのオナカ君。 今日も会社にやってきた。 二人で老後の計画を立てたのだが、その話はまた後日書くことにする。
ということで、今後は、関連日記を書いている場合、その言葉に「米印」か何かをつけて、検索してもらえばいいようにしておくつもりだ。
話は2週間前にさかのぼる。 5月1日のこと。 取引先のK商店から商品が入荷した。 K商店は一族でやっている企業で、配達もその一族でやっている。 その日商品を持ってきたのは、社長の奥さんだった。 「こんにちはー。お世話になっています」 「あ、こんにちは。Kさん、今日も仕事なんですか?」 「ええ、うちは暦どおりだから」 「他の取引先はどこも休みなのに大変ですね」 「そうなんですよ。それに、今朝方おじいちゃんが亡くなったんですよ。もう忙しくて」 「おじいちゃん?」 「ええ、社長のお父さん、会長ですよ。99歳だったんです」 「へえ、大往生やねえ」 「で、ここが終わったら、すぐに通夜の準備なんです」 「じゃあ、明日が葬儀?」 「いえ、葬儀は連休明けにやります」 奥さんは5分ほどぼくの話につきあった後、走るようにして帰って行った。
さて、連休明け。 わりと人通りの多い表通りにある斎場で、しめやかに葬儀は執り行われた。 斎場には、会長の名前『○○○○』が大書してあった。 ところが、それが元で大きな勘違いが起きた。 喪主は息子である社長がやったのだが、社長の名前は『○○○○郎』といって、会長の名前に『郎』一文字を付け加えた名前である。 今の取引先の人で、会長の名前を知っている人はいない。 そのため、会長の名前を見た人は、てっきり社長が亡くなったと思ったのだ。
翌日、ぼくは店長から呼ばれた。 事務所に行くと、店長は「ねえ、しんた君、K商店と取り引きあったよねえ」と言った。 「ええ、ありますよ」 「社長、どこか体の具合が悪かったんかねえ」 「え?知りませんよ」 「そうか、知らんのか。いや、実はねえ、他の店の人からから電話があって、『昨日、K商店の社長の葬儀をやっていた』と聞いたんでね、しんた君が知っとるかと思ってね」 「葬儀?ああ、それは会長の葬儀ですよ。一日に社長の奥さんが来た時に、会長が亡くなったと言ってましたから」 「ああ、会長ね。そうやろうね。社長の具合が悪いとか聞いてなかったけ、おかしいなとは思ったんやけど…。ああ、そうか、社長は会長の名前に『郎』を足した名前やけ、知らん人は間違えるよねえ」 それで納得したのか、話はそこで終わった。
ぼくが売場に帰ると外線が入っていた。 電話は本社の人からだった。 「しんちゃん聞いた?K商店の社長が亡くなったらしいね」 また勘違いである。 「ああ、あれは会長ですよ」 ぼくはその日「社長が亡くなった」という話を三度聞かされた。
翌日も、何人かの人が言ってきた。 しかし亡くなったのが会長だとわかったのか、それ以来言ってくる人はいなくなった。
ところがである。 それから一週間くらいして、ある取引先の人が、「K商店の社長が亡くなったらしいですね」と言ってきた。 「いや、亡くなったのは会長」 「ああ会長だったんですか。そうですよね、社長まだ若かったし」 もう時間も経っていることだし、そういうことを言ってくる前に、ちゃんと電話で確認をとるなりして、事実を調べろよ。 知らない仲じゃないんだから。
とはいうものの、ぼくも奥さんから聞いてなかったら、ここ最近会ってないし、やはり亡くなったのは社長だと思ったかもしれない。 いつもネタに困っているので、案外この日記にもそのことを書いたかもしれない。 社長はこの日記をたまに読んでいるらしいから、もしそうしていたら、「日記読みましたよ」と言ってきたかもしれない。 きっと、バツの悪い思いをしていたことだろう。
| 2004年05月13日(木) |
会社は幼稚園ではない |
毎朝日課としていることに、レジパートのKさんを驚かすというのがある。 呼吸を潜め、忍び足でKさんの背面に近づき、突然大声で「おはようございます」と言うのだ。 こういうのに弱いKさんは、「ワーワー、キャーキャー」言って騒ぎ出す。 他のレジの人は、「しんちゃん、だめやないね。Kさんをびっくりさせたりしたら」と口では言いながらも、顔は笑っている。 そういう中、ただ一人冷ややかな目でそれを見ている、いや、そのことにまったく関心を持たない女性がいる。 H子である。
さて、昨日H子のことをこの日記に書いたが、内示を親しい人に言って回ったH子が、今日どういう態度でいるのか、ぼくには大変興味があった。
朝、会社に着くと、ぼくはさっそくレジに行き、いつものようにKさんを驚かした。 周りはいつものように笑っている。 そしていつものように、そのことに無関心なH子がいる。 いつもの朝の風景だった。
その後、ぼくは開店の準備をした。 外はあいにくの雨、開店を待っているお客さんもいない。 『今日も暇だろな』と思いながら、ぼくは売場に戻った。
売場で事務処理をしているうちに、10時になった。 開店である。 それから5分ほどして、ぼくは用があってレジのほうに行った。 すると、レジの様子が何となくおかしい。 何があったんだろうとKさんに聴いてみると、Kさんは、 「H子さんがね、突然泣き出してねえ。今レジ長が店長のところに連れて行ったんやけど…」と言った。 「何かあったと?」 「いや、何もないよ。とにかく突然泣き出したんよ」 「いじめたんやろう?」 「そんなことするわけないやんね」 すると、もう一人のパートのMさんが、 「パフォーマンスやないんね」と言った。
