2003年07月26日(土)
夢の学校


たりた様のところで、またもや興味深い話題が勃発しているのが原因か。
その興味深い話題というのは、一方で「信仰」「自己評価」
そしてもう一方で「教育」。
ホントに、あたくしの日常に常にコレは絡んでくるものだから、捨て置けなかったのだろう。


短い眠りの中、あたくしは本当にハッキリとした「夢」を見た。


その夢の内容は、こうだ。


場所は教室。小・中・高、どの教室だったかはわからない。
ただ、あたくしの隣の席に座っていた男の子は小学校の時の同級生で、
特別に仲良しではなかったけれど、何度か同じクラスになったことがある子だった。
次の授業の予習をしておかなければ、先生にどんな質問をされるかわからない。
よく、給食を食べる時のように、机を4つくらい対面式にくっつけて並べた中に
あたくしもいて、でも、教科書や副読本がなくてすごく困った・・・・という場面であった。
その男の子は、あたくしのロッカー(カバン置き場)を指差して、

「本はあそこにあるじゃない?」

そう言った。目に入ったロッカーは中学の頃のものにすごく良く似ていた。
何度も見ているはずの教科書だが、あたくしはその授業を受けるのが初めてのようだった。
教えてもらった範囲のページをぱらぱらとやりながら、4〜5人で雁首揃えて
う〜んと唸りながら色々と考える。
と、その副読本の中に、見たことのあるような顔ぶれが白黒の写真資料として
大々的に取り上げられていた。

その写真には、あたくしの中学の頃の同級生が7〜8人まとめて写っていた。
どこかの撮影所から出てきた見学者のような様子。
表情はどれをとっても神妙なものである。

「あ・・・・この子達、あたし、よく知ってるわ。中学の時の同級生だもの。」

「うそ〜。どれ、どれ?」

同じ中学に通っていたはずの他の男の子たちが、あたくしの副読本を覗き込む。

「ほら、コレ●●くんじゃない? こっちは野球部の▲▲くんだし、ほらこっちも・・・・。
この子だって・・・・。みんな、知ってる子だ。
え・・・・?だって、ほら、みんな知ってるでしょ?」


あたくしがいくら主張しても、本の中の彼らを同級生と認識する子は、このグループの中にはいなかった。
あたくしの隣の席の男の子なんか、小・中と同じだったはずなのに、変ね。
と、思うところをみると、どうやらあたくしはこれから、高校の何かの授業を受けるのかもしれない。


と、教室に現れたのは、あたくしの小学4年の頃の担任の先生だった。
生徒からも親からも、すごく嫌われていた。
この先生が教鞭をとるのかと思うと、あたくしは一気に気が重くなったが、
何故かみんなは姿勢を正している。
真似て、あたくしも姿勢を正してみる。

授業はどうやら、国語と社会が混ざったような感じのもののようだった。

出された課題設問はこうである。

「この写真を見た時にどんな感じがするか、答えなさい。」

「この写真」というのはさっき話していた、白黒の写真である。
指名された子は、次々と答えていく。

「何だか、とても真剣な顔をしていると思います。」

「この直前に、きっと怖いものでも見たのではないかと思います。」

「バックが撮影所なので、俳優さんたちと話した後なのだと思います。」


まぁ、尤もな意見ばかりだったが、あたくしにとってはちっとも刺激的でなく、
面白くも何ともない。
この写真から漂ってくる香りはただ1つである。
そしてあたくしが指名された。

「すごく懐かしい匂いがします。」

先生も、他のみんなもとても不思議そうな顔をしていたが、誰もあたくしに対して反論しなかった。





と・・・・概要はこんな感じの夢だ。
国語や社会の授業は想像力の世界である。
この時作者は何を考えていたか、この建造物の特徴から考えられる当時の生活様式を答えよ・・・・
このような設問は、愚問に近い。
大文豪と称される人たちの作品を教科書で取り上げるのは良いが、
本当にその本人が、そういうことを考えていたかどうかというのは謎のままだ。
歴史にしたって、目で見てわかるものと、そこから導き出される真実とでは
時代が違うのだから明らかなるズレが生じる可能性だって否めない。

