日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2017年05月16日(火)

ヒヤリハットについて、職場で話を聞きました。
そういうミスは起こるだろうとは思うのですが、それに対してのミスをした方の反応がわたしの想像しているものとは少し違っていたので驚く、ということがありました。

驚いた一方で、自分がやったという確信がないとそういう反応になるなあとも。
そして、あープレゼンスじゃないということか、と思いました。

自動車を運転する人は経験があるかもしれませんが、自動運転モードに自分がなるときがあります。何かほかに考え事をしていたり、はたまた疲れていたりして、運転している意識が薄いままいつの間にか家に着いていた、みたいな。
それと似ているのかな?と思いました。

「自分をプレゼンスに戻すという作業をところどころに入れる」「マインドフルネスで業務を行う」というのがミス防止にいいのかも?と少し思ったので、気にしててみようと思います。

(というか本を貸すか)



昨日も鍼灸に行きましたが、忙しそうで時間も押している様子で、「今日は実験はなしでお願いします」と言われたので、残念ながらセルフでプレゼンシングしながら鍼を受けました。

うん!物足りない!(笑)
これまでずっとやってきて、満足してたのになセルフ。まじかー。物足りないのかー。
鍼の効果を感じられてるので、効果というところではどうなのかわからないのだけど(通常がどうなのかがわたしにはわからないから)、物足りなさという違いを感じました。おもしろいものだなあ。

ということで、わたしにとってはこれもまた実験と確認になります。
「果たしてそれぞれの違いを、わたしはどのように感じているだろうか。」
壁がない、一方はある、そんな感じかな。
ふーん。何に壁を感じるんだろうな。

わたしは冷えてしまいやすいのであまりいろいろと鍼ができないみたいで、それが悩ましいと鍼灸師さんがおっしゃっていました。
抵抗が出てくるときは、より小さい動きで。
ジャックさんのこの言葉を思い出します。
プレゼンシングを使うと、わたしのようなクライエントに対してより効果を出せるのかもしれない?という仮定が出てきたので、その辺も少し気にしててみようかな。
鍼灸師さんが「わたしも勉強になるので」と言っているのはこの辺なのかしら。

今回のことで確認できたのは、声掛けがどれだけ助けになるか、ということですね。たとえクライエントがやり方を分かっていたとしても、声を掛けられるということがどれだけ助けになるかが実感できました。
それから、やりとりがあるということから得られる感覚ね。すばらしいね、やっぱりね。




今日の夢は「結婚することが決まったのに(自分で同意したのに)、結婚したくない!」という夢でした(笑)

感覚として、とてもよくわかる夢でした。
相手の人とは一度だけしか会っていなくて、顔も覚えていません。そして、
「困ったー。決めちゃったのに結婚したくないー。」
と思っています。
一度無理だと思っちゃうと本当に無理な自分を知っているので、そして一度決めたものを変更することが不得意なので、そして相手の人に申し訳なくて、わたしは困っています。
(この感覚がよくあるパターンなのです)

そんな感じのまま相手の人と2回目お会いしました。容姿は正直なところ好みではないのだけど、いい人なのです。一緒にいて楽しいし、わたしに無理がないし。
でも結婚・・・と夢の中で躊躇していました。

で、夢から覚めて起床。
前回の日記を何気なく読み返しました。
あ!と思ったのがこの部分。↓


無理やりだったり、痛みがあったり、そうしたことを「与えること」としているさまをたくさん見てきました。「そうしないといけない(無理やりじゃないといけない、痛みがないと覚えない、恐れさせないとやらない)」という価値観とか。
そうして「与えられる」ことにわたしは嫌だなって感じていました。
もちろん、わたしのことや与えようとしてる相手の方を思ってくれているということや、与えようとしてくれること自体に関しては、それはとてもありがたいことです。それに、そうやって「与えてもらった」ことはわたしの役に立つものも多かったことは確かだなと感じます。

ですが、あんまりうれしくなかったというのが一緒にあるので、わたしは自分が誰かに「与えること」がしたいとは思いませんでした。「わあ!わたしも与えたい!」って憧れはあまり出てこなかったのでした。



これに似た構造が、「結婚」と「愛」というもので、自分の中にあるなあと思いました。そして、この先に続く文章と同じ展開でもありそうだなと。
当てはめてみるとこんな感じ。↓


できてない、やっていないって思ってきたから、結婚をしたいと思わないで来ていたから、「愛すること自体をしていない」「愛そうとしていない」、意識の奥でそういう思いがあったことに気づきました。
でも、結婚とは別のかたちの愛し方を目にしていた、経験していた、それらのことを認識したときに、「あ、わたしもそれをできていたかもしれない」って。「それなら愛するってことをできるかもしれない」って。その気づきにも感謝があふれました。

それから、「マネをする対象」も近くにいることに気づきました。自分の心よりも近く、自分の手よりも近いところに。(← Lesson125の内容)
「いない」って思っちゃうなあ。



なるほど。
自分のことながら興味深いです。


...




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