レジに聴いても今ひとつ要領を得ないようなので、ぼくは事務所に行ってみることにした。 今事務所の中に入ることははばかれるので、窓の外から事務所を覗いてみることにした。 なるほどH子は、巨体を振るわして泣いている。 何人かの人がH子の周りに集まっている。 と、その時、H主任が事務所から出てきた。 そこで、ぼくは「何かあったんですか?」と聞いてみた。 すると、H主任はいかにも不機嫌そうな顔で、「知らんぞ」と言った。 「そうですか」 「ほんと迷惑な話やのう。店長も、何であんな奴を留めとくんかのう。おれならとっくにクビにしとるぞ」 もちろんH主任も、H子が薬局に異動する話を知っている。 「内示を人にペラペラ言うて回って、本当にバカやのう」
そんな話をしている時に、レジ長が事務所から出てきた。 「どうしたんか?」 「知らんよう。私の顔を見るなり泣き出すんやけ」 「お前が何か言うたんか?」 「言うわけないやん。朝は体操したりしよったし、わりと機嫌がよかったんよ。もしかしたら、誰かがH子さんに吹き込んだんかもしれん」 「え?」 「いや、事務所で、何で泣いたんか聴いてみたんよ。そしたら『H先生が怖い』とか言うたけ」 「怖い?昨日あれだけ嬉しそうな顔して、ペラペラ内示を言うて回りよったやないか」 「だから、今日誰かに『H先生にいじめられるよ』とか言われたんやないんかねえ」 「H子にそんなこと吹き込む奴とかおるんか?」 「さあ。あまり親しい人はおらんみたいやけど」
ここでぼくは、さっきMさんが言った『パフォーマンス』という言葉を思い出した。 「もしかしたら、パフォーマンスかも知れんのう」 「何でパフォーマンスするんね?」 「あいつ、異動のこと誰も知らんと思っとるやん。当然お前もそのことを知らんと思ったんやないんか。それでお前に教えたいと思った。だけど、嬉しい顔で言うわけいかんやん。そこで泣いて、本当は行きたくないけど…、というポーズをとったんやろう」 「そんなことするかねえ」 「おう、あいつ、体面繕うのは得意みたいやけのう」
さて、その後しばらくしてからレジに行ってみると、H子がいない。 レジ長に聞いてみると、「帰ったよ」と言う。 「帰った?」 「うん、店長が『このまま店に出るわけもいかんやろう。今日は帰り』と言ったらしいよ」 「えっ、泣いたくらいで帰らせるんか? ここは幼稚園じゃないんぞ」 「知らんよう。店長の判断なんやけ」 「じゃあ、おれも早く帰りたい時は、泣くことにするわい」 ということで、今日ぼくは、人前でさんざん泣き真似をした。
しかし、店長は変な前例を作ってくれたものである。 H子のことだから、きっと『早く帰りたい時は泣けばいい』と思っているにちがいない。
| 2004年05月12日(水) |
知らんのはお前だけだ |
うちの店のレジに、H子というちょっと変わった、というよりバカなアルバイトがいる。 歳は30代前半で、独身である。 以前は大手のスーパーで勤めていたらしく、そのことに関して変なプライドを持っている。 そのプライドのせいなのか、レジの長以外の人の言うことをまったくきかないという。 またそのレジ長がいない時は、勝手に持ち場を離れ、店の中をウロウロしたりしている。 それを見かねて同じ部門の人が注意すると、いじめられていると受け止める。 先日、彼女の父親が店にやってきて、レジの人一人一人を睨み付けていたという。 おそらく彼女が「店の人にいじめられている」と父親に報告したのだろう。
そういったこともあって、レジの人たちはかなり頭に来ていたようだ。 そしてついに反乱が起きた。 午前中勤務の人たちが勤務後、店長のもとへなだれ込み、直接談判を行ったのだ。 「私たち、もうあんな人といっしょに仕事したくありません!」 「ああいう人と仕事をするくらいなら、辞めます!」 かなり強い口調で、店長に詰め寄ったらしい。 店長もこれには参ったらしく、すぐに彼女の異動を考えた。
まず手始めに、今一番手薄になっている部門に打診した。 ところが、その部門の人も彼女の噂は聞いていて、 「あんな人いりません。あの人が来るくらいなら、私辞めます」 と怒り顔で言ってのけた。 その剣幕に恐れ入った店長は、その人の前で彼女の話はしなくなった。
頭を抱えた店長が次に出した案は、薬局のH先生(今年の3月22日、及び23日の日記参照)の下で働かせることだった。 もちろんH先生も彼女の噂は聞いていたようで、 「店長から『H子をまわす』と言われたんよ。困ったことになった。断らないけん」 と店中の人に言っていた。
が、先生は策士である。 自分から店長に断ることはしなかった。 そこのパートさんたちにいらぬことを吹き込んで、彼女たちが嫌がるようにしむけ、彼女たちの口から、店長に断らせるようにしたのだ。 しかし、 「H子さんが来るなら、私たち辞めます」 「ああ、辞めてもらってもいいですよ」 ということになり、H先生の目論見は儚くも崩れてた。 しかたなく、H先生が談判に行った。 が、店長に「パートさんも辞めると言ってたけど、ついでに先生も辞めますか?」と言われ、あえなく撃沈。 結局、「10日間、様子を見ましょう」ということになった。 その後店長はH子を呼んで異動の旨を知らせ、「まだ内示だから、誰にも言わないように」と念を押した。 その一部始終の話は、H先生を通して店中に伝わった。