だから、あたくしは国語や社会においての、このような問題は、愚問として大嫌いなのであった。
答えられないわけがない。
小・中・高と、誰も考えもつかないような答えを用意して先生を困らせるのは大好きだった。
でも、指導要綱の中に書いてある、答えの雛形とは違うので、
先生は仕方がなく「間違いです。」とあたくしのことを言うのだけど、
一理なくはないなという顔をしたまま、それこそ釈然としないまま授業が進んでいくので、
いつしか、先生たちは、本当に答えがハッキリとしているものでしか
あたくしを指さなくなった。

それを凝縮したかのような夢であった。
あの写真はそれこそあたくしにしてみれば、卒業写真を見ているようなものだから、
「懐かしい匂いがする」としか、表現のしようがなく、
それを間違いだと指摘されれば、食って掛かるつもりでもあったが、
何となく時間が流れて、その夢の結末は覚えていられないほどに曖昧な形で、
忘れてしまった・・・・。

ただ、そういうふうな答え方をしたあたくしを誰も責めなくて、正解の1つに入れておいてくれた
他の子たちがすごく温かい感じがした。



教育って・・・・そもそもそういうものじゃなかろうか?
例えば答えが1つしか出ないはずの数学や理科にしたって、辿る道程は十人十色のはずである。
この道を通り、この答えに辿りつかなければならない・・・・という教え方は
子供を窮屈にさせる。
何か答えがあるのなら、そこに何とかして辿りつく力を育てなければならないはずなのに、
まるで丸暗記を強制するかのように、公式を押し付ける。
●●ちゃんはこういう方法をとっているけれど、違う方法でもっと簡単に解ける方法を見つけたよ、
そう主張する子がいたっていいはずなのに、算数が数学になるや否や、
覚えなくてもいいような公式の嵐が吹き荒れて、さっき覚えた英単語も一緒に吹き飛ばしてしまう(苦笑)。

それについてこられない子は、所謂「落ちこぼれ」とされ、一人一人のペースがあろうことを
度外視した、正に「えぇ〜っ!?」みたいな教育をされたのがあたくしら世代である。
偏差値という魔法の数字が、デカいツラをしてあたくしたちの前に立ちはだかり、
答えや方法論の雛形を押し付けられたりもしたのだけど、
あたくしはその中で、雛形から遠いけれども一理ある・・・・という答えを模索し続けた。

部分点はもらえた(爆)。

先生らの人間性を諮るかのような、ずるく、卑怯な方法であったが、
自己主張をし、誰よりも問題に真剣に取り組んだ証拠を残すには、これしか方法がなかったのだ。



今では、数学や英語など、クラスに先生が2人ついて、
ついていけない子等のサポートをするという体制をとるというのが、普通に定着しつつあるようだが、
果たして、たった2人できちんとカバーしきれるのかどうかは、不思議なところだ。
ゆとり教育にゆとりなどない・・・・と叫ばれて久しいが、
どうして日本という国は、こう、1つの形というものに拘りまくるんだろう?

確かに、先生たちにしてみれば、1つの雛形があったに越したことはない。
その枠からはみ出たものを「間違い」として捉えればいいのだから、仕事や作業は簡単である。
そして、平均点や偏差値みたいな便利な定規があれば、きっと進路指導などもラクだろう。
先生に同情すべき点も多い。現場を知らないお役所からのお達しを、何とかして遂行せねばならない
教師たちの苦労はハンパなものではないだろう。


たりた様のところに、とある方からこのような書き込みがあったので、
一部抜粋してご紹介したいと思います。

>私は教員二年目で自閉症児K君のいる二年生のクラスを担任しました。
>普通なら一年から持ち上がるはずの担任が、ノイローゼ寸前で、
>私は当時の教頭から嫌われ多少いじめ的要素の、そのクラス担任でした。
>K君は、とても不思議な能力も持っているのです。算数や暗記能力は人並みはずれていました。
>でも、何かに執着するとパニック状態になり、なにがなんでもそれに固執します。
>それはすさまじい勢いで泣いて騒いで暴れて、長時間そこにとどまったり、触ったりするので、
>クラス全体の授業をしなければならない私としては、困り果てるのみです。
>彼専任のサポーターなり、教員がひとりついていてくれれば、
>調子の良いときは皆と一緒でなんらさしつかえないので、
>やっていけるのです・・でも、そんな余裕はありませんでした。

