日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2011年04月19日(火)

待ちに待ったスクール、行ってまいりました。4期生どすー。
今回は3日間。

呼吸法のおかげでからだ(背中とおしり)が筋肉痛。。。
WSでもうやったことがあることとか、聞いたことがあることとかも多い中で、また新たに聞くこと・わかることも多くておもしろかったです。

とはいえ、1日目はなぜか終わった後、きぶんがどんより重かったけど。。。
(理由がこれとわからない)

自分の体験を書こうかと思ったんだけど、いつものように書いていったら、今自分にあるこの感覚じゃなくなってしまいそうで、どうしたらまたこの感覚に戻って来れるのかとかよくわかってないから、まだなんかあまり書く気にならない。

その中で書きます。(書くのかよ)
この感覚でなくなる理由は、なんとなくわかってる。
感情の物語にはまるから。物語、好きなんだよなー。


ワークしていて気づいたことは、自分から悲しみの感情がよく出てくること。
なぜか悲しい。
悲しいと一緒にときどき怒りも出てくるけど、悲しいがほとんど。

で、悲しいの下から、ほんのちょっと、顔を出したもの。
あわーいピンクのような、さわさわふわふわというような、雑に扱うとすぐに汚したり風合いがなくなったりしてしまいやすいような、そんなものが見えました。

服に例えたら、汚したら目立ちやすそうだし、汚れないようにとか汚れを取るとか保管とか、お手入れ面倒だからと言って買わないようなタイプのもの。
どうやらそれを持っているらしい。

ううむ。面倒か。。。

世の中に、悲しいことがたくさんあふれていて。わたしはそれを味わいたくないから葛藤にしているっぽいなとも思った。

子どもを産む理由とか、いくつかのお話、悲しくて仕方がなくなってしまった。

悲しい、悲しい、と味わっていたら、
「現実は悲しいことがたくさんある。いちいちそれに泣いていてはいけない。泣いていたら何もできない。」
という自分の思い込みを見つけた。

悲しいこと、ちゃんと味わおうと思った。
味わって、味わいながら行動しよう、と思った。
味わいたくないから葛藤にしているのなら(ひとつの仮説)、味わっていい、悲しんでいい、その上で動こうと思った。

そしてもうひとつ気づいたのは、悲しいと喜びの感覚が似ているということ。うまく言えないんだけど。
ワーク中、笑っているのに泣いていた自分を見て、そう思った。



ちなみに2日目の昼。グラウディングを高める呼吸法をした後のこと。
携帯電話がこわれた。
充電は朝までしていたので、98%だった。
ワークが始まるからと電源を切ったのだけど、暇ができたからメールチェックしようかなとふたたび電源入れようとしたら、うんともすんとも。

充電池を入れなおしてもだめ。

ホテルロビーのパソコンで、電源が入らない場合を検索したら、充電器を差し込みながら電源を入れてみる、とかあったのでやってみたものの、充電すら機能しない模様。

ということで、1日半くらいネット世界から決別。

まだ買ってから1年経っていないため、保証書を持って携帯ショップへ。
ところが、携帯を買ったお店は地震でお引越しの模様。
他にどこあったかなーと記憶をたどって、確かあそこそうだったような。。。違うメーカーさんだったかな、と車を走らせると、そこでよかった。

携帯ショップで点検。
充電器をつないでもやはり反応しない。
そこで、充電池を換えたら電源がついたらしい。
それなので、機能しなかった充電池を機械にかけて点検してもらった。
そしたら充電池、なんの問題もないと。
で、なぜか使えるようになってかえってきた(^_^;)
98%の充電が、ほとんど放電されてた。。。

店員さんの話によると、まれにあるらしい。

でも、まあ、機械系はなんとなくそういうことあるよなとは思っている。
もともと静電気持ちやすいひとではあるのだけど、それがなにか関わるのかも関係ないのかも知らないけど、ワークしたりすると機械がなんか作動がいつも通りにいかなかったりとか、現象として、よくみる。
不思議なものだ。


ちなみに、スクール前に「柳沢教授の生活」のベスト盤を、気が向いて買っていた。他の本を買うついでに目にとまった。

以前、読んだことはあって、おもしろいなあと思ったことはあったのだけど。
今あらためて読んだらば、「自分自身でいるってこういうことだな」ってしみじみ思った。
芸術家は芸術家でいればいい。女王様は女王様でいればいい。


...




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