ところが、今日のこと。 K主任という人のところにH子がやって来て、 「K主任、私、今度薬局に異動になるんですよ。あ、でも、まだ内示だから誰にも言ってはいけないと言われたんです。誰にも言わないで下さいね」 と嬉しそうに言ったそうだ。 その話を、K主任はぼくにしてくれた。 それを聞いて、ぼくは大笑いした。 「誰にも言うなって、みんな知ってることじゃないですか」 「そうそう、H子は一番最後に知ったんやけね」 その話が、また店中を駆けめぐった。
何も知らないH子は、食堂にいた薬局のパートさんを捕まえて、 「わたし今度、薬局に行くことになったんですよ。よろしくお願いします。ああ、まだ内示だから、誰にも言わないで下さいね」 と、大きな声で言っていた。 つくづく大バカ者である。
しかし、H先生とバカH子の組み合わせは、傍から見ると大いに楽しめる組み合わせだ。 16日に異動になるらしいが、早くその日が来ないかと、ぼくは心待ちにしている。
法事の日に本屋に行ったことを先日書いたが、その帰りの話である。 本屋を出た後、バスセンターに行ったのだが、家の前に停まるバスは出たばかりだった。 待てば30分ほどかかる。 そこで、しかたなく別の路線を利用することにし、バスに乗り込んだ。
土曜日ということで、さほどの渋滞もなく、10分ほどで最寄りのバス停に着いた。 そこから家まで7,8分歩くことになる。 主要幹線の脇を歩いて帰るのだが、この道は、平日いつも混んでいる道である。 さすがに土曜日は少ないだろうと思いきや、何といつもより渋滞しているではないか。 それもまったく進まない状態である。 何ごとかとその先のほうを見てみると、ずっと向こうに救急車が停まっていた。 「これは事故か」と思った瞬間、自ずと足早になっていた。
事故現場はしょっちゅうお目にかかっているものの、それは車の中からであり、いつも何があったのかわからないままに通り過ぎなければならない。 歩行者として事故現場を通れば、それをゆっくり見ることができるのだが、そういう機会に巡り合うことは、滅多にあることではない。 その滅多にない機会に遭遇したのだ。 「このチャンスを逃してなるものか」 そう思いながら、ぼくは現場に向かった。
ところが、いくら足早に歩いても、歩く速度には限界がある。 そのためその途中二つある信号に、二度とも引っかかってしまった。 イライラしながら信号を待ち、幅の広い道路を横断し、またイライラしながら信号を待たなければならない。 そうこうしているうちに、事故の現場検証が終わってしまう。 最後は走っていた。
そうやって何とか事故現場にたどり着いた時、無情にも救急車は立ち去ってしまった。 「あーあ。チャンスを逃したわい」 と、事故があっただろう場所に目をやると、そこにはまだ何人かの野次馬がたむろしていた。 レスキュー隊らしき人が、その野次馬たちと会話を交わしている。 おそらく事情を聴いていたのだろう。 野次馬は、身振り手振りで事情を説明しているようだった。 その時、その野次馬の一人が、歩道のほうを指さした。 何だろうと見てみると、そこにはボードのような物が立っていた。 ぼくの立っている場所からだと、それが何だか確認出来ない。 そこでぼくは、場所を移動した。 そして改めてそこを見てみると、ボードと思ったのは何と車の底だった。 車が運転席側を下にして立っていたのだ。 それも幅2メートルくらいの歩道にである。 そのすぐ向こう側には民家がある。 よく家にぶつからなかったものだと感心していると、さらに驚くべきことに気がついた。
ぼくはその現場と車道を隔てた対面から見ていたのだが、そこから見ると、車道の向こうに歩道がある。 そこに車が立っていたわけだが、その車道と歩道はガードレールで隔てられているのだ。 ということは、車はガードレールを飛び越え、そのまま横向きに落ち、ピタリと歩道に着地した、ということになる。 そこは交差点近くである。 いったいどこをどう走って、どういうハンドルさばきをしたら、ああいう曲芸みたいな事故になるのだろう。 ぼくの横にいた人も、「こんなこともあるんですなあ」と変に感心していた。
その事故現場からぼくの家までは、歩いて3分ほどである。 車道では、車が動けずにずっと列を作っていた。 ぼくはそれを見て、「この先事故やけ、迂回したほうがいいよ」と教えてやりたい気持ちになった。 が、何台かに柄の悪そうな姉ちゃんが乗っているのを見て気が変わった。 「そこでずっと渋滞してろ」という気になったのだ。 家に帰ってからも、窓からしばらくその渋滞風景を見ていたが、渋滞は一時間経っても解消されなかった。
| 2004年05月10日(月) |
今日も君を想い出にする |
『今日も君を想い出にする』
今日一日が情けなくて ぼくは何気なく君を見る 君はかすかに笑みを浮かべ 小さくうなずいて席を立つ
ぼくはやっぱり君が好きで 二度と離れて暮らすなんて とても出来ないことなんだと 君をまた今日の想い出にする
途切れた愛の日々を ひとつひとつ想い出しては 胸の痛くなるような、そんな一日
