日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2011年05月28日(土)

基本的にわたしはいつも、悩んでいたり、迷っていたりすることはあらわさず、自分の中で練って練って答えを出す。

な、の、で。

自分でいることをやめる、つまりいつも使うこのパターンをやめてみるべと、誰かに相談というか、話をしてみることにした。

それで気づいたのは、どうして自分の中で練って練っていたのかということ。
相談する人は相手の人に決めてもらおうとしていると、どこか思い込んでいたところがあるみたい。
なんでそう思ってたのだろう???

決めるのはわたしとしても、その過程で誰かに話を聞いてもらうのもいいなと思った。その方がいい感じもする。

ということで。
誰に言おうかな〜とタロットを引いて、いちばん穏やかで着実な感じがするカードの方に話した。カードそのままの感覚を得た。

でもおもしろいことに、胃のあたりの位置の背中側が痛くなったw
第3チャクラだよねー。自己だよねー。

で。

ええ〜?なんで?
正直にリラックスして自分の思っていることをそのまま言えたし、反対されたりもなかったし、自分そのままだったと思うんだけど。

と、振り返ったところ、納得。
その「思っていること」そのもののベースがおかしかった。
ずうっとがまんしていたことをこれからもがまんし続けるって設定上になりたっているものだった。
そこには期待も存在していて、「きっとこうなるだろうから、それまでがまんしよう…」というもの。

そして気づいたのは。
「きっとこうなるだろう」はもう年単位でそうなっていないという事実。
それをまた続けようとしている自分。

あほらしい。

ということで、さあどうするかどうしたいか、ともう一度整理する予定。



スクールの宿題中。
おもーくなっていた。
全然重くなる理由がわからなかったのだけど。
実際、はじまってみたら幸せ気分や新たな視点を味わってばかりだし。
あの気分の重さはなんだったのか、観察中。


...




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