みゆきの日記
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2004年04月29日(木) おしゃべり

最近の菜子の記憶力にはびっくり。
先日の一時帰国で会った家族の顔を全部覚えていて、
結婚式で全員集合している写真を指して、ひとりで、

「じーじ、ぉばーちゃん、まーちゃん、なちゃん、ママ、、、」

なんて言っているんだけど、見ているとちゃんとあっている。
でこぼこフレンズのキャラクターも大好きでいつも本を見ていたら、
ぜんぶ覚えてしまった。
お友だちと遊んでいる時、菜子はいつも固まっていてあまり興味を示さないようなのに、
お友だちの名前も、聞いてみたらちゃんと覚えていた。

いつも固まってあまり自由におしゃべりしたり遊んだりしないからちょっと心配していたんだけど。
ちゃーんと見ていたんだなーって思う。
菜子の顔を見ていると不思議な気持ちになる。
じーっと固まって、みんなのことを観察して、話しているのを聞いて、
この子は今何を考えているのかなーって思うときがある。

でもあまり心配することないんだわ。
ちゃんと成長している。
テレビでライオンを見て、「あいおん、がーお・・・」とか言う。
日本のお友だちが送ってくれた『たまごおうじ』の指人形を自分のベッドに転がして、
「おうじ、ねんね。」って言う。
「いあない(いらない)」とか「どうじょ」「くっき、もっと、ちょうだい(クッキーもっとちょうだい)」なんて言ってると、
わーちゃんとしゃべってるーなんて感動しちゃったりして。

楽しいなー子どもの成長は。


2004年04月28日(水) うわのそら

来週のバリが楽しみで私はうわのそら。
トモユキもうわのそらなんだけど、様子がなんだかおかしい。

旅行が楽しみでうわのそらなのではないみたい。
帰ってきたら毎日難しい本を出してきて勉強しているし、
この間はインターネットで調べものをしていて、
横から見たら、東京の不動産情報だった。

これが意味することはなにか?
結果は2週間後のお楽しみ(だと思う)。
トモユキもなにも話さないからわからない。
きっとすごくConfidentialな話なんだろう。

私にはわからないから、待ってるしかないけど、
なんだかトモユキが嬉しそうというか期待に満ちた風で、
意欲的な感じなので、うまくいくといいなと思うだけ。


2004年04月27日(火) うふふ。

バリとれた。
案外あっさり取れたな。
やっぱりウブドに行くことにした。
月曜日から土曜日まで。
ゆーっくりできそう。
本をたくさん持っていかなくては。

うふふ。
楽しみ。


2004年04月26日(月) バケーション

大変なことがいろいろ起こったために、すっかり忘れてた。
来週ってゴールデンウィークなんだ。

トモユキが一週間休むので、どこかへ行こうと言っていたのが、
妊娠発覚で微妙になり、それがあんなことになったので、
本当にすっかり忘れていた。

モルディブへダイビングに行こうっていうのが当初の計画で、
妊娠したから無理だってことになったんだけど、
そうだ、もう妊婦じゃないからダイビングもできるんだ、、って思ったものの、
なんだか、あまりそういう気分じゃなくなっちゃってた。
ゆっくりしたーいって感じなんだよね。
というわけで、バリに行こうとか言い出したのが昨日のこと。

今からでも取れるのかなぁ。
とりあえず、飛行機は大丈夫そうだったけど、問題はホテルでしょ。
お昼ご飯の後、菜子を寝かしてから紅茶いれて、バリのガイドブックを
熟読してみる。
やっぱりウブドがいいかなァ。
アマンダリ、フォーシーズンズ、泊まってみたいけど高いな。
子連れだからやはりファミリーにやさしいところがいいのかも。
浅いプールとかベビーシッティングサービスとかね。

一日中遊んであげたらきっと菜子も喜ぶかなぁ。
きっと今年はもうバケーションなさそうだし、また子ども欲しいし、
こうしてゆっくり旅行できるのもしばらくないかもね。
いけるといいなあ。