ぼくがこうして上を向いて いけるのも君がいるからのこと 君を愛する、だからぼくがいる 今日も君を想い出にする
5月5日の日記に書いた、繋ぎの歌が今日ようやく公開された。 別に大した歌ではないのだが、以前あるところで、この詩が好きだという人からお褒めの言葉を頂いたことがある。 そこで、いずれはこの曲を公開しなければ、と思っていたわけである。
ミュージシャンが「自分はこの歌が好きなのだが、受けがイマイチでねぇ」と言っているのを耳にすることがある。 この歌も、ぼくにとっては、そういう歌の類である。 ぼくは好きなのだが、人に聞かせると、反応が今ひとつなのだ。 そのたびに「いい歌なのに、何でかのう?」などと思って、頭を抱えている。
いっそ捨ててしまおうと思ったこともある。 が、捨てきれない理由がこの歌には潜んでいるのだ。 それは何かというと、歌いやすさである。 ぼくの歌は、ほとんどが眉間にしわを寄せないと、歌えないようなものが多い。 だが、この歌に関しては、その必要がないのだ。 ぼくには大変歌いやすい歌である。
まあ、そういう歌なので、今回は珍しくPRに歌詞を書くことにした。 それは、「曲だけ聴いて、捨てないで下さい」という、ぼくからのメッセージなのだ。
ところで、冒頭に『繋ぎの歌』と書いたのだが、そうであれば、次の歌があるということになる。 はい、ちゃんと準備しております。 眉間にしわを寄せて、必死にうたう歌を。
【バスから見る風景】 昨日、法事から抜け出したぼくは、そのまま市内最大の本屋がある黒崎へ直行した。 最近開通したばかりの急行バスでの移動となった。 嫁さんの実家へ行く時にしょっちゅう通っている道なのだが、さすがに自分の車の中から見る風景と、バスの中から見る風景とは、違っている。 自分の車から見る風景は歩く時と同じく、せいぜい家の屋根しか見えないのに対して、バスの中から見ると、街全体がよく見渡せる。 つい30年ほど前まで、そのへんは小高い山(一説によると古墳群)が続いて、車も通れないような辺鄙な所だった。 その山を切り開いたのは、産業医大が開校した頃だった。 その後、大字が付いていたその土地は、名前を変え、一大住宅地に変貌した。 バスの中からだと、その山を切り開いて造った宅地が、見事に建物で埋まっているのがよくわかるのだ。 かつては、国道沿線に出ないと見ることのできなかった都市的な街並みが、その辺鄙だった場所に展開されている。 逆に国道沿線は、建物の老朽化が目立ち、所々に空き地も見える有様である。 これも時代の流れだろう。
【本屋にて】 さて、黒崎に着いたぼくは、そのあたりにいたユニセフの募金小僧たちには目もくれず、本屋に向かった。 目的はただ一つ、買いそびれていた雑誌『諸君!』を買うことにあった。 それを買ったら、すぐに家に帰ろうと思っていた。 ところが、それを買った後で、あることを思い出した。 「もしかしたら、『20世紀少年(浦沢直樹)』16巻が発売されとるかもしれん」 このマンガはコミックで読むことにしているため、連載しているスピリッツはまったく読んでいない。 そのため発売日がわからない。 だが、だいたい3ヶ月に1巻のペースで出ている。 15巻の発売が1月か2月だったので、もうそろそろだと思ったわけである。
さっそく、3階にあるコミック売場に行ってみた。 読みが当たった。 やはり出ていたのだ。 いつ発売されたのかはわからないが、しっかり山積みされていた。 そこで、もう一つのコミックも出てないかと探してみたが、それは出てなかった。 そのコミックとは、『格闘探偵団(小林まこと)』の2巻である。 1巻が発売されたのが昨年の9月だから、いくら何でも、もうそろそろ出ていい頃である。 小林さんは連載を怠っているのだろうか。
しかし、「まあ、『20世紀少年』も手に入れたことだし、良しとするか」と、ぼくは本屋を後にした。 法事から解放された喜びと、『20世紀少年』を買えた至福感に包まれて、ぼくは家路を急いだのだった。
| 2004年05月08日(土) |
親父さんの七回忌(後) |
『満堂の禿あたまと銀器とオールバックとギヤマンと丸髷と香水と七三と薔薇の花と。 ・・・・ 麻痺に瀕した儀礼の崩壊、隊伍の崩壊、好意の崩壊、世話人同士の我慢の崩壊。 何がをかしい、尻尾がをかしい。何がのこる、怒りがのこる。 腹をきめて時代の曝しものになったのっぽの奴は黙ってゐる。 往来に立って夜更けの大熊星を見てゐる。 別の事を考へてゐる。』(高村光太郎『のつぽの奴は黙ってゐる』より)
さて、10時半から始まる法事に少し遅れて行ったぼくには、座る場所も用意されなかった。 しかたなく、法事をやっている隣の部屋の片隅に座っていた。 周りを見回すと、見知らぬじじいやばばあばかりだ。 みな熱心に坊さんの読経に聞き入っている。 嫁さんの実家は浄土宗だった。 おそらく坊さんは阿弥陀経を唱えていたのだろう。 その経本が来ていた全員に配られていたようで、みな坊さんが読経している部分を目で追っていた。 時々『南無阿弥陀仏』という念仏が出てくるのだが、そこのところだけは、申し合わせたように「南無阿弥陀仏」と合唱していた。 ぼくの家の宗旨は浄土真宗だから、坊さんは同じく阿弥陀経を唱えている。 だが『南無阿弥陀仏』の合唱はない。 この辺に宗旨の違いがあるのだろうか。 いや、嫁さんの実家は田舎だから、もしかしたらその地の風習なのかもしれない。
