日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2016年08月02日(火)

「嫌われる勇気」読了。

なんでこの本の「青年」に初めのころ辟易したのかしらと、わたしの内側を見てみました。
辟易した後にどうして楽しくなってきたのかしら、とわたしの内側を見てみました。
日常を思い返すと、結構その流れが多いわと。
楽しいは、本当に楽しいなのかな?とかも。


辟易したのは、攻撃的に感じたから。
こういうことを攻撃的に感じるのだなあ、と思いました。
(分離を信じているというのが土台にあっての表現だから、そう感じることになるのかもなあとか)


辟易した後にどうして楽しくなってきたのか。
青年が、攻撃ではなくその表現(議論)をコミュニケーションとして使ってる、これまでの人生で「コミュニケーションはこういうもの」と学んでいるのだなと思ったから。
でも、わたしはそのやり取りの方法自体は楽しくはないわーとも思いました。


最後に青年は、議論を止めた。
ここ!
ここが、個人的に「すごい!」と思った箇所です。
青年本人、これに意識的ではないと思うんだよね。でも止まるんだなって。そうだよね、得られてるんだもんね。


読み終えて、知っていることが書いてあるので一度読んだし返そうと思ったのですけど、
「プレゼンスのままでこの本を最初から最後まで読んでみる、ということをしてみたらどんな感じだろう?」
と、むくむくと発生した興味により試したくなったので、二周目行きます。
一周目で辟易した部分でまた辟易した感覚が出てきたら、今度はその感覚がどんな感覚なのか、ちゃんと感じてみるぞと。

さてどうなるか楽しみです。


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