>もちろん、近所にすんでいて、幼稚園時代から、彼のお世話役のような面倒見の良い女の子は、
>彼と同じクラスになり、細々世話を焼いていたし、
>クラス全体で仲良くがんばろうという雰囲気は、前任の担任が一生懸命作っていたので、
>問題はありませんでした。
>ただ、彼が日に何回か起こすパニックには、しばしばクラス全体が落ち込みました。
>大好きな給食の献立ですと、その容器にいきなり手をつっこみ食べはじめてしまうのです。
>どんなにやめさせようとしても、どんな先生がとめても無駄でした。
>気のすむまではやめません。その日は、クラス皆、そのおかずなしでした。


このクラスの担任をされた先生は、どんなに神経を擦り減らし、頑張ってこられた事でしょう。
脱帽です。凄いことだと思います。
そして、こういうクラス作りを一所懸命にして、子供たち全員で、「ひとつ」になろうと
努力している姿は、あまりに健気じゃないでしょうか・・・・?

あたくしが、学校教育の理想論をこのBBSで語ってしまったので、
現状の厳しさのようなものを、きちんと伝えてくださったのです。
しかし、あたくしは「実践」しようとしている先生や、その先生についていこうとする
生徒がいるということに深い感銘を受けました。

確かに、授業などは色々な意味で障害が入り、思うように進んでいかないかもしれない。
給食の時間だって、こんな有様じゃ、せっかく栄養のバランスを考えて作られた献立も
台無しになってしまう・・・・だけど、きっとこのクラスにいた子たちは
少なくとも「人間力」は培われたことだと思う。



斯く言うこのあたくしも、自閉症児ではないのですが、とんでもない問題児のお世話係を
仰せつかったことがあるのです。
この子・・・・まぁ仮にT君としましょう。
小学6年に、うちの近所に越してきて、クラスも同じになり、
自動的にあたくしが彼の面倒を見ることになってしまったのです。
今から思うと・・・・アレは学習障害の一種なんでしょうか。
とにかく、小学校でいう45分の1単元、中学校では50分の1単元、
じっと座っていられないのです。
何か気に入らないことがあると、教室を飛び出し、そのまま家に帰ってしまったこともしばしばでした。
どこかに隠れている時は、誰かが探しに出たり、とにかく、そういう事件が
授業中に起こると、自動的にその授業は中断されて、T君1人にかかりっきりになってしまうのです。

中学に入ってからも、彼の脱走癖や、授業妨害癖は陰りを見せず、
あるいは先生は、もう諦めて、T君がいないまま授業を進める人もいました。


そんな中、当時(中学1年)のクラス担任だったA先生は、このT君に
何か責任ある役目を負わせてみたらどうかと提案しました。
既にこの時、あたくしは学級委員を請け負うことが決まっていたので、
この提案も不安で不安で仕方がなく、
同じく、他の幹部3名(学級4役というのがあった)も顔をしかめていましたが、
A先生は押し切りました。
当時、学校側がわりと力を入れていたJRC委員にT君を推薦したのです。
当のT君も最初は面倒くさがって、あからさまに委員の役職を拒否し続けましたが、
何となく、A先生の試みに意味があるような気がして、あたくしらも一丸となって、
彼を委員に推薦したのです。
結局、彼は満更でもないような顔をして、JRC委員に就任。

そこから、彼の快進撃が始まりました(笑)。

朝の会、帰りの会にそれぞれの係や委員からのお知らせの際には必ず挙手をして、
ベルマークを何枚以上持ってきましょうと、必死に訴え続けるT君。
毎日です・・・・毎日毎日、それが続きました。
最初は面倒に思っていた子達まで、彼の熱弁には結局負けて、
ベルマークを集めて提出していたくらいです。
持ってこないと、T君が泣いて暴れるからです(苦笑)。

