| 2003年06月06日(金)
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制服の是非とオモシロ校則(中学校編) |
あたくしの行きつけの日記書き、たりた様のところで、只今、学生の制服議論が大勃発中。 BBSなどに沢山の意見が寄せられているので、それを読むのがとても面白い。
そんなあたくしも、まぁ制服に代表される「校則」みたいなものには色々と意見があって、 しかも、それを全部掲示板に書き込むとなるとドえらい量になるので、 メールでたりた様のところへ打診した。 BBSを見る限りでは、本当に色々な意見があるようで、娘や息子に聞いてみた、とか それぞれの主観でこう感じる、とか、自らの学生生活を振り返ってみると、とか、 様々な論点で、色々な意見が飛び交っている。
たりた様からメールの返事も頂きました。ありがとうございます。
まぁ、「最近の若い子は・・・・」とか言い出しちゃうと、自分が老け込んだ感じもするので、 それはおいといて(笑)、自分が学生だった時に、どんな規則があったかというのを ちょっと考えてみた。 たりた様に出したメールには、制服や身に着けるものに関しての 理不尽な校則についてしか書かなかったのだけど、 ちょっと、面白いことを思い出したので、今日はそれについて書いてみたい。
制服については、あたくしは賛否どちらでもなく、着る本人らが流されなければそれでいいと思っているし、 制服という、一つの枠の中でのファッションセンスは、家庭の躾の中でも十分に養えると思っているので 多少、危惧すべき点はあれど、もはや制服には「個性の埋没」や 「自己主張の制御」とかいう、アホらしい抑制力はないに等しいと思っている。
着ている学生たちの姿を見てもらえばわかって頂けると思うが、 彼らは、大人が押し付けたものを軽く受け流して、見事に自己を確立させるための努力を 惜しまずにやっている。 反骨精神というと聞こえは悪いが、自我の芽生えとして受け止めてやるのが、 寛大な大人の一姿勢かもしれない。 子供はいうほどバカではなく、枠があれば、その枠ギリギリのところまで広がりを見せる。 時に、はみ出すが、普通に生活している子達にしてみれば、ご愛嬌の範疇だ。
あたくしが、昔、出会った、とある先輩女優さんは、福島県出身で あたくしより年齢も上ということで、今に比べると制服もパッとした色彩やデザインではなく、 高校の制服も極々普通のブレザーにスカートの制服だったそうだ。 ここからが、さすがのあたくしもビビったのだが、その制服を着た彼女を、 彼女の母親は見るなりため息をついたのだそうだ。
「こんな、センスの悪い制服、自分の娘に着せられない!!」
何と、彼女の母親は、入学式が済むか否かの時期に、洋裁が得意だったのをフルに利用し、 制服を一旦解体し、スレンダーな彼女の体型に合うように、ダーツの位置から数から、 とにかく、元の生地は制服と同じものなのだけれど、完璧に彼女仕様に改造してしまったのだという。 それを着せられた彼女は、別に悪い気はしなかったものの、生徒指導の先生に目は付けられるし、 挙句に親を学校に呼び出されるしで、かなり参った・・・・みたいなことを言っていたけれど、 改造したのは彼女ではなく、母親の方なのだから、親を呼び出した時の彼女の母親の主張は頑なだ。
「全部私の一存でやりました( ̄^ ̄) こんなセンスの悪い制服を自分の娘に着せるわけにはいきませんから。」
「見ればわかるでしょう? おたくの学校の制服じゃありませんか? どこがいけないのか、ハッキリとおっしゃってください!」
この一点張りで、学校側はぐうの音も出ず、彼女は卒業するまで、 母親手作りの制服を堂々と着て登校しきったそうだ。
当然、上級生に目を付けられたり、下級生や同級生に真似をする者も出てくるが、 彼女に関しては親との決着が既についているため、生徒指導の先生もかなり参っていたらしい。 しかし、この改造制服を真似するといっても、半端な技で真似が出来る次元ではない。 既存のものを折り曲げたり、切ったりするのではなく、 解体して一から作り直すのだから、オーダーメイドに近い。 別に、普通のままでもよかった、と、この彼女は事も無げに言ってのけたが、 彼女の母親のフルパワーに、あたくしは驚愕と感心を隠し切れなかった。 こういうのを「躾」というのかもしれない(苦笑)。
以後、彼女は制服からおさらばする歳になっても、殊ファッションに関しては 母親が鋭く目を光らせていたらしく、上京してからも帰郷の際は半端な格好では帰れなかったという(笑)。 スタイルも美貌も兼ね備えていた人なので、普通の洋服でもきちんと着こなして、 美しい立居振舞をする人だった。 それでも、彼女のファッションにダメ出しをするこの母親は、ある種、とっても芯のある いい母親なのかもしれない。