2004年04月19日(月) 病院その他

昨日、病院へ行って再度超音波の検査をした。
子宮の中にも、その周囲にも異常は見られないということで、
子宮外妊娠の可能性はほとんど消えたらしい。
完全に元に戻れば卵巣も動き出し、また生理が始まりますから、
そうしたら、また妊娠しても大丈夫ですって。
思ったよりも早く回復できそうで嬉しい。

赤ちゃんは、はじめから育っていなかった可能性もある、と先生は言っていた。
壊死卵といって、袋だけが出来て中は空っぽということもあるのだそうだ。
今となってはわからないけれど、気分はだいぶ楽になっている。

すべてはこれで終了したというわけにはいかなくて、
まだしなければならないことがいくつかある。
中でも面倒なのは、今回の治療費の請求についてだ。

国民健康保険に加入していれば、流産の処置に関しては保険の対象になるらしいのだけれど、
こちらの病院ではもちろん、まずは全額支払わなければならない。
流産前後の検診なども入れると費用は総額30万円近くかかったので、
いくらかでも戻ってくるかどうか、問い合わせをしなくてはならなかった。

返答は、内容を見なければわからないので、医師の診断書と領収書に翻訳をつけて、
申請してほしいというものだった。

とりあえず、処置を行ってくれた先生にメディカルレポートをお願いして、
私の英語力で翻訳が可能かどうか検討することにする。
プロに頼めばまたお金も時間もかかるが、役所のほうで手配してくれないこともないそうだから、
無理だったらお願いするしかないだろう。

煩雑な事務処理は苦手だけれど、お金のことは早く片をつけてしまわなければ、
後になるほど面倒になることはわかっている。

とりあえず、からだが回復してきていることが救いだ。
今朝からトモユキの朝食のおにぎりも復活させた。
家事はまだ母に手伝ってもらっているけれど、菜子を抱けるようになって
嬉しい。

その菜子が足に怪我をしたので、今日は二度病院を往復する羽目になった。
ドアで足を挟んで引っかいてしまったのだ。
幸い、たいした怪我ではなかったので2、3日で治るとは思うけれど、
なんだか災難続きの我が家。
この辺で止まってほしいものです。


2004年04月17日(土) 焦らず、焦らず・・・

昨日、海外にいるトモユキと電話で話した。
実はこれは仕事でなく、転職にかかわることで、
この話がうまくいけば、東京に戻ることになりそうだ、と以前から聞いていた。

どうだったの、と聞くまでもなく、トモユキは平静を装いつつ、内心かなり興奮しているようだった。
まだぜんぜんわからないよ、と言いつつも、かなりのチャンスであることは間違いないようだ。
ただ大きなリスクも伴う話なので、簡単には決められない、
先方の意向もあるので、動きが出るのはもう少し先だと思う、とトモユキは言った。

ふぅーん、、そっか。
仕事のことは私にはわからないから、着いていくしかないわ。
でも、うまくいくといいな、と思う。
こちらの暮らしに慣れてきて、友だちも増えたので、
特に早く帰国したいとおもっているわけではないけれど。
トモユキは行きたそうな感じがしたから。

私は、私のからだのことを話した。
月曜日は一緒に病院に行けるようにする、とトモユキは言った。
どちらにしても、あなたのからだが元に戻ることが先決だから。
唐突に、住み込みのメイドを雇おうか、と言い出した。
私はそれも悪くないかな、と思う。

とにかく、すべては月曜日に話を聞いてからのことだ。
今は、、、精神的にはかなり落ち着いていて、流産のことを考えても
もう涙は出ないくらいに回復した。
私のような極初期の流産は、考え方次第なのかもしれないと思う。
赤ちゃんが死んでしまったなどと考えるとつらくてたまらなくなるので、
生命力のない受精卵だったのだと思うことにしている。
そして、また妊娠したい、と強く思うけれど、それほど焦らなくてもいいか、という気にはなっている。
今年は、トモユキにとっても勝負の年であるようだ。
こういう話が出たのは、今回が初めてではない。
先のことがある程度固まって、落ち着いてからでも遅くはないかな。

