日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2017年02月12日(日)

最近内面的にですがいろいろ起こりすぎて、全部書こうとしたり全貌を書こうとすると途方に暮れるという感じなので、いちばん表面に今あるものを書こうと思います。


少し前にあったことですが。
わたしはその人(仮にAさん)が嘘をついている、とその時に思いました。
というのは、他の人から聞いていたAさんの言葉とまったく逆のことを、Aさんはわたしに言ったからです。
Aさん自身、その話をする前に、嘘をつく人に対して怒りを表現していました。そのように周りが見えているのだな、とわたしはその時聞いていたのですが、そのご自身が嘘をつくのを聞いて、なんだこの人は、とわたしは不信感でいっぱいになりました。

しばらくそのことが頭から離れませんでした。
でも今日ふと、Aさん自身は自分が嘘をついているという認識はないのかもしれない、と思いました。

わたしはその当時、わたしのことを試すためにAさんは嘘をついた、と捉えました。
わたしを信頼していないことを隠したまま、疑っていると感じました。
疑っているなら疑っているで構わないのですが、それを隠した状態でということがわたしが引っ掛かったところなのだと思います。
その時わたしは、なるべく正直に答えました。感情的になっている人を前にすると、逆にとても冷静になります。

今その時を振り返って、単にAさんは、他の人と話している時とは気が変わった、わたしが嘘をついていると疑った、その反応から言葉が出たのであって、その反応に対して正直であるから、自分では、嘘をついているように聞こえることをしている、という自覚はないだろうな、と思いました。

結局のところ、わたしに向けてAさんは自身が言ったことを実行するわけでもなかったので、その言葉は「やっぱり嘘だった」とわたしには処理され、そのように言葉を使うAさんをわたしは信用していない、という状態が生まれました。
わたしは人を信用したいほうなので、そこで葛藤します。(^_^;)

これまでの人生でわたしはAさんのような方と数人出会っていて、でもわたしはそういうところをなあなあにしがちで(そういう場合に、とっさに相手に怒れる人がうらやましいようなところがある)、で、それが平和的かといえばなあなあにすると関係性が悪化するだけということも、なあなあにしなかったら好転したということも経験してわかっているので、ちょっと気を付けているところです。
なあなあにしがちなのは、大抵そのような方がその直後に弱い部分を見せてくるので、それでわたしは「良い顔」を出すというか同情するというかをして、なかったことにしてしまう感じなのですけど、相手がどういう表現をされててもわたしは同じく接しないとだめよね、と。

わたしは、その役割のひとは大変だな、と他人事でこれまで思うことが多かったのですね。
例えば「店員さん」とか「上司」とか「経営者さん」とか。
でも、たとえ自分がその役割ではなくても、自分の思い描く「そういう役割の人が持っているはずのものを持ってる人」に自分がならないことには、見本(サンプル)のひとつにもなれないし、求めているものの提示にもならないので、わたしもがんばろうと思います。


あと、今日少しうれしかったのは、わたしの文章も役に立つのだなと思えたことです。
自分はその人にそうしてほしい、そう感じてほしいとか望んだわけではなく、でも自分自身としてはするには当然なこととしてやっていることを、文章から感じ取ってもらえたこと、それに感謝されたことが、とてもうれしいです。
そうか、わたしはそこを当然なこととしてやってる、と気づけてうれしいし、自分をそのまま受け止めてもらえたように感じて、うれしい。
真摯に聞いてくれてありがとうございますと言われたけど、その言葉に、真摯に聞いていることを感じられるその人自身に、感謝が沸きました。


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