あたくしの中学の頃の校則の話をしよう。 この日記でも何度か書いてきたが、本当にどうしようもなく、厳しい校則が乱立する学校で、 生徒手帳には「女子の髪は肩にかかるようであれば結ぶ」などとそれっぽいことが書いてあったが、 現実はそうではなく、例の「女子集会」で、髪の長い子は名指しで立たされ、 「休み明けまでに切ってこい!!」と、問答無用のお達しが出されていたのが真実である。
当時の男子生徒は、全員丸刈り。こちらも問答無用である。
ただ1人だけ、髪を長いままで許された女の子がいる。 彼女とその家庭の主張は、宗教上の理由で、 「15歳になるまでは、髪を落とすことを許されないのです。」 と、ハッキリ学校側に主張したため、それが受理された。 しかし、条件が付けられて、「3年間、決まった髪型で登校すること」という 新手の不文律校則が生まれた(爆笑)。 その彼女は、あたくしよりも一つ年下だったのだけど、言われたとおり3年間、 きちんと編んだおさげ髪を守り通し、卒業してから髪を落とした。
髪型に関する校則は、当時の教育長が亡くなるや否や、すぐに審議にかけられ、 あたくしが生徒会役員をやっていた頃、隔週くらいで生徒総会がもたれ、 その為に、受験が控えているというのに、あたくしらは毎日暗くなるまで、 その草案を作らねばならなかった。 翌年にはその草案が受理され、男子の丸刈りは撤廃。それに倣い、女子の髪型も 生徒手帳に記載されている通りの校則となった。 後に話を聞いたら、女子の髪型にあれほど小うるさく指導を重ねていたのには意味があって、 「女子がきちんとしているのだから、男子の髪形についての検討もよしとする」 というのが、上(教育委員会)に出されたらしく、あたくしらは男子生徒の丸刈りを 撤廃するために、まんまと利用されたというわけ。 伸ばしたかった髪を、泣く泣く切り落としてまで、校則改正に加担していたということになる。
さすがに真実を聞かされた時の憤りは半端ではなかったが、時、既に遅し。 まぁ、生徒総会で出された他の草案に関しては、先生側もきちんと受理してくれていたのは本当で、 入学当時、トイレの入り口に扉がなかったのが、1年後、きちんと設営されていた。 無論、個室にはちゃんと扉があったのだけど、通路に面するトイレの入り口には扉がなく、 男子トイレなどは、いたしているのが丸見えなので、男女共にとても困っていたのだ。
さて。 この中学の入学時に際して、親も校則に関して色々と諸注意が言い渡される。 うちの母親の話によると、どうして靴下に関してあんなに厳しいのか、それが不思議だったそうだ。 市内の中学は9つあるのだが、これ以上長くてはダメ、これ以上短くてはダメ、など 色は白と決められていた上で、長さに関してはどちらかの規制はあったものの、 「ロークルー」という長さのソックスしかダメです( ̄^ ̄)というのは うちの中学だけであった。 塾などで、他の中学の子と話をすると驚かれるほどであったのだ。 男子生徒の学ランの基準は、標準マークがついていないとダメというものだったのだが、 女子に比べると、わりと緩やかなものではあった。 何故なら、運動部に所属している子達は、太腿や首まわりの筋肉が発達しすぎる子も多くて、 それに成長期だというのもあり、標準マークを付けられた「スポーツマンタイプ」という 型のちょっと違う制服も認められていた。 この制服は、太腿の辺りにゆとりがあり、普通の体型の子が着ると、ボンタンに見えなくもないのだが、 そこはそれ、部活動に熱心に取り組んでいる証拠として、別に運動部でもない子がそれを着ていても 何故だか許されていた。
その代わり、女子に対しての指導は本当に徹底していて、 セーラー服のスカーフの端は、結び目から15cm以上出ていないとダメ、とか、 セーラー服の衿の後ろから、スカーフを出すのはダメ、とか、 一応、Vシャツという、セーラー服の下に着る専用のシャツがあったのだけど、 それじゃなくて、体操着を着ていたほうが着替えの時に手間取らないから、 その方をよしとする・・・・などなど、生徒手帳に書いてない不文律が山のようにあった。
そんな中、だったらこっちも請けて立ってやろうじゃないか!みたいな反骨精神からではないが、 スカーフの結び目を極端に小さくする結び方を編み出したり、 15cmのボーダーラインを逆手にとって、結び目までの長さを極端に長くした目の錯覚を利用したり、 見た目は確かに短く見えるのだけど、計ってみたら14.9cmで、 1mmの誤差も許されんのか!!みたいな返し文句を用意して、それぞれが奮闘していた。