まだ29歳、焦ることないよね。


2004年04月16日(金) 思わぬトラブル

処置後の診察は来週の予定だったのに、今日の午後、突然呼び出された。
30分後にはクリニックの待合室に着き、不安な気持ちで順番を待つ。

なにか問題があったのだろうか。
もう妊娠できないとか、最悪は子宮ガンとか・・・?
最近、予想外の悪いことが起こったせいで、疑心暗鬼になっている。

先生は、処置の後少し血塊のようなものが見られたので、
念のためスキャンで子宮を確認する、と言っただけだった。

子宮には問題なかったようだ。
念のため、血液検査をしてから家に帰った。

夕方、先生から直接電話がかかってきた。
こんなことは初めてのことだ。
一体なにが起こっているのか見当もつかなかった。
流産して、処置をした。
子宮の中をきれいにしたはずだ。
そんなに複雑なことなのだろうか。

先生は、ブラッドテストの結果、なにかの値がまだ非常に高く、
赤ちゃんが残っている可能性があるというようなことを口にした。
子宮の中にはなにもなかった。
もしかすると、卵管に着床していた可能性がある、というようなことだったと思う。
こういうとき、知識もない私には英語の説明ではお手上げだった。
とにかく、週末なにもなければ月曜日にまた受診するように、と先生は言った。
ただ、私は週末から翌週半ばにかけて国外に用があるので、私の紹介する別の医師か、
またはあなたが先日受診した日本語のわかる女医さんに診てもらうことになります。
どちらにしますか?

私は、迷わず先日の女医さんを選んだ。
日本語で説明してもらえば、もう少し様子がわかるだろう。

赤ちゃんが卵管に残っている・・・?

先日の女医さんは、そういえば、卵管に着床している可能性があると言っていた。
日本で受診したときは、ちゃんと子宮の中に袋が見えたのに。
私の子宮は筋腫があるせいで、少し歪に見えるらしく、
判断が難しい、とその先日の女医さんは言っていた。

卵管に着床していたら、一体どうなるのだろう。
手術で取り除くことになってしまうのだろうか。

先生は、その女医さんにはすべて説明して資料を送っておくから、
月曜日に必ず受診するように、その前に異常な出血や腹痛が起こったら、
すぐに緊急の番号に電話するように、と言って電話を切った。

今、下腹部左側にかすかな痛みがあるが、これが受診に相当するとは思われないので、
月曜日まで様子を見ることにしようと思う。

トモユキは、海外に出かけていて今晩は帰ってこない。
母が来てくれていて、本当に助かった。
何事もなければいいけれど、最悪の場合のことも考えておかなければと思う。

菜子のことが少し心配だ。
ここ数日、抱っこもなるべく控えているためか、明らかに情緒不安定になっている。
言うことを聞かないで、ヒステリーを起こすことが増えたし、
「ママ、いなーい」と何度も言う。
抱いてあげられないのが悲しくて仕方がない。


2004年04月15日(木) 二日間の出来事

昨日、流産した。

今は痛みもなく、出血もほぼ止まり、赤ちゃんが死んでしまったというのに、
これほど体に何の影響もないということが
かえってつらく感じられるほど、私は元気だ。

出血が始まってからたった2日の間に、いろんなことがあって、
いろんなことを考えて、
やっぱり忘れたくないから、書き留めておこうと思う。


2004年04月14日(水) 流産

朝6時の出勤時刻に間に合うよう、5時45分頃トモユキが家を出た後、
私はしばらく眠れずにベッドに横たわっていた。
妊娠がわかってからは一日中眠くて眠くて、毎朝トモユキを送り出してから
二度寝していたくらいだったのに。
菜子はぐっすり眠っている。
私も眠らなきゃ、と思うのに、眠気はなかなか訪れなかった。

