日記×エッセイ...みち

 

 

ACIMホームワーク - 2018年03月18日(日)

先週の宿題はこちら↓

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幻想に惑わされないぞ!という意欲を持って、愛について新しく何かを発見していく。
エゴは安全性を求める。相手を安全のために使うのではなく、もっと参加していく。
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で。
先週一週間、この宿題と共にいてどんな感じだったかといいますと。

幻想に惑わされ続けました笑

ある意味では、宿題をとてもできました。もうバッチリですね。なぜなら、幻想に惑わされる度に「惑わされないぞう!」「惑わされないぞう!」と何度も意欲を持ち直すということをしていたので、ある意味ではだいぶ宿題ができたかな?と思います。

惑わされながら、自分のエゴを分別してる感じもありました。「これはエゴ、火曜のごみの日」みたいに、ひたすら認識するということをしました。

夢もたくさん見ました。夢はいつものように、わたしに気づかせてくれます。
ある夢では、積極的攻撃ではないけど攻撃的な思考をしていたりそういう思考に同調していたりする自分を見ました。
SNSでいろんな情報をずらずらとただ眺めている時にも、この夢での感覚と似たような感覚になることがあるなあ、と思いました。
そういうことを、ある意味ではわたしはもう知っていました。「これはわたしは必要としないもの」、どれを得るか自分で選択する、そういったことをこれまでもしてはいました。でも、それでもなお「惑わされてたなあ」って感じることができた、それも「宿題できたなあ」って感覚に繋がっています。

それから仕事について。
会社を辞めて個人で仕事を得ていくやり方をするとしたら、わたしはどう準備していこうか?と考えるようになってきたのですけど。
それがまたエゴ大活躍というか、安全を求めるエゴさん、生き残ろうと急くような感覚をたくさん感じることができたりして、いやあ、そういう基本的な自分の反応を変える時なのかもなあ、と思いました。

別の夢では祖母の葬式を見ました。
タロットでも死のカードは悪いものじゃないわけですけど、夢のシンボルとしても死は悪いものではなくて、わたしの愛用している夢辞典では「古いものが終焉を迎えている」とか「新しく始まるものに道を開けましょう」とか書かれています。
なので、応援されている気持ちにもなりました。

「個人で仕事をする場合の準備」もそうだし、今の仕事での自分の人間関係を振り返ってもそうなのですけど、どちらも「安全のための関係性」がマインドの中にするりと入って来るのでした。本当に自然でびっくりします。
そしてそれに気づくたびに、「いやいや、今週はそれではない関係性を選びますよ」と意識すると、不思議なことにわたしの中のどこかがすごーく楽になるのを感じられたのでした。
(今のところ、どこかはわかりません)


また、明らかに「安全のための関係性」ではない関わりもさらりと見せてもらいました。

先週、彼岸前なので平日休みの日にお墓掃除に行ってきたんですね。その時に他のご家族(知らない方々です)もお墓にきて掃除をされていました。

わたしはそれが意味もなくうれしくなりました。
あちらの人もお墓掃除に来てるのねーって、単に、その人たちがいることがうれしい。

目が合ったのでこんにちはを言い、しばらくした後で「燃やせるものあればもらうよ」と声をかけていただいて草を捨ててもらったり、袋が破けちゃったおばあさんに持ってきていたごみ袋を差し上げたり、破けた袋から散らばったものを片づけたり、、、そういう、本当に何でもないやりとりがとても幸せに感じました。
(何でもないようなことが〜♪と、悲壮感なしに歌えるねと思いました)


こうしてわたしに経験させてくれます。


また、ある別の夢では、わたしは「自分を直されたくないから」「自由が欲しいから」だからわたしは親や先生がいうような言葉や本で読んだことを、あたかも「わたしはやってますよ」というかのように使っていた、ということに気づかせてくれました。
これはわたしは全くこれまで気づいていないことでした。なんか優等生だよなー無理してるよなー、みたいなことは自分で思ってたのですけど、「どうしてそれをしてるのか?」ということに関して腑に落ちたことはこれまでありませんでした。

ちなみにその夢はどんな内容だったかというと。
わたしの友人が娘さんが休日の日にいつまでも寝巻のまま着替えない、と不満を漏らしていて、わたしは「起きてすぐに着替えていたほうが行動したいときにすぐに取り掛かれるねー」みたいに言っていました。でもわたし自身は、寝巻で過ごしたいし過ごしてる、でもそれは言わない、みたいな。言うと「自分を直されるから」、だから先に優等生でバリアを作っておけば「自由を守れる」と思っていた・・・。

この思考パターン、すーごく馴染みがあるんですよねえ。。。馴染みがありすぎて、夢で見るまで全く気づきませんでした。

正直さを自分に与え、そして自分を自由にしよう、と思いました。

そして、それを勉強会でシェアしたときにお話ししていただいたのは、修道院などは安全に守られている、安全に隔離されている、ということ。
以前にその話を聞いた時には、「そうだよねー、そういう守られた場よりも、普通の市井で生活してるほうが経験して覚えていくよねー」というようなことを思ったのでしたが、今回は「すごくわかる!」と思いました。
わたし、精神的に修道院を建設してた!みたいな感じです笑


フォーカシングの練習の時間には、次のような洞察が上がってきました。
わたしのエゴ、誰かを嫌いだ、分離していたい、そうしてぎゅっと心に固めておいているもの。
その固めているものが、大きな青い海、ディズニーのリトルマーメイドみたいな楽しい雰囲気もある広い広い海に、ばあーって散らばっていく感じ。

わたしは散らばっていくそれを、また一生懸命集めて、ぎゅうっとさせています。でもどこか拾いきれない。
そしてまたしばらくすると、海にばあーって散らばってしまう。

散らばって、海に持っていかれて、もうどこかわからなくなってしまって、、、その感覚はとても心地がいいものでした。
なのにわたしは一生懸命散らばったものを集めて、全ては拾えなかったと罪悪感を感じる、そういうことをしてたなーって、そういった洞察が上がってきました。
その、心地のいい感覚のほうでいいじゃん。


先週の宿題の「幻想」がまさにそれだな、と思いました。海に散らばって、持っていかれることに抵抗して一生懸命集めて、みたいなその一連が幻想だなあって。

先週の宿題の「愛について新しく何かを発見していく」。その、海。ただもう、持って行ってくれてしまう大きなもの。大きすぎて把握ができないもの。
わたしが先週、愛について新しく発見したことは、そういう感覚です。
穏やかで、抵抗しきれなくて、果てしない。



ACIM目当てでこの日記を読んでくれている方もいるのかも?ということで、今週の宿題を書いてみます。
よろしければ、ご一緒にやってみませんかね?

今週の宿題。

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私たちは特別な関係性を求めていくことをプログラミングされていますが、じゃあ「特別な関係性でないなら、愛ってなんなのか?」ということを見ていきます。

コースでは、愛は私たちの理解を超えているものと記載されていますが、じゃあ「理解」というより「経験」として見ていくとどんななのか。

愛の代替物を自分が求めているということを認識していく。自分はどんなものを代わりにしようとしているのか?

「本当の愛を私はどうやって経験していくのかな?」と見ていく。
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ではまた来週〜



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