つらつら - 2011年05月12日(木) やりたいことたくさんでブログ書けないでいます(^_^;) まず、宿題に追われています。 週一で締め切りが迫ってくるw ←あまりのぎゅうぎゅうさに笑ってしまう もうひといきで、とりあえず一週間宿題なし期間に入れるぞ!と自分プッシュ中。ふうふう。 それから、スクールの復習。これは自分がしたいからなんだけど。 講義の映像とメモを見ながら復習。 それを見ながら気づいたもの。 そうじゃないかなあ、と思ってみたらそうだったのだけど。 質問をしたのだけど。 質問した声よりも、最後にありがとうございましたと言った声は小さいはず、と思ったらその通りで。 なんでそう思ったかというと、ゲリーさんから質問の答えを聞いている最中、なんだか居心地が悪くなったから。 で、いつものように自分の気持ちを見つめたわけですが。 小学生の頃の教頭先生の思い出と繋がった。 誤解されて怒られた思い出。 でも、別にゲリーさんに誤解されたわけではないし、どなられたわけでもない。 なんで重なったんだろう?と思った。 たどっていったら、「自分が想像していなかった応答が来て、それはわたしがしていないという内容だった」という共通点があった。 ゲリーさんはわたしがそれをしていないと言ったわけじゃなくて、言われてることを聞いてたらわたしはしてないなと思ったわけなんだけど、教頭先生に怒られた時と同じフィーリングだった。 それが、なんというか、うわあ!と思った。 2人はこんなに異なる表現をしているのに、受け止め方が一緒くただ!と。 その上、「経験中、リリース中はわかろうとしない方がいい」という言葉も、すごくその通りと思うことになった。 わたしの場合は、「わかろうとすること」自体が生き残り戦略に使ってたことだということがよーくわかったから。 教頭先生に怒られたことでも、「わたしはわるくないけど、怒られないで済む言い方がわかっていたらよかった」と強く思ったし、怒られないためにはわかることだ、と思った感覚があるなと思う。 わかることは楽しいことなのだけど、別にわかろうとしなくて良くて、ただわかるのを楽しむ仕方ってどうするんだっけ?みたいな感覚になっている。。。 ...
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