親に対しても色々とお達しがある中、他の中学に比べて緩やかな点もあるのですよ・・・・ と学校側は主張するように、2点だけ、自由にさせているものがあるといった。 それは、ハンカチと下敷きである。 材質、色、柄、形、どのようなものでもいいと、学校側は言ったそうだ。
「他は厳しくしてますけど、ハンカチと下敷きは可愛いのを持たせてやってください。」
学年主任がそう言ったので、母親たちは思わず失笑したらしい。 確かに・・・・。 他の中学の子は、ハンカチは白しかダメ、下敷きも柄がついているものはダメ とかいう校則があると言っていた。 ハンカチや下敷きにまで規制をかけるのはどうかと思ったが、使っていくうちにわかったことがある。 使いやすいのは、無地であまりごちゃごちゃとしていないもの。 それを承知で、うちの学校はわざと規制をかけなかったのだ。 アイドルの切抜きや、好きな人の写真なんかを下敷きに挟んでいるのを 先生に見つかっても、うちでは何も言われなかったが、他校では呼び出し対象になるらしい。
とにかく、運動部の部活に入っていると、休みも放課後もあったものではなく、 消耗品に関しては、母親が買い揃えておいてくれたものをそのまま使う、という現状で、 これに生徒会役員なんかを兼任していると、ますます忙しくなって、 身の回りのことになど感けていられない仕組みになっていたのである。
部活を引退してからは、体育のない日のセーラー服の下は、なるべく襟の大きく開いた キャラ物のTシャツやタンクトップなんかを着て、小さな反抗で満足していた。 中学3年間の凡そは、体力的にも疲れきっていたことが多くて、 やれることといえばせいぜいこの程度だったのである。 一番体力があったかもしれない中学生時代に、とんでもない負荷をかけていた学校側。 今は「ゆとり教育」なんてのを文部科学省は掲げているけれど、 うちらの時代、ゆとりなんてものが果たしてあったかどうか、考えなくても答えは一つだ。
そんな我が母校(中学)であるが、この春の新一年生から、規定カバンが 今までの白い肩掛け(ドリフとか昔の金八とかにも登場するアレ)が廃止され、 小洒落たリュック形式のデイバッグになった。二年、三年は現行のままらしい。 更に数年前に遡ると、女子の体育着のブルマが廃止され、ショートパンツになったらしい。
自分たちが着ていた制服の形そのものは、今も変わらないが、髪を結んだり 少しは小洒落た格好をしている母校の生徒を見ると、ちょっと安心する。 あんたたちが髪を伸ばせるようにしたのは、このあたくしたちなんだからね( ̄^ ̄) そう言ってやりたい気持ちをグッと抑えて、自分たちの青春を懐古する。 今の子達よりも、枠はうんと小さくて窮屈だったが、 卒業した時の解放感は、多分、今の子達よりも勝ると思う(苦笑)。 ゆとりのないあたくしたちに、ゆとりが訪れた時、その快感は現代の中学生のそれよりも 遥かに凌駕する。
さて、そんなうちらの中学。 一番わけのわからなかった校則は、これである。
理由は不明。 でも生徒手帳には許可がしてあったので、三年の女子なんかはダメだといわれようが 寒い時には利用していた。 あたくしは、わりと学校から近いところに住んでいたので、厳寒期とはいえそれほど堪えなかったが、 徒歩40分かけて通ってくる子達のことを思うと、あんまりにも酷い不文律じゃないか・・・・? と、一年の冬くらいに首を傾げた。 三年生くらいになると上からの抑えつけというのは、もう先生くらいなので、別にいいとして、 一、二年は先輩に睨まれるのが怖くて、寒いのを我慢して走って登校する子もいたくらいだ。
ちなみに、雨具として傘の規定もあったのだけど、とかく盗難を恐れ、 朝から雨が降っている時でも、折り畳みを利用する子が圧倒的に多かった。 折り畳みにしろと、別に学校側は言っていなかったのだが、長傘は本当に盗まれやすく、 とある子などは、傘を開くと、白い字でデカデカと苗字が書いてあるにも拘らず、 3回も盗まれたといって腹を立てていた。長傘ゆえの事件である。 不文律は何も先生だけが作るのではなく、先輩の目を恐れてだったり、自己防衛のためだったりと、 色々と出来上がるまでに、違う道程を辿るのだというのを知った(爆)。
後にネタになるだろうと、中学と高校の生徒手帳は今でも残してある。 その成文化された規則と、実際に取締りの対象になっていた規則のあまりの違いに、 15年経った今、恐れ戦くアサミンジャーなのであった。 (何のための校則なんだか( ̄∇ ̄;))
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