ぼくは読経の間、冒頭の光太郎の詩を思い出していた。 結婚式にしろ法事にしろ、だいたいこんなものである。 この詩の添え書きに、来客のひそひそ話が書いてある。 『…へえ、あれが息子達ですか、四十面を下げてるぢゃありませんか。…いやにのつぽな貧相な奴ですなあ。…』 ぼくは今日法事に来ていた人間の中では一番背が高かった。 おそらく、ぼくが遅れて入って行った時、こんな感想を持った人がいたにちがいない。 まあ、息子とは言うものの、義理ではあるが。
その後、宴会となった。 場所は同じ町にある寿司屋で行われた。 歩くにはちょっと遠い所にあった。 が、どういう方法でそこに行くのかを、ぼくは教えてもらってなかった。 「そろそろ行くよ」と言う声がしたので外に出てみると、誰もいない。 どこかで待ち合わせているのかと思って、周りを探してみたが、やはり誰もいない。 いっそこのまま帰ってしまおうか、とも思ったが、銀行に行かないとお金もない。 そこで、銀行のある所まで行くことにした。
10分ほど歩いた時、一台の車がぼくの横で停まった。 嫁さんの弟の車だった。 その車には嫁さんも乗っていた。 「どこ行きようと?」 「銀行」 「宴会は?」 「銀行に寄ってから行く」 「歩いて行くと?」 「おう」 「いいけ、乗っていき」 と、ぼくの腕を引っ張った。 これで宴会から逃げられなくなった。
宴会でもぼくは浮いた存在だった。 ビールを注がれるのが嫌だったので、日本酒をたのみ一人で飲んでいた。 嫁さんは一族との話に花が咲いている。 共通の話題がないぼくには、ついて行けない。 宴会は2時間くらいだったが、その間ぼくはずっと光太郎の詩を口ずさんでいた。 『別の事を考へてゐる』である。
ようやく宴会が終わった。 一同は、また嫁さんの実家に戻るという。 この状態がまだ続くのかと思うと、ぼくはぞっとした。 そこで嫁さんに、本屋に行ってくると言って、逃げ出すことにした。 嫁さんは不満そうだったが、留まればこちらが不満になる。 「じゃあの。実家でゆっくりしてこいよ」 そう言って、ぼくはバス停に向かった。 法事から数えると3時間半、えらく長く感じたものだった。
「ぼくはこの一族の一員ではない」 嫁さんの実家に行くと、いつもぼくはこう思ってしまう。 今日またその思いを強くした次第である。
| 2004年05月07日(金) |
親父さんの七回忌(中) |
あいかわらず親父さんはボーッとしていた。 が、しばらくしておもむろに口を開いた。 「それは、おめでとうございました」 拍子抜けしてしまった。 こちらは大声出して、赤恥かいたのに、まるで他人事じゃないか。 ちょっとムッとしたが、『これも、嫁に出す父親の気持ちなんだろう』ということで、自分を納得させることにした。
ところで、その「それは、おめでとうございました」というセリフだが、ムッとしながらも、ぼくは妙に気に入っていたのだ。 『間を取って使ったら、この言葉、ギャグになるわい』と思っていた。 その後何度か、その言葉をギャグとして使わせてもらったものだ。
さて、冒頭にも言ったが、今年が七回忌だから、親父さんは6年前に亡くなった。 結婚承諾以来もずっと体調が優れず、入退院を繰り返していたのだが、ちょうど小康状態で家に戻っている時だった。
その日ぼくは仕事だった。 正午過ぎだったか、荷物を運んでいる時に突然携帯にが鳴り出した。 携帯が鳴るなんて日常のことなので、別に驚きはしないのだが、なぜかその電話は気になった。 電話に出ると、受話器の向こうに違う世界があった。 雰囲気が、普通の電話と違うのだ。 少しの沈黙があった後、「しんちゃん、お父さんが…」という声が聞こえた。 嫁さんからだった。 あとは言葉にならなかった。
朝方は普通通りの生活をしたらしいが、午前10時を過ぎてから様態が急変したらしい。 意識不明に陥り、そのままの死去であった。 その病気が癌であることは知っていた。 が、死因は違う病名だった。
その日通夜をし、葬儀は翌日行われた。 葬儀の後、一家は火葬場へ移動したのだが、ぼくは嫁さんと留守番することになった。 およそ1時間後、「そろそろ灰になったやろうね」などという話を、仏間でしている時だった。 突然、台所のほうから「パタパタ」という足音がするのが聞こえた。 そして、その音は冷蔵庫付近で止まった。 「パタン」 続いて冷蔵庫の閉まる音がした。 嫁さんが「誰かおるんかねえ」と言うので、ぼくは台所を覗いてみた。 「誰もおらんぞ」 「あっ…」 「どうしたんか」 「今の足音、お父さんの足音やった」 「えっ?」 まさかここで心霊体験をするとは思わなかった。 確かにその音は二人とも聞いているのだ。 もしかしたら、その時家の中の写真を撮っていたら、親父さんが写っていたかもしれない。 それをやらなかったことが、いまだに悔やまれてならない。
| 2004年05月06日(木) |
親父さんの七回忌(前) |
ぼくの休みは、火曜日と金曜日である。 たまに、所用が出来たり、パートさんの用があったりした時は、その休みを他の曜日に移すこともある。 が、そういうことは、2ヶ月に一度あるかどうかである。
さて、明日は金曜日だが、休みではない。 土曜日に所用が出来たため、休みを替えたのだ。 所用とは、嫁さんの親父の法事である。 今年が七回忌に当たる。