出血がおさまった様子はなかった。
8時ごろ、母から電話がかかってきた。
知り合いの助産婦さんに話を聞いたところ、十中八九流産だと思いますよ、
早く病院で処置を受けたほうがいいのでは、と言われた、と言い、
みゆきちゃん、あんまり期待しないほうがいいわ、と言った。

電話を切ってから、希望を絶たれたような気がして母を残酷に感じた。
そんなの、わからないじゃない、と泣きながら思った。

8時半ごろ、トモユキが帰ってきて、一緒に病院に行く準備をした。
かいがいしく菜子の朝食の世話などしてくれるトモユキがありがたかった。
昨日診てもらった日本語のわかる先生ではなく、菜子を取り上げてくれた先生のところへ行くことにした。
この先生は、あまり詳しい説明をしてくれないので、子宮の形が流産しやすいなどということは聞いたことがなく、
そのことも併せて聞いてみたいと思ったからだ。
なんといっても私のお腹を切り開き、菜子を取り出してくれた先生なのだから、
一番よくわかってくれているだろうと思った。

クリニックに入っていくと、看護婦のパティが、お久しぶり、と言った。
菜子ちゃん、大きくなったわね。
彼女は片言の日本語ができるので、先生の言う専門用語でわからない言葉をよく通訳してもらったものだった。
Uterus(子宮)、Fibroid(筋腫)、Delivery(分娩)、(Labor Pain)陣痛、といった出産に関する言葉はいつもパティに教えてもらった。

まず、体重をはかってください、と言われ、体重計に乗った。
体重は一晩で2キロ落ちていた。
後で聞いたことだけれど、トモユキはこれを見て、ダメかもしれないと思ったそうだ。
私の話を聞き、超音波断層で子宮の中を確認すると、先生は首を振り、
`No good`と言った。

「さっきあなたが持ってきたもの(半透明の塊のことだ)は、
 やはり多分赤ちゃんの一部だと思う。
 子宮の中に残っていられなくて出てしまったのでしょう。
 Evacuationの処置をしなくては。まだかなりの部分が子宮の中に見えるから。」

「Evacuation?」

「ソウハ」とパティが言った。

掻爬・・・。

「Miscarriage」と女医は言い、「Miscarriageは日本語でなんて言うの?」

とパティに聞いた。

「エート、、Miscarriageはエート、、、」

パティが私の顔を見た。

私は、「流産」とだけ言った。
泣くまいとするのに必死だった。


パティが処置の予約を取っている間、待合室で待った。
菜子がぐずりだしたので、トモユキが食事をさせに連れ出し、私は一人で待った。
産婦人科の待合室で泣きたくなかったので、泣くのを必死にこらえて、なにかほかの事を考えようとした。
壁一面に貼ってある生まれたての赤ちゃんの写真ー菜子の写真もあるー、
気だるげに腰掛けたお腹の大きい妊婦さんたち、かつて希望に目を輝かせながら通ったクリニックだった。
何もかもが違って見えた。
診察室からお腹の出ていない若い女が出てきた。
母親らしい初老の女性と、はしゃぎながら超音波写真を見て指差したりしている。

ついこの間まで、私はあの場所にいたのだと思った。
すごく遠くまぶしく見えた。


午後、処置を済ませたら数時間眠り、その日のうちに退院していいですよ、と
先生は言ったので、
トモユキと菜子は家に帰らずに私を待つことになった。
手術用のガウンに着替えて、ガラガラとキャスター付のベッドで運ばれていく。
何もかもが、同じだった。
病室も、病院のガウンも、オペレーションルームの天井も。
菜子が生まれた日と、何もかも、同じ。
違うのは、私のお腹にはもう赤ちゃんがいないことだ。
すくなくとも、生きている赤ちゃんは。

もうやめよう、と思った。
私の思考は少し病的すぎる。
看護士が入れ代わり立ち代わりやってきて、いろんなことを聞いていった。
何人めかの看護士が、アレルギーの有無や食事の時間、私の国籍、手術経験などを聞いてきた後で、
お子さんは一人?と聞いた。
ええ。
もっと欲しいと思う?
ええ、欲しいです。(欲しかったのに・・・)
でもきっとまだ早いのね。(Maybe too early, yeah?)

