2005年07月09日(土)
これまでもこれからも、このままだと思っていた


この齢になるまでに、「患部」と呼ばれる、ダメにした箇所が数多あるあたくしは、
きっと、この先もこの体と根気よく付き合いながら生きていく・・・・そういうふうに考えていた。
目に見えるものもそうでないものも、傷として残り、まだ膿を出し切れないものもあり、
でも、すぐにこの命が潰えるとも思えないから、鬱陶しいと思いつつも、反面、愛しいとも思い、
だからこそ、また今日も・・・・明日だって、生きるのをやめない・・・・そういった具合で
毎日をやっつけていこう、楽しんでいこう・・・・そういうスタンスでしかいられなかった。


もう1つ、2つ上の段階に、あたくしでも立てそうなスタンスというのはあるにはあるだろうけれど、
まるっきり元通りにまで回復するというのは、例えば、怪我をするそれ以前にまで時間を巻き戻すような
そういう次元の話になってしまうから、「あぁなればいいな」=「あぁすればよかった」という
後ろ向きな感覚になってしまうので、なるべく目を向けないようにもしてきた。


1つ例を挙げるとするならば。
右ひじの古傷。これは5歳の頃からの付き合いなので、もうこれ以上はどうしようもないと思っていた。
単なる複雑骨折だったのだけど、術後に関節を支えていた極太ワイヤーがずれ込んでしまい、
数日のうちに同じ箇所を2度切開したというのもあり、普通の手術跡とは違って、
範囲は小さいのだけど、ガッツリとケロイド痕として痕が残ってしまっている。
加えて、ギプスでの固定期間で、本来小学生がつけるはずの最低の筋肉を鍛える時期を逸してしまい、
他はすくすくと健康そうに育っていったけれど、右ひじだけはそうはいかなくて、
1年に最低1回は、肉離れ、捻挫を繰り返して、再三再四の固定期間を余儀なくされたものだから、
本当に最低限の筋肉しかつかないまま、今に至るという感じ。
蝶番状になっているはずの関節の周囲にきちんと筋肉がついていれば、問題のない話だったのだけど、
一旦故障した蝶番を補強するには全く足らなくて、今でもちょっと手を突く時に
ものすごく遠慮をして、右手をかばうので、とうとう左右のバランスまでおかしくなってしまった。

こんな状態でも、四半世紀以上、コレが当たり前の生活をしていると、こうしていくしかないんだな、と
半ば、諦めの状態になり、逆に左手が随分逞しくなっちゃって(笑)、
無理なことは左が肩代わり・・・・お箸と鉛筆も、左で済ませたいところであったが、
そう都合よく物事は運ばなくて(爆)、でも、「不随」というわけではないから、
今までも元気よく生きてきた。




さぁ。話はここからなんですが(爆)。←前置き長すぎ( ̄∇ ̄;)
もしも、この爆弾が設置されたままの右ひじが、他の人と同じように、普通に機能するようになったら
それは凄く素敵なことなんじゃないの??
ほんの数秒の出来事で、微塵の痛みも感じることなく、そんなことが可能ならば
ちょっと人生の色が変わるわ〜!! と思った。
それができるという人が、目の前に現れた。「コーフィ」だ。胡散臭いができるという(爆笑)。
だから、やってもらった(超短絡的)(笑)。


結果から書きます。


X線で確認したわけではないので、骨の状態がどうなっているかというのは、実際全くわからないのですが
感覚だけで申し述べますと、肘から手首にかけての骨が、少し垂直に下がった感じがしましてね。
関節のくぼみは、指でちょっと押しただけでビリビリと痺れて機能不全になってしまっていたのが、
そのビリビリもなくなり、この人生、何度となく上手に誤魔化して通り抜けてきた「腕立て伏せ」も
きちんとできるようになったんですよ!!!
本当に、今の今まで、「腕立て伏せ」をする状況は、学生時代なんかに腐るほどあったんですが、
その度に誤魔化してきたあの感覚がウソのよう♪ 楽しいですね♪ 腕立て伏せ(爆)。
いや・・・・この歳になっても、今までできなかったことが初めてできるようになるっていう感覚は
本当に清々しくて、嬉しくて、感無量・・・・というか、どうして今までできなかったのかが
急に不思議に思えたりもして。


あたくしは、右の肘関節の複雑骨折の他にも、右肩の脱臼歴があり、
右腕で体を支える全ての動きを、ほとんど封じ込められて今まで生きてきた。
右肩の脱臼は遡ること30年( ̄∇ ̄;) トテトテと歩き始めて間もない頃にやっているので、
それゆえに、転び方が下手、転ぶと手をつく前に顔を打つ( ̄□ ̄;)!! なんてことを
繰り返して、それが「日常」になったまま大きくなった。
さすがに現在、走っていて転ぶ・・・・という状況こそが激減したので、どうなのかはわからないけれど、
本能的に、手をつくとまた封印のスパンがやってくると思い込んでしまっているので、
何かに突っ込む時は(笑)、絶対に一番丈夫にできている左肩、左肘を支点にして突っ込む。
(加えて、顔も強打しないように(笑)、上手に体を回転させて転ぶように心がけてんだけど。)


ためしに、ぷよ2とも、右手で腕相撲をしてみたんです。
まぁそもそも、相手は今や十分すぎるくらいの重量級なので、あたくしの全体重を腕にかけたとしても
勝てる見込みはないわけなんですが、それでも進歩、変化はあったんですよ。
今まではというと、握った途端にもう全力を使い果たしてしまった感があり、
とてもじゃないけれど、相手側に押す、押されたのを堪えるなんていうのができなかったのですが、
手ごたえみたいなものを感じ、きちんと押していけるだけの力が出せるんです。
勿論、勝てやしないですよ(笑)。相手は紛いなりにも、元柔道家だから(爆)。
(勝ってしまったら、それはそれでまた別な問題が( ̄∇ ̄;))

・・・・妙な話でしょう?