親父世代とのつきあいが苦手なぼくだが、この親父さんとはわりと気が合った。 親父のほうもまんざらではなかったようで、嫁さんとつきあっていた頃に、家に遊びに行くと、必ず親父が「おお、しんちゃん、いらっしゃい」と歓迎してくれたものだ。 が、嫁さん一家での親父さんの立場は微妙だった。 いつも家族から、馬鹿にされ、蔑ろにされていたのである。 ぼくは小さい頃父親を亡くしているので、そのへんのところが今ひとつわからなかったのだが、この親父さんを見て、子供は母親になびくものだということが、よくわかった。
結婚の承諾をもらいに行ったのは、親父さんが大学病院に入院している時だった。 親父さんがいる部屋は大部屋だった。 たまたま行ったのは、折り悪く夕食の時間だった。 その部屋の患者がすべて揃っていたのだ。 面会時間は30分と決まっている。 衆目の中で、ぼくは結婚の承諾を得ることになった。 何と言おうか迷ったあげく、その日契約したマンションの話を先にして、それから言うことにした。 「…ということで、住む家も決めました。結婚させて下さい」 「・・・」 反応がない。 そこでもう一度、「結婚させて下さい」と言った。 「・・・」 またしても反応がない。 ぼくは嫁さんのほうを振り向いて、小声で「おい、返事がないやないか。聞こえとるんか?」と聴いてみた。 「ああ、耳が遠いけねえ。聞こえてないかもしれんよ」 「そうか…」
これは困ったことになった。 周りに人がいるので、なるべくその人たちの耳に入らないように言ったのだが、きっとそれで聞こえないのだろう。 『こうなったら、しかたない』と思ったぼくは、今度は廊下に聞こえるほどの大きな声を出した。 「結婚させて下さい!お願いします」 部屋の患者が一斉にこちらを向いた。 さすがに今度は聞こえただろう、と思いきや、親父さんはあいかわらずボーッとした顔をしている。 困ったぼくは、「おい」と言いながら、再び嫁さんのほうを見た。 「聞こえてないやないか。これ以上の声は出せんぞ」 嫁さんも困った顔をしていた。 しかたなく、「少し様子を見よう」ということになった。
| 2004年05月05日(水) |
さて、何をしようか(下) |
「さて、何をしようか」と最終的にやったことは、今度プレイヤーズ王国で発表する歌の録音だった。 前回の『月夜待』が思ったほど反響がなかったので、起死回生の一発を、というような大げさなものではなく、ただの繋ぎの曲である。 夏に、2曲ほど上げようと思っている曲があるのだが、その間に上げる曲が見つからない。 実は、ぼくはこの季節の歌を持ってないのだ。 そのため今回は、季節感のない歌を選んだ。
その録音だが、今回から、また一発録音でやることにした。 なぜかと言うと、前回の『月夜待』の時は、慣れない多重録音だったため、もう一つ乗らなかったためである。 ぼくの場合、多重録音といえば、ギターを最初に録音して、そこに歌をかぶせていくやり方だ。 それをやる場合、歌の録音の時に、最初に録音したギターの音が入らないようにしなければならない。 そのためにヘッドフォンを用いるのだが、それが嫌だった。 いい歳をしたおっさんが、ヘッドフォンをして、背中を丸めて黙々と歌をうたっている。 しかも第三者的に見ると、その空間にはおっさんの歌以外に音はないのである。 実に異様な光景だと言わざるをえない。 その反省を踏まえて、今回から、昔のスタイルに戻し、一発録音をするようにしたのである。
その一発録音であるが、一発録音であるがゆえ、例えば間違った部分のやり直しがきかないのだ。 もちろん、全部録り直せばいいことである。 しかし、それをやるには、その箇所以外は最高のできだった場合、一から録り直すのがもったいない。 また、その時間がもったいなくもある。 それに比べると、多重録音は、間違った部分だけ取り直しすればいいだけだから楽である。
そういう理由から、一発録音というのは、誰も聞いてはないとはいえ、緊張するものである。 以前は間違えても聴くのはぼく一人だったから、少し間違ったくらいで気にはならなかった。 ところが、プレイヤーズ王国で歌を公開しだしてからは、たとえそれがつなぎの歌であっても、間違いが許されなくなった。 以前の一発録音でも多少緊張感はあったが、それとは比べものにならない。 とにかく、咳払いも出来ないのだから。
通常、録音が終わると、それにエコーを入れたり、音質をいじくったりするわけだが、今回はなるべく原音に近づけることにした。 ぼくが、頑張る40代を書いている部屋で歌っている雰囲気を出したかったからだ。 音のごまかしがないから、雑な演奏があらわになったが、音自体はわりとクリアに仕上がっている。
ということで、「さて、何をしようか」の結末は、新曲の録音に行き着いた。 おそらく、後年この日を振り返る時は、「ああ、つなぎの曲を録音した日か」ということになるはずだ。
| 2004年05月04日(火) |
さて、何をしようか(上) |
今日は休みだった。 ということは、日祭日に休みが取れたということである。 昨年は改装の関係もあり、休みはなしだった。 その前の年も、たしか日祭日は休みを外したと思う。 というとこで、今日は久しぶりのゴールデンウィークをしたわけである。