この処置は、中絶する場合と同じことをするのだと聞いたことがある。
中絶すると思われたのか。
私はなんだか疲れてしまい、もう返事をする気が失せて黙って横を向いた。
パティがやってきて、ダイジョブ?と聞いたので私はうなずいて少し微笑んで見せた。

すべてが終わった時は5時半をまわっていた。
私は少し眠り(菜子は私のベッドの足元で眠っていた)、サンドイッチとココアの簡単な食事をとらされてから、退院した。

家に帰ってから私が泣くと、トモユキが、もう泣いちゃダメ、と言った。

「なんで?いいんだよ、泣いたって・・・。今日は。」

今日は。
そう、今日なんだもん、流産したのは。

昨日会っていた友だちが心配して電話をくれて、「赤ちゃん、ダメだったんだ」と私は言った。
友だちは言葉がない様子だったけれど、無言の同情に少し慰められた。
それと同時に、何人か報告しなければならない人がいることに気づいた。
母は、すごく心配しているだろう。
母や、義母は仕方がないとしても、友だちに言うのはつらかった。
同じマンションには、同じくらいの週数の妊婦が二人いて、
偶然だねー、なんてはしゃいでいたのは、つい先週のことだったっけ。
彼女たちのお腹がこれから大きくなっていっても、そのことでつらくなったりだけは
しなければいいな、と私は思った。
それから、来週中絶する私の知り合いの女の子。
彼女ともほぼ同時期に妊娠がわかり、彼女は未婚のために出産を迷っていた。
私の友だちではない上に、私はあまり彼女が好きではなかったので、
そんな話は聞きたくなかったのだけれど、なつきの親友なので話は耳に入ってくる。
彼女が流産しかかったと聞いたのはだいぶ前のことだった。
安静を命じられたが、堕胎を決めていたので仕事も休んでいなかったのに、
流産しないので、来週堕胎する、と聞いていた。
私とは関係ない、と言い聞かせる。

育てなかった赤ちゃんは、私だけの問題なのだ。
その夜は、麻酔がまだ残っていたのか、ぐっすり朝まで眠った。
気がつくと、なんとか防げなかったものかと考えている自分がいる。
日本に帰ったりしなかったほうがよかったのでは、
切迫流産の診断を受けたときすぐに入院していれば、
菜子を取り上げてくれた先生にもっと早く診てもらっていれば・・・。

ともすれば、涙があふれてくる。
前向きな考え方ができるまでには、まだ時間がかかりそうだと思った。


2004年04月13日(火) 切迫流産

私はいつものように、親しいママ友だち二人と、
子どもを遊ばせに近くのプレイジムに行っていて、
みんなでお茶を飲んでいるときに、突然出血したのを感じた。

あわててバスルームで確認してみる。
今までの、かすかに血が混じるような出血とは違って、
かなりの量の出血があった。

妊娠のことを、まだこの二人の友だちには言っていなかった。
もう一度病院に行って、心拍が確認できてから言おうと思って
楽しみにしていたところだったのだ。

ちょうどその時トモユキから電話がかかってきた。
今日は外で食事をするという電話だった。
私は出血のことを話した。

「マジ?すぐ病院行く?」

「でももう5時だから閉まってるし、、明日の朝にしようかな。
 おなか痛くないし、多分大丈夫だと思う。」

私が電話で話している間、菜子を見ていてくれた友だちが、
私の顔色を見て、

「大丈夫?なにかトラブル?」

と聞いてくれたので、

「実はね、、、」

私は隠さず話した。
友だちは、すぐに病院に行こう、と言って日本語がわかる病院の緊急外来に
連れて行ってくれた。
そこで紹介された日本語の話せる産婦人科の女医さんの診察を受ける。

