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日々の呟き
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| 2006年03月24日(金) |
気が済むまで「Z」話 |
良くも悪くも、見終わった後に延々と考えさせられるのがトミノ作品なんですが、Zはその極みではないかと思います。要するに問題作って事なんでしょうけど、Zはだからファーストに続いて長く記憶に残る作品に成り得たのだと思うんですね。
新訳のZは、メインキャラ達の捉えられ方がテレビ版と変わっていますが、私的にその最たるキャラは、発狂を免れたカミーユではなく、シャアなんじゃないかと思っています。 全編通して見ると、テレビ版のシャアは、「シャア・アズナブル」という名を捨て「クワトロ・バジーナ」になろうとしているように思えるんですが、劇場版のシャアは、あくまで「シャア・アズナブル」なんですよ。「クワトロ・バジーナ」という名は、エゥーゴに居るための便宜上の名、もしくは符号みたいなもので、劇場版には「クワトロ・バジーナ」は居ないと、私は感じました。
テレビ版のシャアは、「ジオンの英雄」であるシャアから逃れようと足掻いていたと思います。だから、自分からシャアの話題を持ち出し揶揄することで、シャアとクワトロを切り離そうとしていた、そのようにも思えます。 カミーユに、自分がシャアである事がバレた後も、彼はシャアであることに及び腰です。それが、かなり潔癖な性質を持ったカミーユからすれば、煮え切らないだとか、弱虫だとか、だらしがないだとか、欺瞞だとか、まぁそんな感情がない交ぜになって激高する原因にもなってるわけですが、「クワトロ・バジーナ」が、シャアの弱さの象徴だとするなら、その名に冠しつつ実体は「シャア・アズナブル」である劇場版のシャアは、カミーユを苛立たせる弱さを持っていません。むしろ、冷たさ倍増?(苦笑) 冷たいというか冷静というか、彼はシロッコのような人の使い方はしないけれど、しかし、切り捨てるときはバッサリやりますからねぇ。(つーか、テレビ版からシロッコの人の使い方には嫌悪感があって、劇場版でそれが強調されててサラにムキーってなってんですが。苦笑) シャアは指揮官としては優秀ですから、部下として動くのは動きやすいと思うんですよ。カリスマ性も申し分ないですしね。 劇場版での二人の関係が、非常に穏やかで健全なのは、だからなんじゃないかと思います。
ただ、劇場版のカミーユは、シャアに対するこだわりが薄い分、シロッコやハマーンと同じく、シャアもばっさり切り捨てそうです。(苦笑)実際、第三部でのそう感じたシーンがあって、容赦がねえよカミーユ!と突っ込んだし。 テレビ版の互いが互いに理想を抱き、その差違に苛立ちすれ違いを繰り返す、どうみたって恋だろそれは(笑)なカミーユとクワトロの関係を知っている分、その違和感は大きかったです。 テレビ版のカミーユは、感情に絡め取られてシャアに付いていくしかないように思えるけど、劇場版はあっさり別の道を行きそうだ〜・・・ まぁ、これは腐女子としての意見であって、ガンダムスキーとしてはそれでも良いと思うんですよ。(苦笑)
テレビ版と劇場版の、どちらがZかと言えば、どちらもZだと思うんですね、私は。認める認めないというのは可笑しいと思います。 ただ、どっちが好きかと問われれば、やはりテレビ版ですね。見やすさから言えば劇場版の方が圧倒的に見やすい。テレビ版は何度も見返せません。だって、重すぎるし、相当気合いを入れて見ないと引きずられるから。(苦笑)
しかし、ガンダムって本当にスルメイカ。噛めば噛むほどに旨い。それが、トミノ御大の凄さだと思う、今日この頃でございます。
秋山まり
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