とはいえ、天気は雨。 外に出る気もしない。 特に家でやるようなこともない。 嫁さんは仕事なので、からかう相手もいない。 日中に日記を書く気もしない。 「さて、何をしようか」と考えたが、何も考えつかず、とりあえず寝た。
実は昨日の日記を書き上げるのにかなり時間を要してしまい、寝たのは午前4時を過ぎていた。 しかし、朝は嫁さんを会社まで送っていかなければならなかった。 そのため、普段どおりに起きて、普段どおりに家を出て、嫁さんを送っていった。 帰ってきたのは午前10時だったか。 「何をしようか」と考えていたのは、その時間だった。 そして、どっと眠気がさしたのもその時間だった。
起きたのは午後1時頃だった。 そこでまた、「さて、何をしようか」と考えた。 とりあえず昼飯を食った。 嫁さんがいないので自炊である。 自炊と言っても、自分で作るわけではなく、嫁さんの弁当の残りをレンジで温め、あとはチキンラーメンにお湯を注いだだけである。 他にすることがないので、その準備を時間をかけてやった。 食べたのは2時過ぎである。
そしてまた、「さて、何をしようか」と考えた。 が、次がないのだ。 新聞のテレビ欄を見るとダイエー戦をやっている。 が、このところ負けが続いているので見る気もしない。 そこでまた、「何をしようか」と考えた。
いろいろ考えていくうちに、また眠たくなってきた。 そこで布団に潜ろうと思ったのだが、この間買った雑誌にちょっと気になることが書いてあったので、それを読むことにした。 読むこと30分、その記事に怒りを覚えながら眠ってしまった。
目が覚めたのは午後5時前だった。 「さて、何をしようか」 とりあえずテレビをつけてみると、まだダイエー戦をやっていた。 寝る前に見た時は5点差つけて勝っていたのに、追いつかれているではないか。というより、こちらが追いついたんじゃないか。 「見なくてよかったわい」と、テレビを消した。 やっぱり見なくてよかった。 やっぱり負けたわい。
またこの出だしで始まるが、今日、友人のオナカ君がやって来た。 彼は営業職なのだが、暇になるとぼくの店にやってくる。 オナカ君もぼくと同じで、このゴールデンウィークは休みではないらしい。 ということで、今日も暇つぶしか、と思ったが、どうやらそれだけが目的ではなく、次の同級会の打ち合わせも兼ねていたようだ。 前にも話したが、次の同級会は女子が来るのだ。 ぼくが「おい、今度はどこでするんか?」と聞くと、オナカ君は「まだ決めてない」と言う。 シ「そうやのう。人数がまだ定かではないし。この間のところだと手狭だし」 オ「そういうこと」 シ「いっそ、黒崎にカニでも食いに行くか」 オ「カニか」 シ「ああ、そうか。お前カニがだめやったのう」 オ「だめじゃないけどの。ただ剥くのが面倒なだけ」 シ「マルちゃん(同級会のメンバーで、一番大人しい)に剥いてもらえばいいやないか」 オ「剥いてもらうのは悪いけ、マルちゃんが剥いたカニを盗ることにしよう」 シ「同じことやないか」
シ「ところで、この間、解散した後にマルちゃんに捕まってのう。マルちゃん、駅で40分ばかり一人でしゃべりっぱなしやった」 オ「マルちゃんが?」 シ「おう、解散した後、マルちゃんはコンビニでビール買いよったけのう。あれ飲んでからおかしくなった。かなり酔っとったのう」。 オ「そんなに酔っとったんか?」 シ「おう。それで、しまいにはいっしょにタクシーで帰ることになって…」 オ「いっしょにっち、逆方向やろうが」 シ「そう。別々のほうが安いと言うのに、さっち(必ず・やたらという意味の方言)『いっしょに帰る』ち言うけのう」
シ「ところで、女子は誰が来るんかのう?」 オ「マサヨが呼んだだけ来るやろう」 シ「マサヨが何人呼ぶかやのう」 オ「そうやの。でも、もしマサヨが誰も呼べんかったら、マサヨ本人も来んかも知れんぞ」 シ「さすがに一人では来にくいやろのう」 オ「お前、同じ中学の奴がおったやろうが」 シ「おう。2年時は、5人が同じクラスやったのう」 オ「そいつら呼べんとか。Y子とか」 シ「Y子か。結婚して、どこに住んどるかわからん」 オ「実家が近くやろうが。そこで聞いてみたらいいやないか」 シ「ええっ? 前も電話したけのう。お母さんが出たんで、『あのう、Y子さんと、小学校・中学校・高校といっしょだった、しんたと言いますけど、Y子さんいらっしゃいますか?』とか言うたのう。そしたら、『ああ、お名前はうかがってます。せっかくですがY子は結婚しましてねえ…』と言われた」 オ「また言えばいいやないか」 シ「もう、言いたくないわい」 オ「お前なら言えるやろう」 シ「じゃあ、『あのう、Y子さんと、小学校・中学校・高校といっしょだった、しんたと言いますけど、Y子さんいらっしゃいますか?』と、高校の同級生だったオナカ君に言えと言われたんで電話したんですが、Y子さんいらっしゃいますか?と言うてみろうか?」 オ「おれの名前を出すな」