「袋と胎芽が見えますね。でもかなり出血が多いので切迫流産ですよ。
 小さい子がいるから難しいだろうけど、安静にしてくださいね。 
 抱っこもなるべくしないでください。
 一応、一週間後に赤ちゃんが育っているかどうか見ますが、
 もし、出血が止まらなかったりもっと増えたりしたらすぐに来てください。
 入院してもらって強制的に安静にしてもらうかも知れませんよ。」

綺麗なクリニックだった。
美人の女医さんはそう言って、私のお尻に黄体ホルモンの注射を打った。

「これはちょっと痛いですよ。」

その言葉のとおり、ちょっとまともに歩けないほど痛い注射だった。
薬も数種類出され、これで流産を防ぐのだという。
菜子がいるのに、入院なんて・・・。どうしよう。
とりあえず、週2回来てくれている通いのメイドにしばらく毎日来てもらうよう交渉しよう。
入院となったら友だちにも助けてもらうしかないかも。
でも、しばらく静かにしていればきっと大丈夫だろうと思った。

心配だったのは、もう7週に入っているはずなのに、赤ちゃんの袋の大きさが、
5週程度しかないと言われたことだった。
先週日本で受診したときも、6週に入っているはずなのに5週程度しかないと言われ、
そのときは排卵が遅れただけだろうと気にも留めていなかったのが、
それから一週間が経つのに、まだ5週程度ということは育っていないということなのではないかと思えた。
先生にその不安を口にすると、そういうこともあるかもしれません、
赤ちゃんが育っているかどうかは週単位で見ないとわからないから、
また来週確認してみましょう。
ただ、あなたの子宮の形は流産しやすいですよ、と言われた。

ふらふらになって家に戻った。
診察の間中、ずっといい子にしていた菜子が大きい声で泣き出した。
お腹もすいて、限界だったのだろう。
靴を脱ぐのも嫌がって暴れた。
先生は抱っこするなって言ったけど、こうなれば抱きあげるしかない。
こんなときに限ってトモユキはいない。

早く帰ってきてもらおうと、携帯に電話をしたら、
家の中で電話がなっていた。
こんなときに限って、携帯を忘れていったんだった・・・。
泣いて暴れる菜子を必死になだめて、なんとか靴を脱がせてオムツを替え、
夕食はご飯とお昼の残りのお味噌汁、アジの開きを焼いて食べさせて、
あとはずっと菜子の好きなビデオをつけてしのいだ。

あんなに痛い注射を打たれたにもかかわらず、出血はぜんぜん止まらなかった。
むしろ、どんどん量が増えていくように感じられた。
トイレで、便器に腰掛けてポタポタとかなり短い間隔で落ちる真っ赤な鮮血を見ていると、
意味もなく気が焦り、すべて拾い集めて体の中に戻してしまいたい衝動に駆られる。
なんでよ、なんでよ、やめてやめて、出て行かないで・・・。

切迫流産、という言葉が恐ろしい響きを持って私に迫ってきた。
ソファで横になっていると、菜子が寄ってきて、

「ママ、ねんね。」

と言った。
この子はなんて大きくなったんだろう、と思った。
菜子のときも、ちょうど同じ時期に切迫流産と診断されて安静にしていたときがあったのだ。
菜子はその後、ちゃんと育って生まれてきて、そしてこんなに大きくなった。
そのことを奇跡のように感じる。
この、お腹の子は、菜子のように大きくなれないのだろうか。
そう思うと涙があふれた。
菜子はよくわかっていない顔をして、私の顔に手を伸ばして涙に触った。

