日記×エッセイ...みち

 

 

英語 - 2017年02月06日(月)

わたしは英語が苦手です。
なぜ苦手かって、左脳を使ってなんとかしようとするので苦手なんだなあということが最近わかってきました。
英語って右脳言語なんだって。

どういうことかっていうと、こちらの記事が参考になります。↓
「なぜ日本人には虫の「声」が聞こえ、外国人には聞こえないのか?」
日本語の左脳的な言語感覚はわたしはとても好きなものだし、そしてそちらを頻繁に使ってるのもすごくわかります。


これまでをふと振り返ってみたんですけど、おもしろいことに、わたしが英語が苦手に感じるようになったのも、左脳的に英語に触れるようになってからでした。
左脳を使う時の感覚、右脳を使う時の感覚、どっちを使っていたかなって振り返ってみると、英語はわたしは左脳で覚えようとしていて、そして「できないー」って繰り返してる、と。
それから、英語の学び始めは右脳っぽいアクセスだったなあ、ということも思い出しました。
(だから初めはおもしろかったのか、みたいな)


ジャックさんのクラスに行ってジャックさんの話す英語を聞くというときに、英語が苦手なわたしの感覚としては、英語が聞こえてきた段階でどこかシャットダウンするんです(苦笑しかない)。そして通訳の戀都さんの話しか聞いてない、みたいな。
冗談かと思いますけど、ジャックさんのクラスで傾聴のクラスとかあるわけで、、、なのでわたしは自分自身が初めからシャットダウンしてるのがよく感じられる、と。
この感じはなんなのかなー、この英語アレルギー的な自分の反応は何なのかなーとずっと思ってきました。英語に嫌な思い出も別にないぞ?みたいな。
その自分の感覚に気づいたので、クラスに通い始めの頃よりは意識的にジャックさんの言葉、音を聞こうとするようにはなったのですが、それでもなんだか難しさを感じていました。

今、西澤ロイさんの「頑張らない英語シリーズ」の本を読んでるところで、とても思い当たるなあ、これは対応できることなんだな、とほっとしている、というのが今の状態。


わたしには時々、ほんとうに時々、英語を学びたい波が来て、そして去る、という感じがあって、今まさに学びたい波にいるのですけど。

これって、「右脳も使いたいっ!」という発作だったのかもなあ、と思ってるところです。
そして左脳を使っては、これじゃない感それをしたいわけじゃない感を味わってたと。(^_^;)


今回の英語の波が来たのは、ACIMのUrtextを自分で読みたい欲求からでした。
言葉のひとつひとつに触れながら読み進んでいきたい、そういう欲求から導入してるから、なんというか、左脳的に読むだけでは限界を感じました。左脳も右脳も使って読みたい、みたいな。今思うと、ですけれど。
言葉(左脳)があって、そこから感じられる自分の感覚(右脳)を探りながら原書を味わいたい。

ということで、右脳も使ってやってるかな?と意識して、ちょっと今回は取り組んでみまっす。


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