そこまで彼を動かした、委員の就任を逆手にとって、
先生らの動き方もだんだん変わってきました。

「JRC委員なんだから、もっとしっかりしようね。」

「ベルマークはあんなに一所懸命集めてくれるのに、どうしてお掃除が出来ないの?」


彼を諌める言葉の内容もだんだんと変化を来し、それに倣うようにT君の脱走回数も
だんだん少なくなっていったのです。
彼は、本当に台風の目のような存在で、中学1年が終わる頃、どこへ行くとも言わず、
また転校していってしまいました。


あたくしは、現実をよくわからないまま理想を述べたわけではなく、
実際に、自閉症であったり、他の障害を持っていたり、T君のような学習障害に近い症状の子
言語障害のある子と机を並べて勉強をしたことがあり、
でも、それにもきっと意味があると、ずっと思っていました。

あたくしの通っていた小・中学校には「福祉学級」といって、
多分、軽度の知的障害を持つ子ばかりを集めたクラスがありました。
その中には、幼稚園までは、普通に一緒に遊んでいた子がいきなり福祉学級へ・・・・という
すごく不思議な現象も目にしました。
彼は、何ら問題のないように見えていたのです。
この子の他にも同じ歳の男の子がもう1人、このクラスにはいたのだけど、
その子も、特に福祉学級にいる必要はないようにも思えたのです。
確かに、他の子に比べれば、動きは鈍いけれど、特に和を乱すような子ではなかったからです。
きちんと挨拶も出来るし、体育や家庭科、修学旅行や合宿などでも、
問題を起こすのは、決まって普通(何を以って「普通」と言うのか)クラスの悪ガキで
彼らは、きちんと自分に与えられた作業や役割を黙々とこなしているのです。

どうして彼らが区画されたところに追いやられているのか、幼心にも不思議で仕方がありませんでした。



日本という国は窮屈です。
彼らが大人しく和を乱さなかったのも、きっと「萎縮」していたからだと思うのです。
そして、大人はその「萎縮」にすら気付かないでいるのです。
今、現在・・・・その方針もいくらか改善されているようですが、
「萎縮」が皆無になったかというと、それは多分まだまだなんじゃないかと思うのです。
福祉学級にいた彼らが、問題を1つも起こすことなく、学校生活を送っていたのは
多分、幾許かの「萎縮」が精神的に芽生えていたからじゃないだろうかと、
あたくしなんかは思っちゃうわけです・・・・。




たりた様のところで、結構、言いたい放題なことを言ってきて、こんなところで弁解・・・・
というのもあたくしには似合いませんが(笑)
あのBBSはいつもすごく盛り上がっております。真剣な話題に皆様本気で意見を述べ合っています。
リンクをはろう、はろう、と、たりた様にも承諾を頂いているのにこの有様( ̄∇ ̄;)
なのでせめて、あのBBSで何が起こっていたかとかを実況したいと思いまして・・・・(苦笑)
え・・・・?趣旨違い??( ̄∇ ̄;) うん・・・・わかってる(爆)。


あたくしは教員免許を持っているわけでもないし、別段、特別な著作があるわけでもない。
何か、ボランティアをしているわけでもないし、今後するかというと、それもわからない。


ただ、「普通」という言葉に括られない、マイノリティ側にいるあたくしは
何故か、こういう話題を無視することが出来ないのです。
何が「普通」だ、何が「良いこと」なのだ、と食って掛かるのも、
マイノリティならではのやり方なんだけど、でも・・・・
本当に、「普通」「良いこと」の線引きって難しいから、この言葉を安易に使って欲しくないのだ。

↑「逃げ場」ではない、本当の場所

かつての学校教育ですっかり歪んでしまったこのあたくしだけど、いいものも拾ってきたつもりだ。
「良いこと」ではなく「いいもの」。
そういうものを、今の子供たちも拾ってこられるといいな・・・・。
あたくしの願いは小さいけれど、とても難しいことかもしれない。
でもだからこそ、子供たちには常に「挑戦する心」を忘れてほしくない。
大人たちの意見に惑わされないように・・・・。

あさみ


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