「ママ、今ちょっと悲しいの。いい子いい子して。」

私が頼むと、菜子は手を伸ばして私の頭をなで、「イッコイッコ」と言うと、
自分で「ゴーイ(すごーい)」と言って拍手をした。
私も「すごーい。ありがとう」と言って拍手をした。
また涙があふれた。

トモユキはなかなか帰ってこなかった。
私は心配で何度もトイレに行き、そのたびに出血が止まらないことを確認して心配で泣いた。
もうダメなのかもしれない。
心の中ではそう思っているのに、そう思って涙が止まらないのに、
気がつくと赤ちゃんの名前ばかり考えていたりして、
私はこの子を生みたい、と強く願っていた。

夜の9時か10時ごろだったと思う。
トイレにいたとき、体の中をするっと異物が通り抜ける感覚があって、
血液の塊が出たのかと思い、見ると、それは血液の塊ではなかった。
色がついていない。
便器を滑っていくところを急いで素手で拾い、よく見てみた。
10センチほどの長さの半透明の塊。
これはいったい何??

なつきやお母さんから何度も電話がかかってきた。
お母さんはすぐに行く、と言い、でも流産していたら来てもらわなくていいから、と私が言うと、
それでも行くわ、と言った。
菜子のときとはぜんぜん違うの。出血の量が違うし、お腹も痛いの。
生理のときみたいに。
私が不安だと言うと、なつきは、どうして不安なの?と言う。
それほど初期なら、自然淘汰みたいなもので、アメリカじゃ妊娠すらしてないみたいに
考えるのよ。
着床したけど育てなかった赤ちゃんだとしたら仕方がないし、
みゆちゃんは、もう一人生んでるし、不妊ってわけでもないんだから、
またできるわよ。

この言葉で気が楽になったと言うと嘘になるけれど、
こういう考え方もあるのだと思うと、少し気がまぎれた。
そのときの私は、ちょっとナーバスになりすぎていたと思う。
トモユキも帰ってこないし、体外に出て行く血液とともに、
お腹の赤ちゃんの居場所がどんどんなくなっていくという妄想で、
気が狂いそうになっていたのだ。

やっとトモユキが帰ってきたのは11時を少し回った頃だった。
ベッドに横になって泣いている私にものすごく驚いたようだった。
仕事関係の食事で、電話ができなくてごめん。
そんなに大変なことになっているとは思わなかった、と彼は言った。
明日は早番だから休めないけど、朝とりあえず会社に行って、
様子を見て帰ってくるよ、一緒に病院に行こう。
がんばってくれよー、とお腹に言った。
私もそんな気持ちだった。
なんとか、お願いだからがんばって・・・。

さっきの半透明の塊をトモユキに見せた。
トモユキはこれも病院にもって行こうと言って、透明の袋に入れた。

出血は一晩中続いた。
長くて不安なつらい夜だった。


2004年04月11日(日) 帰宅しました

約2週間ぶりに家に帰ってきた。

今回は、間の悪いことにメイドが年1回の長い休みを取っていたので、
汚いのとか洗濯物がたまっていることは覚悟していたんだけど、
ショックだったのは、観葉植物の葉が全部落ちていたこと!
一度もお水あげてくれなかったらしいよ、ヒドイ・・・。
特にひどいのは大切にしていたベンジャミン。
大事に育てていたのにな。
なんかもうショックで気が抜けたよ。

掃除も一回もしてないし、洗濯機も一度も回していないって、
ま、そんなことだろうと思ったけど。
メイドも休みだし、大丈夫?って言ったときは、
なにいってんの、俺何年一人暮らししてたと思ってるんだよ、
なーんて胸張っていたから、ついついだまされてしまったわ。

トモユキは、大学に入った年から結婚するまでずっと一人暮らししていたのよね。
でもきっとそういう問題でもないんだわ。

昨日は夜到着して疲れきっていたので、洗濯機を回す気力も残ってなくて、
とりあえずキッチンに積み上げられていたグラスや食器をディッシュウォッシャーに入れて、
散らばっていた洗濯物をひろっただけ。