シ「そういえば、お前、今体重何キロあるんか?」 オ「最近量ってないけど、90キロはあるんやないか」 シ「ものは相談やけど、今度の飲み会に高校の制服着てこんか?」 オ「誰が着てくるか。おれあの頃、体重は62キロやったんぞ」 シ「おれも、そのくらいやったのう。いいやないか、おれも着て来るけ」 オ「お前、今何キロあるんか」 シ「74キロたい」 オ「お前は12キロですむやろうけど、おれは28キロ減らさないけんやないか」 シ「出来るやろ」 オ「出来るわけないやないか」 シ「出来んかのう?」 オ「当たり前やないか」 シ「じゃあ、一年後に着てくることしようか」 オ「いやっちゃ」 シ「いいアイデアやったのにのう」 オ「お前だけ着てくればいいやないか」 シ「お前は、友だちがいのないやつやのう」 オ「勘弁してくれ」
ということで、話し合いは終わった。 が、何一つ決まらないままだった。
【続・素朴な疑問】 先日(4月30日)の会見でも、ぼくの疑問は解けなかった。 イラクでの事情聴取と同じく、「怯えてくれ」と命令されたと言っていた。 元自衛官は、命の保証はあるものの、生きた心地がしなかったとも言っていた。 が、何度も言うようだが、生きた心地がせずにパニック状態にある人間、つまり強度に怯えている人間を捕まえて、「怯えてくれ」と言うだろうか。 日本人の怯え方は、犯人たちには怯えてないように見えたのだろうか。
もう一つ疑問に思ったことがある。 一部報道で、18歳のことを「あれだけ堂々とした意見を言えるとは、見上げたものだ」などと、手放しで褒め称えていたが、これまた腑に落ちない。 彼はなぜ、自分の行動を振り返るのに、原稿(資料か?)に目を落としていたのだろう。 あれだけの体験をしたのだから、原稿などに目を落とさずとも、充分に記憶に残っているはずである。 もし恐怖でその記憶が欠落していたとしたら、原稿に書くことも出来ないだろう。 彼は身振り手振りで、体験したことをしゃべっていた。 確かに話はうまい。 しかし、「えらく武器に詳しいな」という感想を持った以外に、伝わってくるものは何もなかった。 おそらく彼は、恐怖体験の語り手としては、雄弁すぎたのだろう。 マスコミは、あれで充分だったのだろうか。
【自衛隊】 ぼくは、『自衛隊』のイラク派遣には反対だった。 いや、派遣そのものを反対していたわけではない。 『自衛隊』という名で行ってもらいたくなかったのだ。 つまり、せっかく日本という国を代表して行くのだから、かつてイラク人が憧れた『日本軍』として行ってもらいたかったということだ。 そして、「決して第二次世界大戦で日本は死んだわけではない」、「武士道はちゃんと生きている」、「サムライはトム・クルーズの映画がラストではない」、ということを世界中の人たちに示してほしかった。
【徴兵制度】 もし今の日本に、徴兵制度というものがあったとしたら、女性はともかく、後の二人は、ああいう危険を冒さずに、かつ自己責任を問われずに、イラクに入ることが出来たのだ。 そうすれば、劣化ウランの研究も可能になっただろう。 戦場での貴重な映像も撮れただろう。 何よりも、イラクの現状を日本国民に伝える、という彼らの崇高な願いが叶ったことだろう。
ああ、そうだった。 自衛隊なら、今すぐにでも入れるじゃないか。 元自衛官はかつていたわけだから、再入隊すればいいわけだし、18歳はそこそこ頭がいいのだから、入隊試験は難なくパス出来るだろう。 そこでちょこっと鍛えてもらって、イラク行きを志願すればいいのだ。 変なところに迂回しなくても、夢はそこで叶うはずだ。
数ヶ月ほど前から、晩飯をあまり食べないようにしている。 もちろん太らないためである。 おかげで最高時より6�堊蕕擦拭� 無理に減らしたわけではなく、徐々に減らしていったので、ダイエットに伴う弊害は全くなく、またリバウンドとかにも縁はない。
さて、2日前のことだった。 通常おかず程度しか食べないのだが、その日あまりに腹が減っていたので、ついご飯を食べてしまった。 それも一杯では足りず、二杯も。 これで何とか空腹感は満たされた。
ところが、日記を書いている途中、異変が起こった。 胃のあたりが膨張しているような気がするのだ。 それが不快でたまらない。 おそらく普段夜はあまり食べないので、胃がびっくりして消化しきれないのだろう。
最初はすぐに収まるだろうと思っていた。 ところが、一時間経っても二時間経ってもなかなか収まらない。 嫁さんに「おい、胃が張る」と言うと、嫁さんは「じゃあ、胃薬飲んだら」と言う。 「胃薬?」 「すぐ治るよ」 もちろん、それを飲めばすぐに治るかもしれない。 だが、安易に薬なんか飲んでしまうと癖になってしまう。 そこでぼくは、薬箱を漁っていた嫁さんに、「いらん」と言って断った。 「せっかく出したのに」 「癖になる」 嫁さんは不服そうな顔をしていた。
その後も胃の張りは治らなかった。 いつまでも不快感が取れないので日記を諦め、その日は寝ることにした。 ところが、布団に入ってもなかなか寝つかれない。 あいかわらず胃に違和感があるために、それが気になって眠れないのだ。 結局、早く布団に入ったにもかかわらず、2時の時報を聞くまで起きていた。
これに懲りて、昨日は晩飯の量を減らした。 おかげで胃が張るようなこともなく、寝つきもよかった。 つくづく「人間というのは、習慣に左右されやすい動物だなあ」と思った次第である。
ちなみに今日の晩飯では、こんにゃくと貝割れのベーコン巻きだけしか食べていない。 おかげで今日も寝つきがよく、日記に手を付けないままだった。
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