コレは8日にあった出来事なんですが、何となく勿体無いような気がして、
その日のうちに書けませんでしたわ(爆)。
だって、新品じゃないかもしれないけれど、新しい腕をプレゼントしてもらった感じでね。
あたくし、生まれて初めて、自分の右の二の腕にきちんと筋肉が隆起している状態をこの目で見ました。


自分ひとりで、「ワー♪キャー♪」言ってても、あんまり信じてもらえないので、
ためしに、左手首に脱臼グセのあって、はずすも戻すも自由自在のぷよ2にも
同じように、施術してもらう。


結果から書きます。


はずれなくなったんです(爆)。
はずしたりするのをウリにしているので、すぐに元に戻してもらったのですが、
それでもいつも通りにはずれない自分の手首に、非常に驚いておりました。
・・・・ホントに妙な話でしょう?


見える部位での施術だったりするので、コレはわかりやすい例なんですが、
この日だけで、自分が不調に思う部分、全部をクリーニングしてもらってきたんです。
自覚に乏しい部分もあるにはあるし、もう少し時間を置いてみないとわからないこともあったりするので
どこがどうなった・・・・というのを今すべて書けないのが非常に残念なのですが、
とりあえず、あたくしの体は明らかに進化を遂げていて・・・・というよりは、
憧れだった「変身!」ですね(笑)。非常に気分がいいです(●⌒∇⌒●)

↑何が起こるかわからないんだなぁ。。。。


右ひじの結果論は、あくまでひとつの例なので、また今後、折に触れて別の例を挙げていくことにしますが
事実、あたくしは、もう自分の右ひじに関しては、随分昔にすっかり諦めきっていたんです。
大人になるまでに、あんなにも同じ箇所ばかりをぶっ壊して、治ってというのを繰り返してきて、
時間が経てば経つほど、左右の差が顕著に表れだしてきて、
爆発的瞬発力を持っている左手と同じように使うのは、もう無理だ・・・・と思っていたのです。
伸ばしきると実際痛いし、関節が逆にいこうとするのを、筋肉や腱だけでは支えきれていない現状で
しかし、甘んじていれば生活するには支障はないので、このまま放置しても問題はなかったのです。
今になって整形外科にかかり、また骨を元の位置に戻し・・・・なんていうまどろっこしいことをやっていたら
生活が破綻してしまうし、お箸もペンも持てなくなるスパンが再度やってくるのはもう懲り懲り。

でも。
これまでも、そしてこれからもずっとこのままだと思っていたことでも、変わる。
「障害」というほどのものではないけれど、明らかに不便さを感じていた四半世紀がリセットされた。
あたくしはアスリートでもないし、ダンサーでもないから、故障がつきものという暮らしではない。
そして、故障がきっかけで、始めようと思っていた習い事を全部封印されたので、
身につけられた「何か」は最初っからない。
習おうと思っていたピアノも、右の故障で諦めなくてはならなかった。
それが、まぁ自分にとっては普通の出来事で、あんな小さい時に「諦める」という現実を受け止めちゃった
あたくしは、きっとどこかで歪んでしまっているのかもしれないけれど、
それでもこの日、わかったことがある。

十分に使いこなしていなかった右手がかなり使えるようになったことで、
他の可能性もまだまだ、捨てたもんじゃなく、まだ色んなことが「どうにかなる」ところにあるってこと。
このままではいられない!! 第二第三の「変身」を、自ら行なわなくっちゃ!!
医学で治せるところはきちんと治し、しゃかりきに頑張らずともできることはあるし、
よく考えたら、まだあたくしの予定では30年以上は生きるつもりでいるから(笑)、
今まで生きてきた分のことを考えれば、別に今日、生まれたことにしてしまってもいいわけだし(笑)。


全部ひっくるめて、「このまま」でこれからも生きていくんだと漠然と考えていたから、
変身は不思議体験だった。子供ができたら生き直しできるかも・・・・とこれまた漠然と考えていたから、
今すぐに、実行に移せる「現実」も不思議な感覚だった。
「このまま」でいい人もいるし、「このまま」だと生き難い人もいる。
あたくしは、もうオノレで前者だの後者だのと区分するのもアホらしくなってしまい、
でも、改善を前提とした「欲」みたいなもんが満ち充ちてきて、
変わる楽しさみたいなものが、自分に降りてきてくれた。同時に、変わらない楽しさみたいなのも。


変わる楽しさは、流動的であるべくところで発揮し、
変わらない楽しさは、「あたくしらしさ」を追究すべくところで発揮していく。
あたくしのキャパシティは意外と小さいが(笑)、間口を広げられないのであれば、掘り下げて
見えないところで容量を増加させればいいんだな( ̄ー ̄)ニヤリッ アリの巣のように・・・・。
「コーフィ」がニヤニヤと笑うのを見て、あたくしはニヤニヤと笑い返し、
無言でそんなことを思った。見透かされてもいいや、と、思い(笑)。

↑楽しかった、ありがとう!

あさみ


投票ボタンです。押すとアサミンジャーがはしゃぎます♪


あなたの毎日にずぅむいん・・・・

My追加




めーるはこちら♪

宿帖直通(BBS)