明日にはメイドが戻ってくるけど、今日は大掃除だ。
がんばろうっと。


2004年04月10日(土) メモ

ほんの少しだけ出血があった。
驚いてさっと血の気が引いた。
でも本当にほんの少しだけ。
下腹部痛なんかもないし、様子みようと思う。

妊娠中の授乳って問題ないらしいのね。
子宮が収縮するとかってお友だちに言われて、
あわててやめようとしていたけれど、
菜子にも悪いことしちゃったな。
赤ちゃんが苦しいなんて、ウソ教えちゃって。

でも菜子がおっぱいをほしがる頻度は確実に減ってきている。
自然にほしがらなくなるまで、もう少しあげられるとわかって
ほっとしている。

気のせいかな、やたら眠い。


2004年04月09日(金) 病院いってきました。

産婦人科を受診して、ちゃんと妊娠していることを確認してきた。
まだ極初期なので、はっきりと週数や予定日はわからなかったけれど、
とりあえず、ちゃんと妊娠が確認できたので一安心。

それにしても、実家の近くの市民病院に行ったんだけど、
覚悟していた以上に待たされて疲れた〜。
市民病院だからなの?
9時前に行って、終わったのは12時半。
こんなもの?
菜子のときは小さなクリニックで、
9時の予約なら9時半にはすべて終わっていたから、
こういうの、慣れてなくてうんざり。
やっと終わったと思ったら支払いにまた30分待ちとかね。

次回は自宅に戻ってからになるから、
どこの病院に行くか考えている。
やっぱり菜子のときの先生に診てもらおうかな。

しかし、市民病院、安くて驚いた。
超音波もやったし初診なのに、3000円足らず。
菜子のときなんて、初診で20000円以上かかったよー。
海外で保険がきかないから、出産にはものすごいお金がかかった。
多分、150万くらいかかったかなー。
帝王切開だったしね。

今回は日本で国民健康保険に加入しておいたので、多少は戻ってくるらしいわ。
無知って怖い。
無保険で生んで、何事もなくて本当によかったよ・・。
もし菜子が病気かなんかで保育器にはいって、
一日10万円かかりますとか言われても、払うしかないもんね。
なんか私たちはその辺のリスク管理がまだまだ甘い気がするわ。
反省。


2004年04月05日(月) 涙が出ちゃう・・

菜子はまだ時々母乳を飲んでいるんだけど、
私が妊娠したのでいよいよやめなくてはならないと思っていて、
先日すごくほしがった夜に少し飲ませた後、説明を試みた。

「あのね、ママのおなかにちいちゃい赤ちゃんが来たの。
 菜子がパイパイ飲むと、赤ちゃんがちょっと苦しいんだって。
 もう菜子は大きいからそろそろパイパイ飲まないでネンネしようか。」

すると・・・。
こんなことってあるの?
それまで身をよじって泣き叫んでいた菜子が、おとなしく

「ネンネ・・・」

と言って布団につっぷしたかと思うと、そのうちに眠ってしまったではありませんか。
それからも何度かほしがったんだけど、ゆっくり話すとあきらめるの。
もう私が言っていることは全部わかっているんだなーって、
それが誇らしくて嬉しかったんだけど。

こないだぐずった時に、牛乳あげようかって言ったら、

「パイパイ・・ナーイ・・・パイパイナーイ・・」

って言いながら泣くので私も涙が出てしまった。
こんなに小さいのに我慢してるのかなーって思ったらかわいそうになっちゃって。
生まれてからずーっと菜子がほしい時にはいつもおっぱいをあげていたことを考えて、
なんか切なくなっちゃった私。
私も乳離れできていないっていうことなのかな。

菜子だけを思う存分可愛がれるのはあと数ヶ月。
赤ちゃんが生まれたら、私も菜子もちょっぴり大人にならなきゃならないけど、
それまではうんと可愛がってあげよう。


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